深夜の山中。対向車さえ殆ど見かけない8車線道路を、2台の車が走っていた。
ヘッドライトの光の中に、赤色灯を大きく振って停車を命じる警官の姿が浮かび上がった。
先頭の車を停めウィンドウを開くと、ヘルメットを被った警官が近づきすまなそうに声をかける。
「この先で崖崩れが起きましてねぇ‥‥Uターンして別の道を使って頂けますか?」
「あたし達なら大丈夫です。後ろの車もね」
運転席の春名 瑠璃(
jb9294)が免許証の代わりに久遠ヶ原学生証を見せると、警官はすぐさま姿勢を正し敬礼した。
「失礼しました! どうぞお通り下さい」
無線連絡を受けた他の警官達がバリケードをどかし、彼女ら撃退士が乗る乗用車と、後に続くワゴン車は再び走り始めた。
「さて、ここから先は朝まで俺達の貸し切りか‥‥」
瑠璃がハンドルを握る乗用車のバックシートで、変装用にかけた伊達眼鏡の位置を直しつつ、日下部 司(
jb5638)が呟いた。
依頼遂行の日時に合わせ、地元警察に通行止めを要請したのは司自身。
要請通り道路が封鎖されていることを確認しひと安心したものの、残る心配は「こちらの思惑通り敵が現れてくれるか?」という点に尽きる。
「果たして『彼女』はうまく釣られてくれるかな?」
「天魔に拉致されたかもしれない女性‥‥か」
一連の事件の「犯人」と目される女性――シュトラッサー・クミコ(水原久美子)に思いを馳せる瑠璃。
「きっと大切な誰かのために動いてるのね‥‥でも止めないと」
誰のために?
おそらくは自らの主、「焔劫騎士団」メンバーの天使メリーゼル。
彼女の忠実な使徒であるクミコが、主の一刻も早いダメージ回復のため人間狩りを行うことは想像に難くない。奇妙なのは、クミコの仕業と思しき失踪事件がなぜこの国道に集中して発生しているかという点だが。
クミコは人間時代、夫とまだ幼い娘をこの国道上の交通事故で喪っている。また被害者は制限速度を超過して危険運転をしていたドライバーに限られ、逆に普通に走っていた家族連れの車は使徒を目撃しながら事なきを得ていた。
「事故で家族を喪った未亡人、ねぇ。自分と同じ悲しみを人にも与えていると気付かない辺り、もう終わってる罠」
はぐれ悪魔の秋桜(
jb4208)がネットスラングでばっさり切り捨てた。
「子供が乗ってるから見逃した? たまたま乗っていなかっただけで、被害者にも家族がある事位は分かる筈。実に醜く愚かである。しかし、否定はせんよ。人は欲望の生き物だ。醜く愚かなのもまた人である」
「‥‥しかし動機は単純な復讐でもないようだな。それが目的なら真っ先に事故を起こした当の運転手を狙うはずだし」
「何が言いたい?」
秋桜が司に問う。
「どうせ襲うなら、心情的に抵抗の少ない相手がいい‥‥つまりは自分への言い訳さ。使徒となったクミコも、案外人間を殺すことへの罪悪感を捨て切れていないのかもしれない」
「はん! どうだっていいさ。私はシュトラッサーなどに興味はまったくないが、鼻につく天界の天使が悔しさに歪む顔は、是非とも見たいからね」
そういって肩をすくめる秋桜。
「何にせよ‥‥全力で解決しましょう‥‥被害者がこれ以上増えないよう‥‥」
助手席に座った聖蘭寺 壱縷(
jb8938)は、車窓の外に広がる闇を見つめ神経を研ぎ澄ます。
かつて母と姉を事故で亡くした壱縷にしてみれば、同じ様な過去を持つクミコに対して同情がないといえば嘘になる。
(だからといって‥‥使徒の人間狩りを見過ごしにはできない)
いざとなればクミコ本人の殲滅もやむなし。そう覚悟を決めていた。
先行の乗用車からやや距離を置いて走るワゴン車の運転手は、ピンク色のサングラスをかけた彩・ギネヴィア・パラダイン(
ja0173)。
事前の打ち合わせ通り制限速度を守り大人しく走行しているが、ハンドルを握る指がもどかしげにワキワキしているところを見ると、本音はもっと飛ばしたいのだろう。
「研究所での戦いでは、防衛戦だったから騎士団員は討ちとれなかったんだよなぁ」
助手席に座る龍崎海(
ja0565)が誰にいうともなく口にした。
「‥‥上手くすれば討伐の好機かも」
「オペレータからの情報によればクミコは防御特化タイプの使徒。当然護衛のサーバントも引き連れているでしょうね」
前方から目を離さぬまま、彩はそれとなく釘を刺す。
「つまりチェックメイトまでは持ち込めても、そこから先が難しい相手。あまり無謀な真似には付き合えませんよ?」
「分かってるよ。今回の目的はまず彼女の人間狩りを阻止することだからな。討伐はあくまでチャンスがあればの話さ」
微苦笑を浮かべ海が答える。
そんな2人の会話を、バックシートで九鬼 紫乃(
jb6923)は黙って聞いていた。
クミコの娘、故・水原文香は事故当時10歳だったという。
もし生きていれば、ちょうどメリーゼルと同い年くらいに成長していたことだろう(あくまで外見上の話だが)。
たとえ騙されて天界側に拉致されたとしても、あの女使徒が主の少女天使に死んだ娘の面影を重ねて強い愛着を抱いたとしても不思議はない。
紫乃の胸中に、今は亡き幼馴染みの彼氏が蘇る。
別の誰かにその面影を投影しようとしたこともあった。
だがその結果は、元の人物への未練を思い出すだけだった。
(喪った者は見送らねばならない‥‥どんなに辛くても)
ましてやそのために無関係の人々が犠牲になっていくならば。
そんな哀しみの連鎖はここで断ち切らねばならない――改めてそう誓う。
「ひとつ気になるのは、走行中の車内からどうやって被害者を拉致したかだな。殺してしまっては元も子もないわけだし――」
海がそこまでいいかけた時、ハンズフリーでセットしたスマホがバイブした。
「こちら2号車。‥‥よし、分かった」
通話を切って仲間達を見回す。
「1号車の囮班が作戦を開始する。こちらは基本安全運転だけど、あまり距離を離して見失わないよう注意してくれよ、彩」
「了解」
「さあ、飛ばしますよ!」
いうなり、瑠璃は思い切りアクセルを踏み込んだ。
スピードメーターがぐんぐん上がり、あっという間に制限速度の時速60kmをぶっちぎる。
クラクションを立て続けに鳴らし、カーステのボリュームをMAXに上げラップの音楽を喧しく流す。
車線など無視し、これでもかという蛇行運転。
カーブの多い道路だが、昼間のうち何度かリハーサルしているので不安はなかった。
同乗の秋桜、司、壱縷らも、各々窓を開け箱乗りしたりして奇声を上げる。
そんな風に大騒ぎしながら走ること、5分余り。
異変に気付いたのは、スキルで周囲を警戒していた壱縷だった。
ただでさえ暗いアスファルトの路面が一層濃い闇色に変わった。
――と思う間もなく「何か」がタイヤを伝って車体に絡みつき、次の瞬間には車の床を透過して車内へ侵入してきたのだ。
「待って!」
咄嗟に透過能力で天井から飛びだそうとした秋桜を司が止める。
「いま俺達が撃退士だと悟られるのは不味い。クミコの目的は生け捕りだろうから、本人が現れるまで一般人のフリをするんだ」
瑠璃は急ブレーキをかけたが、その時には既に車のコントロールは失われ、激しくスピンする車内はみるみる黒いゲル状物体に満たされていった。
「物体」は撃退士達の体を包み込んだかとみるや、器用にドアロックを外し、彼らを全員車外へ放り出した。
時速100km以上の速度から路面に叩き付けられたにも拘わらず、不思議とショックはは小さい。一般人なら骨折くらいしたかもしれないが、超人的な体力を有する撃退士にとっては精々道で転んだ程度のものだった。
体にまとわりついたゲル状物体が衝撃を吸収したらしい。
「あら、強引に引きずり出されちゃったわね‥‥」
小声で呟きながらも瑠璃、秋桜、司、壱縷らは気絶を装って路上に横たわる。
彼女らの体から離れた黒い物体が、音もなく路上に伸び上がり影のような5つの人型に分かれた。
「貴方達のような無神経なドライバーが私の家族を殺した‥‥」
無人の乗用車が崖側のコンクリート壁に衝突して大破炎上し、その炎の明かりに、黒いイブニング風ドレスをまとった女の姿が浮き上がった。
「放っておけばいずれ他人を巻き添えにして自滅するでしょうね。その前にメリーゼル様の贄となりなさい」
「直接話すのは初めてになるかな、久美子さん‥‥いやクミコ!」
司が、そして他の撃退士達もすっくと立ち上がった。
1号車に起きた異変は、後続のワゴン車からも察知できた。
彩は一旦車を停め、フロントガラス越しにじっと様子を窺う。
前方の路面からクミコらしき女の影が幽霊のごとく浮き上がったのを確認した瞬間、
「Hang on!」
急発進させた車でクミコ目がけて突っ込んだ。
これは避けられてしまったが、ちょうど囮班の仲間達と女使徒の間に割って入ったワゴン車は車体を半回転させて停車。開いたドアから彩、海、紫乃が飛び出した。
「‥‥ふっ。早速嗅ぎつけて来たのね」
まんまとおびき出されたことを悟ったクミコが、ひきつった笑みを浮かべる。
不定形サーバントのスキアー5体が前進して撃退士達の前に立ちはだかり、上空からは鳥型サーバントらしき羽音も近づいて来た。
「何故‥‥何故襲うのですか!」
「メリーゼルの命令か? 騎士道精神が聞いて呆れるな」
壱縷や司から難詰され、クミコの顔が苦しげに歪んだ。
「メリーゼル様はご存じない‥‥これは私が独断でしていること。あの子の力を回復させるためには、より多くの感情エネルギーが必要なのよ!」
「使徒になってやることが悪霊めいた八つ当たりでは」
彩の皮肉が、却ってクミコを開き直らせることになった。
「何とでもおっしゃい。あの子を守るためなら、私は喜んで鬼にも悪霊にもなる!」
「‥‥そう」
予想通りの反応に、紫乃は小さくため息をもらす。
先手を取ったのは海。
後続の仲間達が合流したタイミングに合わせ、自身の周囲を目映い星の輝きで照らし出した。
一瞬、サーバント達がひるんだように動きを止める。
「うろたえるな!」
クミコが配下を叱咤している間に、彩の放った無数の影手裏剣が前衛のスキアー達を襲った。
スキアーの人型が音もなく崩れる。黒いスライムのごとく変形しながら、サーバントは返礼とばかり自身の一部を闇弾として打ち込んできた。
闇弾の集中攻撃を一身に浴びる彩。だが次の瞬間、そこには空蝉による身代わりとなったスクールジャケットの布片が舞い散るだけだった。
秋桜は闇の翼を広げて飛翔。
上空に待っていたのは一見大鴉のようなサーバント、闇鴉の群だった。
「鬱陶しいんだぉ!」
ファイヤワークスの火球が夜空に膨れあがり、数匹の闇鴉をまとめて焼き払う。
さらに秋桜が邪炎のリングをはめた片手を差し伸べると、美女と野獣を融合させたような形状の黒炎が生み出され、残りの飛行サーバントを呑み込まんと夜空を走った。
司はディバインランスを構えたが、ふと気付くと5体いたはずのスキアーが4体に減っている。
「何処へ消えた?」
視線を下ろすと、路面に平たく広がった「影」が潜水艦のごとく足元まで忍び寄っていた。
「させるかっ」
垂直にジャンプし、大地に槍を突き立てる。
泡を食ったように実体化したスキアーを、すかさずウェポンバッシュで弾き飛ばした。
「任せて!」
ちょうどそちらの方向にいた瑠璃の両手に構えられた双銃が火を吐く。
スキアーの体2カ所に大穴が穿たれ、力尽きたサーバントは悲鳴を上げることもなく黒い霧のように四散した。
「事故で大切な方を亡くしたならば、こんな事‥‥ご家族が喜ぶはずが無いと解りきっているはずですのに!」
壱縷の意志がアウルの力を借りて無数の華を生み出し、桜吹雪のごとく優雅に舞いながらスキアーたちに襲いかかる。
「出番よ、殺(さついちもんじ)。顕現なさい!」
好機とみた紫乃はやはりアウルによって鬼面の武者を象った光を形成、そこから放たれる無数の剣が路上のスキアーどもをなで切りにしていく。
撃退士達の猛攻に1体また1体と倒れていく護衛サーバントの間を擦り抜けて距離を詰めた紫乃がクミコをにらみ据えた。
「こんな未練がましいことをして、まだ人間のつもり?」
「もちろん違うわ。今の私はメリーゼル様にお仕えする使徒!」
紫乃が放った蟲毒――毒蛇の幻影を召喚した大盾で食い止めつつ、平然とクミコは答えた。
「勝手な理屈で自分を正当化しないで! あの天使は文香ちゃんじゃない!」
その言葉を聞いた瞬間、整った女の顔が悪鬼の形相に変じた。
「おまえ達なんかに――娘を奪われた母親の気持ちが分かってたまるかぁ!」
片手に召喚した錫杖から光弾を撃ち返してくる。
「自己満足じゃ誰も救えないのよ」
鉄壁のような防御を誇る使徒に対し、紫乃は立て続けに蟲毒を打った。
どんな感情も否定はしたくない。
だが最愛の人の墓前に誓った手前、クミコの全てを否定しなければならない。
ふいにクミコの体勢が崩れた。
背後に周り込んだ海の雨霧護符から生じた水の矢が、彼女の片足に命中したのだ。
間髪入れず、別の角度から彩がバスターソニックの強烈な一撃を浴びせる。
「‥‥っ」
さすがに形勢不利と判断したか。
クミコは生き残りのスキアーと闇鴉を身辺に呼び集め次々と何かの術をかけ始めた。
サーバント達が己のダメージなど顧みず猛然と反撃を始める一方で、クミコ自身は道路の崖っぷちまで走り、ガードレールを飛び越した。
「逃がさないぉ!」
上空から監視していた秋桜が、使徒の退路を断つべくファイアワークスを発動。
クミコの体はアウルの爆炎の中へ突っ込み、そのまま崖の下、鬱蒼と広がる黒い山林の中へと転げ落ちていった。
撃退士達はサーバント群の抵抗に手を焼いたものの、間もなくスキアーは消滅、闇鴉も息絶えて路上に屍を晒した。
痛覚遮断の代償として命を失ったのだ。
その後撃退士達は周辺を警戒しつつ崖の下まで降りて捜索したが、結局クミコの遺体は見つからなかった。
逃げたとしても、ここまで手の内を晒した以上、少なくともこの国道における人間狩りが行われることはもうないだろう。
スマホで学園に依頼達成の報告と事故車の処理を要請した後、一行は無傷で済んだワゴン車に乗り込み帰路についた。
「怖いもの知らずを回復させてもまた戦って怪我するだけでしょうに」
ハンドルを握りつつ、憮然とした表情でこぼす彩。
「あ、ちょっと停めて下さい」
途中、瑠璃が頼んで車から降りた。
そこは4年前、クミコの家族が事故死した場所だった。
山林で摘んだ花を供え、無言で手を合わせる瑠璃。
何を想うのか――それは彼女自身にしか分からない。
<了>