夜。郊外の街道。
現場へ向かって走る撃退士たちの間には、緊張感と高揚感が張りつめていた。
なにしろ、敵は虎型の天魔。歴戦の撃退士でさえ手を焼くことも有り得る。
「普通の虎だって厄介なのに、虎型のディアボロとはねぇ……」
今日のメンバー中いちばん経験が深い綿貫由太郎(
ja3564)は、飄々とした口調で言った。まるで普通の虎と戦ったことがあるかのような口ぶりだが、本当にあるのかもしれないと思わせる風情が漂っている。
「ははっ。強いほうが見せ場ができるってもんだぜ!」
特撮ヒーローのような服装で闘志満々に応じるのは、ガル・ゼーガイア(
jb3531)
彼の周囲だけ気温が何度か高くなるほどのテンションだ。やる気は十分。
「虎型ディアボロだなんて……見るまでもなく獰猛そうですよね……」
ガルと対照的に平穏なのは、沙夜(
jb4635)だった。
テイマーの彼女はすでにストレイシオンを召喚し、全員の防御力を底上げしている。
賢明な判断だ。この曇った夜の中では、いつ敵と遭遇するかわからない。
「……虎、黒い虎ね。四神である白虎と対になる存在っぽくて、なかなかいいんじゃない? 闇の力を秘めしタイガー。私の式神の一体として、ふさわしいわ」
赤星鯉(
jb5338)は、いかにも陰陽師らしい考えを口にした。
無論、天魔を式神にすることなどできない。ただの気分だ。
そんな仲間たちと並走しながら、ルーガ・スレイアー(
jb2600)は器用にスマホをいじっていた。
彼女は、いわゆる『ついった厨』
いつでもどこでも、スマホは手放せない。
『虎退治なう。すごいぞー。かっこいいぞーなう ( ´∀`)』
そんな彼女たちの予想や期待は、数分後に裏切られることとなる。
到着した現場で撃退士たちを出迎えたのは、巨大なエビ型のディアボロだった。
月明かりに照らされて蠢く、八匹のエビ天魔。
広大なキャベツ畑に漂うのは、すがすがしいまでの磯の香り。そこに甲殻類独特の香ばしい匂いが混じる。たとえるなら、えびせんのような香りだ。
「……獰猛? ……というか、どう見ても『虎型』ではありませんよね、これ……。私の目がおかしくないのでしたら、目の前にはエビ型のディアボロしか見当たらないのですけど……」
思い浮かべていた戦闘場面とのあまりのギャップに、沙夜は唖然とした。
無理もない。もぞもぞと畑の中をのたくるエビの天魔は、どう見てもただデカイだけの雑魚だ。
「ここが海なら、いざ知らず……。なぜキャベツ畑にエビなのですか……?」
ただただ困惑する沙夜。
そんな彼女の横で、ルーガはスマホを手に取った。
『虎かと思ったら、エビの天魔。略してエビ天だったンゴ……』
さすがのルーガも、若干とまどい気味だ。
数秒でリプライがついた。
『イカの天魔と戦ったことあるけど、そいつもイカ天って呼ばれてたな』
世の中には、さまざまな天魔が存在するのである。
「黒虎と聞いておったが、なぜエビ!? エビなのにタイガーとは、まぎらわしい! だから拙者も女なのに男だと勘違いされるでござる!」
意味不明な理屈を展開させて怒りだしたのは、鳴海鏡花(
jb2683)
彼女が男と間違えられるのは主に貧しい胸のためなのだが、認める気はないらしい。
「……私は今回の討伐対象を勘違いしていたのでしょうか? ……それとも、この地域特有の固有種……?」
ロネット(
jb4517)は真剣な顔つきで首をひねっていた。
だが恐らく、世界中いかなる地域にも、エビそっくりの虎は存在するまい。
「この依頼で虎さんを倒して、パパに実力を証明するハズだったのに……。なんですか、エビの天魔って。エビ天ですか、そうですか。……え? それもうとっくに言われてる? ハハハ、なるほど。これぞ天丼ってヤツですね。エビ天だけに」
周囲の気温を十度ばかり下げつつガックリ肩を落とすのは、セラフィ・トールマン(
jb2318)
その顔には、どこか引きつったような笑みが浮かんでいる。
「あの斡旋官だましやがったな! 虎っつーからヒーローらしく勇気出して依頼受けたのによ!」
下がった気温を上げようとばかりに、ガルは怒りをぶちまけていた。
たしかに、虎と戦うヒーローは絵になるが、エビとでは絵にならない。
そんな彼らをよそに、赤星鯉は一人うろうろとエビ天のまわりを歩いていた。
その瞳は鋭く、常人離れした眼光を放っている。
「これは、まぎれもないエビ……。そう、エビよね?」
たしかに、エビだ。
しかし鯉の目は惑わされない。
「いやいや、即断するのは危険よ。……そう、天下に名高い久遠ヶ原学園の斡旋官ともあろう者が、まさか虎とエビを間違えるはずなどないのだから……!」
難事件に挑む探偵のごときシリアス顔で呟く鯉。
いま、この瞬間。キャベツ畑に彼女以外の主人公はいない。
「……ああ、なんだ。わかった、わかったわ。私ちょっとばかり疲れてるのね。ゆっくり目を閉じて、深呼吸して〜〜すぅ〜〜はぁ〜〜。……ほら目を開けば、そこには猛々しい黒の獣魔が…………って、やっぱりエビかいッ!」
ドンッ、と地面を踏みつける鯉。
エビ天たちが、ビクッと振り返る。
「いやいやいやいや、おかしい! おかしいから! えぇーと? ……うん、そうかそうか。角度が悪かったのよね。そうそう。いつも見かけるディアボロも、モチーフになった動物と完全に同じ造形ってわけじゃないしね。たまたまここからだとエビに見えちゃうけど……たとえば、こっちから見たら虎に……。虎に……って、完全にエビかいッ! 360度どこから見ても、まごうことなきエビかいッ!」
ふたたび足を踏み下ろす鯉。
ビクッと振り向くエビ天。
「……はっ、もしやこれは虎の特殊能力……ッ!? 体を変化させて敵を欺く、虎ンスフォーム的なアレね!? ……ふー、あぶないあぶない。私ともあろう者が取り乱すところだったわ……」
ホームズにも勝るほどのクール&クレバーな頭脳を見せつけて、鯉は光纏した。
「そうであれば、もはや遠慮は無用ね。炎陣球で焼き尽くして、その真の姿、あばかせてもらうわ!」
ビシッ、と指を突きつける鯉。
そこでようやく『赤星鯉劇場』は幕を閉じ、命を賭けたバトルが幕を開けるのであった。
「待つでござる。あのエビ天、いかにも弱そうではござらんか。おそらく唯一の武器は、強靱な尻尾によるジャンプだけでござろう。そこで拙者、我が身をもってジャンプアタックの威力を確かめてみようと思うでござる。敵を知り己を知れば百戦危うからずと言うでござるからな」
大まじめな顔で自殺志願する鏡花。
だれが考えても、危険きわまる行為だ。
「そんなことする必要ないと思うんですけどねー。でも、やってみたいって言うんじゃ、しょーがないですねぇー♪」
セラフィがサディスティックに微笑んだ。
その頭上に輝く光輪から取り出されたのは、翼の付いた光のリングだ。
これが随伴することによって、鏡花の防御力は大幅に上昇する。
「では、行くでござるぞ!」
辞世の句も遺書も残さず、自殺としか思えない突撃を敢行する鏡花。
「がんばってね〜♪」
見送るセラフィは、こぼれる笑みが抑えきれない様子だ。
その隣では、ルーガがスマホをかざしてムービー撮影していた。動画サイトに投稿すれば、数ヶ月後には『衝撃映像50連発!』みたいなTV番組で流されるはずだ。
そしてエビ天の背後に回りこんだ鏡花は、一瞬で吹っ飛ばされていた。
見てから回避すればいいだろという甘い考えは、まったく通用しなかった。
彼女の失敗は、それだけではない。吹っ飛ばされたあとのことを、なにも考えてなかったのだ。
幸か不幸か、鏡花が吹っ飛ばされた先は、ほかのエビ天の背後であった。
ふたたびバックジャンプアタックを食らう鏡花。
そして、おそらく幸運なことに、その着地先もまたエビ天の背後。
もう一度吹っ飛ばされる鏡花。
その落下地点もまた──
最終的に六回吹っ飛ばされてキャベツ畑からリングアウトした鏡花は、ぴくりとも動かなかった。
そのさまを目撃していた者たちは、『ピンボールみたいだった』と口をそろえたという。
「ぐくっ……どっ、どうやら、笑い……ぐっ、笑いごとではなさっ、ふぐっ、なさそうですっね……!」
口をおさえ、肩を震わせるロネット。
涙まで流している。
あまりに無惨な光景を目の当たりにして、嗚咽しているのだろうか。
「うわぁー。あの連携プレイは予想外でしたねー。でもまぁ防御力上げておいたから大丈夫ですよねぇ?」
セラフィは、天使のような姿で悪魔の笑みを浮かべていた。
たしかに、死んではいないという意味では大丈夫だが、病院送りは間違いない。
「では、気を取りなおして参りましょうか」
なにも見なかったことにして、マイペースで雷帝霊符を取り出す沙夜。
撃退士たちにとって、この程度のハプニングは日常茶飯事なのだ。
「よーし、戦うのだぞー。ルーガちゃんの、ドーンといってみよう!」
言いながら、ルーガはいきなり『封砲』をぶっぱなした。
直線上にいたエビ天二匹が巻きこまれ、「カニィィィ!」という叫びを上げる。
「エ、エビなのに……」
ブハッと噴き出すロネット。
だが、笑っている場合ではない。相手は立派な天魔なのだ。自業自得とはいえ、すでに重体者も一名出ている。
「ゆ、油断は禁物ですよね……!」
涙を拭きながら拳銃を取り出し、ロネットはエビ天の攻撃圏外から撃ちまくった。
予想に反してあまり硬くないキチン質の外殻を、銃弾が貫く。
「カニィィィ!」
哀れなエビ天の悲鳴。
ロネットは再び噴き出してしまう。
次にセラフィの『Apocalypse:Seraph』が炸裂し、鯉の炎陣球が叩きこまれると、エビ天たちは全速力で距離をつめてきた。その短い脚からは想像もつかないほどの、時速5kmという俊足で。どうやらバックジャンプアタックは飽くまで攻撃の手段であり、移動に応用しようとは思わないらしい。
後ろにさえ立たなければ、正真正銘ザコである。これを作った悪魔は、いったい何を考えていたのだろうか。もしかすると、なにも考えてなかったのかもしれない。人間界のことをよく知らない悪魔は、ときどきこういう馬鹿なことをやらかすのだ。
「「カニィィィ……!」」
アウトレンジからの戦いに徹する撃退士たちの前で、エビ天は次々と沈んでいった。
「……っつかね、マジバトル用にわざわざ重い緑火眼セットしたのに無駄っていうのがやるせないよなあ、水中ならまだしも、陸に上がったエビなんて攻撃当て放題だし」
由太郎が火炎放射器でヒャッハーする間に、エビ天がまた一匹倒れた。
このままいけば、策士・鳴海鏡花以外、全員無傷で完封できるに違いない。
だがしかし、好奇心の強い者はどこにでもいる。
「なぁ、こいつらってやっぱり背後が弱点なんじゃねぇか?」
自殺志願的なことを言いだしたのは、ガルだ。
「なぜ、そう思うんですか?」と、ロネットが問いかける。
「だって、正面より尻尾のほうが柔らかそうじゃねぇか」
「なるほど、たしかに。……では私も付き合いましょう」
「おお、話がわかるな! よし突撃だ!」
やめておけばいいものを、競いあうように走ってゆくガルとロネット。
そしてエビ天の背後に回りこんだガルは、鏡花同様まったく回避するヒマなく吹っ飛ばされていた。
もし敵の数が減っていなければ、ピンボール現象を引き起こして彼もまた病院送りになっていたところだ。
とはいえ、一発でもかなりのダメージである。もう一度食らえば、立ち上がれないだろう。
「や、やっぱ油断は禁物だな……」
ヒビの入った肋骨をさすりながら、ガルは反省するように呟いた。
しかし、彼は決して油断などしてなかった。ただアホなことをしただけだ。
「はいはい、回復回復」
由太郎が駆け寄り、ガルの頭に手をあてて『応急手当』をほどこした。
頭部にケガはない。ヒビが入っているのは肋骨だ。頭蓋骨ではない。
「なぁ、この場合の患部(悪い所)は、ココでいいんだよな?」
「……やっぱり、そう思うか?」
「そうとしか思えない」
由太郎が全面的に正しかった。
一方、ロネットはといえば、ガルのように無策で背後に立つなどというマネはしなかった。彼女が立たせたのは、分身のほうである。
バックジャンプアタックを空振りして、勢いよくカッ飛んでゆくエビ天。
それを指差して、ロネットはおなかを抱えながらケラケラ笑っていた。
結局、無駄にケガを負ったヒーローを除いては、だれも負傷しなかった。
戦闘はまったく問題なく進み、猛威をふるったエビ天も最後の一匹に。
その正面には、七人の撃退士が立ちはだかる。
フルフルと頭を振って命乞いするエビ天。
もはや勝負は決したも同然だ。
しかし、鯉だけは最後の最後まで油断していない。
「漆黒の凶獣相手に、これで終わるとはカケラほども思ってないわ。さぁ、あなたの真の姿、見せてごらんなさい!」
炸裂符が浴びせられ、あわれなエビ天は「カニィィィッ!?」と叫びながら昇天した。
その瞬間、彼らにかけられていた『虎ンスフォーム』の魔法が解け──たりなどは一切なく、キャベツ畑に横たわるのは、どこまでもエビ型のディアボロなのであった。
「……って、やっぱりエビかーい!!」
エビかーい!
エビかーい!
エビかーい!
鯉のツッコミはエコーを引きながらこだまして、キャベツ畑一面に広がっていった。
「……ったく、虎退治って話はどこ行ったんだよ。学園に帰ったら、斡旋官に文句言ってやろうぜ」
エビ天の死骸を処理しながら、ガルは憤慨していた。
「まぁまぁ。いいじゃありませんか。最初からエビの天魔だとわかっていたら、報酬はもっと安かったはずです」と、沙夜が応じる。
「それはまぁ、たしかにな」
「もちろん、ことの経緯を報告する必要はありますけれど。まさか報酬が多すぎたから返金しろなどという要求はされないと思いますしね。なにしろ、あきらかに学園側のミスなんですから……ねぇ?」
さりげなく腹黒い一面を見せる沙夜。
「やれやれ。今日の晩飯は天丼にでもしようかねぇ」
電子タバコをくわえながら、由太郎はそんなことを口にした。
なにしろ、周囲一帯が磯の匂いで満たされている。無駄に食欲を刺激する香りだ。
「エビ天も悪くありませんが、私はエビフライ派ですね」
なにが面白いのか、ロネットはクスクス笑っている。というより、最初からずっと笑いっぱなしだ。
「ああ、エビフライ定食も悪くないなぁ」
由太郎が応じると、ルーガはスマホを手にして何やら操作しはじめた。
じきに、こんなことを言いだす。
「おいしいエビフライを出すお店があるのだー。今日の報酬で、一杯やるのだぞー?」
見せびらかされる画面には、キツネ色に輝くエビフライ定食の画像。
グゥッ、と腹の虫を鳴かせる一同。
無論、反対する者はいなかった。