放課後。食堂の一部を借りて、ウェンディス・ロテリスの試食会が始まった。
一番手は亀山淳紅(
ja2261)。持参したのは『もずく』である。近くのスーパーで3個セット121久遠のセール品だ。
「まぁふつう食べるときお箸使うし、ちがうと思うんやけどね……」
ちょっとだけ言いわけして、もずくを差し出す淳紅。
ウェンディスは、一目見て首をひねる。
「これは何だ? ゴミか?」
「ゴミちゃうがな。これはもずく言うて、海に生える草やで。つまりは海藻を酢であえたもんやな。さっぱりしてて、食べたら血液さっらさらーなシロモンやで」
「血液がさらさらになると、なにか良いことでもあるのか?」
「そら、病気になりにくくなったりとか、色々あるやろ。健康が一番やで」
「そうか。俺の探しているものとは全然ちがうが、まぁ食べてみよう」
しかし、もずくを一口食べたとたんウェンディスはしかめつらになってしまった。口にあわなかったのだ。
「これは……どういう『味』だ? 人間はこれをうまいと感じるのか?」
「それはなぁ『すっぱい』いうんやで。知らんかったん?」
「知らんな。俺の味覚にはあわない」
ずい、ともずくを押しやるウェンディス。
それを淳紅が見とがめる。
「せや。これは依頼とは別件やけどな。お店で頼んだもん、あんま残したらあかんで? しかも自分で頼んだもんを残すんは『マナー違反』や。作ってもろたもんは基本的に完食! これ、すっごい大切なことやで」
「『マナー』か。聞き慣れない言葉だ。悪魔の世界にそんな概念はない」
「だったら身につけといたほうがええで。これから人間界で暮らすんやろ?」
「そうか。助言感謝する」
ぶっきらぼうに言って、もずくを一口で片付けるウェンディス。
淳紅がニッと笑って言う。
「ふふー。人間界にいらっしゃいませやね、ウェンディス君。ここは食の宝庫や。おなかいっぱい心いっぱい! おいしい物を召し上がれ♪」
それは、歌謡いにふさわしい美声だった。
つづく二番手のアンジェラ・アップルトン(
ja9940)は、最初から暗い表情だった。もずく酢がハズレだったということは、彼女の持ってきた『酢昆布』がビンゴであるはずはない。どちらも『すっぱい』属性である。すっぱいゆえに失敗。あ、ものを投げないでください。
「これも探しているものとは違うが、たしかに黒くて細長い。人間は色々な食いものを作るものだな」
そう言って酢昆布を口に入れたウェンディスは、ふたたびしかめつらになってしまう。
まぁそうだよね、と納得するしかないアンジェラ。
「ひとつ訊くが。人間は『すっぱい』食いものが好きなのか?」
「いや、そういうわけでもないんだが……。やはり口にあわなかったか?」
「ああ。俺は『すっぱい』味が嫌いなようだ」
「そういうことは先に言っておいてほしかったな」
「俺はこの味を知らなかった。説明のしようがない」
「なるほど。たしかに……」
アンジェラは肩を落とした。こうなれば、ほかの参加者に期待するしかない。
次にウェンディスの前へやってきたのは、各務(
jb4571)。
持参したのは、駄菓子のイカそーめんである。
「俺は、黒くて細長い食いものだと言ったはずだが。これは茶色だな?」
つまんだイカそーめんをしげしげと見つめながら指摘するウェンディス。
「たしかに『黒い』とは言えないかもしれませんね……。でもせっかくなので試してみませんか?」
「言われずとも食べる」
イカそーめんをポイッと口に入れると、ウェンディスはまたしてもしかめつらになった。
「なんだこれは。やけにかたいな。ゴムの一種か?」
「それはイカです。ご存知ありませんか?」
「これが? このまえ俺が食ったイカは白かったぞ。米と抱き合わせでグルグルまわっていた」
「ああ。それは多分、回転寿司ですね。生のイカは白いんです」
「なるほど。……で、これはガムのように吐き出せばいいのか?」
「ガムじゃないんで、飲みこんで大丈夫ですよ」
「タイミングがわからん……」
結局飲みこむタイミングがわからなかったウェンディスは、五分以上もイカそーめんを噛むハメになった。
四人目。雁鉄静寂(
jb3365)が用意したのは、近所のスーパー『龍虎乱部』で購入してきたレトルトのイカ墨ソースと、パスタだった。
「私の結論はイカ墨パスタです。黒くて長細いもの、まちがいないですね!」
「イカ? これもイカなのか?」と、ウェンディスが皿を見つめる。
「そうですよ。イカの墨です」
「人間はそんなものまで食うのか。イカにとっては災難だな」
ウェンディスはフォークを取ると、器用にパスタを巻きつけて口に入れた。
「俺の味覚にはあわない。……が、食べきるのが『マナー』だったか?」
「そうですね。でも、無理はしなくてもいいんですよ」
「無理ではない」
言うが早いか、あっというまに一皿たいらげてしまうウェンディス。食べ終えたとき、口のまわりは真っ黒である。
この時点で四人の料理が出されて折り返し点だが、彼の要求はいまだにどちらもクリアされていない。参加者たちの間に不穏な空気が漂いはじめる。
さて、次に料理を出したのはラヴ・イズ・オール(
jb2797)。
「ふふ。わかる。わかるぞウェンディスとやら。異邦人たるわしらにとって、食生活の違いは何といっても一番に気になる話。さあ食してみよ、庶民感あふれるこの黒き麺。貴様が何を求めているかは知らんが、これぞ人間界が誇るYAKISOBAじゃ!」
どんっ、と勢いよく置かれた皿に盛られているのは、ソース焼きそば。
言わずと知れたB級グルメ。青のりとカツオブシ、そしてソースの匂いが食欲をそそる一品である。
「これも黒くはないな」
さらっと駄目出しして、フォーク片手に焼きそばを食べはじめるウェンディス。
ものすごい勢いで麺をすすりながら、彼は訊ねた。
「この味は、なんと表現する?」
「それは……むずかしいのう。しいて言うなら『ソース味』じゃろうか」
「そうか。俺はこの『ソース味』が嫌いではないようだ」
「おお。では依頼のひとつは達成かの?」
「いや、それとこれとは別だ」
残念ながら、焼きそばもハズレである。
残り三人。
キャロライン・ベルナール(
jb3415)が買ってきたのは細巻きだった。いわゆる、かんぴょう巻きである。
「そのまま、がぶぅと食べれるものなのだが……。どうだろう? きみの要求を満たせるものだろうか?」
「俺の探しているものとは違うが、食べてみよう」
言われたとおり、がぶぅと噛みつくウェンディス。もぐもぐしながら「米と海苔は知っているが、この茶色いものは何だ?」と問いかける。
「それは『かんぴょう』だ」
「かんぴょう……。海のものか? 山のものか?」
「山のものだ。気に入ったのか?」
「悪くはない。が、俺の要求に応えたとは言えない」
「むぅ。難問だな……」
だれも正解を見つけられないまま、残るは二品。
「グルメな悪魔であるか……親近感が沸くであるな!」
無駄にマッチョなポーズをとりながら登場したのは、自称イケメン天使のマクセル・オールウェル(
jb2672)。
「『黒くて細長いもの』で、おそらく『箸以外で食べるもの』。心当たりはいくつかあったが……我輩が選んだのは、これである!」
ガツンとテーブルに置かれたのは、ガラス鉢に入った心太(ところてん)。その上に黒蜜がかけられている。
「これも違う。まったく、たよりにならんな……」
失望したように首を振るウェンディス。それでもとりあえず、と手をのばし──
一口食べるや、ウェンディスはパキッと指を鳴らした。
「この系統の味だ」
「おお。依頼達成であるか?」
「いや、おしいな。たしかに俺の味覚に沿う味だが……。あれを超えているとは言えない」
「『あれ』とやらの正体は皆目わからぬが、もしやおぬしは『甘い』ものが好きなのでは?」
「これは『甘い』というのか。なるほど」
「ならば! みくず殿! 出番なのである!」
マクセルに呼ばれて歩み出たのは、大食い悪魔のみくず(
jb2654)。
「ねぇ、いままで食べたものに『口にあうもの』なかったんでしょ? じゃあ、おもいきって主食系から遠ざかるのどうかなー、というわけで『羊羹』もってきましたー」
「それも俺の探しているものとは違う」
「まぁまぁ食べてみてよ。甘いもの好きなんでしょ? これは甘いよー?」
「そうか。どちらにせよ、おまえたちは俺の依頼を達成できなか……った、って、おおぅ? うまいな、これは! この味は『甘い』と言うのだったか? 甘いな、これは。甘い。うまい。これはあきらかに俺の探しているものを超えた甘さだ。やるな、小娘。なに? 羊羹? 羊羹と言うのか。ほほう。やるな、人間ども。小癪なマネを。くくっ。うれしい不意打ちじゃないか」
いきなりテンションが上がり、別人のようにまくしたてるウェンディス。たちまち一本完食し、「もうないのか?」などと言いだす始末である。
「あるよー。えーとね、これは栗羊羹。こっちが抹茶羊羹。あと水羊羹もあるよ。好きなの食べていいからね。あたしのオススメは水羊羹かなぁ」
「ほ、ほほう。一口に羊羹と言っても、これだけの種類があるのか。イカの件といい、人間の食欲は底知らずだな」
「だよね。人間すごいよね。でもね、もともと羊羹って羊肉のスープだったんだよ。だから漢字で書くと『羊』って字が入るでしょ? この羊スープが日本に伝えられたとき、宗教で肉が食べられない人たちが肉のかわりに小豆を入れたのが今の羊羹のはじまりなんだってさ。肉のかわりに小豆って、悪魔じゃ絶対そんなこと考えつかないよね。それにさぁ……」
延々と続く羊羹トリビア。みくずはちょっと──いや、だいぶマニア気質なのである。
「あー、料理やなくてお菓子系やったかー。気付かんかったなぁ」
くやしそうに頭を掻く淳紅。
「ウェンディス殿、甘いものが好きだというのなら、いちど私の店へ来るといい。MAPLEというカフェでな、クレープ、ワッフル、パフェ、アイスクリーム……各種とりそろえてある。失望はさせぬぞ?」
ちゃっかりと店の宣伝をはじめたのはアンジェラだ。それにしてもカフェを経営する彼女がなぜ酢昆布をチョイスしたのかは謎である。
そこへやってきたのはラヴ。手にしているのは大皿山盛りのソース焼きそばだ。皆で食べようと、人数分を用意していたのである。
「皆、腹をすかせておろう。わしのおごりじゃ。遠慮なく食べるが良い。食事というものは、こうして皆で食べることで美味さが増すのじゃ」
ジュワァァァァ……と、香ばしい匂いの煙を噴き上げるソース焼きそば。その攻撃力は一級品だ。鉄板で焼かれたソースの匂いは、カレーにも負けない破壊力を秘めている。おまけに、いまは放課後。腹の減っていない者などいない。
「わーい。いただきまーす」
一日五食のみくずが、遠慮も躊躇もなく真っ先に箸をのばした。
顔に似合わず美食派のマクセルも、「これはなかなかの逸品であるな!」と満面の笑顔だ。
キャロラインや静寂も手をのばし、みるみるうちにソース焼きそばは撃退士たちの胃の中へ。
「でも、結局正解は何だったんでしょう。とても気になります」
悪魔とは思えない繊細な手つきで焼きそばを食べながら、各務は誰にともなく言った。
「甘いものであることは間違いなさそうですね」と、静寂が応じる。
「私もそう思います。せっかくこうして集まったんですから、ウェンディスさんのためにも解決しておくべきかと……」
各務の言葉に、撃退士たちは「うーん」と頭を悩ませはじめた。
しかし、すぐに答えが出てくるはずもない。
「……ああ、そういえば、ポッキィという可能性を考えたのう。あれは黒くて細長いじゃろ?」
思い出したようにラヴが言い、ほかの七人は「あー、あるかも」などとうなずいた。
「あとは、麩菓子という考えも脳裏をよぎったのう」
あー、と納得する七人。
ウェンディスだけは、なにを言っているのかわからないという顔で、残り一本となった羊羹を名残惜しそうに食べている。
「なら、いまから駄菓子屋行ったらええんちゃう?」
これは名案とばかりに、淳紅が立ち上がった。
「その『駄菓子屋』というのは何だ? 料理屋か?」と、ウェンディス。
「「甘いもの売ってるお店!」」
何人かが同時に答え、アンジェラが補足した。
「すっぱいものも置いてあるがな」
「それは遠慮しておく」
ウェンディスが答えると、いっせいに笑い声が起きた。