●この門をくぐる者、一切の贅肉を捨てよ
夏はまだまだ先のその日。
待ち合わせ場所である学園のとあるトレーニングルームにて、MDYの部員達と5人のトレーナー達が初めて顔を合わせた。
正確に言えば顔とお面であるが。
「あ、あなた方が我々の依頼を……?」
お面をつけた1人、部長である天狗が動揺した様子でそう尋ねた。
彼の予想ではトレーナー志願者達は皆ゴリラのようなマッチョマンだった。しかしそこにいたのは、ゴリラとはほど遠い人々だった。
「そうだ。俺達五5が引き受けた。お望み通り、いらないものを削り落としてやるよ」
最初に応じたのはスマートな見た目の青年、向坂 玲治(
ja6214)。
「一緒に努力すればきっと痩せられるはずです。頑張りましょう!」
続いて口を開いたのは真面目そうな女性、葛城 巴(
jc1251)。
「……あの、一生懸命サポートさせていただきますぅ……」
豊満なスタイルの少女、月乃宮 恋音(
jb1221)がおどおどと告げる。
「うちは痩せたいなんて微塵も思った事ないけど、依頼は全うしたるから任せとけ!」
豪快に声を放つのは依頼者達を上回る肥満体型の女性、ミセスダイナマイトボディー(
jb1529)だ。
「よろしくお願いします」
白銀の髪をした小柄な少女、雫(
ja1894)が静かに最後を締めくくった。
血管の浮き出た筋肉、絵に描いたような笑顔、日に焼けた肌――そんなトレーナーはどこにもいない。
それどころか、子供に肥満女性までいる……。
衝撃から少しばかり回復したMDY達が顔ならぬお面を見合わせる。
彼らで本当に大丈夫なのか?
不安が汗と油と一緒に体の中から噴き出る。しかし依頼を出した以上、もう後戻りは出来なかった。
お面達は意を決した様子でうなずき合い、トレーナー達に向かって頭を下げた。
「ええっと……まずは2週間の基本プログラムを説明させていただきます……筋トレではデッドリフト、スクワット、ベンチプレスをメインに……」
恋音がMDY部員一人一人にそれぞれのファイルを配った後、食事やデータ測定、トレーニングについて解説した。
その口調はおどおどしていたが、彼女が作成したというファイルは詳しい上に見やすく、プロの手によるものと引けを取らなかった。
全体のマネジメントを担当する少女の手腕に感心した少年達は認識を改め、真剣に耳を傾けた。
解説終了後、担当トレーナーに連れられ、トレーニングルームへと散っていった。
般若の担当は雫だ。
少女は少年の大きな腹を見つめ、小さく首を傾げた。
「天魔と戦っているのに贅肉がつくなんて不思議です」
「す、すみません」
「責めてないですし、謝る必要もありません。まずは早速、ストレッチをしましょう」
「は、はい……」
ストレッチ自体は特別なものではなかったが、雫は呼吸と意識集中を重んじた。
指先からつま先まで、動きに合わせて呼吸を行わせる。
ストレッチを終えた般若は何となく体が軽く感じ、興奮した様子で雫にそれを伝えた。
少女は少し満足そうに頷き、恋音が提案した本格的な筋トレの指導を始めた。
数分後、達成感に満ちていた般若の声は、すぐさま歓声に似た悲鳴へと変わった。
天狗を前にした玲治は不敵に笑った。
「餓死はさせない。安心しろ」
「お、お手柔らかに頼みます」
「いや、手は抜かない。徹底的にやる。じゃないと意味ないからな」
「そうですね……頑張ります」
言葉通り、玲治の指導は甘くなかった。
無理はさせないが余力を的確に見抜いて限界までトライさせ、きっちりと部位を追い込む。
厳しい指導、しかし天狗は必死でついて行った。
それは玲治がぶっきらぼうながらも心から励ましてくれるからであり、彼自身が天狗と同じトレーニングを隣で行うからである。
その姿を見ていると、無理だと思っても不思議と力がわいてくるのだ。
ひょっとこ担当のミセスは巨体を揺すって言った。
「本当に必要なんは希望やのうて信念や。わかるか?」
「はあ。何となく?」
「まあ、その程度やろ。この2週間でそれを理解してもらうから、そのつもりでな。取りあえずほら、これ。うち自作のスポーツドリンクや」
「んまい!」
「のどが渇いてから飲まんかい!」
ミセスもまた雫同様、呼吸法の指導から始めた。
彼女が重点を置いたのはインナーマッスルや基礎代謝を高める運動であり、痩せる体質への改善だった。
中でも彼女自身が行っているという古式トレーニングがひょっとこには新鮮だった。
相撲取りのようで嫌がっていた四股踏みも、その効果を聞いて渋々やってみると、以外にはまってしまった。
向かい合って四股を踏む巨体2人の姿は、ある種異様だったが、とても充実して見えた。
巴とおかめは何やらテーブルで書き込んでいた。
契約書の作成である。
「ええ、そう――違反したら……」
「釘バットで殴る!? 肉の下処理かよ!」
「ぐだぐだ言わない! ほら、日付と署名。あと、ご褒美を好きに書いていいですから」
「……何でもいいの?」
「私が出来る範囲、常識の範囲内なら」
「――それじゃこれは?」
おかめが書き込んだ目標達成時のご褒美を1文を目にした巴は一瞬うろたえた様子だったが、眉間にしわを寄せて頷いた。
「いいでしょう。これで契約完成です。それでは始めましょう」
巴からのご褒美に何を望んだのか。
おかめは指示されたトレーニングを黙々と行い、汗を流し続けた。
その面の奥の2つの瞳は、釣り人が垂らしたルアーを見つけたブラックバスの様にギラついていた。
個別トレーニングの後、貸し切りプールでの水中ウォーキングによる有酸素運動をして、その日の運動は終了となった。
「それでは……えぇ、献立とその選択理由について……今日のメニューである豆腐ハンバーグでは……」
MDY部員にとって人生で最大の楽しみである食事の時間、恋音が自ら調理した料理について丁寧な解説を行う。
飢えた獣と化した4人は涎を垂らしながら馬耳東風ならぬ豚耳東風。
話が終わるや否や、お面を飢えにずらして口部分を露出。
いただきますと同時に箸を指揮者のタクトに見立て、自在に振るわんとした。
しかしそうは問屋が卸さない。
玲治は満腹感を与えるため、天狗に1口30回以上の咀嚼を指示。更にはペースを落とすために、1口ごとに箸を置くように注意した。
巴はおかめを質問攻めにして、早食い・ドカ食いを阻む。
ミセスは世話付きおばさんよろしく、ひょっとこの食事の仕方についてあれやこれやと口を出す。
無口な雫は般若を瞬きもせずひたすら般若を凝視する。
結果、MDY部員達は狐に化かされたような顔で食事を終えた。
物足りないが、何となく満足感がある。初めての経験だった。
その日から、このスタイルが基準となった。
管理されたトレーニングと食事。2日目の保健室でのデータ計測時、4人は1キロ以上減った体重に大いに喜び、ダイエットに勤しんだ。
厳しいが自分の事を思ってくれるトレーナー達、見える結果。
なぁんだ、こんなに簡単な事だったのか。
3日目に入った頃には、4人ともそんな余裕を見せていた。しかし。
●心の贅肉、心の栄養
世に3日坊主という言葉がある。
彼らの場合、優秀で熱心な指導者がいたため3日は楽なものだった。
しかし5日が経ち、1週間が経った頃、4人からは既にやる気が失われていた。
トレーナーとの関係も良好、運動にも慣れ、体重も順調に減っていた。
だが見た目の変化は薄く、何より彼らが好物とする油料理を絶った事が、禁断症状を起こさせていた。
いつもの夕食の時間、恋音力作の魚介のトマトスープを目にした4人は無言で立ち上がると、一言告げた。
「「「「ラーメン」」」」
4つの声が同時に響いた。
血走った目で食堂を飛び出すと、獣達は一目散になじみのラーメン屋を目指して走り出した。
しかし目の前の闇が不気味に蠢いたのを見て、怯えて反射的に足を止める。
気づけば4つの巨体は宙を舞い、体の自由を奪われていた。
「痩せるか、死ぬか、此処で選べ」
天狗の胸ぐらを掴んだ玲治が吠える。
「我が儘が過ぎるなら、冬の雪山か樹海に放り出します」
般若を踏みつけた雫がささやく。
「甘っちょろい希望から強い信念へ、今こそ変えるんや」
ひょっとこにのしかかったミセスが叱咤する。
「私との約束、忘れたんですか?」
おかめを押さえつけた巴が悔しげに問いただす。
「……せっかくの食事が、冷めてしまいますよぉ……」
髪芝居で足止めをした恋音が、前髪でその表情を隠した。
体の痛みと心の痛みで我に返った部員達は、トレーナー達のその痛みを知った。
情けなかった。
嗚咽混じりの謝罪をする彼らとそれを慰める5人は、食堂へと戻り静かに食事を終えた。
その後、担当ペアの間で話し合った。
「これ、般若さんが着たがってた服、持ってきてたんです。多分、あなたによく似合うと思うんです。そう、思うんです」
「あのな、天狗。辛い時、耐えて目的を遂げる男、逆境に負けない男に女は惹かれるんだ。頑張ってトレーニングしてるお前は、男の俺から見ても格好良かったぞ?」
「見た目だけ変わっても意味はないんや。まずは中身が変わらなあかん。ひょっとこ、あんはどんな自分になりたいんや?」
「私との約束を、声に出して言って下さい。あれはあなた1人の目的じゃない、私達2人で共有した目的なんです。一緒に頑張るんだから、焦らなくていいんですよ」
優しい言葉をかける担当トレーナー達、ミセスが用意したアップルティーをほっとした顔で注いで回るマネージャー。
そうして穏やかに夜が更けていった。
翌日、9人はプールにいた。
水に浸かる部員達に向かって水着を着た玲治が告げた。
「今日は趣向を変えて水球をやる。2対2じゃつまらないから、俺と彼女がそれぞれチームに入る」
「よろしくお願いします」
スタイルはいいがいまいち色気のない、水着姿の巴が頭を下げる。
「……私はデータ採取をしますー」
「私達はレフェリー担当です」
「そういうこっちゃ。うちらの艶姿が見れんで残念やったな」
服を着たままの恋音、雫、ミセスがそう告げた。玲治がボールをぽんと放り投げた。
「じゃ、始めるか」
初めてやる水球は部員達にとってハードなものだった。
しかし皆でやるスポーツが今まで経験した事がないほど楽しく、時間を忘れて動き回った。
その後の食事は今まで以上に美味しくて、昨夜とは打って変わって誰も彼もが明るかった。
翌朝、興奮しすぎて眠れなかったという部員達に、トレーナー達は優しく微笑んだ。
残りの日々はあっという間に過ぎた。
トレーニングは強度を増したが、仲間がいれば容易に耐えられた。
自分で気づいた事、考えた事を口にする部員もいれば、食事の栄養バランスについて講義を受ける部員もいた。
4人は自分から考え、行動するようになっていったが、同時に時折悲しげにため息をつくようにもなった。
トレーニングが辛いからではない。
別れが近づいているからだった。
そして、遂にその日が訪れた。
「おおぅ……皆さん凄いです。たった2週間でこれほどの成果が……」
最終日、部室にて計測データを配布する恋音が驚きで目を瞬かせた。
そこには驚くべき数字が並んでいた。
体重は減少したが筋肉量はむしろ増え、健康状態は大幅に改善されていた。
見た目に大きな変化は見えないが、体感的には非常に軽く感じていた。
椅子から立ち上がるような日常的な動作が明らかに違うのだ。
恋音がまとめれくれた今後のプログラムもある。
かつての失敗したダイエット時とは違い、これからも自分1人で続けられる自信もある。
これ以上のない、最高の結果だった。
だが、部員4人の雰囲気は暗い。
その理由を理解しているトレーナー達も、言葉少なだった。
そんな中、玲治がふと疑問を放った。
「そういや、おかめはご褒美に何を指定したんだ?」
「え……ああ」
うつむいていたおかめは顔を上げ、照れた様子で答えた。
「その……約束を守ったら、巴さんに言ってもらいたい言葉があって――」
瞬間、視線が巴に集中した。
別れの寂しさに浸っていた巴はびくっと震えると、顔を赤くした。
無言のプレッシャーを受け、契約を果たすべく声を絞り出す。
「――お、お兄ちゃん頑張ったね、え、えらいえらい☆」
「っしゃあああああああああ!」
間髪を入れず上がったおかめの雄叫び。
つかの間の静寂の後、笑いがわき起こった。
寂しさは、この2週間が大切なものとなった事の裏返しだった。
感謝し、与えられたものをこれから失わないでいこう。
狭い部室の中、9人で記念の写真を撮った時、少年達はそう誓った。
●MDY
青空の下、蝉の声が夏を振りまいている。
8月のある日、午前10時過ぎ。気温は既に高く、熱気で充ち満ちていた。
久遠ヶ原学園、クラブMDY部室。
雲と日差しの関係で部屋の中は夜のように暗かったが、室温は軽く30度を超えており、涼しいとは言い難かった。
暗闇の中、4人の少年達が壁に飾られた1枚の記念写真を見つめていた。
「……楽しい日々だったな。玲治さんには本当に世話になった。恋音さんのファイルは今でも頼りになってる」
「雫さんなんて、依頼期間の後も良く抜き打ちで検査に来てくれましたしね。優しい子ですよ、本当」
「そういえば、ランニング中に声をかけてくれた細身の綺麗な女性、誰だったんだろうね。聞き覚えのある大阪弁だったけど、まさかね……」
「大切に残してある巴さん手作りおやつを食べる度、お兄ちゃんにチェンジ出来る俺は勝ち組だな。うん」
つかの間、思い出話で部室が満たされる。
再び静かになってからしばらくして、誰かが呟いた。
「それじゃあ、そろそろ行こうか」
頷きと共に、水着の入ったビーチバッグ片手に少年達は立ち上がる。
その時、太陽を覆っていた雲が過ぎ、室内が日差しで明るくなった。
輪郭がはっきりした少年達は全員肥満とはほど遠い、均整のとれた肉体をしていて、その姿には確固たる自信が満ちていた。
部室から出て行く者の1人がふと、気になっていた疑問を口にする。
「そう言えば、MDYってクラブ名、何の頭文字なんです?」
すると創設者が肩をすくめて言った。
「MDY――もう、デブとは呼ばせない。そういう事さ」
少年達が去ったテーブルの上。
残された4つのお面が、誇らしげに微笑んでいた。