おだやかな、休日の午後。公園をめざして歩く、十人の学生たちがいた。
「それにしても、今日は気持ちのいい天気ですね」
やわらかな口調で話しかけたのは、袋井雅人(
jb1469)。特徴的な外見を持つ学生が多い中で、いたって普通な感じの青年だ。
「べつに、晴れなくたって良かったんだ」
ムスッとした顔で言い返すのは、今日の主賓マナブ。
最初から機嫌が悪いのが一目瞭然だ。もともと『ピクニックなんか行かない』と言い張っていたのを強引に連れ出したのだから無理もない。ただ、母親が『これで駄目ならあきらめます』と言ったので、しぶしぶながらもこうして出てきたという次第だ。
「そうですか? まぁ雨の中のピクニックというのも、それはそれで面白いかもしれませんね」
雅人の答えに、マナブは「ふん」と鼻を鳴らした。
とても話が通じる状態ではないように見えるが、はたして──?
目的地の公園は静かで、人の姿は少なかった。
しばらく前までは花見客でにぎわっていたものだが、花を残している桜はもう一本もない。
「このあたりにしましょうか」
フレデリカ・V・ベルゲンハルト(
jb2877)がレジャー用のマットを取り出し、芝生の上に広げた。
これは彼女の手作りだ。その色彩は初夏のさわやかさを含んだもので、視覚的な芸術センスを持つ彼女の能力をありありと伝えている。
「どうぞ、マナブ君。お食事も用意してきました。もちろん、みなさんの分も。月乃宮さんと二人で作ったんですよ」
名前を出されて、月乃宮恋音(
jb1221)は顔を赤らめた。
「……い、いえ、私はちょっと手伝っただけですから……」
「半分ぐらいは手伝ってもらいました」
にっこり微笑むフレデリカ。
それだけのことで、恋音はますます顔を赤くさせてしまう。
「お。これ、うめぇな!」
まっさきに手をのばしたのは、Sadik Adnan(
jb4005)。
それを見て、ほかの学生たちも料理をつまみはじめた。雅人の用意したサンドイッチやおにぎりも含めて、どれも好評だ。
「おお。この玉子焼きは絶品ですね」
さりげなく言ったのは、樋熊十郎太(
jb4528)。
なにも食べようとしなかったマナブも、その一言に心が動かされたのだろう。おずおずと、玉子焼きに手をのばす。
一口食べたとたん、表情がパッと明るくなった。
たてつづけに、ふたつ、みっつと口に入れるマナブ。
どうやら、フレデリカの作った玉子焼きは彼の心を──とまではいかずとも、胃袋をつかむことには成功したようだ。
「そういえば、お母さんから聞いたよ。玉子焼きが好きなんだって?」
マナブの態度が軟化したのを見て、鈴代征治(
ja1305)がタイミングよく語りかけた。
「うん。うちの近くのお寿司屋さんで食べる玉子焼きがすごくおいしいんだ。これも同じぐらいおいしい」
「そうかぁ。それはよかった」
狙いどおりである。マナブの母親に聞き込みして、よく行くという寿司屋の玉子焼きを手に入れ、味を分析したのだ。
慎重に様子をうかがいながら、征治は問いかける。
「お母さんの話だと、毎月お給料日には食べに行ってたみたいだね。また行ってみたい?」
「行きたくたって行けないじゃん」
こういう答えが返ってくるということは『行きたい』のだ。と、征治は判断した。
しかし、ただの玉子焼きのためだけに退学するとは考えにくい。ということは──
「聞いた話だと、お母さんは仕事が忙しくて、なかなか一緒に出かけたりできなかったみたいだね。月に一度いっしょにお寿司屋さんに行くのは、たのしみだったんじゃないかな?」
「そうだよ。わるいかよ」
「いや、なにも悪くないよ。お母さんもマナブ君と出かけるのはたのしみだったと言ってたしね」
「そ、そうかよ」
それだけ言って、マナブは恥ずかしそうに顔を伏せた。
どうやら予想どおりだったようだと結論する征治。
だが問題は、『母親と一緒に暮らしたい』という言葉をマナブの口から引き出すことができるかということだ。彼本人が望まなければ、母親に伝えるのは難しいだろう。
とはいえ、目標はハッキリした。
征治は全員に目配せし、それとなく方針を伝える。
「……キミさ、こう考えてない?」
とぼけたような口調で口火を切ったのは、ジェラルド&ブラックパレード(
ja9284)だ。
「ボクがいないと、たいせつなママを守れない。だから、学園をやめて家にもどる……ってね」
「…………っ」
マナブは何も答えなかった。
が、答えなかったという事実が答えだ。ジェラルドの問いかけが間違っているなら、否定するのが道理なのだから。
「キミが守りたいと思うモノは、たしかにキミがそばにいたほうが守れるのかもしれない。でも、この学園で力をつけることは、だいじなモノを守ることに直結するんだ。絶対に正しい選択肢なんてないけれど、どういうメリット、デメリットがあるのか……よく考えてごらん」
「ボクに説教するつもり?」
「まさか。基本的にキミは自由だ。やりたいことをやればいい。やりたくないことは、やらなくていい。簡単なことさ」
その言葉に、マナブは無言を返すだけだった。
しかし、思いつめるような表情からして、なにかは伝わったらしい。
「そうそう。やりたいことだけやればいいんだよ!」
重くなった空気を振り払うように、レイド・アーチャ(
jb5441)がテンションを上げた。
「お母さんから聞いたぞ。漫画が好きなんだって?」
「あぁ。うん。まぁ」
テンションについていけないのか、マナブは少々とまどい気味だ。
「これなんかおすすめだぞ! 天候戦隊太陽レッドとか!」
「なにそれ。聞いたこともないけど?」
「では説明しよう! この漫画は、突如力に目覚めたニートたちが、近所に現れる怪人と戦う物語なのだ!」
「おもしろいの? それ」
「ああ、抜群におもしろいとも! だまされたと思って読んでくれ! 偶然ここに第一巻がある! これを貸してあげよう!」
「まぁいいけど……」
手渡された漫画本をパラパラめくり、マナブは首をかしげた。
だが、ともあれ空気が軽くなったのは間違いない。
その空気をさらに軽くしようとばかりに、箱(
jb5199)がスケボーを手に取った。
「マナブ君。突然デスガ、私ニスケボーヲ教エテ下サイ」
「えぇ……? やだよ、面倒くさい」
「ソウ言ワズニ!」
箱は恐る恐るスケートボードに足を乗せると、ふらふら滑りだした。
そして、五メートルも行かないうちに転倒。みごとなコケっぷりである。
「ぷっ」と、マナブが噴き出した。
「予想以上ニ難シイ……」
箱は懲りずに再び滑りはじめ、やはり五メートルほどで転んだ。
「あーあー。なにやってんだよ」
見かねたように立ち上がるマナブ。
ひったくるようにスケボーを取ると、彼はあざやかな滑りを見せた。手近に障害物がないので比較的簡単なジャンプやフリップだけだが、余裕綽々で決めているところを見れば相当のテクニックを持っていることがわかる。
「オ見事デスネ。私ニモ出来ルヨウニナリマスカ?」
「まず、まっすぐ滑れるようにならないとダメだね」
「ソレヲ教エテ下サイ」
「ええ? ……まぁいいや。わかったよ。ちょっとだけだぞ?」
そんな風に言いながらも、マナブはどこか嬉しそうだった。頑固なところもあるが、しょせん子供なのだ。ほめられれば簡単に気を良くしてしまうのである。
それからしばらくのあいだ、スケボーのレッスンが続いた。
手ほどきを受ける箱は真剣そのもの。マナブを懐柔するためだけではなく、本気で親しくなろうとしているのだ。
しまいにはSadikやレイドも加わって、ちょっとしたスケボー教室になってしまう。だいぶ本筋から脱線しているが、笑顔を見せるマナブの様子からすれば無駄な時間ではないだろう。
結局小一時間ほどスケボーで遊んだあと、もどってきたマナブはだいぶ打ち解けた感じになっていた。
話を進めるなら、この機をおいて他にない。
「……あのぉ……マナブ君は、退学したあとどうする予定なんですか……?」
やさしい声音で問いかけたのは、恋音だ。
「べつに。なにも決めてない」
「……なにかやりたいことがあるわけではないんですね……?」
「ないよ。いいだろ、べつに」
「……久遠ヶ原学園は学費無料ですけれど、撃退士にならない場合は学費が発生しますよね……? だから、退学したあと仮に復学できても、お母さんに経済的な負担をかけることになりますよ……?」
「復学なんかするつもりないっての」
「……でも、この学園に通っていれば学費はゼロですよ……? ほかの学校なら少なからず学費がかかりますよねぇ……?」
「そうかもしれないけど……。それぐらいは……」
うまく言葉がまとめられなかったのか、言いよどんで黙ってしまうマナブ。
その様子を見れば、母親に負担をかけたくないのだということが丸わかりだった。
「なにがなんでも退学したいというのであれば、それもひとつの道だと私は思います」
退学を後押しするようなことを言いだしたのは、雅人である。
「なんだよ。ボクを引き止めるように先生から言われたんじゃないの?」
「言われましたが、マナブ君の心をねじ曲げてまで説得するつもりはありません。……ちょっと個人的な話をしますが、私はこの学園に来る前の記憶がありません。いわゆる記憶喪失ですね。……なので、私には帰るべき家も守るべき家族もないんです。こんな私から見ると、帰るべき家があるマナブ君はうらやましい……。本当に、心の底から家に帰りたいのであれば、迷わずそうすべきだと私は思います」
「…………」
ここでもまた、マナブは黙りこんだ。彼の中でも、いろいろと未整理の部分があるのだろう。あるいは、自らの本心がわかっていないのかもしれない。
「まぁ、どうしてもやめたいというなら、それも本人の選択ですよね」
雅人の意見を肯定したのは、十郎太だ。
マナブは口を閉ざしたまま、雅人と十郎太を交互に見つめる。ふたりの本意をはかりかねているのだろうか。
「ただ、ここでやめてしまっては撃退士として半端なままですよ。だれかを守りたいとき、力がたりないかもしれない。せめて基礎だけでも身につけておけば、それは将来大きな武器になるでしょう」
「わかってるよ……。わかってるんだ、そんなことぐらい」
言いながら、マナブは苛立ったように頭をぐしゃぐしゃ掻いた。
そもそも、彼は幼いころから撃退士になりたいと言いつづけていた。それは何のためか──。
「もしマナブさんが家族を守りたい一心で撃退士になったのでしたら、」
「わかってるって言っただろ!」
十郎太の言葉を遮って、マナブは大声を張り上げた。
「わかっているのでしたら、退学は考えなおしたほうがいいのでは?」
「しつこいな! わかってるんだよ! もういい! ボクは帰る!」
声を荒げて言い捨てるや、マナブは背を向けた。
「……おい、ガキ。いいかげんにしろよ」
凄みのある声で言い放ったのは、Sadikだ。
「ボクはガキじゃない!」
「笑わせんな。てめぇの力で生きてもいけねぇくせに、口だけはいっちょまえか? 単なるワガママ放題のガキじゃねぇか」
「ボクは一人でも生きていける!」
「へぇー。だったら家に帰る必要ねぇだろうが。すなおに言っちまえよ。ママと離れて暮らすのが寂しいんです、ってな」
「……っ!」
図星をつかれて、マナブは耳まで赤くなった。
「ほら、図星だろ? このガキが。顔真っ赤じゃねぇか」
「ぅぅ……っ」
にぎりしめられたマナブの拳が、ぶるぶる震えた。
Sadikが、からかうように言う。
「怒ったのかよ、ガキ。あたしを殴りたいか? いいぜ。殴ってみろよ、ほら」
「この……! くそっ!」
マナブの拳は、意外にも彼自身の側頭部に叩きつけられた。
それも、一度だけではない。二度三度と、たてつづけにだ。
あわてて止めに入る、十郎太。
「どうしたんですか、突然」
「だって……! どうすればいいんだよ!」
「おちついて……。わかるように説明してください」
「もうわかってんだろ、どいつもこいつも馬鹿にしやがって! ボクはママと一緒にいたいんだ! 久遠ヶ原に来たら別々になるなんて知らなかったんだよ! でもママは知ってたんだ! 知ってて、ボクをここに入れた! ボクのことが嫌いなんだ!」
その告白に、唖然とする学生たち。
十郎太が諭すように言う。
「マナブさん。俺たちはあなたのお母さんから色々と話をうかがってきました。その話の中で一番よく伝わってきたのは、あなたへの愛情です。嫌っているなんて、とんでもない。マナブさんの勘違いですよ」
「ウソだ!」
「ウソじゃありません。マナブさんがすなおにお母さんへの想いを伝えれば、ちゃんと応えてくれるはずです」
「なにをどうやって応えるっていうんだよ! この島には撃退士しか住めないんだろ!? ボクがやめるしかないじゃないか!」
「そんなことはありません」
十郎太は、征治と恋音のほうへ目をやった。
征治が大きくうなずいて言う。
「はい。お母さんに島へ転居してもらうことは可能です。念のため本人の意思も確認しておきましたが、マナブ君がのぞむならすぐに転居すると言ってましたよ」
「でも、だって、仕事はどうするんだよ! 毎日こんなところから通えるワケないだろ!」
「……ちょっと調べてみたんですけれど……こちらでのお勤め先はすぐに見つかると思います……。お母さんは通訳のお仕事をされているそうですね。そういったお仕事は、久遠ヶ原にもたくさんあります……。島内で働くということになれば、商業IDが発行されますので、なにも問題はないかと……」
答えたのは恋音だ。彼女と征治はこの可能性を高く見て、事前に調査していたのである。ぬかりはなかった。
「じゃあ、なんだよ……。ボクは、この島でママと暮らせるの……?」
「……そういうことに、なりますね……」
恋音がちょっと恥ずかしそうにニコッと笑うと、マナブは喜びのあまりか地面にひっくりかえって泣きだした。
「ほんとに……!? ボク、撃退士やめなくていいの……!? ここでママと暮らせるの……!?」
その無邪気な喜びようは、見る者の胸を打つほどだった。
恋音や雅人などは涙ぐみそうになっている。
「……ったく、ガキだな」
吐き捨てるように言うSadik。だが、その顔つきは慈母のようにやさしげだった。