「ん−、見たところ異状はないようですねぇ」
望遠カメラのフレームに映るA村の遠景を眺めつつ、三善 千種(
jb0872)は小首を傾げた。
見るからに寂れた、小さな漁村である。
とはいえ一つの村がまるごと連絡を絶ったとなれば、遅かれ早かれ騒ぎになっていただろうが。
「原因は考えるまでもなく天魔ね」
自身をもって言い切るのは月丘 結希(
jb1914)。
久遠ヶ原学園に調査を依頼した県警も、おそらくそうアタリをつけているのだろう。
「問題はどんだけ強いかってトコかしら、手に負えない相手ならとっとと逃げるべきかしら?」
「しかしこの静けさは却って気になる。ディアボロやサーバントに襲われたのならそれらしい痕跡が残っておかしくないはずだが」
鬼無里 鴉鳥(
ja7179)が村を見つめて呟いた。
冬の潮風が頬に冷たい。
「普通に考えればサーバントの仕業でしょうけど‥‥決めつけるのも早計ですね」
と、水葉さくら(
ja9860)。
四国といえば、九州ほどではないが天使勢力の強い土地。そのため天魔事件といえばサーバントなど天界がらみのものが多かった――今までは。
ここ最近になって、急に冥魔がらみの依頼が増えた様な気がする。
偶然の一致か、それとも何らかの関連性があるのかは定かでない。
「面倒なことにならなきゃいいが、どうなるかねェ」
火之煌 御津羽(
ja9999)は油断なく周囲に視線を走らせた。
今のところ敵らしい気配はない。
持参のメモ帳を開くと周辺の簡易地図や現在の状況などを素早く書き取る。
一方、
「はぁ‥‥何で人間からの調査依頼なんて引き受けたんだろ、私‥‥」
今回が初の依頼となるErie Schwagerin(
ja9642)(エリー シュヴェーゲリン)はつまらなそうにぼやいた。
その特異な生い立ちから、彼女の心は同族の人間よりむしろ悪魔に寄せられている。
「まぁいいわ‥‥、早く終わらせて帰りましょう」
「初依頼に同行、か‥‥光栄、だな」
そんなエリーを見守りながら、友人のアスハ・ロットハール(
ja8432)が苦笑する。
写真撮影や周囲の索敵などは一通り済んだ。
これ以上調査するためには、もっと村まで近づき、可能なら村内に入る必要があるだろう。
「これより状況を開始する、とねえ?」
ちょっと軍隊口調をまね、ノリノリの鷺谷 明(
ja0776)が仲間達に声をかける。
それを切っ掛けに一行は荷物をまとめ、村への移動を開始した。
明がスマホの地図データを確認したところ、陸側から村へ入るにはただ1本の道路を通り、防砂林を抜けていくルートしかない。
撃退士達は各自デジカメやフィルム式カメラで周囲を撮影しつつ、林の中を歩いて行く。
阻霊符は所持しているが、アスハの提案により、村への到着まではあえて発動しない方針だ。
「‥‥迂闊にコチラの存在を教えるのも、な」
もし村にディアボロ・サーバント以上の「敵」が存在しているなら、阻霊符使用により撃退士の接近を察知される恐れがある。
多少の危険は伴うが、少しでも生の情報を得るための選択だった。
道中、林の中に人影はなかった。
「紙の地図より、スマートフォンの方が個人的には使いやすいのよね」
結希もまたスマホ画面で地図データと現在地を照合。
手書きのメモでマッピングを続ける御津羽とは対照的である。
ブゥーンンン‥‥
何処からか聞こえる甲高い羽音。
「‥‥蠅?」
アスハが警戒する様に魔具を召喚。
「気は抜けないわねぇ」
時折立ち止まり、周囲を見回すエリーの視線の先で、チラっと何か黒い影が動いた。
平坦な道路の上で「それ」は沈みこむ様にすぐ姿を消してしまった。
「――!」
アスハが一瞬だけ阻霊符を発動すると、地面から弾け飛ぶ様に異形の影が出現した。
マグロの体から人間の手足が生えたような「半魚人」。その数3体。
あまり知性を感じさせない大目玉がギョロリと撃退士達を睨むや、地上を泳ぐかの様に素早く接近してくる。
撃退士側も臨戦態勢に入った。
「えと‥‥サーバントではなく、ディアボロのよう‥‥ですね」
冥魔認識で怪物の所属を判別しながら、さくらは天翔弓にアウルの矢をつがえた。
「早速の手荒な歓迎ですか? とっとと片付けたいところですねぇ」
自ら迎え撃つべく走り出た千種が炸裂符を投げつける。
「肉弾戦は嫌いなのよぉ、暑苦しいし」
エリーは「影の書」を封印する鎖を解き、影から生み出された槍を放った。
マグロ型ディアボロめがけアウルの矢や影の槍が殺到し、符が爆発する。
一瞬たじろぐ半魚人達だが、上体を屈めるや、その大口から勢いよく水鉄砲を発射した。
明がかざしたリブラシールドに槍の如く水が突き刺さる。
すかさず明は疾風でダメージ回復。
「水には火でお返ししよう」
火遁・火蛇の生み出した炎が宙を走りディアボロを包んだ。
やがて敵との距離が詰まると、近接武器を装備した者達も交え乱戦が始まった。
左右の林から、敵の増援が新たに3体出現する。
「斬天刃奥義が一――刹那」
水鉄砲をかいくぐって半魚人の懐に飛び込んだ鴉鳥の手に蛍丸が出現、ヌメヌメした外皮に神速の斬撃を叩き込む。
敵の体当たりをかわしざま、御津羽がカウンターでフランベルジェの大剣を振り下ろし、豪快に切り裂く。
半魚人の攻撃で手傷を負った結希は呪を放った。
「陰陽は表裏一体、事象を反転させればこんな事もできるのよッ!」
サーバントの1体に陰陽五行を示す五芒星が投影されたと見るや、敵から吸収した生命がたちまち彼女の傷を癒やしていく。
専ら後方からの魔法攻撃に徹していたエリーが水鉄砲を食らった。
「やってくれるじゃない‥‥」
怒りで目が据わる。
「ほぉら、串刺しよぉ〜」
薄紫色のエナジーアローが立て続けに半魚人を貫いていく。
紅い髪を風に流し、妖しく敵を死の淵に誘う。その姿はまさに魔女の様。
全身に穿たれた穴から血を流しながらも突進してくるディアボロに対し、アスハは悪意穿槍を発動。眼前に形成した魔方陣を貫く様に衝き出した槍状のアウルで敵の攻撃を受け止める。
さらに一歩踏み出し、
「‥‥貫け、バンカー!」
アウルの槍が螺旋状に変形、、魔方陣を通過した幻槍の刺突が半魚人に致命傷を与えた。
ブゥーンンン‥‥
聞き覚えのある羽音が上空から迫ってくる。
上空から舞い降りてきたのは、近在の住民が目撃したという大バエ4体だ。
地上数メートルまで接近したとき、霧状に吐き出された茶色い液体が撃退士達に降り注いだ。
液体を浴びた魔具や魔装に錆のような腐食が広がっていく。
さくらが天翔弓を空に向け、矢を放つ。
「――散れよ。鬱陶しい虫螻が」
鴉鳥は路面を蹴って高々飛び上がった。
斬天刃奥義が一、「虚空刃」。
蛍丸の刀身が漆黒に染まるほど濃密なアウルが収束した瞬間、大きく振り下ろす。
漆黒の閃光が砲撃のごとく撃ちはなたれ、飛行ディアボロの胴を切り裂いた。
「目立てない依頼はつまらないですねぇ、とっとと落ちるといいですよ☆」
千種の投げた炸裂符が上空で爆発し、大バエをぐらつかせる。
地上の半魚人が全滅すると、大バエの群れは高度を上げて村の方角へ飛び去った。
戦闘終了後、撃退士達は負傷への応急手当を施し、また地上に倒れたディアボロの死骸を写真に収めた。
村がディアボロ群に襲われたことはもはや明白だ。
大バエの腐食液を浴びた装備品の腐食は止まらず、従ってグズグズしている時間はない。
一行は調査を切り上げ、その足で村へと向かった。
村に入ると、数少ない商店はシャッターを上げたまま。またその他の民家も殆どは雨戸を開け放していた。
一見、何事もないかのように平穏なたたずまい。
ただし村内には生きている人間の気配もない。
撃退士達は4名が往来に立って周囲を警戒、後の4人が目を付けた家屋の内部に入って調査を開始した。
「鍵はかかってないのね‥‥つまり逃げる暇もなくみんなやられた?」
結希は思案を巡らせた。
犯人が天魔ということは分かった。問題は村人の抵抗の有無だ。
抵抗跡があるようなら襲撃者は「物理的」な介入を行ったのだろう。だが何ら抵抗した跡もなければ、「精神的」な介入、あるいは有無を言わさぬ程の強力な存在を想定しなければならない。
「隠密裏に多数の人間を無力化する手段、か」
明もその点を気にしていた。
魔法か、何らかの特殊攻撃か。
「手っ取り早いのは敵さんに聞いてみること‥‥まあ素直に教えてくれるかは分からないけど」
内心では悪魔、もしくはヴァニタス級の敵との遭遇を期待していたりする。
アスハは民家に踏み込み、血痕や争った痕跡がないか、冷蔵庫に張られた食料の賞味期限、カレンダーへの書き込みなどをチェックした。
争った痕跡はなし。またカレンダーなどを見る限り、1週間ほど前までは住民達もごく普通に生活していたようだ。
「ゲートを開くでもなし、村一つを無人に、か‥‥解せん、な」
もう一つの疑問はそこだ。
通常、悪魔や天使が人間の村や町を一気に制圧するつもりなら、ゲートを開くのが定石である。
単純に占領するだけなら配下のディアボロやサーバントで事足りるが、人間の魂(天使の場合は感情)を一人ずつから抜き取る作業が必要となり、極めて効率が悪い。
2件目の民家で、初めて住民の「遺体」を発見した。
いや遺体と呼べるのだろうか?
「うわぁ‥‥」
千種は思わず絶句する。
畳の上に数体分の白骨が無造作に積み上げられていた。
ヌメっと液体に濡れ、洗い晒した様な骨。
それは時間経過で白骨化したというよりも。
「強酸か何かで肉だけ溶かした? ‥‥あの大バエの仕業か?」
白骨に直接手を触れないよう注意しつつ、明が顔を近づける。
その時、表に待機している仲間達がざわめいた。
「お姉さんたち、何してんの? またケーサツの人?」
何時の間に現れたか。
くわえ煙草の若者が、訝しげにこちらをジロジロ見やっていた。
さくらは冥魔認識を使用したが、これといった反応はない。
だが油断は出来ない。ディアボロの襲撃で住民が全滅した「はず」のこの村内を平気でうろついている時点で怪しさ満点だ。
「俺たちは撃退士。久遠ヶ原学園から来た」
「あー、ゲキタイシね。はいはい」
御津羽の言葉に納得した様に頷くが。
「‥‥って、ええ!?」
若者の口から煙草が落ち、露骨なくらい動揺して後ずさった。
「あなたも‥‥人ではない、ですね。いえ、元は人、だったのでしょうか‥‥?」
さくらが問いかける。
カマをかけた、という意識はない。状況証拠から何となく尋ねてみただけだ。
「あ、いや、俺悪魔じゃねーから! ほんのパシリで。ヴァ、ヴァ‥‥」
「ヴァニタス?」
「そうそう、それ。アハハハ」
撃退士達は誰も笑わない。
全員が魔具を構え、若者を取り囲んだ。
「あの村人達‥‥貴様がやったのか?」
「俺じゃねーッ! やったのは姫サンだ!」
鴉鳥の詰問に、慌てて若者が答える。
「まぁまぁ、穏便にいこうぜ?」
とりあえず若者に戦意がないと見た御津羽がやや声を和らげる。
他の者はさりげなく若者を撮影したり、ボイスレコーダでその声を録音し始めた。
「別に俺は天魔なら見境なくって訳でもねェんだ‥‥ところで姫サンって誰だ?」
「‥‥」
若者は口をつぐみ、気まずそうに視線を逸らした。
「天使の勢力圏に、ヴェニタスが単独でいるとは思えませんので‥‥あなたを生み出した、悪魔が近くに‥‥一緒に、行動しているはず、ですね」
「姫サンは‥‥あ、悪魔だよ」
さくらの追求に観念したか。
「俺の、まぁご主人様って感じ?」
「ここにいるって事は何か目的もあるんだろ?」
「いや、それは‥‥」
その時、若者のポケットで着メロが響いた。
撃退士達から顔をそむけ、携帯に出る。
「――あ、ハイ。いま撃退士って連中が来てて‥‥え? ハイ、ハイ」
通話を切ったヴァニタスが、顔を上げた。
「姫サンがあんたらに会いたいそうだ。あの、俺難しいコト分かんねーし。話があるなら姫サンとしてくんない?」
若者に案内された先は村の中央付近。比較的大きな、おそらく集会場として使われていた建物だろう。
「言っとくけど、姫サン怒らせない方がいいぜ? 後の責任は持たねーからな」
すっかり及び腰のヴァニタスをエリー、千種、結希、鴉鳥が監視。後の者は集会場の玄関をくぐった。
『へぇ、アンタたちが撃退士? 初めて見るわぁ』
三和土を上がったすぐ先で締められた磨りガラスの引き戸。
僅かに開いた隙間から、まだあどけない少女の声が響いた。
「また、派手に立ち回ったもの、だな。ゲートも作らず非効率な手際‥‥目的は何だ?」
単刀直入にアスハが切り出す。
『ゲートねぇ‥‥もちろん開くわよ? ここじゃない、別の場所でね。この村にはアタシらの食事と、ディアボロたちへの餌やりに寄っただけ』
「目的は‥‥こっそり隠れて、天使の偵察、でしょうか‥‥?」
「こっそり」というさくらの言葉が癇に触ったか、声は黙り込んだ。
「えと‥‥私たちにも教えていただけると、うれしい‥‥です」
『知らないわよ』
にべもない返答。
「過疎地とはいえ、人知れずこの村を制圧した手口はお見事。やはり魔法か?」
目の前に本物の悪魔がいる興奮を抑えきれず、明が尋ねた。
『内緒。そっちで考えたらぁ?』
「俺らは調査を依頼されただけで斬った張ったという騒ぎはなるべく起こしたくねェ」
御津羽は思い切ってはったりをかましてみた。
「ただし俺らが帰ってこない、となれば間違いなくここに相応の撃退士もくるぜ」
ガラス戸の向こうでクスクス‥‥と含み笑い。
『来ればいーじゃない? もうこの村に用はないし』
突如、建物全体が揺れるほどの衝撃と爆音。
ガラス戸が砕け散って吹き飛んだ。
「!?」
撃退士達が集会場の奥へ踏み込むと――。
20畳くらいの広間狭しと横たわる村人達の遺体。
そして天井にぽっかり開いた大穴。
「ヴァニタスが逃げた!」
鴉鳥達の声に、全員踵を返して表へ飛び出す。
撃退士達は初めて「彼女」の姿を見た。
集会場の真上に黒い翼を広げて浮かんでいるのは、人間でいえばまだ12、3歳の少女。
素肌の上に昆虫を思わせる甲冑をまとい、その両手には自らの身長とほぼ同じ長さのアサルトライフルを携えている。
ほぼ同時に、複数の民家の屋根を突き破って大バエの群れが飛び出した。その背に跨がるのはあの半魚人ども。
その数、およそ30余り。
少女がニヤリと笑い、上空から威嚇射撃の弾幕を浴びせる。
だが一連射だけで銃火は途絶え、悪魔と配下のディアボロ群はそのまま東の方角へ飛び去っていった。