●初陣
ぶるり。
恐怖はないが、緊張はあった。高等部2年生、阿修羅の大曽根香流(
ja0082)の身震いは初陣を前にした武者震いか。思わず彼女は、己の身を抱きしめる。交差した両腕の上で、豊かな胸が重たげにたわむ。その胸にコンプレックスのある彼女だが、戦いの緊張を前に、そんな事を気にしてはいられなかった。
「今回が初依頼!! 皆さんの足を引っ張らないよう頑張ります〜」
間延びした関西弁の挨拶だが、高等部1年の鬼道忍軍、天道 ひまわり(
ja0480)は至って真面目。気合は充分だ。
腕組みして真剣な表情を浮かべるのは火柴 希(
ja1302)。高等部2年のインフィルトレイターである。人外との戦いは経験はないが、撃退士の敵の多くはこうした人外である。これから覚えていかねばならない。焦らずに状況を確認していけば行けるはず、と自らに言い聞かせる。
「皆で仲良く楽しく、依頼を解決したいなあぁ〜」
そう微笑む大学部3年、アストラルヴァンガードの三波 鶫(
ja2058)にも気負いはない。しかし、最後まで努力を惜しまずやり遂げる意志の強さを、その瞳の奥に見せていた。
「わっ、見た限りじゃ本当に走ってるだけなんだ」
討伐対象のディアボロ、暴れ馬。それを遠目にちらりと目撃し、高等部1年のルインズブレイド、弥生 景(
ja0078)は眼鏡の奥の瞳を丸くする。彼女もまた、初めての実戦である。
(正直自信はないあまり無いけれど、足を引っ張らないよう頑張らないと!)
かなり緊張しつつも、一人気合を入れる。
逆に普段通り、全く緊張を見せないのは大学部3年のアストラルヴァンガード、レイン・レワール(
ja5355)である。
「初のお仕事が、お馬さん退治、か……」
そう言って、口元に笑みを浮かべる余裕すら見せる。しかし、犠牲者が出ている事は知っている。彼らを想い、レインの目は笑ってはいない。暴れ馬に声が届くような距離ではないが、彼は走る姿に告げる。
「気持ちよさそうに走りまわってるのに悪いけど、大人しくやられてね」
「体力ありそうだし、長期戦になるかも知れないけど……焦らずに、だよね?」
とは、森林(ja2478)の言である。高等部2年のインフィルトレイターである彼は遠目に見つけた馬の動きから目を離さない。
「正直、あの馬が天魔でなけりゃ、飼いならすところなんだが……」
ふん、と鼻息を鳴らすのは伊達 時詠(
ja5246)だ。高等部1年のインフィルトレイターは、ニヤリと口元を歪める。
「天魔となれば、話は別だ……Blood Party……」
そう言いながら、ツーハンデッドソードを抜く。本来後方からの射撃が主体のインフィルトレイターなのだが、彼は敢えて大剣を魔具に選んでいた。更に魔装も身につけていない。
ある者は自らの、またある者は選んだ武器の力試し。あるいは、これからのための経験。彼らはそれぞれの目的のために、第一歩を踏み出そうとしていた。
――だが、この戦いは思わぬ展開を見せる事となる。
●生兵法は大怪我の元
今回、8人の撃退士達は鶴翼の陣を組み、暴れ馬を包囲して殲滅する作戦を考えていた。暴れ馬に近づき、それぞれが配置に着こうと動き始める。
「待て」
突如、それを静止する声が上がった。声の主に視線が集中する。時詠だ。今回の作戦の発案者である。
「馬ってのは賢い動物だ。まずは相手を観察し、敵と判断すれば相手から駆けてくる。陣形を読まれて作戦が潰れたら意味が無い……仮にも天魔だ。知能は高い……だからこうするッ!」
彼は大きく息を吸い込む。誰かが彼を静止しようとするが、それを無視して叫んだ。
「大声で……と……! カモォ〜ン! BA!SA!SI!」
自信満々に、彼は残りの7人を振り返る。
「……ってな?」
後は馬がこちらにきたら、改めてその起動に合わせて陣を組めば――。
「危ない!」
叫んだのは誰だったろうか。仲間がカバーに入ろうとするも間に合わない。
遠目から既に気づいていた暴れ馬が猛烈な勢いで駆け込み、気配に振り返りかけた時詠の身体を跳ね飛ばした。
「――が……っ」
悲鳴にすらならない。全身が地面に叩きつけられる。激痛に力が入らない。それでも地面に手をついて、状況を把握しようと周りを見ようとして――。
――時詠は、再び目の前に迫る暴れ馬を見た。
再度突き上げられるように吹き飛ばされる時詠。地に叩きつけられ、二転三転と転がる。そのすぐ脇で暴れ馬は地を蹴り方向を転換し、
「うわぁっ!」
急な方向転換に防御が間に合わない。レインの身もしたたかに跳ね飛ばされた。更に暴れ馬は方向転換。その先には、不運にも倒れたままの時詠の姿があった。暴れ馬は鼻息荒く、時詠に噛み付く。激痛を堪えつつも状況を察した時詠は、必死に地面を転がって避けようとするが、間に合わない。足に噛み付かれ、振り回され放り出される。三度、悲鳴と共に彼は地に叩きつけられた。本来前衛に立つタイプではないインフィルトレイターは、当然ながら防御能力は前衛達に大きく譲る。加えて魔装のない彼は、必然的に受けるダメージを緩和することが出来ない。その彼が強烈な攻撃を何度も受ければどうなるか。大の字に倒れ、時詠は意識を手放す事になる。
いくつものミスが重なっていた。
まず、馬の知能は確かに高いのかも知れないが、今彼らが相対している暴れ馬は、暴走状態にある。思考を放棄し、動くものを敵と見做して襲ってくるのだ。そして、暴れ馬は一番目立った者を取り敢えずの目標と定めた。つまり、こちらに何事かを叫んだ時詠を、である。結果として、彼は自らが立てた作戦を自ら潰してしまった。
もう一つ、これはこの場にいた多くの者が犯したミスである。撃退士たちは皆、暴れ馬が直線的な動きをしてくると思い込んでいた。暴走している暴れ馬は、突如として向きを変えたり、跳ねまわったりする。まっすぐ向かってくると思い込んだ撃退士達は、突如変わるその挙動を予想できず、対応しきれなかった。
更に言えば、鶴翼の陣を選択した事がそもそもの間違いであった。鶴翼の陣は、敵と等距離に開いて攻撃を押し留め、包囲を狙う陣形である。この陣形には、更に大きく横に開いて包囲を阻止するか、逆に密集しての包囲突破が効果的であるとされている。相手を跳ね飛ばし、駆け抜けてしまう暴れ馬のような存在は、一騎でその突破を為すようなものであり、この陣形は暴れ馬に対して相性が悪いと言えた。加えて、鶴翼の陣は撃退士達とも相性が悪い。大人数の軍隊が行うならばともかく、それぞれ得意とする戦法の全く異なる撃退士達では、それぞれが戦う間合いに敵を収めるために、結局陣形を崩さねばならなくなるのだ。これがいくつもの部隊で陣形を組むそのうちの一部隊が彼ら8人であったと言うのなら、その中で前衛後衛が分担することで有効に機能したかも知れない。しかし、今回は少人数の戦いである。各人の戦法や間合いを意識した作戦を立てる必要があった。
結果として、撃退士が配置につく前に、事実上暴れ馬の奇襲攻撃を受けた状態となる。更にレインが傷を負い、時詠に至っては既に気絶、戦闘続行不可能な状態となっている。残った者たちも動揺を隠せない。ミスが重なれば重なる程、事態は致命的なまでに重くなる。
絶望的と言っても過言ではない状況での戦闘が始まった。
●思わぬ苦戦
「ええい、ともかく攻撃っ、攻撃!」
「とにかく態勢を立てなおさないと!」
真っ先に気を取り直したのは、景と香流である。二人が暴れ馬を追い、囮を兼ねて攻撃を加える。景の打刀が閃き、香流の鉤爪が暴れ馬に並行の傷をつける。
彼女らに一歩遅れて、他の者達も動き出す。彼女ら二人以外は距離を取る。森林がショートボウの矢を放ち、威嚇射撃で牽制して態勢を整える時間を稼ぐ。鶫はレインや時詠と暴れ馬の間に駆け込み、回復のスクロールを使う用意をしつつ、自身は魔具のスクロールで魔力弾を暴れ馬に放つ。
「狙うは右目、視力を奪う!」
ひまわりは手裏剣からアウルの刃を放つ。暴れ馬の挙動や的の小ささから、直撃には至らない。諦めず、ひまわりは次の刃を放つ。希もピストルで足を狙い打つが、まるで堪える様子の見えない暴れ馬に舌を打つ。
既に鶴翼の陣どころではない。文字通り暴れまわる馬に追いすがるようにして、景と香流は牧場の坂を駆ける。森林や希は自分の得意な間合いの維持に努め、遠距離から馬の足を狙い、あるいは体力を削ろうと射撃を加える。
「お手伝いします!」
鶫は前線の狙いを散らすべく、スクロールからダガーに武器を切り替え、暴れ馬に肉薄し前線に加わった。胴体にダガーを突き込む。暴れ馬が跳ね回り、傷は浅い。
彼らが戦う間にレインは起き上がり、時詠を担ぎ上げるようにして戦線を一旦離れる。低木に背を預けさせ、楽な姿勢を取らせた。応急処置替わりに回復のスクロールを1枚取り出した。意識は戻らないようだが、傷は多少浅くなったろうか。
「ごめんね、暫く我慢して!」
こうしている間にも、戦いは続いている。敵を一刻も早く倒す事が、結果として素早い治療に繋がる筈だ。そう言い聞かせ、レインは時詠を残し、戦線へと駆けていった。
時詠の意識は、未だ戻らない。
レインは戦場へ走り戻る。ケインを手に取り、ぶんと一振りし構え、希の脇を駆け抜ける。
戦線は撃退士達に不利だった。8人で戦えば兎も角、ここまで2人を欠いた状態での戦いである。暴れ馬は基本的に近い相手を狙う傾向があったとは言え、時折前線に立つ3人を振りきって周囲を固める者たちへも攻撃を加えている。無傷な者はおらず、特にやはり前線の景と香流、そして鶫は多数の攻撃を受けていた。レインは彼らの様子を見るや、傷の深い景と香流の傷をまず癒す。これでレインは回復のスクロールを使い切る。
「皆大丈夫かい!?」
「お陰様で、何とか! 後ろも気をつけて、蹴っ飛ばされるよ!」
レインの呼びかけに景が注意を加えて答える。女性は絶対に守るのがレインの信条である。しかし、予想以上、いや、予想外の苦戦の中ではそれも言っていられない。兎も角まずはと、レインは暴れ馬の矢面に立つ。これで7人。多少は戦況を押し戻せるだろうか。僅かに安堵の溜息が、ひまわりの口から漏れる。
「足を狙って! 機動力を落とさないと、振り回されるよ!」
希が叫ぶ。暴れ馬に合わせて位置を変え、距離を保って銃を撃ち込む。呼びかけたとおりに、足を狙った。着弾は間違いなくしているのだが、動きが衰える気配はない。
「凄い体力だな……」
弓を引き絞り、森林は呆れ混じりに呟く。放った矢は跳ねまわる馬の前脚に突き刺さった。暴れ馬はぶるる、と鼻息を鳴らす。
全身傷だらけにしながらも、暴れ馬は駆けまわる。傷が更にあの馬を暴れさせるのだろうか。体当たりに跳ね飛ばされ、痛みに一瞬顔をしかめつつ、香流は一瞬そんなことを考えた。素早く立ち上がり、再び暴れ馬へ駆けて行く。
暴れ馬が動きまわり、それを前衛の者たちが追いすがり、攻撃を加える。後衛の3人は距離を保つように動き、結果として戦場は目まぐるしく位置を変える。
「陣形に拘ってたら、もっと拙かったかも知れへんね……!」
手裏剣を放ち、ひまわりは誰にともなく言う。これほど動きまわる事になるとは。暴れ馬の突破力を甘く見ていたと、唇を噛み締める。敵を知り己を知らば百戦危うからず、と言う。自分たちの能力は勿論、敵の戦力も見誤ってはならないのだ。
動きが鈍る気配はないが、確実に傷は与えている。そう言い聞かせるように、撃退士達は戦いを続けていた。鶫の回復のスクロールも、重なる仲間達の傷を癒して既に使い切っている。それでも負傷は重なり、特に前衛に立つ4人は限界に近い。この中の誰かが倒れるようなら、撤退も覚悟せねばならないか。そう思う程の被害であった。
暴れ馬の動きから次に来る攻撃を予測し、香流は噛み付きを紙一重で避ける。景がその隙を逃さず、打刀を横に振り抜いた。首元に大きな刀傷が生まれる。更に、レインが鼻面にケインを叩きこむ。暴れ馬がここにきてようやく、よたよたとよろける。弱々しいいななきをひとつ上げ、ゆらりと揺れるように、暴れ馬は倒れこむ。まだ走り回り足りないか、足だけは動く。起き上がられてはたまらないと撃退士達の総攻撃に、ようやく暴れ馬はその動きを止めた。
●苦い勝利
暴れ馬の絶命を確認すると、撃退士達はようやく緊張を解いた。その場に座り込む者、疲労のあまり倒れるように寝転ぶ者、様々である。
森林とレインは、仲間達の傷をまず心配する。勿論彼ら自身も、決して浅くはない傷を負っているのだが。味方の被害を確認し、それでも全員が生還出来るとレインは胸を撫で下ろす。森林は、厩舎に避難している従業員や動物も気にかけていた。
「はぁ、はぁ……。もっと強く、ならんとあかんなぁ」
肩で息をし、へたり込んだままのひまわりの言葉に、それぞれがそれぞれの表情で頷いた。彼ら自身の強さだけではなく、適切な作戦を立てるのも、また強さであろう。
座り込み、希は空を仰ぐ。壮絶な戦いを繰り広げたとは思えない程、空は青く済んでいた。
「これもまた、ひとつの戦争の形なのかな……」
ぽつりと呟く。天魔との戦いは、確かに戦争の一つなのだろう。人間同士の戦いとはわけが違うと、今更ながらに思い知る。
まずはちゃんと役に立って戦うことが出来ればもう充分、景は最初そう思っていた。でもきっと、それだけでは足りないのだろう。戦術も、覚えていかなければ。
香流は塩鮭のお握りを仲間達に配った。本当は戦闘前に配るつもりだったのだが、渡しそびれていた。疲れを癒すには、美味しいものが一番だ。
鶫が救急箱で時詠の応急処置を済ませたところで、ようやく時詠は意識を取り戻した。まだ全身に受けた傷は重いが、久遠ヶ原へ戻れば充分な治療を受け、またすぐに戦えるようになるだろう。時詠は戦いの経緯を聞くと、拳を地面に打ち付けた。自分の作戦も行動も、すべてが完全な裏目に出てしまった上に、何も出来なかったのだ。その怒りは、何処へ向いた物か。
それぞれが、今後の課題を、成長すべき物を、直すべき部分を見出していく。その意味では、これくらい苦い勝利の方が良かったのかも知れない。
何しろ初陣だ、何もかもすべてがいきなり上手く行くわけがないのだし、何よりも慢心は油断を生み、もっと致命的な失敗に繋がるのだ。
兎も角、討伐には成功した。それを喜び、経験を今後の糧としよう。成長する機会は、何よりも得がたい。
誰ともなく、撃退士達は立ち上がる。未だ自力で立つのが難しい時詠には、森林が手を貸した。厩舎にいる従業員や動物たちを安心させてあげて、ようやく今回の戦いは終わるのだから。
撃退士達の戦いは、これからも続く。いや、まだ始まったばかりなのだ。