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夏だと言うのに、そして太陽は既に高い所まで登ろうとしているのに、その空間だけ外界と隔絶されたように冷やりとした空気が満ちていた。
件の橋に近づくにつれて空が陰りを帯び、朝靄のように撃退士の目を以てしても見通しが悪くなっていった。
霧のかかった橋の上、ヒヒイロカネの小山を背にして、武者があぐらをかいていた。傍らに大刀を指し、霧の先をひたすらに見つめている。
武者の視線の先で、ユリア(
jb2624)は武者の姿を遠目で捉えていた。武者に気取られないうちに、より距離を取っておく。
幸いな事に霧は戦闘に支障が出る程ではないようだ。
この距離から精密な射撃をする作戦であれば違ったのかもしれないが。
「橋の上に陣取って倒した相手のを奪う……ねえ。なんかどこかで聞いたような」
そう呟きながら、仲間のところへ戻り、武者の様子を伝えた。
「では、事前の算段の通り、挟撃だ」
里条 楓奈(
jb4066)の言葉に、全員が頷く。
ブラウト=フランケンシュタイン(
jb6022)は、袖を縛ったメイド服を取り出して、
「私はサポートにまわります。見ての通りですが、重体など大した問題では……何せ1度死んでますし!」
彼女の足は、ぐるぐると包帯が巻かれていた。彼女の言葉が真実であれ、十全の状態ではない事だけは間違いない。任せた、と多様な表情で告げられ、ブラウトは頷く。
正面から向かう者はその場に残り、残りは移動する。
「弁慶は牛若丸の動きに惑わされて負けたけど、この武者は挟撃にどう対応するかな?」
紅織 史(
jb5575)は、霧の中を見据えて、そう呟いく。
その答えはまだ誰も判らないが、呟きに不敵な笑みを含めた仲間たちに紅織もまた、頷き返した。
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「さぁ、あの似非弁慶退治を行こうか」
里条がひらりと手の平を泳がすように虚空を切ると、その細い腕に掛かる腕輪が僅かに輝いた。
その輝きに応じて、スレイプニルのスレイが顕現する。
物陰に気付いた武者が、大刀を手に取りすっくと立ち上がった。
これを合図として、全員が行動を開始する。
先陣を切ったのは、ミズカ・カゲツ(
jb5543)であった。極度の加速をみせ、武者への接近をはかる。次いで、カレン・ラグネリア(
jb3482)が翼を生やして、前へと飛び出す。
「さぁーて、ショータイムだ……なんてナー」
翼を生やしたカレンを、武者の背中越しに見て、ブラウトが一瞬みとれ、感嘆の声を漏らす。
「おー……メルさん、とても綺麗なのですねー……」
だが、武者はそんなやりとりを意に介さず、一歩前へと歩み出て、大刀をぐるりと回転させ始めた。
兆候に気付いたミズカが、後方へと叫ぶ。
「きます!」
はたして、武者と直線上に立っていたカレンへと、竜巻が伸びる。
距離のあるミズカやユリアの耳を揺さぶる程の轟音を響かせ、霧を晴らしながら伸びてくる。
注意を聞いていたカレンは、一気に跳んでそれをかわすのに成功していたが、それでも吹き飛ばされそうになり、体勢を低く落とし踏ん張りこらえきる。
「…当たったら、シャレになんねーナ」
通り過ぎた場所にはぽっかりと、霧に穴が空いていた。
前方の動きを察知し、後方の撃退士も動き始める。
「突撃なのー」
気取られないように、足音をを抑えつつそれでも速度を落とさぬ足運びで、あまね(
ja1985)と紅織が武者へと近づく。そして藤村 将(
jb5690)は、やや先行して武者の背中を見据えていた。ブラウトが足を引きずりながら、なんとか彼女らについて行く。武者は前方の敵へ目を奪われている。だが、油断してはならない。ヒヒイロカネは、まだ、武者の近くにあるのである。
ユリアは、注意がカレンらに引かれていることをみると、翼を生やして素早く橋の裏へと回った。竜巻は直線上に動く。カレンへの一撃が、竜巻解決への端緒となった。カレンもまた、直線上を外れている。武者は咆吼を上げると、力強く一歩を踏み出した。一歩踏み出すことにあふれ出る衝撃波が、唸り声をあげて、地上を這っていく。地上に接するミズカとスレイへと襲いかかる。
ミズカは、武者が踏み出すときの挙動を捉えていた。ぴくりと狐耳が動いたかと思えば、翼を生やして、わずかに地面との接触を避ける。武者が大刀を構えなおしたとき、ミズカは再び地面へと降り立った。
スレイは翼を雄々しくはためかせ、空へと飛び上がる。衝撃波は、空しく地面へと吸い込まれていった。
この程度では、ミズカの加速は止まらない。すかさず、武者の横を捉えていた。
前線が混戦状態になるのを見据えつつ、じりじりと後方部隊も距離を縮めていた。武者の姿を捉え、あまねは、雷を足に纏わせる。
緊迫し始めた空気を更に募らせる一発の銃声。
「確実に削っていくとしようかな」
気配を消したユリアが呟く。ユリアは、ライフルの引き金を引いていた。弾丸は武者の鎧に楔のように、撃ち込まれる。その攻撃へ武者は反応した。だが、反応した先には、ユリアの姿はない。振り上げた大刀の行き先は、接近していたミズカに向けられた。見上げた先には、重厚な刃。咄嗟に回避を試みるも、重みの加わった不意の一撃は避けがたく、肩口から斜めに切り伏せられる。
「……っ」
命を失うほどではないにせよ、大刀の重みは厳しく、全身が痺れ膝が崩れる。だが、二撃目はない。構えを戻そうとした武者の横っ腹に、雷を纏ったあまねの蹴りが入った。武者は体勢を崩しかけ、大刀を突き立て、あまねを睨む。
大刀が抜かれた瞬間、上空から大喝が浴びせられた。武者が向けた視線の先、怒気を顕わにスレイが武者を睨み付けていた。両者の視線が交錯し、武者は大刀をスレイに向けて構えた。
将は、混乱を呈し始めた前線に、躍り出ていた。武者の背中は、目前に迫っている。足を止め、気を練り上げ、隙をうかがう。チャンスは間もなく来るはずだ。
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撃退士たちは、勝機を伺う。それは、ブラウトの声によってもたらされた。
「回収したのDEATH! アンデッドを嘗めるな、なのDEATHよー!」
一気呵成――。
武者は、声のしたブラウトの方を向き、切っ先を向ける。
「スレイ!」
里条が指示を飛ばすと、スレイが再び唸り声を上げ、武者に聞こえるように大きく羽ばたいた。武者の注意が再び、スレイに向く。だが、ヒヒイロカネを奪われまいとして身体が動こうとする。二つの思考がぶつかり合い、一瞬の隙を作った。
「一発必中、ってナ」
カレンが弓を放ち、武者を牽制する。再度、ユリアの弾丸が武者の鎧に撃ち込まれる。弓と弾丸は、鎧に確かなヒビを生み出した。だが、ヒビに気付かぬほど、武者は混乱を加速させていた。
一人ずつねじ伏せてきた武者にとって、情報量が過多になりだしたのだろうか。明らかに動きが鈍っていた。
その隙を見逃さない、見逃すわけがない。
「いくなのー」
上空からの声に武者が反応した刹那、全体重を載せた攻撃が、頭部を襲った。一撃に、武者は身体をぐらつかせ、大刀を杖代わりにして立ち直ろうとしている。
「そこだぜ」
気を錬りきった将が、すかさず、武者の上部へと回し蹴りを入れる。度重なる上半身への猛攻に、武者はバランスを崩していた。それでもなお、大刀を回転させ始める。その方向は上空、自分を陥れたと判断したスレイに向けられていた。竜巻が奔る。巻き起こる風が、音が、囲っている者たちの体躯を揺らす。だが、軸がぶれた攻撃はスレイを大きく外して、空へと消えていった。
「……この好機、見逃さん。アヤ、共に仕掛けようぞ!」
里条が後方の紅織へと呼びかける。目を合わし、紅織は頷きを返す。
「承知だよ、楓。私たちの攻撃、たっぷり味わって貰おうかっ!」
呼吸を整え、意識が、思考がより合わさっていく。
だが、それを邪魔するかのように武者が一瞬早く紅織へ向けて斬り込まんと動いた。
間に合わない、と思われたが。
「スレイ!」
里条が援護の好ポジションへと、スレイを動かしていた。
主人指示に呼応するように、スレイは咆吼をあげて、ブレスを吹きかける。攻撃をせんとして居た武者は、不意を突かれ、その灼熱をまともに浴びその動きは確実に鈍くなる。鎧の節々からも煙を吐き出すあり様で。
それでも尚、目標へ向かう動きは止めなかった。
しかし、遅すぎたのだ。
里条とスレイが作った僅かな時間があれば、紅織には十分だった。
「さぁ、終わりだよ、弁慶気取りの武者っ」
紅織がソウルサイズを構える。二メートルを超える鎌の刃が纏う青白い炎が弧を描き、武者の脳天をめがけ振り下ろされる。
武者は最後の力を振り絞って、紅織の鎌を大刀で受けきろうとした。
金属がぶつかり合う鋭い大音が響き、一瞬空気が停止する。
受け切れられた。
そう思われた瞬間、鎧が崩壊した。
大刀を構えていた両腕は、ずるりと崩れ落ち、下半身は砕け散ちる。上半身は支えを失い、その場に倒れる。
弁慶気取りの武者は、立って死ぬことすら許されなかった。
炎が上半身を包み込み、そのままその炎は砕けた下半身をも燃やし尽くす。
そして、二つに折れた大刀だけが最後に残こされた。
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霧が晴れる。
じりじりとした夏の日差しが戻ってきたのだ。
ブラウトが回収したヒヒイロカネは、太陽の光を反射し、各々の形に合わせて光っていた。
「これで全部なのか確認するのー」
あまねたちは、ヒヒイロカネが残されていないか、橋の上をくまなく歩き回った。
残滓はなく、ブラウトの包んだものが全てであった。改めて、多くのヒヒイロカネを眺めて紅織がいう。
「弁慶と牛若丸の話のようには、全てが丸くとはいかないね……」
橋はところどころに今までの戦いの跡が見て取れた。それぞれに思いをはせながら、ヒヒイロカネを見つめる。一つ一つを持ち主とその遺族の下へ、撃退士たちは学園へと帰還するのであった。
依頼主の少女の下を、里条たちは訪れていた。彼女の持つ半円のペンダントと、ぴたりと合わさるペンダント。里条はそれを私ながら、微笑みかける。
「家族仲が悪い私には姉妹の想いは解らん……が、大事な者との絆は解るつもりだ。戻ってきて良かったな」
少女は帰ってきた片割れをしっかりと握りしめ、頬をぬらして何度も頷く。絞り出すように声を出しながら、深々とお礼をしたのだった。
「ありがとうございました」
それぞれの思いをのせたヒヒイロカネが、思いを受け継ぐ者のところへと帰還するのだった。