●アズミ製薬本社ビル〜1階フロア
地下1階の防災センターで「籠城」を続ける社長の阿住雄吾に対し、警察や撃退庁、また同社役員達は電話で必死の説得を行ったが、聞き入れられず一方的に切られてしまったという。
ラグナ・グラウシード(
ja3538)もまた戦闘を前に雄吾との面会を望んだが、面会どころかスマホからかけた電話にも全く反応はなかった。
やむなく1階フロアに立ち、大声で叫ぶ。
「阿住さん、聞こえてるか!?」
防災センターのシステムはまだ稼働しているところから見て、防犯カメラやマイクを通してこちらの状況は分かっているはずだ。
『‥‥君らの姿はよく見えている。声も聞き取れる』
フロアに設置されたスピーカから、男の声が流れた。
とりあえずコミュニケーションは取れると分かり、ラグナは雄吾への説得を始めた。
せめて、万一の時はそこから避難する約束を取り付けるために。
「娘の仇を取るのがあなたの意志だろう? 我々が敗退すればどうする? ‥‥仇もとれずに死ぬのが本望ではないだろう?」
『既に賽は振られたのだ。君らが敗れたとして、その時私が逃げようとしたところで奴が見逃してくれると思うかね?』
「私にも、生命にかえても殺したい仇がいる。だからこそ、そいつを殺すまでは絶対に死なない‥‥死ぬわけにはいかない」
おそらく今の雄吾に何を言っても無駄だろう。しかし彼が万が一の時に自分の言葉を思い起こしてくれることを願い、ラグナは真剣に言葉を続けた。
「だから、退くことを考えておくのもひとつの手であると思う」
『私が君らと同じ撃退士であれば。君らと同じ若さがあれば――あるいはそういう選択肢もあり得たろう。だが悲しいかなただの一般人、それにこの歳だ‥‥これしか手段がなかった』
「エルウィンはあなたの居場所を知っているのですか?」
御幸浜 霧(
ja0751)が尋ねた。
普段は車椅子に座り生活する彼女だが、間もなく始まるであろう戦闘に備え光纏し、今は他の撃退士達と同じく自らの足で立っている。
『知っている‥‥というか私が教えた。今夜零時ちょうど、この地下室で私の魂を奪うことを奴に願ったのだ』
エルウィンが透過能力で防災センターに侵入するには撃退士の阻霊符が障害となる。つまり「死神」が雄吾の魂を奪うためには、この場にいる撃退士全員を排除する必要があるのだ。
「さやか殿はご自分の意思で命を絶ったのでしょう? この依頼は社長の個人的な復讐戦ですね。何と仁義に悖ることを」
『‥‥』
雄吾が黙り込む。己の行為が同じ人類側からみても賞賛されるものでないことは、本人も承知しているのだろう。
「ともあれ、依頼を受けた以上はわたくし達も命をかけて雄吾殿の命を御守りします。わたくし達以外に呼んだ戦力を教えて頂けますか?」
『フリーの撃退士が12名。相当に腕の立つ連中だが‥‥如何せん、チームワークに欠ける一匹狼ばかりだ。勝てはせんだろうが、奴の力をある程度削ぐ役には立つだろう』
その言葉を証明するように、先程から銃声や攻撃魔法の爆発音が深夜のオフィス街に反響している。
エルウィンがこの近くに出現し、フリー撃退士達との戦闘が始まっているのだ。
『ちっ。もう3人目が倒されたか』
スピーカーの声に軽い舌打ちが混じる。
雄吾自身は、ビルの外壁に設置された防犯カメラから外部の状況をモニターしているようだ。
『まあ彼らのことは心配せんでもいい。私の方で救急車を手配しておこう』
「復讐‥‥ね」
仲間達と雄吾の会話を聞きながら、佐藤 七佳(
ja0030)は小声で呟いた。
愛娘をディアボロ化された社長が悪魔に「復讐」するという。
その手段は社会人として非常識きわまりないものだが、少なくとも「動機」に限っていえば、社長に共感する仲間も少なからずいるようだ。
学園生徒の中には天魔に肉親や親しい人々を奪われ、その復讐のため撃退士となった者も数多い。
しかし七佳自身はそこにある種の違和感を覚えていた。
(人間も家畜を食べ、皮を剥ぎ、害獣を殺し、犬猫を殺処分し、狩りや釣りに興じる。その事を気にも留めないのに、自分達が狩られる側に立った途端に相手を「悪」と呼び大事な者を殺されたという理由で「復讐」を唱える。自分達のしている事と天魔のしている事は同じなのに‥‥何故でしょうね?)
こういう事を疑問に思う自分は、ヒトとして何処か壊れているのだろうか? とも思う。
彼女自身が撃退士として戦う理由を問われれば、「今まで殺した、食べてきた相手の死を無意味にしない為」と答えるだろう。
だがそれさえも「自分の独善ではないのか?」という疑問はつきまとう。
おそらく今日明日に答えが出せるような問題でもないだろう。
(もちろん依頼として受けた以上は、全力で戦うけど‥‥)
やはり七佳は胸の奥にわだかまる違和感を消し去ることができなかった。
(僕らは復讐の道具、さしずめチェスの駒ってところか‥‥とんだゲームにつきあわされたものだね)
エリアス・K・フェンツル(
ja8792)は冷ややかに雄吾の声を聞き流していた。
自分達の命が軽視されているのはとうに読めている。
なればこそ一層冷淡に利用するつもりだ。
撃退士を手駒扱いする雄吾の行動に対して特に憤りもないが、命を捨ててまで守る義理もない。
今回の依頼は、エリアスにとって悪魔の実態を研究するまたとない好機。
報酬は勿論、依頼の成否や依頼主の命にすら関心はない。
(ただ自殺されるのは困るな‥‥悪魔が魂を収穫する現場なんて、そうそう拝めるものじゃないし)
雄吾が復讐者として命を賭けるというなら、自分は探求者として一部始終を観察するのみ。
メモ用紙や使い捨てカメラといった情報収集ツールをチェックしながら、エリアスは「死神」の到着を待ちわびた。
その間にも、フロアにいる撃退士達はエルウィン迎撃に備えた準備を着々と進めていた。
「‥‥そういえば、1億って私たちにも適用されるのかな?」
オフィスから運び出した椅子や机を正面玄関前に積み上げ即席のバリケードを築きながら、神喰 茜(
ja0200)はふと首を傾げた。
「残念ながらそれはないよ。僕らへの報酬は学園の規定に沿って支払われるはずだから」
同じくバリケード構築を手伝いながら、天羽 流司(
ja0366)が答える。
「な〜んだ」
「それに1億久遠はあくまで成功報酬だ。あの社長、表のフリー撃退士達にはあまり期待してないようだし‥‥最初から払うつもりなんかなかったんじゃないかな?」
いきなり「悪魔の首を獲れ」という無茶な依頼である。1億久遠という非常識な報酬でもなければ志願者が見つからなかったのだろう。現にアズミ製薬所属の企業撃退士さえ全員逃げ出してしまったのだから。
「死神」絡みの依頼にはこれまで何度か関わってきたが、今回ばかりは悪魔としては穏健派の(ように見える)エルウィンもただでは済まさないだろう。
(怒るなという方が無理な状況ではあるのは認めるけど。ただ、何としても止めるしかない)
今回は今までと違い、強力なディアボロではなく直接エルウィンと戦えるという若干有利な状況でもある。
「まあどっちでもいいか」
茜はふぅと息をつき、その名のごとく紅く長い髪をかき上げた。
「ただこれだけは言っておくよ‥‥彼は私が斬る」
戦闘の騒音が一段と近づいてきた。
激しい銃声や爆音に混じり、人間の悲鳴らしき声も聞こえてくる。
また1人、フリー撃退士が倒されたのだろう。
作業の手を休め、郷田 英雄(
ja0378)は戦場の方角を険しく睨んだ。
「総勢24名の撃退士が手前を倒す為に集まった。無粋と蔑まれようとも、依頼主の指示には従わせて貰うぞ、死神!」
依頼主の気持ちは良くわかるし、英雄自身もあの球場での借りを死神に返してやりたい。
ただし今夜は仲間達と共に受けた依頼ゆえ、球場の時の様に私的な「一騎打ち」というわけにもいかないが。
撃退士達は正面玄関の他、裏口や通用口、地下や上階フロアに通じる階段などもバリケードで塞ぎ、自分達が阻霊符を発動している限り、ディアボロや悪魔でも密かに侵入することは難しいだろう。
もっともビルの外壁は総ガラス張りなので、飛行能力を有する敵に突き破られたらそれまでだが、これは致し方ない。
さらにフロアの各所にも障害物を配置した。
「死神‥‥ね。格上ですが‥‥勝たせてもらいますよ、もう誰にも負けたくはないですから」
戸次 隆道(
ja0550)はフロアを見回し、そこに飾られた大きなガラスの彫像に目を付けた。
アサルトライフルAL54を一連射すると彫像は粉々に砕け、床一面に細かいガラスの破片が散乱した。
「どうしたんですか?」
森田良助(
ja9460)が驚いて尋ねる。
「ちょっとした保険ですよ。照明があるといえ、戦闘中に何が起こるか分かりませんからね」
床を踏みしめる隆道の靴の下で、ガラス片がザリザリ音を立てた。
「そうか。もし電源が落ちたらここは真っ暗闇になりますね‥‥」
良助自身はナイトビジョンを装備しているので夜間戦闘も可能だが、念には念を入れ、持参の布で片眼を覆った。
「覚悟を決めます。奴を退けるために!」
「以前の事を教訓に‥‥と行きたいところですが、どうも嫌な予感がしますね」
バリケードの構築も一段落し、後は「死神」の到着を待つばかりとなったフロアを見回し、姫寺 りおん(
jb1039)は眉をひそめた。
エルウィンが1人でのこのこやって来るとは思えない。
彼女も参加した球場での戦いの様に、少なくともあの黒猫の姿をとったヴァニタスは連れてくるだろう。
そしてエルウィンはもちろん、エドガーと呼ばれたヴァニタスに関しても、その真の実力はまだ未知のままである。
(分からないといえば‥‥)
りおんがもう一つ気になるのは、全ての発端である阿住沙也加の死の真相。
一応「不治の病が動機」ということになっているが、本当にそれだけだろうか?
あるいは父親の雄吾とエルウィンしか知らない「別の理由」があるのかもしれない。
(以前の行動を見て、思い当たる節はあるのですが‥‥)
いずれにせよ、目の前で悪魔に魂を奪われようとしている一般人を放っておくわけにはいかない。
『たったいま、最後の撃退士が倒された。間もなく奴がここへ来るぞ』
雄吾の声が警告を発した。
数秒後、ビル全体を揺るがすような轟音と共に、正面玄関を塞ぐバリケードがギシっと軋んだ。
(正面から‥‥!?)
フロアに待機した撃退士12名は、各々光纏、及び魔具・魔装を召喚し臨戦態勢を整える。
数回目の轟音が響き、バリケードを構成していた机や椅子がバラバラになって吹き飛ぶ。
玄関にぽっかり開いた穴の向こうから、二つの人影がフロアに踏み込んできた。
1人は細身の体にカジュアルなシャツとズボンをまとった少年。その片手には、自らの身長より刃渡りの長い大鎌が握られている。
もう1人は黒髪を長く伸ばし、長身に黒スーツをきっちり着こなした若い男。見かけは人間だが、その両手の甲から阿修羅の魔具を思わせる鋭い「爪」が左右に3本ずつ伸びていた。
「説明くらいはしてもらえるのかな?」
エルウィンが穏やかな笑みを湛えて問いかけた。
少年の姿をとった悪魔も、連れの若い男も全身が血にまみれている。
それが彼ら自身の血か、それともここにたどり着くまでに倒してきた撃退士達の返り血かは分からないが。
『ようこそエルウィン君。私は逃げも隠れもせんよ? 約束通り地下1階で待っている』
雄吾の声が響いた。
「この撃退士達は何かな、阿住さん?」
『ちょっとした座興だよ。死神を名乗る君なら、彼らを全滅させてここまで来ることなど造作もないだろう?』
「馬鹿馬鹿しい!」
黒服の男が憤然として叫んだ。
「帰りましょう、エルウィン様! こんな愚劣な男の魂、奪うにも値しません!」
「まあまあ。これはこれでなかなか面白いと思わないかい? 撃退士でもない人間が悪魔を罠にはめるだなんて傑作だよ」
エルウィンの視線がフロアにいる撃退士達に移った。
「おや? 知ってる顔もあるね。外で戦った連中は連携もバラバラで各個撃破させてもらったけど‥‥君たちが相手じゃ、少しばかり手こずりそうだ」
「今度会ったらどっかの喫茶店なんかでお茶会とかおもったんだけどねぇ。こんな所で会うなんて残念」
最初に声をかけたのは、過去の依頼でエルウィンと面識のあるインニェラ=F=エヌムクライル(
ja7000)。
「僕もできればそっちの方がよかったね」
「やぁ、初めまして。きみの噂は聞いてる、最期の願いを叶えるんだって? 悪魔にしちゃ奇特だね」
続いてエリアスが挨拶した。
戦闘が始まる前に、とりあえずカメラで「死神」と従者の姿を撮る。
「かもねえ。僕はコツコツ足で営業するタイプだけど、こういうのは今時の冥魔じゃ流行らないらしい」
「ま、僕はそういう変わった奴が好きでさ。ここだけの話、彼をどうするか期待してるんだ」
「まあそれは阿住さん次第だけど‥‥何はともあれ、その前に君たちにどいてもらわなくちゃね」
「アハハ、きみを追い返すなんてつまんない話だよ。今日は楽しくやろうね」
「あの、その前に‥‥」
りおんがおずおずと口を開いた。
「何だい?」
「沙也加さんがきみに魂を譲ったのは‥‥本当に病気だけが理由だったんですか? なぜ雄吾さんがここまできみへの復讐へこだわるのか、何か心当たりはありませんか?」
「うーん‥‥」
エルウィンは小首を傾げ、
「それは僕にも分からない。ただ彼女は『私の本心は家族への遺書に全て書いた』って言ってたから‥‥後で見せてもらったら? まあ阿住さんが生きてればの話だけど」
「やはり戦いは‥‥避けられませんか」
「そういうことになるね。まあ僕は阿住さんに会うだけさ」
撃退士達にとってそれは許されないことだ。ここでエルウィンを通せば、それは雄吾にとって確実な死を意味する。
「さて、それじゃ仕事しましょうか? 死神さん」
インニェラの言葉に頷くや、エルウィンの顔から笑みが消えた。
「僕は人間のことが決して嫌いじゃない。天使はどうか知らないけど、僕ら悪魔と人間は表裏一体の存在なんだ。僕らが手を下さずともこの世界は死で満ちあふれ、悪魔は人間の死を糧として生きていく。その振る舞いが君ら撃退士の利害に反するというなら――遅かれ早かれ、僕と君らはこうなる運命だったんだろうね」
1階天井付近の窓ガラスが音を立てて砕け散る。
コウモリ型のディアボロが10体、フロアに向けて急降下してきた。
天井付近に火球が膨れあがり、炎の雨がディアボロの群れを焼く。
流司が放ったファイヤーブレイク。
だがその表情は険しい。
予め範囲攻撃による迎撃を予想したのか、ディアボロ群は互いに距離を置き、撃退士達を包囲するように全方向から襲ってきたのだ。
「君たちの戦い方は勉強させてもらったよ。この前のチェスゲームでね」
エルウィンが大きく鎌を振り回すと、カマイタチのごとく凶暴な風の刃が撃退士たちに襲いかかった。
一撃で生命の半分近くを持って行かいれそうなダメージに、撃退士達は歯を食いしばって耐える。
悪魔への反撃、ディアボロの迎撃のため各々が体勢を立て直そうとした矢先、撃退士達の視界が突然の暗闇に覆われた。
(照明を壊されたのか?)
良助はナイトビジョンで周囲を確認するも、暗視装置は正常に作動しない。
ならばと片眼を覆っていた布を外す。予め暗闇に慣らしておいたのだ。
――効果はない。
これは単なる「暗闇」ではなく、魔法で生み出された霧かガスのような気体の仕業だと感づいた時、突然視界が戻った。
そしてその時には、至近距離に迫っていたディアボロ達が牙を剥いて撃退士達に襲いかかっていた。
エリアスは素早く柱の陰に身を隠し、微風の魔法書から刃をはらんだ風を放ちコウモリ型の使い魔どもを狙い撃ちする。
コウモリに噛まれた仲間の様子を見ると、どうやら敵は毒牙、しかも相当威力の高いものを備えているようだ。
毒の攻撃に効果のあるレジスト・ポイズンが使えるのは3回まで。
「これは使い処を選ばなきゃね‥‥」
同じく七佳はフェアリーテイル、良助はヒポグリフォK46の対空射撃で吸血コウモリの迎撃にあたった。
何体かのコウモリが力尽きて床に落ちる。だが生き残りのディアボロたちは撃退士達にしぶとくつきまとい、次々とその肌に毒牙を食い込ませていった。
「ふむ、あの黒服の男は挨拶が必要か‥‥まァ、いい」
英雄にとってスーツの男は初対面だが、その「声」には確かに覚えがある。
しかし今彼の眼中にあるのは次なる攻撃を放とうと大鎌を振りかざす「死神」の姿。
(あの力があれば俺は‥‥)
一瞬少年の姿をとった悪魔に見惚れる程だが、すぐ戦いに意識を戻し。
「はッ、猫風情が。主人の手を煩わす様な奴に、死神の従者は役者不足だ!」
「何っ」
「よしなよエドガー、彼は僕らを分断するつもりだ」
エルウィンの言葉を聞き、他の撃退士一同も理解した。
男はエドガー、球場には黒猫の姿で出現したエルウィンのヴァニタス。
変身能力を備えているらしい。もっとも猫と人間、どちらが本当の姿かは謎だが。
言葉の挑発に乗らないなら強引に引き離すまでと、鬼無里 鴉鳥(
ja7179)は大きく一歩踏み込んだ。
間合いを悟られないよう攻撃の直前に大太刀「蛍丸」を召喚、神速無音の抜刀術を以てエルウィンに斬りかかる。
「させるか!」
思った通り、エドガーが飛び出し主を庇った。
そこに英雄が悪態をつきながら大剣シュガールで切り込み、エドガーの鉤爪と切り結びながら徐々にエルウィンから引き離す。
主従の間に開いた隙間に滑り込むようにしてラグナが、そして茜がエルウィンの前に立ちはだかった。
「出会った時に言ったこと、覚えててくれてたかな?」
「もちろんさ。でも僕の首と体は相性がいいんでね。当分別れる予定はないよ」
死神の鎌が振り下ろされる。
立て続けの斬撃2連発。
一撃は肩に、もう一撃は脇腹に。
骨が砕け、内蔵が破られる激痛に茜が短く呻く。
だがその痛みを、どこか甘美なものとして彼女は受け入れた。
「あの社長の復讐なんかどうでもいい。私はこの日が来るのをずっと待ってたんだから」
唇から溢れる血を拭いもせず、少女は微笑を浮かべて蛍丸を構え直す。
「だから、今の私が君にどこまで届くのか‥‥確かめさせて」
茜の髪が金色に染まる。光纏よりも深く紅く。
数多の人や妖魔を斬殺した華修羅が彼女の体と心を借りて顕現する。
剣鬼変生――舞い散る血の花は虚空に影を残し。
茜と凄まじい斬り合いを始めたエルウィンに対し、ラグナも果敢に肉迫していった。
「挑発したのが依頼人の側とは言えど‥‥人間の魂を狩られるのを、黙って見ているわけにはいかないッ!」
横薙ぎに払われた死神の鎌は瞬間非モテダークサイド発動で受け止める。
カイトシールドを貫いた鎌の先が腕の骨にまで食い込んだ。
(‥‥くそおッ! それもこれも、リア充どもが悪いんだッ!)
流れる血涙、湧き上がる暗黒のオーラ。
今リア充どもへの怒り憎しみを力に変え、鬼神と化したラグナのツヴァイハンダーFEが死神へ容赦ない斬撃を浴びせていった。
「さあ、行きますよ」
茜、ラグナの後方に位置取ったりおんはストレイシオンを召喚。
エルウィンが鎌を振り上げたタイミングを狙い、相棒の召喚獣と己のアウル力を合わせハイブラストの雷撃を叩き込んだ。
一瞬たじろいだ悪魔の懐に茜が飛び込み、蛍丸の切っ先が「死神」の肌を切り裂く。
「‥‥」
エルウィンの視線がりおんに向けられる。
「――うっ!?」
少女は金縛りに遭ったように動きを止めた。
体から急速に力が抜けていく異様な感触。
悪魔の体に刻まれた裂傷がみるみる回復していく。
「死神と聞いたが‥‥それほどでも無さそうだな」
「何だとっ」
眉を逆立て襲いかかるエドガーの鉤爪が隆道の脇腹を裂いた。
(なるほど。噂通りの俊敏さですね)
闘神阿修羅を解放し全身を赤気で包んだ隆道はヴァニタスの動きを注視した。
そのスピードは撃退士の阿修羅を遙かに凌ぐ。
だがいかに早くとも、怒りはその行動パターンを単調にする。
さらにフロア各所の障害物が男の攻撃軌道を限定した。
球場での戦いとは勝手が違うことに、エドガーはまだ気づいていない。
インニェラは序盤からスキル使用を控え、後方から魔法書による攻撃を時折撃ち込んでいた。
「ふははっ、当たらんぞ!」
エドガーの嘲笑が響く。
当たらないのは承知の上。これは奴の動きを見切るまでの様子見と、油断を誘うためのジャブなのだから。
(しかし、あの死神さんの手下とは思えない単細胞‥‥まさか本当に猫?)
今それを詮索している余裕はないが。
内心、ここでエルウィンを殺してしまうのは惜しいと考えるインニェラだが、そのヴァニタスとなれば話は別だ。
ある程度エドガーの行動パターンが読めたところでセルフエンチャント発動、そして冥界の古き雷鳴を放った。
いきなり命中の上昇した魔法の雷を浴び、エドガーが一瞬固まる。
そこに良助がスターショットでカオスレートを上げた銃撃。
一瞬うろたえるエドガーだが、すぐニヤリと笑い。
周囲を再び暗黒が押し包んだ。
(これが彼の切り札ですか‥‥)
暗視装置もアウルの光さえ通用しない暗黒ガスの中、隆道はじっと精神を研ぎ澄ます。
たとえ視界を奪っても、隠しおおせないものがある。
――ザリッ。
フロアに撒いて置いたガラス片を踏みしめる足音。
「そこだっ!」
見当をつけた方向にシルバーレガースの蹴撃でカウンターを入れる。
たたらを踏んだところにタックルをかまし、足首を捻った。
男の短い悲鳴と床に倒れる音。
「甘ェ!」
英雄は暗黒の中で左眼開眼、闘気解放。
エドガーに身を起こす暇を与えず、大剣を構え一気に突入。
カウンターで繰り出された鉤爪が肩口に食い込むのに構わず、ヴァニタスに猛然と刺突をかけた。
「ぐっ!?」
「肉を切らせて、骨身断つ!」
再び視界が戻った時、そこに腹を押さえたまま信じがたいといった表情で立ちすくむエドガーの姿があった。
「馬鹿な‥‥俺のシュバルツバルトが、人間ごときにっ‥‥!」
「その奢りが貴様の命取りだ」
素早く間合いを詰めた鴉鳥が、再び抜く手も見せぬ斬天「刹那」の居合い斬りを叩き込む。
ちょうど吸血コウモリを始末し終えた七佳も戦闘に加わった。
「天魔を殺す事が正義とは思えないけれど‥‥あたしが戦うその理由を得る為に、今はッ!」
光翼起動により一気に距離を詰め、エドガーの胸板を狙いパイルバンカーの一撃。
黒服の男は声もなく倒れ――。
その姿がみるみるうちに1匹の黒猫に変わった。
「君らの力がこれ程のものとはね‥‥」
誰にいうともなく、エルウィンが呟いた。
剣鬼と化した茜の猛攻、そして鬼神と化したラグナの堅固な防御に、さしもの死神も相当攻めあぐねている様だ。
茜とラグナも無傷ではない。2人とも全身朱に染まり、まだ戦い続けていられるのが不思議に思えるほどのダメージを被っている。
それほどまでにエルウィンの攻撃は一発一発が重く正確であったが、手数の多さでは明らかに撃退士側に分がある。
時折、邪視による生命吸収で自己回復を図る悪魔に対し、茜とラグナは背後の霧に回復を任せ、自らは攻撃の手を全く休めないのだから。
「こうなると、新たな可能性を試してみたくなるよ――」
背後に一歩飛び退いたエルウィンが、ブンッと大鎌を振り回す。
「君らが、僕に永遠の安らぎを与えてくれるに値する存在か否か!」
冷酷な風の刃が撃退士達を襲う。
「‥‥ごふっ」
口から大量の血を吐いてよろける茜を、やはり血だるまのラグナがとっさに支えた。
実は死神が放った攻撃の多くをドMの極みでラグナが肩代わりしていたのだが、それも範囲魔法を使われては防ぎ様がない。
「だが――倒れて、たまるかッ! 私は‥‥護ってみせるッ!」
(このまま削り合いではお二人の身が保たない――どこかに勝機を作らねば!)
エルウィンが大鎌を振るい終えたその瞬間を狙い、霧は決死の突撃を敢行した。
死神の懐に飛び込むや、外し得ぬ零距離から審判の鎖を発動。
「!?」
いかに死神を名乗ろうと、エルウィンもまた冥魔の者だ。
霧の攻撃を受け、一瞬その場に釘付けとなった。
「今です、皆さん!」
茜の体がゆらりと動く。
次の瞬間、彼女の手に握られた蛍丸が弧を描き、舞うような動きで鬼切の斬撃をエルウィンに見舞っていた。
大太刀の刃が鈍い音を立て、悪魔の肩口に深々と食い込む。
エルウィンが初めて苦痛に顔を歪めた。
「届いた、かな‥‥?」
持てる力の全てをこの一撃に賭けた少女の全身から余剰アウルが吹き出し、ゆっくり床にくずおれた。
すかさずラグナがリア充滅殺剣で切り込み、無防備となった茜からエルウィンを引き離した。
「‥‥」
エルウィンは肩口の傷を押さえ、茜をじっと見つめていたが。
離れた場所で戦っていたヴァニタスが倒れる姿を見るや、黒い翼を広げて宙に舞い上がった。
猫に戻ったエドガーの傍らに着地するや、素早く小脇に抱き上げる。
「すまなかったね。僕のわがままに付き合わせちゃって」
死神の鎌が変形し、柄の両端に振り子型の巨大な刃を備える一層禍々しい形状に変形した。
「楽しい宴だったけど、そろそろお開きにしよう。僕は阿住さんに――」
エルウィンの言葉が途絶えた。
少年の瞳がフロアの一角に留まり、驚きに見開かれている。
「‥‥そんな‥‥」
撃退士達も一瞬そちらの方を見やり、そして理解した。
フロアの壁に掛けられた時計の針が零時1分を差している。
――契約の刻限を過ぎていたのだ。
エルウィンの手から大鎌が消え、がっくり肩を落とす。
「resign(投了)だ‥‥このゲームは僕の負けだよ、阿住さん」
間もなく、撃退士達はさらに意外な光景を目にした。
エレベーターの扉が開き、地下室に籠もっていた雄吾が姿を現したのだ。
「チェスは紳士のスポーツだ‥‥どちらかがチェックメイトをかけ、相手が投了したら‥‥その時点でゲームは終わらせねばならん」
「その通り。キング同士の殺し合いなんて邪道なんだよ‥‥本来のチェスであれば、ね」
「かもしれん。だが、私は‥‥人として、父親として、貴様を許せん!」
男のポケットから拳銃が引き抜かれた。
立て続けにフロアに木霊する銃声。
阻霊符の結界内でその銃弾は確かに死神に命中した。
もっとも悪魔の肉体に何らのダメージを与えることはなかったが。
「‥‥気は済んだかな?」
雄吾が力なく床にへたり込む。
「沙也加にチェスを教えたのは君だよね? 彼女はよく言ってたよ。『高価なプレゼントも随分買ってもらったけど、私にとって一番大切な思い出はたまの休日にお父様からチェスを教えてもらうことだった』ってね」
「仕事にかまけて娘とろくに遊んでやれない私にとっては、せめてもの罪滅ぼしだった‥‥それが、こんなことになるなんて‥‥!」
アズミ製薬の社長は床に顔を伏せ、肩を震わせ慟哭した。
りおんは雄吾のポケットからこぼれおちた紙束に気づき、ふと拾い上げた。
(遺書‥‥沙也加さんの?)
「もう終わりにしていいのかな?」
エルウィンが撃退士達を見渡した。
「我々は阿住さんの命を守るためにここに来た。貴様が彼の魂を奪わぬというなら、このうえ戦ういわれはない」
一同を代表するようにラグナが答える。
流司は迷っていた。
あるいはこのまま戦闘を続行すればエルウィンを殲滅できるかもしれない。
この先「死神」の手で引き起こされる新たな悲劇を食い止められるかもしれないと。
だが味方が受けたダメージも大きい。
特にラグナと茜の消耗は激しく、このまま戦い続ければもはや重体では済まないだろう。
未来に救われるかもしれない命と、目の前の仲間の命と。
(駄目だ‥‥比較できる問題じゃない)
眼鏡を押さえ大きくため息をつく。
「これは『黒の女王』の破片で作った物だよ。一個余ったから持ってきた」
エルウィンがポケットから何か小さな物をとりだし、床に置いた。
そのまま立ち去ろうとする死神を、
「‥‥待って」
霧の介抱を受ける茜が、弱々しい声で呼び止めた。
「また‥‥逢えるかな」
「きっと逢えるよ。いつかね」
少年の姿をした悪魔は穏やかに微笑み、そのまま宙高く舞い上がると、ガラス壁を突き破り飛び去っていった。
「親を悲しみと憎しみに染めた彼女の行動は許せませんが、僕は貴方の行動も許せないです」
遺書を読み終えたりおんが雄吾に告げた。
「子供の立場からの意見ですが‥‥当然の想いですよね?」
「‥‥」
「もうこの罠はエルウィンに知れた。二度は多分通じない。だから、もうこんな無茶は止めてほしい」
流司は撃退士として雄吾に懇願する。
「エルウィンが倒されるまで、貴方は生きなきゃだめだ」
「‥‥やりたくてもできんよ。これだけの事をしでかした以上、会社は私を許さない。今日にでも社長を解任されるだろう」
雄吾は力なく呟き、エルウィンの置き土産を拾い上げた。
それは黒い結晶で作られた「クイーン」の駒。
「それにこのゲームは‥‥始まる前から、私の負けだった」
「一矢は報いたか‥‥これであいつに顔向け出来る」
英雄は煙草に火を点け、ゆっくり紫煙を吐いた。
「『ここまで来てみろ』‥‥望む所だと言っておこう」
死神から贈られた腕輪を、彼が去った窓に向けて高々と突き上げるのだった。
<了>