依頼を受けた八人は、陽動班と隠密班に分かれて行動開始した。
陽動班には、伊達時詠(
ja5246)、恵夢・S・インファネス(
ja8446)、諸伏翡翠(
ja5463)、ジェラルド&ブラックパレード(
ja9284)
隠密班には、佐藤としお(
ja2489)、雨宮歩(
ja3810)、秋桜(
jb4208)、江戸川騎士(
jb5439)
陽動班は意図的に目立つよう振る舞い、夾司に追っ手の人数を誤認させることで隠密班の網に捉えようという作戦だ。
「……ったく、イカレ殺人鬼かよ……。そういうバカには、相応の結末が必要だよなぁ……?」
ジェラルドは、妙に浮かれた顔で森の中を走っていた。
やや離れたところを同じ速度で走るのは、妹の翡翠。
陽動班の彼らは、夾司に見つからないことを演じながら、じつは見つかるように動いている。
「そうだね。もし私が相手の立場なら……」
ここに来るまでの間に警察から情報を得た翡翠は、できるかぎり犯人の立場で状況を考えていた。
自分が警察や撃退士に追われる立場なら、どう行動するか──。
無論、逃げるだろう。それも、忍軍のスキルを使って。
潜行で気配を消したり、壁走りで木を登ったりするかもしれない。戦うという選択はないはずだ。警察から得た情報だと、夾司が殺害したのは一般人ばかり。戦いが好きな戦闘狂ではなく、弱い女性を一方的に嬲って殺すのが趣味の快楽殺人犯だ。撃退士と戦うようなリスクは負うまい。
脳をフルに回転させ、耳を澄ませて、女の勘を働かせながら走る翡翠。
しかし、広大な森の中でたった一人の人間を見つけるのは容易ではない。
二人ともナイトビジョンを装備しているとはいえ、夜の闇も厄介だ。
「どんな悪条件だろうと、絶対に捕まえる……。犠牲者のためにも、撃退士の名誉のためにも……」
翡翠の決意は、いつにも増して固かった。
「この分だと、思った以上に手間取りそうかな……」
おなじく陽動班の恵夢も、邪魔な枝葉や下生えの雑草をザフィエルブレイドで斬り払いながら走っていた。
コンビを組むのは時詠。
すこし距離をとりつつ、ふたりは翡翠たちと正反対の方角から森へ踏みこんでいく。
恵夢はナイトビジョン、時詠は『夜目』で、暗闇対策は十分だ。
「あるー日、森の中ー、殺人鬼に、出会ーったー♪」
時詠は、やけに緊張感のない歌を口ずさんでいた。
もちろん、声には出してない。心の中で歌っているだけだ。
しかし実際のところ、この瞬間に時詠たちは夾司と出会っていた。
といっても、夾司が一方的に彼らを見つけただけだ。無音歩行と遁甲の術で気配を殺した忍軍は、簡単には見つからない。
もちろん夾司は戦闘を挑むはずもなく、足音を殺して逃げ去るだけ。
陽動という目的は達したが、隠密班は彼を捕捉することができるだろうか──
「ヤツが自分を優秀な忍軍だと思っていれば、そこが狙い目……」
騎士は、いざというときのためにスキルを温存しながら、慎重に森の中を進んでいた。
ところどころにテグスのトラップを仕掛け、おそらく包囲しているであろう夾司の行動範囲をせばめてゆく。地味ながら効果的な策だ。本来トラップを用意する時間はなかったが、たまたま持っていた釣竿が功を奏した。
しかし、これは諸刃の剣だ。トラップの存在が露見すれば、夾司に余計な警戒心を与えることになる。
はたして、鬼が出るか蛇が出るか──
「八十人殺しとか、また派手な……。人間界に来てからの私よりも、ずっと悪魔らしいことをしてるジャマイカ」
ハイド&シークを使いながら小声で呟くのは、秋桜。
木の陰に隠れ、光が漏れないよう手で画面を覆いながら、スマホを操作している。
GPSで全員の位置を確認しつつ、ぬかりのないよう包囲を絞っていく構えだ。
引きこもり派の秋桜にしては珍しくアクティブだが、スマホの画面を見つめてニヨニヨと笑う姿は、いつもどおり。
それでも、任務に対しては真剣だ。
この犯人が悪魔にでも見つかったら、ディアボロやヴァニタスにされかねない。
実際のところアウル能力者を天魔化するのは非常に難しいのだが、不可能ではないのだから。
万が一にもそんなことになる前に、人間としてきっちり落とし前をつけさせねばなるまい。
「ここにいるのは間違いない、ねぇ。死者が呼んでいるよ、ボクらを」
皮肉っぽい笑みを浮かべながら、歩は風の中に立っていた。
ゆるく吹きつけてくる夜風には土の匂いと草木の匂いが含まれているが、その中に微かな腐臭が感じられる。ふつうの人間には感じ取れないほどわずかな匂いだが、命をかけた殺しあいを好む歩にとって、死の匂いは身近なものだ。嗅ぎ分けられないはずがない。
「ボクらより遙かにベテランの先輩かぁ。……きっと、カビの生えたような技術の持ち主なんだろうね」
歩は遁甲の術と無音歩行を併用しながら、木々の間を移動していた。
忍軍の彼にとって、今回の相手は比較的わかりやすい。どのスキルを使って、どう逃げるか、手に取るようにわかる。ナイトビジョンも装備しており、構えは万全だ。あとは、慎重に追い込んでゆくのみ──
「こんな暗闇の中で、しかも忍軍のエキスパートみたいな人を見つけて捕まえるって、マジ難しい依頼だよ……。ま、愚痴ってばかりもいられない。絶対に捕まえなきゃね」
眼鏡のふちを指で押し上げながら、としおは『夜目』と『索敵』で夾司の居場所を探っていた。
『鋭敏聴覚』も使っているが、おそらく無音歩行しているであろう夾司の足音は拾えまい。
夜目も索敵も回数には限りがあるから、使うのは何らかの痕跡を見つけたときだけだ。たとえば、不自然に折れた枝とか、靴痕とか。気配や姿をくらますことはできても、そこに人間が存在したという痕跡を完全に消し去ることはできない。
そして──
三度目の索敵で、ついにとしおはターゲットを発見した。
しかも、相手はこちらに気付いてないようだ。
としおは息をひそめ、そっとライフルをかまえた。──が、射程に捉えるにはもうすこし近付く必要がある。
慎重に。慎重に。
枝や枯れ葉を踏まないよう、細心の注意を払って近付く。
無音歩行があれば……と思うとしおだが、ないものは仕方ない。
夾司は茂みに身を伏せて、周囲の様子をうかがっているようだった。眼光は鋭く、いま気付かれずにいることが奇跡としか思えないほどだ。
木の陰に身をひそめながら、としおは決心した。もう、これ以上は近付けない。見つかってしまえば、全力で逃げる夾司に追いついて射撃するのは不可能だろう。射程範囲におさめられているかわからないが、撃つしかない。
撃ちこむのは、もちろん『マーキング』だ。
人生で一番ではないかと思うほど慎重にライフルをかまえ、としおはトリガーに指をかけた。
引き金は、闇夜に霜の降るごとく引け──
ビスッ、という音がして、夾司の脇腹にアウルの弾丸が突き刺さった。
「ちぃ……っ!」
夾司は立ち上がると、小太刀を抜いて『迅雷』で襲いかかってきた。
てっきり逃げると思い込んでいたとしおは、虚を突かれて斬撃を浴びてしまう。
「なに……!? 逃げないのか!?」
「マーキングをぶちこまれたのはわかってる。おまえを殺して強制解除だ」
「……っ、迂闊だったか……!?」
実際、少々迂闊ではあった。知能の低いディアボロなどと違って、人間はマーキングを撃たれたまま何も考えず逃げたりしない。ましてや夾司は、撃退士のことを知り尽くしているのだから。
「くたばれ、ガキ!」
夾司の刃が、としおの首筋をかすめた。
危うく頸動脈を断たれるところだ。
としおは回避に専念しながら、スマホに向かって呼びかける。
「犯人を発見した! 交戦中だ! 応援たのむ!」
「仲間が来る前にバラしてやるよ!」
夾司の毒手が、としおの腹部に突き立った。
さらに、銀色の刃が胸元を横一文字に切り裂く。
「は、速い……!」
身を守ることに集中しているとはいえ、インフィルトレイターのとしおに接近戦は荷が重かった。もしも彼が駆け出しの撃退士だったら、この場に無惨な屍をさらしていただろう。しかし、これまでに培ってきた戦場での経験が、彼を救った。
「大丈夫ですかっ!?」
全力跳躍で二人の間に割って入ったのは、大剣を手にした恵夢だ。
それを見て、夾司の目つきが変わった。
「おお? いい体してんじゃねぇか。俺のコレクションに入れてやる!」
「気色の悪い……。この変質殺人者め! あなたのような人には! 手段はッ、『選ばせてもらう』!」
大剣で斬りつけると見せかけて、恵夢は靴底で夾司の足を踏み抜いた。
「最も最も最も残酷な……『手加減』だッ!」
「ぐが……っ!」
夾司の左足の指が何本か折れた。
フェイントがみごとに決まった形だが、無論この程度で諦める男ではない。
「ガキふたりぐらい、簡単にブッ殺してやるよ!」
狂ったように目をギラつかせながら、夾司は恵夢に襲いかかった。
が──
「ふたりではありませんよ?」
夾司の背中に、時詠のマーキングが命中した。
「三人か……ッ!」
夾司は身を翻すと、なりふりかまわず逃げだした。
一対三では勝ち目がない。マーキングの持続時間は十分間。それだけ逃げ続ければいいと判断したのだ。
しかし、そのとき彼はもう完全に包囲されていた。
「逃がさないぉ!」
「ぬぁ……っ!?」
秋桜のゴーストアローが命中して、夾司は横ざまに吹っ飛んだ。
そこへ、ハイド&シークで近付いた騎士が『氷の夜想曲』を発動させる。
この状況で眠りに落ちてしまえば、確実に終わりだ。
が、ここは夾司が執念で凌いだ。がばっと立ち上がり、迷いなく走りだす。
遁甲も無音歩行も使っていない。足の速さだけで逃げきろうとしているのだ。
「は、速……っ! 速すぎるぉ!」
あっけにとられる秋桜。
騎士も、時詠も、恵夢も、としおも、誰ひとり追いつけない俊足ぶりだった。
そこへ立ちふさがったのは、ジェラルドだ。
「おおっと。逃がさないよぉ?」
黄色く輝く金属の糸が、夾司を薙ぎ払った。
スタンして倒れる夾司──と見えたものは、身代わりとなったジャケットだ。
「ここは通しません!」
ジェラルドの背後から、翡翠が現れた。
村雨がうなり、神速の一撃が叩きこまれる。
が、夾司はこれを悠々と回避。
そのまま全員を振り切って、わきめもふらずに逃走劇を──
その直後。
ジャラッという金属音が響いて、真っ赤な鎖が夾司の全身に絡みついた。
先回りしていた歩が、『探偵式拘束術』を放ったのだ。
「く……。影縛り系の技か……!」
夾司は一歩も動けないまま、歩の心臓めがけて影手裏剣を投げつけた。
当たれば致命傷に成り得る攻撃だが、そんなものを食らう歩ではない。笑みさえ浮かべながら手裏剣をやりすごした彼の手から、ワイヤーが一直線に伸びて──夾司の足首をやすやすと貫いた。
「なんだ、逃げ足以外たいしたことないねぇ。無様に這いつくばりな、堕ちた阿呆。探偵がおまえを捕まえに来たよぉ」
歩は楽しげに笑って、もう一方の足首もワイヤーで切り裂いた。
「ち……っくしょう……」
回復スキルを持たない夾司は、どうすることもできず膝をついた。
その姿を見下ろしながら、歩は上品なしぐさで帽子をかぶりなおす。
「音桐探偵事務所所長、雨宮歩。おまえを捕えた探偵の名前さぁ」
「気取ってんじゃねぇ……!」
夾司の右手が懐に入り、拳銃を抜いた。
「往生際の悪い男だねぇ。さぞかし女の子にモテるだろうよ」
「てめぇだけでも道連れだ!」
「おおっと、足が滑ったぜぇ?」
拳銃が火を噴く寸前。ジェラルドの脚が水平に振り抜かれて、夾司の側頭部を蹴り飛ばした。
一般人なら脳挫傷を起こすほどの、強烈な蹴りだ。
横倒しに薙ぎ飛ばされた夾司は、丸太のように地面を転がった。
ジェラルドはゆっくりと近づき、倒れたままの夾司をサッカーボールみたいに蹴りつける。
「てめぇよぉ? なに勘違いしてんだよ? おまえみたいなハンパなサイコパスが良い気になってんの、虫唾が走んだよ! 自分より弱いヤツをチートで殺してキモチィィーってか? この変態野郎が! くたばれよ、オラ!」
いつもの陽気な性格が嘘のように、ジェラルドは文字どおり目の色を変えて夾司を蹴りつけ、踏みつけた。
一発ごとに呻き声を上げながら、必死に体を丸めて耐える夾司。
アウル能力者とはいえ、これだけ蹴られれば骨の二、三本は折れているだろう。
「お兄ちゃん! それ以上やったら死んじゃう! 気持ちはわかるけど、いまは抑えて!」
翡翠がジェラルドの背中に抱きついた。
ハッと我に返ったジェラルドは、泥だらけになった夾司を見下ろして「ふぅ」と溜め息をつく。
「……っと、いけないいけない。よっぽど気にいらなかったみたいだねぇ。でも自業自得だよね、こいつの場合」
反論する者は一人もいなかった。
「理由はどうあれ、殺人はダメです」
倒れたままの夾司に向かって、諭すように時詠が告げた。
「どんなに殺したい……そう、たとえばミンチ機で指の一本一本まで挽き肉にして鮫の餌にしたい相手でも……逆さ吊りにして足の裏から硫酸を一滴ずつ垂らして人肉スープにしてから豚に飲ませたいほどの相手でも……殺したらダメです」
黒いオーラをただよわせて、にっこり微笑む時詠。
「どんな人にでも、家族や友人、たいせつな人がいるでしょう? 神ならぬ私たち人間がそれを奪うことは、けっして許されません」
夾司は何も応えなかった。口を開く気力もなくなったのかもしれない。
「私からの説教は、以上です。あとは警察と裁判所にまかせましょう」
それだけ言うと、時詠はくるりと背を向けた。
「……さて、警察が来るまでこのままってわけにもいかないよな」
騎士はテグスを取り出すと、夾司の腕を背中に回して縛り上げた。のばした糸を首に引っかけて、動いたとき首が絞まるように固定する。
さらにズボンを下げて裾を結び、正座させて太腿をベルトで締め上げる。
夾司は抵抗する術もなく、なすがままだ。
「まぁ自殺するタマには見えないが、舌を噛まれたりすると面倒だしな」
と言いながら、騎士は夾司の口に靴下をつっこんだ。
最後にアイマスクをかぶせれば、完全制圧だ。
「なんで、あんなに手慣れてるのかぉ。まるで誘拐犯だぉ……」
秋桜がボソボソつぶやいた。
「まぁ、これで一件落着。僕以外だれも怪我がなくて良かったよ。雨宮さんのお手柄ですね」
胸の傷を応急手当てしながら、としおがホッと息をついた。
「いやぁ、マーキングをぶちこんだ人たちのお手柄さぁ。あれがなけりゃ、包囲される前に逃げてただろうよ、このマヌケな犯人は」
「もし初弾を外してたらと思うと、ぞっとしますね」
そう言って、としおは夾司を見た。
八十人を殺した殺人鬼。死刑は免れないだろう。
しばらくは──あるいは死ぬまで、忘れそうになかった。