●男の娘カフェ「陽だまり」店内
本日は休業日のため来客もなく、しんと静まりかえった店の中。
だがその厨房には、午前中から何名かの学園生徒が集まって賑やかに調理の支度を始めていた。
「店長さん、今日はよろしくお願いします」
犬の足柄模様のエプロンを身につけ、既に気合い充分の犬乃 さんぽ(
ja1272)がペコリと頭を下げる。
「いやこちらこそ。本日はモニターのご協力感謝します。皆さんもぜひ楽しんでいってくださいね」
「陽だまり」店長もにこやかに挨拶した。
白沢 舞桜(
ja0254)が招待客として指名したのは湊ヒカリ(jz0099)。彼自身「陽だまり」のバイト店員なのだが、少し驚かせたいこともあるので今日は夕方のディナータイムまで来店を待ってもらっている。
「ヒカリさん、VD当日は色々と忙しいだろうから、VD気分を味わえるチャンスはここしかないよね」
むろん当日もチョコレートは贈るつもりだが。
「バレンタインデーですか、楽しみですね♪ 盛り上がっている雰囲気が好きですね、特にあげる人もいないんですけど」
則兼 莉子(
ja7433)は苦笑した。
「でも参加することに意義がある♪」
というわけで、本日の彼女の目的はバレンタインデーに備えてチョコレートを作る練習。
たとえ(今の所)本命はいなくとも、VD当日は義理チョコ・友チョコなどかなりの需要があることに変わりない。
実は彼女の好物はエスニック料理であり、どちらかといえばチョコは苦手なのだが、ここで練習しておくのも良い機会だろう。
氷雨 静(
ja4221)と龍仙 樹(
jb0212)は恋人同士の参加である。
(いつもの御礼に静さんにプレゼントを‥‥)
(樹様に美味しいお料理を召し上がって頂けたら幸せです)
お互いちょっと照れくさそうに目配せし合いがらも、エプロンを身につけ身支度を調えた。
●あなたのためにチョコレート料理☆
舞桜がこの日のために作ろうと決めたのはザッハトルテ。チョコレートケーキの一種で、オーストリアの代表的なお菓子でもある。
既に寮の自室で何度か試作も済ませていた。
「練習で上手くいっても、ここで失敗したら目も当てられないもんね」
気合いをいれて、いよいよ「本番」に挑む。
手際よく材料を混ぜ合わせて型に流し、オーブンで焼いて2枚にスライス、切り口と上面側面にアプリコットジャムを塗る。
続いてチョコ糖衣を作ってザッハ生地に流しかけ、表面を整えて後は固まるのを待つだけ。
砂糖を加えず生クリームを泡立て、これは食べる時に添える。
「うん、我ながらなかなかの出来映え‥‥ヒカリさん、喜んでくれるといいな」
莉子が選んだメニューはスイーツではなく、チョコレートを使った牛すね肉の煮込みだった。
「美味しくなるといいなあ」
そう呟きながら、牛すね肉やニンジン、タマネギ、芽キャベツなど材料を準備する。
ネットで調べたレシピに従い、オリーブオイルで焼いた牛すね肉を赤ワインやハーブと一緒に鍋に入れて1時間ほどグツグツ煮込む。
その間、予め下拵えした野菜は別に小鍋にいれてこちらも煮込む。
牛すね肉を煮ている途中でデミグラスソースとチョコレートを加えるのだが、これが料理にコクを出すかくし味となるのだ。
煮込んだ肉を皿に盛り、生クリームをかけ、野菜を添えれば出来上がり。
「さて、後はお客様に食べて頂くだけ‥‥パーティーも成功するといいですね♪」
静のメニューはチョコレートフォンデュ。溶かしたチョコレートソースに様々な具をつけて食べる、いわばチーズフォンデュのチョコ版である。
刻んだチョコと生クリームをボウルに入れ、焦がさないよう慎重に湯煎で溶かす。 香り付けにちょっとブランデーを加え。
チョコがほどよく溶けたら、フォンデュ鍋にセット。
「料理自体は簡単なので、具の盛りつけにこだわりたいですね」 苺、バナナ、キウイ、オレンジ等のフルーツ、マシュマロ、ビスケットなどを別皿に美しく盛り付けていく。「さて‥‥喜んで頂けるでしょうか」
その隣では、樹がチョコレートケーキ作りに精を出していた。
以前に依頼でケーキ作りの手伝いをした経験があり、それを活かしてのセレクトだ。
ココアスポンジをベースにした小さめのホールケーキを焼き上げ、冷めたところにチョコクリームを塗る。
仕上げには細かく砕いたナッツを振りかけ、その上からさらにシュガーパウダーをかけてデコレーション。
「これで‥‥完成ですね」
依頼での経験が功を奏し、サイズは小さいがプロの料理人顔負けの出来映えである。
●プレ・バレンタインの夕べ
午後5時。「本日休業」の札がかかった「陽だまり」の扉を開け、今夜の招待状を受け取った招待客がぼちぼち店内に姿を見せ始めた。
「ご招待ありがと♪」
最初にやってきたのはさんぽが招待した百瀬 鈴(
ja0579)。現在は本土の施設で暮らす夜見路沙恵も一緒だ。
その後の健康診断によりアウル能力者の適性が判明した沙恵であるが、本人が撃退士になるか否かを未だ決めかねているため、今日はゲストとして日帰りで久遠ヶ原を訪れている。
「こ、こんばんは‥‥」
続いておずおずとヒカリが現れる。バイトの時は遅番でも「おはようございまーす!」と元気よく入ってくるのだが、今夜は客としての立場で来店とあり、勝手が違うせいか却って緊張しているらしい。
ゲストが揃ったところで、店内ではいよいよディナーパーティーが始まった。
店内の照明は全体的に薄暗く落とされているが、今夜の出席者のため用意されたリザーブ席周辺は暖色系のスポットライトで柔らかく照らされ、さらに卓上に灯されたキャンドルが一層ムードを高めている。
スピーカーから流れるのは静かなクラッシック音楽。
「鈴先輩、夜見路ちゃん、いらっしゃい」
礼儀正しく頭を下げるさんぽは店から借りた男物のウェイター服をビシっと決め、小脇に銀のトレーを抱えている。
「あ、今日は男の子なんだー」
これがいつものセーラー服だと何だか告白みたいな形になってしまうから――とのさんぽの配慮だが、鈴はなぜか安心と残念が半々のような、やや複雑な表情で後輩を見やった。
「鈴先輩、いつもありがとうだよ」
2人をリザーブ席まで案内したあと、さんぽはいったん厨房へ下がり、ニンジャの閃きと感謝の気持ちを込めて作ったチョコ料理フルコースを運び始めた。
1:チョコレートの冷製スープ
2:チョコババロアのビターチョコソースがけ
3:チョコフォンデュ
4:チョコレートケーキ
5:吃驚ニンジャチョコパフェ(忍の文字に、苦無や手裏剣型のチョコが刺さってるジャンボパフェ)
6:ホットチョコレート
‥‥とまさにチョコ三昧である。
配膳を終えたあとは、さんぽ本人もディナーをとるため席についた。
にこっと笑い、
「さぁ、召し上がれ」
「ってお品書き多っ! ま、さんぽちゃんが作ったものなら全部入っちゃうよ!」
(明日さんぽちゃんにチョコ贈るつもりだけど、あれ、これ彼の方が凄い? うーん、気持ちがこもってれば大丈夫だよね!)
鈴は隣席の沙恵に振り向き、
「今日は楽しもう♪」
「は、はい‥‥」
沙恵の将来や身の安全を考えれば、久遠ヶ原に来て撃退士となるのが望ましい選択だろう。だがそれは、双子の妹であるシュトラッサー・ヒルコ(jz0124)と明確な敵対関係になることを意味する。
おそらく本人も悩んでいるに違いない。
だがさんぽ達は沙恵の気持ちを慮り、あえてその話題には触れず明るく振る舞った。
最近の学園内の出来事、あるいは大々的に行われた修学旅行の話など。
「ところで夜見路ちゃん、VDは誰かにチョコあげたりするの?」
「‥‥え?」
さんぽに尋ねられた沙恵は思わず赤面、
「ク、クラスメイトに義理チョコや友チョコくらいなら‥‥で、でも本命は、まだ‥‥」
そこで思い出したように、
「あの、これ‥‥お店で買ったので申し訳ないんですが‥‥よかったら」
可愛らしくラッピングされた小さなチョコの包みを、さんぽと鈴に手渡した。
一度店外に出た樹は、改めて「招待客」として店の扉をくぐった。
店内では持参のヴィクトリアンメイド服に着替えた静がちょこんと膝を曲げ、メイドらしくお出迎え。
「いらっしゃいませ樹様」
「よろしくお願いしますね、静さん」
こちらもキチンと三つ揃いのスーツに身を包んだ樹が一礼する。
「こちらの席でございます」
樹の荷物を受け取った静は、そのまま2人のリザーブ席へ案内した。
「ありがとうございます‥‥」
やや緊張気味に頭を下げる樹。
荷物は店長に預かってもらい、静は厨房からチョコソースの入ったフォンデュ鍋、具材を盛りつけした大皿、食器などを運びテーブルの上に並べた。
「これは‥‥素晴らしい料理ですね」
「本日のディナーはチョコレートフォンデュでございます。そちらのものをチョコレートに絡めてお召し上がり下さいませ」
一呼吸おいて、
「紅茶は何をお持ち致しましょうか?」
「では、ダージリンのセカンドフラッシュでお願いします」
紅茶も運ばれたところで、いよいよディナーの始まり。
「では早速‥‥」
鍋を支えるスタンドにセットされたキャンドルに火を点ける、樹はフォークに刺した苺に温かいチョコレートソースを絡め、口に運ぶ。
「お味はいかがですか?」
「うん、味も素晴らしい‥‥さすが静さんですね」
その言葉を聞いて、静は安堵の微笑みを浮かべた。
「本日は私も失礼させて頂きますね」
店のメイドから学園生徒の静へと戻り、恋人の向かいに座る。
「とっても美味しいですよ‥‥凄く、美味しいです」
「そういって頂けると嬉しいです」
静はフォークにキウイの一片を刺すと樹の方へ差し出した。
「あーん‥‥」
パクリと食べた樹が照れくさそうに笑う。
「是非静さんもどうぞ」
今度は樹がフォークに刺したマシュマロにたっぷりチョコを絡め、差し出してくる。
一瞬ためらった静だが、チョコが顔に付かないよう気をつけながらそっと身を乗り出した。
向かい合った樹の顔が、そのままキスできるかと思うほど目の前に近づき、彼女の鼓動はにわかに高まった。
「うん‥‥まぁまぁの出来でございましょうか‥‥」
「ひと足早いバレンタインですけど‥‥こうして静さんの手料理が食べられるなんて、夢のようですよ」
「ほ、本番はもっと腕によりをかけますから」
「それは楽しみですねえ」
その後は学園内や互いが参加した依頼などについて会話しながら、2人はチョコフォンデュを食べ終えた。
「本日はご満足頂けましたか?」
「大変満足しました‥‥いつも有難うございます」
口についたチョコをナプキンで拭いながら、樹は礼を述べた。
「‥‥静さん、ちょっと待っていて貰っていいですか?」
「はい」
席を立った樹は店の奥に姿を消すと、間もなく執事服に着替えて厨房へと向かった。
チョコレートのホールケーキを切り分けて皿に盛り付け、物腰まで本格的な執事の体で静の待つテーブルへと運ぶ。
「‥‥お待たせしました、静お嬢様‥‥」
真面目な口調ながら、ちょっと悪戯っぽい表情でケーキの皿を置いた。
「当店のシェフお勧めの特製チョコレートケーキです」
今度は静から先にナイフで切ったケーキの一片をフォークで口に運ぶ。
「‥‥甘い‥‥美味しいです、とても」
「ふふ。どんなに甘いチョコレートも、静さんの笑顔には敵いませんよ」
「‥‥!」
滑ったか? と思い一瞬焦る樹だが、耳まで赤くなった静がうっすら嬉し涙まで浮かべていることに気付き――別の意味で、やっぱり焦るのだった。
自分の席に近づいたヒカリは驚いた。
「お待たせしました」
そこには「陽だまり」店員の制服を着た舞桜が立ち、彼を出迎えたからだ。
「えへへ‥‥一度着てみたかったんだ」
ペロっと舌を出して笑い、厨房から手作りのザッハトルテを運ぶと、舞桜はヒカリと同じテーブルに着いた。
「わあ美味しい! 白沢さんてお菓子作りも上手なんだ」
トルテを一口食べたヒカリが感嘆の声を上げる。
「VD当日は大変そうだね」
「うん。今回のイベントも、もう予約で満員御礼だって」
「今度のオフにでも春物見に行く?」
「ほんと? 助かるなあ、まだボク1人じゃ服選びも迷っちゃうし」
そんな風に、いつも通り友人同士の会話を楽しんでいたが。
ふいにヒカリがそわそわと舞桜から目を逸らし、やがて意を決して再び彼女に向き直った。
「あのさ‥‥去年の夏、『好き』っていってくれたよね?」
「うん」
「何ていったらいいのかな‥‥ボクの中には『男としてのボク』と『女の子のボク』が居て‥‥『女の子のボク』にとって白沢さんは大切な親友。これは変わらないと思う。でも『男としてのボク』は、君のこと、もっと大切な‥‥こ、こ、こい――」
そこまでいいかけヒカリはカッと赤面した。
何か言いたいのに言葉が出ない――そんなもどかしさに耐えかねた様に、突然少年はボロボロ大粒の涙をこぼし始めた。
「落ち着いて、ヒカリさん‥‥何かドリンクでも頼む?」
ヒカリの肩に手をかけ落ち着かせようと声をかける舞桜だが、内心では彼女の胸もドキドキと早鐘を打っていた。
「わぁ、たくさんあって、華やかですね♪」
有名童話の主人公、アリスの衣装に身を包んだ莉子は出席者たちのテーブルに並ぶ様々なチョコ料理を見て回りながら楽しんでいた。
(一度こういう格好をしてみたかったんですよねえ)
その一方で、自らが作った牛すね肉のチョコレート煮込みを各テーブルにお裾分けして回る。他の参加者のメニューが殆どスイーツ系だったこともあり、彼女の肉料理はアクセントとして大いに喜ばれた。
残った分は店長に振る舞う。
「美味しいですねえ」
カウンター席の端でチョコ煮込みを食べながら、店長がにこにこ笑った。
「則兼さんの手作りチョコを贈ってもらえる彼氏が羨ましいですよ」
「え? 私なんか‥‥まだ本命贈る相手もいませんし」
「いえいえ、すぐに見つかりますよ。あなたの様な方なら」
(そうかなあ?)
莉子はカウンターから改めて店内を見渡した。
自分の明日のことはまだ分からない。
だけど今は、こうして仲良く食事する学園の仲間達を見守るのが楽しかった。
(みんな、何時までも仲良くしていて下さいね)
そう思いつつ微笑む莉子であった。
●エピローグ
食事会は無事終わり、静は独り寮の自室へと帰ってきた。
化粧を落とすためドレッサーに座る。
鏡に映るのはもう1人の自分。
冷静で、無口で、人間嫌いの――そのくせ寂しがり屋で、心の何処かで人の温もりを求めている本当の「静」。
今宵、恋人の前で見せた表情はどちらのものであったのか?
「‥‥こんな日がずっと続けばいいのに‥‥ずっと‥‥」
鏡の中の己と見つめ合いながら、静はそう呟かずにいられなかった。
<了>