●香川県・丸亀市南部
転移装置から四国へと飛ばされた学園撃退士達は、予定通り国道11号線沿いに防衛ラインを構築した現地の撃退士達と合流を果たした。
「防衛ライン」といっても、本格的なトーチカや塹壕など築く暇もなく、せいぜい阻霊符の効果範囲内に瓦礫やコンクリートブロックを積み上げ即席のバリケードを作った程度のもの。
そして現地の国家撃退士やフリー撃退士を合わせても、人類側の戦力はおよそ60名といったところ。
丸亀城方面から南下してくる冥魔群の主力はディアボロが空陸合わせて70体前後というから、数の上では一応「互角」とはいえる。
だが冥魔軍の先頭に立つのは百戦錬磨の悪魔騎士デスマルグ、そして彼の片腕を務め広範囲に幻術を弄するという女悪魔ゲルダ。
正直、60人がかりでデスマルグ1人を押さえ切れるかどうかさえ分からない。
「東北に合わせてきましたか‥‥」
間もなく戦場となる市内周辺を見渡し、葛葉 椛(
jb5587)は憮然とした面持ちで呟いた。
彼女の言葉通り、現在青森を中心に東北地方はヴァニタスから少将クラスまで、九人の猛者を主力とした冥魔軍の大攻勢に晒されている。
そのため充分な戦力はもちろん、人類側にとって「切り札」ともいうべき聖槍アドヴェンティも持ち出せない圧倒的に不利な状況。
当然、デスマルグ側もこのタイミングを狙って侵攻に踏み切ったのだろう。
奴の狙いは自らディアボロを率いて丸亀市内の撃退士を一掃し、先にマレカ・ゼブブ(jz0192)が丸亀城に生成したゲートを中心として七門陣(六星七門現魔陣)を開門させること。
これを許せば、人類側にとって高松の冥魔ゲートに続く重大な脅威となることは必至である。
「好き勝手されるのは、やっぱりどうにも気に入らないな‥‥」
桝本 侑吾(
ja8758)が丸亀城の方角を険しく睨めば、
「絶対に勝って、香川の人々の未来を守ります」
覚悟を決めた表情で、レイラ(
ja0365)も頷く。
「強敵だけど‥‥何とかするからカッコイイのさ☆」
友軍の士気を鼓舞するように、ジェラルド&ブラックパレード(
ja9284)は親指を立てニッと笑った。
「――もちろん、生きて帰ることが大前提だけどね!」
「高松以来の決戦ですわ‥‥何としても負けられませんの」
紅 鬼姫(
ja0444)は友人の姉である影野 明日香(
jb3801)に話しかけた。
「そうね。デスマルグはもちろんだけど、一緒にいるゲルダって女悪魔も要注意よ」
かつて天魔大戦の戦場に出現し、範囲魔法の幻惑で撃退士達を散々悩ませた准男爵の悪魔を思い浮かべ、明日香が思案を巡らせる。
「無爵位らしいけど、おそらく同タイプの敵ね。何か対策を考えないと‥‥」
「これが戦場‥‥僕にできる事は‥‥」
決戦を前にして、サミュエル・クレマン(
jb4042)は武者震いを抑えきれなかった。
撃退士といえ、彼はまだ10歳の少年なのだから無理もない。
そんなサミュエルの肩を軽く叩く者があった。
「そう緊張するな。あまり気負いすぎると、いざという時存分に力を発揮できぬぞ?」
はぐれ悪魔のインレ(
jb3056)だ。
「は、はい‥‥」
インレの本当の年齢はサミュエルも知らない。
見た目は二十代後半の青年だが、実は齢千年を超す――という噂もある。
いずれにせよ、自分や周囲の大人達より遙かに長い時を生きたであろうはぐれ悪魔の落ち着き払った態度を前に、少年の緊張も不思議と解れ、体の震えもいつしか治まっていた。
インレはその場を離れて独りになると、出発前に学園で交わしたViena・S・Tola(
jb2720)(ヴィエナ)との会話を思い出していた。
『よいか? くれぐれも無理はするでないぞ』
『はい。インレ様もご武運を‥‥。それでは‥‥』
元々感情の希薄なヴィエナに「友人」という概念はない。
だが彼女にとってインレは同じはぐれ悪魔であり、日頃よく言葉を交わす知人。
そしてヴィエナの指を飾る星のリングはインレが贈ったもの。
今、彼女は丸亀市東部の土器町付近でマレカ・ゼブブ率いる冥魔の別働部隊を迎え撃つため待機しているはずだ。
(無事でいてくれればいいがのう‥‥)
この同じ空の下、インレは別の戦線に身を置く同胞の身を案じる。
ふいに撃退士達の間からざわめきが上がった。
いつの間に現れたのか、2つの黒い人影が防衛線の方へ歩み寄って来る。
1人は黒いフード付きマントを被り、刃渡り2m近い大鎌を背負った小柄な人物。
その後に続くのは、黒スーツとネクタイを身に着けた長髪の若い男。
「‥‥エルウィン‥‥」
エリス・K・マクミラン(
ja0016)にその名を呼ばれ、フードの下からまだ14、5歳の少女の様に端正な少年の顔が覗いた。
「やあ。今日はよろしく」
「その姿‥‥まさに『死神』ですね」
「らしくていいだろう? まあ相手が相手だしね。昔使ってた魔装のマントを引っ張りだしてきたのさ」
「死神」エルウィン。今回のデスマルグ侵攻について最初に人類に警告を発し、その後も廃墟での密会などを通し情報を提供してきた悪魔。
撃退士のある者は物珍しそうに、またある者は警戒した様子で少年の周囲に集まってきた。
はぐれではない「現役」の悪魔が、そのヴァニタスと共に人類側に立って参戦するという異例の事態。
味方と考えれば確かに心強い。
しかしエルウィン自身は、この戦いが終わった後も学園の庇護を受けることをきっぱり拒否している。
それが一体何を意味するのか――本人よりも、むしろ背後に従うヴァニタス、エドガーの強ばった表情が雄弁に物語っていた。
冥魔連合から見れば許しがたい裏切り。さらに戦闘の後は、天使や人類を加えた3陣営全てから命を狙われる立場となるのだ。
「まさかお前と肩を並べる日が来るとはな」
かつて「死神」に一騎打ちを挑んだ男、郷田 英雄(
ja0378)が声をかけた。
「『昨日の敵は今日の友』君ら人間のことわざだよね? 運命なんて誰にも分からないものさ。人間にも、天魔にも」
微笑みを浮かべエルウィンが答える。
あたかも「ちょっと遊びに来た」かのような気軽さで。
(これも運命‥‥か)
過去、天魔の襲撃で亡くした恋人の面影が脳裏を過ぎり、英雄は複雑な感慨を覚えた。
そして今目の前に立つ、少年の姿をした悪魔。
依頼先で初めて遭遇したあの瞬間「こいつは俺が倒す」と心に誓った。
それはまさに運命的出会い。
(そう、俺は奴に心奪われた。この気持ちはまさしく――)
だがそこであえて思考を止める。
彼にとって「運命」とは、常に己の大切な何かを奪っていくものに他ならなかったからだ。
「デスマルグの戦闘能力についてはもう大体分かってると思う。何か対策は立てられたかな?」
エルウィンは顔を上げ、撃退士達を見回した。
「あとは彼と行動を共にするゲルダ。彼女の範囲魔法にも充分注意した方がいい。単なる催眠術と違って、自傷行為で防げる類いのものじゃないからね」
「そのことですが‥‥斡旋所のオペレーターから、ちょっと気になる話を聞きました」
グラン(
ja1111)が尋ねる。
「ひょっとして、彼女と血縁関係でもあるのですか?」
「察しがいいねえ。そう、ゲルダは僕の妹だ。見た目はあちらの方が年上だけど」
あっさり答えたエルウィンの言葉に、撃退士達の間に当惑が広がった。
「そしてデスマルグの‥‥まあ恋人といっていいかな? 人間の言葉に当てはめれば」
「ならば‥‥君にはゲルダさんを庇う振りをして彼女の捕縛に協力して頂けませんか? 恋人を人質に取られればデスマルグも停戦に応じざるを得ない。もちろん妹さんの命は保証しますし、君が冥魔陣営を離反した事実もカモフラージュできます。双方にとって、一番リスクの少ない方法ではないでしょうか?」
「‥‥うーん」
グランの提案に対し、エルウィンは僅かに思案したが。
「残念だけど‥‥デスマルグの足手まといになるくらいなら、ゲルダは自ら命を絶つだろう。妹はそういう悪魔なんだよ」
「しかし‥‥」
「とはいえゲルダを標的にする案は悪くない。妹は念話能力を駆使して部隊間の調整役を務める、いわば今回の作戦の管制塔。殺さないまでも痛手を負わせれば、デスマルグも兵を引かざるを得ないだろう。‥‥もっとも向こうもそれを警戒して、彼女をいちばん後衛に配置している。つまり、ゲルダを攻撃するためにはデスマルグと護衛のディアボロ群を突破する必要があるけどね」
いずれにせよ、悪魔騎士との直接戦闘は避けられないようだ。
「――というわけで、僕はデスマルグと戦う前衛部隊に参加するよ。正直、勝てる気は全然しないけど、君らに攻撃の隙を与えるくらいの役には立つと思う」
エルウィンの手にした大鎌が変形し、三日月状の刃を両端に備えたさらに禍々しいツインサイズへと変わった。
その姿を見守る撃退士達の心情は複雑だ。
何人かの撃退士――特にエルウィンと直に面識のない者達――の疑惑の視線に気付いたか、少年は穏やかに微苦笑を浮かべた。
「ああ、もし僕が君らを裏切るような動きを見せたなら、遠慮無く背後から攻撃して構わないよ? 別に恨みはしないから」
「あの‥‥」
おずおずと歩み寄り、声をかけたのは椛だった。
「‥‥こんなこと言いたくありませんけど、生きて戻ってくださいね。貴方の無事を願っている人もいるんですから」
「ありがとう。でも、今は僕よりもまず君ら自身の命を大事にすることだね。デスマルグは強いよ? 戦闘能力に関していえば、一階級上の旅団長クラスと張り合える男だ」
「‥‥死を選ぶと言う事は罪から逃げる事」
少年の目を見据え、エリスも語りかける。
「エルウィン‥‥貴方がもし罪を背負っている自覚があるなら生きて‥‥生き残ってください。私が言いたいのは‥‥ただ、それだけです」
「天魔は人の感情や魂を糧に生きながらえ、人もまた他の動物や植物を食らって生きる。生きることは、それ自体が罪なのさ」
フードを背中に降ろして銀髪紅眼の素顔を晒すと、エルウィンは眩しげに初夏の青空を見上げた。
「それでも、僕は君ら人間が羨ましいよ。生まれながらにして戦うこと、奪うことだけを運命づけられた僕ら悪魔にひきかえ、人は自らの生き方を選ぶ自由があるからね」
「同じ疑問を抱いた悪魔が、魔界から逃れて大勢学園に来ています。今からでも遅くありません。あなたも‥‥」
「気持ちは嬉しいけど、死神に楽園は似つかわしくないよ‥‥そういえば、蝶になることを願ったあの女の子を憶えてるかい?」
「‥‥ええ」
「僕は彼女に束の間の――ディアボロの羽しかあげられなかったけど。自由に空を舞う本当の羽が欲しかったのは‥‥実は僕の方だったのかもしれない」
「北の上空に大バエの群を確認! 冥魔軍主力接近!」
ヒリュウを飛ばして警戒にあたっていたバハムートテイマーが叫ぶ。
それをきっかけに、悪魔エルウィンを加えた撃退士60余名は各々が持ち場につき、臨戦態勢に入った。
●丸亀市東部・土器町付近
丸亀市東部の防衛を受け持つ撃退士部隊は、丸亀城の東に流れる土器川を防衛ラインと定め、まさに背水の陣を敷いて冥魔軍を待ち受けていた。
敵の指揮官はマレカ・ゼブブ。配下のディアボロは空陸合わせて30体前後、明らかにデスマルグ隊から人類側の注意を逸らす陽動目的と思われるが、だからといって放置しておくわけにはいかない。
土器川を突破されれば、その先には一般市民の避難所が多数存在するのだ。
ラグナ・グラウシード(
ja3538)は現地の警察を通して避難民の移動を要請したものの、その返答は芳しくなかった。
避難民の多くはレディ・ジャムが高松市にゲートを生成した際、命からがら逃れてきた同市の住民達。現在高松市周辺にはゲート定着に必要な「餌」を狩り集めるため多数のディアボロ群が徘徊し、東西から挟み撃ちとなった一般人には逃げ場がない。
各地の避難所ではパニックを起こした一部の市民同士で衝突が発生し、警察や自衛隊はそちらの対応に精一杯という有様だった。
「‥‥悪魔とはいえ、エルウィンは己を投げだした」
既に目視で確認できる距離まで迫ったディアボロの群をにらみ据え、ラグナはツヴァイハンダーFEの柄を握り締めた。
「私も、私の持てる全ての力を以て、敵を討とう!」
「‥‥避難所へ敵を近付けるわけにはいきませんね。 何としてもここで食い止める必要があります」
楊 玲花(
ja0249)もまた臨戦態勢を整え、敵が交戦距離へと達するのを待っている。
「陽動でも良い、これで作戦が成功するなら」
戦いを前に、修道服に身を包んだ柊 朔哉(
ja2302)はそっと両手を組み頭を垂れた。
「天上におわします我が主よ、祝福を」
地上から迫って来るディアボロは2種類。
共に人間サイズで、頭に二本の角を生やし地獄の悪鬼を思わせるオーガと、でっぷり太った胴体に豚の頭を乗せたオーク。
見た目の恐ろしさだけならオーガが上だが、警戒すべきはむしろオークの方だろう。その手に槍や斧を携え、粗末ながらも簡易な鎧を装着していることから、少なくとも人間並みの知能を有することが窺える。
そして上空には大バエの群。
ディアボロ群の遙か後方に、蠅を連想させる魔装に身を固め、アサルトライフルを背負ったあどけない少女の姿が小さく見えた。
「フフン。高松の決戦に出遅れた分、暴れさせてもらうわよぉ♪」
土器川に沿って展開する撃退士部隊を遠目に見やり、マレカ・ゼブブはニヤリと笑った。
今回の任務は陽動だが、彼女自身は「人類側の注意を引きつけるため、好き放題に暴れてこい」と解釈していた。
初めて地球に到着した際、上官のデスマルグからは「撃退士以外の地球人は貴重な『餌』だ。最前線と同じ気分で無駄に殺し過ぎるんじゃねぇぞ?」と釘を刺されたものだが、今回に限っては「例外」と考えている。
「おまえたち、今日は捕虜を取る必要ないわよ! 手当たり次第皆殺しにしておしまい! どうせ七門陣が完成すれば『餌』なんかいくらでも集め放題なんだから!」
「聞いたかテメーら!? 姫サンのため根性据えてかかれや! ウダウダしてる奴ぁヤキ入れっからなゴルァ!!」
「‥‥アンタ、そこで何してんのよ?」
マレカはすぐ傍らで威勢良く叫ぶヴァニタス・壬図池鏡介を横目で睨んだ。
「え? そりゃもちろん、マレカ様をお守りするため――」
「余計な心配しなくていいわよ。それよかアンタ飛び道具持ってないんだから、前に出てディアボロどもを指揮してきなさい」
「いやぁ〜、『戦争に行ったら無闇に前に出るな』って、死んだ爺ちゃんの遺言で‥‥」
「いいから行けっ!」
主に尻を蹴飛ばされ、鏡介は渋々チェーンソウを構えて前方へ駆け出した。
(ちっ。あの城にゲートが出来て、しばらくのんびりできると思ったら‥‥)
マレカに聞こえないよう小声でぼやきながらも、やむを得ずディアボロに指図すべく中衛に移動する。
『魔法、射撃武器による遠距離攻撃の可能な方は大バエを優先目標とし、各自対空攻撃を実施してください』
管制役を務める只野黒子(
ja0049)の要請が撃退士各々が備えるハンズフリーのスマホに伝わると、頭上に迫った飛行ディアボロに向けて一斉に各種の遠距離魔法、そしてアウルの銃弾や矢が撃ち上げられた。
「マレカ! 相棒の怪我のお返しだ!」
ヨルムンガルドの銃口を上空に向け、森田良助(
ja9460)は立て続けにトリガーを引く。
スキルによりカオスレートを上げた銃弾の威力は絶大で、先陣を切って急降下してきた大バエの1匹がグラリとバランスを崩した。
暮居 凪(
ja0503)もまた、拳銃ドラグニールF87にスマッシュのスキルを乗せて一斉射撃に加わる。
攻撃は地上からだけではなかった。
光の翼で飛翔したルーノ(
jb2812)は、友軍の誤爆を受けないよう注意しながら大バエの動向を観察した。
過去の戦闘報告を見る限り、大バエは空中戦よりも対地攻撃を主眼に生み出された、いわば爆撃機タイプのディアボロだ。おそらく上方向からの攻撃には脆いのではないか? とルーノは推測した。
「その耳ざわりな羽音、止めさせてもらおう」
裁きのロザリオから無数の光の矢が放たれ、対空砲火に右往左往する飛行ディアボロの頭上に降り注いだ。
同様に闇の翼で飛び立った蒸姫 ギア(
jb4049)は、大バエの死角から密かに接近、
「絡みつけ歯車の鎖‥‥ギアストリーム!」
プシューッ! ギギギ‥‥
蒸気機関が駆動するような音と共に、空中に出現した複数の歯車が大バエを絡め取り、その動きを封じる。
空中で束縛された大バエに、地上からの火線が殺到した。
数十名の撃退士が放つ猛烈な対空砲火、そして空中からの攻撃を浴び、大バエの群はなかなか腐食液を発射する間合いに近づけない。
それでも強引に突入してきた1匹の大バエが腐食液を吐くため口器を開こうとした瞬間、流星のごとき5つの光球が命中しその口を破壊した。
「やらせません‥‥」
闇の翼で空中待機していたヴィエナが星のリングから放った魔法攻撃である。
「主よ、貴方の加護が私に在りますように」
朔哉が掲げたホーリーバイブルから光の矢が放たれ、大バエにさらなるダメージを加えた。
聖なる祝福を受けた魔法だけに、ディアボロ迎撃にはその威力も倍増する。
ついに地面へ落下した大バエに駆け寄り、祈祷の文句を唱えながら武器を戦斧ゴライアスに変更、躊躇なく振り下ろした。
「マレカ、あなたのやり口は丸亀城の戦いで充分承知しています。同じ手は2度と通用しません!」
「ありゃ‥‥?」
10匹いたはずの大バエが早くも半減。
前線指揮官としてはほぼド素人の鏡介から見ても、緒戦の不利は一目瞭然だった。
大バエの腐食液により敵の防御力を削ぎ、次いで本格的な攻撃を仕掛けるというマレカの思惑はこの時点で頓挫したといえる。
「しょうがねぇなぁ‥‥ハエども、おまえらはもういい、下がれ! オーガ隊、テメーら先に行け!」
鏡介の命令を受け、鋭い牙と爪を剥いた食人鬼の群が飛び跳ねるようにして突撃を開始した。
オーガどもの接近を察知した凪は武器を拳銃からドラコニアに持ち替え、それまで対空射撃を共にしていた国家撃退士達に告げた。
「前に出るわ。上はお任せします」
『敵は密集隊形で一点突破を狙っています。扇型の陣型を取り、左右両翼からの包囲攻撃を願います。近接戦担当者は極力単独戦闘を慎み、ディアボロ1体に対し2名以上の連携を心がけてください』
再び黒子の声が各員のスマホから流れる。
基本的な作戦方針は凪が立案したものだが、刻々と変化する戦況、上空に偵察のヒリュウを飛ばしたバハムートテイマーからの情報も参考に、臨機応変に部隊のフォーメーションや戦術を変えていくのも黒子の役目だ。
一通り指示を終えた後は、彼女自身もアル・ミラージュの杖から封砲を発射、友軍の援護射撃を開始した。
ドンッ! 獅童 絃也 (
ja0694)の片足が力強く大地を踏みしめた。
「雑魚は邪魔だ。どいてもらおうか」
飛びかかるオーガの出鼻を崩撃で挫き、体勢を崩した魔獣を靠撃で弾き飛ばす。
絃也の視線はディアボロ群の後方、彼らを直接指揮する敵の副将・鏡介を睨みつけているが、次々と突進してくるオーガ、そしてその後ろには壁のごとく立ちはだかるオークの群。
あのヴァニタスを彼の間合いに捕らえるのは、いささか手間がかかりそうだ。
襲いかかってきたオーガの1体が、突然その動きを止めた。
地面に落ちたその影に、玲花が投擲した棒手裏剣が突き立っている。
影縛の術による支援攻撃だ。
「さあ、今のうちに!」
「すまんな」
絃也の拳が唸り、身動きのとれぬオーガの顔面を打ち砕いた。
次いで玲花は土遁・土爆布のスキルを発動。火山噴火のごとく土砂が――実際にはアウルが生み出した土だが――舞い上がったかと思うや、密集隊形を取るオーガの群をまとめてなぎ倒した。
大バエに続いて突撃したオーガ隊も次々と倒され、数の優位を確保した撃退士達はいよいよ前進し攻勢を開始する。
その矢先、倒れたオーガにとどめを刺そうしたフリー撃退士の1人が悲鳴を上げて倒れた。
それまで後方から黙って戦況を眺めていたマレカが、ライフルを構えて狙撃を開始したのだ。
前方には配下の鏡介やディアボロがいるためさすがにフルオートの弾幕は張らず、地上に空中にと移動を繰り返しながらのアウトレンジ射撃に徹しているようだが、それだけでも人類側にとって充分すぎる脅威である。
マレカ自身の射撃の腕もあるが、何より彼女のライフルは撃退士側のそれに比べ射程・命中・威力など全てにおいて上回っている。
鏡介の指示により、それまで中衛に控えていたオーク達が前進を始めた。
ただしオーガの様に無闇な突撃はせず、横隊を組んで左右に展開、壁役となって撃退士達の前に立ちはだかってくる。
オークの壁を突破しようと接近した者達は、思いがけぬ角度から撃ち込まれるマレカの凶弾を次々食らうはめとなった。
「くそっ、厄介な!」
良助は友軍の被害を少しでも抑えるべく、同じインフィルトレーターの伊勢崎那美香と共に回避射撃でマレカの弾道を逸らそうと努めた。
(でもこのままじゃ被害が増える一方だ。何とか中衛を抜いてあの悪魔を直に叩かないと‥‥)
ふと思いつき、傍らの那美香に提案する。
「ディアボロを指揮してるあのヴァニタス、アシッドショットで狙い撃ちできませんか?」
「幼女パンツ目当てに服屋を襲ったとかいう変態野郎やな? よっしゃ、任せとき」
那美香は頷くと、スナイパーライフルの銃撃をいったん止め、スキルで気配を消して慎重に前進を始めた。
再び土器川の川辺まで押し返された人類陣営から、ふいに人影が飛び出した。
身の丈2mを超す長身に桃色の長い髪を振り乱したその女、革帯 暴食(
ja7850)はマレカの銃弾をものともせず、ひたすら突進を続ける。
驚異的な跳躍力で行く手を阻むオーガの頭上を飛び越え、槍を構えたオークの頭を踏み台にして高々とジャンプ。
「げっ!? 何だテメーは!?」
鏡介の顔が引きつった。
無理もない。
光纏状態の暴食の全身至る所には『口』を思わせる紋様が浮かび、その姿は味方の撃退士にすら時折天魔と見間違えられる程なのだから。
だが暴食は回転するチェーンソウの刃に身を切られても動じず、鏡介のことなど見向きもせずそのまま駆け抜けた。
彼女にとってはディアボロもヴァニタスも、そしてこの戦いの勝敗すら些事に過ぎない。
眼中にあるのは唯1人、その姿と名前のみを知る悪魔マレカ・ゼブブ。
中衛を突破した女の姿に気付いたのか、マレカは残忍な笑みを浮かべ銃口を向けてきた。
立て続けの被弾。
それでも暴食の突進は止まらない。
歓喜の慟哭。或いは、孕みし狂気の断末魔――体内に過量のアウルを循環させ、一時的に痛覚を遮断した彼女にとっては、通常ならとうに重体を負っている程のダメージさえ何ほどのこともない。
当然、スキル効果が切れた時にはその反動に見舞われることになるが、そんな先の心配など無意味だ。
纏うは狂気。孕むは狂喜。
それはかつて「人狼」と呼ばれた女の狂いきった愛情。
「愛しのマレカちゃんへ突撃ってかぁッ!?」
一気に間合いを詰めるなり闘気解放、脇腹に渾身の蹴りを叩き込む。
「ぐはっ!?」
小柄なマレカの体が堪らず吹き飛び、血反吐を吐きながら地面をバウンドした。
「ブッ喰い殺すッ!」
次なる一撃を加えようと食らいついた先に少女の姿はなかった。
暴食の背中、口型の紋様の1つから音を立てて鮮血が噴出する。
振り返るとすぐ目と鼻の先、ちょうど目線が合う位置にマレカが浮いていた。
ライフルは消え、その手に刃渡り20cmほどのサバイバルナイフが握られている。
「‥‥イイわねぇ‥‥」
かっと見開いた両眼の中で碧い瞳孔が点のごとく収縮し、殺意を孕んだ三白眼に変わる。
ニタリと嗤った口から鋭い牙が覗き、その全身から蠅の群れを思わせるドス黒いオーラが湧き起こる。
「素敵よぉ、そのセンス。せっかくだからその口全部に穴開けて本物にしてあげる♪ キャハハハ!!」
目にも止まらぬナイフ捌き。
暴食の全身から噴水のごとく血が迸った。
だが次の瞬間には起死回生の発動によりダメージを回復。
「愛し合おうぜマレカちゃァんッ!?」
女はケラケラと笑う。
歪なまで穏やかに。不気味なほど優しげに。
繰り出した膝蹴りがマレカの腹に深々と食い込み、遙か後方へと弾き飛ばす。
――が、悪魔はエアブレーキ代わりに翼を広げ、細い両足を地面に食い込ませながらも、腰を落としナイフを構えた姿勢で踏みとどまった。
「イイわよぉ! アンタ好みのタイプだわぁ〜ただし標的としてね♪ その妙なスキルが続く間にアタシを喰えるかどうか、試してみたら?」
口から滴る血を拭おうともせず、マレカはあどけない顔を歪めて甲高く哄笑した。
2人が交戦状態に入ったことは、撃退士側にもすぐ分かった。
マレカのいる方角から降り注いでいた銃撃がピタリと止んだからだ。
「チャンスよ。革帯さんがマレカを抑えてる間に敵のディアボロ、そして副将のヴァニタスを潰す!」
凪の決断は即座に黒子を通し全撃退士に伝えられる。
鏡介とオーク隊、そして残り少ない大バエとオーガからなる冥魔軍を左右から包み込むように包囲。
「汚らわしい――開封、光に飲まれなさい」
闇をも切り裂く光を宿した凪のディバインランスがオークの腹に突き立てられる。
それを契機に、人類側は一気に反攻へと転じた。
●丸亀市南部〜国道11号線付近
土器町方面で死闘が繰り広げられているさなか、ここ国道11号線沿いで待機していた撃退士達の前にもデスマルグ率いる冥魔軍主力が姿を見せた。
ただしマレカとは逆に、部隊の先頭に立つのはデスマルグ自身。
「ゲルダには前々から忠告されてたが‥‥まさか本当に裏切るとはな」
まだ距離を置いた人類側前衛の中に混じるかつての「戦友」を、悪魔騎士は険しく睨み付けた。
「それについてはすまないと思ってる。ああ、今回の僕の行動について、妹は一切関係ないから」
デスマルグに向かい歩き出しながら、エルウィンが悪びれもせず答えた。
「おまえとは長い付き合いだ。これまで頼まれればディアボロも貸してやったし、多少のノルマの遅れも大目に見てきてやったが‥‥こうも見事に恩を仇で返してくれるたぁな。呆れて腹も立たねぇぜ」
言葉とは裏腹に、悪魔騎士の両眼は激しい怒りにギラついていたが。
「これも君のためだよ? この計画はどう考えても無謀だ。ツインバベル侵攻なんて、上が許すと思うかい?」
「今の上層部の弱腰に不満なのは俺だけじゃねぇ。いったん燃え広がって大火事になれば、あの公爵サマだって容易には消せないだろうぜ」
「そのために四国を焦土にしても?」
「当然だ。俺達武力系統の悪魔がのし上がるには、まず戦(いくさ)が起きなくちゃ始まらねぇからな!」
デスマルグの手にしたクレイモアの切っ先から、さらに魔力の刃が伸びる。
刃渡り4mにも及ぶ大剣が振り下ろされた。
とっさにツインサイズで受けるエルウィンだが、耐えきれず後方に弾き飛ばされた。
やはり力の差は歴然だ。
だがエルウィンに気を取られたデスマルグの隙を衝き、前衛班の撃退士達は遠距離魔法や銃、弓による一斉射撃を開始した。
「小癪な人間どもが――来い!」
一瞬の後、撃退士達は有無をいわせず悪魔騎士の間合いの中に強制転移されていた。
だが、それは全て折り込み済みである。
最初に遠距離攻撃を仕掛けた撃退士は、本来近接戦を得意とする者達。
デスマルグの特殊能力を逆手にとり、一気に敵の懐に飛び込む捨て身の作戦だった。
ほぼ同時に別動部隊が側面から迂回して敵後方に控える副将、ゲルダを狙う。
そうはさせじとディアボロ群も一斉に動き出し、たちまち乱戦状態となった。
最初にデスマルグに斬りかかった阿修羅やルインズブレイド、ナイトウォーカー達がまとめて切り捨てられる。
そんな中、辛うじて斬撃を受けきったイアン・J・アルビス(
ja0084)は、拳に装着したモルゲンレーテから真珠のごとき純白の光を発しつつ果敢に打撃を浴びせていった。
「今できる最大限、ですね」
エリスは予め練っておいたアウルを黒炎に変え、ファイアバーストとして叩き込む。
「これでも食らえですの」
迅雷のダッシュでナイフの刺突を見舞った鬼姫は素早く後退、影手裏剣で足止めを図る。
高虎 寧(
ja0416)は手持ちの槍を斧の様に振ると「目隠」の術により召喚した霧でデスマルグを覆った。
「‥‥むぅ!?」
視界を奪われた悪魔騎士に対し、撃退士達はさらなる波状攻撃で畳みかける。
「今なら引力も使えないだろう!」
後方で待機していた天羽 流司(
ja0366)も召炎霊符を放って攻撃を開始。
立て続けに閃光と爆炎が炸裂した後、野戦服の数カ所に手傷を負った巨漢が再び姿を現した。
「なるほど。少しはやるじゃねえか‥‥」
額から血を流したデスマルグが、口髭の下から歯を見せてニタリと笑う。
「ならこっちも遠慮無くいかせてもらうぜっ!」
刃渡り4mのクレイモアの斬撃は、もはやそれ自体が凶悪な範囲攻撃だ。
そんな大剣を縦横無尽に振り回し、一太刀毎に圧倒的な威力で複数の撃退士を傷つけていく。
こちらの攻撃もある程度は効いているはずだが、その度に食らう反撃のダメージがバカにならない。
数回も受ければ戦闘不能に追い込まれるのは確実だろう。
後方からの援護射撃も含めれば数十名を相手に回して悠然と戦い続ける敵の底知れぬ力に、撃退士達は改めて戦慄を覚える。
だからといってこの場を退くわけにはいかない。
故郷の街を追われ行き場を失い、ただ恐怖に怯える一般人十数万の命がかかっているのだ。
ましてや四国の天魔が全面戦争となれば、結果がどうあれ人類側は途方もない損害を被ることになるのだから。
「キミの相手、させてもらうよ♪」
両手に三本爪を装着したジェラルドもデスマルグに肉迫していく。
日頃と変わらぬ軽いノリながら、彼の行動は敵の攪乱、そして何より傷ついた仲間がこれ以上の攻撃を受けぬよう悪魔騎士の注意を引きつけることを目的としていた。
デスマルグ対応班が文字通り生命を削って奴の足止めを続けている間、グラン他の撃退士達は後方のゲルダを目指し迂回前進していた。
エルウィンの言葉を信じる限り、捕虜は無理でも彼女にダメージを与えることで冥魔軍を撤退に追い込めるはずだ。
行く手を塞ぐオーガの群に、レイラはミカエルの翼を投げつける。
「邪魔はさせません!」
聖銀の扇子が目にも止まらぬ速さで宙を舞い、同時に2体へダメージを与えた。
上空から襲って来る大バエに対しては、明日香が灰燼の書、椛が召炎霊符を用いて迎え撃つ。
敵の後衛を見れば、セミロングの銀髪を肩の辺りで切りそろえた若い女が、低空に浮いて戦況を見守っている。
彼女がゲルダだろう。
だが上空から降り注ぐ大バエの腐食液、鋭い爪で迫り来るオーガ、その肥満体で壁のごとく立ちはだかるオークの群を前に、撃退士達も容易に彼女の場所までたどり着けない。
行動を共にしていた友軍の何人かが、突如として意味不明の叫びを上げて仲間に攻撃を加えてきた。
ゲルダの範囲魔法により幻惑に囚われてしまったのだろう。
「アスヴァンで浄化の魔法が使える方は!?」
グランが叫ぶ。
幻惑の魔法に対抗するには同じく魔法による回復か、精神力で耐えるか、あるいは自然に効果が切れるのを待つしかない。
混乱に陥った撃退士達に、ここぞとばかりディアボロの群が押し寄せる。
斧をふりかざして突進してきたオークが急に立ち止まり、慌てた様に周囲を見回した。
オークだけではない。その場にいるディアボロ全てが目標を見失ったかのごとくデタラメに動き始めていた。
「フン‥‥人間のためにこの術を使うことになるとはな」
黒スーツの男、エドガーが面白くなさそうに呟いた。
だが次の瞬間ヴァニタスの男は跳躍し、手の甲から伸びた鉤爪で躊躇なくオークを切り裂いていた。
「今、連中の視界を奪ってる! 正気の者は早くゲルダ様の元へ向かえ!」
●土器町付近
「雑魚どもは私が引き受ける! 早くマレカの方へ――革帯を援護しろ!」
大剣を振るってディアボロを切り捨てながら、ラグナが叫んだ。
「行け、蒸気の式よ」
上空からギアが放つ雷帝霊符が地上のオークやオーガを蹴散らす。
やはり上空に留まったルーノやヴィエナからの情報に基づき、撃退士たちはディアボロ勢の手薄なルートを突破。
中衛で指揮を執る鏡介、さらにはその後方で暴食と戦い続けるマレカを目指す。
「道を開けなさい!」
朔哉が斬り伏せたオークの死骸を飛び越え、鏡介の前に降り立った絃也が、たじろぐヴァニタスの若者を鋭く睨み据えた。
「油断して深手を負えば、言い訳のネタにもなるだろ、だから其処を動くな、殴るのが面倒になる」
「あんだとぉ‥‥?」
一瞬迷う鏡介だが、
「ザケンじゃねーっ! やれるもんならやってみろやっ!!」
すぐ逆上して喚き散らし、チェーンソウで斬りつけてきた。
腐ってもヴァニタス。小心者とはいえ、戦力だけは並のディアボロを遙かに上回るのだ。
「刃物を持たせたチンピラほど厄介なものはない、か」
鋸の歯を紙一重でかわすと、絃也はすっと体を落として間合いを詰め、鏡介の胴に拳撃を撃ち込んだ。
「うぐっ!?」
予想外のダメージによろける鏡介。
自分では気付いてないが、先程那美香に撃ち込まれたアシッドショットにより徐々に防御が落ちているのだ。
さらに踏み込み、至近距離からの肘撃、崩撃のコンボで追い込んでいく絃也。
大きく体勢を崩す鏡介だが、追い詰められて開き直ったか、辛うじて踏みとどまると口汚いスラングを喚きながらなりふりかまわず反撃してきた。
「‥‥ぐはっ」
大量の血を吐き、暴食は地面に膝を突いた。
死活や起死回生の連続使用により痛覚とダメージを遮断してきたが、それらもついに底をついた。
「あらぁ? 無敵モードはもうおしまいかしら」
自らも全身朱に染まったマレカがくすくすと笑う。
瞳を潤ませ紅潮した少女の表情は、戦闘の興奮というより、むしろ性的なエクスタシーに震えているかのようだ。
「でも楽しかったわよぉ〜。アンタのことはキチンとアタシの撃墜スコアに追加してあげる♪」
手にしたナイフが消え、再びライフルを構え直した。
「――餌じゃなくて、天使どもと同格の『敵』としてね」
白い影が走る。
間合いに飛び込んで来た朔哉が、星の輝きを宿した戦斧を振り下ろしたのだ。
「私は退魔の力を持つ者。負けはしないわ、貴方を倒して証明する」
武器破壊を狙ったレイジングアタックだったが、僅かに狙いが逸れた。
「アンタいつぞやの? ちっ!」
慌てて飛び退いたマレカは舌打ちし、銃口を朔哉へと向けた。
だが続いて飛び込んだ良助が意識不明の暴食を庇い、マレカに向けて小銃を撃ちまくって牽制する。
上空からはヴィエナが鉄心護符による攻撃を始めた。
『蝙蝠より蠅姫へ。緊急事態です』
「ゲルダ? 何よ、この忙しい時に!」
『エルウィンが‥‥人間どもに寝返りました』
「はぁ? 何冗談かましてんのよ! 何で彼がアタシらを裏切るわけ? だいいちエルウィンはアンタの――」
『残念ですが事実です。兄は今、私の目の前でデスマルグ様と交戦中です』
念話でありながら、女の『声』は微かに震えていた。
ギリッ‥‥マレカが唇を噛みしめた。
「‥‥殺してやる‥‥」
戦斧で斬りかかる朔哉の攻撃をしばらくかわしていたが、隙を見て舞い上がる。
ヴィエナに牽制の一連射を加えると、そのまま戦場の中央へと移動した。
「全軍、転進! デスマルグ隊と合流、裏切り者エルウィンを粛正する!」
そう叫ぶなり、自身は即座に南西方向へ飛び去った。
「へっ?」
絃也と交戦していた鏡介がきょとんとした表情で呟く。
「ええと‥‥て、転進だ! いやちょっと待て、テメーらもうしばらくそこで戦ってろ! 俺が無事に逃げるまで」
鏡介が下した無茶な命令により、ディアボロ群は大混乱に陥った。
その隙を逃さず追撃に移る撃退士達。
指揮官のマレカと鏡介が離脱したことにより、間もなく冥魔の陽動部隊は壊滅状態となった。
●国道11号線付近
遁甲の術で気配を消した寧がデスマルグの横合いに忍び寄り奇襲をかける。
「こいつで沈んでください」
パールクラッシュを使い果たしたイアンが、それでも全身のケガに耐えつつ拳を繰り出す。
「99%の絶望に残る1%の希望、思い知りやがれ!」
闘気を全開にした英雄が、悪魔騎士の脳天にクラッシュハンマーを振り下ろした。
鈍い音が響き、鋼鉄を叩いたような手応えに英雄の右腕が痺れる。
男は僅かに顔をしかめるが、すぐニヤリと笑い。
「希望だと? そいつぁ弱者が縋り付く儚い幻だぜ!」
直後、デスマルグの巨体がグラリと揺れた。
その左肩に食い込んだ鋭い鎌の切っ先――撃退士達に紛れて再び接近したエルウィンが、ツインサイズで渾身の斬撃を見舞ったのだ。
「あれ? 腕1本だけ貰っていくつもりだったけど‥‥やっぱりダメか」
「‥‥昔のおまえなら出来ただろうな。なぜゲートを使って手っ取り早く魂を集めなかった?」
「自分に必要なエネルギーとヴァニタスへの補充、それにノルマ分‥‥それだけあれば充分だったからさ。もう興味がなかったんだ、他者から奪ってしか得られない『力』には」
「この‥‥大馬鹿野郎ッ!!」
大剣が風を切り、高々と血飛沫が上がる。
「エルウィン!?」
少年が倒れる姿をスローモーションのごとく見守りつつも、流司は剣を振り切った敵の懐に飛び込みスタンエッジの電撃を浴びせた。
「成程、見事な力量だ。だがあまり調子に乗るなよ、小僧」
続いてインレが迫る。
拳撃、蹴撃、肘撃による薙ぎ払いで足止めを図るも、惜しくもデスマルグには通じない。
「はぐれ風情が片腹痛いわ!」
逆に前蹴りで引き離したインレに向けて大剣を振りかざす。
だがその斬撃は、寸前に展開された庇護の翼でサミュエルが身代わりとなった。
「僕にも覚悟はあるんです!」
大ダメージを受けフラフラになりながらも、少年の両足は未だ大地を踏みしめ、なおもクロスボウで攻撃を続行した。
「これ以上尊きモノを奪わせはしないぞ」
大剣ヴァッサーシュヴェルトを己が両手に召喚したインレが、悪魔騎士に向かい正面から魂心の一撃を放つ。
乗せるは祈り、込めるは想い。 そして放つは――
「───おおぉぉぉ! 我が斬撃!!! 」
エルウィンに傷つけられたデスマルグの左肩に、インレの刃が深々と食い込む。
だがカウンターの一撃をまともに受け、はぐれ悪魔もまたその場にくずおれた。
「この‥‥っ!」
倒れたインレにとどめを刺すべく剣を振り上げたデスマルグに侑吾が肉迫した。
「これ以上好きにはさせない! 俺達にだって譲れないものがあるんだよ!」
至近距離から大剣アスカロンで封砲を撃つ。ひたすら撃ち続ける。
むろんその度に倍の反撃を食うが、ダメージが蓄積すれば剣魂で立ち直り、なおも食い下がる。
「なぜ‥‥だ?」
悪魔騎士の口から掠れた言葉が洩れた。
決して負ける戦いではなかった。
寝返ったエルウィンの戦力を加えても、この程度の数の撃退士なら余裕で蹴散らしていたはずなのだ。
だが現実は――。
「あんたエルウィンの話聞いてなかったのか? 確かに今の俺達は弱い。だがな、自分の努力で、そして仲間達と力を合わせてどこまでも強くなれるんだよ! あんたらみたいに、他人の魂なんか奪わなくてもな!」
「黙れぇーっ!!」
怒りに身を任せたデスマルグの切っ先が侑吾の胴を貫き、串刺しのまま宙へ持ち上げた。
苦痛に顔をしかめつつも、若者はニヤッと笑う。
間近に迫った悪魔騎士の顔面に自らの剣を向け――。
ウェポンバッシュ。
侑吾が最後の力を注ぎ込んで繰り出した痛烈な一撃が、デスマルグの巨体を後方へ吹き飛ばしていた。
「近寄るな人間ども! 私は兄のような腰抜けとは違う!」
銀髪を振り乱し、紅い瞳を怒りに歪め、ゲルダが撃退士達に向けて攻撃魔法を放ってきた。
「腰抜け? あなたのお兄さんは、天魔と人間全てを敵に回してもご自分の信念を貫いたのですよ!」
椛は声を震わせ、黒蛇弓から放つアウルの矢で空中の女悪魔を狙う。
グランは友軍のアスヴァンにコメット一斉発動を要請、ゲルダ周辺を守る大バエどもを駆逐した。
続いて自らゲルダを狙いブラストレイを発射。
一直線に走る炎に貫かれ、ついにゲルダは地上に落下した。
駆け寄る撃退士に対し、切り札の範囲魔法・幻惑を発動する。
「うわぁぁぁっ!!」
「影野さん!?」
突如悲鳴を上げ、相手構わずメリュジーヌの槍を振り回す明日香に、仲間達も驚いて飛び退いた。
「フン。どんなに偉そうな事を言っても、所詮は人間――」
嘲笑を浮かべて立ち上がりかけたゲルダの言葉が途絶えた。
光り輝くメリュジーヌの穂先が、彼女の脇腹に突き立っている。
「所詮は、何よ?」
明日香は幻惑に囚われていなかった。
元々抵抗の高い彼女は魔法に打ち勝つ自信があったし、だからこそあえて幻惑にかかった振りをしてゲルダの隙を誘ったのだ。
「うぐっ‥‥!?」
素早く槍を退いて明日香は後退。
入れ替わりにレイラが投擲したミカエルの翼で痛打を受け、女悪魔は呻き声を上げて倒れた。
「ゲルダーっ!!」
恋人の危機に気付いたデスマルグが、前線から後退して飛来してくる。
気絶したゲルダを抱え上げ、眼光鋭く撃退士達を睨みつけるが――。
すぐ顔を背け、無言のまま北の方角へ飛び去った。
指揮官の離脱を合図のように、残存のディアボロ群も丸亀城方面への撤退を開始。
人類軍は国道11号線上の防衛ラインにおいても冥魔軍の撃退に成功した。
「‥‥もういいわ。丸亀城のゲートに帰るわよ」
南西方向へ向け飛行していたマレカがふいに空中で静止、ポツリと呟いた。
「あれ? 裏切り者は放っとくんスか?」
大バエの1匹に抱えられて後を追ってきた鏡介が不思議そうに尋ねる。
「あいつ、今死んだわ‥‥」
マレカの表情は虚ろだった。
心なしか、その頬に光るものがある。
(姫サン、ひょっとしてあのエルウィンってガキのことを‥‥?)
鏡介はふと思ったが、口には出さなかった。
ここで下手なことを喋れば、何かとんでもない藪蛇になるような気がしたからだ。
「回復魔法はいらない‥‥もういいんだよ」
戦闘終了後、駆け寄ってきたアスヴァン達に対し、エルウィンが弱々しく片手で制止した。
本人の言葉通り、肩口から胸までざっくり切り裂かれた傷痕は、もはや悪魔であっても手遅れであることを示していた。
「敢えて言うぞ死神、死ぬな!」
小柄な少年の体を抱き起こし、英雄が叫ぶ。
「手前は俺が倒すんだからな!」
「‥‥悪かったね‥‥でも、君ならいずれ、僕なんかよりずっと‥‥」
エルウィンの声が途絶えた。
いつものように微笑を浮かべたまま、英雄の腕の中で眠るように動きを止める。
「なぜだ? なぜ俺が愛した奴は皆死んでいく? 俺の方がよっぽど死神の様だ!」
亡骸を抱きしめ嗚咽する英雄。
その光景を、過去の依頼において幾度となくエルウィンと遭遇し、「いつかは滅ぼすべき悪魔」と思っていた流司は複雑な心境で見守っていた。
「‥‥もういいだろう? エルウィン様を返してくれ」
エドガーが歩み寄り、英雄の腕から奪うようにエルウィンの体を抱き上げた。
「この先、あなたはどうするのですか?」
エリスが問いただした。
「エルウィンとの約束では、学園があなたの保護を――」
「冥魔も人間も関係ない‥‥俺にとっての『主』はエルウィン様ただお一人だ。今までも、これからも」
唐突に撃退士達は闇に包まれた。
敵の視界を奪う魔法「シュバルツバルト」をエドガーが行使したのだ。
とっさに武器をとり身構える撃退士達。
だが間もなく闇は晴れ、ただエドガーとエルウィンの遺体だけが忽然とその場から消えていた。
その後、冥魔陣営の内部でどういう沙汰があったのかは分からない。
はっきりしているのは、結果的に丸亀城周辺に七門陣は開かれなかったこと。
そしてデスマルグが配下と共に本州に引き上げたことだけが、学園に情報として伝えられた。
<了>