(討つ者と討たれる者の柵か、白か黒世がもっと単純であったなら楽なのだが)
月明かりの下、地面に跪き俯き加減で両手を組み、何かに祈りを捧げるかのような女の姿を遠目に眺め、獅童 絃也 (
ja0694)は内心で思った。
出発直前、現地に待機する友軍偵察小隊から「使徒はクミコらしい」と報告が入ったことで、ゲート生成阻止後に彼女をどう扱うべきか、味方の撃退士同士でも意見が割れていた。
クミコの主である天使メリーゼルは個人的な信念から力のない一般人を戦闘に巻き込むことを好まず、事実研究所<祓>襲撃の際は所内に残された一般人の避難に協力している。
そのことを「借り」と考え、少なくともクミコ自身は生かして帰そうという者、あるいはクミコを殲滅することでメリーゼルを決定的に人類の敵に回す事態を懸念する者達がいた。
むろん殲滅優先を唱える者達もいる。侵略者である天使が騎士道を語るなど笑止千万、この機に使徒を1柱潰して天使側の戦力を削ぐべきであると。
双方にそれぞれ信念があり言い分がある。だが緊急依頼ゆえ議論する時間も少なく、この問題は結論を出せないままの出発となった。
ゲート生成のリスクを承知しているクミコは周囲に多数の護衛サーバントを配置していた。綿谷つばさ(jz0022)が指揮する別働隊がその多くを引きつけてくれているものの、それでもクミコ直衛として残った連中がこちらの接近に気付き、早くも攻撃態勢に入っている。
「討つも討たざるも、まずは奴らを排除せねば話にならん」
クミコの手前には飛行鬼グレムリン5体がクロスボウを構えて立ちはだかり、上空を翼竜ワイバーン3体が旋回している。
だがその姿も、月光を遮り大挙降下してきた闇鴉の群にたちまち覆い隠された。
サーバント達の目的がゲートを生み出す呪文詠唱が終わるまでの時間稼ぎにあることは明白だ。
「<祓>での件では感謝してるけどね。ここにゲートを開かせるわけにはいかないよ!」
神崎・倭子(
ja0063)は接敵直前からタウントを発動していた。
燦然と輝くオーラが彼女を包み、万雷の喝采を受ける演者のごとくその存在を際立たせる。
案の定こちらへ注意を向け襲って来た闇鴉どもを両手に召喚した白き騎士双剣で切り捨てた。
同じくリョウ(
ja0563)もタウントを発動、向かって来る闇鴉の1体を白銀の槍で貫くと、後続の飛行サーバントに向けて叩き付けた。
(あのクミコがこんな所に一人でゲートを?)
目的はメリーゼルの強化用と考えるのが妥当であろうが、研究所で彼女と相まみえ、一般人避難の交渉まで行ったリョウには、あの天使がそんな命令を下すとは思えなかった。
(どういう事だ‥‥確かめる必要がある、か)
そのためにも、まずはサーバント群の防衛線に穴を空けクミコ本人の所まで近づく必要がある。
「間違いない、あれはクミコ氏だぉ!」
先の戦闘で彼女を取り逃がした秋桜(
jb4208)が嬉々として叫んだ。
「あの使徒を殲滅するかどうか、結局事前の相談では決められなかったな。お前はどうなんだ?」
そう尋ねたのはレアティーズ(
jb9245)。
「もちろん今度こそ仕留めるぉ!」
上から目線の質問に内心むっとしながらも、秋桜は即答した。
「捕虜にするか殲滅するか2つにひとつ。もっとも私は最初から始末するつもりだけど」
「ふふ、それを聞いて安心した。どうも今回の依頼、味方の中に何を血迷ったかあの使徒を見逃そうなんて輩が混じっているからな」
堕天の青年は金髪緑眼の端正な顔に薄笑いを浮かべた。
「騎士道など騙っていても、所詮は人の魂を搾取する侵略者に過ぎないさ。敵ではなく、救うべき一般人の心情を念頭に置くといい。それが撃退士の職分というものだろう?」
「他の連中のことなんか知らない。あの使徒は必ず私の手で仕留める!」
長話には付き合っていられないとばかり、秋桜は闇の翼で舞い上がると共にハイドアンドシークで夜空に溶け込んだ。
実のところ、一般人を救うとか撃退士の職分などレアティーズにとってはどうでもいいことだった。
ただ、力をつけて結果を残し、多くの人に認められたい――それが本音。
そのためにも今回の使徒殲滅は格好の機会なのだ。
(殺し合っている相手に同情するなど温すぎる。騎士道など抜かす相手は利用して、仇で返せばよい)
作戦上、彼の担当は護衛サーバントを引きつけクミコ討伐の仲間達に道を啓く陽動役だが、可能ならば是非己が手で使徒にとどめを刺してやりたかった。
もしその時邪魔する仲間がいればまとめて攻撃してしまえばよい。友軍誤射など戦場ではよくある話なのだから。
「では、私も行くとするか」
光の翼を広げ、レアティーズは戦場に向かい飛び立った。
「ゲート作成の阻止が最優先目標! ボクらは1秒でも早く脅威を除く必要があります」
天羽 伊都(
jb2199)は戦場に到着するなり遠方のクミコを狙い銃撃を開始したが、これは我が身を盾として立ちはだかるサーバント群に阻まれてしまった。
しかしそんなことは初めから織り込み済み。
伊都の狙いは迅速にサーバントの数を減らし、使徒への突撃路をこじ開けることにある。
車線を遮るのがワイバーンやグレムリンなら高威力のライフルを、闇鴉の群なら連射性の高いPDWの弾幕を。相手に応じて銃を使い分けることにより、効率的に敵の数を減らしていく。
倭子とリョウのタウントに引きつけられたところに伊都の銃撃を浴び、小型サーバントの群はたちまち数を減らしていった。
次第に手薄になってきた敵の防御陣へ向けて絃也が、袋井 雅人(
jb1469)が突撃する。
(撃退士がみんな人間の味方なんて大きな間違いですよ。私は天魔よりも人間の方を警戒していますからね)
雅人は戦闘開始前から一部の撃退士に不穏な空気が漂っているのを敏感に感じ取っていた。
「でも今は何よりゲート生成の阻止を!」
共に突入する仲間達の姿をナイトミストの霧で包みカモフラージュしていると、上空から2体のグレムリンが槍を構えて降下してきた。
「させません!」
先頭の1体をストラングルチェーンで迎撃する。
血色の鎖に首を締め付けられたグレムリンが慌てて上昇した。
雅人はこれを逆手に取って宙高くジャンプ、空中で体を回転させながら両刃剣で後続のグレムリンへと斬りかかった。
「主は使徒を想い、使徒は主を想う‥‥とても尊い事、素晴らしいわ‥‥」
エルネスタ・ミルドレッド(
jb6035)は天使ハーフ特有の陽光の翼を広げて夜空を駆け抜けた。
ただしその姿は蜃気楼に隠され、肉眼では殆ど視認できない。
幼い主のため、命の危険も顧みずひたすら詠唱を続けるクミコの姿に、ふと自分を置き去りにして天界へ戻った母親を想う。
(母さん‥‥私もあんな風に愛されてみたかった)
それはもはや主従の境を超えた母娘の絆。
「できることなら裂きたくはないのだけど‥‥虐げられる命がある以上、犠牲となる命がある以上、戦わなければ」
メリーゼルとクミコの関係を快く思えど、だからといって彼女達の行為まで看過するわけにはいかない。
気配を殺して空中のワイバーンに接近、至近に迫ったところで雷の刃を浴びせる。
翼長8mの巨体が一瞬硬直し、そのまま眼下の大地へと落ちていった。
だが奇襲成功の代償として居場所を晒してしまったエルネスタに向け、グレムリンどもの放つクロスボウの矢が殺到する。
攻撃を躱しつつ周囲を見渡せば、残りのワイバーンのうち1体は空中でレアティーズと戦い、もう1体は変わらずクミコの頭上に留まっている。
麻痺効果で落としたワイバーンの始末は地上の仲間達に任せ、エルネスタは一刻も早くクミコに近づくべくグレムリンに立ち向かっていった。
「ふん、他愛もない‥‥」
ワイバーンの1体が仲間の手で撃墜される(一時的に麻痺しただけだが)光景を横目に、レアティーズは口の端を上げて嗤った。
自らも戦功を挙げるべく、突進してきたワイバーンの正面を避け死角から攻撃を――。
その前に炎ブレスを浴び、翼の一撃で地上に叩き落とされていた。
「なっ‥‥!?」
レアティーズには秋桜やエルネスタのような潜行スキルがない。単純に戦闘能力で比べれば、大型サーバントを単独で相手取るのは荷が重すぎたのだ。
「くっ‥‥!」
それでも痛みを堪えて起き上がった堕天に追い打ちをかけるつもりか、ワイバーンが急降下してくる。
「こんな所で死んでたまるかぁーっ!!」
ワイバーンの鉤爪に肩の肉を抉られながらも、相手の首根っこに飛びつく。
再び急上昇するワイバーンにしがみついたまま、なりふり構わず翼竜の眉間や眼に零距離からのマジックショットを撃ち込んだ。
「何故こんな所でゲートを開く! 民間への被害を嫌うメリーゼルが許したのか!?」
群がる大鴉どもを薙ぎ払いながら進み、ようやくクミコの顔が見える位置まで辿り付いたリョウが大声で叫んだ。
直衛グレムリン達の妨害は、僅かに遅れて到着した倭子がカイトシールドで食い止める。
呪文詠唱を続けながら、面識のあるリョウの声に気付いたクミコが横目でこちらを見やった。
一瞬苦渋に歪んだ女使徒の表情が、リョウにとってそのまま回答となった。
(少なくともメリーゼルの命令ではない‥‥では誰が彼女にこの場所を教えたんだ?)
「今の時点でお前の目的は果たされない。ゲートの阻止は絶対だし、そうなれば力を喪ったお前は殺される。お前の命の懸け所はこんな所か!?」
「‥‥」
「お前を喪ったメリーゼルがどう思いどうするか、それにも考えが及ばないか!? ――退け! 主の傍らがお前のいるべき場所だろう!」
呪文詠唱の声が震えを帯びるが、それでも女は祈り続ける。詠唱を止めれば、その時が己の最期と覚悟しているのだろう。
その間にも、周囲では撃退士とサーバントの戦闘が繰り広げられていた。
絃也の片足が強く大地を踏みしめ、その反動を乗せた拳や肘でグレムリンの体を打ち砕く。
伊都の放った封砲の衝撃波が走り、射線上の闇鴉をまとめて叩き落とす。
地上に落下したワイバーンの片翼に鎖鞭を絡ませた雅人は、飛び立とうとあがく敵のパワーにあえて逆らわず、宙に放り出された瞬間を空中機動に繋げて斬撃を加え続けていた。
蜃気楼で姿を消したエルネスタはワイバーンの足止めを図りつつグレムリンとも交戦中。
彼らはクミコへの直接攻撃を行わなかったが、それは彼女への同情やリョウに交渉の時間を与えるだけが目的ではない。
夜空に潜行したもう1人の味方にチャンスを与えるため――。
「また会ったねぇ。クミコ氏。嬉しいぉ!」
敵の防御陣の手薄になった一角に、潜行スキルを解除した秋桜が出現した。
「悪魔は天使の天敵なんだ。私を野放しにすればどうなるか、分かるだろう? 愉快にケツ振って誘われるだけじゃ、欲求が溜まって仕方ないぉ」
その身に冥府の風を纏う秋桜の姿に気付いたクミコが、はっとしたように大盾を召喚する。
はぐれ悪魔が何を狙っているか気付いたのだろう。
そんな女使徒に向けて秋桜は指鉄砲のポーズを取り、
「ばーん」
その指先に夜の闇を全て凝縮したような黒焔の塊が生まれ、クミコに向けて音もなく打ち出される。
それは秋桜が己の生命を削ってまでカオスレートを冥魔寄りに下げた、まさに乾坤一擲の一発。
受け止めたクミコの大盾が粉々に砕け、彼女自身も力なく大地にくずおれた。
(――勝った!)
勝利を確信した次の瞬間、秋桜は降り注ぐ劫火に全身を焼かれ苦痛に身を捩っていた。
最後までクミコの頭上に留まっていた直衛のワイバーンが炎ブレスを吐き付けてきたのだ。
天界軍相手に極端にCRを下げることは諸刃の刃。サーバントクラスの攻撃でさえ致命傷になりかねない。
さらに肉迫してくるワイバーンの攻撃を倭子が庇護の翼を広げて身代わりとなる光景を最後に、秋桜の意識は深い闇の底へと落ちていった。
呪文詠唱が中断された時点で「ゲート生成阻止」は達成された。
後は残存サーバントの始末、そして意識を失い地面に倒れたクミコの処遇だが。
「‥‥」
最初に駆け寄り拳撃の体勢を取った絃也が、何を思ったか静かに拳を下ろした。
「どうしました?」
背後から問いかけた伊都に、
「敵とは言え意識のないものを撃ち砕くのは性に合わん」
ならば自分が――と剣に黒焔を纏わせた伊都の前に雅人が立ちはだかった。
「勝負は決しました。もう充分じゃないですか?」
「その女を生かして帰せば、新たな犠牲者が出るかもしれないんですよ」
「その時はまた私達が行って阻止すればいい。たとえ偽善だと笑われても構いません。私にだって譲れないものがあります!」
このまま続ければ同士討ちになりかねない。
伊都は諦めて剣を下ろした。
(くっ‥‥何をしている‥‥早くとどめを)
地上で息絶えたワイバーンの傍らで半身を起こし、遠距離魔法でクミコを狙うレアティーズ。
だが彼自身も全身の負傷でそれ以上体が動かせず、ついに力尽きて意識を失った。
「どうやら議論している暇もなさそうね」
エルネスタの声に全員が顔を上げると、白みかけた夜空の彼方から鷲と獣を掛け合わせたような巨大な影が急接近してくる。
不意にサーバント達が戦闘を止めた。
「私の意志ではありません。ですが使徒の不始末は主の責任、後は私がお相手しましょう」
着地したグリフィンから飛び降りるや、メリーゼルが緋色の弓を構えた。
「落ち着け。おまえの使徒はまだ息がある」
絃也の言葉に、天使の少女は引き絞る弦を僅かに緩める。
さらにリョウが言葉を続けた。
「この地にゲートを開かせるわけにはいかない。だから俺達もやむなく戦った。このうえ戦闘の意志がないなら、クミコの身柄はそちらに引き渡す」
メリーゼルの手許から弓が消える。サーバント達に警戒を命じると、クミコの傍らに駆け寄りその容態を確かめた。
「‥‥借りを作りましたね」
「そう思うならそちらの上司と交渉の場を望む。四国における停戦、そして対冥魔の共闘に関してな」
絃也の要求に対して僅かに思案すると、
「騎士団の一員といえ、メルは一介の天使に過ぎません。ですがその言葉、確かに団長に伝えましょう」
そういうと、メリーゼルはクミコの体を抱え上げ、グリフィンの方へと戻りかけた。
その背中に向かってリョウが声をかける。
「誰かが彼女にゲート生成を唆したようだ。気をつけろよ、同じ陣営の者全てが味方とは限らない」
「‥‥ご忠告、感謝します」
夜明け前の空をグリフィンとサーバント達が飛び去って行く。
クミコを取り逃がしたものの、ゲート生成失敗で大きく力を失った彼女は暫く戦場に立つことはないだろう。
次に大きな戦いがあればメリーゼルは単身で出陣することになる。
それが人類側にとって吉か凶か?
見送る撃退士達にも、それは判らなかった。