●堕ちた天使たち
シュトラッサー・中倉 洋介(jz0102)の襲撃から逃れた堕天使と護衛の撃退士達が山中でひと息ついた頃、とうに日は暮れて周囲は夜の帳に覆われていた。
「これで全員なのか?」
山道に集まった20名前後の堕天使達を見渡し、獅童 絃也 (
ja0694)はアルドラに尋ねた。
「分かりません‥‥ムリフェインと一緒に、かなりの人数があの廃墟に残ったはずですし‥‥」
アルドラの声は震えていた。
「それに、逃げた仲間たちもみんなが合流できたか‥‥道に迷った者もいるかも知れません」
「いきなりの襲撃だったからな。最初に何人いたかも分からねえ」
フラッシュライトの明かりで堕天使達を照らし、桐生 直哉(
ja3043)が憮然とした表情でぼやく。
「堕天使」といっても今この場にいるのはアルドラを除き、自らの正体を隠し人間社会に潜んでいた者達ばかりだ。そのため天使の特徴である白い翼は見えないよう収納され、服装も一般人の物を着用している。
また性別や外見年齢も様々。要するに、事情を知らなければ「一般人の男女」といわれても区別はつかないだろう。
ただし力は衰えているといえ本物の一般人に比べれば遙かに優れた身体能力を備え、天魔特有の透過能力や、短時間であれば飛行も可能だ。
(それを思えば‥‥一般人の団体さんを連れての避難より少しはマシか? いや待て、そうとも限らないか)
遊佐 篤(
ja0628)は思案する。何しろこれだけ大勢の堕天の護衛など、撃退士側にとっても殆ど前例のない依頼だ。これから先、何が起きるか想像もつかない。
「さてと、これからどうする?」
大炊御門 菫(
ja0436)が仲間の撃退士達、そしてアルドラに意見を求めた。
とるべき道は3つ。
このまま進んで友軍(先行偵察班)との合流を目指すか。ここで待機してムリフェイン達が追いつくのを待つか。あるいは道に迷ったと思しき他の堕天を捜索するか――。
実のところ、選択の余地などあり得ないことは菫も承知していた。
天界側は既に今夜の動きを察知している。動いたのは中倉1人ではあるまい。
いつ他の使徒やサーバントが襲ってくるやも知れず、そんな状況でこの場に留まるのは自殺行為だ。
だが何も言わず進んで行けば、堕天達に「逃げ遅れた仲間を見捨てて行くのか?」と誤解されかねない。そのため、事実上堕天グループのリーダー役であるアルドラの同意を得ておきたかった。
「‥‥あ‥‥」
アルドラが口ごもった。
彼女にも状況は分かっているのだろう。だが生来の優しさのため、ある意味で「仲間を切り捨てる」ともとれる非情な決断を下せないらしい。
(‥‥?)
時駆 白兎(
jb0657)はふと異様な気配を感じ取った。
アルドラを取り巻き、彼女をじっと見つめる堕天の男女。その視線はお世辞にも好意的とは言い難い。
「おい、どうなってんだよ?」
若い男の堕天が口を開いた。
「あの廃墟に集まれば久遠ヶ原学園に案内してくれる。そこではコソコソ隠れなくても安全に暮らせる‥‥確かそういう話だったよなぁ?」
それを皮切りに。
「話が違うじゃない! 何で使徒が襲ってくるのよ!?」
「これじゃわざわざ天界に首を差し出しに来たようなもんだ! こんなことなら今まで通り隠れてた方がマシだったぜ!」
口々に非難が始まった。
「ご‥‥」
わなわな震えながら、アルドラが両手で頭を抱え地面にうずくまる。
その瞳からとめどなく涙が溢れ出した。
「ごめんなさい、ごめんなさい‥‥私のせいで‥‥!」
みんなで平和に暮らしたい。人間世界に逃亡し、なおも天界からの追っ手に怯える仲間達を安住の地に導いてやりたい――そう願ったはずだった。
だが幾つかの歯車が狂った結果、無垢な理想と善意は惨たらしく踏みにじられ、自分達の呼びかけに応じてくれた同胞を命の危険に晒す事態を招いてしまった。
取り返しのつかぬ現実の重さに耐えかねた様に、堕天使の少女は肩を震わせ嗚咽する。
「ごめんで済むかよ!?」
「待って下さい。これはアルドラさんの責任じゃありません」
見かねた白兎が仲裁に入るも。
「うるせえ! 人間は黙ってろ!」
堕天の一人がいきり立って叫んだ言葉が、その場の空気を凍り付かせた。
(何様のつもりでしょうかね?)
その様子を冷ややかに見守りながら、クラウス・ノイマン(
jb1481)は思う。
(元怨敵たる天使、加えて力も有益な情報も持たず‥‥何の利も無いであろう存在。なぜこれを受容れ、命懸けで救おうとすらするのか)
クラウスには理解できない。だがこれも「仕事」と割り切って依頼に参加した。
彼個人の感情をいえば、堕天といえど天使は嫌いだ。
人間世界への侵略者という点では悪魔と何の変わりもない。
(私達の平穏を乱しておきながら自らは平穏を望むなど‥‥どの口が言えるのか)
むろんその感情を口には出さず、また撃退士としての任務に全力を尽くす程度の自制心は持ち合わせていたが。
「はぁ〜。全く情けないわね」
アルドラと他の堕天達の間に割って入る様に、フレイヤ(
ja0715)が進み出た。
「あんた達、随分と威勢がいいけど。何だかんだいって怖いんでしょ? 使徒やサーバントが」
図星をつかれたのか、声だかにアルドラを非難していた堕天達は黙り込んだ。
「で、その怖さを紛らわすためこの子に当たり散らしてる。何のこたーない、いじめられっ子が自分と同じ弱い友達に八つ当たりしてるようなもんじゃない?」
「‥‥」
「甘ったれるんじゃないわよ」
眼鏡の奥から、フレイヤの青い瞳が堕天達を睨んだ。
「戦うのが嫌だから天界から逃げてきた? でもね、逃げるだけじゃ欲しい物は手に入らない。どんなに嫌でも戦わなければダメよ。この世界はそういう風に出来てるんだから」
「戦えだと? 俺達に昔みたいな力は残ってない! 多分下っ端のサーバントにさえ敵わないだろう‥‥どうやって戦えっていうんだ?」
「だから今夜のところは私たちが守ってあげる。後のことは、学園に落ち着いてからゆっくり考えることね」
「本当に‥‥守ってくれるんだな?」
「任せなさい。助けてあげようじゃないの。私は優しい黄昏の魔女様だからね!」
「裏切り者だなんて、天界もつまんない事考えるね」
うずくまったままむせび泣くアルドラに、百瀬 鈴(
ja0579)が手を差し伸べた。
「色んな考え方があってもいいじゃない、ね? アルドラちゃん」
「‥‥百瀬さん?」
「ここを生き抜いて、これからもアルドラちゃん達の姿を見せ続けられれば、天界で同じ気持ちを抱いている天使を勇気づける事になる。きっと同じ夢を見ようっていう天使も増えるはずだよね」
今にも挫けそうなアルドラの心を支えるため、鈴はとびきりの笑顔で言葉を贈る。
確かに現実は甘くなかった。だがここで諦めたら、何も変えることなんかできない。
「殺して殺されてお互い傷ついて‥‥いつか絶対にこんなバカげた連鎖を止めよう。キミと会えてよかった、応援するよ♪」
「ありがとう‥‥ございます」
アルドラは涙を拭いて立ち上がると、気を取り直した様に撃退士達に告げた。
「このまま進みましょう。ムリフェインが後に続きます‥‥逃げ遅れた仲間は、きっと彼がまとめてくれるでしょう」
当初の動揺が収まった他の堕天達もその方針に同意。一行は再び移動を始めた。
目指すは友軍との合流地点である麓の街。
「さーて。人間喰わずに我慢してくれてた堕天使たちに、報いるとするか‥‥!」
篤は傍らにいる直哉に振り向き、
「頑張っていこうぜ!」
ポンと肩を叩いた。
「おう。先はまだ長いからな」
友の言葉に頷くと、直哉は持参のフラッシュライトやペンライトを堕天達に渡し、照明の確保を頼んだ。
「いざという時、俺たちは両手を空けておきたいんです」
「さっきは助かりました」
白兎がフレイヤに礼を述べる。
「何てことないわよ、あれくらい」
トワイライトで生み出した光球をとりあえずの照明代わりと堕天に渡しながら、すまし顔でフレイヤは答えた。
「でもいじめられっ子の心理に詳しいんですね。ひょっとして、フレイヤさんも?」
「違うわよ! 私の場合は単なるぼっちで‥‥って何でもないこっちのこと!」
頬を赤らめ、ぷいとそっぽを向くのだった。
●山中の逃避行
「さてっと‥‥この人数なら簡単じゃないのはわかってる、気を引き締めてかかろ」
ペンライトを腰にくくりつけると、鈴は改めて一行の隊列を確認した。
はぐれないように固まった堕天達の列を挟み、前に3人、後に5人の撃退士が付く。
前列、後列の撃退士達は共に扇形を形成、堕天使達の左右をも守る。
上から見れば<>の形となる。
夜の山中を移動しているうち、奇妙な現象が起きた。
堕天達がしきりと山道につまずいたり転んだりする。その度に隊列が止まり、時間をロスしてしまう。
「あの‥‥今、阻霊符を使われてますか?」
アルドラがおずおずと白兎に尋ねた。
「ええ。敵が透過能力で忍び寄ってきたら厄介ですからね」
「仲間から苦情が出ています。撃退士の皆さんが妙な術を使うから‥‥歩き辛いと」
(そうか。阻霊符は味方の透過能力も封じてしまうんだ)
白兎は気づいた。
人前では彼らも透過能力を隠しているはずだが、暗がりや夜道を歩く時などは普通に使っているのだろう。日頃使い慣れた能力を突然封じらたことに戸惑っている様子だ。
とはいえ、いつ敵襲を受けるか分からない状況で阻霊符の展開を止めるわけにもいかない。
「不自由でしょうけど、今は我慢してもらえますか? いざという時は切りますから」
「そうですね‥‥みんなに伝えておきます」
頭上は降るような星空。だが星の光を遮り、ギャアギャアとけたたましく鳴き交う影がある。
「鴉? こんな夜中にか」
上空を見上げ、篤は眉をひそめた。
「飛行サーバントかもしれないな」
アサルトライフルを構え、直哉が上空を警戒する。
「いやな感じね」
鴉型サーバントを好んで使役するとある使徒に、フレイヤは心当たりがあった。
「‥‥やっくんも来てそうよねぇ」
「やっくん」とはひょんな事からメアドを交換した仲でもある。
だからといって、手心を加えてくれるなどとは万に一つも期待してないが。
「喉がかわいたよう」
まだあどけない堕天の少女が半べそをかいて訴えた。
「あ、飲み物ならここにあるよ」
鈴が持参のスポーツドリンクを手渡そうとした時。
左右の茂みがガサガサ鳴り、何者かが近づく気配。
一つではない。同様の「気配」は左右だけでなく道の前後からも接近してくる。
透過能力による奇襲ができないため、数にものをいわせて全包囲から襲いかかるつもりだろう。
間もなく木々の間から、灰色の狼を思わせるサーバント多数が出現した。
「早速現れたか」
後方右端を守る絃也がアサルトライフルで弾幕を張る。
フレイヤが前方に向けてファイヤーブレイクを放った。
夜空に出現する大火球。炸裂する炎の散弾が数匹のグレイウルフを焼くが、同時に周囲の森に潜む数知れぬサーバントの姿を浮かび上がらせた。
「何という数でしょうか‥‥しかも完全に囲まれていますね」
クラウスがデュエルカードを投擲。プラスチック製のカードが手裏剣のごとく風を切り、突進してくる狼の出鼻を挫く。
堕天の間から悲鳴が上がった。
サーバントの襲撃に動揺し、この場から逃げだそうとした何名かが、落とし穴にはまったり地面すれすれに張られたワイヤーに足をとられて転倒している。
「トラップか? いけない」
白兎が急いで阻霊符の使用を止める。
その途端、四方八方から押し寄せてくるグレイウルフどもの姿が消えた。
透過能力で地面に潜ったかと思うや、潜水艦のごとく地中を移動、次々と堕天達に襲いかかったのだ。
「いやぁああ! 助けて! 助けて!」
全身を数匹のウルフに食いつかれた堕天の女性が苦痛と恐怖に泣き叫ぶ。
「落ち着いて、いま助けるよ!」
縮地で駆けつけた鈴の手からカーマインの鋼糸が伸び、彼女に食らいついたサーバントを絡め取って地面に引きずり下ろした。
堕天の中にはなけなしの攻撃魔法でサーバントに応戦する者もいたが、大半はすっかり動転して逃げ惑っている。
白兎が再び阻霊符を発動すると地中に潜んでいたウルフどもは弾かれる様に姿を現したが、堕天達はまたもやトラップにかかり、ますますパニック状態に陥っていった。
何名かの堕天は背中の白い翼を広げ、空へと逃亡を図る。
だが大樹の間に張り巡られたワイヤーに引っかかり、身動きがとれなくなったところへ急降下してきた闇鴉どもが群がり、全身を嘴に突かれてたちまち血だるまとなった。
撃退士達もサーバント迎撃中何度かトラップにかかったが、それ自体はダメージを与えるほどの威力はなく、冷静に対処すれば応戦しながら罠を外すこともそう難しくない。
「みんな落ち着け! この程度の罠なら堕天使の体が傷つくことはない!」
片足に食い込んだトラバサミを戦闘の切れ目に外しながら、菫が声を張り上げた。
「誰かがトラップにひっかかったら、周囲の奴でぶっ壊しておいてくれ。一緒にがんばろうな!」
篤も堕天に呼びかける。
その言葉にいくらか正気を取り戻した堕天達も、バラバラに逃げ惑うことを止め、数名が協力しあってトラップにはまった仲間を救出し、またサーバントの襲撃からケガ人を庇い始めた。
「サーバントは俺達に任せろ!」
篤はレガースの蹴りでウルフを蹴散らし、オートマチックの銃撃を鴉どもに浴びせる。
落とし穴に腰まではまり、這い上がろうともがく堕天の側に直哉が駆け寄った。
大地を跳躍して襲って来るウルフの攻撃を化剄で受け流し、これ以上寄せ付けないようアサルトライフルの銃撃を見舞う。
白兎はスレイプニルを召喚、進行方向に存在するトラップの捜索に当たらせた。
突然のことゆえ訓練された地雷探知犬の様にはいかないが、それでも召喚獣自らがトラップにかかればそれだけで位置は判明する。ワイヤーやトラバサミ程度ならそのまま壊してしまえばいい。
絃也は武器をアサルトライフルからフォトンクローに換装、堕天達の間近に迫る灰色狼めがけて鉄拳を叩き込んだ。
鈍い音を立てて狼の前肢が砕ける。
「一々とどめを刺す暇はない」
行動不能に追い込めばそれで充分、素早く目標を切り替えていく。
地面にうずくまって震える子供の堕天をとっさに庇い、クラウスはボーンボウの矢を立て続けに放った。
「天使は嫌いですが、女子供を襲う不粋な怪物はもっと嫌いです」
いつ終わるとも知れぬグレイウルフと闇鴉の襲撃。
だが突然、サーバントどもは潮が引く様に撤退を開始した。
「やけに諦めがいいな。‥‥指揮する者がいるのか?」
逃げる敵は深追いせず、だが警戒を解くこともなく直哉は周囲を見回す。
敵の思惑はどうあれ襲撃の途絶えた今が態勢を立て直すチャンスだ。
撃退士達はワイヤーで宙づりになったり落とし穴にはまった堕天を救出、再び一カ所に呼び集める。
負傷者が多数出たものの、幸い犠牲者はいなかった。
最初の通り堕天の前後を守る陣形を組み、先行させた白兎の召喚獣がトラップを排除するのを待つ間、ケガ人への応急手当を行う。
「大丈夫。俺達はそう簡単に倒れないから」
不安そうに身を寄せ合うアルドラ以下の堕天達を励まし、ケガ人に止血の包帯を巻いてやりながら、直哉はなおも周囲を警戒していた。
ナイトビジョンの視界に浮かび上がる夜の山中。
茂みの手前の空間を、ふと何かが通り過ぎた――ような気がした。
(気のせい‥‥か?)
包帯を巻く手を止め、念のためアサルトライフルを手許に引き寄せる。
その瞬間、すぐ傍らから音が聞こえた。
濡れた手拭いで勢いよく畳を叩くような、鈍く禍々しい‥‥音が。
●悪夢
直哉のすぐ近くにいた男の堕天。その肩口から胸にかけて赤い線が走ったと見るや、水風船が弾けるように血潮が吹き出した。
「え‥‥?」
当の堕天は痛みを感じる暇さえなかったのか、きょとんとした表情で自らの体から噴出する血を見つめている。
その首がグラリと前に倒れると、皮一枚を残し胸のあたりにぶら下がった。
「‥‥作法通りです」
どさっと地面に倒れた堕天の背後で声が響き、一見何もない空間からぬらりとフロックコートを羽織った男の姿が現れた。
その手に握られる仕込み杖の刃が、闇の中で鈍い光を放つ。
目深に被った中折れ帽の下で灰色の目を輝かせ、シュトラッサー・厄蔵(jz0139)はニタリと笑った。
再び使徒の姿が闇に溶け込む。
次の瞬間、応急手当を受けて休息していた女性の堕天が唐竹割りに斬られ、真っ二つに割れた体が左右に倒れた。
堕天達は2度目のパニックに陥った。
「落ち着いて! 俺たちから離れちゃ駄目だ!」
篤の叫びは彼らの耳に届かない。
その場から逃げだそうと駆け出した堕天を狙うかのように、引き返してきたサーバントの襲撃が再開された。
「呆れましたねぇ。天界への離反だけでも万死に値するというのに、学園に逃げ込んで天下太平で暮らそうだなんて図々しいにも程があります」
闇の中、どこからともなく厄蔵の声が聞こえる。
怒りも憎しみも感じさせない、まるで子供を諭すかのように淡々とした口調。
「ご自分達の立場を弁えて下さい。この世界に皆さんの安住の地なんてないんです。何処に行こうが単なるお荷物、虫ケラ同然の役立たず――いやさすがにこの言い方は失礼ですね。虫ケラに対して」
「怖いよぉー!!」
泣き叫びながら撃退士達の方へ走って来る堕天の少年。
だが銀色の光が一閃したかと見るや、腰の辺りで胴を切断され、泣き声を上げたまま上半身が前方に滑り落ちた。
片手片足を切り飛ばされ地面に転倒した別の堕天が、断末魔の悲鳴を上げてもがき苦しむ。
「実にいい手応えです。銃や魔法じゃこうはいきません」
「嫌なタイミングで来るなぁ」
厄蔵の声が聞こえた辺りを狙い、フレイヤが異界の呼び手を発動。
地面から伸びる無数の手から逃れるように、何者かの気配が跳躍した。
すかさず絃也が懐から取り出した小さな物体を投げつける。
姿なき使徒の刃が一閃、空中で物体を両断。
だが切られた容器から飛び散った朱色の墨汁が、闇の中に厄蔵の輪郭の一部を浮き上がらせた。
「おや」
マーキングされたことを悟ったか、厄蔵は光学迷彩を解いて姿を現した。
「こんな所で貴様と出会うか‥‥!」
「ん? 前も見た顔だな‥‥神に仕えし使徒様がまーだこんな下界にいるとはねぇ。はやく帰れよ。左遷されてんのかよ」
「これはどうも」
怒りに身を震わせる菫、篤の皮肉に対し、涼しい顔で軽く帽子を取って一礼。
「今宵はわざわざ私の仕事にご協力頂き、感謝申し上げます」
「感謝だと?」
「いえね、私だって堕天の透過能力は存じてます。普通ならあんなチャチな罠役に立ちません。ですが皆さんが阻霊符で封じて下さった。つまり私の罠と皆さんの阻霊符、この二つが揃って初めてトラップが成立したわけです」
「僕らの阻霊符を利用して‥‥」
白兎が絶句した。
もちろんいざとなれば撃退士側も阻霊符を切る。だが生まれて初めて味わうトラップの恐怖でパニックに陥った堕天達は算を乱して逃げ惑い、間合いに忍び寄る隙が生じる――それが厄蔵の狙いだったのだろう。
「そこから動くなっ! 影縛り!!」
篤が影縛を乗せた銃撃。素早くかわした厄蔵は、ついでとばかりに傷ついて地面に倒れていた堕天を真上から串刺しにした。
「あんたの思い通りになんて絶対にさせない!」
武器をシュガールにもちかえた鈴が、鬼神一閃を発動して猛然と切りかかる。
「おっと、こいつは剣呑」
怒りの炎を宿してカオスレートを変動させた斬撃を警戒したか、厄蔵はひょいと飛び退いた。
使徒の反撃を牽制すべく、直哉が援護の弾幕を張る。
「しっかり!」
その隙に、鈴は倒れた堕天の許に駆け寄った。
「ここはもう‥‥久遠ヶ原ですか‥‥?」
既に意識朦朧となった堕天の口から、弱々しい声がもれた。
「平和に‥‥暮らせるんですよね‥‥みんなで、一緒に」
声が途絶え、がくりと頭を垂れる。
「‥‥っ」
息絶えた堕天を固く抱きしめる。鈴の頬を涙が伝った。
●楽園を目指して
「奴は私達で押さえる! 他のみんなは堕天使達を!」
そう叫ぶと、菫は厄蔵に向かって駆け出した。
左右から絃也、篤も続く。
3人に使徒への対応を任せると、他の撃退士達は散り散りになった堕天達を呼び集めながら麓の方角へ急いだ。
白兎の召喚したティアマットがボルケーノを発動、前方に集まっていたサーバント群を一気に吹き飛ばす。
さらに地面を尻尾で叩き回り、仕掛けられたトラップを強引に破壊して啓いた血路を、撃退士と堕天が一丸となって駆け抜けていく。
「生きて戻れよ、篤‥‥!」
友の身を案じつつも、直哉は負傷した堕天に肩を貸し、群がるサーバントどもに銃撃を浴びせた。
下っ端とはいえ数の力で押し寄せる敵を相手にかなりの体力を消耗しているが。
「‥‥簡単に倒れないって言った本人が膝をつくわけにはいかないよな」
自分自身を奮い立たせ、ダメージの蓄積で悲鳴を上げる体にむち打ち、アウルを練り上げて走り続けた。
「白兎君は作戦の要。何としてでも守り抜くわよ!」
フレイヤは白兎が召喚獣の使役に専念できるよう、直援について周囲のサーバントをフェアリーテールで迎撃する。
「なによりショタ可愛いしね!」
一瞬前へつんのめりかける白兎だが、とりあえず何も聞かなかったことにして召喚獣をストレイシオンに切り替えた。
「もうこれ以上、誰も死なせない‥‥それが撃退士なんだから!」
傍らのアルドラがトラップにはまらないよう気遣いつつ、鈴は鋼糸から剣まで間合いに応じて武器を使い分けて戦い続ける。
「心底気は進みませんが‥‥これも仕事です」
クラウスはいつしか力の弱い女子供の堕天達を引率する形になり、時には身を盾にして彼女らの護衛に徹した。
逃げ遅れた堕天を狙い背後から斬りかかる厄蔵。
あわやという瞬間、菫のアウルが生み出した霞が狙われた堕天を覆い隠し、菫自身が身代わりとなって厄蔵の斬撃を受け止めた。
一撃で生命の半分が消し飛ぶ衝撃に、菫の目が眩む。
「あくまで邪魔するおつもりですか?」
呆れたように問いただす厄蔵だが、その間にも堕天達は間合いの外へ逃げ去っていく。
「‥‥結構。そういう事なら、私もひとつ奥義をもってお相手しましょう」
撃退士に向き直った厄蔵は不可解な動作を取った。
仕込み杖を両手で握り、刀の峰が背中につくかと思うほど大きく振りかぶる。
両足は開き気味に、しっかと地面を踏みしめた。
通常の剣術ではあり得ない異様な構え。
「試斬‥‥だと?」
その意味する処を悟った絃也が低い声で呟く。
「ご明察。まぁ本来はヴァニタス相手に使う技ですがね‥‥死人を斬るにも、相応の作法というものがあるのです」
その言葉が終わらぬうちに、厄蔵の姿がふっと霞んだ。
「――!」
絃也、篤、菫は反射的に身構えるも――。
間に合わなかった。
いったい何が起きたかさえ分からない。
3人の撃退士はほぼ同時に凄まじい斬撃に見舞われ、山道に倒れ込んでいた。
「斬魔滅冥流奥義‥‥七胴落とし」
再び姿を現した厄蔵が、仕込み杖を振って血を払う。
絃也と篤はよろめきつつも辛うじて立ち上がるが。
――菫は立てない。
ついさっき堕天の身代わりとなって受けた分と合わせ、戦闘不能ギリギリのダメージを負ってしまった。
「あ‥‥うぅ‥‥」
肩から臍にかけてざっくり切り裂かれた傷口から血を流し、仰向けに倒れたまま手足を痙攣させている。
絃也が大地を蹴った。
闘気解放。腕を鞭の様にしならせ、遠心力を乗せた劈掛拳が弧を描いて暴風のごとく使徒の胴を打つ。
厄蔵が顔をしかめた。
だが惜しいかな次の攻撃に繋げられず、居合い斬りの反撃を受けた絃也は血飛沫をまき散らして後方に弾け飛んだ。
ほぼ同時に回りこんだ篤がイズナ落としを仕掛け、横合いから抱え上げた厄蔵の体を頭から地面に叩きつける。
手応えはあった――はずだった。
「何っ!?」
腕の中で、フロックコートのみがクシャっと潰れている。
「空蝉は撃退士だけの術ではないのですよ?」
背中に激しい衝撃と痛みを覚え、篤は前のめりに倒れた。
「‥‥まだだ‥‥」
武術の応用たる呼吸法でアウルを活性化、短槍を支えに菫が立ち上がる。
自分はここまでなのか。
何の為に強くなったのか。
一瞬でも気を抜けば意識を失ってしまいそうな極限状態で、彼女は必死で自問自答した。
(誰かに任せるというのが悪いとは言わない。それでも‥‥それでも!)
「人間を舐めるな‥‥安住の地を求め、助けを求めた者達を‥‥私、いや私達撃退士は見捨てたりはしない!」
「往生際が悪いですな」
厄蔵がすっと腰を落とし。
ざしゅっ。
菫の腹を衝いた仕込み杖の先端が、彼女の胴を貫いて背中に抜けた。
「‥‥かかったな」
串刺しにされたまま、菫の片手が厄蔵の胸ぐらをつかんだ。
「むっ?」
もう片手に握られた短槍が月光の様な煌めきを放つ。
「平穏を求めた堕天使達の想いを‥‥貴様に笑わせはしない。貴様にそんな権利はない!」
槍の穂先から十文字の炎が伸び、至近距離から厄蔵の胸板に突き立てられる。
雷鳴のごとき轟音が夜の山中に木霊した。
「ぐうっ!?」
厄蔵が菫の体から仕込み杖を引き抜き、慌てて一歩後ずさる。
そこに再び絃也の拳撃。
「この一撃押し通す」
練り固めた気に乾坤一擲を乗せた沖捶!
差し違え覚悟の一撃が使徒の体を吹き飛ばすが、絃也もまた力尽きて動きを止めた。
厄蔵に立ち直る暇を与えず、篤が雄叫びを上げてタックル。
今度こそ使徒の体を捕らえると、受け身を取る余裕も与えずイズナ落としで地面に投げ落とした。
雷に打たれた様に厄蔵の体が硬直する。
「じゃあな、使徒サマ。全知全能なる神様に無能って伝えとけ!」
菫と絃也の体を両脇に抱え、篤は一目散に逃げ出した。
既に堕天使達は戦場を離れた。これ以上の戦闘は無意味だ。
「いやはや‥‥」
スタン状態の解けた厄蔵は、しばし撃退士達の逃げ去った方向を眺めていたが。
やがて地面に落ちた帽子を拾って被り直すと、内ポケットから取り出した携帯で誰かに電話した。
「‥‥あ、私です。こちらは全て予定通りに終わりました。‥‥ええ、『獲物』はそちらの方へ向かいましたので、後はよろしくお願いします」
あたかも外回りの営業マンのごとく挨拶して通話を切ると、何事もなかったかのように煙草をくわえ火を点けた。
撃退士と堕天達は最後のサーバントを振り切り、麓近くの山道でようやく一息ついた。
厄蔵の襲撃による犠牲者は5名。
生き残った者達も、多かれ少なかれサーバントの襲撃で負傷している。
決して少ない損害ではない。しかし本来なら全滅してもおかしくない状況下で、これだけの犠牲に留めたことは撃退士達の健闘の証といえるだろう。
重傷を負って意識不明の菫と絃也は、堕天達が提供してくれた衣服を利用した即席の担架に乗せられ運ばれている。
「お兄ちゃん、助けてくれてありがとう!」
「‥‥」
堕天の子供が照れくさそうに差し出したキャンディーを、クラウスは無言で受け取った。
「なあ‥‥久遠ヶ原に行ったら、俺も撃退士になれるのか?」
一人の堕天がフレイヤに問いかけた。
山中でアルドラに食ってかかり、彼女に一喝されたあの若者だ。
泥と血で汚れたその顔に涙が光っている。
「もう一度力を取り戻せるなら‥‥俺はあんた達と一緒に戦いたい。いや戦わせてくれ! でなきゃ‥‥死んだ仲間達が浮かばれねぇよ!」
その先は言葉にならず、若者は子供の様に泣きじゃくった。
「‥‥きっとなれるわよ、あんたなら」
頷くフレイヤの顔も、また泥だらけだ。
「本当にありがとうございました」
間もなく友軍との合流地点。別れの時間が近いことを知ってか、アルドラが鈴の手を握りしめた。
「犠牲者を出したことは、全て私の責任‥‥私の見通しが甘かったせいです。でも、私たちは諦めません。今度はもっと安全にみんなを学園に案内できるよう計画を見直して、何度でも呼びかけます。人間の世界に隠れ住む‥‥いえ天界にも大勢いるはずの、平和を求める同志達に届くように」
「分かってる。その時はあたしもまた協力するよ♪」
そう誓い合う二人の頭上で瞬く星。
それは古来、多くの船乗りや旅人を導いてきた北極星だった。
<了>