その日。染井桜花(
ja4386)は朝から家庭科室に篭もっていた。
依頼書を見て、蓮花のために歓迎の宴を開こうと考えたのだ。
もともと料理は得意なうえ、チャイナカフェ赤猫のバイトで鍛えられてもいる。腕には自信アリだ。
やる気を見せるため、着用するのは戦闘メイド服。
「……さて……やるか」
吟味した食材を前に、桜花は包丁を取った。
そこへ、見計らったように袋井雅人(
jb1469)がやってくる。
「歓迎の料理を作るんですね? 及ばずながら私も手伝います」
「……では……これの下ごしらえを」
「まかせてください!」
食事会ではなく飽くまで歓迎会なので、料理は片手でつまめる軽食メインだ。
雅人も料理は素人ではないため、歓迎の準備はテンポよく進む。
蓮花が明日羽とともに学園を訪れたのは、昼すぎのことだった。
会場となる教室には、すでに桜花以外全員そろっている。
その誰もが、一度は蓮花の左腕に目をやった。
が、それを見て安い同情に駆られる者は一人もいない。
とりわけ酷いのはラファル A ユーティライネン(
jb4620)で、嘲笑さえ浮かべているほどだ。
が、それも当然だろう。ほぼ全身の肉体を失って義体化している彼女にとって、腕一本などお笑いぐさでしかない。
「よお、あんたが撃退士志望の小娘か? とっとと帰んな、ここにはあんたの居場所なんてないんだよ」
「は……!?」
いきなりの第一声に、絶句する蓮花。
これには他のメンバーも驚きだ。
「だってアウルが使えねーんだろ? 撃退士の最低条件がクリアできてねーじゃん。そんな馬鹿に構うだけ時間の無駄だ」
「だから、それは……使えるようになりたいと思って……」
「無理無理。俺は優しいからハッキリ言ってやるぜ。おまえみたいな無知無能に、アウルは使えねーよ」
今日のラファルは、いつにも増して辛辣だった。
蓮花は言葉も出せず、歯を軋らせるばかり。
だが、ラファルには彼女なりの狙いがあった。
一般的に、アウルが覚醒するのは命の危機など強い衝撃に晒されたときが多いとされる。俗説に過ぎないが久遠ヶ原では定説に近い。ならば言葉による衝撃でも同じ結果が出るかもしれないと、ラファルは考えたのだ。この罵倒は決して本意ではない。むしろラファルは蓮花の熱意を買っている。
「待ってくださいラファルさん! なにか考えがあるにしても、いきなり『帰れ』はひどすぎます!」
雅人が割って入った。
彼は以前、明日羽の協力者となることを誓約させられている。そうでなかったとしても今の会話は無視できなかった。
「俺がひどいのは知ってるだろーが。……で、おまえには何か策があるのかよ」
「策はありませんが、とりあえず……。富士宮さん、撃退士の学びや久遠ヶ原学園へようこそ! 私はあなたを歓迎しますよ!」
「あ、ありがと……」
勢いに押されて戸惑う蓮花。
「とりあえず飲み物はいかがです? 落ち着きますよ。手作りスイーツもあるので、よければどうぞ」
「いらない。食欲ないから」
蓮花は暗い顔で横を向いた。
その様子を見て、カルロ・ベルリーニ(
jc1017)が笑顔で話しかける。
「ふむ……。まずはお悔やみ申し上げる、お嬢さん。貴女が心から愛していたであろう故郷と家族と友人と、そして貴女自身に」
「そんな言葉、聞き飽きたよ」
「そうかね。だが不謹慎ながら言わせてもらうならば、実にいい表情だ。実に素敵だ」
「馬鹿にしてるの?」
「そういうつもりはないよ、お嬢さん。君は少し落ち着いた方が良い。戦いで負ける者は、大抵が冷静でいられなかったか、準備を怠った者だ。ひとつ訊くが、アウル適性検査は受けたかね?」
「小学生のころ受けたよ」
「それは古いな。再度こちらで受けることをおすすめする」
「そんなの時間の無駄じゃないの?」
「それがそうでもない」
カルロは微笑を浮かべたまま、説明は譲るとばかりに月乃宮恋音(
jb1221)のほうを見た。
「えとぉ……私もそうでしたが……覚醒していても自覚がないというケースが、多々あるのですよぉ……。なので、一度しっかり検査を受けることを……おすすめしますぅ……」
「運が良ければすぐ撃退士になれるってこと?」
蓮花の表情がわずかに明るくなった。
「はい……諸々の手続きは必要ですが、一応そうなりますねぇ……。もし適性がないことが確定しても、次の段階へ進めますし……」
「どうやって受けるの、それ」
「えとぉ……こんなこともあろうかと、検査の手続きは済ませておきましたぁ……。案内しますので、こちらへどうぞぉ……」
そう言って、恋音は手招きしながら廊下へ出て行った。
蓮花が追いかける。
ほかのメンバーは教室で待機だ。
検査はすぐに終わり、ふたりは並んで教室に戻ってきた。
「恋音、結果はどうでしたか?」
真っ先に訊ねる雅人。
その問いに、恋音は首を横へ振ってみせる。
「はっ。やっぱり時間の無駄じゃねーか、この役立たず」
ラファルが冷笑を浴びせた。
蓮花は無言で睨み返すが、それ以上のことはできない。
「ここで殴りかかってくるぐらいの根性がねぇとなー。よぉ、玉吉も何か言ってやれよ」
「なぜ雪子ですか? お?」
話を振られた玉置雪子(
jb8344)だが、あまり会話する気がないのかタルトを頬張りながらジュースを飲んでいる。
「おいおい、なにしに来たんだよ玉吉」
「遊びに来たに決まってますわ? お?」
当然のように答える雪子。
ある意味、ラファルより辛辣な対応だ。
が、これは表向きの顔。雪子にも雪子なりの考えはある。
「さて、これでおまえに適性がないことは確定したわけだが……それでも撃退士の道は諦めないのか?」
冷たい口調で、エカテリーナ・コドロワ(
jc0366)が問いかけた。
蓮花は迷いなく「うん」と頷く。
「フフ、いい志だ。その覚悟が本物かどうか、この私が試してやる。いまからいくつか質問をしよう」
「覚悟は本物だよ」
「そうか。だがな、現実の戦場は甘くない。撃退士はおまえの考えるようなスーパーヒーローなどではないし、その力は諸刃の剣だ。おまえのミスが仲間や多くの人々を傷つけることすらある。それだけの責任を背負ってでも戦う覚悟はあるか?」
「あるよ」
「だが、どんなに覚悟があろうと、どんなに体を張って戦おうと、救えない命がある。その救えない命を諦めなければ、救えるはずの命が救えなくなることさえある。その不条理におまえは耐えられるか?」
「この世界なんて不条理ばかりだよ」
「なるほど。ところで、おまえは天魔が憎いそうだな? だがそのために私情に走り、仲間を危険に晒すことは許されん。感情のままに力を振るえば、時として敵を利することもある。おまえはその力を制することができるか?」
「そんなの、アウルが使えるようにならないとわからない」
「それもそうだな。さて最後の質問だ。戦いというのは正義と悪の二分法で割り切れるものではない。時には自らが憎まれ役となって戦わなければ生き残れないこともある。そうなったとしても戦う覚悟はあるか?」
「憎まれ役でも何でもいいよ。あたしは天魔を倒したいの!」
「ふむ。私の信条にもとづいて四つばかり質問したわけだが……まぁ合格としよう。もっとも、アウルが使えなければ何の意味もないが」
エカテリーナの言葉はどこまでも冷めていた。
最後の一言に、蓮花は悄然とうなだれる。
「そう落ち込むな、お嬢さん。初めから戦う術を持つ者などいない。だれしも膨大な努力の末に手にするのだ。貴女は無力だが、何もできないわけではない」
励ましの言葉をかけるカルロだが、蓮花は俯いたままだ。
見かねた恋音が、書類の束を取り出した。
「あのぉ……たしかに、いまの蓮花さんにアウルの適性はありませんけれどぉ……将来のことは、わかりませんよぉ……? 過去の記録によれば、些細なきっかけで覚醒するケースも珍しくありませんし……。そのあたり、レポートとしてまとめてみましたのでぇ……よろしければ、参考にどうぞぉ……」
「いっぱい書いてあるけど、これ全部ためすの……?」
「そ、それは現実的ではありませんねぇ……」
口ごもる恋音。
そこへ雅人が口をはさんだ。
「聞いてください。私の経験上、覚醒には何らかの代償が必要と考えてます。たとえば私の場合、覚醒の際に過去の記憶を失ったと思います。見れば富士宮さんは既に代償を支払われてるようなので、もしかしたら……」
「この腕のこと?」
「ええ、そうです。富士宮さん、左手の痛みをリアルに思い出して! そして、今はないその左手で光をつかむイメージを思い浮かべて!」
「え……?」
「思い出してください、天魔に襲われて左手を失ったときのことを! それは覚醒の代償として十分のはずです!」
「あのとき……まわりは死体だらけで……父さんも母さんも……っ」
そこまで言った瞬間、蓮花は口元をおさえて教室を飛び出した。
想定外の結果に、雅人は「失敗でしたか」と頭を掻く。
「あのざまでは戦場で使いものにならんな」
やれやれと肩をすくめるエカテリーナ。
一般人の少女相手に、誰も彼も厳しい。
──数分後。
憔悴した様子で、蓮花がトイレから出てきた。
「ふふ、吐いてさっぱりしましたか?」
氷の微笑とともに立ちふさがったのは雪子だ。
が、さきほどまでとは雰囲気が違う。
「撃退士って趣味が悪いよね」と、蓮花。
「このあと、さらに趣味の悪いものを見ることになりますよ」
言うや否や雪子は光纏し、同時に天使の血を活性化させた。
雪のように白く染まる肌。背中には青白い天使の翼が現れ、光輪が頭上に輝く。
「あなた、天使……?」
「そう。かつて私は天界の眷属として多くの人間を殺しました。あなたの村を襲ったのも私の部下です。いつぞやはサーバントがお世話様」
「え……!?」
「わかりませんか? つまり私はあなたの討つべき仇というわけです。いまはこうして人間界に下ってますけどね。……さて、」
妖しく微笑む雪子の手に、白銀の拳銃が握られた。
まさか撃たれるのかと、硬直する蓮花。
だが違った。雪子の狙いは『蓮花が撃退士になったとき人類側の天魔に矛先を向けないか』を見定めることだ。さらには、この言葉による衝撃で覚醒させることも狙っている。
「どうぞ撃ち抜けるものなら撃ち抜いてみせてください。……天魔に憎しみを抱く生徒は数いれど、あなたが羽持ちの味方にトリガーを引かない保証はありますか?」
無表情で焚きつけながら、雪子は蓮花に向けて拳銃を放り投げた。
が、蓮花の手に触れたとたん銃は霧消してしまう。
「はぁ、ここまでお膳立てしても覚醒しませんか。問題外ですね。親の仇すら討てない非力な者は不要です。とっとと荷物まとめておうちに帰ってください」
「…………っ」
蓮花は歯を噛みしめ、拳を震わせた。
その姿を一瞥して、背を向ける雪子。
これに比べれば、即座に帰れと告げたラファルのほうがまだ優しい。
「ちなみに言っておきますが、あなたの村を襲ったというのは嘘です。嘘は嘘であると見抜ける人でないと(撃退士になるのは)難しい」
さらりと名言を残し、雪子は立ち去るのだった。
が、それでも蓮花は帰らなかった。
怒りと絶望に震えながらも、彼女は教室に戻ってくる。
「長いトイレだったのですわ。お?」
とぼけたことを言う雪子。
仲間の前では本性を隠しているのだ。
「で、どうよ。覚醒したか?」
どうでもよさそうにラファルが問う。
「……してない」
「もうあれだ。いっそ親切な天魔を見つけてシュトラッサーかヴァニタスにしてもらえばどうだ? 撃退士と似たような力は持てるぜ? さもなけりゃ必死でお勉強して、アウルなしで天魔を倒せる方法を探し出すとか」
「絶対バカにしてるよね……」
もはや蓮花はラファルと目をあわせようともしない。
場の空気は最悪だ。
そのとき、桜花がキッチンワゴンを押しながら入ってきた。
ワゴンの上には、具沢山のサンドイッチやクレープ。
その匂いのおかげで、多少空気が緩くなる。
「……軽くつまめるものを……作ってきた」
桜花が机の上に料理を並べた。
「せっかくだ。いただこうか」
と、エカテリーナ。
そしてサンドイッチを手にしたと思えば、あっというまにたいらげている。
そのみごとな食べっぷりに触発されたのか、他の者たちも思い思いに料理を取っていった。
が、蓮花だけは椅子に掛けたまま動かない。
「……落ち込んで……それでどうなるの?」
桜花が問いかけた。
蓮花は答えない。
「……まさか諦めたの? ……あなたの想いは……その程度で消えるものなの?」
「諦めてなんかない」
「……ならば……悩んで、悩んで、悩みぬいて……足掻いて、足掻いて足掻きぬけ」
「でも覚醒できないし……」
「……撃退士になれないなら……『別の方法で戦う道』もある……それは自分で考えるが良い」
「でもあたしは撃退士になりたいの」
「うぅん……なんにせよ蓮花さんは、肩に力が入りすぎですねぇ……」
いたわるように恋音が声をかけた。
「じゃあどうすればいいの!?」
「えとぉ……これは学園の歴史として、はっきり言えるのですけれどぉ……アウルには、『たのしむことが力につながる』という……変わった性質が、あるのですよぉ……。なので、あまり思いつめるのは逆に……覚醒の妨げになる恐れが、ありますねぇ……」
「でも……」
「はい、お気持ちはわかりますよぉ……。ただ、天魔と戦う方法は他にもあります……。学園の職員には、一般人も多いですし……。よければ、私から仕事を紹介しますよぉ……?」
「でもあたしは撃退士になりたい!」
ここまで散々なことを言われても、蓮花の心は揺らがなかった。
「お嬢さん、貴女の決意が固いのはわかった。だが、いまのアドバイスは真摯に受け止めるべきだ」
噛んで含めるように、カルロが言った。
「肩の力を抜けって? そんなの無理!」
「それもあるが……撃退士になるだけが天魔と戦う術ではないということだ。誤解する者も多いが、前線で戦う者だけが兵ではないし、敵を傷つけるだけが攻撃ではない。撃退士を支えることも必要だ。アウル無しでもできることは決して少なくない」
「あなたも学園の職員になれって言うの?」
「それも選択肢のひとつだ」
「ところで……ずっと黙ってますが、明日羽さんは富士宮さんをどうしたいのでしょうか」
思い出したように、雅人が話を振った。
明日羽は「特にないけど?」と、一言。
「しかし、この場を設けたのは明日羽さんですし。なにか目的があるのでは?」
「蓮花がかわいそうだから連れてきただけだよ?」
「では学園の職員という選択もアリですね?」
「いいんじゃない? 面倒な手続きは恋音がやるよね?」
当然のように明日羽が言い、恋音は二つ返事でうなずいた。
こうして蓮花は、ひとまず見習い職員として学園に残ることとなった。
いつか撃退士になることを夢見て、彼女は戦い続ける。