●氷盤は煌めく
「むぅ……」
ザクセン(
ja5234)が唸る。
「……寒い、嫌いだ……。獲物が、減る……」
ぼそり。普段は履かないブーツに足を入れながら、不満気に言った。元々自然に囲まれ、現代社会とは無縁に育った巨漢の野生児である。寒さは勿論、防寒具にも慣れなかった。
晴天の元、関東地方の人里を離れたところにある、小さい湖。
凍りついた湖の、そのほとりに立った撃退士達は、各々の思いを胸にその湖を見つめていた。
「すごいすご〜い♪ かき氷何個作れるかな!?」
目を輝かせて子犬のようにはしゃぐ月夜見 雛姫(
ja5241)。高等部1年生の彼女だが、六男一女の末妹である彼女の仕草や言葉には、どことなく幼さが見える。
「湖一つを凍りづけにねえ……」
白い息と共に、蒼波セツナ(
ja1159)の口から呟きが漏れる。無機質とも取れるそっけない口調だが、その言葉には好奇の色が滲んでいた。
「季節が冬であることを考えても、かなり凄いことじゃないかしら」
その呟きに答えたのかは定かではないが、影野 恭弥(
ja0018)が咥えていた棒付きキャンディを手に取った。興味はないが、と言いたげな無愛想である。セツナの言葉を受けるように、彼も呟く。
「この場所、環境……偶然だとしても面倒だな……」
平坦ではあるが、湖上には身を隠せる場所もない。加えて、凍った水面は足場にこそなるが、滑りやすく歩きづらい。その上、今回の撃破対象であるフロストウィングは常に空中にあり、足場の影響は受けないと来ている。
「……ちょっと真面目にやりますか」
はぁ、とニットキャップを直しながら溜息をつき、キャンディを咥え直す。黒い帽子に白い息が重なった。
「私が出来ることを精一杯頑張るのじゃ」
ぐっと両拳を胸元で握るクラリス・エリオット(
ja3471)。彼女は撃退士としてのみならず、初等部6年生にして貴族たる一族の復興を背負っている。気合は充分だ。
十人十色、多数の者が集まれば多数の感情も集まる。逆に少なくとも、見た目は無感情な少女もいた。
「わたしと氷の鳥、どっちが冷たいか――ん、楽しみ」
透き通るような白い肌と銀髪、銀の瞳。ユウ(
ja0591)はその涼やかな容貌に、小さく笑みを浮かべる。
「ちょっと面白そうな戦いになりそうね」
ふふ、とセツナは微笑んだ。
8人の撃退士達に、敵に臆する心はない。
●凍てつく冷気の蒼い鳥
撃退士達は各々防寒具を着こみ、同時に持ち込んだ氷上対策を整える。
氷上対策の案は彼らの間で幾つか出ていたが、いずれもメリット・デメリットが存在した。それらを考慮し、採用する対策を各々決めている。
多くの者が履くのは底にスパイクと、それを覆うゴムがついたスパイクブーツである。釣りなどの岩場で使う事が多いものだが、勿論雪上・氷上でも一定の効果がある。ユウが靴底に取り付けているアイスソールも、同等の効果が見込めた。
セツナとクラリスの二人はスケート靴を履く。スパイク程の安定性はないが、氷上での機動力は確実に稼げる。
(スケート出来る人、格好良いなあ……)
はぁ、と溜息。ユウはスケートが苦手だったらしく、二人に羨望のまなざしをこっそりと送る。
準備が整った彼らは、光纏を行使。それぞれ得物を手に、氷の湖へ駈け出した。
「凍てつく翼か……」
湖のほぼ中央で吹雪のように渦巻く氷の結晶に包まれ羽ばたくフロストウィングを見据えると、ロングコートに身を包んだラグナ・グラウシード(
ja3538)はツーハンデッドソードを突きつける。
「誇り高きディバインナイトの名に賭けて! 私は貴様を滅ぼそうッ!!」
その声が届いたかどうかは判らない。フロストウィングはばさりと翼を広げると、不意に撃退士達を見据えたように見えた。
そろそろ銃を持った者達がフロストウィングを射程に捉えるかと思われた次の瞬間、突風が撃退士達の中央を突き抜けた。直撃を受けたラグナと、彼に並走するように走っていたザクセンが巻き込まれ、大きく体勢を崩す。セツナはからくも身を躱した。ザクセンは鉤爪をすべり止めに応用、体勢を立て直しつつ後ろへ抜けたフロストウィングへ向き直る。ラグナは衝撃に押され転倒、慌てて身を起こした。
「しまった……!」
側面へ回りこもうとしていた或瀬院 涅槃(
ja0828)が舌を打つ。フロストウィングの身を覆う凍気は時間と共に量を増し、攻撃に転用しなければ一定の段階で止まると事前情報があった。撃退士達が湖に到着する段階で、フロストウィングは凍気を最大限纏っていたのだ。加えてフロストウィングの突撃は、アウルの力を撃ち出す銃の射程よりも遠いところから繰り出せる。これらを考えればフロストウィングが先手を取るのは予想できた筈であった。
後ろに回り込まれ、慌てて撃退士達は足を止め、あるいは大きく旋回し、向きと体勢を整える。振り向きざま、恭弥はダガーでくちばしの一撃を弾いた。
「注意を逸らす、その隙に離脱しろ!」
リボルバーを撃ちこみながら涅槃が叫ぶ。フロストウィングの注意が涅槃に逸れたのを見て恭弥は後退、体勢を立て直したラグナやザクセンと入れ替わり、距離を取る。そのままフロストウィングを挟んで涅槃の反対側へ回りこんだ。
スケート靴を選んだセツナとクラリスは流石に動きが速い。ふたりとも慣れている、あるいは得意としているのか華麗に滑り、フロストウィングとの距離を取る。セツナがスクロールを広げ放つ魔力弾が、クラリスがショートボウを引き絞り放つアウルの矢が、前衛で戦う者達を援護する。足を止めずに放つ攻撃は若干狙いを逸らすが、牽制としては有効であるようだった。
「機動力に差があるのは厄介だ。出来れば翼を破壊したいが……!」
言葉通りに翼を狙う涅槃。彼に続き、セツナと雛姫も翼を狙い射撃。雛姫はツーハンデッドソードで斬りかかるつもりだったようだが、彼女がヒヒイロカネに仕舞っていたのはピストル2丁のみ。距離を詰めず、遠距離からの援護に作戦を切り替えた。
先程の突撃で、フロストウィングを覆っていた渦巻く吹雪は消えている。武器であり鎧であったそれが剥がれた今は最大の好機である。
「……なかなかに面倒だな」
フロストウィングの特性もだが、足場も悪い。ラグナは舌打ちしながら翼に大剣を叩きこむ。ガッ、と硬い感触。その身そのものも氷で覆われているのか。ザクセンもヒットアンドアウェイで鉤爪とハンドアックスの一撃を繰り出す。徐々に吹雪を濃くしつつ繰り出してきたフロストウィングの蹴りを、ラグナは大剣で受け返した。
恭弥は頭を狙い銃撃を放つ。フロストウィングの注意を逸らして狙いを妨げ、援護とするためだ。銃撃は額を掠めた。シャアァと口を開けて恭弥を威嚇するが、前衛に立つラグナ達に阻まれ、襲いかかるまではできない。
「オオオォォォォ――!!」
雄叫び。ザクセンが大きく振りかぶった斧の一撃を、翼の付け根に食い込ませる。ぶんと横に払い、斧を引き剥がす。
「……これは厄介じゃな」
クラリスが形の整った眉を寄せる。フロストウィングの傷口が、見る間に凍りつき塞がってしまう。間違いなく打撃は与えているものの、多少のダメージでは翼を殺すことにはならないか。
ラグナは一旦後ろに下がる。フロストウィングを包む凍気が濃くなってきたためだ。冷気は確実に撃退士の体力を奪う。それを警戒してのものだった。ザクセンもそれに続く。
結果、フロストウィングがフリーになった。渦巻く吹雪を纏って滑るように進みだす。その進行方向にいたのはユウだ。
「ふ……それなら」
ユウはショートソードを抜く。すれ違いざまに一撃、魔力を纏わせた刃を振るって逆袈裟に斬り上げる。直後に体勢を崩し、よろりと尻餅をつく。鉤爪の蹴り足が彼女の肩を裂いていた。相打ちである。クラリスがスケートのスピードを活かして駆けつけ、回復のスクロールを広げ力を開放。ユウの深手を癒す。滑る足場に苦戦しつつ、ユウは立ち上がった。
翼狙いは効果が薄いか。セツナは狙いを頭部、特に目の周囲に切り替える。広げたスクロールから、魔力弾が放たれる。ばさりと羽ばたき、旋回してフロストウィングは直撃を避けた。フロストウィングが魔力弾の飛んできた方向にセツナを探すが、スケートで勢いをつけて滑るセツナは既に移動している。
ぐぁ、と一声。フロストウィングが翼を広げ鳴いた。
「……ブリザードか。来る……」
吹雪避けにゴーグルをかけていたが、恭弥は思わず腕で顔を覆う。注意を喚起する間もなく、びゅう、ごう、と吹雪が吹き荒れた。吹雪をかたどった魔力の本流は、防寒具を超えて撃退士たちの身を凍えさせる。前線にいるラグナやザクセンは勿論、魔力弾の射程の都合で中距離にいたセツナやユウも巻き込んだ。先程ユウを癒したクラリスもぎりぎりでダメージを受ける圏内にかかったようだ。
「これは……強烈ですね……!」
吹雪の影響圏の外にいる筈の雛姫でさえ、その勢いに肩を抱く。直撃を受けた者たちのダメージはいかほどばかりか。
「ちっ、夏場なら大歓迎と言いたいところだが……度を越しすぎだぞ、怪鳥!」
吹雪が晴れたところを見計らい、涅槃が吼えて銃を連発する。セツナが立ち上がるのが見えた。前線の二人はスパイクブーツが功を奏したか、倒れるには至らない。ユウとクラリスは互いを支え合い、耐えたようだ。強烈だが、皆それ程堪えてはいないのか。恭弥と雛姫も援護射撃に加わり、それを受けてかすぐに体勢を整えなおす。
当然、吹雪を使った後はフロストウィングは無防備になる。ここが好機とラグナは剣を振りかぶり、跳躍。
「喰らえッ! ……一刀両断!!」
大上段からの一撃。当然フロストウィングは回避に入るが、刃は届く。深手ではないが、胴を袈裟に斬り裂いた。ばっと一瞬血が吹くが、すぐに傷口は凍りつき始める。
「……狩る!」
着地に失敗し膝をつくラグナ。その隣で斧を横薙ぎに振るうのはザクセンである。斬ると言うよりも吹き飛ばす。空中でフロストウィングは姿勢を整える。ぐぁぁ、と鳴き声が上がった。
「ふ。逃がさない」
「お返しじゃ!」
隙を逃す撃退士達ではない。すかさず、ユウの魔力弾が、クラリスの放つ矢が、フロストウィングに突き刺さる。反対側へ回りこみ、セツナも更に追い打ちをかける。
「地獄で釜茹でにされて来い……!」
凍りつく傷口だが、確実に痛手は与えている。そこに更に痛撃を加えようと、涅槃はリボルバーを撃つ。恭弥も再び射程圏に収めるべく、氷上を駆けた。雛姫も銃撃を浴びせている。
「魔性がぁっ!」
三度、ラグナの咆哮。遠距離に散る仲間たちにフロストウィングが狙いを定める前に肉薄し、大剣を振るう。その脇をザクセンが駆け、脇からフロストウィングの懐に飛び込み、鉤爪の一撃をアッパー気味に振り上げる。フロストウィングも蹴りを繰り出し、鉤爪と鉤爪が火花を散らした。
間違いなく、フロストウィングは傷を負っている。加えて凍気が薄い今はフロストウィングも実力を発揮出来ない。撃退士達はここが好機とばかりに攻撃を畳み掛けた。凍気をじりじりと増しながら、フロストウィングは耐える。
ぐるん。渦巻く吹雪を纏って、フロストウィングは迫る攻撃を払うように横に回転する。この動きは先に見た――。
「来る、突撃だ」
恭弥が声を上げる。ほぼ同時にフロストウィングは飛び出した。迫るその姿に、恭弥は冷静にダガーを抜き、応戦へ。受けたダガーごと、後ろに倒される。音速を超えた戦闘機がソニックブームを発するように、フロストウィングの通った周囲を、ラグナやザクセンを巻き込みながら冷気が突き抜けた。ぐ、と呻きながら身を起こす。クラリスが二人の元へ駆けつけ、立て続けに回復のスクロールを使う。撃退士達の包囲を嫌がったと見たセツナは、これがとどめとスクロールを翳す。
「焼き尽くしてあげる」
炸裂する魔力弾。更に雛姫の銃撃が、ユウの魔力弾が加わる。ついにフロストウィングの身がゆらぎ、氷上に落ちる。横倒しになるが、起き上がろうともがいた。
「手ごわかったよ、そこそこな――!」
ヒヒイロカネごとの、全力の投擲。恭弥のダガーが深々と、フロストウィングの喉元に突き刺さった。
痙攣し、ぐたりと力を失う。更に念を入れるように、あるいは死亡を確かめるように、雛姫が銃弾を叩き込んだ。
●そして吹雪は止み
戦いが済み、再び湖のほとりに戻った撃退士達。
恭弥は黙々と、帰り支度を進めていた。戦いを終えた以上、長居は無用。そう言わんばかりであるし、実際そのつもりでもあったようだ。
「……うぅ」
ぶるり。ラグナが両肩を抱くように震えている。
「く……ロングコートだけでは流石に厳しい、ッ」
寒くてたまらないとばかりに歯をガチガチ鳴らす。本人曰く冷え性だとかなんとか。
(鳥……焼き鳥にしたらおいしいかしら?)
んー、と唇に人差し指を当てて考える雛姫。やがて結論が出たのか、「食べていい?」と訊き始めた。流石にこれは、周囲に止められる事になる。
「のう。丁度良いから、皆でスケートで楽しまんか?」
スケート靴を脱ぎかけた手を止め、クラリスがセツナを誘う。
「そうね、提案としては魅力的だけど……」
「止めておいたほうがいいだろうな」
荷物をまとめながら涅槃が口を開く。
「そもそもこの氷は、あの怪鳥の凍気で出来たもんだ。怪鳥が倒れた以上、当然凍気ももうない」
ふう、とラグナが息を吐く。既に白い息は見えなくなっていた。
「氷も程なく融ける、という訳だ。滑る途中で湖にボチャンと沈むぞ」
「なるほど。残念です」
「敵の特性共々、また来ないとも限らん。頭に入れておけ!」
渋々頷くクラリスに、ニヒルに笑みを浮かべる涅槃であった。
既に吹雪は止み、暖かい日差しが降り注いでいる。まだ寒さが残り湖面も凍ったままではあるが、もうじき氷も融けるだろうし、防寒具も要らなくなるだろう。
「……帰りにまた、オヤジの店にでも寄るか」
ラグナは一杯引っ掛けて帰るつもりのようである。端正な顔立ちの彼だが、「家に帰って可愛い彼女に温めてもらおう」という思考に至らないのは、彼が自他共に認める非モテ・非リア充たる所以か。そもそも恋人がいないので、そういう思考に至る筈もないのだが。
「ん。わたしは鍋に一票」
手を挙げるユウ。いっそ皆で、温かい物を食べに行こうという提案だ。恭弥を除く全員が、同行を申し出た。打ち上げに丁度いいかも知れない。
湖を去る、その帰り際。ザクセンはふと、足をとめて振り返った。
「……」
風景をよく、目に焼き付ける。また自然が戻り、動物達も姿を現せるようになるだろう。
誰かがザクセンを呼んだ。どうやら待たせてしまったらしい。彼はひとつ頷くと、仲間たちの元へ歩き出した。今度は、振り返ることなく。
湖面に半分融けた氷が、陽の光を反射して小さく煌めいた。