●日曜日が来る前に
およそ1年遅れとなる夜見路沙恵(jz0303)の入学歓迎パーティーの開催を数日後に控えたある日の放課後、イベントのサポートを買って出たレイラ(
ja0365)は発起人の1人である湊ヒカリ(jz0099)と高等部の教室で密かに打ち合わせていた。
「可愛い妹のような沙恵ちゃんのためです、精一杯支えさせて頂きます」
「お気持ちは分かりますよ。レイラさんは何度も夜見路さんと同じ依頼に同行されてますからね」
にっこり笑って頷いた後、ヒカリは小首を傾げた。
「‥‥ところで、ボクに何の御用でしょうか?」
「ヒカリ君は学園でも人気者ですよね?」
「ええっ!? いや、そんなことないですよぉ」
照れくさそうに赤面し、わたわた両手を振るヒカリ。
確かに「人気がない」といえば嘘になる。
一応「彼女」と呼べる女子生徒との交際があるので隠しているが、教室の机や下駄箱にこっそりラブレターが入れられていることも少なくない。
――もっともその約半数は同じ男子生徒からのものだが。
「何度か同じ依頼をこなしているといっても、私は沙恵ちゃんより年上だし、戦闘中はプライベートな話をしている余裕もありません。もしあなたに彼女と同世代のお友達がいたら、その子たちが好きそうな歌や料理を聞いておいて頂きたいのです」
既に入学後1年といっても、これまでの経緯を思えば沙恵と学園、そして他の学園生徒達とを隔てる名状しがたい「空気」が存在しているであろうことは想像に難くない。
彼女の辛い過去を知るレイラは、だからこそ沙恵に普通の女子生徒として同世代の友人達と楽しい学園生活を送れるようになって欲しいと願っていた。
「うーん、そういうことなら‥‥ボクの場合、友達っていえばバイト仲間の方が多いですが、中等部の子も何人かいますね」
ちなみにヒカリのバイト先とは久遠ヶ原商店街の一角にある男の娘カフェ「陽だまり」である。
「だから夜見路さんと同い年でもちょっと特殊‥‥というか女装好きの男子ばかりになっちゃいますけど」
「構いませんよ。女装男子ならそれだけ女の子の気持ちにも通じて一石二鳥でしょう」
「そうですか? なら、今夜のバイト中にでもそれとなく聞き出しておきますね」
慣れた手つきでスマホのスケジュール管理アプリにメモ書きしながら、ヒカリは請け合う。
ふとスマホから顔を上げ、同席する亀山 淳紅(
ja2261)の方を見やった。
「――で、亀山さんはどんなご用件でしょう?」
「それなんやけどなぁ‥‥よかったらヒカリちゃんの洋服、貸してくれへん?」
(‥‥?)
ペコリと頭を下げて頼み込む淳紅の、凪いだ海のように静かな微笑にヒカリは微かな違和感を覚えたが、何か事情があるのだろうと思いあえて口には出さなかった。
「ええ、いいですよ? 亀山さんの体格ならボクとそう変わりませんし。あ、何ならこれからボクの寮に来て試着してみます? 今日のバイトは夜勤シフトだから、まだ時間は充分ありますよ」
レイラと別れ、ヒカリの案内で彼の学生寮に向かいながら、淳紅はぼんやり思った。
(沙恵ちゃんをこの道に誘って、あの場にいて、あの結果を招いた一因で、‥‥この前はまた泣かせてしもて‥‥)
いくら歓迎パーティーといえ、「亀山淳紅」として何事もなかったかのごとく沙恵にお祝いの言葉を述べるなど、あまりに図々しい――少なくとも淳紅自身はそう考えていた。
死亡したヒルコ(jz0124)の件も含め、これまで撃退士としての戦いの中で多くのものを失い、幾度となく心を傷つけられた。
一時は深い水底に沈みこんでいた淳紅の魂――だがそれもとある夏の日から少しずつ光差す水面に向けて浮かび始め、小さいながらも生きることへの希望を見出しつつある。
今はまだ正面から沙恵と向かい会う勇気がない。
しかしこれから久遠ヶ原学園生徒として、撃退士として生きていく覚悟を決めたあの少女のために、自分なりの「贈り物」を渡したかったのだ。
●1年遅れのウェルカム
かくして次の日曜。
会場として貸し切りにした空き教室に集まったのは、沙恵と彼女のクラスメート達、そしてサポート役として依頼に参加した学園生徒、総勢40名余り。
かなりの人数になるが、事前に食卓用の机を中央に集め、余った分は壁際に寄せて何とかスペースを確保した。
「夜見路さんの歓迎会か。今まで他の学園生徒とゆっくり接する余裕なんかなかったみたいだし、これをきっかけに楽しい学園生活を過ごしてもらえるようになるといいな」
黄昏ひりょ(
jb3452)持参の手作りサンドイッチをバスケットから取り出し、後輩の川澄文歌(
jb7507)と共に机に並べ始めた。
「本当は合いそうな紅茶も入れれるといいんだが‥‥そっちは修業中、人に飲んでもらえるレベルじゃないしな」
「紅茶なら私が準備してきましたよ」
「あ、文歌さんが準備してくれたんだ? 助かったよ、ありがとう」
「サンドイッチにはつきものですからね」
今朝方自ら淹れ、ポットに詰めた紅茶を文歌は机に置いた。
購買で買ってきたお徳用の紙コップとプラスティックのスプーン、角砂糖、レモンやミルクも並べ、希望者が自分のお好みで飲める形にセッティングする。
「できればお茶会らしくティーカップで飲んで頂きたいところですが‥‥さすがにこの人数分を用意するのは難しいですしね」
お手製の紅茶とサンドイッチを並べた終えたところで、ひりょと文歌は互いに顔を見合わせ、「こんなものか」というようにうなずき合った。
「俺は夜見路さんとは初顔合わせ、だから辛い時期の夜見路さんを知らない‥‥」
やや思案顔で呟くひりょ。
「せめてこういう時間くらいは笑顔でいてくれるといいな」
「同感です。たとえ初対面でも同じ久遠ヶ原学園の仲間ですしね。幸い沙恵さんは歌が好きだそうですから、私が何かお手伝いできるかもしれません」
学園内ではアイドル部部長としても活動する文歌には、何やら考えがあるようだ。
「ひりょにーたのさんどいっち、いいにおい!」
思わずつまみ食いしそうになったキョウカ(
jb8351)が「まだ食べちゃダメだよ」と窘められる。
それでも、
「みんなでわいわいするの、たのしー、なのっ」
お祭りを前にしたような空気にワクワクが止まらないキョウカ。
その傍らでは、Rehni Nam(
ja5283)(レフニー・ナム)が腕によりをかけて作った手焼きのクッキーを大皿に盛りつけている。
「おっ、レフニーさんお手製のクッキーも美味しそうですね」
「お菓子部部長代理として、無様なものは作れません」
黒百合(
ja0422)もまた、持参のクッキーやサンドイッチに加え、バッグから取り出した一升瓶をどんと机に置いた。
「祝いの席だし、お酒だって要るわよねェ?」
沙恵自身は外見どおりの中学生で未成年だが、そのクラスメイトには堕天やはぐれ悪魔も含め、既に成人年齢に達した生徒もいるという。
かくいう黒百合も、見かけは中学生くらいだが実際は成人しているのだ。
「大変なこと悲しいことが一杯あったし、まだまだ大変だけど、楽しめる時は思いっきり楽しまなくちゃ」
生徒会から借りてきたカラオケセットを教壇上にセットしながら、犬乃 さんぽ(
ja1272)はふと呟く。
「‥‥沙恵ちゃんにも、そう思って貰えたらなあ」
九十九(
ja1149)が持ち込んだのは自前の点心と飲茶セット。
いずれも手作り、香港仕込みの本格的味付けだ。
「まぁ、戦闘依頼以外でも色々と顔つなぎはしといて損はないさねぇ。とは言え楽しそうでのんびりできそうだから参加したんだけどねぇ」
先日、伊豆方面で起きた大きな戦いが何とか収まったかと一息つく暇もなく、今度は仙台の方で雲行きが怪しくなっているらしい。
「夜見路さんの歓迎会も大切だけど、時にはこんな集まりにも顔を出さないと、自分が学園生徒だってことも忘れてしまいそうだからねぇ」
ちょうどその頃、校舎内の家庭科実習室を借りたレイラは沙恵や有志のクラスメイトと共にパーティー用のオードブルを料理していた。
「わ〜、どれも美味しそう!」
ある程度下ごしらえしてきた食材とレシピを見るなり、沙恵とクラスメイトの女子生徒たちは目を輝かせた。
(フフフ、ヒカリくんから聞き出した情報が役に立ったようですね)
レイラはただ微笑を浮かべ、調理そのものは沙恵達に任せ、自らは難しいところをアドバイスする役に徹した。
単に美味しい料理を作るだけが目的ではない。
こうした共同作業を通し、これまで接触が少なかった沙恵と同級生の女子生徒達の間に会話が生まれる機会を作ってやりたかったのだ。
やがて完成したオードブルが教室内に運ばれ、また参加者各自が持参したペットボトルのドリンクやお菓子も次々と持ち込まれてくる。
それらの軽食を配膳した後、気を利かせた黒百合が人数分の紙コップや紙の取り皿、割り箸などを手際よく並べると、いよいよ「歓迎会」の始まりだ。
料理を手伝った女子生徒達はエプロンを外し、「主賓」である沙恵をいったん教室の外に出してそこで待ってもらう。
数分後、制服の上に『本日の主役』と大書されたパーティーグッズのタスキをかけた沙恵が照れくさそうに教室の扉から姿を現すと、室内で待機していた参加者達がクラッカーを鳴らし、大きな拍手と歓声が上がった。
『ようこそ久遠ヶ原学園に!!』
「えーと、その‥‥」
予想を上回る歓迎ぶりに、沙恵は耳まで赤くなって口ごもった。
以前に通っていた一般人の中学校でも、こんな歓迎パーティーは開かれなかった。
「沙恵が使徒・ヒルコの双子の姉である事実を隠すため」という中学側の配慮により、なるべく目立たない形でクラスに編入されたからだ。
「こんにちはですよ、サエちゃん」
一同を代表するかのように、花束を抱えたレフニーが進み出た。
「クラスでの歓迎会とか、まだだったんですね。知りませんでした‥‥気付けなくて、フォローできなくてごめんなさい。私、先輩なのに」
「え!? そんなこと――」
「今更、かもしれませんけど歓迎させて下さい‥‥久遠ヶ原へようこそ、サエちゃん」
「レフニーさん‥‥」
豊後高田での戦いを共にした先輩撃退士から花束を手渡され、沙恵の表情がくしゃっと嬉し泣きしそうになる。
「さあさあみんな、とにかく今日は楽しみましょう!」
湿っぽくなりかけた空気を吹き飛ばすかのように、佐藤 としお(
ja2489)がパンッ! と手を叩いた。
まずは各自が紙コップに好みのドリンクを注ぎ、としおの音頭で景気よく乾杯の声を上げる。
「\ カ ン パ 〜 イ ! /」
乾杯の後、沙恵のクラスメイトである中等部の生徒達が口々に彼女へ話しかけた。
彼らとて決して沙恵を嫌っていたわけではない。
ただヒルコの件も含め、彼女が撃退士になるまでの複雑な経緯を知っていたため気軽に話しかけるのをためらっていたのだ。
(要するに‥‥お互いに心の扉を開く『きっかけ』が欲しかっただけなのですね。沙恵さんも、クラスのみんなも)
その様子を少し離れた場所から見守りながら、レイラは安堵のため息をもらした。
「きゃはァ、この間の依頼では挨拶しそびれたわねェ‥‥久遠学園しがない忍軍の黒百合だわァ。宜しくお願いするわねェ♪」
上機嫌で挨拶する黒百合を見るなり、沙恵は慌ててお辞儀した。
「あ‥‥先日の依頼ではどうもお世話になりましたっ!」
顔を上げ、彼女が手にした紙コップの酒を不思議そうに見やる。
「心配ないわよォ。私、こう見えても大人だから」
「そうだったんですか‥‥ご、ごめんなさい、てっきり‥‥」
「気にしないでェ。ワケありなのはお互い様でしョ?」
「ええ、まあ‥‥」
黒百合はすっと近づき、自分よりやや背の高い後輩撃退士と目線を合わせ、ふと真顔で声を落とした。
「人間嫌いに陥ってもおかしくない事を体験した貴女がまだこの場に居る、って事はよほど強い信念や覚悟があるのでしょうねェ‥‥」
「‥‥」
沙恵は僅かにためらった後、再び口を開いた。
「神志那署長は‥‥なぜ天使側に寝返ったんでしょうか? あの人を撃退士として再起不能にしたのは国東の天使軍なのに‥‥」
豊後高田攻防戦のさなか厄蔵(jz0139)に拉致され、久しく行方不明だった元撃退署長・神志那麻衣。
再び生きて現れた時、彼女は「プロフェッタ(預言者)」を名乗り自ら天使陣営の傘下に入った事を宣言した。
この件について、学園や撃退庁の一部では「彼女は失った己の左足を天使に再生してもらうために裏切ったのでは?」との説が囁かれている。
だが自らも左腕を義手に換えた経験者であり、麻衣本人と間近で話した黒百合は確信していた。
麻衣の左足は依然として義足のままだ。
大天使ベテルギウスの力を以てしても失われた片足の再生は困難なのか、それともあえて彼女が望まなかったのか、それは定かでないが。
いま判っていることは、麻衣が自らの意志で使徒ではなく(異例のケースではあるが)人間のまま国東の天使軍に幹部待遇で迎えられたという「事実」だけ。
「どうなのかしらねェ‥‥人間、誰しも多かれ少なかれ心の奥に黒い獣を飼っているもの。あの女も例外じゃなかったってとこかしら?」
「たとえそうだとしても‥‥要らない人間を生け贄にしろだの、天使の支配を受け入れれば理想の社会が実現するだの‥‥あんな身勝手な理屈、あたし絶対に許せません!」
「そうそう。それでいいのよォ」
黒百合は空いた方の手を伸ばすと、沙恵の唇にそっと触れて彼女の言葉を遮った。
「今貴女が抱いてる感情――それこそが信念と覚悟。今度は守り通せるといいわねェ‥‥頑張りなさいィ♪」
それだけ言うと黒百合は沙恵から離れ、紙コップ片手に初対面となる他の生徒達へも愛想よく挨拶回りを始めた。
入れ替わる様に、今度はキョウカが沙恵の制服の裾をつんつん引っ張った。
「はじめましてなのっ、さえねーた」
「えーと‥‥あなたは?」
「キョーカはキョーカ、なのっ。よろしく、なのっ」
スケッチブックと筆箱を小脇に抱え、沙恵の顔を見上げた幼女はにぱーっとあどけない笑みを浮かべる。
「こらキョウカ。夜見路さんにキチンとご挨拶したか?」
「ごあいさつしたよー、ひりょにーた」
「妹さんですか?」
後を追ってきたひりょに、沙恵が尋ねた。
「いえ、知り合いです。こいつは年上の男女をみんな『にーた』『ねーた』と呼ぶんですよ」
「そうなんですか? うふふ、よろしくね、キョウカちゃん」
「こんごともよろしく、なのーっ」
そのままキョウカ、ひりょ、そして文歌からも自己紹介を受け、沙恵は新たに知り合った学園生徒達と歓談に興じた。
●Happy Birthday to You
始まりから30分ほど経過し、お茶と食事とお喋りで会場の雰囲気もすっかりほぐれてきた頃。
持参のカップラーメンを食べ終えたとしおは、
「――よしっ」
己に気合いを入れてから一段高い教壇に上がった。
何事かと参加者からの注目が集まる中、カラオケのマイクを取り、声色を変えて――
『こりゃおぬしら! 遊んでばかりいないで夏休みの課題もキチンと進めておくのじゃゾィ!』
学園でも名物教師の1人、アリス・ペンデルトン(jz0035)のモノマネを演じる。
「あー、それアリス先生!」
「アリス先生じゃん!」
教室内がどっと笑いに包まれた。
(つかみはOK!)としおはすかさず左手を挙げ、両手で差し招くような独特の立ちポーズを決めた。
『いやあ諸君! 調子はどうかね?』
学園生徒なら知らぬ者はいない「あの人」のモノマネに、再び爆笑が湧き起こる。
そんな風に何人かの名物教師のモノマネを演じ終えたとしおが壇上から降りると、それを契機に有志の生徒が次々と教壇に上がり、各自の隠し芸を演じ始めた。
いつも持ち歩いてる二胡(2本の弦を弓で弾く、中国独自の弦楽器)を取り出した九十九は、大陸の草原を吹き抜ける風のような楽曲を伴奏し、ペットの三毛猫を踊らせる。
同じく壇上に上がったさんぽは召喚した忍龍(ヒリュウ)をアシスタント役として、歌いながら得意のヨーヨーテクニックを披露する。
「犬の散歩」「UFO」「東京タワー」など、定番のトリックからプロ顔負けのハイパートリックまで一通り演じた後、ベーシックトリックの1つ「クリーパー」の要領でヨーヨーを前方の床に転がした。
通常なら紐が伸びきった所でヨーヨーは元に戻るのだが、コロコロと床を転がったそれは沙恵の足元まで来た時「ポンッ」と音を立てて蓋が開き、中から花吹雪と小さな旗が飛び出した。
「あら?」
「遅くなっちゃったけど、改めていらっしゃい久遠ヶ原に!」
祝いの言葉を贈られた沙恵が、照れながらも深々と頭を下げる。
「あ、ありがとうございます!」
「もう学園には慣れた? 授業はどう?」
パフォーマンスを終えたさんぽは、九十九お手製の点心を摘まみながら沙恵に尋ねた。
「はい。おかげさまで‥‥だいぶ遅れていた勉強の方も、最近やっとみんなのレベルに追いついてこれましたし」
「何かあったらいつでも相談に乗るからね。コイバナだって任せてよ!」
「えーっ? そんなのまだ早いですよぉ」
笑いながら両手を振る沙恵の姿を、少し離れた場所に座ったキョウカが画用紙を広げ、鉛筆と色鉛筆を使って熱心にスケッチしていた。
その間、ステージ代わりの教壇の上で催されていた隠し芸大会はいつしかカラオケ大会へと変わり、マイクを取った生徒達が持ち歌を熱唱してから次の生徒へと回していた。
「私、アイドルなんです。沙恵さん、私とデュエットしません?」
文歌から誘いを受けた沙恵は、驚いたように目を瞬いた。
「え? それは‥‥」
少女の顔を一瞬暗い影が過ぎる。
まだ人間だった頃の沙奈とカラオケ店でデュエットしていたことを思い出したのだろう。
その件については事前に斡旋所で聞かされていた文歌だが、だからこそあえて自ら申し出たのだ。
「歌って、その人の心を映す鏡なんです。沙奈さんとのデュエット曲を悲しい思い出にするのも楽しい思い出にするのも沙恵さん次第ですよ」
「‥‥」
しばし黙考していた沙恵だが、やがて意を決したように頷いた。
「お願い、できますか?」
沙恵は音楽プレイヤーを取り出すと「できればこの曲を」と、文歌に片方のイヤホンを渡して自ら吹き込んだ「あの歌」を一緒に聴かせた。
「沙奈さんも沙恵さんと同じ想いだったんですね」
「‥‥そう信じてます」
聴き終えた文歌の言葉に、沙恵はきっぱりと頷いた。
やがてマイクの順番が回り、文歌は沙恵の手をとって共に壇上に上がる。
文歌と共に思い出の曲をデュエットする沙恵の表情に、もはやあの暗さはない。
「ありがとうございました。何だか、もう一度沙奈ちゃんと一緒に歌えた様な気がして嬉しかったです」
癒されたような笑顔でマイクから顔を上げ、沙恵は文歌に礼を述べた。
パチパチパチ――
教壇から降りた沙恵に、1人の女生徒が拍手しながら歩みよった。
「いい歌を聴かせてもろた――ケホン、もらいました」
「あれ? 亀山さ‥‥」
「いえ、彼の知り合いです。よく似ているといわれますけど」
女装した淳紅はあくまで「別人」として挨拶した。
「『初めまして』、沙恵さん。少し遅れているけど、誕生日お祝い‥‥歌のプレゼントなんて、少しきざかしら?」
「い、いえ、そんなことないですけど」
「じゃあマイクお借りしますね? 貴女のこれからが、幸せでありますように‥‥幸せを受け止められますように」
(ジュンちゃん‥‥何でそんな風に1人で背負いこむのです? 沙奈ちゃんを助けられなかったのは、私達みんなの責任なのに)
壇上に上がる恋人の背中を見つめ、レフニーは堪らなく切ない気持ちになる。
しかし彼なりの考えがあるのだろうと思い直し、あえて口は挟まなかった。
マイクを取った淳紅は歌い出した。
それはちょうど母親が生まれたばかりの幼い我が子に語りかけるような歌。
これからこの世界で成長し、生きていく「あなた」をいつでも見守っている。
どんなに辛い事、哀しい事があっても私が傍について守ってみせる。
いつか愛する誰かが現れ、「あなた」を連れ去っていくとしても――。
大きな拍手に包まれて教壇から降りた淳紅に、今度は沙恵の方から近づいた。
「素敵な歌の贈り物‥‥本当にありがとうございました。あ、それから――」
ポシェットの中からもう1つの音楽プレイヤーを取り出し、淳紅に手渡した。
「もし亀山さんに会うことがあったら、これをお返しして下さい。そして伝えて下さい。妹は――沙奈ちゃんは、これがあったから最期まで『人間』でいられたんです、と」
●夏空に響く歌声
「ね、皆で、校歌、歌いませんか?」
そろそろパーティーも終盤を迎えようという時、レフニーがおもむろに提案した。
「それ、いいですね!」
「最後の締めに丁度いいさねぇ」
としおや九十九も賛同する。
やがて全員が立ち上がると、九十九の奏でる二胡の伴奏に合わせて久遠ヶ原学園校歌を歌い出した。
光冠を戴く 三稜の地
健やかに伸びゆく 蘭桂の子
九十九がスキルで生み出した花吹雪が舞い散る中、四十名余りの学園生徒達の合唱が教室の窓ガラスを震わせ、夏の青空まで響き渡るほどだ。
志は大空に
友情は掌に
共に分かち合おう
ああ 久遠 久遠ヶ原学園
全3番に及ぶ校歌を歌い終えると、最後に沙恵がみんなに向けてお礼のメッセージを述べて、無事歓迎会は幕を下ろした。
「さえねーたに、ぷれぜんと、だよ?」
他の生徒達と共に会場の後片付けを手伝っていた沙恵に、キョウカが駆け寄った。
差し出したのは、スケッチブックから切り離した数枚の画用紙。
そこには今回のパーティー中、仲間達に囲まれ、幸せそうに笑う沙恵の姿が色鉛筆で鮮やかに描き出されていた。
「きょーは、たのしかった、なの? キョーカはたのしかった、なのっ」
「うん、お姉ちゃんも今日は楽しかった。本当に楽しかったよ!」
沙恵は小さなキョウカの体を思わず抱きしめた。
「ありがとう、キョウカちゃん。この絵、あたしの宝物にするね!」
「ごめんなあ、沙奈ちゃん。自分、勇気がなくて」
校歌斉唱を聞き届けた後にそっと会場を抜け出した淳紅は、女装から普段着に着替え、ヒルコ――いや夜見路沙奈の墓前にいた。
「殉職した撃退士の墓地に敵の使徒を埋葬するわけにはいかない」という理由から、彼女の墓は海岸にほど近い、人目につかぬとある場所にひっそり建てられていた。
会場で沙恵に歌を贈った後、ひたすら持参のカメラで彼女の写真を撮り、沙奈に報告するためやって来たのだ。
「沙恵ちゃんは元気やで‥‥もしあの子が戦いにまた赴くとき傍にいられたら、今度は必ず守るから」
『沙恵ちゃんのこと、よろしく』
耳元でそんな声が聞こえた様な気がして、淳紅は慌てて周囲を見回した。
――誰もいない。
海から吹き付ける潮風の音を聞き違えたのだろう。
淳紅はその場に腰を下ろしたまま真夏の蒼穹を見上げ、知らず知らずのうちに校歌の3番を口ずさんでいた。
「自らの信念を
未来へと繋げて
共に歩みゆこう
ああ 久遠 久遠ヶ原学園――」
<了>