依頼を受けた学生たちは、まず食堂に集まった。
ランチタイムだというのに、客はゼロ。
薄汚れた店内はお世辞にも衛生的とは言えず、仏頂面の依頼人は愛想のカケラもない。
「これは、思った以上に……」
店内を見回して、只野黒子(
ja0049)が呟いた。
「飲食店で一番大事な『清潔感』が、完全に失われてしまっていますね……」
袋井雅人(
jb1469)も、少々あきれ顔だ。
言ってるそばから、彼の足下を頭文字Gが走っていく。
「俺ァ掃除がキライなんだよ」
悪びれもせず、依頼人が言い張った。
それを耳にしたドーベルマン(
jc0047)が、厳しい口調で言い放つ。
「開きなおっている場合か? この惨状は、おたくの怠惰が招いた結果だ。首をくくる前に、最低限料理人としての務めを果たしたらどうだ?」
「務め……?」
「まずは掃除だ! さぁ手伝え! きらいだなどと言わせんぞ!」
「あ、ああ」
巨漢で凶貌なドーベルマンに怒鳴りつけられては、頑固な依頼人も重い腰を上げるしかなかった。
「そうそう。『学生食堂』って言うぐらいなんだからさ。学生が来たくなる食堂にしようよ、店長さん♪」
アドラ・ベルリオス(
ja7898)が、笑顔で依頼人の背中をたたいた。
「そうですね。まずは、お客さんが来たくなるようにしましょう♪」
木嶋香里(
jb7748)が同意する。
というわけで、食堂再建の第一歩として大掃除が始まった。
「さぁ徹底抗戦だ」
ドーベルマンは、両手に中性洗剤のスプレーをかまえてポーズを決めた。
これでGを殲滅しようというのである。
戦場で鍛えられた彼にとって、Gなど恐れるものではない。片端から中性洗剤の餌食だ。
「しかし、これは……倒しても倒してもキリがありませんね……」
香里も両手にスプレーを装備してGを撃退しまくっていたが、敵は無限のごとく湧いてくる。
コバエ対策として、水+めんつゆ+洗剤数滴を入れたコップも設置してあるが、コバエどころか大蠅がブンブン飛びまわっている始末だ。
「しかたありません。ここはバル○ンの出番ですね!」
雅人が、手っ取り早い解決策を持ち出した。
これで、とりあえず店内はOKだ。外へ逃げだした害虫も、殺虫剤でサーチ&デストロイ。虫だけでなく、ドブネズミなどもついでにデストロイ。いっそバルカン砲で店ごとデストロイしたいところだが、そういう依頼ではないので地道にやるしかない。
「では、本格的に清掃開始です」
事前に準備万端ととのえてきた黒子は、完全装備で店内へ入っていった。
まずは家具を運び出し、布きれで拭いていく。基本は中性洗剤を百倍程度に薄めたものを布に浸して固く絞り、汚れを拭き取るという寸法だ。頑固な汚れにはアルコールやシンナー系溶剤を使い、ぬるま湯に浸した布きれで洗剤をぬぐったあと乾拭き。金属製の家具は、傷がつかないよう慎重に磨き粉で錆を落とす。
「力仕事は私におまかせください!」
女の子に重いものは持たせないぞと、雅人は張り切って家具を運び出していた。
撃退士に『力仕事』もなにもないような気もするが、こう見えて彼は紳士なのだ。いつもの彼とは違う。いつもの彼とは違うぞ! だいじなことなので二度(略
「汚れを落とすだけでなく、修繕も必要だな」
ドーベルマンは、ドライバーやスパナを手にして机やイスのボルトを締めなおしていた。
見かけのわりにマメな男である。
「大掃除は徹底的にやんなきゃ、だねぇ。不衛生な食堂なんて誰も来たくないんだからさ」
アドラは陽気に笑いながら、ブラシで床をこすっていた。
なにしろ古い飲食店なので、床にはさまざまな汚れがこびりついている。それぞれの汚れに応じた洗剤とブラシを使い分けて、アドラは徹底的に汚れを落としていく。結構な腕力を要求される、重労働だ。
「料理人としては、なによりも調理場を綺麗にしたいですね」
水無月沙羅(
ja0670)は、和服にたすき掛けでキッチンを掃除していた。
長年積みかさなった油汚れは床から天井まで真っ茶色に染めており、すべて落とすのは容易ではない。
それでも、おいしい料理を提供するためならばと沙羅は丹念に汚れを落としていく。
「よくぞ、ここまで汚したものです……」
黒子は、無表情でシンクまわりの水垢を落としていた。
基本的には、ぬるま湯に漬け置きしてこする。
落ちなければ、小麦粉に酢を混ぜたペーストをスポンジにつけてこする。
それでも駄目なら、重曹を歯ブラシにつけて掻き落とす。
あまり撃退士っぽくない、地味な生活の知恵スキルが大活躍だ。
無論、換気扇の手入れも忘れない。
解体したファンとカバーは、洗剤を混ぜた湯に数時間ほど浸け置き。
料理の香りで客を呼ぶため、ほかの箇所より入念に掃除する。
「排水管って、わりと『巣』なんだよね。酵素系漂白剤入れておくわ。泡系なら、なおよし。塩素はあんまり良くないからね( 」
そう言って、アドラはシンクの配水管に漂白剤を投げ込んだ。
皆、こまかいところまでよく気がまわる。
そこへ、ドーベルマンが声をかけた。
「根を詰め過ぎるのは心身ともに毒だ。みんな、このあたりで小休止といこう。俺たちはともかく、店主が限界のようだ」
「では、かるくお茶にしましょう」
沙羅がお茶とお茶菓子を持ってきて、しばしの休憩となった。
「そうそう。いまのうちにこれを渡しておきますね」
お茶を飲みながら、香里はレポート用紙の束を依頼人に手渡した。
「なんだコレは」
「清掃マニュアルです。毎日おこなう清掃と、週に一回の清掃、月に一回の清掃……と、おおまかにまとめました。今日どれだけ綺麗にしても、維持されなければ台無しですからね。きっちり読んで、かならず実行してください」
「掃除か……」
「もう一度言いますよ? かならず、このマニュアルどおりに掃除してくださいね?」
意外なほど強い口調に触れて、依頼人は「お、おう」などと返すだけだった。
そんな掃除班をよそに、大谷知夏(
ja0041)は独自の手段で食堂を立てなおそうとしていた。
(看板娘のアルバイトがいるだけで経営が成り立っていたのなら、アルバイト募集して新しい看板娘を雇えばいいっす!)
そう考えた知夏は、大胆にも商売敵のメイドカフェに乗りこんで店員を引き抜く作戦に出たのだ。
「そこのメイドさん! うちのお店でナンバーワンをめざしてみないっすか?」
なんというダイレクトアタック。
しかし残念なことに……というか当然なことに、応じるメイドさんはいなかった。
それならばと、知夏は客に声をかける。
「そこの人、ウサギの着ぐるみ……ではなくて! 飲食店でのアルバイトに興味はないっすか? 向かいの食堂が近日リニューアルするっすよ。運が良ければ、休憩にメイドさんが訪れるかもっす! 穴場っすよ!」
「「くわしく!」」
瞬時に、数人のバイト希望者が集まった。
当然男ばかりだが、イケメンの看板息子を雇えれば、それ目当てのメイドさんを客として引き込み、さらにメイドさん目当ての客も引き込めるに違いない! おお、なんとラディカルなイノベーション!
「バイトの待遇は、食堂のおっちゃんと相談するっす。さぁ、こっちっすよ」
さりげなくイケメンを選んで、食堂につれていく知夏。
これはGJ! かもしれない!
「ふむ、本人に改善の余地が見られるなら……立てなおせないこともあるまい☆」
そう呟いて、ジェラルド&ブラックパレード(
ja9284)はマーケティングを開始した。
まずは、基本的な調査から。
周囲のライバル店の状況、いままでの客層、売れ筋メニューなど、データ集めだ。
「こればかりは、足を使って集めるしかないねぇ。……ま、これも依頼を成功させるためだ」
そう言うと、ジェラルドは炎天下の中を歩いていった。
「さって、それじゃあうちも調査に行ってきまーす」
アドラもジェラルドと手分けして、メモ帳片手に出ていく。
地味な作業だが、どんな商売でもマーケティングは重要だ。
日が暮れるころになって、調査班二名が帰ってきた。
清掃班の働きで、食堂は見違えるほど綺麗になっている。
まだ掃除は終わってないが、ともあれ店の片隅で作戦会議スタートだ。
「とりあえず、この付近の人の数と流れをざっと計算してみたよ☆」
ジェラルドが、コピーしたレポートを皆に配った。
そこには、時間帯による客層の変化や、パイとなる売上期待値が書き込まれている。
「おお、これは使えるデータだね。うちは、このあたりの飲食店マップと、人口分布の予想図をまとめてみたんだけど、だいたい一致してるかな」
アドラも、数枚のレポートをテーブルに置いた。
何軒かの店は実際に彼女自身が利用してチェックしており、データの正確性は高い。
「これだけの情報があれば、競合店との住み分けはできそうですね」
前髪が邪魔そうな黒子だが、レポートはちゃんと見えているようだ。
「ボクの調べだと、このあたりにはマニア向けというか……向かいのメイドカフェもそうだけど、オタク層狙いのお店が多いね。……というわけで、そういう人たちが好みそうなメニューを開発すればいいと思うんだ♪」
あいにくボクはオタクじゃないから彼らの好みはわからない、と言いたげな口調でジェラルドは微笑んだ。
「そうですね。お客様に喜んでもらうためにも、メニューの改良は必須です。それから、無駄な仕入れをしなくて済むように現行のメニューから注文数の少ないものをピックアップしておきました」
香里も、一枚のレポートをテーブルに出した。
見れば、『コーヒーラーメン』とか『コーヒー雑炊』などという単語が並んでいる。
おもわず唖然として顔を見合わせる、撃退士一同。
「店が潰れそうなのは、これが原因じゃない?」
ジェラルドが冷静に指摘した。
「俺はコーヒーが好きなんだよ! なのに、客はみんなマズイって言いやがる!」
「うん。マズイってわかってるなら廃止しようよ、おやじさん。こだわってられる状況じゃないんだし」
「畜生……っ」
苦渋の表情を浮かべるオッサン。
「とりあえず、人気メニューの『から揚げ定食』と『生姜焼き定食』をメインに、ひと工夫してみませんか?」
コーヒーラーメンなどというゲテっぽい存在は見なかったことにして、沙羅は優しく問いかけた。
依頼人は観念して、こくりとうなずく。
「料理のことなら、私も少し知識がありますので……簡単にカレーをおいしくする特製スパイスや、ラーメンの風味を引き立てる香味油などの作りかたなら、すぐに教えてさしあげます」
「おお……ありがとうよ、ねえちゃん」
頑固親父も、かわいい女の子には弱い。
「客層にオタ系男子が多いなら、大盛りメニューを売りにする手もあるね」
と、アドラが言った。
「お値段すえおきのままで1割増量とか、どうですか? 5割増量でお値段2割アップの、特盛りメニューを新設するとか」
香里も案を出した。
「大盛りメニューだと、このあたり一帯で多いのはトンカツとかの豚肉系。逆に少なめなのが鶏肉系かな」
「なら、人気の高い『から揚げ定食』には特に力を入れるべきですね」
香里の言葉に、全員がうなずいた。
「とはいえ、オタク男子向けの大盛りメニューだけでは心もとないですね……。個人的には、女性客も増やしたいところです」
意外とアグレッシブなところを見せたのは、沙羅だ。
それを受けて、アドラが発言する。
「女性客をつかまえるなら、ヘルシー系だよね。季節の野菜で、月替わりならぬ季節替わりの定食はどうかな? 旬の野菜なら、お値段も手頃だし」
「いいですね。一品の量を減らすかわりに小鉢をつける、女性限定のサービスなんかも良さそうです。チェーンの牛丼屋や定食屋に負けない、リーズナブルで体にもお財布にも優しい『おふくろの味』をめざしたいですね」
「オヤジの俺が、オフクロの味をめざすのか……」
うなだれる依頼人。
「大丈夫。料理は心ですよ」
沙羅はニッコリ微笑んだ。
というわけで方針は固まったが、本番はこれからだ。
メニューの開発、改装オープンの宣伝、オッサンの教育と、やらなければならないことは山積み。
とりあえず、頑固オヤジの指導はドーベルマンとジェラルドのオッサン……もとい、兄貴ペアが担当。メニュー開発は、女子全員で当たることになった。
宣伝役は、ジェラルドと知夏。
バーの経営者であるジェラルドにとって、ネットやクチコミを利用した宣伝はお手のもの。食堂のホームページを作ってグルメ情報サイトに登録したり、ネットクーポンを作るのは常套手段だ。友人のネットワークを使って噂を広めてもらうのも忘れない。
長期的な戦略としては、『レシートを持ってくれば次回来店時サービスメニューを提供』というプランもあった。一回だけの客を集めてもジリ貧なので、リピーターを活性化するのが狙いだ。さすがナンパ師、ぬかりはない。(ナンパ関係ない
そして数日後、改装オープンの日がやってきた。
宣伝の甲斐あって、店の前には開店前から行列ができている。
「おおお……!」
感動のあまり、涙目になるオッサン。
「問題は、この客をキープできるか否か。それは、おたく次第だ」
重い口ぶりで、ドーベルマンが忠告した。
「大丈夫。俺は生まれ変わった!」
大声で言い切ると、店主はシャッターを上げた。
押し寄せた客で、店内は即満席だ。
ランチタイムとあって、定食の注文が多い。
とりわけ、特製のたれを使った生姜焼き定食は一番人気だ。
『氷』暖簾が功を奏したか、かき氷もよく売れる。原価はタダ同然なので、ボロもうけだ。
「頑固オヤジの頑固食堂、本日リニューアルオープンっすよー!」
知夏はウサギ着ぐるみをまとい、『照明術』や『幻想舞踏』で注目を集めながら宣伝活動をおこなっていた。
我が物顔でストリートを練り歩き、めざす先は商売敵のメイドカフェ。
そのまま客として入店すると、当然のように宣伝をはじめる。
「メイドのみなさん、向かいの食堂がリニューアルしたっすので休憩時間にいかがっすかー?」
「お客のみなさん、向かいの食堂ならメイドさんの出待ちが可能っすよー!」
「女子のみなさん、向かいの食堂にはイケメンの看板息子がいるっすよー!」
「あと、頑固オヤジの人生相談室もあるっすよー!」
ふつうなら即座に追い出されるところだが、しばらく放置されていたのは着ぐるみ効果に違いない。
はて、頑固オヤジの人生相談室とは?
親にも叱られたことがない現代の若者たちの悩みを店主に聞いてもらい、相談に乗るどころか大声で叱り飛ばして説教してもらうという企画だ。レトロな店の雰囲気を生かす形で客を増やせないかと考えた、雅人提案の苦肉の策である。
一見アホみたいな企画だが、マゾ体質な学生たちには好評を博したという。
この食堂が繁盛するかどうかは、だれにもわからない。
ただ、いまのところは明るい未来が期待できそうだった。