音楽フェス当日。
早朝の公園で、大和陽子(
ja7903)は設営を手伝っていた。
すべてが有志の手で運営されるイベントなので、こうした手伝いは主催者からすると非常に助かる。撃退士なら、力仕事も楽勝だ。
やや離れたところでは、リーリア・ニキフォロヴァ(
jb0747)が清掃の手伝いをしていた。
なにしろ広い会場なので、いくら人手があっても足りない。
「けっこう大変だね、これ」
竹箒とゴミ袋を手に、柊悠(
jb0830)が言った。彼女もボランティアだ。
「こんなに広いとは思わなかったわねぇ」と、リーリア。
「まぁ、できる範囲で綺麗にしておこうか」
「そうね。もう少ししたら、広報の手伝いもあるし」
「私、召喚獣つかって宣伝するつもり」
「あ、それ名案」
そんなおしゃべりをする二人の向こうで、陽子は両腕に鉄パイプの束をかかえて走っていた。
この力仕事のせいで、陽子はおなかをすかせてしまったのだ。彼女に非はない。
開演前。
月乃宮恋音(
jb1221)と袋井雅人(
jb1469)は、屋台の準備に忙しかった。
ふたりが用意したのは、大量の味噌汁とおにぎり。
味噌汁は、合わせ味噌の豚汁、赤味噌のなめこ汁、白味噌の玉子汁などなど。
おにぎりも、梅、鮭、昆布といった定番から、ツナマヨや牛時雨など充実のラインナップだ。
「さすがですね! この、おろし生姜とおろし大根の味噌汁は最高ですよ! 僕への愛が染みこんでいます!」
などと言いながら、むさぼるように味見する雅人。
「……ぜんぶ食べたら駄目ですよぉ……?」
「大丈夫です! 大丈夫ですから! ……うおお、この豚汁の深みは……っ! は、箸が止まりません……っ!」
「…………」
本当に大丈夫かと不安になる恋音。
そこへ、チョッパー卍がやってきた。
「よぉ。おまえらも屋台やるのか。こりゃライバル登場だな」
「……はい、おはようございますぅ……」
「出ましたね! 焼きそばパンには負けませんよ!」
なにか勘違いしてる雅人。
「今日出すのは、ただの焼きそばだぜ? まぁよろしくな」
それだけ言うと、チョッパー卍は去っていった。
その数分後。開演を告げる放送が流れた。
「せっかくのステージ。ライブやらない手はないでしょっ!」
フェスの数日前。脳天気なほどの元気さで、鈴木悠司(
ja0226)はケイ・リヒャルト(
ja0004)とヤナギ・エリューナク(
ja0006)を誘ったのだった。
ケイもヤナギも「音楽フェスねぇ……」とか「やれやれだ」などと冷めた対応だったが、当日になると妙に乗り気だった。──そう。どれだけクールを装っても、真に音楽が好きな者は、その情熱を殺すことなどできやしない。しかも彼らは、メタルの愛好家。音楽に対する熱意では、だれにも負けはしないのだ。
「んじゃ、張り切って行こー!」
悠司は、ギターを手にステージへ上がった。
ヤナギがベースをかついで続き、ケイは自身の喉だけを武器に舞台へ立つ。
3人とも、黒を基調にしたゴリゴリのロックスタイルだ。
ドラマー不在で打ち込みなのが惜しい。
それでも、彼らがステージに並ぶと観客が集まってきた。
漂うオーラが、ただものではないと宣伝しているのだ。
「飛ばしてくゼー! ついてこいよッ!」
ヤナギのベースが、のっけから爆音を噴き上げた。
2サイクルエンジンのような唸りを吐き散らして、吼えまくるベース。その速さと正確さは、素人レベルではない。
イントロだけで観客は沸きかえるが、ヤナギは涼しい顔だ。
つづけて地鳴りのように轟きだしたドラムが、ベースと同じラインを刻み──
いきなりクライマックスを迎えるような苛烈さで、悠司のギターが切りこんできた。フルピッキングから迸る高速アルペジオは、まさにネオクラの様式美そのものだ。
前へ前へと突き進むメタルサウンド。
そのまま、緩急をつけずにケイのヴォーカルが滑り込んでくる。
「嗚呼 11月の夜 月の明かりが強すぎて……」
ヘヴィーな演奏に負けない声量だ。すきとおるようなクリスタルヴォイスが、まっすぐに青空へ突き抜けていく。
観客が沸いた。
目も当てられないような素人も多い中、この3人のパフォーマンスは上出来だった。否、上出来すぎた。その音に触れた者が続々と集まってきて、ステージ前にはあっというまに人だかりができる。
それを見て、ヤナギと悠司はニッと笑みを交わしあった。
ケイはステージの中央最前面に立ち、ふたりのバッキングを受けながら己の感情を解き放つようにサビを歌いあげる。
嗚呼 月が 眩しくて
アナタだけが 見えない
嗚呼 何を 望み待ちて
アナタだけを 呼んでるの
聞く者の耳を奪わずにおかない美声だ。
歌いきるとケイは後方へ下がって、ヤナギと悠司が前に出てくる。
そして繰り広げられる、爆速ギターソロ。
力強くも情感あふれる旋律は、いちど聴いたら忘れないほど印象的だ。
それをささえるベースは機械のように正確で、曲に重厚な空気を与えている。
ヤナギも悠司も、ひどく難しいフレーズを難なく弾いていた。
ヤナギはマシンガンのようなピッキングを披露しながら悠司やケイと絡んだり、客席の女の子にウインクしたりと、サービスに余念がない。
疾走感みなぎるリフが決まると、ふたたびケイが前面に立って歌いだした。
ほとんどミスのないまま3人は突っ走り、焼けつくほどの熱量を放ちながらフィニッシュ。
レスポールの残響が響く中、ステージは爆発的な喝采に包まれた。
3人はハイタッチをかわし、手をつないで客席へ頭を下げる。
が──
「うぉおい! 一曲だけかよ!」
「もっと見せろ! とくに女の子ぉぉ!」
「ざっけんな! アンコール!」
一曲で終わる予定だった3人は、思わず顔を見つめあった。
「……どうする?」
ケイが苦笑した。
「そりゃまぁ……盛り上げちまった責任は取らねぇとなァ?」
「そうこなくちゃ! あははは。やっぱり、ライブ最高!」
ヤナギと悠司は爽やかに笑い、ステージの左右へ分かれた。
彼らがアンコール責めから解放されたのは、およそ二時間後だったという。
「はっ、ほっ、それっ!」
遠くから聞こえるメタリックな轟音をBGMに、ゲルダ グリューニング(
jb7318)は手乗りヒリュウ芸を見せていた。実際に乗せるとちょっと重いので、密かに飛行させて重さを軽減している。
目の前には、『おひねりはこちら』と書かれたシルバートレイ。
観客は一般人ばかりなので、召喚獣を見慣れていない人は気前良く小銭を投げてくれる。ときどき裕福そうな人がお金を入れてくれると、「ありがとうございます。もっとほしいです♪」と、かわいい笑顔でストレートに要求。おかげで、集まった金額はかなりのものだ。
そうこうするうち空腹になってきたゲルダは、屋台通りのほうへ。
お人好しっぽいターゲットを見つけると、うるうる涙目で『それちょうだい』アピール!
「えと……お金がないのですかぁ……?」
狙われたのは恋音だった。
こくこくとうなずくゲルダ。おひねりは生活費にあてるので、使うわけにいかないのだ。
「うぅ……ひとつだけですよぉ……?」
ことわりきれず、おにぎりをあげてしまう恋音。
ゲルダはぺろりと食べて、『もう一個♪』とアピール。
恋音が断れるはずもなく、ゲルダは存分に腹を満たすのであった。
「僕の番ですね……」
ロシールロンドニス(
jb3172)は、深呼吸してステージへ出ていった。
金色のウィッグにベリーダンスの衣装で女装したロシールは、完全に幼女のベリーダンサーだ。
一部の、特殊な性癖を持った客たちが、めざとく集まってくる。
そして、ミュージックスタート。
アラビア音階特有のエキゾチックなメロディが流れだし、空気を染め変える。
ロシールは背を向けて立ち、両腕を高く上げてジルを鳴らした。
さらに両脚のグングルをシンクロさせ、腰をくねらせながらターン。
誘うような笑みと蠱惑的な舞いは、とても子供には見えない妖艶さだ。
観客は声援も忘れて、真剣に見入っている。
そして踊りがクライマックスにさしかかったところで、ロシールはウィッグとブラベルトを放り投げた。
男の子だと知った観客たちに、戦慄が走る。
だまされたと失望する者。これはこれでアリと開きなおる者。悲喜こもごもだ。
ロシールは素敵な笑顔を浮かべて、双剣を抜き放った。
ベルを打ち鳴らし、艶めかしく踊り続けながら、剣舞が演じられる。
撃退士らしい派手なアクションを見せつつ、最後は開脚ハイジャンプからの回転斬りで着地して大見得を切るロシール。
そこで初めて、観客たちは思い出したように沸きかえった。
そのころ。公園の上空を飛ぶ、金髪翠眼の天使がいた。
上雷芽李亞(
jb3359)だ。
神気にあふれ、竪琴を携えたその姿は、まさに女神テレプシコラ。
「ずいぶんと大勢の人間が集まっているな……。そうか、音楽の祭りか。……にしても、にぎやかなのは結構だが、少しばかり騒がしすぎる」
下界を見下ろしながら空中散歩する芽李亞は、おちつける場所を探していた。
やがて見つけたのは、オープンカフェスタイルの屋台。
見れば、疲れた感じの客が多い。
芽李亞はそこへ降り立つと、やおら竪琴を弾きはじめた。
思いつきの即興曲だ。技術を見せつけるような複雑なものではない。素朴で、繊細で、ほっと息をつけるような曲だった。
声援や拍手はないが、カフェの誰もが優しい響きに耳をかたむけている。
そのメロディラインへ、かぶさるようにアコースティックギターが入ってきた。
おだやかな曲調を崩さず、彩りを添えるような演奏だ。
だれかと思って、音のほうへ眼を向ける芽李亞。
そこにいるのは、藤井雪彦(
jb4731)だった。
ロマンチストかつフェミニストの彼にしてみれば、たった一人で楽器を弾いている女の子をほうっておくことなど、できはしないのだ。
芽李亞はフッと微笑み、雪彦のサポートを受け入れた。
雪彦は心の中でガッツポーズをとりながら『これを機会にお近づきに!』などと考えつつ、ギターの弦をはじくのだった。
会場のあちこちで楽しげなパフォーマンスが繰り広げられる中。
美森あやか(
jb1451)と美森仁也(
jb2552)は、のんびりと園内を歩いていた。
本来この時間は、部活で出している屋台の店番だったのだが、部長にたのんでシフトをずらしてもらったのだ。音楽好きなあやかのために、仁也が気を利かせたのである。
「本当に色々な人がいるんだな……」
仁也の言うとおりだった。
こっちに本格的なジャズバンドがいるかと思えば、あっちには一切楽器を持たないエアバンドがいたりする。ジャグリングやマジックを演じる者もいるし、比較的なんでもアリなのだ。
「ふだん聴かない音楽に会えるのも楽しいね」と、あやか。
「そうだね。あやかも参加すればいいのに。歌もピアノも上手だろ?」
「……だって、お兄ちゃんや智ちゃんの前でなら歌ったり演奏したりできるけど、大勢の人の前で演奏するのは嫌だもの」
「そっか。個人的には、あやかが仕事しながら歌ってるのを聴くのが一番好きなんだけどなぁ」
「そんな。あたしなんて普通だし、とくに誰かの指導を受けたわけでもないし……だいいち人前で歌うなんて、恥ずかしいよ……」
そう言って、あやかは顔を赤らめた。
「あやかが『普通』だなんて言ったら、この場の素人の人たちがかわいそうだと思うけどね。……まぁ、俺としてはあやかの歌を一人占めできるわけで、なにも問題ないけど」
「ひ、一人占めじゃないよ! 智ちゃんにだって聴いてもらうし!」
あやかの顔が、ますます赤くなった。
「はは。そうだった。……ところで、風が冷たくなってきたな。あやかは寒くない?」
「うん、大丈夫。……あ、でもせっかくだから、なにか温かいものでも食べようかな」
「じゃ、行こうか。あっちに屋台が並んでる」
「うん」
あやかが笑い、ふたりは手をつないで歩いていった。
「これは……予想以上に好評なのですよぉ……」
行列を前に、恋音はフル回転でおにぎりを作っていた。
「さすがですね! 愛の勝利です!」
雅人も大忙しで豚汁を仕込んでおり、ボケにもキレがない。
商売大繁盛だ。急に気温が下がって温かい汁物の需要が高まったせいもあるが、基本的には恋音の調理技術あってのこと。
そこへ、仁也とあやかがやってきた。
「味噌汁か。体が温まっていいかもな。どうだ、あやか」
「おいしそうだけど、行列が……」
「俺が並ぶから、あやかはベンチで座ってるといい」
「ううん。一緒に並ぶ」
「そうか? じゃあ、なににする? 色々あるみたいだけど」
「うーーん」
あやかが悩むのも当然だった。味噌汁は10種以上、おにぎりは20種以上そろっているのだから。
「これだけあると迷うな。……店員さんにオススメとか訊いてみる?」
「うん」
そんなやりとりのすえ、ふたりは豚汁と焼きおにぎりを手に入れた。
「ふむふむ。これは良い合わせ味噌ですね。おにぎりの焼き加減も申し分なし……」
すっかり料理人の顔になって評論するあやか。
仁也は苦笑しつつ、「あっちで演奏聴きながら食べようか」とエスコートするのだった。
「な、なんですか。あの紳士は……!」
仁也の背中を見つめながら、雅人は悔しげにゴボウをヘシ折った。
「たしかに、紳士的でしたねぇ……」
「なにを言うんですか! 僕だって負けませんよ! 今ここで、僕の紳士力と愛のパワーを証明します!」
言い放つや、雅人はミニエレキギター『JoyeuX T5』を抜き放ち、近くのステージへ突撃した。そしてギターを掻き鳴らしながら、高らかに歌いあげる。
「恋人への愛を歌います! 嗚呼、僕の心に輝く、ただひとつの星よ! その名は月乃宮恋音! 月乃宮恋音ぇぇ〜♪」
これでは、歌というより選挙の宣伝カーだ。
恋音は顔を真っ赤にして、屋台の陰に隠れる以外なかった。
屋台の建ち並ぶ一角に、チョッパー卍の焼きそば屋があった。
そこへ訪ねてきたのは、礼野智美(
ja3600)
「こんにちは。麻雀大会では、お世話になりました。音楽には特に興味ないんですが、うちの部でも焼きそばの屋台を出すもので、参考にと思って」
「そりゃ、いい心構えだ」
鉄板で麺を炒めながら、チョッパー卍は答えた。
「見たところ、ごく普通ですね。具はキャベツと豚肉だけですか?」
「ああ。モヤシでカサ増しなんかしないぜ」
「モヤシ入りも、おいしいと思うんですけどね」
「んなことは、俺の焼きそばを食ってから言え」
パック入りの焼きそばが、智美に突きつけられた。
「じゃ、いただきます。500円ですね」
「ちょっと待ったぁ!」
そこへ、光の速さで亜矢が走ってきた。
「そんなものより、コロッケを食べなさい!」
「え。屋台やってるんですか?」
「やってないけど、あっちにコロッケの屋台があるから!」
「いや、私は焼きそばのリサーチに来たんで……」
何なんだ、この人。と言いそうになる智美。
あきれたようにチョッパー卍が言う。
「おまえは、どこまで俺の邪魔をする気だ」
「気が済むまでよ!」
堂々と言い返す亜矢。
智美は、残念なものを見るような顔で溜め息をついた。
女性は護るべきものだが、この人は……。
こんな撃退士にはならないようにしようと、強く心に誓う智美だった。
屋台ストリートの片隅で、悠とリーリアはタコ焼きを焼いていた。
否。正確に言えば焼いてるのは悠で、リーリアはつまみ食いしてるだけだ。
「もう! リーリアってば、食べすぎ!」
「いいえ、これは味見よ? つまみ食いなんて、人聞きの悪い」
「味見と称して3パックぐらい食べてるでしょ!」
「そんな、まさか。それにしても、この玉子。ダシが染みてて最高ね」
売り物のおでんを無造作に口へ入れるリーリア。
「つまみ食い禁止! 怒るよ!」
「おふぉららい、おふぉららい」
「飲みこんでからしゃべって!」
そんな苦労をする悠の前に、救世主陽子が現れた。
「ちょっと聞いてよ。リーリアってば、さっきから……って、なんで陽子まで勝手に食べてるの!?」
「うわ、この大根おいしい! つみれもいい味出てるよ! はんぺんフワフワ!」
「ちょっと! お金払って!」
「え? これ味見だよ?」
「そんな豪快な味見はないから!」
「よし、おでんもタコ焼きも問題なし! オールグリーン! じゃ、あたし行くから!」
「カネ払えええ!」
嵐のように走り去る陽子の背中に向かって、悠は大声を張り上げた。
陽子が次に目をつけたのは、恋音の店だった。
「きみ、久遠ヶ原の学生でしょ? つまり、あたしの後輩。ということは、ちょっとぐらい先輩に奢ってくれるよね?」
「え、えとぉ……まぁ、一杯なら……」
「ありがとう! 豚汁は飲み物だよね! いくらでも入っちゃうわー!」
ぐびぐびと豚汁を飲み干し、もぐもぐとおにぎりを頬張る陽子。
「あ、あの、一杯だけという話では……」
「だから『いっぱい』でしょ?」
「そ……そういう作戦ですかぁぁ……!」
「ごちそうさま! ……おっ、あっちにも後輩発見!」
陽子が見つけたのは、チョッパー卍の店だ。
すかさず突撃して、おなじ作戦を繰り返す陽子。
「馬鹿言え、なんで奢らなけりゃならねーんだ!」
「だって、ここの焼きそばおいしそうだし?」
「理由になってねぇ!」
「なにやら、もめてるようだね」
押し問答する二人のところに、雪彦がやってきた。
「話を聞いてたんだけど、僕が奢れば丸く収まるんじゃない? どうかな、おねえさん」
「あら。なんて良い子なの! 遠慮なくごちそうになっちゃうよ!」
「そのかわり、すこしだけボクと一緒に過ごしてくれないかな。せっかく、こうして言葉を交わしたんだ。ボクは、この出会いを大切にしたい」
歯の浮くようなセリフを決めて、ムーディーなギターを爪弾く雪彦。
「もぐもぐ、ずるずる、はぐはぐ」
キザなセリフも、ムード満点なギターも、陽子の耳には届いてないようだった。
会場には有志の厚意で様々な楽器が用意されているが、とりわけ噴水広場に置かれたグランドピアノは注目の的だ。
午後二時からの一時間、このピアノはユウ(
jb5639)のものになる。
「さすがに、緊張しますね」
「心配無用ですよ。あれだけ練習したんですから」
応じたのは、Rehni Nam(
ja5283)
その手にあるのは、自前のヴァイオリンだ。カジュアルな薄桃色のフリルドレスに、白のボレロが映える。
一方、ユウが身につけているのも、おそろいのフリルドレス。ただし色は薄水色で、反対色のペアになっている。
「では、よろしくおねがいします。たのしんで演奏しましょう」
そう言って、ユウはピアノの前に腰を下ろした。
「はい。コンクールではありませんし、明るく、たのしく、ですね」
Rehniもヴァイオリンをかまえて、弓を弦にそえた。
聴衆が静まりかえる。
演奏開始直前の一瞬。薄氷のような緊迫感。
直後、Rehniの手から最初の一音が紡ぎ出されると、張りつめた空気は瞬時に溶け落ちた。
歌劇『こうもり』序曲。
はじけるようなヴァイオリンがアレグロ・ヴィヴァーチェで走りだし、力強いピアノの打鍵が追走する。
一瞬のブレイク。
そして二つの楽器が絡み合い、華やかな二重奏が始まった。
ときに優しく、ときに激しく連打されるピアノの響き。
そのリズムに乗って、ヴァイオリンが流麗なメロディを織り上げる。
ところどころミスはあるが、ふたりとも気にしない。ただただ、音楽をたのしむことだけを、音楽のたのしさを伝えることだけを考えている。
曲は滞りなく進行し、やがて印象的な三拍子が刻まれると、心の浮き立つようなワルツが回りだした。
このあたりまで来ると、広場に集まった聴衆は完全に聴き入っている。
出ては消える円舞曲。
そして迎えた最終部では、暴圧的なアッチェレランドが炸裂。力ずくで聴衆をねじふせた。
一瞬後、広場を埋めつくす大歓声。
「ふぅ……。うまく行きましたね。ありがとうございます」
ユウが言った。
「お礼を言うのは私のほうです。……けれど、演奏時間はまだ残ってますよ。練習の成果をすべて見せましょう」
「もちろん。次も、たのしく、派手に行きましょう」
二曲目は、歌劇『ルスランとリュドミラ』序曲。
乱痴気騒ぎみたいな曲が二つ続いて、観衆のボルテージは上がる一方だった。
会場では、老若男女さまざまな参加者が、思い思いに音楽をたのしんでいた。
ステージを独占して観客を熱狂させるメタルバンドもあれば、クラシックで観客を陶然とさせるペアもいる。
しかし。いま、この瞬間。会場で最も熱い声援を浴びているのは水竹若葉(
jb7685)だった。
ただし、視線を受けているのは彼女ではない。ステージ上の透過型スクリーンに映る、電子の歌姫だ。
複数のプロジェクタから立体的に投影された3Dモデルは、まさに新時代のアイドル。
ミュージカル風に構築された舞台は圧巻で、見た者の足を止めずにおかない。
いましも、ステージでは騎士に扮した孤高の歌姫が戦場へと赴くところだった。
迎え撃つのは、これもまた美麗な女騎士。
DTMで作られたソリッドな音が、勇壮に、盛大に、ドラマを盛り上げる。
生の楽器をいっさい使わない硬質な音色は、ある意味で非人間的だ。
が、それをもって音楽を否定することなど誰にもできない。
事実、若葉のステージを見た者は例外なく目を釘付けにされている。
無理もない。この音楽フェスでこんな舞台を実演したのは、彼女が初めてだ。
やがて。短くはない物語の果てに、最後の戦場が訪れる。
吹きわたるシンフォニーは、運命を予兆するように儚げだ。
その響きがゆっくりフェイドアウトすると、様相は一転。めざめた悪竜の咆哮を思わせる歪んだ管弦の雄叫びが、観客の度肝を抜いた。
そして、騎士の矜持を賭けた戦いが始まる──
亀山淳紅(
ja2261)と亀山幸音(
jb6961)は、地領院恋(
ja8071)と一緒にステージに立っていた。
亀山兄妹は、デュオでヴォーカル担当。
恋は、音楽ではなくペインティングのパフォーマンスを見せる段取りだ。
「おー。結構お客さん入っとんなぁ。幸音、緊張してへんやろな?」
「大丈夫。何万人の観客より、お兄ちゃんの前で歌うほうが緊張するもん」
「それ、緊張してるっちう意味ちゃうか?」
「あ……っ!」
そんな兄妹を見て、恋は苦笑した。
3人とも、紅葉の季節らしい燃え立つような色の衣装をまとっている。
「ほな、はじめよか」
淳紅はスタンドマイクのスイッチを入れ、だれにともなく呼びかけた。
「みなさーん。いまからちょっと変わったパフォーマンスやるんで、おヒマなら見とってくださーい! ほな、いきまっせー!」
曲が始まった。ややスローテンポの、明るい曲だ。
亀山兄妹はステージの左右に立ち、中央に恋が陣取って観客に背を向ける。
そのまま、ステージ背面の巨大なキャンバスめがけて恋は絵筆を走らせた。曲のリズムにあわせて、踊るように、なめらかに。
イントロが終わると淳紅のテノールが艶やかに空気を染めて、聴衆の耳を奪い去った。
その後ろでは、恋が淳紅の背中から伸びるように植物のモチーフを描いている。淳紅の歌声をイメージした、力強くも繊細なタッチの絵だ。
曲のパートが変わると、淳紅に代わって幸音が歌いだした。
こちらは、空へ舞い上がるようにクリアなソプラノだ。
「「幸音ちゃん、かわいいー!」」
客席から、悠とリーリアの声援が飛んだ。
幸音は満面の笑顔で手を振る。
恋は幸音の後ろに立ち、淳紅と同じように彼女の背から枝葉のようなものを描き出していた。優美な筆使いとカラフルな色彩は、幸音の声をキャンバスに写し取ったものだ。
亀山兄妹の実力を見せつけ、期待感をふくらませたところで、曲は最初の山場へ。
ハローハロー 感度良好
進路はいかがですか どうぞ
兄妹の声が重なって、完璧なハーモニーを見せた。
観客はヒートアップし、淳紅は腕を振り上げて「ごいっしょに!」と煽る。
「「ハローハロー」」 通信良好
結構厳しい道のりです どうぞ
変わらず空は回ってて 目が回るそんな日々も
ぐらつく世界の中笑う 36.5℃の星を見つけられたら
「「ハローハロー」」 届いて欲しい
箒星の様に駆けていく 君の背中に
「「ハローハロー」」 聴こえるように
何度でもまた 笑って泣いて歌うから
ステージ上の3人と観客の声がぶつかりあい、響きあって、地面を揺らすほどの大合唱になった。陽子とリーリア、悠の3人が、ものすごい大声を出している。予想以上の反響に、煽った淳紅が驚く始末だ。
曲はペースダウンして、ふたたび緩やかなパートに。
恋は曲が終わるまでに絵を完成させようと必死だった。指の間に挟まれた無数の筆は、刃物のような鋭さでキャンバスを裂き、分断して、無の空間に新たな世界を作り上げる。目のくらむ速さでキャンバス中央に箒星が描かれたかと思えば、数秒後には鳥に変化している。みごとなデッサン力だ。
やがて二度目のクライマックスが訪れ、津波のような大合唱が鳴りやむと、亀山兄妹の背景には色鮮やかな翼が描き上げられて──
ワアッ、と歓声が爆発した。
日が落ちて、空も暗くなってきた。
が、人の数は減らない。逆に増えている。
そんな中。川澄文歌(
jb7507)と八手橋はのん(
jb7543)は、緊張ぎみな顔でステージに立った。ふたりおそろい、ワインレッドのひらひらワンピース。それに、うさみみカチューシャとネコしっぽを装備!
「今日は、来てくれてありがとうございますですぅ!」
マイクを手に、はのんが言った。
「おおおお!」と、雄叫びが返る。
はのんは、駆け出しのアイドルなのだ。まだ少ないながら、ファンもいる。
一方、文歌もアイドルめざして修行中の身。
ふたりとも、今日のライブでステップアップしようと考えているのだ。このステージに上がる前には、設営を手伝ったり、ファンと握手したり、好感度を上げるのも忘れなかった。おかげで、ファンの期待は高まっている。
「声援ありがとうございます。精一杯歌いますので、聴いてください」
文歌が頭を下げ、同時にアップテンポのダンスチューンが流れだした。打ち込みシンセの軽い音だが、ダンスに合わせるには都合が良い。
ふたりは最初、ぴたりと動きを止めてポーズをとり、歌いだすと同時に動きはじめた。
歌も踊りも少々荒削りだが、そのあたりが逆にファンの萌えツボを刺激して『見守ってあげたい!』という気分にさせる。もっとも、腹黒いはのんは計算ずくでやっているかもしれないが。
撃退士の体力から繰り出されるダンスは、じつにアクロバティックだ。ジャンプやターンのたびにスカートが翻り、パンツがチラチラと。
それを気にもせず、天使の微笑をふりまく腹黒はのん。
文歌も持ち前の音感とセンスで、高いパフォーマンスを見せつける。
ファンサービスは完璧だ。観客との一体感という点では、ぶっちぎりで優勝かもしれない。
夕闇が迫る中、大勢のファンがサイリウムを揺らしている。
抜群の手ごたえに、文歌とはのんは視線を交わして笑いあった。
軽快にドライブするダンスミュージックは、サビに入るとシフトチェンジしてスピードアップ。
煽り立てるビート。はずむシンセサイザー。
文歌とはのんは、ステージ上を所狭しと動きまわり、歌いあげる。
最後は完璧なユニゾンで声をそろえ、どこかの魔法少女みたいなポーズを決めた。
割れんばかりの歓声が上がり、ふたりは当然アンコールに応えなければならなかった。
「チョコバナナ安いよー。ひとつ400円だよー」
やる気なさそうにガムを噛みながら、影野恭弥(
ja0018)はチョコバナナの屋台を開いていた。
バナナとチョコを仕入れて加工するだけの、簡単なお仕事だ。
競合店がいないため、意外と売れる。
そこへ、Rehniとユウがやってきた。
「屋台なんて珍しいですね」と、Rehni。
「祭りに便乗して、少々稼がせてもらおうと思ってな」
「じゃあ私も協力しますね。ひとつください」
「毎度あり」
「お、レフニー。ここにおったんか」
声をかけたのは淳紅だ。幸音と恋もいる。
「あら、ジュンちゃん。……あの演奏、わかった?」
「もちろん。すぐわかったで」
ふたりにしかわからない会話をかわして微笑む、淳紅とRehni。
「レフニーさんですよね? はじめまして! いつもお兄ちゃんがお世話になってます!」
高鳴る胸をおさえるようにしながら、幸音が言った。
「あなたが幸音ちゃん? はじめまして、レフニーです。私のほうこそ、いつもジュンちゃんのお世話になってて……」
そんな会話の中へ、陽子、リーリア、悠の3人が姿を見せた。
「あっ、チョコバナナ発見! 当然おさえておかないとね!」
あれだけ食べたというのに、まるで食欲が衰えない陽子。
リーリアは幸音に声をかけて、「よかったよ、あのステージ」と賞賛した。
「うんうん。すごくかわいかった」
タコ焼きをモグモグしながら同意する悠。
「あ、ありがとうございますなの!」
幸音はペコンと頭を下げると、思い切ったように切り出した。
「あの、せっかくこうして揃ったんですから、みんなで何かやりませんか?」
「なにかって……缶蹴りとか?」
チョコバナナをかじりながらボケる陽子。
「ち、ちがいますよ! 音楽のことです!」
「おお。ええな、それ」
淳紅が賛同した。
「じゃあ、うちはギター!」
リーリアは、やけにテンションが高い。
「私はピアノ……と言いたいところですが、さすがに無理ですね」
残念そうにユウが言った。
「ピアノとはいかないが、キーボードなら向こうにある」
恭弥が指差した先には、電子ピアノが一台。
「これは……やるしかありませんね」
ユウは、ぐっと拳を握りしめた。
こうして、偶然あつまった9人は閉幕の時間まで演奏をたのしんだのであった。