山奥にひっそりと佇む巨大な屋敷。
周囲を大自然に覆われ、訪れる者の心を開かせてくれるような情緒を持つ空間だが――
そこでは、人と魔の緊張が風と共に一帯を包んでいた。
屋敷前。集った六名の撃退士は、庭で徘徊する敵の警戒に触れぬよう、周囲に並ぶ木々に身を隠しながらディアボロの様子を探っていた。
「うーむ……建物にダメージを与えない様に戦うのは……阻霊符が使えない以上難しいですね……」
鍛え上げられた長身を陰に潜ませ、仁良井 叶伊(
ja0618)が呟く。
依頼は敵天魔の駆除。それ自体はさして困難でもないが、占拠された屋敷は依頼主にとって、最も大切な場所。
故に今任務では阻霊符使用を禁じるなど、少々の工夫が要された。
「思い出は残したい、か。健全な願いだ、聞き届けよう」
一手間かかる仕事に涼しく返すのはフローライト・アルハザード(
jc1519)。
彼女にとり、他者の選択・生き方に興味は無い――が、尊重の念を失ってはない。
そこに健全な想いがあれば尚の事。無表情ながらも老人の在り方に敬意を払い、仲間と共に、如何にして屋敷を護りつつ敵を討つか思案する。
「出来るだけ多くの敵を外で倒しておきたいな」
「では交替時を狙うというのはどうでしょうか」
屋敷内の戦闘を避けたい鳳 静矢(
ja3856)と数多 広星(
jb2054)も案を練る。
屋敷の壁や塀では二体のムササビ型ディアボロが見張り役としてうろついている。
老人の帰宅で警戒心が強まった証拠だろう。だが逆に、見張りが交替する瞬間を狙えば、多くの敵を外で相手取ることが可能。
結果的に屋敷への被害を軽減できるため、一旦様子を窺い、見張りの交替時を狙う作戦に出る。
「だが、待ち過ぎも不味いぜ。ディアボロが中で何をするか分からないからな」
とはいえ時間のかけ過ぎも悪手であることをミハイル・エッカート(
jb0544)が警告。
言う通り、本来なら住宅地に棲みついたディアボロなど、速やかに除去すべきだ。知能の低い下位となれば尚の事、どんな気紛れを起こすか知れない。
待つのは精々数分が限度。秒刻みの駆け引きの中――
玄関が開き、中から見張りと同じく人以上の体格を持つムササビが一体現れる。
よって現在、外には三体の獣。この好機を逃す手はなく、撃退士たちは一斉に霊光を纏って行動を開始する。
まずは叶伊が、玄関に最も近い新手のムササビを奇襲。
死角からの一撃は敵に反応すらさせず、闘気を宿した白銀の杖で旋撃を放つや魔獣が呻きと共に派手に吹き飛ばされる。
「こちらだ、ディアボロ共」
更にフローライトがオーラを纏った姿を晒す。それを目にしたムササビたちは、彼女が標的だという衝迫に囚われた。
飛び掛かる三体の獣。下級ディアボロとは思えぬ高速飛翔を見せ、銀髪少女目がけて爪を振りかぶる。
だがその爪が振るわれる前に、獣たちは動きを封じられる。
ミハイルが繰り出した霊力の鎖。それが魔獣の凶爪よりも疾く宙を奔り、三体の獣へ絡み付かせ――
「地面に這い蹲ってろ」
真下へと叩き付けるように引き摺り倒す。
撃退士の流れるような連携により、警戒を無駄にされた上に最大の武器である飛翔力を易々と奪われた魔獣たち。
攻撃の所作を終えることすら出来ず、鳴き声と瞳に動揺が見て取れる。
何とか体勢を立て直そうと身を震わせるが――獣の内一体に至っては、もがきあがく事すら許されなかった。
いつの間にか間近に迫っていた静矢。紫光を帯びた剣が彼によって抜刀された瞬間、寸分違わず急所が断裂され――
魔獣は何が起きたか知る事無く、大きな体を一度脈打たせて事切れた。
残る二体の魔獣。その身を激しく地に打ち、傷付きながらも本能で余力を出し尽くすように行動を再開。
飛翔出来ないと理解し、今度は這っての移動で地を駆ける。
飛翔にも劣らぬ速度の走行。常人であれば、やはり視認すら困難であろう。そんな風の如き魔の躍動だが、二体揃って蹴散らされる。
厳密に言えば、獣を弾き飛ばしたのは蹴りではなく、霊布と大鎌。
それは二人のハーフ天魔の魔具。フローライト・アルハザードとアイリス・レイバルド(
jb1510)。
彼女らは感情の無い相を見せ、意図せず獣を怯ませるや、共に魔具で撃ち飛ばす。
「実力差が理解できたか? 大人しくするならば、楽に終わらせてやろう」
フローライトが布槍を鞭として薙ぎ――
「空き巣風情が随分偉い顔をするじゃないか。三日かは分からないが道化の天下は短いものだ……即時返却願おうか」
アイリスが黒い粒子を放出しながら大鎌を振るう。
碌に抵抗も出来ずムササビはたちまち追い詰められ、最後はミハイルと叶伊、広星による三名での総攻撃により呆気なく朽ち果てた。
●
前情報通りムササビの実力は大したことなく、屋外では難なく殲滅することができた。
だが肝要となるのはこれから始まる屋内での戦闘だ。
屋敷を傷付けないよう速やかに、かつディアボロを逃がさぬよう、六人はそれぞれ正面から突入、二階から侵入、外での監視に分かれて動く。
「さて、では手筈通りに行こうか」
突入組である静矢とフローライトが堂々と正面から突入。
巨体の獣でも通れる大きな玄関を開けると、出迎えるのはやはりムササビディアボロ。
当然ながら外の喧騒に気付いており、体毛を逆立てて侵入者へすぐさま襲いかかる。
鋭い爪が、今度こそ撃退士に襲いかかる。
最初の侵入者である静矢の腕に食い込む爪撃。縄張りを荒らす者への手痛い歓迎――の筈が、それすら静矢にとっては予測の範疇。
怯む事無く返しの一撃を浴びせ、堪らず魔獣はたたらを踏んで後退させられる。
「縄張り意識が強い様だな……侵入者には敏感か?」
そのまま奥へ歩み、吹き抜けの元で泰然とした態度を見せる。
余裕が滲み出るその表情に、魔獣は更に神経を逆撫でされ――結果、静矢の思惑通り惹きつけられることになる。
一方、透過により侵入したフローライト。静矢が敵を引き付ける間に二階へ上がり、窓の鍵を開けて別働隊の侵入を援護する。
短く挨拶を済ませて入り込む、ミハイルと広星。彼ら二人の役目は、二階大部屋にいるというボス相当の個体を倒すことだ。
「いよいよボスか、少しは手ごたえがある奴なら楽しめそうだ」
霊力により気配を殺すミハイル。屋敷内装、土砂被害とその修復、更にディアボロの居住で歪んだ古豪邸に眼を向ける。
(……しかし、すごい家に住んでるな)
山奥とは思えぬ立派な住まい。だがどこか不気味に歪み、しかも魔獣に占領されている。
普通ならば、自宅といえど見捨ててもおかしくない条件が揃っているが――所々に、依頼者の家族の写真、家族と共に行くはずだった旅行先の記録も垣間見える。
ここを離れたくない理由。それを改めて知り、速やかに無粋を排除すべく大部屋前へと向かう。
抑えた気配を悟られぬよう、ミハイルと広星は適度に距離を保ちつつ、合図で大部屋の扉を開ける。
敵が戦闘に気付いているなら、警戒して壁や天井にへばりついていることも考えられる。
真っ先に目に付きづらい天井を確認し――
直後、風切音が唸ると共に、撃退士へ魔獣の全力が見舞われた。
●
屋敷内にいたディアボロはボスを除けば二体。
最初に襲いかかった個体、奥に居たもう一体。それらを静矢は誘導し、吹き抜けにて対処していた。
狭い場所でやり合うよりは、見通しがよく広い吹き抜け付近の方が戦いやすく、被害も抑えられる。
事前に屋敷の構造を把握していたこともあり、手早く事を運んでいた。
魔獣は頭に血が上り、急降下しての体当たり、そこからの連撃を浴びせていく。瞬く間に繰り出される攻撃だが、静矢はその全てを刀で往なし、屋敷と自身への被害を一切と発生させない。
そして身を翻して着地、構え直すと、纏う紫の光が足と腕に集中し――
直後、静矢の姿が消失。ほぼ同じくして紫電――超速と化した剣士の刃が閃き、宙にいた魔獣を撃ち抜いた。
瞬く間に移動し斬撃を放った静矢。もう一体の魔獣がその動きに動揺しつつ、背後から飛び掛かる。
が、これは二階から戻ってきたフローライトが軽々と受け止める。
敵の威を防ぐのは霊力の防壁陣。魔獣渾身の一撃もまるで通じず、逆に弾き返されてしまう。
そうして隙が生じた所を、どこからともなく矢が追い打ち。玄関先で監視役を務める叶伊による援護射撃だ。
敵の癖を把握した叶伊は魔獣の高速移動も先読みし、隙あらば霊矢が確実に敵を捉えていく。
住宅を傷付けぬよう威力を抑え、かつ慎重に戦っていながら、数と個の力で勝る撃退士たち。
屋敷内においても終始完全に圧倒し続けていた。
……もっとも、本来であれば屋外戦のように瞬殺が可能なのだが。
「逃がす訳にも行かないが派手には動けない、難儀なものだな」
仮にも地の利は敵にあり、実力差の割に技量が試される展開となっていた。
だが高速の攻防も、そろそろ幕引きを迎えることになる。
「さて……そろそろ終わりにしようか」
フローライトがアウルを高め、布槍が発光と共に形状を変化。
布槍特有のうねり靡く性質を利用し、他の武器では不可能な複雑極まる軌道を生み出していく。
如何に機動力が長けようと、下位ディアボロ如きがこの攻撃を躱せる筈もない。
傷の深い個体を狙った攻撃は、敵の身体を容易く仕留め、絡め取って拘束。
霊布は魔獣を絞り上げて抵抗力を削ぎ……僅かに緩めた後、再び集束。先端を鋭き槍と成し、忌まわしき魔獣を貫いた。
三対一となり、流石に低い知能でも敵わないことを悟ったのだろう。
追い詰められたディアボロは死に物狂いで宙を翔け、屋敷外へと逃走していく。
だが取り逃がすという気掛かりは無い。このディアボロがどこへ逃げるのか、叶伊は既に計算済みだ。
今回の敵は透過を多用しない傾向にある。となれば、逃げる先は大きな出入口である可能性が高い。故に玄関先を抑えていたのだ。
ディアボロは素早いもののダメージもあって動きは単調。
軌道を予測し――無駄のない一振りが頭部を撃ち据える。
正確な殴打は余力を奪うのに充分な威力となり、その一撃によりボスを除く個体の殲滅に成功する。
「こちらは終わりました。残りはボス……ですね」
叶伊からの連絡に、屋根から屋敷内と周囲を見下ろしていたアイリスが念の為に生命力を探知。
取巻きの殲滅に間違いがないことを確認すると、瞳の輝きを闇よりも深い瑠璃色へと化え――
「わざわざ阻霊符を禁じてるんだ。こちらが透過の活用まで禁じる必要は全く無いな」
天魔が持つ透過の力により、ボスが残る部屋へと進んで行った。
●
――時は僅かに遡り。
大部屋にて激しい打ち合い繰り広げるのは、広星とディアボロのボス個体。
敵は機敏、更に他の個体よりも一回り大きい。
よって攻撃ではないただの挙動でも屋敷へのダメージが想定されるため、広星は敵の攻撃を極力受け止める方針を取っていた。
獰猛に繰り出される爪と牙。それらを広星は霊力で肉体を硬化させ、あるいは受ける際に身を捻り受け流すことでダメージを最小限に抑えている。
それにより、傍目には重圧的な打撃音が響き続いているが、広星の身に目立つ外傷は見当たらない。
「屋敷壊されないようにとか……」
はあ、と溜息を吐きつつも矢継ぎ早の攻撃を全て見切り、確実かつ無駄のない所作で受け流す。
無論、ただ受けるのみに留まらない。気を練って高めたアウルを攻撃にも転用、無数の妖蝶を生み出して翻弄する。
敵の意識が広星から妖蝶へと逸れた隙に素早く敵の視界から逃れ、知覚の外から攻撃。
ついでに魂魄の一部を奪い、僅かに受けたダメージの分も回復させてもらう。
「……あれ? 俺ってインフィルトレイター……」
本来のジョブらしからぬ動きに疑問が浮かぶ余裕さえ見せながら、更に練った霊力で素早く印を切る。
洗練した気を敵に衝突させた瞬間、その気が蠢き、敵の影へと侵蝕。
霊気が魔獣を縛り縫い、その動きを完全に封じ込めた。
高速の応酬が続き、ボス個体の意識を広星が引き付ける間、ミハイルがボス個体の背後へと回り込んでいた。
柱に姿を隠し、死角を取る。射程内に敵を捉えれば一気に畳み掛ける算段だ。
必殺の一撃に備え、その身を影に浸しつつ霊力を凝縮させる。
そして広星が敵の動きを封じ、決定的な隙が生じた。
アイコンタクトを取り、広星が距離を置くと同時に狙いを付け――視認を許さぬ霊力の矢を射出。
放った瞬間、漆黒の軌道を描いて魔獣を射抜いた矢。闇黒なれど、そこには冥魔を破壊する天の力が込められている。
魔獣にのみ影響のある爆裂。被弾による逆上の叫びすら呑み込んで轟き、その威力は確かな手応えを感じさせた。
念入りに移動し、また気配を隠しつつ様子を窺う。
「さて……下級ディアボロがこれでまだ動き回れるなら……」
霊気の余韻が鎮まる中……魔獣は未だ瞳に力を残しているのが見えた。
「……大したもんだぜ」
全力で霊力をで放つことが出来れば、この皮肉が敵方に届くことはなかったのだが――
屋敷への被害を考慮し威力を抑え気味にしたために、ディアボロは辛うじて踏みとどまっていた。
怒りのまま爪を振るい、天冥の霊力作用が生む余波がミハイルの頬を掠める。
とはいえ、今の一撃でもはや虫の息なのも事実。
即刻、引導を渡す――そう思い引鉄を引きかけた、その時。
壁の奥から、光纏の黒水晶を伴ったフローライトが乱入した。
漆黒の粒子と衣、闇よりも深い瑠璃色の瞳。大鎌を手に降臨するその姿は、まさに死神の如し。
その威圧に堪らず怯え伏す魔獣。その一挙手一投足を、呪いの視線でじっくりと吟味しながら。
「では退場の時間だ。火遊びの代償としてその首、置いていけ」
巨大な旋撃を振り下ろし――凶悪なまでの一撃を以って、最後の魔獣を断罪した。
●
事が終わり、静寂を取り戻した古屋敷。
依頼完了の報せを聞いて依頼者の老人がすぐに戻ったのだが……無事に駆除できたことへの歓喜はもちろん、巨大な獣が棲みついていたとは思えぬほど被害が少ないことに驚きを見せていた。
撃退士たちは敵を倒すにも細心の注意を払い、戦闘後も中で朽ちた敵の遺体は屋敷外に運び出していた。
更に害獣の痕跡を残さぬよう、ミハイルが学園に事後処理の連絡をしていたのだ。
『依頼者はこの家に愛着があるようだ。こんなもの放っておけないだろ』
その気遣いを知ってか知らでか、以前と変わらぬ平穏に礼を言う老人。
自然と笑顔を浮かべながら、ようやく新しい『土産』を届けることが叶う。
かくして魂が眠る地に、また新たな想い出が足されるのであった。
「分かち合う者はおらずとも……確かに、あぁ確かに、この場は共に生きた証だろう」
儚く、純粋な魂。その在り様を見守るフローライトの紡いだ音色が、大自然の中へと溶けて行った。