「価値観っていうのは人それぞれだけど‥‥」
半ばパニック状態に陥った豊後高田市民の間を擦り抜け撃退署へと向かいつつ、佐藤 としお(
ja2489)は首を傾げた。
「まさか撃退署長ともあろうお方が敵方に寝返るとは。拉致されてからの半年間、いったい彼女に何があったんだろうね?」
使徒になったというならまだ分かりやすい。だが彼女、神志那麻衣(かみしな・まい)は自ら人間のまま天使陣営に与したと宣言し、今度は人類側に対して停戦交渉(といっても事実上の降伏勧告だが)を要求してきたのだ。
「元署長が突然こんな事を言い出したのは、きっと何か理由があるはずだもん、しっかり聞き出して見極めなくちゃ」
先日の偵察依頼で麻衣と対面した犬乃 さんぽ(
ja1272)も、未だに彼女の真意を図りかねている。
「サーバントの数が思ったより少ないですね」
いよいよ撃退署に近づき、建物の周囲を威嚇するように飛びまわる飛行サーバント・グレムリン5体を確かめ、袋井 雅人(
jb1469)が訝しむ。
「いえ‥‥あの高いところを旋回しているドラゴン、あの1匹だけで充分すぎる脅威です」
青ざめた顔で夜見路沙恵(jz0303)が警告した。
麻衣の命を受け、高高度から街を監視するように悠然と飛行する雷竜グロリアス。はぐれサーバントとはいえ20匹近い数を一瞬で全滅させたあの雷の威力が市街地に向けられれば、どんな大惨事となるかは容易に想像がつく。
ただし撃退署を占拠した麻衣からは、
『私に危害を加えない限り、グロリアスには一切手出しはさせない』
とのメッセージが伝えられているが。
「だとすれば、あのグレムリンの方は『歓迎役』ってところかしらァ?」
既に臨戦態勢を整えた黒百合(
ja0422)がにっこり笑って言いながら、さりげなく仲間達の顔を見渡した。
沙恵とは初対面だが、友人の友人という関係。まだ撃退士として未熟な彼女をここで死なせるわけにはいかない。
そしてもう1つ、独断専行で麻衣を攻撃し、結果として一般市民に被害をもたらすような者がいないかの確認。
(‥‥まァ、この面子なら心配なさそうね)
「本気で戦うつもりはない。だがこちらの力を試しておきたい――というわけか。ふん、いい気なものだ」
鷺谷 明(
ja0776)が吐き捨てるようにいう。
「人質にされた幹部署員の方々も、少なくともすぐに殺される事はなさそうですね」
セレスティア・メイビス(
jb5028)は白銀に輝くロンゴミニアトを手許に召喚した。
「まずはグレムリンを排除する事から始めましょう」
――バサッ!
接近してくる撃退士達の姿に気付いた5体のグレムリンはいったん上昇し、遠距離から一斉にクロスボウの矢を放ってきた。
案の定、黙って通すつもりはないようだ。
これから始まる戦闘に備え、雅人は闇の衣を身に纏い、アウルの鎧となす。
としおがスナイパーライフルの銃口を高く上げ、イカロスバレットの対空射撃を見舞うと、1体のグレムリンが空中でバランスを崩し、そのまま地面近くまで落下してきた。
セレスティアは黒く輝く霧のドレスをまとい、ロンゴミニアトを構えて落ちてきたサーバントを迎え撃つ。
敵もまた武器を槍に持ち替え攻撃してくるが、円舞のような優雅な動きでこれをかわした少女の銀槍がカウンターで繰り出され、グレムリンの胸板に深々と突き立った。
「どけ、目障りだ!」
「あなた達に用はないのよォ」
明と黒百合も銃撃で上空に弾幕を張り、クロスボウで味方を狙うグレムリンを牽制。
いよいよ撃退士達が玄関に迫ると、上空にいたグレムリンも自ら降下し、槍による白兵戦を挑んできた。
「さて、前座はご退場願いますか」
仲間達の支援射撃に紛れて間合いを詰めた雅人が僅かに腰を落とし、拳に装備したハンズ・オブ・グローリーに漆黒のアウルを集中させる。
「一切の迷いを捨て放つは全てを破壊する一撃! 暗黒破砕拳!!」
拳状のアウルが一直線に走り、咄嗟に受けようと構えたサーバントの槍をへし折りその胸板に大穴を穿った。
「邪魔はさせないもん!」
遁甲の術で忍び寄ったさんぽが仲間の攻撃で落下してきたグレムリンども目がけ、無数に分裂させたヨーヨーの打撃を雨あられと浴びせた。
「CR的にサーバントとは相性悪いのよねー」
玄関前で戦闘が繰り広げられている間、ラファル A ユーティライネン(
jb4620)は気配を殺して横道から撃退署の裏手に回り込み、裏口から慎重に建物内部に潜入した。
廊下の壁を背にして周囲を警戒するも、見張りの気配はない。
「‥‥来て下さいと言わんばかりね」
事前に確認した署内の見取り図を思い描きながら、人質が監禁されている会議室へと向かう。
『会議中』の札が掛けられた金属製のドアをそっと開くと、
「どうぞお入り下さい。ここは安全ですよ?」
若い女性の声が呼びかけ、ラファルも腹を括って室内に踏み込んだ。
「さすが久遠ヶ原学園生徒‥‥優秀ですわね。私の予想より2分30秒も早く辿り着くとは」
片手杖を着いて立ち上がった神志那麻衣が窓を開いてひと声叫ぶと、生き残りのグレムリン2体が傷だらけの姿で上空へ離脱。撃退士達が表玄関から突入してくる慌ただしい足音が響いた。
間もなく7人の撃退士が室内に集結、会議室の長テーブルを挟んで麻衣と対峙していた。
一方の壁際には人質の副署長以下7人がパイプ椅子に座らされ並んでいる。
そのすぐ側に、1体のグレムリンが控えて睨みを利かせていた。
「皆さんご無事ですか?」
安否を尋ねるとしおの言葉に、
「ご覧の通りさ、我々は無事だ。実に紳士的対応だよ」
副署長が苦々しい顔で答えた。
怪我こそないものの、全員下着姿で手錠(皮肉にも署の備品だ)をかけられた情けない姿である。
「神志那元署長! いや、プロフェッタ、あの停戦条件いきなり呑めって言われたってあれじゃあ難しいもん、まずはこの半年間何してて、どうしてそんな気持ちになったのかちゃんと話してくれなくちゃ」
今やプロフェッタ(預言者)を自称する女にさんぽが疑問をぶつけた。
「そうですわね。まずはこれまでの経緯をお話ししないことには始まりませんものね」
撃退士達を煙に巻くようにプロフェッタは微笑む。
ラファルは卓上にノートと筆記用具を広げ、自ら議事録を取り始めた。
「半年前のあの日‥‥対策本部を襲った使徒に魔法で気絶させられ、次に目が覚めた時‥‥どこかの廃屋で目の前にはその使徒、 厄蔵(jz0139)が立っていました」
遠くを見るような目で告白するプロフェッタ。
「彼がいうには『貴女を捕虜ではなく客人として歓迎します。残念ながらお帰しするわけには参りませんが、何かお望みの物があれば遠慮無くお申し付け下さい』と」
「どういうこと? プロフェッタは厄蔵と知り合いだったの!?」
さんぽの質問には答えぬまま、女は言葉を続けた。
「まず自決用の武器を要求しましたが、残念ながらこれは断られました。だから、次に私が欲したのは『情報』‥‥私が囚われている間、外の世界で何が起こっているかを知っておきたいと」
その結果、彼女の身柄は天使占領地域内のとある廃邸宅へと移された。
常時サーバントの監視付きとはいえ、衛星アンテナやワイヤレスアンテナを通し人類側のTV、ネットからのニュースが自由に見られ、さらに彼女が要求すると占領地域内から回収されたPCその他のIT機器も全て運び込まれたという。
「おかげで滋賀で起きたあの事件についてもよく存じてますよ? そうそう、黒百合さん、あの時はご災難でしたわね」
細く形の良い黒百合の眉が片方、僅かに跳ね上がった。
「聞けばあなたの左手も義手だとか‥‥最近の技術の進歩はめざましいですね。見た目は生身の腕と見分けがつきませんことよ?」
麻衣は片手の拳で己の左足をコツコツと叩く。
「それに引き替え私は‥‥公務員の安月給では、機械式の義足なんて高嶺の花でした」
どうやら一般人向けとほぼ同じ義足。特に武器など仕込んでいる様子もない。
「で、あんたの言うところのブレイクスルーとやらを聞かせてもらおうじゃないか」
いったんペンを置いたラファルが続きを促す。
「あの『聖女』‥‥彼女の境遇には同情しますが、残念ながら救いを求める相手を間違えたようですね」
プロフェッタは哀しげにかぶりをふった。
「あの事件を独自に分析しながら私は確信しました。そう、アウル能力者もまた状況次第で天魔同様に人類に対する脅威になり得る。従って撃退士だけの力で現状を改善するのは極めて困難であると」
「それが裏切った理由なの?」
「それだけではありませんが‥‥」
人差し指で眼鏡の位置を直し、プロフェッタは一同の顔を見渡した。
「皆さんは‥‥天魔が襲来する前のこの世界が平和な理想郷だったと思いますか? そして堕天やはぐれ悪魔を除く敵性天魔を地球から撃退したとして、世界は平和を取り戻すと思いますか?」
「‥‥」
「答えはNOです。天魔が去った後の世界は今以上の混乱に見舞われるでしょう。ある国では一般人とアウル能力者が衝突し、またある国では撃退士を同じ人類に向けた『兵器』に転用する‥‥かくして勃発する紛争や内戦により想定される犠牲者数は、現在を遙かに上回るものと」
「その考えも一理ありますね‥‥」
表向き、としおが同意して見せる。彼女の「本音」をさらに引き出すために。
「あなたの提案ですが、現状ではとてもじゃないですがその条件は飲めませんね」
雅人が席を立って反論した。
「なので私達にも現役の天使のことを勉強する機会を与えてくれませんか? まずは戦闘抜きで現役の天使と直接対話する場を希望しますよ」
「まだ無理です。私が使徒代わりに仕える天使は、これから地球への着任が決まったばかりですから」
「へぇー、そんならその天使のプロフィールくらいは聞かせて欲しいね」
巧みにカマをかけるラファル。
「彼の名はメンゼル。第十階位の天使‥‥それ以上のことは私も知らされていません」
「それでは話にならん。いかに預言者を気取ろうが貴様は所詮使い走り。交渉というからには然るべき地位の者が席につくべきだ。国家間の外交とてそうだろう?」
「国家間?」
明に指を突きつけられたプロフェッタは、なぜかクスリと笑った。
「それは同じ人類同士での話でしょう? 人類と天使はまるで違う存在ですよ」
「どう違うというのだ?」
「そうですね‥‥ライオンにとってのシマウマ。シマウマにとっての野草‥‥そう、天使は食物連鎖における人類の『上位捕食者』とお考え頂くのが適切かと」
「食物連鎖? 捕食者、だと‥‥?」
「通常、食物連鎖の個体数はピラミッド型を描くもの。上位捕食者になるほど個体数は少なくなるのに、なぜか人類だけがかつて最上位の捕食者でありながら60億を越す人口を抱えていました。今ここに天使という新たな捕食者を迎えたことで、不均衡は正され人口問題は適正化されつつあります。あとは双方にとってよりリスクの少ない手段でこのバランスを維持していくこと――それで過去、人類が抱えていた数々の『問題』は解決され、地球は新たな楽園の時代を迎えることができるのです」
「‥‥」
絶句する撃退士達にお構いなく、自称預言者の女は憑かれたように言葉を紡いでいく。
「ただし冥魔は排除すべきですね。彼らも捕食者という意味では同じですが、人間の魂を食するだけでは飽き足らずその苦しみを『娯楽』として享受しましから。その点この国東半島は冥魔の妨害を受けることもない。つまり人と天使が共生するのに最適の場所といえます」
もはや撃退士達の疑念は確信へと変わっていた。
神志那麻衣は芝居ではなく本気で天使側に寝返った。しかも動機は純粋だが完全に狂った『善意』から。
「‥‥犯罪者をゲートに差し出せ、というご提案でしたよね?」
我に返ったとしおが話題を変える。
「ええ」
「もしその人が冤罪だったら?」
「事後にそんな事実が発覚したら、その報いとして冤罪を出した裁判官、検事、警察関係者全てをゲート送りにすればよいでしょう」
「末期の病人や老人といっても、彼らにはそれぞれ愛する家族や友人がいて、彼らが生きているだけで幸せと感じているかもしれないんですよ? ただ生産性がないからゲートに送れと?」
「ケースバイケースですね。いずれにしろそれの人選は人類側の問題であり、天使側は定期的に必要な感情エネルギーを回収できればそれ以上の干渉はしないと明言してます」
「‥‥」
(まるで20世紀にいたどこぞの国の独裁者ね)
ラファルの表情を読んだか、プロフェッタが苦笑する。
「私はあの男の信奉者ではありませんよ? 人種や民族、肌の色による差別など実に愚かなことです。ただし倫理的、経済的、社会学的観点から鑑み――この世界に生きるに値しない人間が存在していることも、また哀しい現実といわねばなりません」
「貴女の考えはある意味では正しいでしょうねェ」
沈黙を破ったのは柔和な笑みを浮かべた黒百合の声。
「老人や悪党、社会的に不要になった存在で自分達の安全を買えるゥ‥‥社会的廃棄物の有効利用、犠牲も本人の意思も何も考慮しなければそれが最良の選択ゥ‥‥でもねェ‥‥人の命を物の如く扱い、自分達の生の為に犠牲にする、その行為は明確な悪、悪い行為、って人間達は知っているのよォ?」
そう、人の裡に宿る悪を、この世界に存在する地獄を彼女は嫌というほど識っている。
己の体と心に刻みつけられた、無数の傷痕をその証として。
「それは、やっちゃいけない行為、だってさァ…だから人はそれを行わない、他人を犠牲にして自らが生き残る行為をォ‥‥貴女ァ、あまり人類をなめない方がいいわよォ‥‥♪」
「プロフェッタさんの意見には概ね賛成です。それが本当に信頼できるものかどうかによりますが」
それまで黙って聞いていたセレスティアが口を開いた。
「犯罪者等であれば天使の餌になってもらいましょう。ただ、その餌によって蓄えた力でもって私達に攻撃を加えないとも限らないので難しいところです」
「ご心配なく。天使に人類を滅ぼす意図は――」
「ああ、天使に渡すのなら私が殺せば良いですね。そういうわけで、あなたの提案はお断りします」
「‥‥皆さんのご意見は拝聴させて頂きました」
そろそろ潮時とみたか、プロフェッタが席を立った。
「結果はどうあれ、この会話は皆さんの報告書を通して久遠ヶ原学園に伝わる‥‥今はそれで充分でしょう」
スーツのポケットから手錠の鍵束を取りだし、じゃらんとテーブルに放り出す。
それが合図かのように、グレムリンが素早く室内を飛翔し彼女の体を抱えるや、開いた窓から飛び出して行った。
いつしか空には暗雲が立ちこめていた。
今にも雨の降り出しそうな暗い空を、進路を変えた大型ドラゴンが東の両子山を目指し、麻衣と共に風のごとく飛び去っていくのが見えた。