●四国〜香川県某所
高松ゲートを巡る冥魔との戦闘で廃墟と化した街を、生徒会親衛隊8名と共に撃退士達が進む。
「エルウィン‥‥1年以上ぶりかな。たぶん俺の事は覚えていないだろうなぁ‥‥。名前、名乗らなかったし」
かつてある病院で出会った悪魔を思い起こし、ネコノミロクン(
ja0229)は呟いた。
あの時は「敵」として相まみえたものだが、今回は奇しくも交渉のため。
彼が「味方」になるか否かはその結果次第だが。
「相変わらず‥‥何を考えているのかよくわからん奴だ」
エルウィンとはこれで3度目の対面となるラグナ・グラウシード(
ja3538)にも彼の真意は読み取れない。
「向こうは交渉に来てるって言うんだから、こっちが変に敵愾心を出す必要はないさね」
アサニエル(
jb5431)がサバサバした口調でいう。
「悪魔側からの内部リークと内通‥‥この機会を逃す手はないさね」
その点についてはハッド(
jb3000)も同感だ。
東北地方で冥魔による大規模な攻勢が開始された現状、千のディアボロを従える悪魔騎士デスマルグがこの四国に侵攻すれば、人類側が受ける被害は計り知れない。
奴が出撃拠点にするという丸亀市周辺には、高松方面からの避難民も含め、推定15万人の一般人が避難生活を余儀なくされているのだから。
「現状の厳しさを知るならば、我らは命と知恵を絞りつくさねばなるまいて」
間もなく約束の場所に到着した。
瀟洒なレストランだが、今は無人の廃屋となっているようだ。
「時間もぴったしやな」
生徒会代表として同行する伊勢崎那由香(jz0052)が腕時計で時刻を確認。
「ほな、悪いけど、みんなヒヒイロカネ出してや」
那由香を含め、店の中に入るメンバーは各々のヒヒイロカネを親衛隊メンバーに預ける。
「一応貴重品さね。取扱い注意で頼みたいね」
飄々とした調子で己のヒヒイロカネを差し出すアサニエル。
「俺は最初から持ってきてないですよ。『彼ら』を信用してますから」
ネコノミロクンがいうと、親衛隊の生徒は簡単なボディチェックを行いOKを出した。
撃退士達には代わりに防犯ブザーが貸与される。
「万一あの悪魔が襲ってきたらこれを鳴らしてくれ。すぐ助けに行くから」
表の警備は親衛隊メンバーに任せ、交渉班の撃退士たちは建物の中へと踏み込んだ。
「やあ。わざわざ呼び出してすまないね」
ホールの長テーブル、奥の席についた少年が片手を上げて気さくに挨拶した。
少年の姿をとった悪魔エルウィン。
卓上には1匹の黒猫――ヴァニタスのエドガーも背を丸めておとなしく座っていた。
「えっと、初めまして。私はアステリア・ヴェルトール(
jb3216)と申します。この度はよろしくお願いしますね」
「こちらこそ」
「エルウィンさんが私にチェスを教えてくれる気になったと聞いて!」
久遠寺 渚(
jb0685)が勢い込んでテーブルに駆け寄った。
「いやあ、申し訳ないけど‥‥まだそっちに亡命するわけじゃないんだ」
「‥‥え? 違う、んですか‥‥」
しょんぼり肩を落とす渚。
「今回の件で最悪、僕ははぐれ悪魔になるかもしれないけど‥‥学園の庇護を受けるには魂の収穫を止めるのが条件だろう? それはできない相談だ」
「誰もが死ぬ前に一度くらい、願いが叶ってもいい事は分かります」
かつて修羅のごとく戦い続けた己の過去を振り返りつつ、倉敷 織枝(
jb3583)がいう。
「‥‥今まで戦ってきた中には、それを抱えたまま死んでいった人達もいるのですから」
今日ここに来たのは撃退士としての任務であるが、半分は自ら「死神」を名乗る奇妙な悪魔のことを知りたいという動機もあった。
「僕ら悪魔は君達人間の魂を糧として生きながらえる。だからこそ、その魂の提供者には最大限の敬意と感謝を捧げるべきだと思う‥‥少なくとも僕自身はね」
エルウィンの顔に邪気のない微笑が浮かんだ。
「それじゃあ、腹を割った話し合いを始めるとしようかね」
長い髪をかき上げ、アサニエルが促した。
「っと、その前に。会合の場があまり殺風景なのも何でしょう?」
ネコノミロクンが持参のコーヒーとお茶請けの菓子を取り出し、エルウィンと同席の撃退士達に振る舞った。
(エドガーは‥‥ミルクでいいのかな?)
一応用意した皿に猫用ミルクを注いで様子を窺ってみる。
「どうもご馳走様。さ、君も貰いなよ」
のっそり起き上がった黒猫が皿まで歩み寄り、ちょっと匂いを嗅いでからピチャピチャ舐め始めた。
『フム‥‥懐かしい味だ』
「まずはこの場を設けて頂き感謝のほどを」
改めてアステリアが切り出した。
「‥‥疑っていない訳では、ないんですけどね。それでも今回に於いては、貴方の同族の死を悼む心を信じたく思うのです」
「戦死した悪魔達とは特に親しかったわけじゃないけどね。それでも同族が死ぬのは気持ちの良いことではないよ。まあ彼らは望んで戦場に立ったわけだし、その意味では本望だったかもしれないけど」
「お前が嘘をつくような悪魔でないことは知っている。不都合なことは言わないにしてもだ」
アズミ製薬のビルで死闘を繰り広げた悪魔に向かい、ラグナが口を開いた。
「奇妙に聞こえるかもしれないが‥‥その点で、私はお前を『信頼している』」
「光栄だね」
「私たちと、お前の望むものが一致しているならば。それは幸運なことだろう」
「君らの望みは何?」
「え、えと‥‥デスマルグさんは、丸亀城のゲートを足がかりに攻め込むつもり、なんですよね?」
おずおず尋ねたのは水葉さくら(
ja9860)。
「だとすれば、あのお城のゲート破壊が、共通の利益になるのは、間違いないと思うのですが‥‥」
「確かにね。マレカ・ゼブブ(jz0192) があそこにゲートを開いたのはデスマルグの差し金だ。彼は地球に派遣されてからの長い歳月、この機会を待ち続けてたんだよ」
「お互いにとって一番いいのは、ゲートを破壊して悪魔側に侵攻に出る気を無くさせる事です。そのためにエルウィンさんにはマレカを呼び出して欲しいって思っています」
渚は「共同作戦」の青写真として撃退士側で作成したプランを告げた。
囮部隊がマレカを城外へおびき出している間、主力部隊が丸亀城に侵入しコアを破壊する。
「マレカさんがお城に不在であれば、お城を攻めやすい、のですけれど‥‥。マレカさんを連れ出すのでしたら、ほ、方法は、マレカさんを良く知っているエルウィンさんにお任せした方が…良いような気がします、ね」
「勿論、怪しまれないようにケアもお願いします。リスクばかり押し付けたりはしません!」
「可能ならばお前にはゲートの守りに着いて貰い、コアまで辿り着いたら破壊を見逃してもらうこと、急変を広島へ伝達されるのを遮断してほしいのじゃが?」
「悪いアイデアじゃないね。しかし‥‥」
渚やさくら、ハッド達の提案に、エルウィンは顎に手を当てじっと考え込む。
「残念ながら一足遅かった。つい昨日、デスマルグは丸亀城に入ったよ。彼の配下‥‥悪魔とそのヴァニタス7人を率いてね」
撃退士達の間に緊張が走る。
これではたとえマレカのおびき出しに成功しても、丸亀ゲート攻略はほぼ不可能に近い。
高松市での決戦では同じ悪魔騎士レディ・ジャムのゲートを破壊するため千人を超す撃退士に神器まで投入しながら、結局目的を達成することはできなかったのだから。
「もし良ければ、作戦の詳細をお伺いしてもよろしいですか?」
気を取り直して質問するアステリア。
「ああ。今回の作戦は大きく分けて3段階で実施される」
エルウィンが軽く手を振ると、テーブルの上に丸亀市とその周辺の地図が浮かび上がった。
「まずは先遣部隊による丸亀市の完全制圧。マレカは丸亀城にゲートを展開したけど、結界も含めて彼女の支配領域はまだ市内のごく一部に過ぎないからね」
この第一波攻撃はデスマルグ自ら陣頭に立ち、他にマレカとそのヴァニタス、さらにデスマルグの配下でゲルダという女悪魔が参加するという。
「それだけか? さっきの話と人数が合わんが」
ラグナが怪訝そうに尋ねた。
「残り6人の悪魔とヴァニタスは最初の戦闘には参加しない。彼らはコアの防衛も兼ねて丸亀城で『待機』することになってる」
それを聞いたネコノミロクンは不吉な予感を覚えた。
「丸亀城のゲート、それに6人の冥魔‥‥まさか七門陣を?」
「お察しの通り。天使達が京都に作ろうとしたものには遠く及ばないけど、それでもマレカ単独のゲートに比べれば支配圏も輸送力も飛躍的に拡大するよ。これが第2段階だ」
そして第3段階は――。
「本州側で待機してる主力部隊を強化された丸亀ゲートから送り出し、一気に讃岐平野を蹂躙する。その中には東北の同族から提供されたデビルキャリアーとかいう新型ディアボロも含まれてるそうだよ」
室内を重苦しい沈黙が包んだ。
「高松や、四国の他の地域にゲートを開いた悪魔達はどうするのですか?」
織枝が質問する。
「今の所は静観してる。彼らも自分のゲートを定着させるのに忙しいからね。もっともデスマルグが丸亀市に七門陣を開いて本格的な侵攻を始めたら、彼らも動かざるを得ないだろう。グズグズしてると自分達の『取り分』までなくなってしまうわけだからね」
エルウィンの顔から笑みが消え、撃退士達を見渡した。
「丸亀市内、そして高松方面からの避難民を手当たり次第狩り集め、強化された丸亀城ゲートに連行する‥‥そこで吸収される魂のエネルギーは膨大なものになるだろうね。だがそれで終わりじゃない。この戦いで得た途方もない『力』を対価に、デスマルグは四国と本州の悪魔達に決起を促すだろう――四国最大の天界側ゲート『ツインバベル』侵攻を」
「天界側との全面戦争を? それはあなた方の上層部の方針と異なるのではないですか?」
「そう、これは危険な賭けだ。メフィスト様だってバカじゃない。多少の抜け駆けは大目に見ても、彼が最後の一線を超えようとすれば‥‥阻止するだろうね、武力を行使しても。でもその時には、もう取り返しのつかない数の人命が奪われてるよ」
撃退士達は互いに顔を見合わせた。
「立ち入ったことを伺いますが、あなたとデスマルグはどういう御関係にあるのです?」
織枝は質問を続けた。
「正直にいおう。彼とは遙か昔、並行宇宙の戦場で共に天使と戦った旧い友人。まあ今は向こうが上官だけどね。そしてマレカに兵士としての戦い方を教えたのは彼と僕。だから彼女の行為についていくらか責任を感じているし、友人が過ちを犯すのを見過ごすわけにいかないんだ」
「それにしてもこの状況は我らにとって八方ふさがりじゃな。お前も何ぞ策があるからこの会合を申し出たのではないか?」
「それはこれから説明するよ」
ハッドの言葉に応じ、エルウィンは地図上の丸亀城を指さす。
「今このゲートにいるディアボロは概ね2百から3百。作戦に充分な数とは言い難い。だからこそデスマルグは自ら少数精鋭の部隊を率いて市内の撃退士を一掃し、配下に七門陣を開かせようとしているのさ。君ら人類に勝機があるとすれば、この先遣部隊が結界から出たところで迎撃して、彼を倒せないまでも撤退に追い込むこと‥‥デスマルグは剛胆さと慎重さを兼ね備えた騎士悪魔だ。人類側の守りが予想外に堅く、七門陣の展開が難しいとなればおそらく侵攻計画そのものを諦めるだろう」
「言うのは容易いがのう‥‥」
「情報の提供に感謝します。ときにあなたの方から何かご希望はありますか?」
アステリアが慎重に探りを入れた。
「失礼な言い方になりますが、つまりは『見返り』について」
「見返り‥‥ねえ」
再び少年の口許に微笑が浮かぶ。
「なら、僕の身に万一のことがあった時‥‥学園でエドガーの面倒を見てやってもらえないかな?」
「それだけですか?」
「うん。実は彼も僕と『契約』した1人でね。ある願いを叶えるまで死なせるわけにいかないのさ」
「お前はどう思ってるんだ?」
ラグナに訊かれ、黒猫が顔を上げた。
『むろん反対した‥‥が、エルウィン様ご自身が決断された以上は是非もない。俺はただ、主の意志に従うだけだ』
ミルク皿から離れ、ゆっくり「主」の方へと引き返す。
にわかに胸騒ぎを覚えたネコノミロクンは思わず問いただした。
「君に『還る場所』はあるの? 俺達に協力することで、もしそれが失われてしまったら‥‥」
「僕は冥魔の世界じゃ最下級の悪魔だけどね、それでも一番大切なのは自らの意志の自由だと思ってる。もし命と自由、どちらかを選べといわれたら‥‥僕は躊躇いなく後者を選ぶね」
その言葉を聞いて、撃退士達も確信した。
――エルウィンは最初から己の身の安全など計算に入れていないことを。
「まぁ、今日のところはこんなもんかい?」
沈黙を破ったのは、手許のメモ帳に議事録をまとめていたアサニエルの言葉だった。
「そうだね。僕はしばらく丸亀城に滞在して状況を伺うよ。もし侵攻の具体的な日取りが分かれば、そちらの伊勢崎さんに連絡しよう。その時までに何か対策を考えておいて欲しいな」
そういって「死神」は席を立った。
「あ、エルウィンさん、これ、私の携帯電話の電話番号とメールアドレスです。それと、私の住んでる寮の住所です」
会合を終え全員が屋外に出た時、渚はメモ用紙を手渡した。
「何かあったら、連絡くださいね! 」
「そうかい? でもあんまり関わらない方がいいよ、僕は死神だし。ははは」
微苦笑しつつもエルウィンはメモを受け取りポケットに収めた。
「それじゃあ、短いか長いか分からないけど、今後もよろしく頼むさね」
手を振って別れを告げるアサニエルに軽く片手を上げると、悪魔の少年は従者の黒猫を従え廃墟の彼方へと立ち去った。
エルウィンが去った後、ハッドは那由香に対し、あえて会合の席では黙っていたこと――天界軍への支援要請を提案してみた。
「その話、生徒会の会議でも出たけどなぁ‥‥結局否決されてもうた」
疲れたようにため息をもらす那由香。
「みんなも知っとるやろ? 高松での戦闘の間、どさくさ紛れに何人かの天使が冥魔軍に拉致されて‥‥今、あちらの穏健派はえらく立場が悪うなっとるんや。とても援軍なんか頼める空気やあらへん」
織枝は「死神」の消えた方角を見つめていた。
(誰の主義主張にも従わず、己の信念と美学に従って動く‥‥その為にたとえ同族に後ろ指をさされ、いつしか消される事になろうとも。それを承知で、やるのですね。あなたは)
エルウィンという悪魔について少し分かったような気がする。
だがかつてはマレカ・ゼブブと同様、天使相手の戦争に血道を上げていたはずの彼がどうしてここまで変わってしまったのか、それを知る術はなかったが。
<了>