「あの、一言いいですか?」
議論に切りこんできたのは、樒和紗(
jb6970)だった。
「後ろで聞いてましたが、もともとは目玉焼き定食の話ですよね? まず、その問題から解決しませんか。ロテリスが困っているようですし」
「おお。お好み焼きの女か。あのときは世話になったな」と、ウェンディス。
「ご無沙汰してます。なにやら問題をかかえているようですね。目玉焼き定食の正しい食べかたとは、なかなかの難題。……しかし、あえて言わせてもらいましょう、目玉焼きに何をかけるかなど決まっています! それはソース! しかも、お好み焼きソースです!」
ドバーーンと、ソースの津波を背景に主張する和紗。
初手からアクセル全開だ。ちなみに背景はアウルによる演出である。
「ほほう、あなたは関西人ですね?」
すべてを見抜いたように、麗司が訊ねた。
「ええ。お好み焼きのトッピングに目玉焼きがあるのですから、ソースが合わないはずはありません。『お好み焼きはおかず』という言葉もありますし、おなじオカズである目玉焼きも当然ソースで食べるべきです」
それを聞いて、亜矢が顔をしかめた。
「目玉焼きにソース? えぇー?」
「失礼ですが、目玉焼きをぐちゃぐちゃにして食べるような人に文句を言われる筋合いはありません」
その言葉に、亜矢以外の全員がうなずいた。
勢いを得た和紗は、一気にまくしたてる。
「目玉焼きの黄身は、もちろん半熟。まぜるなど、言語道断です。黄身と白身とソースの織りなす、三色のコントラストが美しいのですから。ただし、味に深みを求めるならマヨネーズを加えるのも有りです。そして食べる際には、白身と黄身を同時に口の中へ。このとき、完全には混ざっていない目玉焼きの真価が発揮されます。濃厚かつまろやかな黄身と、淡泊な白身の二重奏。そこに味わい深いソースが絡み、ときにマヨネーズの酸味がアクセントを加えるさまは、筆舌に尽くしがたい味覚の構築美……。さきほど述べたように目玉焼きはおかずですから、ごはんに乗せるのも自由。そこまでは俺も強要しません」
キリッとした顔で断言する和紗は、天魔との戦闘時よりスタイリッシュだった。
「なんや、おもしろそうなこと話しとるな? おばちゃんも混ぜてくれへん?」
世話焼きな大阪のおばちゃんみたいに首をつっこんできたのは、ミセスダイナマイトボディー(
jb1529)
その人間離れしたルックスに、衆目が集まる。
体重158kg。つぶれた鼻に、頭の上で垂れた耳。魔物じみた爪と、キュートなブタさんの尻尾。
豚の亜人──オークそっくりだ。
「大歓迎ですとも。あなたは、どのように目玉焼き定食を食べるのですか?」
議長みたいな口ぶりで、麗司が問いかけた。
「あれこれ言うより、実際に食べてみせたるわ。そのほうがわかりやすいやろ?」
「すばらしい。あなたは実証主義者ですね? 会計は私が持ちますので、遠慮なくどうぞ」
「よっしゃ。食堂のおばちゃーーん! 目玉焼き定食たのむでー! もちろん、ごはんはミセス盛りでなー!」
ミセスは学食でも有名な『顔』だ。厨房のおばちゃんたちも『ミセス盛り』の意味を把握している。
やがて出てきたのは、どんぶり山盛りのごはん。
「きたきた。これやこれ。んで、これをどうするかっちゅーと……」
ミセスの手が、調味料コーナーに向かった。
はたして彼女の選択は──?
ミセスの指先に、一同が注目する。
そして選ばれたのは──王道の醤油!
「うちは醤油派なんや。子供のころからな」
「だよね。目玉焼きには醤油よ!」
亜矢が同意した。
ソース派の和紗は、苦々しい表情を浮かべる。
「……で、目玉焼きをごはんに乗っけるんよ」
と言いながら、ミセスは言葉どおりのことを実行した。
「そんでもって醤油かけて……ごはんと混ぜたら、玉子かけごはんの出来上がりや!」
「見た見た!? あたしと同じじゃん! 圧倒的多数派! 民主主義万歳!」
鬼の首でも取ったかのように騒ぐ亜矢。
たった2人で『多数派』を名乗るとは、さすがバーバリアンだ。数も満足にかぞえられないのだろう。
「正気かよ……」
と、卍が天をあおいだ。
「言いたくありませんが、まさしく蛮族食い……」
和紗も、これみよがしに溜め息をつく。
おお、まさか亜矢の味方が現れるとは! 数で勝る野人の前に、文明人は滅ぼされてしまうのか!?
だが、そのとき。文明人側に助っ人が現れた。その名は稲野辺鳴(
jb7725)
「おいおい、なんで目玉焼きを飯に混ぜてやがるんだ? そういうのは生卵さんの役割だろうが。即刻やめろ」
「なによ、あんた」
亜矢が食ってかかった。
「いいか、よく聞け。目玉焼きは固焼き、味付けは塩胡椒だ。異論は検討の上で受け付けない」
鳴はハードボイルドに言い切った。
そう。ゆで玉子を固ゆでで食べる彼が、目玉焼きを固焼きにしない理由はない。
「今回ばかりは、不本意だけど鳴に同意。目玉焼きは固焼きで塩胡椒です」
吾妹蛍千(
jb6597)が、しぶしぶといった感じで加勢した。
その不満げな表情からすると、かなり不本意のようだ。
実際この二人は、顔をあわせれば喧嘩ばかりしている。意見が一致するなど奇跡に近い。だが、今日こそついに、腐れ縁の腐れタッグが結成! 力を合わせて醤油派とソース派を駆逐するぜ!
「おい、蛍! おまえ、ゆで玉子は半熟って言ってただろうが! いいのかよ、人として!」
いきなり喧嘩を売る鳴。
……あれ? タッグは? 仲良しタッグは?
「僕は何個も目玉焼きを作って、これでもかというほど食べて、目玉焼きは塩胡椒、固焼きが一番と考えたの! おまえと一緒にすんな、脳筋オランウータン!」
「んだと、コラ!」
鳴は苦無を抜くと、いきなり蛍千の心臓めがけて突き出した。
……うん。仲良しタッグなんて夢だったんだ。
「うわっ!? なにすんだ!」
とっさに身をかわすと、蛍千は反射的にダガーを抜き放つ。
そして、鳴の首筋を──
「そこまでです、おふたりとも。ここは神聖な食事の場ですよ」
麗司が、二人の間に割って入った。
「チッ。おぼえとけよ、蛍」
「そっちこそ」
おなじ塩胡椒派なのに、なぜかいがみあう鳴と蛍千。
「喧嘩はアカンで。仲良ぅしいや」
目玉焼きごはんをモシャモシャしながら、ミセスがなだめた。
「けっ。こんなのは日常的茶飯事なんだよ」と、鳴。
「せや、目玉焼き定食で思い出したわ。修学旅行で行った、英国のイングリッシュブレックファーストが、えらい旨かったなぁ……。けど、ぬるいビールはあかんかったわ。……って、イヤやわぁ、おばちゃんたら関係ない話してな」
殺伐とした空気をなごませるかのように、ミセスは世間話をはじめた。
そこへ、電脳魔術師・月丘結希(
jb1914)がやってくる。
「話は聞かせてもらったわ。どうやら目玉焼きの食べかたで揉めてるようだけれど……あんたたち、命を賭ける覚悟はあるの?」
「ふごふご、命をもぐもぐ賭けるやて……?」
玉子かけごはんをかっこみながら、ミセスが問い返した。
「そのとおり。だいたい、あんたたちはこの問題を軽く考えすぎなのよ。これを見なさい」
結希は光纏すると、携帯デバイスを操作した。
そのとたん、彼女の背後に二つの仮想スクリーンが浮かび上がる。どちらもブラックスクリーンだ。
「いい? 目玉焼きには、二種類の焼きかたがあるわ。片面焼きと両面焼きよ」
スクリーンが音もなく反転して、目玉焼きの映像を映し出した。
静止画ではなく動画だ。ジュワァァァという音まで聞こえる。どうかすれば、匂いまで漂ってきそうだ。
「ここから、半熟と固焼きに分けられるの。つまり、この時点で4パターンね」
2枚のスクリーンがそれぞれ左右に分かれて、4種類の目玉焼きを映し出した。
「さらに、知ってのとおり玉子には三つの味わいがあるの。白身と黄身それぞれ単独の味と、双方を混ぜた味ね。つまり、玉子だけで12種もの味わいがあるわけよ」
4枚のスクリーンから分裂するように2枚ずつの映像が飛び出して、計12枚の目玉焼き映像が展開された。
「わかる? この時点で既に容易な問題じゃないのよ。しかもここに、『調味料』という要素を加えれば……そのパターンは膨大すぎるわ。代表的なところで、醤油、ソース、ケチャップ、塩胡椒。これだけで48パターン。もちろん、それ以外の調味料も無数に存在するなんてこと、言うまでもないわよね?」
結希が一語一語を発するたび、背後のスクリーンはそれぞれ異なる味わいの目玉焼きを投影していった。幾何級数的に増えつづけるスクリーンは、もはや彼女の背景を埋めつくさんばかりだ。
「これほど膨大なパターンの中から、どれが最良か判断する……それは恐ろしく困難な作業よ。目玉焼きに人生賭ける覚悟がいるわ。あんたたちに、その覚悟はあるの?」
あるわけないわよねと言わんばかりに、結希はせせら笑った。
それはまさに、勝利者の表情だ。
が──
「目玉焼きにかけるのはソースです。人生ではありません」
和紗が、快刀のごとき切れ味で切り返した。
結希は口元をゆがめて応じる。
「うまいこと言ったと思ってるの? あんたはソース派らしいけど、この画面に映る無数の調味料すべてを試したとでもいうわけ? そうでなければ、ソースが一番だなんて
「ためす必要などありません。目玉焼きにはお好み焼きソース! これが絶対の真理なのですから!」
「やれやれ。理論を放棄したわね。無根拠にソースを盲信する姿は、哀れとしか言いようがないわ」
「なんとでも言えば良いでしょう。お好み焼きソースという真理を手にした俺から見れば、そのような批判は取るに足らぬ妄言です。己の味覚を信じれば、迷うことなどありません。いたずらに選択肢を増やして人心を惑わそうとするあなたは、目玉焼きの真理を闇に封じようとする悪魔そのものです!」
ビシッと指を突きつける和紗。
だが、結希は動じない。
「まるで、ソース真理教ね。このぶんじゃ、てんぷらにもソースをかけるとか言いだしかねないわ」
「なにを言ってるんですか? てんぷらにはソースですよ? ほかに何をかけるというんです?」
「もう駄目ね、あんたは。ソースを摂りすぎて、脳までソースに犯されてる」
まるで剣豪同士の果たし合いのように、言葉で斬りあう二人。
「おふたりとも、そのあたりで。てんぷらに何をかけるかという問題は確かに重大ですが、いまは目玉焼き問題が先です」
ボルテージ上がりまくりの二人を、麗司がおさえた。
「だから、醤油かけて掻き混ぜるのが一番だって!」
出番をよこせとばかりに、大声を張り上げる亜矢。
「ああ? 固焼きで塩胡椒だっつってんだろ! 議論の余地なし! ファイナルアンサー! 以上! 終了!」
有無を言わせぬ口調で、鳴が決めつける。
「本当に不本意だけど、今回ばかりは鳴に同意」と、蛍千。
「おばちゃんは、半熟で醤油が好きやなぁ。……あ、おかわりしてくるわ」
ミセスのおかわりは、これで4杯目だった。
「……結局、どう食べるのが一番なのだ?」
すっかり冷めてしまった目玉焼き定食を見つめて、ウェンディスが呟いた。
「ソース! お好み焼きソース!」
「塩胡椒! 固焼きで塩胡椒!」
「醤油! 半熟で醤油!」
収拾つきそうになかった。
「……なぁ、どうせ平行線なんや。言い争うより、新しい食べかたでも考えへんか? この学園にしかないような……たとえば、塩胡椒やなくて塩麹とか柚子胡椒とか」
目玉焼き丼をまぜながら、ミセスが提案した。
「新しい食べかたなど無用です! お好み焼きソースという唯一無二の答えが存在するのに、これ以上なにを求めるのですか!?」
和紗の主張には、1ミリのブレもなかった。ある意味すがすがしいほどだ。濃厚なお好み焼きソースなのに。
「塩胡椒よりおいしい食べかたなんてねぇんだよ。なぁ、蛍」
と、鳴が言った。
「死ぬほど不本意だけど、それだけは同意する」
「……やれやれ。堂々めぐりだな」
卍が肩をすくめた。
「だれも譲る気ねぇからな」と、鳴も肩をすくめる。
「みんな真剣やなぁ……。せや! この議論、うちの放送局で番組のテーマにしてもええかも!」
ミセスだけが、マイペースに目玉焼き丼をほおばっていた。
「ではここで、皆の納得する答えを……万人を説き伏せる最終解決案を提示しましょう」
堂々と宣言したのは麗司だ。
そのセリフに、全員の視線と期待が集まる。
「お好み焼きソースは素晴らしい……淡泊な目玉焼きに力強さを与え、ごはんのおかずにもなり、パンに挟んでも幸せなマリアージュが生まれます。……醤油はソースほど自己主張しませんが、ソースのような甘さがないため玉子の持つ甘味を引き出す力を秘めています。パンには合いませんが、ごはんとの相性は抜群。……塩胡椒は、じつに上品です。ひかえめな風味で玉子本来の
「話が長ぇ! 一言でまとめろ!」
卍がツッコんだ。
「つまり一言で言うならば、ソースも醤油も塩胡椒も、すべてかけてしまえば良いと
「「却下!」」
麗司の提案は全会一致で秒殺却下となり、結局答えの出ないまま目玉焼き論争はグダグダの内に終わった。
「では次に、カレーライスの食べかたですが……」
数秒後。当然のように会議を仕切る麗司が、そこにいた。
その直後。
ガシャァァアン!
両腕を交差させた姿勢で、最上憐(
jb1522)が窓ガラスをブチ破りながら突入してきた。
「ゲェーッ! 最上憐!」
絶叫する卍。
「……ん。カレーと聞いて。参上した。カレーは。どこ? どっち? いずこ?」
「普通に注文すりゃええよ。そっちの兄さんの奢りやて。好きなだけ飲んだれやー」
ミセスが言い、憐は迷いなくテラ盛りカレーを注文した。
文字どおり山のように盛られたその皿は、もはやカレーライスの形状ではない。というより、なぜ崩れないのかというレベルで重力に反している。
「噂には聞きましたが、これがテラ盛りカレーですか。芸術的な『盛り』ですね。しかし、これをどう食べるのですか? ヘタに手を出せば雪崩を引き起こしますよ?」
興味深そうに、麗司が問いかけた。
憐は何も答えず、無言で皿を持ち上げる。
そして、山の頂上ではなく裾野のほうから、一気に口へ流し込んだ。それは、『流す』というより『落とす』と言うのが近い。初めて見た者は、あっけにとられるしかない光景だ。
皆の見守る中、じきに憐はテラ盛りカレーを完食──否、完飲した。
そして、口元をぬぐいながら彼女は言う。
「……ん。カレーは。飲み物。飲む物。飲料だから。飲むのが。一番だよ? 時間を。かけると。冷めて。鮮度が。落ちる。最速で。胃に。収めるのが。良い。それに。おかわりまでの時間を。短縮できる。バイキングや。食べ放題では。効率的」
それを聞いた麗司が、盛大に拍手した。
「すばらしい。マグニフィセント! なるほど、この方法なら、混ぜるか混ぜないかという問題は生じません。カレー問題を根本から解決する、これぞ銀の弾丸! いまここに、カレーをめぐる諸問題のひとつが霧散したと言えましょう! 私はこの手法を『モガミ・メソッド』と名付けて、世界に広め
「おちつけ。こんな食いかたできるヤツは他にいねぇ」
卍が冷静にツッコんだ。
「は……っ! たしかに、そのとおりです。つい感動のあまり……。しかし、この胃袋は一体……」
まるきり変化のない憐のおなかを撫でる麗司。その顔は好奇心の色であふれている。
しかし我関せずとばかりに、憐は淡々と言い放つ。
「……ん。おかわり。面倒だから。寸胴鍋を。直接。持ってきて」
「じつに興味深い……」
憐を見つめる麗司の目は、完全に生物学者のそれだった。
「これでわかったでしょ? カレーを飲めない人は、最初に混ぜるしかないのよ」
レアな論拠をもとに、亜矢が断言した。
そこへ、鳴が噛みつく。
「待て! カレーを混ぜるなんざ、神が許しても俺が許さねぇ! 見苦しいにもほどがあるぜ! 一万歩ゆずって、無人島でなら混ぜてもいい。けどな、公共の場でカレーを混ぜるヤツは絶対許さねぇ!」
「無人島でカレーなんか売ってないでしょ!」
「だったら持ってけ! よくあるだろ? 『無人島に何かひとつだけ持っていくなら何にしますか?』みたいな質問。おまえはカレー持っていけ。そして、好きなだけ掻き混ぜりゃいい。死ぬまでカレーかきまぜてろ!」
「まぜるだけ!? 食べさせてよ!」
「うるせぇ。とにかく、まぜるのはアウトだ。見てるだけで不愉快になる。カレーを食うときは、きれいに切り崩して食え」
「それだとルーかライスが余るんだってば! 食事中に計算とかしたくないし!」
「計算なんか必要ねぇ! 勘でわかるだろ!」
「食べてるときに勘なんか働かせたくないのよ! 無心で食べたいの、あたしは!」
「食う以外なにもしたくねぇのかよ。ケダモノか」
「食事中に計算だの何だのするほうがおかしいのよ!」
これまた、両者の主張は平行線だった。
「おい、蛍。この野獣に何か言ってやれよ」
「え……? なにかって言われても……」
話を振られた蛍千は、とまどうように頭を掻いた。
「なんだよ。カレーの食べかたについて、一言ぐらいあるだろ?」
「いやぁ、それが……カレーの食べかたにこだわりはないっていうか……。そもそもカレーって今までに2回食べたかどうかなんだよね。1回は食べた記憶あるんだけど……」
「「えええええ……ッ!?」」
衝撃の告白に、ほぼ全員が驚愕の声を上げた。
ただひとり憐だけが、なんのリアクションもなくカレーを胃袋に流し込んでいる。
「これは驚きましたね、カレーを一度しか食べたことがない日本人とは……。学会に報告すべき発見ですよ」
新種の珍獣を見つけた学者みたいな顔で、麗司が言った。
「いやぁ、家であまり出なかったもので……」
蛍千は、なにをそんなに驚いているのかわからないという顔だ。
その肩をたたいて、鳴が同情するように言う。
「蛍、おまえ……人生たのしいか?」
「はぁ……? たかがカレーで、どうしてそこまで……?」
「たかがカレー、されどカレーだぜ?」
なにか含蓄のあることを諭すように、鳴がシリアス顔になった。
それを見て、麗司が言う。
「いい機会です。今日ここでカレーを食べてはいかがですか? せっかくですから、みなさんもどうぞ。……あと、最上さんには寸胴鍋をもう一杯、ですね」
──という次第で、全員の前にカレーライスが配膳されることになった。
「……で、鳴。どうやって食べればいいのさ?」
カレーを前に、蛍千は手をこまねいた。
「ふつうに食えよ」
「でも、まぜるのは駄目なんだろ?」
「当然だ」
「なんか、ヘタに食べると暴動が起きそうで怖いんだよね。たとえるなら、『海で泳いでたら足に何か絡んできて、わぁなんだ!? と思って見れば実はワカメだったとき』みたいに……」
「たとえがよくわからねぇけど、ふつうに食えばいいんだよ。こうやって……」
言いながら、鳴はライスとルーの境界線にスプーンを入れて、等分に切り崩した。
「待ってください!」
その瞬間、和紗が止めた。
崩したライスとルーをスプーンに乗せたポーズのまま、鳴が固まる。
「なんだよ? 俺の食いかたに文句でもあるのか?」
「文句? いいえ、これは『文句』ではありません。『指導』です」
完全に上から目線で──というより、教えを導く宗教家のような態度で、和紗は告げた。
「指導だと……?」
「ええ、そうです。あなたは、カレーをまぜるのは許せないと言った舌の根も乾かぬうちに、ルーとライスをまぜましたね?」
「まぜてねぇよ!」
「いいえ。そのスプーンに乗せられたカレーを見てみなさい。完全に混ざっているではありませんか! それこそ言い逃れようもない物証! 現行犯です!」
舌鋒鋭く、和紗が指摘した。まるで辣腕検事だ。
「スプーンの上で混ざるのは仕方ねぇだろ!?」
「仕方ない……? あなたは、そのスプーンの中で行われた蛮族的行為に関して、責任能力を持たないと主張するんですか!?」
「待てよ! これはスプーンの中のできごとだぜ? 皿の上とは違う! テーブルに置かれた皿は公共の場だが、俺の手に握られたスプーンは俺の私有空間だ! どうしようと俺の勝手だろ!」
「なんと身勝手な……。あなたはさきほど、カレーをまぜるのは見苦しいと言いましたね? 俺に言わせれば、そのスプーンの中の惨状も同じことです。じつに見苦しい」
「けっ。そこまで言うなら、おまえの食べかたを見せてもらおうじゃねぇか」
「いいでしょう。目をかっぽじって見ててください」
目をかっぽじったら失明してしまうが、ともあれ和紗は「いただきます」と両手を合わせた。
鳴だけでなく、憐を除いた全員の視線が和紗の手元に集まる。
「稲野辺、あなたは皿を置くときルーを左側にしましたね? この時点で間違っています。……いいですか? 和食では、ごはんは左、汁ものは右と決まっています。ゆえにカレーも、ライスはレフト、ルーはライト。郷に入っては郷に従え! ここはジャパン!」
日本語的にどうなのかという言葉づかいで、和紗は言い切った。
さらに彼女は続ける。
「スプーンですくう際には、ルーを先にすくい、ごはんの山へ向かいます。こうすることで、スプーンの上でもごはんが左、ルーが右という状態が保たれるのです」
流れるように、スプーンが動いた。
その言葉どおり、スプーン上のルーとライスは完璧なハーフ&ハーフに分かれている。
それを口に入れると、和紗は同じ動作を繰り返した。二回、三回、四回……
「こうして食べ進むうち、ルーとライスの距離は次第に離れていきます。まるで、モーゼが海を割ったかのごとく。……そう! 今ここに、聖書の奇蹟が再現されたのです!」
「「おお……!」」
どよめきが沸いた。
和紗の熱弁ぶりに、一体なにごとかと野次馬が集まってきたのだ。
「……しかし、この奇蹟を放置しておくと食べにくいだけ。そこで、ライスの民族大移動です! 約束の地を求めて、さぁ今こそ旅立ちのとき! エグ・ゾーダス!」
和紗のスプーンが神の手のようにライスの群れをとらえて、皿の中央へザザッと移動させた。そして再び、ルーとの海岸線が描き出される。
「どうですか? こうすれば、皿に残ったルーもごはんが綺麗に拭きとり、お皿は綺麗な状態を保てるのです。……ごちそうさまでした」
カチッと音を立てて、スプーンが皿に置かれた。
あざやかに完食されたその皿は、神々しいまでの白さを見せている。つい先刻までカレーライスが存在していたとは信じられないほどだ。
野次馬たちから拍手が湧き上がった。
それほど、和紗の食べかたはエレガントだったのだ。その洗練された手技は、カレーを食べるためだけに磨き抜かれた叡智の結晶であり、美の精髄であった。
「カレーを食べたのに、皿がこんなに綺麗だなんて……ウソ……ウソよ……!」
まるで浄化の魔法を浴びた悪鬼のように、あとずさりする亜矢。
そんな彼女の前に置かれたカレー皿は、描写するのもためらわれる惨状だ。一言で言うなら『ぐっぢゃああぁ……』である。チンパンジーだって、もうすこし綺麗に食べるのではなかろうか。
「エクセレント。おみごとでした。いまの樒君の手法は、『皿を汚さない』『他者に不快感を与えない』という点を突きつめた、理想のスタイルと言えるでしょう。……ただ、一点だけ問題があります」
教師のような物腰で、麗司は人差し指を立てた。
憐以外の全員が、おもわす注目する。
「樒君は言いましたね? ここはジャパンで、カレーも和食の作法にならうべきだと。……であれば、その手に取るべき得物はコレです!」
麗司が光纏すると、どこからともなくスポットライトが降りそそいだ。
そしてなんと! 彼の手にあるのは一膳の箸!
「箸でカレーを……!?」
さすがの和紗も、顔色を変えた。
「ええ。慣れれば簡単なものですよ。一般人でも、箸でカレーを食べる人は大勢います。私たち撃退士ならば、こんな芸当も可能ですしね」
と言いながら、麗司は箸でルーをつまんだ。
アウルを利用して、液体のルーを固体のように箸で挟んだのだ。これぞ、撃退士ならではの作法!
「な……なんという、アウルの無駄使い……」
絞り出された和紗の言葉に、一同は深くうなずいた。
「食べかただけでも色々あるものね。カレーも奥が深いわ……」
結希の背後では、無数の仮想スクリーンが無数のカレーライスを映し出していた。めまぐるしく切り替わるカレーの映像は、おなじものが一つとてない。目玉焼きを遙かに凌駕するバリエーションだ。
「ただ、色々あるとは言っても混ぜるのはナシね、見た目がアレっぽいから。わかるでしょ?」
「わかります。大便、すなわちウンコですね」
麗司が平然と言い放ち、場の空気が一瞬凍りついた。
亜矢がイスを蹴って立ち上がる。
「はァ……!? これのどこがウンコなのよ!」
「失礼しました。通常の健康なウンコではなく、おなかを壊したときの、いわゆるg
「やめろ、クッキー! 別方向から蔵倫が発動する!」
卍が怒鳴った。
「おっと、失礼しました。女性の前で語るような話ではありませんでしたね」
「男の前でも語ってほしくねぇぞ……」と、卍。
結希は溜め息をついて、話の続きをはじめた。
「……で、話をもどすけど。カレーの食べかたを追求するのは、目玉焼きより険しいわ。カレー単体でも辛さの違いがあるし、具材を変えれば味も変わる。トッピングがそれに拍車をかけるわ。代表的なのは、もちろんカツね。最強パターンを探すのは、目玉焼き以上に人生を捧げることになるわ」
「『もちろん』とは、聞き捨てなりませんね。大阪ではカレーのトッピングはタコ焼きと決まっています」
和紗が冷静に喧嘩を売った。
「はァ!? カレーにはコロッケよ!」
亜矢も黙ってはいない。
「……ん。カレーのトッピングは。カレー」
憐の頭の中はカレーだけだ。
いや、頭だけではない。彼女の肉体すべてがカレーだ。おおげさな表現ではなく、憐の体を構成する細胞はカレーを原料としている。いわば、カレーが形を変えて歩いているようなものなのだ。脳細胞もカレーが原料だから、基本的な思考がカレーなのである。
「……で、結局のところ、どうやって食べればいいんですかねぇ」
問いかける蛍千のカレーは、まだ一口も手をつけられてなかった。
「かきまぜて食べればいいのよ! お皿が汚れるからってなに!? 汚れたら洗えばいいじゃない!」
亜矢の主張は一貫していた。
が、ソース真理教の和紗も一歩たりと退かない。
「汚れたお皿は、すぐに洗い場へ運ばれるわけではありません。しばらくは食卓に残ります。その際、景観を損ねるのは厳然たる事実。おまけに、洗うときには洗剤の消費量が多くなります。地球環境への配慮のためにも、お皿は綺麗に使うべきです」
「たしかに環境問題は軽視できないわね」と、結希が同意する。
「みんな、難しく考えすぎちゃうか? 肩肘張らんと、もっと気楽に食べればええと思うで、おばちゃん」
ミセス盛りカレーを食べながら、ミセスが言った。
「そうそう、気楽に食おうぜ。ただし、かきまぜるのは禁止な」
どうやら鳴は、それだけは本当に許せないようだ。
「まぜたほうがおいしいって言ってるでしょ!? あと、のっけるのはコロッケだから!」
亜矢はもう、話しあいをする気ゼロだった。
「ちょっとみんな、冷静になって」
真剣な表情で、結希が場を落ち着かせた。
「もともと、この話しあいの本題は目玉焼きの食べかたよね? それがこじれた結果、カレーの話になってるわけでしょ? だとすれば、ふたつの問題を一手で解決する手段があるわ。それは……これよ!」
結希は目玉焼きをスプーンに乗せると、そのままカレーライスの上に乗せた。
「そう、目玉焼きカレー! これが、すべての問題を解決する唯一無二の方法よ! カレーの辛みと玉子の甘みが以下略で、白身の淡泊さが加わることによって辛さを引き立て以下略! しかも、ただ辛いだけではなく以下5000字略!」
その答えを前に、撃退士たちはしばし沈黙した。
が、じきに、誰からともなく賛同の声が湧いてくる。
「これはアリじゃねぇか……?」
「おばちゃん、よぉこうやって食べとるで」
「なるほど、これは盲点でしたね……」
「これをかきまぜれば、もっとおいしく!」
「ならねぇ!」
「これは確かに有りですが、ごはんは左のルールは守って下さい。それが日本文化です」
こうして、抗争は一応の終結を迎えた。
ウェンディスの目玉焼きは、いまカレーの上にある。
「ふむ。カレーに玉子は合うな。悪くない。……が、残ったライスとキャベツはどうするのだ? 目玉焼き定食がキャベツ定食になってしまったぞ?」
「キャベツにソースかけて、ごはんのオカズにしたらええわ」
ミセスが答えた。
「キャベツをオカズに!? ありえねぇ!」と、鳴。
「待って、問題はそこじゃないわ! キャベツに何をかけるか、よ!」
結希は再び真剣な顔になった。
すかさず、和紗の反論が飛ぶ。
「は? ソース以外ありえませんよ?」
「食品売り場のドレッシングコーナーを見ても、そんなことが言えるの?」
「ソースという完全無欠の調味料があれば、すべてのドレッシングは無用です。ただしマヨネーズだけは認めましょう。もちろんキャベツ用ではなく、お好み焼きやタコ焼き用として」
たちまち白熱する、キャベツ論争。
そんな騒ぎをよそに、憐はカラになった寸胴鍋をドスンと置いた。
「……ん。カレー。なくなった。次は。カレーパンの。食べかたを。議論する?」
喧々囂々、侃々諤々の議論は、このあと学食が閉まるまで続いた。
人類が平和を取り戻す日は遠い。