暗い夜だった。
空に月は見えず、夏の星座が弱々しい光を放つばかり。
その星明かりの下。冷たいアスファルトに三つの死体が転がっていた。
じめじめした空気は血の匂いを孕んで淀み、呼吸することさえ困難なほどだ。
「この、クソが……」
焼けつくオーラを纏いながら、鮫嶋鏡子は唇を震わせた。
眼前に立っているのは、使徒とサーバント。どちらも、ほとんど無傷だ。
「ホントに弱いなぁ。僕、撃退士と戦いたくてシュトラッサーになったんだけど? 期待ハズレもいいところだよ」
浅黒い肌の少年が、心底つまらなさそうに言った。
鏡子はギリッと歯を軋らせ、怒りに全身を震わせる。
肩からは夥しいほどの血が流れているが、致命傷ではない。まだ戦える。
だが、『戦える』だけだ。誰の目にも、鏡子の勝ち目はない。このままならば。
「キミはヤケクソになって強力な武器とか出さないの? それとも貧乏だから持ってない?」
「てめえには、こいつで十分だ」
鏡子の両肘には、パイルバンカーが装備されている。炸薬代わりのアウルで鋼鉄製の杭を打ち出す強力な武器だが、ここまで一度も命中してはいなかった。
「あ、そう。じゃあ遊びは終わりだね。そのオモチャごと、両腕を切り落としてあげるよ」
あくび混じりに言い放つと、少年は構えもとらずに歩きだした。
「やれるもんなら、やってみやがれ!」
鏡子は死ぬ気だった。
死ぬ気だが、負けるつもりはない。彼女にとって、敗北を認めなければ、それは敗北ではない。
そう。たとえ死のうと、心さえ折れなければ──
「ちょォっと待ったァー!」
そのとき。
甲高い声を上げて疾風のように走り寄ってきたのは、黒百合(
ja0422)
手には闇より黒い大鎌が握られ、星の光を照り返している。
「ふぅん……? 新手の登場かな?」
使徒の少年はスッと剣を持ち上げ、右手だけで構えをとった。
片刃の、日本刀のような剣だ。
黒豹そっくりのサーバントが一歩前に出て、少年を守るように陣取る。
「さァ、パーティーの時間だァ! まずは、あいさつがわりに食らっとけェ!」
十メートル以上も離れた場所で、黒百合は大鎌を薙ぎ払った。
ブンッ、という風切り音とともに、鎌の走り抜けた跡から無数の棒手裏剣が実体化する。
その全てが、使徒とサーバントを狙って飛翔した。
「お……っ?」
少年の顔色が変わった。
が、それだけだ。超然とした笑みを浮かべたまま、少年は一歩も動かない。
動かずに、彼は冷静に左手をかざした。
赤黒いオーラが指先に輝き、サーバントの背中へ吸いこまれてゆく。
次の瞬間、一ダースほどの棒手裏剣がサーバントに突き刺さった。
少年には一本も当たっていない。サーバントが身を挺してかばったのだ。
「へぇー。お姉さん、強そうだねぇ」
「あァら、ありがとう。でも、あなたは弱そうねェ。これがよけられるゥ……?」
黒百合の右手が高く掲げられ、なにもない空間を握りしめた。
その拳から絞り出されるのは、真っ黒な霧状のオーラ。
一瞬後には凝固して、黒曜石に似た刃と化している。
そして無造作に投げつけられた黒刃は、あっさりとサーバントの頭部に命中した。
「いいねぇ。あとから来る人たちがお姉さんと同じぐらい強ければ、たのしめそうだ」
少年は無邪気な笑みを浮かべると、再びサーバントに手をかざした。
今度は白い光だ。おそらく、回復の魔法だろう。
そこへ、エイルズレトラ マステリオ(
ja2224)が駆けつけた。
手には武器を持っていない。かわりに、何枚ものカードが指の間に挟まれている。
「素早さが自慢だと聞きましたが、これはどうですか?」
挑発的な言葉とともに右腕と左腕が振り下ろされ、Xの軌跡を描いた。
音もなく投擲されたカードは、ザクッと鋭い音を立ててサーバントに突き刺さる。
「ふぅん。安い攻撃だなぁ」
アハハッと笑いながら、少年はサーバントの頭を撫でた。
回復魔法を使う必要もなかったということだろうか。
そもそも、反撃する気配が一切ないのは、どういうことなのか──
次に攻撃を加えたのは、鷺谷明(
ja0776)
全身を覆う斑紋状のオーラは禍々しい闇色に染まり、妖しく蠢いている。
口元に張りついた笑みは如実に彼の狂気性を示し、悪寒を誘うほどだ。
「かわいい使徒よ。私の攻撃を受けてみるかね?」
つかみかかる明の右腕が、みるみるうちに獣のそれと化した。指先まで獣毛が生えそろい、爪は肉食獣のような凶器となっている。見るからに凶悪な攻撃だ。
「かわせ、静」
使徒の命令に応じて、サーバントはひらりと身をかわした。
直後。その胴体に、四条和國(
ja5072)の放った影手裏剣が突き刺さる。
「たしかに素早いようですが、とらえきれない相手ではないようですね」
「ふ……。ただの雑魚だろう、あんなもの」
そう応えて、明はククッと笑った。
「キミたち、四人とも忍軍だね? 速さで対抗しようってわけ? でも、しょせん人間だからなぁ……。あ、『人間の忍軍』って面白くない?」
パンッと手を叩いて、少年はくだらないことを口にした。
無論、だれも笑わない。
ただ、明だけは常に微笑を浮かべている。その不敵な笑みは、使徒の少年が見せる笑みと同種のものだ。
つまり、彼は楽しんでいるのだ。この戦いを。少年と同じように。
享楽のためならば命も惜しまない。そういう人種。
撃退士の中には、そういう者が少なくない。黒百合も同種の人間だ。
おなじ匂いを嗅ぎとった少年は、ますます楽しげな顔になる。
「忍軍でない者もいますよ」
言葉と同時に、龍崎海(
ja0565)の手から白鶴翔扇が投げ放たれた。
真っ白なきらめきが流星のように夜空を走り、真正面から使徒を狙う。
「当たると思うの? こんな攻撃」
言いながら、少年は一歩だけ横に動いた。
ただそれだけで、扇は標的を失ってしまう。
と思いきや、少年の背後で扇の軌道が変化した。まるでブーメランのように。あるいは、獲物を捕らえるツバメのように。
「残念だけど、見たことあるんだ、それ」
正面を向いたまま、少年は一歩動いて元の位置に立った。
扇は再び目標を失い、そのまま海の手に戻る。
直後、使徒の背後から青白い光が迫った。
バリバリと大気を引き裂いて夜を明るく染め抜くのは、Erie Schwagerin(
ja9642)の放った一条の稲妻。
それと交差するように、エリーゼ・エインフェリア(
jb3364)が雷槍ブリューナクを投擲している。
さらに別の角度から飛んでくるのは、灰里(
jb0825)のロザリオから生み出された、幾本もの光の矢。
三人同時の一斉攻撃だ。その交点に立つ少年とサーバントには、逃げ場がない。
すくなくとも、いずれかは命中するだろう。
だれもがそう思ったとき、少年は空高く跳躍していた。
飛行ではない。ただのジャンプだ。しかし、その高さは軽く十メートルを超えている。
サーバントも悠々と少年の動きについていき、空中で一回転して両者は同時に着地した。
「分断するのは難しいか……?」
最後に駆けつけた日下部司(
jb5638)は青いオーラを引きながら、槍をかざしてサーバントへ打ち懸かっていった。
黒豹に似たサーバントは牙を剥き出しにして威嚇の咆哮を上げるが、無論そんなことで怯む撃退士は一人もいない。
「弱い犬ほど、よく吠えるってね」
司のディバインランスが一直線に繰り出され、サーバントの頭部を狙った。
しかし、かすりもしない。
「これ、犬じゃなくて豹だからね? わかってる?」
とぼけたことを口にする少年。
その間にも、何かの強化スキルをサーバントに付与している。
どうやら、それが彼の戦闘スタイルらしい。
「あははははは! さァ、逃げろォ! 逃げろォ! 全身バラバラに解体処分されたくなかったら死ぬ気で逃げまどえェ!」
黒百合が狂気じみた笑い声をあげて、何本もの影手裏剣を投げつけた。
サーバントは再び跳躍して、そのすべてを避けてしまう。
しかし、着地したところへエイルズレトラが立ちはだかり、カードの嵐を叩きこんだ。サーバントの四肢にカード状のオーラが無数に貼りつき、動きを封じ込める。
「あなたたちが素早いのは、よくわかりました。でも脚が動かなければ意味ありませんよねぇ?」
「ふぅん。どうやら、この中じゃキミが一番スピードあるのかな?」
問いかけながら、使徒の少年はサーバントの背中に触れた。
なんらかの術が発動して、四肢を拘束していたカードは塵のように消えてしまう。
「さぁ、どうでしょうね? おそらく、わかったときには死んでいることでしょう。それより、逃げてばかりで攻撃してこないのは何故ですか? 人間の手足を切り飛ばすのが好きな残虐きわまるシュトラッサーだと聞きましたが?」
「うん。僕は残虐だよ。だから、キミたち撃退士の攻撃なんてかすりもしないんだってことを魂に刻み込んでやってから、殺すわけ。わかる?」
「たいそうなことを言ってますが、できもしないことを偉そうに語るのは恥ずかしいですよ?」
「そういうことは、僕に一発でも当ててから言うべきだね」
「では、お見せしましょう。マジシャンの技術を」
「お手並み拝見だね」
次の瞬間、ふたりの間を金属製の糸が走り抜けた。
明の放ったアルビオンは意思を持った生物のように波打ち、曲がり、使徒の顔面を狙う。
「無駄無駄」
キンッという音がして、糸は剣の側面で受け止められていた。
ほとんど目に見えない極細のワイヤーをよけずに受けるとは、超人的な動体視力と反射神経だ。──が、人を超えているのは当たり前のこと。彼は人類であることを捨て去って、天界の眷属となった者なのだから。
「まぁた、これかぁ。糸とか扇とか、なんなの? お座敷芸? もっとさぁ、剣とか槍とか、そういうので戦ってくれないかなぁ。女の子じゃないんだから」
そこへ、上空から青白い槍が落ちてきた。激しい稲光をともないながら、サーバントの背中めがけてブリューナクがうなりをあげる。
猫のような身ごなしで跳びのくサーバント。
しかし、穂先がかすめていたのか、黒い獣毛の一部が焼け焦げている。
「ふふ……っ。魔法の槍はどうですか?」
エリーゼは光の翼を羽ばたかせながら、無邪気な笑顔で問いかけた。
少年は彼女を見上げながら答える。
「ああ、悪いけど魔法は好きじゃないんだよ、僕」
「でも、回復や強化の魔法は使っているようですけれど?」
「え……? いやいや、それはいいんだよ。僕が気に入らないのは攻撃魔法だけさ」
くだらない問答だが、少年が初めて動揺を見せた瞬間だった。
「魔法が嫌いなの? だったら、たぁっぷりブチこんであげる。ほぉら、串刺しになっちゃいなさい!」
Erieの右腕が突き出され、手のひらに紫色の電流が流れた。無秩序に這いまわるスパーク状の電流はあっというまに一ヶ所へ集中され、一本の雷光として束ねられる。
そして、放電。
サーバントが跳びのいたところへ、見計らっていたように灰里の鎖鞭がヒットした。
嫉妬の悪魔レヴィアタンの名を冠する、魔鉱の鎖鞭だ。ナイトウォーカーたる灰里の手から振るわれたその一撃は、天界の眷属にとって痛烈なダメージとなる。サーバントの喉から、苦痛の鳴き声が漏れた。
「ふ……。魔界の鞭は痛かろう?」
灰里の顔に、冷たい笑みが浮かんだ。
彼女は戦いを楽しむタイプではない。ただ、天魔に対する憎悪と怒りは並みならぬものがある。
「あんまり静をいじめないでほしいんだけどなぁ。僕に攻撃が当たらないからって、こいつばっかり狙うのは卑怯だと思うよ?」
「天魔の口から『卑怯』などという言葉が出てくるとは……。笑わせてくれますね……」
吐き捨てるように言う灰里は、笑うどころか汚物を見るような目をしていた。
一方、少年は終始笑顔を絶やさない。心の底から、この戦いを楽しんでいるのだ。
「そんなこと言ってるクセに、ちっとも笑ってないじゃん? おもしろければ笑いなよ。そんなマジメくさった顔してないでさぁ。……ほら、行くよ?」
言い終えた直後には、少年の姿が灰里の眼前に迫っていた。
十メートルほどの距離を、文字どおり一瞬で詰めたのだ。
灰里の背中に、冷や汗が湧きだした。予想以上の速度だ。戦いの中で『この程度だろう』と判断していたスピードを、はるかに上回っている。この使徒は、いままで手を抜いていたのだろうか──
「く……っ!」
灰里は声を失い、全力で後ろへ跳びのいた。
が、その判断も、その行動も、なにもかも遅かった。
少年の右手が斜めに振り上げられ、銀色の剣光が緩やかな曲線を描く。
ビシュッ、という音がして、剣の軌道が灰里の右肩を通り抜けた。
「がァ……ッ!」
血しぶきが飛び、灰里の右腕は刹那のうちに断ち落とされていた。
切断された腕は宙を舞って血液をまきちらし、ドサッとアスファルトの上に落ちる。
「あははっ。天界の剣は痛いでしょ?」
「ぬぅぅぅぅ……!」
灰里の口からは、うめき声しか出てこなかった。
「まずい! さがれ、灰里!」
海が怒鳴り、灰里と使徒の間へエイルズレトラが割って入った。
しかし。その横を神速の早さで走り抜けて、使徒が灰里の眼前へと迫る。
「バランスがいいように、もう一本のほうも落としてあげるよ」
「ちぃ……っ!」
灰里は左腕で拳銃を抜こうとしたが、とうてい間に合うものではなかった。
無論、逃げることも出来ない。背を向けて走りだした瞬間、腕でも脚でも、好きなように斬られるだろう。最悪、両手両脚をバラバラにされかねない。だが、それならまだ手術でつながるからいい。首を斬られれば、すべて終わりだ。
「二本目もらっちゃうよー?」
宣言どおり灰里の左肩めがけて放たれた剣撃を、黒百合の大鎌が受け止めた。
「いいわァ。あなたの戦いかた、とても素敵よォ……?」
「強いお姉さんに誉められると、すこし照れるなぁ」
鍔迫り合いには持ちこまず、少年はサッと後ろへさがった。足を止めて力勝負にしてしまうような愚は犯さない。
「援護します! 灰里さんは、すぐに回復を!」
和國が黒百合の横へ並び、そのあとに明も続いた。
エイルズレトラも使徒の背後から迫る。
四人の忍軍たちに囲まれて、さすがの使徒も追撃の手が止まった。
「灰里、その腕を拾って今すぐ病院に行け。俺たちのスキルで腕をつなげることは出来ない」
海が言うと、灰里はやむなくうなずいた。片手では戦力にならないうえ、へたをすれば自分のせいで他の者が危険に陥る。
「すみません。任務の成功を祈ります」
「いいから早く行け。きれいに斬られてるから、簡単につながるはずだ」
医療関係に詳しい海にとって、その程度の見立ては造作もないことだった。
ただひとつ無念に思うのは、自分の手で回復してやることができないという現実だけだ。
「途中脱落とは申しわけありませんが、あとはよろしくお願いします」
それだけ言い残すと、灰里は戦場を離脱した。
「あれ? あの人、帰っちゃうの?」
少年が不思議そうに言った。
その背後から、明が刀で斬りかかる。
「おしゃべりをしている場合ではないと思うがね?」
「あはは。ホントに怖いお兄さんだなぁ」
振り向きざま、少年は横っ飛びに身をかわした。
そこへ、和國が火蛇をしかける。
「当たると、やけどするかもしれませんよ……?」
巻物を手に、黒い炎のようなオーラを噴き上げる和國。舞い散る桜の花弁は夜目にも美しく、血臭ただよう戦場にわずかばかりの救いを見せる。そのオーラは渦巻くように右腕へ絡みつき、彼自身の腕を焼き尽くさんばかりの勢いで燃え上がった。
ゴォッ、という音が大気を震わせ、灼熱の火焔流がほとばしる。
無論、当たればやけど程度では済まない。
「だから、魔法は嫌いなんだってば」
のんきな調子で言いながら、ひょいと身をかわす少年。
本当に、一発も当たらない。サーバントを盾にする場面もあるとはいえ、この敏捷性は異常だ。
「みんな、脚を狙え! 動きを止めるのが先だ!」
海が大声を張り上げた。
応じるように、Erieの雷撃が路面すれすれの高さを突き抜ける。
同時に、四本の影手裏剣が別々の角度から襲いかかった。
「バカだなあ。ただでさえ当たらないのに、脚を狙うなんて」
少年が軽くジャンプしただけで、すべての攻撃は空を切ってしまう。
「……っ!」
己の指示が間違っていたことを悟り、天をあおぐ海。
そもそも、当初の作戦としてはチームを二つに分けて集中砲火でサーバントを早々に撃破し、そのあと全員でシュトラッサーを叩く予定だったのだ。ところが現場へ来てみれば、サーバントは全く主のもとを離れない。計算外だ。
しかし、後悔している暇などなかった。
「最初の計画に戻そう! 分断できなくとも、全戦力でサーバントを叩く!」
それが正しい作戦か否か、だれにもわからない。
ただ、それ以上の策を、だれも思いつかなかった。
いくつかの攻撃がサーバントをとらえ、使徒がそれを回復するという繰りかえしが何度かおこなわれた。
その間、使徒もサーバントも一度たりと攻撃しない。徹底して、回避と回復に努めている。斡旋所からの情報では攻撃的かつ残虐というイメージが強かったため、撃退士たちは形容しがたい違和感をかかえていた。──が、そのとき。
「待て。このままだと全滅するぞ」
海のヒールで完全に傷を癒した鏡子が、前に出た。
「あいつは、アタシら全員のスキルを使い切らせるつもりだ。実際、アタシの舎弟どもは主力のスキルを全部かわされて嬲り殺しにされた」
「スキルを使い切らせる……? 全部でどれだけあると思うんだ?」
海が疑問の声を上げた。
しかし、実際問題このまま戦況が進めば──
「考えててもしょうがねぇ。おまえの言うとおり、サーバント狙いで行こうぜ。あれさえ潰せば、あとは全員で囲んでボコれるだろ」
ポキポキと指を鳴らしながら、鏡子が言った。
「じゃあ俺も戦線に参加だな。……その前に、アウルの鎧をかけておこう」
「悪ィな。……よし、行くぜ!」
そうして、鏡子と海は突撃した。
命を惜しまない鏡子が戦線に立ったことで、撃退士たちは奮い立った。
なにしろ、鏡子は常に攻撃することしか考えない。回避も防御もまったく考えず、ただただ殴りに行くのだ。死なせないためには、皆が力を貸すしかない。
黒百合や明、エリーゼなどの戦闘狂は祭りのように沸き立ち、文字どおり狂ったように、笑いながら戦っている。
集中砲火を浴びたサーバントは、雷撃に打たれ、手裏剣で切り裂かれ、槍を突き込まれて、たちまち瀕死状態に陥った。
使徒の少年は回復と強化のスキルを連発するが、それでも追いつかない。
「うーん。けっこう強いね、キミたち。……いや、強いのは三、四人ぐらいかな? とりあえず、弱い人たちはもういいや。邪魔だから」
軽い口調で言うと、少年は一転して攻撃的になった。
サーバントを黒百合のほうへ突撃させ、自分は司のほうへ走る。
「だれが弱いって……?」
司がディバインランスを構えた。
その眼光はいつもにも増して鋭く、決死の覚悟に満ちている。
「これがよけられたら、評価を考えなおしてあげるよ」
白刃を引きずるように走りながら、少年は司の真横をすり抜けた。
その途中で、ランスの一突きと剣の一閃が交わっている。
「くそ……っ!」
司の脇腹から、どろりと血が溢れだした。足下には、あっというまに血溜まりができる。
かなり深く斬られているようだった。臓器が傷つけられているのは間違いない。ヒールでは治せない傷だろう。
ガクッと膝をついた司を置き去りにして、使徒の少年は「はい、次。キミも退場ね」などと言いながら鏡子に詰め寄った。
「退場するのはてめぇだ!」
少年の鼻先へ鏡子の肘が打ち込まれ、一瞬遅れて少年の剣が突き出された。
悪くても相打ち以上かと見えた攻防だが、剣先が鏡子の腕を切り裂くと、肘打ちは力を失って虚空を打ち抜くばかりだった。
「もうキミの技は全部見切ってるからさぁ。死んでいいよ」
「てめぇ……っ!」
少年の手から迅雷のひと突きが繰り出され、鏡子は避ける気もなく左腕でカウンターの一撃を返した。
否、返そうとした。
少年の剣はあっさりと鏡子の腹部を貫き、背中まで突き抜けた切っ先からボタボタと赤いものが落ちた。確実に致命傷だ。
「ぐぶぅああァァ……っ!」
腹に剣を突き刺されたまま、鏡子は血を吐きながら殴りにいった。
その行動に、少年も驚愕の表情を浮かべる。
「死ィねぇえええッ!」
鏡子の左腕が鋭いフックを放ち、その肘に装着された武器が発動した。
ドゴッ、と缶ビールのようなサイズの薬莢が飛び出し、白煙とともにパイルバンカーが撃ち出される。厚さ百ミリの鋼板をも貫く、強烈無比なV兵器だ。
が、当たらなければ意味はない。
少年は剣を引き抜きながらバックステップして反撃をかわすと、返す刀で鏡子の首筋を斬りつけた。
「げぅ……っ!」
まるで噴水のように、ブシュッと鮮血が噴き出す。
鏡子はその場に崩れ落ち、首筋をおさえながら最後のスキルを解放した。
死活。
痛覚を遮断し、命の危険と引き替えにわずかな戦闘時間を保証する、自滅的な技だ。
「そんなに死にたいの? だったら今すぐ首を切り落としてあげるよ」
剣を水平に構えながら、少年は軽い足取りで鏡子に迫った。
その白刃が振るわれた瞬間、鏡子は死ぬだろう。
足に自信のある黒百合もエイルズレトラも、サーバントに妨害されて間に合わない。
だが、そこで司が立ち上がった。
「もう、だれも死なせない……っ!」
傷から血が噴き出すのも顧みず、司は全力で駆け寄り、使徒の前に立ちはだかった。
「だれも死なせない? じゃあキミが死ねばいいよ」
少年の剣が、袈裟斬りに振り下ろされた。
ギィィィン!
司の槍が奇跡的な反射速度で剣撃を撥ね返し、そのまま少年の心臓めがけて突き出された。
みごとに胸を貫いた──と見えたのは、つかのまの残像。
次の瞬間、司は肩口に強烈な一撃を受けて、なす術もなく倒れていた。
「てめぇ……っ!」
鏡子の右腕がまっすぐに振り抜かれ、パイルバンカーが盛大に空振りする。
そして、その武器ごと彼女の腕は斬り飛ばされた。
「あぐぁぁ……っ!」
苦痛と屈辱に顔をゆがめる鏡子。
しかし少年はとどめを刺さず、司と鏡子を放置して次の獲物へ襲いかかる。
「静がやられる前に、雑魚を整理しないとね」
鏡子と司があっけなく敗れたことで、撃退士たちは浮き足立った。
使徒を止めるべきか、このままサーバントを攻撃しつづけるべきか──
しかし、だれもがすぐに決断した。とにかくサーバントを仕留めることが最優先だと。
この状況では、迷うことこそ最悪の選択。
ただ、使徒に狙われた当事者は災難だ。
「え……? 私を狙ってくるのぉ……?」
Erieの表情が引きつり、顔に浮かぶルーン文字が歪んだ。
灰燼の書を手に、真っ赤なドレスを翻しながら彼女はドイツ語の呟きを発した。平常心を失うと、母国の言葉が出てしまうのだ。
「Der Holle Rache kocht in meinem Herzen(我が心に燃える、地獄のごとき炎よ……)」
モーツァルト『魔笛』の一節。ドイツ人なら、およそ知らぬ者はない。
その言葉とともにErieの右手が夜空を指し、ドレスよりも赤い炎が足下から湧き上がり、焼けつくような熱風が吹き荒れて灰燼の書をバラバラめくった。
たちまち、Erieの頭上に巨大な炎の塊が形成される。
火の粉が散り、空気の焦げる匂いが漂い、煮えたぎるマグマのごとき火球が闇を照らした。
「悪いけど見飽きてるよ。ファイヤーブレイクでしょ?」
少年が言い、ヒュッと右手が動いた。
一瞬遅れて、火球が放たれる。
その火球は完全に見当違いの方向へ飛んでいき、路面に激突して派手に火花を散らした。
「Verdammt!」
見当違いになるのも当然だ。脚を斬られて、まともに立っていられないのだから。
ただ幸いなことに、斬り飛ばされてはいない。しかし骨ごと大腿動脈を切断され、噴き出す血液は恐ろしい勢いで路面を赤く染めてゆく。
「あはははは。脚が太くて助かったね」
鮮血に濡れた剣をひっさげて、少年は一直線にエリーゼのほうへ走っていった。
「こっちへ来るんですか……?」
エリーゼは二十メートルほどの上空に陣取っていたが、油断してはいなかった。
この使徒が軽々と十メートル以上跳躍したのは、目の前で見ている。全力なら二十メートルぐらい跳んでも不思議はない。
エリーゼは迷うことなく、高度を上げた。
アウルの薄い人間界では、天使の翼でも三十メートルほどの高さまでしか飛べない。しかし、これで十分のはずだ。十分に安全な領域のはず──
使徒の少年は、しかし跳躍しなかった。
ただ道路を走ってきて、ブンッと剣を投げつけたのだ。
「な……っ!?」
近接攻撃以外ないだろうとタカをくくっていたエリーゼに、その一撃を避ける術はなかった。
「剣を投げるなんて……」
腹部から血を流し、口から血を吐きながら、エリーゼは真っ逆さまに落ちていった。
エリーゼが路上に墜落するのと前後して、サーバントが断末魔の声を上げた。
とどめを刺したのは、黒百合の『迅雷』
その余勢を駆って、彼女は使徒へ挑みかかる。
「さァ、邪魔者は片付けたわよォ……? 次はあなたの番ねェェェ?」
「ああ、耐えられなかったか、静。もうすこし僕の力を注いでおけば……」
少年は肩を落とし、溜め息をついた。
黒百合は意にも介さず、大鎌で斬りかかる。
ギャンッという音が響き、少年の剣が鎌を撥ね返した。
「悪いけど、僕はもう帰るよ。静も死んじゃったし、今回はキミらの勝ちでいいから」
「なァに言っちゃってンのォ? あなたもココで死ぬのよォォ!」
狂ったように大鎌を振りまわす黒百合。
それをかわしながら、少年の笑みが苦笑に変わる。こらえきれずに漏れてくる笑い声は、本当に愉快そうだ。
「ああ、お姉さん。僕はキミを好きになっちゃいそうだよ……」
「殺されてくれるなら、応えてあげてもいいわよォ?」
「ホントに? あはははははは!」
薙ぎ払われた大鎌を避けて、少年は軽やかにバク転しながら距離をとった。
その笑顔だけを見れば、無邪気な子供としか思えない。
しかし、彼は使徒だ。それも、非常に強力かつ残忍な使徒。
「ねえ、お姉さん。名前おしえてよ」
「黒百合だけど、知ってどうするのォ? あなた、いまから死ぬんだけどォ……?」
「残念。僕は死なないよ。だって、逃げるから。……でも『黒百合』かぁ。いい名前だね。……ああ、僕の名前は遮那王。きっとまた会うから、おぼえておいてね」
それは、源義経の幼名。いわゆる牛若丸の名だった。
「ふざけた名前ねェ……。まァ名乗るのは自由だけどォ……?」
「自由もなにも、僕には名乗る権利があるんだ。じゃあまたね」
それだけ言うと、少年は脇目もふらずに駆けだした。
もとより凄まじい機動力を誇る使徒が全力で逃げだしたなら、追いすがれる者などいるはずもない。
あっというまに夜の闇へと消えた使徒を見送りながら、撃退士たちは苦い表情を浮かべるだけだった。
「ともあれ、任務は達成……ですかね」
ふぅ、と息をつきながら、エイルズレトラは周囲を見回した。
立っているのは、彼を含めた四人の忍軍と海だけ。
エリーゼ、司、Erie、それに鏡子のグループ全員が、路上に倒れている。
「しっかりしろ。大丈夫だ。すぐに病院へ運ぶ」
回復魔法を使うことのできる唯一の存在である海は、必死の救命処置にまわっていた。
自分自身を回復させることしかできない忍軍たちは、言葉をかけて励ますぐらいしかない。
「ああ……、こういうときばかりは回復術が使えればと思いますね……」
海の医療行為を手伝いながら、和國は悔しげに呟いた。
「いや、忍軍には忍軍にしかできない仕事がある。こういうことは俺たちに任せておけばいいんだ」
ありったけの回復魔法を連発しながら、海はそう言った。
そんな二人をよそに、黒百合は微笑を浮かべながら鏡子の舎弟だった三人の死体へ小さな花を添えている。
「まァ……おつかれさまァ、あなたたちの無念と恨み、私が受け持ってあげるからねェ……。だから、おやすみなさいィ……」
歌うような声音は、ゆっくりと夜の闇に溶けてゆく。
使徒を撃退し、最低限鏡子の命を救うという依頼は果たしたものの、苦い結末だ。
おそらく、あの使徒は再び撃退士たちの前に現れるだろう。さらに強力なサーバントを引きつれて。
暗い夜の下。弱々しい星の明かりは、暗澹たる未来を予告するかのようだった。