事件翌日の放課後。
消えたコロッケパンの謎を解こうと、犯行現場(くノ一けいおん部)に探偵たちが集まった。
まずは、顔ぶれから紹介しよう。
一人目は、猫ぐるみ姿の陽波透次(
ja0280)
ぼっちの彼は、『友達募集中』と書かれた画用紙を首に下げている。
基本的に筆談オンリーの彼が、この推理大会でいかなる活躍を見せるのか。乞うご期待。
次に、パンダの下妻笹緒(
ja0544)
明晰な頭脳と常軌を逸した理論展開を得意とする、久遠ヶ原屈指の変人……もとい奇人だ。
今日もまた、彼の冥推理が披露されるのか。
その隣に陣取るのは、小さい子大好きな桜花(
jb0392)
鼻血を出す以外ほとんど何もしない彼女に、探偵役など務まるのか。
四人目は、ただのおっぱい。
ちがった。ただのおっぱいじゃない。殺戮用の、リーサルで、魔性なおっぱいだ。
このおっぱいの名は、月乃宮恋音(
jb1221)。ほかのパーツはオプションである。
そんなおっぱいの恋人袋井雅人(
jb1469)は、全裸にパンツ一丁という姿で堂々と座っていた。
いや失礼。パンツ一丁ではなかった。ちゃんと、顔面にもパンツをかぶっている。それも女子用の。紳士として当然の身だしなみだ。
彼の名は、愛と正義の味方・ラブコメ仮面!
110番は勘弁な!
さて、六人目。
「ゲェーッ! 最上憐(
jb1522)!」
卍がお約束を返したので、紹介は省く。
「……ん。食べ物の。話が。聞こえたので。私。参上。……それで。何の。会議? コロッケの。食べかた?」
「いや、そうじゃなくてな……」
まだ全員の紹介が終わってないので、会話はあとにしよう。
七人目は、月丘結希(
jb1914)
電脳陰陽師探偵である彼女にとって、この程度の事件は楽勝だ。
この世のあらゆる問題は、数学と物理学で解くことができる! ただしいカレーの食べかたとかな!
そして最後に、緋流美咲(
jb8394)
だが、なぜか彼女は顔を赤くして下を向いている。
いったい美咲に何が!? ナニが起きようとしてるんだ!?
とりあえずフラグは立てたので、あとは頑張ってもらおう。
以上、8人の探偵たちが真相解明に挑む!
挑んでくれるといいな!
「……さて、だれが犯人を見つけてくれるの?」
依頼人の明日羽が、壇上から問いかけた。
ちなみに彼女以外の参加者は、円状にイスを並べて座っている。
「私には最初からわかってた! 犯人は憐……あなただね!」
いきなり立ち上がったのは、桜花だ。
突然の言いがかりに、憐は眼をぱちくりさせるばかり。
「みんな知ってるとおり、あなたはカレーが大好き! だから、矢吹さんがカレーパンではなくコロッケパンを大事にしてるのが許せなかったんだ!」
「……ん。証拠は。ある。の?」
「なにもないよ! でも、あなたが犯人だとしか思えないの! さぁ自白して! 大丈夫、私もカレーは大好きだから、気持ちはよくわかるよ! でも他人のものを盗むのは悪いことだから、おしおきしないとね! さぁ、私と一緒に隣の部屋に行こう!」
いまにも鼻血を噴きそうな形相で、憐に飛びかかる桜花。
「……ん。そういう。趣味は。ない。皆無。ナッシング」
憐がパチッと指を鳴らすと、桜花の頭上から闇色の十字架が落ちてきた。
ゴスゥゥッ!
会議開始から30秒。はやくも、1名脱落。
でも大丈夫! EXだから、まだ出番あるよ!
「……ところでぇ……『おしおき』の内容は、決まってるんでしょうかぁ……?」
恋音が問いかけた。
明日羽はニコッと笑って答える。
「考えてあるけど、名案があるなら聞くよ?」
「では……丸一日佐渡乃先輩の玩具になるというのは……どうですかぁ……?」
その瞬間。亜矢が、「ンどぅぶッ!」と、獣じみた声を上げた。
同情するような目を向けながら、恋音が訊ねる。
「あのぉ……なにをそんなに……? 矢吹先輩は被害者ですよねぇ……?」
「そ、そうね! あたし被害者だし! 犯人ちゃうし!」
動揺のあまり、口調まで変わってしまう亜矢だった。
(おしおきは、丸一日明日羽様の玩具ですって……!?)
美咲は、ドギマギしながら場の流れを見守っていた。
じつは先日のサプリ治験で明日羽の洗礼を受けた美咲は、3週間ほど経った今でもそのときの体験が忘れられずにいるのだ。この依頼に参加したのも、すべては明日羽のおしおきを受けるため。推理する気など、さらさらない。とにかく自分が犯人になっておしおきしてもらうのが目的だ! マゾすぎる!
たぶん『明日羽様! おしおきしてください!』と正直に言えば望みはかなうだろうと、美咲にもわかっている。だが、そこまでハッキリ言うのは恥ずかしいのだ。
というわけで、美咲は何が何でも犯人になるつもりである。
が、『自白』するのはまだ早い。万全の態勢を整えて、確実に犯人にならなければ──
「……ん。チョッパーから。コロッケ的な。モノを。食した。匂いがする。私の。鼻は。ごまかせない。犯人は。チョッパー」
これまた唐突に、憐が卍を指差した。
「バカ言え! コロッケなんか食ってねぇよ!」と、卍。
「……ん。とりあえず。解剖して。胃の中を。調べれば。真偽は。あきらか」
「俺はカエルか何かか! 簡単に解剖すんな!」
「……ん。犯人では。ないなら。解剖されても。問題ないはず。拒否するのは。犯人の。証」
「解剖されたら死んじまうだろ!」
「……ん。撃退士は。簡単に。死なない。胃袋の。ふたつやみっつ。問題。ない」
「おまえの胃袋と同列に考えるなよ……」
はぁ、と溜め息をつく卍。
そこへ、亜矢の『影縛り』が命中した。
「ぅお……っ!?」
「やっぱりあなたが犯人ね! さぁ白状しなさい!」
亜矢の目は本気だった。
「ざけんな! いいかげんにしろ!」
「シラを切るつもり? じゃあ憐、こいつを解剖してやって」
亜矢の言葉に従って、憐は刃物を抜いた。
理科室から持ってきた、解剖用のメスである。
「……ん。解剖すれば。白か黒か。わかる。おとなしく。解剖される。べき」
「死ぬっつってんだろ! だいたい、コロッケの匂いって何なんだ!」
すると、憐は卍にだけ聞こえるよう小声で言った。
「……ん。私の。おなかが。満たされれば。コロッケの。匂いが。消えるかも」
「おま……」
「……ん。解剖。されるか。おごるかの。二択。推理には。頭を使う。なので。糖分が。必要。だから。オヤツを。要求する」
「直球すぎるだろ……。おい、クッキー。なにか食いもの出してやれ」
卍に言われて、ふと気付いたように麗司が手を叩いた。
「これは失礼しました。最上さんがいるにもかかわらず、食べ物のことを失念するとは。いますぐ、お茶とお菓子を用意しましょう」
というわけで、大量のお菓子が運ばれてきた。
憐はそれを見て卍への容疑を撤回し、無慈悲な生体解剖実験は回避されたのである。
「じゃあ次ね? だれか、推理したい人いる?」
明日羽が問うと、満を持して笹緒が立ち上がった。
「ここは私の出番だな。わざわざ集まってもらった諸君には悪いが、私の目から見れば真相は明らかだ」
おお……っ、と一同がざわめいた。
笹緒は貫禄たっぷりに、堂々たる態度で言い放つ。
「よく聞きたまえ。皆そろってコロッケパンコロッケパンと騒いでいるが……そんなものなど、最初からなかったのだ!」
「「ええ……っ!?」」
数人の声が重なった。
笹緒は不敵に微笑むと、反論を許さぬ口調で説明しはじめる。
「いいか? まず、ひとつめの事実。それは、『購買でコロッケパンは販売されていない』ということだ。購買で常時取り扱っているパンは、焼きそばパン、あんパン、カレーパンの三種のみ。ならば果たして、矢吹はどこでコロッケパンを入手したというのか」
「あーー。ほら、コンビニとかで売ってるから……」
ボケることも忘れて、ふつうに返してしまう亜矢。
だが、笹緒の耳にそんな言葉は届かない。
「そして、ふたつめの事実! それは『どんなに安価な物品であろうとLv15まで強化するには多額の費用が必要』という現実だ。……そう、Lv15なのだ。当然、相応の久遠が必要となる。眼前の残念くのいちに、そこまでの蓄えがあるというのか。……否、あるわけがない!」
力強く断言して、ダンッと床を踏みしめる笹緒。
そのオーバーアクションぶりは、さながら舞台俳優だ。
「……しかし、しかしだ。矢吹が嘘を言っている風には思えないし、人をだませるほどの知性も感じられない。では何故、矢吹亜矢はありもしないコロッケパンを持っていると錯覚してしまったのか。……その謎の答えは、この場所にこそある!」
ツッコミどころ満載な笹緒の主張だが、あまりの勢いに誰も口をはさむことができなかった。
破竹の勢いで、笹緒は持論をのべる。
「そう、ここに沢山あるモノ……すなわち楽器だ。矢吹は、パン戦争での勝利を願うあまり、これをコロッケパンLv15と思い込んでしまったのだ!」
笹緒が提示したのは、ハーモニカをはさんだカスタネットだった。
なるほど、たしかに一見するとコロッケパンに似てる……か?
「ああ……うん……」
さすがの亜矢も返す言葉がなく、とりあえず最後まで聞く構えだ。
笹緒はノリノリで主張をつづける。
「最高のパンを欲する心と、それを決して手にすることのできない現実が、矢吹の精神を崩壊させた。部室に落ちていた楽器をコロッケパンと認識してしまうまで、さほどの時間はかからなかっただろう。……だれが悪いわけでもない。ただ、この部室が『くノ一けいおん部』であったがゆえの悲劇。二度とこのような悲しい事件を起こさないためにも、今後この部屋は『赤ちゃんパンダ愛好会』の部室とする! 以上だ!」
すべてをやりきった顔で微笑むと、笹緒は優雅な手つきでティーカップを口に運んだ。
まさに完璧。針の通る隙もない論陣だった。
しかし、ここで卍が指摘した。
「いや、コロッケパンLv15は俺も見たことあるんだよ。月乃宮だって、見たことあるだろ?」
「はい……実在するのは確かですねぇ……。コロッケパンレーザーなども見ましたし……妄想の産物ではありませんよぉ……」
恋音が答えると、笹緒は急速に勢いを失って腰を下ろした。
「ふ……ふふ……そんなパンが実在するとは……じつに興味深い……」
だが、これもまた笹緒にとっては知識欲と好奇心を満たすできごとに過ぎなかった。
以上。『パンダ一少年の事件簿 哀しみのコロッケパン編 完!』
「私は今回の依頼書を見て、すぐに一人の容疑者を思い浮かべましたよ」
そう言ってにやりと笑ったのは、雅人だ。
発言はマトモだが、ブリーフ一丁で顔面にパンティをかぶっていることを忘れてはいけない。風紀委員、仕事しろ。
「ふぅん? 容疑者って誰?」
明日羽が訊ねた。
雅人はキラリと目を光らせて、持参したスーツケースを開けた。
そこから転げ出てきたのは、全身を縛り上げられた女子中学生。
「あら……?」
明日羽の顔がほころんだ。
「この子は以前、万引きの犯人として亜矢さんに捕まったことがあります。その恨みを晴らすためにコロッケパンを盗んだのでしょう!」
雅人は少女の口からガムテープをはがすと、背中に鞭を打ちつけた。
ビシィッ、という音が響いて、少女は悲鳴を上げながら床を転げまわる。
「きみは、亜矢さんのコロッケパンについて何か知りませんか? いや、心当たりがないなら無理に話さなくても構いません。はじめから、きみの体に直接訊くつもりですから」
「なにも知らないってば! なんなの、コロッケパンって!」
「亜矢さんのコロッケパンを盗んだのは、あなたですね? 犯行の動機は、私たちへの復讐でしょう? すなおに認めなさい!」
ビシバシと、容赦なく鞭を振るいながら雅人は問いかけた。
「ひぃぃぃぃっ! あたし、なにもしてないってばぁぁ!」
泣きわめきながら、不良少女は潔白を訴えた。
「とぼけるつもりですか! いけない泥棒猫ですね! そんな子は、このラブコメ仮面が全力で拷問……もとい、おしおきです!」
「いやああああ!」
「あなたのようなコロッケパン泥棒は、こうして、こんなふうにして、こうですっ!」
鞭と蝋燭が乱れ飛び、ワイヤーが不良少女の服を切り裂いた。
念のため言っておくが、彼女は無実だ。というか、ものすごい所から容疑者ひっぱってきたな、このラブコメ仮面。予想外すぎる。
「袋井君、そのあたりにしてね?」
やんわりと、明日羽が止めた。
「なぜ止めるんですか。あなたらしくもありませんね」
「だって、この子もう認めてるでしょ? 自分が犯人だって、ね? 認めないと永遠に拷問が終わらないって悟ったはずだし、ね?」
妙に優しい声で明日羽が言うと、不良少女は床に転がったままうなずいた。
「わかったよ。あたしが犯人だって言えばいいんだろ。さっさと放せよ!」
「うんうん。じゃあ一人目の犯人はあなたね? 約束どおり、おしおきね?」
強引に決めつけると、明日羽は不良少女の口にガムテープを貼って再びスーツケースへ押し込んだ。
「んんんんん〜〜っ!!」
必死に首を振る少女だが、無駄な抵抗に過ぎない。
ばたんとスーツケースが閉じられると、あとは何も聞こえなくなった。
「ねぇ袋井君? このケース、しばらく貸してね?」
「いいですとも! 遠慮なくお持ち帰りください!」
こうして鬼畜ふたりの話しあいにより、罪もない万引き少女が生き地獄に落とされたのであった。
名もないモブに、なんてことを……。
「さて、暫定犯人はこの子だとして……次の犯人を見つけようか?」
ガタガタ動くスーツケースを教卓に置くと、明日羽は頬杖をついた。
犯人が見つかったのに犯人さがしをつづけるというのも妙な話だが、だれも止めないので会議は続行。
「あのぉ……ちょっと、いいですかぁ……?」
おずおずと、恋音が手をあげた。
「ん? 恋音ちゃんもスーツケースに入りたいの?」
「いえ、あの、そうではなくてぇ……そもそも、金庫にコロッケパンが入っていることを知っていたのは、誰と誰なんでしょうかぁ……。それがわかれば、犯人も絞れるのではないかとぉ……。どうなんでしょうかぁ……矢吹先輩」
「あー、金庫の中身を知ってたのは、あたしだけよ。でもさ、中身なんか知らなくても金庫が目に入ればとりあえず開けてみるんじゃない? だって、泥棒なんだし」
どこか苦しげな顔で、亜矢は答えた。
「しかし、ですよぉ……? パン以外、なにも盗まれてないのですよねぇ……? 仮に矢吹先輩の言うとおりですとぉ……犯人は特に盗みたいものもなく忍び込み、なんとなく目についたからという理由で金庫を開け……食べられるかどうかもわからないコロッケパンだけを盗んで逃げた、ということになりますねぇ……。これは、かなり不自然な行動ですよぉ……」
「それで、なに? あんたは何を言いたいの?」
「結局、犯人の目的は……『矢吹先輩が皆を疑って大騒ぎになる』という状況を作り出すことだと思うのですよぉ……。典型的な、愉快犯ですねぇ……」
「そこまで言うなら、犯人はわかってるわけ?」
亜矢の声が硬くなった。にぎられた拳は、かすかに震えている。
この時点で参加者の半数以上は真相を悟っていたが、あえて言葉にする者はいなかった。なにしろ証拠がない。もっとも、シンパシーでも使えば話は別だが。……そう、シンパシーでも使えばな!
微妙な緊張感の漂う中、恋音は淡々と続ける。
「この推理にぴったり当てはまる人物……それは、一人だけなのですよぉ……」
「だ、だれよ。まさか、あたしの狂言だって言うんじゃないでしょうね! だったら証拠を見せなさいよ!」
ほとんど自白みたいなことを言いだす亜矢。
だが、恋音の告発は予想外のところに飛んだ。
「えとぉ……犯人は矢吹先輩ではなくてですねぇ……これなのですよぉ……」
恋音もまた、スーツケースを引っ張り出して中身を転がした。
出てきたのは、ボロ切れみたいになった黒子。
そう、これは恋音の背後!
正直メタネタすぎるので、以下略!
つかのま、不穏な空気が流れた。
そんな空気など知らんとばかりに、透次はスケッチブックを手にしている。
そこに書かれたのは、こんな文言だ。
『矢吹さん。コロッケパンを見つけるのに少しでも役に立ったら、友達になってくれますか? いまならヒリュウをモフモフする権利も付けますよ? どうですか? 私と友達になってみませんか?』
「それはいいけど、見つける自信あるの?」
亜矢の問いに、透次はコクコクとうなずいた。
そして、迷探偵透次の推理が始まる。
『犯人は、コロッケパン本人かもしれません』
「はァ……!?」
突拍子もない文章を見て、亜矢は声を高くした。
『信じられないのも無理はありません。しかし、私は見ました。コロッケパンらしき物体が廊下を這いずって、いずこかへと去っていくのを。はよせな、とか呟いてて焦ってる様子でした。証拠もあります』
透次はスマホを取り出して、動画を再生した。
なんとそこには、人間サイズのコロッケパンが!
一同の間に、ざわめきが走る。
『このサイズですし、コロッケパンに化けた忍軍とかディアボロだったのかもしれません。でも、レベル15まで進化したコロッケパンなら自我を持ち巨大化してもおかしくないですよね? 私の八岐大蛇も、さびしい時たまにしゃべりますし』
それは多分、ぼっちをこじらせすぎた透次の幻聴に違いなかった。
これには、さすがの亜矢もどうツッコめばいいのかわからない。
『矢吹さんが暗い金庫に監禁してたせいで、家出したのかもしれません。アウル的な念動力で扉を開けて脱出とか。付喪神的な何かが宿った可能性もありますね。この世界では、なにが起きるかわかりません』
「……まぁそれはいいけど。どうやってコロッケパン見つけるの?」と、亜矢。
『目撃情報をあつめて、どうにか……』
「うん、わかった。じゃあ見つけたら友達になろうね」
『…………』
透次はガックリうなだれると、ヒリュウを召喚して部屋の隅っこで独り言を始めるのだった。
「やれやれ……。誰も彼も、なにもわかってないわね」
あきれたように言って、結希は肩をすくめた。
その尊大な口調に、全員の視線が集まる。
「いい? 今回の事件で最大の焦点になるのは、金庫の状態よ。これは複素ユークリッド空間におけるベクトル、いわゆるヒルベルト空間において定義できるわ。クッキー……もといハカセなら当然わかるわよね?」
「もちろんです。さすがに月丘さんは博識ですね」
麗司が応えた。
それを受けて、結希は理論を展開する。
「よく知られているように、量子論においてはオブザーバルAを測定した場合、測定値はエルミート演算子Aにおける実数値を返してくるけれど、その固有値はP(An)=|||An><An|ψ||2で示されるの。……簡単に言うと、対象が金庫の中の状態を観測した時点で可能性が収束し、状態が固定化されるのよ。つまり、コロッケパンが存在する状態と存在しない状態が同一時間軸上に平行して存在し、今回は『ない』という可能性に収斂したのが現状なわけよ。これは、ぱんつはいてるかはいてないかは実際に観測するまでわからないという、シュレディンガーのぱんつ的な例で簡単に説明できるわね」
この時点で、結希の話を理解できているのは半分以下だった。
しかし一向に構わず、結希は話を進める。
「シュレディンガーの猫は量子論への反証だから、今回はぱんつね。だいたい、猫がかわいそうじゃない。……さて、今回は『コロッケパンは存在しない』という可能性に収束したわけだけれど、その原因もまた無数に存在するわ。あえて犯人を特定するのなら、全員が該当するわね。この中の誰かが盗んだという可能性を観測して収束させるにはシンパシーが有効だけれど、今回は禁止されてるから特定できないのよ」
「月丘さんは、確率的決定論の支持者ですか。たしかに、ボルンの手法はエレガントです。しかし、いまの主張には疑問がありますね」
「疑問ってなによ、ハカセ」
「月丘さんはシンパシーをつかえば波束が収縮して真相が解明されると言いましたが、この観測者自身もまた、確率論的宇宙から逃れることはできません。くわえて、観測者の『意識』にも言及する必要があるでしょう。仮にシンパシーで情報を得たとして、その『情報』とは何なのか。ペンローズ先生の量子脳理論によれば
「そこらでやめとけ、クッキー」
おしゃべりなNPCを、卍が止めた。
話をまとめるように、明日羽が言う。
「つまり結希ちゃんは、『この場の全員が犯人』って言いたいの?」
「そのとおりよ、量子論的に言えばね」
「じゃあ、全員おしおきだね? 私は結希ちゃんを支持するよ?」
結果的に良かったのか疑問だが、結希に支持者がついたのは確かだった。
うん、あきらかに自殺行為だ、これ。
さて。これで全員の推理が披露された。
ここでついに、満を持して美咲のターン!
「私には、真犯人がわかりました! 聞いてください、明日羽様!」
「ん? ずいぶんな自信だね?」
「はい! 明日羽様は百合華さんを疑ってますよね!? いえ、百合華さんが犯人だと確信しているはずです!」
「美咲ちゃんは面白い子だねぇ? うん、たしかに私は百合華が犯人だと思ってるよ?」
明日羽が平然と返し、百合華は「えええ……っ!」と声をあげた。
そんな百合華におかまいなく、美咲は推理を炸裂させる。
「ですが、百合華さんは犯人ではありません! これは、百合華さんに恨みを持つ者による犯行! 明日羽様にかわいがられている百合華さんを妬む者が引き起こした事件なのです!」
その推理だと亜矢もコロッケパンもまったく関係なくね? と誰もが思ったが、ここからどういう結論に持っていくのかが気になって、だれもツッコめなかった。
「いいですか。これは、百合華さんを妬む者による犯行。つまり犯人は、百合華さんと同じ人種……ドMだぁぁぁぁっつ! わかりますか、この真実が! ドMの『M』は、美咲の『M』! すなわち、真犯人は私! これぞ、命を賭けたダイイングメッセージなのですぅっ!」
「「…………」」
意味不明、根拠不明、目的不明の『自白』を前にして、参加者一同唖然だった。
ここまで堂々としたマゾ宣言は、明日羽でさえ見たことがない。あの、数々のマゾを手籠めにしてきた明日羽でさえもだ!
「あの……盗んだパンは、どうしたんですか……?」
問いかけたのは百合華だった。
おなじM属性として、美咲をライバル認定したのだろう。
「もちろん食べました! Lv15コロッケパン、まさに究極のパンでしたよ!」
迷いなく答える美咲。
そこへ、今度は亜矢が問いかける。
「あんた、そこまでして『おしおき』されたいの……?」
「そういうわけではありません! しかし、犯した罪の罰は受けなければいけませんよね! これは正当な報酬……いえ、正当な罰なのです!」
「正気なの? 丸一日、あの狂人レズゾネスの玩具にされるんだよ!?」
「ああ、なんてたのしみ……ではなく、おそろしいんでしょう! 明日羽様に、あんなことやこんなことをされてしまうなんてぇぇ……!」
うっとり顔で呟く美咲。
駄目だコイツ、早くどうにかしないと……。いや、すでにどうかしてた。マジで、どうしちゃったんですか、美咲さん。一体いつから、こんなキャラに……。
「じゃあ美咲ちゃん、早速おしおきね?」
明日羽の手からチェーンが飛んで、美咲の上半身に巻きついた。
「あ、明日羽様……っ!? そんな、強引な……♪」
「こういう風にされたいんでしょ?」
じゃらりとチェーンが鳴って、美咲は明日羽に抱き寄せられた。
「ふあぁぁぁ……っ♪」
そして始まる、ダイミダラーな行為。
教卓の陰に押し倒された美咲は、悦びの悲鳴を上げるだけだった。
「……明日羽が向こうの世界へ旅立ってしまったので、私が代わって司会を務めましょう」
キリッと顔を引きしめて、麗司が教壇に立った。
その背後では明日羽と美咲がSMプレイを繰り広げているのだが、参加者たちも慣れたもので、わりと動じてない。強いて言うなら、桜花と恋音は仲間に入れてもらいたそうだ。あと、雅人は明らかに仲間になりたそうである。ていうか実際に「フオオオオ! 私にもおしおき役ををを……!」とか叫んでる。ちょっと……いや、だいぶうるさい。
笹緒は笹緒で、すでに事件は解決したと言わんばかりの態度で新聞を読んでるし、透次は教室の隅っこでヒリュウとお茶を飲みながら戯れ中。憐はカレー煎餅を食べるのに必死だ。
最初からわかっていたこととはいえ、まともな参加者がいない!
そんな中、比較的まともな結希が言葉を発した。
「やれやれ。茶番もいいところね。結局、自称犯人が2人出てきただけじゃない。客観的に見て、真犯人は見つかってないわ。波束は収斂しないままで、この場の誰にだって犯人の可能性はあるのよ」
「そうよ! 結局だれが犯人なの!? せっかく騒ぎを起こしたのに、これじゃ変態どもを喜ばせただけじゃない!」
もう自白したとしか思えないことを口走る亜矢。
そのとき、恋音がそっと手をあげた。
「あのぉ……矢吹先輩……ひとつだけ、ためしたいことがあるのですけれどぉ……」
「ん? なにをためすの?」
「矢吹先輩に、シンパシーを使ってみてもいいですかぁ……?」
「ダ、ダメよ、そんなの! プライバシーの侵害じゃない! それともなに? 恋音はあたしのことを疑ってるの!? あたしが退屈だったから、自作自演で大騒ぎして遊んでるとでも思うわけ!?」
「えとぉ……はい……そのとおりですぅ……」
「信じられない! あたしは恋音のこと、友達だと思ってたのに! まさか疑われるなんて!」
「私も、先輩のことは慕っていますよぉ……。でも、それとこれとは別問題ですぅ……」
恋音が引かないのを見て、亜矢は雅人を睨みつけた。
「ちょっと、そこの変態仮面! 恋音がこんなこと言ってるんだけど!? 教育が必要じゃないの!?」
「おお! たしかにそのとおりですね! 亜矢さんを疑うとは、なんとけしからん! そんな悪い子は、このラブコメ仮面が全力でおしおきです!」
鞭と蝋燭を両手に持ち、三角木馬にまたがって突撃する雅人。
「そ、そんな、ご無体なぁぁ……! 私はシンパシーを提案しただけですよぉぉ……!」
「言いわけは無用ですよ、恋音! シンパシーは禁止と、あれだけしつこく注意されていたではありませんか! 言うことをきかない子は、こうです!」
雅人十八番の必殺アレスティングチェーンからキッコーバインドがつながり、トライアングルホースにキャンドルパレードが炸裂して、恋音は白い煙を噴き上げながら木馬の上に倒れた。
──ここで終わりかと思いきや、さにあらず。
「恋音ぇぇぇ! 私が! 私が今すぐ! なおしてあげるよぉぉぉ!」
ついに臨界点を超えた桜花が、鼻血を流しながら突進してきた。
恋音は意識を失いつつも、身の危険を感じてミミズみたいに逃げようとする。
そこへ、光纏と同時に野獣のごとく襲いかかる桜花。
「まずは人工呼吸だよね! たっぷりと! ディープに! 濃厚な感じで! 次に服を脱がせて、やさしく性感……もとい心肺マッサージ! さらにパンツを脱がせティウェヒヒヒヒ!」
まぁ言ってるだけなんで。実際どうなったかは、ご想像におまかせします。
この桜花って人、ある意味明日羽よりひどいな……。
しかしまぁ、シンパシーを使おうとしただけでこんな目に遭うとは……。だから言ったのに……。
そんなこんなで日も暮れて、時計は午後七時を指し、スピーカーから蛍の光が流れだした。
真犯人は見つからないまま(?)美咲と恋音、名もない不良少女の3名が帰らぬ人となり、参加者たちの間には疲労感が漂っている。
そんな中、透次は『お茶汲み係』と書かれた画用紙を首にさげ、緑茶と羊羹をくばっていた。
「……ん。これは。なかなかの。一品。くどすぎず。甘すぎず。まるで。カレーのような」
羊羹一本を丸呑みする憐。
それを見た麗司が、ここぞとばかりにお約束を口にする。
「最上さん、よう噛んで食べたほうが良いですよ」
「……ん。羊羹は。飲み物。お茶も。飲み物」
そのとき、
バアアアン!
机をブッたたく音が響いた。
「悠長にお茶とか飲んでる場合じゃないのよ! あんたたち、コロッケパンを盗んだ犯人を見つけるために集まったんでしょ!」
羊羹をもぐもぐしながら怒鳴る亜矢。
「しかし、矢吹さん。もう時間がありません。ここは民主主義にのっとって、だれが犯人か投票で決めましょう」
麗司が提案した。
「いいわよ! どうせ犯人は卍に決まってるんだから! わかってるわね、みんな!」
亜矢が賛成し、とくに反対意見もなかったので、投票が実行されることになった。
──結果、亜矢がダントツで真犯人に決定!
「あら? 亜矢が犯人? じゃあおしおきだね?」
明日羽が最高の笑顔で振り向いたとき、すでに亜矢の姿はなかった。
開票途中で逃げたのである。
「……結局なにがしたかったんだ、あのバカ」
卍が溜め息をついた。
「ふむ……じつに興味深い行動だ……」
お茶をすすりながら、笹緒は思案顔になる。
「まぁ、私は玩具が二つ手に入ったから、いいけどね?」
と、明日羽が微笑んだ。
その足下には、死んだマグロみたいになって鼻血を垂れ流す美咲の姿が。
このあと彼女は、スーツケースの不良少女とともに明日羽の自宅へと運ばれ、一晩中遊ばれてしまうのだ。
こうして、『久遠ヶ原学園におけるコロッケパン消失事件捜査本部』は即日解散。
結局、事件の真相は闇に包まれたままであった。