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曇天。
この言葉がふさわしいほどに、重苦しい雲が街の頭上を覆っていた。
今にも降り出しそうな空を見上げ、撃退士達はカタツムリの蠢く公園へと入っていく。
「着替えを手配して、正解か」
鴉乃宮 歌音(
ja0427)はレインコートの内側で、そういった。べとべとするという敵と戦うのだ。役所に頼んで、全員分の簡易な着替えを用意してもらっていた。
歌音の前を歩く龍崎海(
ja0565)は、回復した身体を確かめるように動かしていた。
公園の中は、見晴らしが良く、やや遠方にはすでに敵影が確認できる。
「見晴らしがいいのなら、探知スキルを使うまでもないかな?」
阻霊符を発動させながら、海は敵の位置を掴む。
その隣で、
「なんて言うかさ、天魔も時節柄とか気にして眷属作ってるのかな……って、たまに思うんだよ」
と桐原 雅(
ja1822)が最近戦ったディアボロのことを思い出し、独りごちる。
「と、そんな余計なこと考えてないで、早く終わらせちゃおう」
気持ちを切り替え、雅は陰陽師としての初陣に気合いを入れる。
「梅雨にカタツムリ天魔って凄く旬を感じるな〜……。でも、情報が確かなら油断できない相手だね……。ベトベトは気にしないで1匹ずつ片付けよう……」
雅の傍では、双城 燈真(
ja3216)がオペレーターの言葉を思い出していた。
ふと、燈真は言葉を区切った。
「所で区別呼称ってやっぱあの国民ゲームのあれだよな! 今はキングより強いクイーンが居るからそんな個体がいたらヤバかったよなこの依頼!」
ややのんきなことを、荒っぽい口調でいう。もう一つの人格、翔也が出てきたのだ。
前衛の海や燈真からやや離れて、九条 朔(
ja8694)と森田良助(
ja9460)が並んで歩いていた。お互いに今回の作戦を確認し合っているようだった。
「この地面は、危ないゾ! 気ヲつけないト、いけないナ」
ミーナ テルミット(
ja4760)は、公園の状態を気にしながら、ついて行く。最近の雨で、足元がぬかるんでいるようだった。
そして、今日もいつ降り出してもおかしくなさそうなのだ。
こうした心配から、ミーナもまた、レインコートを身につけているのだった。
そうこうしている間に、接敵できる距離まで近づいて来た。
「う……べとべとぉ……」
見るからにべとべとした敵を見て、雪之丞(
jb9178)は声を漏らす。
それほどまでに、カタツムリたちは粘液を体中からぬめりだしていた。
「国民ゲームに合わせるなら、カタツムリの群れが現れたってところか?」
楽しげに翔也がいう。
「向こうからすれば、撃退士の群れ、だね」
翔也の言葉を受け、歌音が返す。
「そろそろ始めようか」
海が槍を構え、二人に告げる。
前衛が駆け出すと同時に、戦いが始まった。
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のそりと動くカタツムリたちに機先を制したのは、歌音だ。
突撃兵を思わせるような勇猛さで、カタツムリの群れを射程におさめ、クロスボウを引く。放たれた矢は、黄土色の尾をひいてベスに突き刺さった。
「慎重に、確実に行くよ」
これを合図に前線が押し上げられていく。
海と雪之丞が雑魚やベスをすり抜け、ナイトとキングへ向かう。
支援するように、良助と朔もライフルでそれぞれ狙いをつけた。
スコープ越しに見えるナイトに、良助は勢いよく啖呵を切る。
「そっちがべとべにしてくるなら、こっちはどろどろにしてやる!」
ナイトの鎧部分にぶち当たった弾丸は、そのまま装甲を溶かしていく。だが、渾然一体としているのか装甲ごと中身が溶けているようにも見える。
その様子に歌音が、
「ナイトのあの騎士、騎士が乗ってるんじゃなくて身体の一部が騎士になったものだろうね」
と推測を述べる。
「だとしたら、ちょっと怖いな」
予想外の状態に、弾丸を放った良助自身が少し引いていた。
だが、効果があるならそれにこしたことはない。
「後ろは任せたぞ」
そう言い残し、雪之丞がとろけるナイトに攻撃を仕掛ける。
紫焔を纏った刃を目にもとまらぬ早さで抜きはなつ。
一閃――だが、その刃はナイトを切り伏せるまではいかなかった。見た目は溶けているものの、内部に硬い部分が残っていたのだ。
一度刃を引き、体勢を調える雪之丞に別のナイトが刃を振り下ろす。それを捌いたところへ、もう一体近づこうとしていた。
「ここは食い止める」
海が、ナイトと雪之丞の間に割り込み、盾で剣を弾いた。
すぐさま、後ろに振り向き、通り過ぎた雑魚とベスに向けてアウルで形成した槍を放つ。数体を貫いた槍を見届けると、すぐに盾を持ち直した。
ベスが炎を吐きつけてきたのだ。
「緊急活性化した盾で受ければ、べたべたはくっつかないだろう」
注目を集めるべく、星の輝きを行使していた海だが、それは不発に終わった。どうやら、視覚はあまり強くないらしい。
それはそれと割り切り、自分の役目を果たす。
「油断大敵だからナ。しっかりト守りヲ固めるのだゾ!」
海と少し距離を取りながら、ミーナが聖なる刻印を刻み込む。
これで粘着質な焔を打ち払いやすくなった。
ナイトへ向かったのは二人。
雑魚とベスを抑えるのは、燈真と雅の役目だった。
「炎には粘性があるらしいしこいつから片付けた方が良いな……」
慎重に翼をはためかせ、燈真が白い刀を振り下ろす。
その右側では、雅が炎の球体を撃ち放っていた。ベスの動きをとらえ、並んだところに放たれた炎は、二体巻き込んでいった。
「一気に、決めようか」
そう述べたところに、お返しとばかりに放たれた焔が襲いかかる。雅はこれを受け止め、粘着質な炎を腕を振るって打ち払う。
「これは、厄介そうだね」
雅はベスについて、注意を引きつける。
雑魚がそれぞれ動き回ろうとしたのを、弾丸が穿つ。
「早く眠ってください。あちらも手伝わないとならないんです」
朔が、雑魚を逃がさぬよう狙いを定めていた。
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「エクスプロード」
魔法使いになりきり、歌音がアウルの爆弾を放つ。雅の引きつけていたベスだけを狙うように、爆弾は弾けた。爆風に煽られたベスに、雅が拳を振るう。炎陣球を使い切った雅は、殻を割るが勢いでベスを叩いていた。
一体、その拳に耐えきれず、ついに身体を横倒しにした。
「チャンス」
そう見て、拳を何度も振り下ろす。
雅の拳が止まったとき、そいつはのびきっていた。
「ベトベトは我慢我慢…、傷を受けるよりマシ……」
炎から逃れ、空中を飛翔する燈真はそんなことを言っていた。
かと思いきや、
「なわけねぇだろ!!」
と一気に急降下し、二体目を切り伏せる。
「べとべとにされる前に、倒さないとな」
翔也が表に現れ、ベスにトドメを刺したのだった。
続けざまに雑魚へと向かうが、一度、攻撃は空を切った。
「意外と素早いな……、ベトベトを滑ってる感じなのかな……?」
人格が燈真へと戻り、そんな感想を述べる。
滑らかにのろっと避ける雑魚ツムリに、朔も最初の2、3発を外していた。良助から軌道修正のアドバイスをもらいながら、修正し確実に頭を射抜く。
燈真や歌音が合流し、一体、二体と雑魚ツムリを倒していく。
こちら側がもう少しで終わるというところで、ポツリと雫が髪を濡らした。
「水滴がスコープにつくのはまずい、か……」
朔は曇天が雨天に変わりはじめ、ライフルから双銃へと武器を切り替えた。そして、前線へ向かう。
良助も朔の動きに合わせ、戦鎚に持ち帰る。朔が次の攻勢へ準備をしている間に、目の前の雑魚を一体潰しにかかる。
「ぐっ、べとべとだ」
ぬかるみに足を取られ、反撃を喰らってしまう。
「これは……アレを聞いておいて正解だったよ」
そう独りごちる歌音の視線の先、良助の傍にいた朔が告げる。
「森田さん、しばらくカバーをお願いします」
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雨が降り出す少し前、ずんぐりむっくりなキングカタツムリが動き出していた。
「行かせはしないよ」
その気配を察し、すぐさま海がキングカタツムリに接近戦を仕掛ける。だが、到着する直前でキングカタツムリはその体躯を膨らました。
「……っ!?」
一気に吹き出された炎が、海を越え、近い位置にいた雪之丞やミーナを襲う。
勢いよく地面を滑る炎は、粘性を持って纏わり付こうとする。盾を活性化させ、防いだ海が後ろを振り返る。ミーナが急いで雪之丞の回復に回っていた。
そのミーナも炎を受けている。海はキングの動向に気をつけつつ、ミーナへアウルの光を流し込む。
今度は炎を防いだ海へ、キングがのしかかるような攻撃をしかけてきた。
海がキングに押さえられながら、進行を防ぐ。
その間に、雪之丞は金剛夜叉をナイトの一体に深々と突き刺していた。
「まずは一体……」
紫の炎がバックブラストのように放出され、消える。一気に引く抜くと、ナイトは崩れるようにカタツムリごと壊れていった。
気を抜いている暇はなく、続けざまにナイトが剣を薙ぎ、払う。
「くっ……手こずらせる」
刃で受け手はいるものの、負傷の痛みとべとつきの不快感が雪之丞を襲う。
「このままジャ、押され気味だヨ!」
ミーナが必死に、雪之丞へアウルの光を流し込み、再生を促す。
さらには大粒の雨が降り出した。ナイトの動きが、滑らかで素早いものになっていく。
刀を持つ手が、鋭くなった一撃に痺れる。
痛覚をシャットアウトし耐えようと、雪之丞は考えた。
そのとき――、目の前で一体のナイトが弾けた。
朔が双銃で、風穴を空けたのだ。
朔は、獰猛な野生動物を思わせるアウルの荒れ方を見せていた。そして、寡黙に次の獲物を見据える。
「こっちが片づいたから、一気にいこう」
もう一体との間にも、雅が割り込み、拳を叩き込んでいた。さらには符を用いて、相手の生命力を奪い取る。
「援護か……助かる」
「ミーナモ、雪之丞モ、これからだヨ!」
安心する雪之丞の傷を修復し、ミーナが元気よく宣言する。
宣言と同時に、良助がナイトに鎚を当て、歌音がトドメを刺す。
残るはキング一体、ミーナは海に再び聖なる印を刻むと、攻勢に出るべくロングボウを構えるのだった。
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「キング倒したら分裂してカタツムリになったりするんだろうか」
残されたキングを見据え、歌音がそんな冗談をいう。
「それは、勘弁して欲しいよ。……さて」
歌音の狙撃に合わせ、飛翔してきた燈真がキングを切りつける。
「お前を倒せばこのベトベト地獄は終わりだよ……! やっぱり気持ち悪いからね……!」
続けとばかりに、雪之丞も合わせて金剛夜叉を振るう。
巨大な殻を割るくらいの勢いで、雅も拳を叩き込んでいく。叩かれたからなのか、キングの身体が膨張する。だが、その膨張の理由を誰よりも知っているものがいた。
「炎がくる予兆だ!」
海の叫びで、被害は最小限に収まる。炎を避けた者ならば、逆に好機といえよう。
飛び出してきたのは良助だ。
「これが僕と相棒の絆だ!」
距離を開けたことで、ライフルをかまえなおす。
弾丸が、キングの土手っ腹に穴を空ける。そして、逆側からは、
「シッ……」
と呼吸の音で合図を取り、朔が弾丸の嵐を作る。
二方向からの銃撃に、無駄にでかい身体の風通しが良くなった。
それでもなお、キングは王ゆえに立ちふさがる。朔の獣性開花が切れ、アウルが静まる。位置取りを立て直すべく、良助が移動したとき、それは起こった。
ど派手な転倒、転がる良助と朔。べとべとと泥にまみれて、二人はキングから離れてしまう。
「ごごご、ごめっ! いや、決してわざとじゃないよ! 本当に!」
慌てて謝罪する良助に、朔は混乱をきたしながら一言。
「え、あいえ……お気になさらず」
だが、それも束の間。すぐに冷静さを取り戻し、キングを見据える。
「わざととか、そんなことはどうでもいいです。敵を片付けますよ」
しかし、勝負はすでに決着していた。
「恋のキューピットみたいに、向こうへ撃ちたいな」
と物騒ともお節介ともとれる発言をしながら歌音が矢を放つ。
それに合わせるように、ミーナも弓を引く。二連撃、それに返すように身体を膨らませたところで、雅が殻をぶち破った。亀裂も入り、脆くなった殻へ、
「……これで、最後」
雪之丞、そして、
「べとべとは、もう勘弁だぜ!」
翔也の人格を表し、刃が突き刺された。
引き抜かれると同時に、その身は崩れ、地に伏せる。
大粒の雨が、カタツムリをぬらす。しかし、それらが喜ぶことはもうないのだった。
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「エスカルゴとして食べられるものは穀物で飼育したものや絶食させたものを使用するのだけれど……まぁ、これは食べられるはずがないしね」
要らない知識を植え付けながら、歌音がカタツムリたちを眺めていた。
歌音の言説を聞いているのかいないのか。
雅は陰陽師としての初陣を終え、小さく息を吐く。
その傍で、雪之丞がべとべとになったレインコートに触れ、
「これはもう着れないな……」
とアンニュイな表情をしていた。
「うぅ、覚悟してたのに気持ち悪く感じちゃうなんて……もっと鍛錬しないと」
大雨で洗い流すような仕草をするのは燈真だ。
もう、全員がべとべとと泥ですごい状態になっていた。
「雨で、洗い流せればいいんですが」
無理だとわかっていながら、良助に巻き込まれ、被害が拡大した朔がそんなことをいう。
良助は、提案するほど大きくない声でぽつりと呟く。
「この辺ににお風呂屋ってあったかなぁ」
「そういうことなら調べてあるぞ」
「事前に、調べておいたよ」
良助の言葉に、歌音と海がほぼ同時に反応した。
「べとべともつらいし、この季節でも雨に打たれっぱなしでは風邪をひくかもしれないし、な」
「銭湯開始、なんて。べとべとしたまま帰りたくないだろう?」
二人の調べで、近場の銭湯やランドリーがいくつか提示された。
「同じ水滴デモ、シャワーなら大歓迎だゾ!」
ミーナの声に、全員が賛同する。
温かいシャワーと、べとべとを洗い流せるお湯を求めて、撃退士は雨の中を行く。
曇天には、亀裂が見え、もうすぐ晴れることを暗示しているかのようだった……。