「依頼を受けていただいて、ありがとうございました。本日はよろしくおねがいします」
昼下がりの公園。居並ぶ八人の撃退士を前に、黒川桂子は深々と頭を下げた。
こちらこそ、と紳士的に返礼したのは、男性陣三名。
逆に、女性陣はぶっきらぼうな感じで答える者が多い。
無論、桂子が美人だからというわけでもないだろう。たまたま、そういう資質の撃退士が集まっただけのことだ。
「私も昔は撃退士の仕事をしていたのでわかりますけれど、こういう依頼はあまり引き受けたくないものでしょう? ですから、こうして引き受けてくださったあなたがたには本当に感謝してるんです」
そう言って、ふたたび頭を下げる桂子。
常磐木万寿(
ja4472)がスッと歩み出て、やわらかい声で応じる。
「いえ、むしろ私は今回のご依頼を率先して引き受けさせてもらいました。私自身は、この手の届かないところで両親を天魔に奪われてしまったので……。なんと言えばいいのかわかりませんが、とても共感します」
「……ありがとう。あなたも、つらい経験をお持ちなんですね」
万寿に限らず、撃退士には暗い過去を持つ者が少なくない。たとえば七瀬歩(
jb4596)は弟を天魔に殺されているし、鬼無里鴉鳥(
ja7179)は悪魔の牙による烙印を自らの首筋に刻み込まれている。ほかの撃退士たちも、おおよそ天魔に対して恨みを持たぬ者はない。
「ま、奇特な依頼だが、気持ちはわかるさ。あたしだって自分のスレイブがそういうことになったら、自分でって思うしな」
つっけんどんに言って、どこか恥ずかしそうに頭を掻くSadik Adnan(
jb4005)。現実にはスレイブ(召喚獣)が天魔化することはないのだが、まだ子供であるSadikはその事実を知らない。
「ほかの者に殺されるなら、いっそ己が手で……とは、まぁ理解できなくもないが。端的に言って、くだらんよ」
冷たく言い放ったのは鴉鳥だ。
たちまち桂子の表情が暗くなり、撃退士たちの責めるような視線が鴉鳥に浴びせられる。
それを意に介さぬかのような口ぶりで、鴉鳥は続けた。
「そも、それは既に死んでいる。自分の手でと言ったところで、手遅れであろうが。……自責で子殺しの業など負う必要もなかろうに」
言葉だけを見れば辛辣だが、それは鴉鳥なりに依頼人を心配しての発言だった。
その思いが伝わったのか、桂子は表情をゆるませて「そうですね」とだけ応じる。
あとには誰も口をきかず、重苦しい沈黙が訪れて、葬儀場のような空気が一同を支配した。
ただひとり周愛奈(
ja9363)だけは、ことの深刻さを理解しておらず、周囲をキョロキョロ見まわすばかりだ。彼女はまだ幼い。子供を持つ親の心も、子供を殺された親の心も、殺された子供をもういちど我が手で殺さなければならない親の心も、とうてい理解できるはずがないのだ。
「ねぇ、あなたはいくつ?」と、桂子が問いかけた。
「七歳です」
「そうなの? 私の息子と同じね……」
愛奈の頭を、桂子がそっと撫でた。まるで、失った我が子を慈しむように。
そのやさしい手で、彼女はこれから我が子の始末をつけなければならないのだ。
この俊敏なディアボロを生け捕りにするため、撃退士たちは仕掛け網と阻霊符による作戦を主眼にすえた。ほかにも個人個人で策はあるが、基本的には網に追い込んで絡め取る方針だ。
彩・ギネヴィア・パラダイン(
ja0173)とアートルム(
ja7820)の二人は、鬼道忍軍らしい器用な手つきで淡々と網を張っていく。この網は万寿が学園から借りてきたものだ。全員の財布から集めて購入という案もあったが、借用申請が簡単に通ったため無用な出費をおさえることができた。
黙々と作業をつづける二人のところへ、クジョウ=Z=アルファルド(
ja4432)がやってくる。
「久しぶりですね、クジョウさん」
声をかけたのはアートルムだ。
「ああ、おまえか。久しいな。……で、罠はどんな感じだ? うまく捕らえられそうか?」
「やってみなければわからないのが正直なところですが、悪くない感じだと思いますよ。パラダインさんがすごく器用で、罠もうまく仕掛けられましたし」
「私が器用? そうですか?」
眼鏡のフチを指先で持ち上げながら、彩(サイ)はアートルムのほうを見た。
「言われたことありませんか? すくなくとも私には器用に見えます」
「ああ。趣味でマジックをやっているから、そのせいかもしれませんね」
サイはコートのポケットからペンを取り出し、かるく振ってみせた。右手の指先でつまんだそのペンを、左の拳の中へ押し込んでいく。拳のサイズより遙かに長いペンはたちまち拳の中へ吸いこまれてしまい──。拳が開かれると、ペンは跡形もなく消えていた。
おお、とアートルムもクジョウも声をあげる。
彼らの後ろでパチパチと手を叩いたのは、愛奈と桂子。
今日、桂子が少しでも笑顔を見せたのは、この瞬間だけだった。
やがて日が暮れはじめ、公園の時計が六時をまわるころ。それは西の空からやってきた。
報告どおり、カラスによく似た姿。ひとつだけ普通のカラスと違うのは、足が片方失われている点だ。
その姿を目にしたとたん、撃退士たちの脳裏にイヤな想像が浮かんだ。
もともと片足がなかったのでは──という想像だ。
無論、だれもそんなことを訊けはしない。だいいち、訊いたところで何の意味も成さないのだから。
「では、手はずどおりに」
サイは、アートルムと愛奈を引きつれて身を隠した。
彼女ら三人は仕掛けた罠を起動させるチームだ。
残り五人は、ディアボロを罠に追い込む役を務める。
桂子はサイたちの横に身をひそめ、状況に応じて囮になる作戦だ。
単純な策だが、はたして上手く行くだろうか──。
そのディアボロは、なんの迷いも見せず歩めがけて突っ込んできた。
まさか自分が狙われると思わず牽制射撃をするつもりでいた歩は、思わず慌ててしまう。しかも彼女が陣取っているのは滑り台の上だ。うまく身動きが取れない。
「ち……っ!」
まだ実戦経験の少ない彼女に、完全な冷静さを保つことは難しかった。それでも、必死に考える。撃つべきか、攻撃を受け止めてつかまえるべきか。
考える時間は三秒もなかった。
つかまえることを選んだ歩の頭を、ディアボロが素早く蹴りつける。
「つっ」
思った以上に痛いが、せいぜい猫に引っかかれた程度の痛みだ。その痛みと引き替えに手をのばす歩。だが、そのときディアボロはもう十メートル以上も後方にいた。
「はや……」
その俊敏性に、歩だけでなく全員が驚きを隠せなかった。
ただ素早いだけの敵だと、少々甘く見ていたかもしれない──。
一同の間に、不穏な空気が流れだした。
懸念は現実のものになった。
撃退士たちはディアボロを罠に追い込むためのルートを考えてスタンバイしていたが、そもそも空には『ルート』などない。上下左右どこにでも行けるのだ。思いどおりに誘導するのは不可能に近い。
メンバー全員が『人間』だったのも良くなかった。空を飛べる者が何人かいれば、この作戦でうまくいったかもしれない。しかし、地上から武器を振りまわすだけでは到底うまくはいかなかった。
それでもどうにか追い込もうと、『全力跳躍』で武器を振るクジョウと鴉鳥。ふたりをサポートするべく万寿と歩が銃弾を放つが、まったく相手を捕らえきれない。Sadikのヒリュウも上空から標的を追いまわすものの、まるで速度が違う。
さすがに彼らもすぐ気付いた。この方法では駄目だということに。
しかし、策はまだある。
「黒川さん、出番です」
サイに促されて、桂子が姿を見せた。
もしかしたらディアボロが母親の顔を覚えているかもしれない。それでおびきよせることができれば──という作戦だ。
結果から言えば、ディアボロは彼女のほうを見向きもしなかった。
そもそも、歩とSadikの二人以外は眼中にもないのか、ほかのメンバーのほうへは近付いてこない。歳の近い子供と遊んでいるつもりなのだろう。もし愛奈が隠れていなければ、一番に狙われたに違いない。
「駄目か。……やむをえんな。少々痛い目を見てもらおう」
鴉鳥が手に取ったのは、鋼の糸。目に見えないほど細く、標的を絡めとり肉を切り裂く残酷な武器だ。無論手加減はするが、命中すればかなりの傷を負わせるのは間違いない。
「殺しはせぬが……墜ちろ」
キュゥッと糸が鳴り、鋼のように輝く銀色の髪が風に揺れた。
その指先から不可視の一撃が放たれようとする、寸前。
「待って! やめてください!」
桂子の手が、鴉鳥の腕を押さえていた。
「なんだ? 安心しろ。殺しはせん」
「殺さないと言ったって……。糸で切り裂かれる姿なんか見たくないんです。おねがいですから、あまりひどい目にあわせないでください」
桂子は元撃退士だ。鋼糸に切り刻まれて血みどろで死んでいった天魔を見たこともある。
「わからんのか? あれはもう息子ではないのだぞ? こういうことになるのは覚悟してきたのではないのか?」
「わかってます。わかってるんです。……でも、できるだけ怪我をさせないように……おねがいします」
「……まぁ、善処はするが」
理屈ではないのだ。この依頼人が感情に囚われていることは最初からわかっていた。しかし、それにしても──。
予想以上に厄介な依頼だったことを、鴉鳥だけでなく全員が改めて痛感した。
戦闘とも言えない戦闘が始まって、十五分が過ぎた。
夕闇の色はいよいよ深くなり、視界も悪くなるばかり。決め手を欠き、罠を有効に使いきれない撃退士たちは、ディアボロの素早さに翻弄される一方だ。
とくに歩とSadikは何度も頭をつつかれたり蹴られたりして、髪がボサボサだった。まさに鳥の巣状態だ。完全に遊ばれている。
「そーだキュー! 逃がすなよ! 追え追え! あー、そっちじゃない! あっちだ、あっち!」
ヒリュウを操るSadikは、どこか楽しげだ。鬼ごっこに興じている気分なのかもしれない。そんな彼女と戯れるように、カラスに似たディアボロは羽のように軽く、矢のように素早く飛びまわる。
実際、そのディアボロは遊んでいるだけなのだ。
そして、Sadikは遊び相手として適任だった。キューというヒリュウの存在も、かなり大きい。
「私の息子は、三歳のとき事故で片足を失ったんです」
Sadikと鬼ごっこをつづけるディアボロを見つめながら、桂子は不意にそんなことを口にした。
万寿とサイが、はっとしたように顔つきを変える。
「あまり良い義足が手に入らなくて、生前は家の中にこもりがちだったんですが……。こうして天魔になったことで自由に動きまわれるというのは、皮肉なものですね」
万寿もサイも、返す言葉が思い浮かばなかった。なにを言っても救いにならないことがわかりきっているのだ。なぐさめの言葉も、はげましの言葉も出てこない。ただただ無言でいる以外なかった。
「すみません。こんな話を聞かされても困りますよね。ただ、撃退士のあなたたちなら少しは私の気持ちを理解してくれるかと思って……」
「……私は、理解しますよ」
万寿の言葉は短かったが、やさしく響く声は彼の心の豊かさを証明するかのようだった。
そのあとを継ぐように、サイが言う。
「理解できるからこそ、止めなければなりませんね。……これをためしてみます」
彼女が取りだしたのは、銀色のトレーだった。
それをかざしてみせたとたん、あたらしいオモチャを与えられた子供みたいに一直線に向かってくるディアボロ。そして──
夕闇につつまれた公園を、街灯の明かりが照らした。
拘束されたディアボロは、桂子の腕の中で激しく暴れている。彼女にとってこのディアボロは息子の成れの果てだが、ディアボロにとって彼女は単なる敵でしかなかった。それも、遊ぶのを邪魔する最悪の敵だ。暴れるのは当然と言える。
「ああ、手が傷だらけ……。痛そう……」
まるで自分が傷つけられたように、痛そうな顔をする愛奈。
一方、桂子は痛みなど感じていないかのような顔つきで、そっとナイフを抜き出した。
「本当に……自分でやるのか?」
様子をうかがうように問いかけたのは歩だ。
「母親の気持ちって、俺にはわかんねぇけどさ。もしかしたら、自分の子供が他人を傷つける前に始末を……とか考えてるのか? でも、自分の手で殺したらこの先ずっと苦しむんじゃねぇか? だからさ……なんだったら、俺が代わりにやろうか?」
「ありがとう。……でも大丈夫。こう見えても私は撃退士だったんですから。ディアボロを始末するぐらい、かんたんに……」
桂子はナイフを逆手に握りなおすと、切っ先をディアボロの胸に当てた。
このナイフはサイズこそ小さいものの、立派なV兵器だ。天魔を滅ぼす力を秘めている。刃を突き立てれば、このディアボロはあっというまに動きを止めるだろう。『死ぬ』のではない。機能を停止するだけだ。ゆえに、この行為は『殺す』のではなく、『始末をつける』と言うのがふさわしい。
「ママを許してね、ヒロト……」
傷だらけになった手の甲に、涙のしずくがひとつ落ちた。
同時に、銀色の刃が突き刺される。
「ギィッ」という声を発して、ディアボロの真っ黒な翼がぱたりと落ちた。
そのまま、沈む太陽の最後の光が消えるまで、だれも口をひらく者はいなかった。