――ザシュッ!
神喰 茜(
ja0200)の手にした古刀・八岐大蛇が閃き、胴体を半ばまで断ち割られた犬型ディアボロが路面に叩き付けられ、四肢を痙攣させる。
とどめとばかりエリス・K・マクミラン(
ja0016)の放ったファイアバーストの一撃が、一瞬にして魔犬を黒い消し炭に変えた。
「ここがデスマルグのゲート跡か‥‥」
ディアボロの殲滅を確かめたあと、茜は周囲を見渡した。
(奴に繋がるような収穫はなさそう、かな)
とはいえ街並みがほぼ原型を留めていることから、あの悪魔騎士が大規模な破壊を行わず効率的に住人の魂を収奪した事、四国で見せた荒々しさとは裏腹に、思いの外慎重で堅実派という一面を窺わせる。
人間はもちろん犬猫の影さえ見当たらず、動くものといえば野犬の死骸が廃棄ゲートの影響で変化したと思しき野良ディアボロばかり。
撃退士にとってはさほどの脅威ではないが、一般人が同行しているとなると話は別だ。
周囲の安全を確かめ目的地へのルートを確保する先行部隊の後方で、依頼人である野口加代の直衛につくラグナ・グラウシード(
ja3538)は、彼女を気遣うように横目で見た。
加代の表情は青ざめ、微かに両足が震えている。
無理もない。最下級のディアボロといえども、一般人にとっては野生の熊やライオンを遙かに凌ぐ脅威なのだ。
(妊娠しておられるとのこと‥‥ショックを少しでも与えたくない)
「大丈夫ですか? 体調がすぐれない様でしたらすぐに引き返しますが」
「いえ‥‥だ、大丈夫です。このまま進んで下さい」
ラグナの問いに、加代は気丈に答えた。
(十年の時を経てもその思いは変わらず‥‥ですか。良い母になれる気がしますね)
その姿を見やり、エリスは思う。
先頃妊娠が判明し、いずれは母親となる加代。だがその前に、彼女の胸にわだかまった大きな「心残り」を取り除いてやること――それが今回の依頼の真の目的かもしれない。
一方、先行部隊でディアボロ掃討に従事する郷田 英雄(
ja0378)は、「昔置き去りにした愛猫を弔いたい」という依頼人の希望に思いを馳せていた。
(くぅ太‥‥余程可愛いかったのだろうか)
ペットの供養のために命の危険を冒す彼女の気持ちが、彼にはよく理解できない。
(死んだ奴に話し掛けても返事なんて返って来ない‥‥だがやる事はいつもと同じだ。いい加減子守りにも慣れてきた)
そう考え直し、再び注意を周囲の索敵に向ける。
民家の陰から、また1体のグールドッグが飛びかかってきた。
英雄はすかさず右手に握ったクラッシュハンマーを振るう。
「やはり奴の様に上手くは扱えんか。だがしかしッ!」
先端の鉤爪を大鎌に改造、打撃力と貫通力を高めた戦槌が唸りを上げ、小型ディアボロを空中から叩き落とした。
「事前の情報通り、そう危なくはないけど‥‥一般人を連れてるんだから十分注意しよう」
天羽 流司(
ja0366)が改めて仲間達に注意を促した。
「想い出の猫さん‥‥無事に逃げて生き延びられてればいいんですけど」
久遠寺 渚(
jb0685)が小声で呟く。
その望みが絶望的であることは、彼女自身も充分承知している。しかし十年前の混乱の中、別の避難民に保護されて生き延びた可能性もゼロではないのだ。
(黒猫といえば‥‥)
ふと渚は思った。
(‥‥エドガーさんは今、どこに居るんでしょうか‥‥)
丸亀市における決戦の際、人類側に立って戦死した悪魔エルウィンのヴァニタス。
あの後デスマルグは配下のマレカ・ゼブブ(jz0192)らと共に本州側へ引き上げたことが判明し、現在丸亀城ゲートはどの悪魔が掌握しているかも不明という状況。
そしてエルウィンの亡骸を抱いて戦場から立ち去ったエドガーも、その行方は杳として知れなかった。
できればはぐれ悪魔同様、学園側で保護してやりたい。
ただしそれも全て本人の意志次第となるが。
アイリス・L・橋場(
ja1078)は自らも大の猫好きであり、加代をリラックスさせる目的も兼ねて色々と話しかけた。
「猫好きなのですが、こういう生業なので飼えないのですよ〜」
「まあ、撃退士さんは大変なんですね‥‥私も子供が産まれたら、当分猫は飼えないでしょうけど」
そういって微笑む加代の顔は寂しげだ。
聞けばこの十年、何度か新しい猫を飼おうかとも思ったそうだが、その度にくぅ太のことが胸にひっかかり飼えなかったという。
「くぅ太君はどんな猫だったんですか?」
アイリスの質問にやや首を傾げ、
「黒猫だけど、お腹に一カ所だけ白い斑点があって、それが一番の特徴でしたね。とてもやんちゃで、好奇心が強くて‥‥」
いったん話し出すと思い出は尽きないのか、ディアボロの恐怖も忘れた様に加代は続ける。
「私の足元に頭をすりすりしたら『だっこして』っておねだりなんです。抱き上げて少しぎゅっとしてやると、すごく嬉しそうに私の顔を舐めるんです」
「‥‥」
クジョウ=Z=アルファルド(
ja4432)も、無言で加代の思い出話に耳を傾けていた。
猫ではないが、彼自身もペットの鴉を飼っているので彼女の気持ちは痛いほど分かる。
「猫は20年も生きられるんですよ? もしかしたら、生きてるかもしれないじゃないですか」
ふいにアイリスがいった。
「え? でも、まさか」
「おうちに着いたら、一度だけでもいいので呼んであげてください。来てくれるかもしれませんよ?」
「そう‥‥でしょうか?」
くぅ太に供えるつもりで持参した花束を、加代はじっと見つめた。
やがて一行は加代の元自宅前に到着。
庭は荒れ果てているものの、二階建ての民家は当時の面影を留めたままだった。
「屋内の安全を確認します。しばらく庭でお待ち下さい」
「はい。お手数をかけますが‥‥」
流司の言葉に、加代も素直に頷いた。
流司と茜、英雄とエリスがそれぞれ探索班A、Bを組んで先行して屋内に踏み込み、その間残りの者は庭で加代の護衛についた。
A班が2階へ上がり、B班は1階の探索を担当。
B班のエリスは加代が夢に見るという台所(くぅ太の餌場でもあった)が気にかかり、真っ先にそちらを目指した。
台所の床には話の通り猫用の餌皿や飲み水のボウルが置かれていたが、猫の死骸らしき物は見当たらなかった。
「とりあえずディアボロはいないようだな」
「そうですね」
一通りの確認を済ませ、別の部屋に移動しようとした、その時。
微かな物音が聞こえた。
台所に隣接するリビングの方だ。
2人は素早くそちらへ移動する。
各々魔具を構え、リビングの入り口から注意深く覗き込むが、一見したところ生き物の姿は見えない。
野良ディアボロならば、人間の姿を見た瞬間に襲いかかってくるはずだ。
意図的に隠れているなら、それは人でもディアボロでもない何者か。
「居るなら出てこい。でなければ、部屋ごと破壊する」
英雄はブラフをかけてみた。
再びガサっと音がする。
間もなく、黒いスーツ姿の若者が、ソファーの陰からゆらりと立ち上がった。
「ここまで追って来るとはな‥‥」
「エドガー‥‥なぜここに?」
エリスの口から驚きの声が漏れた。
スマホの連絡を受け、A班の2人も急いで階段を降りてくる。
撃退士4名に囲まれても、エドガーは抵抗する素振りも見せず、ただその場に佇んでいた。
その顔は見る影もなくやつれ、明らかに死期が近いことを物語っている。
「まあ良い。野良ディアボロ風情に喰われるくらいなら、まだおまえ達に首を獲られた方がマシだ」
「勘違いしないで。私達、別にあんたを追いかけてここに来たわけじゃないよ」
「‥‥?」
茜の言葉に、今度はエドガーが眉をひそめる番だった。
庭で待機していた護衛班も、スマホで報告を受けていた。
加代にはまだ気付かれていない。
「ときに、くぅ太君に関わる物で、何か思い出の品などはありますか?」
スマホを通話状態にしたまま、クジョウがさりげなく尋ねた。
「当時の物はもう殆ど‥‥今日持ってこられたのはこれくらいです」
そういいながら彼女がバッグから取り出したのは、短いストラップに下がって揺れる小さな鈴。
「呼び鈴代わりです。ご飯の時、これを鳴らすとあの子は家中何処にいても飛んで来て‥‥」
「‥‥馬鹿なっ!」
撃退士達から依頼人の素性を明かされ、エドガーは愕然としてよろめいた。
その姿を目にして、撃退士達にもおおよその見当がついた。
――彼が死神と契約する際、何を望んだのかを。
「あり得ない! そんな事が――」
流司が突きつけたスマホから、鈴の音が響く。
「この音‥‥そうだ‥‥思い出した‥‥」
「野口さんはきみを見捨てたわけじゃない。だからこそ、危険を覚悟でこの家に戻ってきたんだ」
「――ッ!」
エドガーはがっくりソファーに倒れ込んだ。
「エルウィン様は‥‥私にこう命じられた。自決はするな、最期まで希望を捨てるなと」
歯を食いしばり、両手で顔を覆った青年の口から嗚咽が漏れる。
「なのに私は、奇跡など起きるはずないと‥‥お許し下さい! エルウィン様っ!!」
「奇跡を信じないというなら、なぜあなたはこの家に戻って来たのですか?」
エリスの質問に口ごもるエドガー。
「野口さんと、ママとくぅ太として逢えないかな‥‥?」
エドガーは茜を見上げた。
「そんな資格があるだろうか? 私に‥‥」
「僕らはエルウィンに借りがある」
流司がいった。
「学園への帰順については無理強いしない‥‥ただ、彼の『死神』として最後の務めを、きみと交わした契約を全うさせてやりたいんだ」
「‥‥ならば是非もない。我が魂は主の元へ、そして肉体は『彼女』に――」
よろよろ立ち上がるエドガー。
もはや人間の姿を維持するのも辛そうだ。
「まて! 死神の遺体はどうした!」
それまで黙っていた英雄が声を荒げた。
「‥‥聞いてどうする?」
「エルウィンくんのお墓の場所、知りたいんだ。当然、誰にも教えないよ。荒らされたくないから」
エドガーは英雄と茜を見比べ僅かに迷っていたが、やがて躊躇いがちにとある場所を告げた。
四国、丸亀市南方にある山中。そこに『死神』の墓があるという。
「死神は死んだ、死んだんだ。もう仕える必要はなかった。何故だ‥‥」
「エルウィン様は生前よくこう仰られた。冥魔が魂と呼ぶものも所詮はエネルギーの一形態に過ぎない。本当の魂は不滅‥‥命の本質は、もっと別の所にあるはずだ、と」
「お待たせしました。屋内の安全が確認されましたので、どうぞ中へ」
クジョウの案内で十年ぶりの我が家へ上がる加代。撃退士達も後に続く。
「お骨は‥‥なかったんですね」
落胆とも安堵ともつかぬ表情で台所の床を見回す加代を出迎えるように、エリスが現れた。
「野口さん。『ヴァニタス』という言葉をご存じですか?」
「え‥‥?」
その様子を、ラグナは黙って見守っていた。
(もっと早く分かっていればな‥‥)
彼の本心としては、加代には真相を知らせず、ただ「ママとくぅ太」として再会させてやりたかった。
しかし十年前の子猫がそのままの姿でいるはずもなく、然るべき説明がなければ彼女も同じ黒猫を見て「くぅ太」とは信じまい。
同じ頃、リビングでは台所に向かおうとするエドガーの前にアイリスと渚が立ちふさがっていた。
最後の説得。
既に死を覚悟したヴァニタスの心を、魂を、何とか現世につなぎ止めるために。
「二君には仕えない、立派な心構えです。‥‥でも、このまま死ぬのは自害と同じです!」
普段は礼儀正しいアイリスが強い口調でいった。
「そんなこと、貴方の主が望むんですか!? 久遠ヶ原に仕えろとは言いません」
「私が久遠ヶ原に行けばデスマルグが黙ってはいまい。そうなれば一般人に‥‥『彼女』にも災いが及ぶかもしれん。それだけは避けたい」
「そんな事私達がさせない! あなたも主を理由に生きることから逃げるな!」
「‥‥もう時間がないのだ。仮に学園行きを承諾しても、向こうに着くまで私の命は持たないだろう」
「エルウィンさんにチェスを教わる事は出来ません‥‥その代わりと言ってはなんですけど、エドガーさん二人で一緒に、チェスの勉強してみませんか? 向こうに行った時、二人でエルウィンさんを驚かせましょうよ」
瞳に涙を浮かべ、渚は訴えかける。
「だから‥‥だから、死ぬなんて言わないでくださいよ。私を置いて行かないでくださいよぅ‥‥」
エドガーは弱々しく、しかし穏やかな微笑を浮かべ、渚の頭を軽く撫でた。
「すまない。もっと時間があれば、エルウィン様とおまえ達人間は理解しあえたかもしれん。私も――」
そこまで言いかけたヴァニタスの体が傾き、床に倒れる寸前、黒猫の姿に戻る。
もはやエドガーの命の灯火は消えかけているのだろう。
台所を目指してよたよた歩き出し、そこで力尽きた様に蹲る黒猫を、慌てて渚が抱き上げた。
「そんな‥‥!」
加代は青ざめて立ちすくんだ。
彼女なりにくぅ太が冥魔の眷属となった事実を理解したらしい。
「くぅ太君を許してあげて下さい。猫だった時の彼に難しい理屈は分かりません。ただ母親同然の存在であるあなたとの再会を、あなたの腕の温もりを求めただけなのです」
エリスに助け船を出すように、ラグナも口を開いた。
「撃退士の私がいうのも何だが‥‥エルウィンは紳士的な悪魔だった。だからエドガー、いやくぅ太にも一般人を殺めるようなことはさせなかったはずだ」
『ミャア』
か細い鳴き声に加代が振り返ると、そこに渚に抱かれた黒猫の姿があった。
「‥‥くぅ太!?」
彼女の手から花束が落ちる、渚から黒猫を受け取りながらお腹の白い斑点を確認した瞬間、その瞳から堰を切った様に涙が溢れ出した。
「ごめんなさい! ごめんなさい! ママを許して!!」
加代の腕に強く抱きしめられると、くぅ太は弱々しく顔を上げ彼女の頬を舌で舐めた。
「‥‥許してくれるの? くぅ太‥‥」
『‥‥ミイィ‥‥』
答える様にひと声だけ鳴くと、黒猫は静かに目を閉じる。
その小さな体から急速に温もりが失われていった。
「生者を想う死者が居る。死者を忘れ得ぬ生者がいる。生者を願う聖者がいる。それでいいだろう」
大声で泣き崩れる加代から目を逸らし、クジョウが独りごちる。
逆に英雄は黒猫の亡骸をじっと見つめていた。
「俺には一生掛かっても分からんのかもしれん。‥‥ただ俺の望んだ道、修羅の道を極めるまでだ」
「さよなら、エドガー」
茜は拳を固く握り締めて瞑目した。
(絶対にデスマルグは討つから‥‥)
現地から回収された黒猫の亡骸は、野口加代の強い希望により、現在の彼女の自宅の庭に葬られた。
さらに一週間後、墓石代わりに小さな黒猫の石像が据えられる。
やがて新たな命を「家族」として迎えるであろう野口家を、くぅ太の像はただ静かに見守っていた。
<了>