●狂い咲く
時刻は昼を回ったろうか。狂い咲く桜がサーバントと断定された事により、公園は既に封鎖されていた。
公園に到着した撃退士達はその封鎖を乗り越え、遠目に『狂い桜』の巨大な姿を見やる。
「本当なら、夜にでも見たいところですね」
だが、倒さねばならない。狂い桜をちらりと一瞥し、中等部3年の阿修羅、アイリス・ルナクルス(
ja1078)は呟く。
「いつまでも咲き続け、人を食らう桜……」
「……狂い桜のサーバントか。オチオチ花見もできないなんて、世も末だぜ」
アストラルヴァンガード、大学部3年のエステル・ブランタード(
ja4894)の呟きに続け、ルインズブレイドの高等部3年、小田切ルビィ(
ja0841)が肩を竦める。3月も後半に入るこの時期だが、桜が咲くにはまだ早い。にもかかわらず、狂い桜はその名の通りに満開の花を咲かせていた。
「流石にこんな桜がいたらお花見出来ないですよー!」
ルビィの言葉を聞きつけて、櫟 諏訪(
ja1215)が声を上げた。彼は高等部2年、インフィルトレイターである。彼の言う通りに花見が出来ないどころか、既に被害者も出ているのは事前の情報にあったとおりである。
「折角お花見を楽しんでる人を、襲うなんて許せない!」
必ず仇は討つと気合を入れるのは中等部1年の鬼道忍軍、四条 和國(
ja5072)である。それを受け、今度は高等部2年のダアト、天羽 流司(
ja0366)が口を開く。
「桜が満開の時期に出てきていたら、もっと被害が出ていたかも知れない」
少なくとも不審に思える状況であったことが不幸中の幸いか。本当の桜が前に、物騒な桜は散らしてしまうべきであろう。
「何れにせよ、放置しておくわけにはいきませんね」
「……迅速に排除するの」
エステルと、高等部1年の阿修羅であるアトリアーナ(
ja1403)は頷き合う。そんな彼らを他所に、初等部5年のディバインナイト、機嶋 結(
ja0725)は狂い桜を見つめた。
「見かけは綺麗なのですけど」
抑揚のない口調と、何処か冷めた、あるいは暗い瞳。咲き誇る狂い桜の、その花びらに季節の流れを見出して、彼女は一瞬、過去に思いを馳せた。
「I desert the ideal!」
”理想を捨てる”という暗示めいた詠唱と共に、アイリスは光纏しグレートソードをその手に掴む。彼女に続くように、高等部2年の鬼道忍軍、月臣 朔羅(
ja0820)が苦無を、そして他の撃退士達も武器を手に取っていく。誰ともなく、彼らは狂い桜へと足を踏み出した。
ざわりと、吹いた風で狂い桜の枝が揺れた。季節を外れた花びらが舞い散る。
●新たに得た力
9人の撃退士達は、狂い桜の巨木を前に二手に別れた。右方にはルビィ、流司、アトリアーナ、朔羅、エステルの5人が。左方には結、諏訪、アイリス、和國の4人が駆ける。彼らが狂い桜に近づくにつれ、風に関係なく狂い桜の枝がゆらゆら揺れだした。
「短期決戦は初手が重要、一気に行くわよ!」
「先手必勝で行きますよー!」
右方の朔羅と左方の諏訪が叫ぶ。攻撃の開始はほぼ同時だった。朔羅は一気に狂い桜へ近づき、アウルの力を纏った貫手を幹へ放つ。
「養分の代わりに毒をあげる。とくと味わいなさい?」
がつっと硬い音が、幹よりも手前で鳴った。幹と朔羅の間に割り込むように、枝が下がっている。貫手はその枝に叩きつけられていた。同時に放っていた諏訪のピストルによる銃撃も、別の枝が受け止めている。彼女らに合わせ、更にエステルのスクロールによる魔力弾も放たれていたが、これも更に別の枝が割り込んでいた。思った以上に厄介な枝の動きに、朔羅は思わず歯噛みする。
「覚えたてホカホカ……おかげで懐スッカラカンだが――行くぜ!」
更に同時に、ルビィも一撃。掲げたレイピアにエネルギーを込め、振り抜けば黒い衝撃波が放たれる。この一撃もやはり枝が割り込んだが、衝撃波はその枝を突き抜けて幹へと到達する。ずん、と狂い桜を揺らした。彼らの初手で幹へ届いた、唯一の攻撃であった。
彼らの攻撃の間を縫うように、結が幹へ迫り駆ける。
「本来は受けるタイプでは……ないですけどね」
結はそう言って、光纏とはまた違うオーラを纏う。どことなく嫌悪感を覚えるオーラに、敵対する意識があるものは気を惹かずには居られない。彼女を盾に攻撃を繰り出すのがアイリスや和國達の役目、という左方側の作戦であった。和國とアイリスは結から距離を取り、幹に肉薄して打刀と大剣を振るう。右方ではアトリアーナがブロードアックスを大きく振りかぶった。
「……木を切る事は、斧の役目」
上段から斧が白いアウルの輝きを放ち、アトリアーナは勢い良く斧を振り下ろす。がっ、と音を立てて刃が幹に食い込み、輝きが爆ぜた。
「くっ!?」
「なっ…!」
二人をほぼ同時に、枝が薙ぐよう襲った。先程結がまとったオーラは、本来敵の注意を彼女に惹きつける効果があった筈であった。また、アトリアーナの一撃は、上手く当てれば一時的に敵の意識を失わせる効果があった筈である。にも関わらず、狂い桜は構わず枝を振るってきた。当然彼女らとは別に狂い桜の近くにいた結や和國にも一本ずつ、枝が振るわれる。予想していなかった攻撃に、思わず攻撃の手を止めて彼らは回避に出る。回避しきったのは和國のみで、他の3人は躱しきれず、枝の先端が胴を掠めるように打った。
問題は、狂い桜にあった。樹木、ひいては植物に、本来意識はない。サーバントと化したとは言え、狂い桜も樹木の一つである。狂い桜の攻撃は、その根が地面を通じて捉えた振動の持ち主への攻撃に限定されている。狂い桜への攻撃に対する防御にしても、魔力やアウルの流れを感知した受動的な防御に過ぎない。結局のところ、狂い桜がそもそも意識を持っていないために気絶するという概念そのものがなく、受動的な対応であるがゆえに気を惹きつけられるような事もないのであった。また、和國が活性化を切り替えて生み出した分身も、そもそも狂い桜が視覚を持たず分身を見る事がないため、撹乱の効果は期待できないようであった。
枝の攻撃の隙を伺って、狂い桜に接近した流司は毒霧を放つが、幹を狙った毒霧は狂い桜に取り入れられる事はない。養分を吸収する根か、呼吸を行う葉を狙うべきだったのかも知れないが、根は当然地中に埋まっているし、葉のありそうな枝は頭上高くにあり、届きそうになかった。流司は心中で舌打ちし、枝に襲われる前に一旦下がって距離をとった。
なおも一撃を見舞おうと、アトリアーナは斧を振りかぶる。それを妨害するかのように、枝が伸びた。それに構わず斧を叩きつけようとする彼女だったが、その腕が固まったように動かない。ちらりと目線を上に向けると、枝が斧に巻き付いていた。その枝は蔓のように伸び、彼女の身を絡めとろうと迫る。近くに居合わせたエステルが、その枝を集中的にロッドで殴りつけ、枝を叩き折った。アトリアーナはぶんと斧を振って、残った枝の破片を振り落とす。再び斧を叩きつけるが、今度は別の枝が幹の盾になった。
「……厄介なの」
斧を引き戻し、アトリアーナは諦めずに斧を振りかぶる。
ざわりと桜の枝がざわめく。次の瞬間、ごうと音を立てて花びらが舞い散り、横殴りに吹きつけた。その方向は右方から左方、まさに突風である。その対応は各人まちまちであった。結は風に対して大太刀を盾にしてその場に留まろうとするが、それで抑えられるはずもない。たまらず数歩、後ろに流される。一時距離を開けられた朔羅は、再び枝と枝の間を縫うように狂い桜に迫ろうと駆けた。逆に距離を詰められてしまった流司は、枝に肩を殴られながらも距離を取りなおす。全員が桜吹雪に舞う花びらのごとく、数メートルは流された。
「もう一発だ!」
風がやんだところで、ルビィが再び黒い衝撃波を放つ。既に攻撃の加わっていた数本の枝を斬り飛ばしつつ、今回も衝撃波は幹本体を捉えた。だが、これでルビィの衝撃波も打ち止めである。ルビィは距離を詰めての攻撃に切り替え、枝の数が減ったうちにと駆け出した。
アイリスも負けてはいない。彼女もまた距離を詰めなおし、大剣を腰溜めに構える。
「…Lumina lunii spun moarte!」
幹を守ろうと下がった枝を無視し、幹の懐に飛び込んで横に走りぬけながら斬撃を叩きこむ。ずんと幹を揺らした。
「なるほど、樵の要領ね。切り倒してあげましょう?」
枝の本数が少ないうちは攻撃の最大の機会となる。アイリスの反対側から、朔羅は苦無を振るって斬りつけた。
残った枝を排除しようとするのは結やエステルである。結は枝を焼き払おうと、ウォッカとライターで着火を試みた。しかし、サーバントである以上、狂い桜には物質を透過する能力がある。ウォッカもライターの炎も、∨兵器ではないために狂い桜の枝や散る花びらをすり抜けてしまうため、火を付けるのは不可能であった。そうする間にも、減らした分の枝を補充するかのごとく、新たな枝が下がり襲い来る。結は道具を仕舞い込み、再び大太刀を手に構え直した。
敵を倒すと同時に、敵を攻める効果的な手段を探る。多少の失敗や回り道はあるものの、撃退士達は狂い桜との戦いを進めて行った。
不意に、狂い桜の枝々が揺れる。また突風が吹くか、と諏訪が一瞬身構えた。ぶわっと多数の花びらが舞い上がり、渦巻くように吹き抜ける。但しそれは狂い桜を起点に、諏訪の反対側へ……すなわち、諏訪のいる左方には吹かず、右方へと吹き抜けた。無論、ただの風ではない。舞う花びらに催眠の効果があるのか、それとも風が魔力を纏うのかは分からないが、ともかくこの突風は吹き飛ばす程の強さではない代わりに、精神にダメージと異常を巻き起こす。アトリアーナと朔羅、ルビィの3人を強烈な眠気が襲い、たまらず膝をついた。思わず諏訪が呼びかけた。
「皆さん、大丈夫ですかー!?」
「攻撃よりも、こちらを優先した方が良さそうかな」
偶然と言うべきか、射線を探っていた為に桜吹雪の範囲の外にいたため効果を受けなかった流司が、ルビィを文字通り叩き起こす。同じく耐え切ったエステルも朔羅を軽く叩いて目覚めさせ、次いでアトリアーナも起こした。目を覚ました彼らは、眠気を振り飛ばそうと首を振り、再び立ち上がる。更にエステルは、アウルの光をアトリアーナに送り込み、彼女の傷を癒す。
反対側では和國が打刀を袈裟に斬りつけ、枝を切り落とした。同様にアイリスも、立ちはだかる枝を叩き斬る。更に巻きつこうと伸びた枝は、結がカウンター気味に切り落とした。撃退士たちが落とした枝の数は、既に二桁にのぼる。地面に落ちて足場の邪魔になる枝を、結は蹴り飛ばして退けた。枝が減って射線が通ったと見て、諏訪が銃撃を撃ち込む。枝を減らした直後の、一瞬の隙をついてアウルの銃弾が幹を穿った。
今の時点で、既に無傷な者はいない。前線に立つ者たちは皆負傷が深いが、特に注目の効果がなくとも積極的に味方への攻撃を受け持った結や、癒しの力を使う回数の都合もあって自分の回復を後回しにしていたエステルは、比較的負傷が深かった。短期決戦を心がけた撃退士達だったが、盾となる枝に阻まれ、また、狂い桜自体の耐久力もあって、予想外に戦いが長引いていた。幾度と無く吹雪いた桜の花びらに、惑わされたり動きを封じられる事が多かったのも一因であったろう。
異変に気づいたのは、距離を取って戦っていた諏訪と流司である。
「枝が降りてこない?」
訝しんで、流司は眉根を寄せた。既に切り落とした枝の数は30に近い。見あげれば、戦う前と比べても枝ぶりがすっきりしたように見えなくもない。狂い桜の枝はすぐに生えてくるような代物ではなく、既に茂っていた枝を下ろして伸ばしていたようであった。その枝を切り落とし続ければ、いつかは枝そのものが底を付く。どうやら、もう下ろせる枝が残っていないようだった。
「本体への攻撃、もう邪魔はありませんよー!」
諏訪の声に喜色が混ざる。にわかに活気づいて一同の気力も増したか、疲労した身体に喝を入れて撃退士達は攻撃を繰り返す。
「花はいずれ散るものです。実力行使ではありますが、散って頂きます!」
「そうだ。桜ってのは、潔く散るからこそ美しいんだぜ。だから、散らねえ桜に様は無ぇ。……消えな」
スクロールを広げ、エステルと流司が魔力弾を叩きこむ。ルビイもレイピアを振り、狂い桜の幹を斬りつけた。
「合わせ……ます……! リア、さん!」
「判った、の!」
狂い桜の左右から、アイリスとアトリアーナが同時に仕掛ける。真正面からアトリアーナはアウルの光を纏った斧を叩きつけ、その反対側でアイリスは至近距離に踏み込み、横に抜けざまに一閃の横薙ぎを叩きつける。示し合わせたかのように、二人の声が重なった。
『Eu voi dau moartea!』
ばきり、と硬い砕ける音がした。突如、一斉に狂い桜の花びらが舞い散る。思わず攻撃の手を止め、撃退士達は狂い桜の花吹雪を見上げた。風が吹くこともなくただ散る花びらは、一斉にその色を失っていく。よく見れば、花びらは水気を失い、枯葉のようにカサカサになっていた。花びらだけではない。見れば、狂い桜の幹も色が抜けて灰色になり、見る間に萎れていく。枝も力を失い、垂れ下がった。
狂い桜が力尽きる、その一部始終であった。戦いの終わりを悟り、結は大太刀を鞘に収めた。
●桜の木の根本には
戦いも終わり、夕暮れが近づく頃。
桜の木の下には死体が埋まっているというのは、元々は80年以上昔の小説に出てくる、主人公の空想であったという。アイリスとアトリアーナは根本を掘り返し、犠牲者の死体の有無を確認しようとしていた。
「……事実は小説より奇なり、だったのかもなのですね」
「……そう、かも」
死体そのものは確認出来なかったが、地中へと引き込まれて吸収でもされたのだろうか。死者の物だったと思われる、衣類の切れ端らしき布地を見つけ、二人は一旦顔を見合わせる。遺体そのものは見つからなかったが、どちらともなく手を合わせて、死者達の冥福を祈った。朔羅やエステル達も見つかったそれを見て、同じく冥福を祈る。
「戦いが終わったら、お花見でも……って思ったんだけど」
活動を停止した狂い桜は、先程までの見事な咲き誇りが見る影もなく、枯れ果ててしまっていた。これでは花見のしようがない。飴を咥え、和國は苦笑いを浮かべた。ルビィも花見する気だったのか、残念そうに枯れた狂い桜を眺めている。
何にせよ、花見の季節は既に然程遠くはない。花ざかりの季節を待つのも、悪くはないだろう。
「その時期になったら、また皆で花見をしに来ましょうよー」
おっとりと、諏訪が笑顔を浮かべた。