●取り残された女
(ディアボロは谷崎さんと明美さんが近づいたら出現するんだな。だったらおびき出すのはたやすいだろう)
病院側から借りたブルーの患者衣ガウンを着込み、入院患者を装ってベッドに寝転がったまま、鐘田将太郎(
ja0114)は思った。
(‥‥もっとも病院内でどうやって倒すかが厄介だけど)
改めて周囲を見回すと、病室内には同じく入院患者に変装した彩・ギネヴィア・パラダイン(
ja0173)、新田原 護(
ja0410)らがベッドに横たわり、ドクター用白衣をまとった神埼 煉(
ja8082)が待機する。
そして唯一本物の入院患者であり、「美幸」のターゲットにされた明美。
それ以外の患者達は最初に「美幸」が現れた日から恐れおののいて病院側にクレームを訴え、今は全員が別の病室に移されている。当然見舞客もいない。
故に、最大12床まで入れる大部屋の病室はガランと空いたまま、昼間から不気味なほどの静けさに包まれていた。
「谷崎と明美が近づけば『美幸』が出現する」という予測はついているが、逆にいえばもう1人の当事者である谷崎が来なければ何も起こらないということだ。
ただ待っている撃退士達にしてみれば、退屈なことこの上ない。
ドクター服の煉は遠目からさりげなく明美を観察していたが、やがて
「――自業自得」
小声で呟くと目を逸らした。
ふと思いついた将太郎はベッドから起き上がり、明美の枕元へ歩み寄った。
彼女は将太郎の顔を見上げると、おずおず会釈した。
撃退士達の件は既に病院側から説明を受けているのだろう。
憔悴しきったその顔はまるで死期の迫った重病人のようだ。
(無理もないな。ディアボロ化した生前の恋敵につきまとわれて‥‥しかもこんな寂しい場所に1人で放置されたんじゃあ)
気の毒に思った将太郎はベッド脇の椅子に腰掛け、明美の気が紛れるようあれこれ話しかけてみた。これにはあの悪魔、「死神」エルウィンがなぜ美幸をディアボロ化したか、その理由について手がかりを得るという目的もある。
「美幸とは同期入社で、それ以来の親友でした‥‥」
よほど心細かったのか、明美の方も問われるままに語り出す。
谷崎を明美に紹介したのも美幸本人。「私達、来年には結婚するんです」と幸せそうに話していたという。
だが数日後の晩、谷崎から携帯に電話がありデートに誘われた。
「み、美幸には悪いと思ったけど‥‥孝彦さん背も高くてイケてたし、すごく積極的だったから、つい‥‥」
(よくある話だな)
将太郎は思ったが、恋人の浮気を知った美幸にとっては「よくある話」では済まなかったのだろう。
「あの‥‥そういえば孝彦さん、どうしたんですか?」
明美はハッとしたように室内を見回し谷崎の名を呼んだ。
「彼、何でお見舞いに来てくれないんですか?」
●震える男
「断るっ!」
市内のとあるマンション。自宅を訪れ、「美幸」殲滅のため同行を要請した天羽 流司(
ja0366)に対し、谷崎孝彦は声を上擦らせ叫んだ。
「あんなバケモノ二度と見たくない!」
「ですから今ご説明した通り、お二人が揃わないと『美幸』も現れないんです。確かに囮役をお願いするのは心苦しいですが‥‥今は姿を消していても、そのうち痺れを切らして明美さん1人を襲うかもしれないんですよ?」
「そんなの俺の知ったことか!」
(何て奴だ‥‥)
「おい、何だよその眼は? 何か文句あんのか?」
谷崎は一転して凄んできた。
しかしそれも虚勢に過ぎないことは、ガタガタ震える肩や手足を見れば一目瞭然だが。
「おまえら撃退士だろ? ディア何とかってバケモノを始末するのが仕事だろ?」
「‥‥」
「俺が何か悪いコトしたか? 浮気は犯罪だってか? おまえみたいなガキにゃ分かんねえだろうけどな、こんなの世間じゃよくあることなんだよ!」
そうかもしれない。
ありふれた男女の三角関係――だがそこに悪魔が絡み、美幸がディアボロ化してしまった以上、目の前の愚劣な男を「被害者」として命がけで守るのが撃退士の使命だ。
(こんな方法じゃなくても、出来る事はあったはずなのに――)
よりによって最悪の手段を選んでしまった美幸への苦い思いを心に押し込め、流司は気を取り直して説得を再開した。
「状況から判断して、『美幸』のターゲットは谷崎さんと明美さん両方です。つまり明美さんが殺された場合、次に狙われるのは当然あなた。しかもその時間と場所は全く予測できなくなる‥‥それでもいいんですか?」
「うっ‥‥」
男の顔から血の気が引き、虚勢の化けの皮がみるみるはげ落ちる。
「‥‥本当に‥‥俺の安全は保障してくれるんだろうな?」
●微笑む悪魔
『谷崎さんの同意が得られた。これから連れて行く』
流司からの連絡を受け、病院内で待機していた撃退士達もいよいよディアボロ迎撃の準備に入った。
既に明美の体は病室の最も出入り口寄り、移動可能なストレッチャーの上に移された。
また予め病院側と打ち合わせた通り、病室の備品は必要最低限のものを除き取り外され次々室外に運び出されていく。
それと入れ違いに、余分なベッド数台が運び込まれた。
一見床が狭くなる分戦い辛く見えるが、これは戦闘時、近接戦を得意とする者が「足場」に利用するためのものだ。
「保険かかってますよね」
作業にあたる病院職員の1人に、彩が尋ねた。
「ええ、一応は‥‥でもお金の問題じゃないんです」
げんなりした顔で、職員が答える。
「あの怪物が現れてからというもの、『この病院には本物の幽霊が出る』なんて噂が広まって‥‥入院患者さん達から転院願いが殺到してます。このままじゃ病院が潰れちゃいますよ」
多少の損害には目をつぶる。何としてもあの怪物を退治して欲しい――職員は撃退士達に深々頭を下げると、備品を乗せたカートを押してフロアから退去した。
患者や医師を装い病室で待ち伏せするグループとは別に、常木 黎(
ja0718)、夏木 夕乃(
ja9092)の両名は廊下で待機していた。
「気に入らなくとも仕事は仕事。キッチリこなせるよう力を尽くすっす」
そういいながら周囲の警戒を怠らない夕乃に対し、
「さて、今回はどう来るやら‥‥?」
いつものごとく儚げとも薄笑いとも取れる表情を浮かべつつ、黎は持参のコーヒーを飲んでいる。
ふと視界の隅、廊下の向こうに設置された自販機の前で、中学生くらいの少年がジュースを買う姿が目に入った。
「‥‥?」
本日、このフロアの入院患者は(明美を除き)全て避難済み。
また見舞客など外部の一般人も一切立ち入り禁止となっているはずだ。
「常木さん‥‥」
「――しっ」
同じ不審を覚えたらしい夕乃を片手で制し、あえて平静を装う黎。
少年はジュースの紙コップを片手に、ゆっくり歩いてくる。
「‥‥」
黎と夕乃は警戒しつつも無視を決めこんだ。
「もうすぐ流司が谷崎を連れて来ます。そっちの様子は――」
病室から顔を出した彩の視線が、少年の顔に釘付けとなる。
「あれ? 君はいつぞやの‥‥奇遇だねえ」
少年の姿をとった悪魔エルウィンが、にっこり微笑んだ。
「自殺、だったんですか」
ただ一言、彩は問いかけた。美幸のことだ。
「ああ。場所はどこかの山奥。僕が通りかかった時、彼女は血を吐いてもがき苦しんでた。多分薬の量を間違えて死にきれなかったんじゃないかな?」
「それで、彼女をディアボロに――」
「僕だって全部の取引相手をディアボロにしてるわけじゃないよ? もし彼女が『他人に迷惑をかけず安らかに死にたい』と望んだらそうしてあげたさ」
では美幸はいったい何を?
彩が重ねて尋ねようとしたとき、エレベーターのドアが開き、流司に付き添われた谷崎がフロアに現れた。
やはりエルウィンの顔を知る流司の目が驚きに見張られる。
ほぼ同時に谷崎が駆け出し、撃退士達を押しのけるようにして少年の前に飛び出した。
「あんた悪魔か!? 美幸をバケモノにしたのもあんたなのか!?」
「そうだよ。だから忠告したでしょ?」
次の瞬間、男はがばっと床に伏せ、「死神」に向かい両手をついて土下座した。
「頼む、美幸に伝えてくれ! 明美とは別れる。だから‥‥命だけは助けてくれ! 祟り殺すなら明美だけにしてくれぇーっ!!」
撃退士達は絶句した。
人は我が身可愛さのためなら、ここまで恥を捨て去れるものかと。
「‥‥っていわれてもねぇ」
エルウィンは苦笑と共に肩を竦めた。
「『明美をこれ以上孝彦さんに近づけないで欲しい』それが彼女の最期の願いだった。だから君らは殺されないよ? 現に何度も襲われてまだ生きてるじゃない」
「何だと‥‥?」
「あんなことになっても彼女にとって明美さんは友達、そして谷崎さんは自分を愛してるって信じてたんだよ。全く、愚かで一途で‥‥でも僕は、人間のそういう所が嫌いじゃないのさ」
病室の中から甲高い女の悲鳴が響く。
同じフロアに谷崎が入ったことで条件が揃い、「美幸」が出現したのだろう。
「さて、ここから先は君ら撃退士の仕事だ‥‥僕は失礼するよ」
軽く投げた紙コップが一瞬で燃え尽きる。
少年の体は音もなく廊下の床に沈んでいった。
「業が深いですねえ、谷崎サン?」
放心して床にへたりこんだ男に声をかけつつ、黎はオートマチックP37を手許に召喚、仲間達と共に病室へと駆け込む。
彼女にとっては依頼遂行が最優先。クライアントの事情など一々構ってはいられないのだ。
●還って来た女
窓を透過した「美幸」の姿を見るなり、明美は絶叫を絞り出した。
真っ黒に汚れた女性服をまとっているが、その顔と体は破裂寸前にまで醜く膨張し、喉から絶えずゴボゴボと泡立つような唸り声を上げている。
すかさず白衣を脱ぎ捨てた煉は、室内に飛び込んだ仲間達と入れ替わりに明美のストレッチャーを廊下へと押し出し、病室に引き返すなりドアを閉めて阻霊符を発動。
これで計画通り「美幸」を病室に閉じ込めたことになる。
「ここは通行止めです」
「来たか、‥‥迷える者」
護は反対に美幸の傍らから回り込み、窓を背に陣取った。
阻霊符が封印するのはのあくまで敵の透過能力のみ。窓を破られ逃亡されたら元も子もない。
「だが‥‥すまん。今の我々には救うことは出来ん。故に‥‥成仏しろ!」
オートマチックP37の銃弾にスキルを乗せ、抜く手も見せぬ早撃ちでディアボロの背中を撃つ。
ぼふっ。
美幸の背中に黒い穴が穿たれ、そこから耐えがたい腐臭が吹き出した。
「射撃屋の良さは命中率の高さ、しかもこっちのP37はカスタム済み。逃がさんよ」
ディアボロの体が宙を滑り、脇目も振らず明美を逃がした出口目指して突進した。
「見てみ、『女の腐った様な奴』の実物」
クスクス笑いながら、黎が同じ自動拳銃を構える。
屋内戦闘だけに味方への誤射を注意しつつ、敵の背後に回り込みながら射撃を開始した。
ドア前に留まった夕乃は横倒しにしたベッドを遮蔽物に、魔法書を掲げ球雷を放つ。
これを回避した美幸めがけ彩が影手裏剣を投擲、さらには変化で明美の姿に変わる。
『ゴボッ‥‥ゲッ?』
病室から逃げたはずの明美が突然現れたことで判断に迷ったか。
一瞬動きを止めた美幸に向けて彩は駆け寄り、途中でむしり取ったカーテンを怪物に巻き付け動きを封じた。
ベッドを踏み台に飛び上がった将太郎がトンファーによる薙ぎ払いから痛打のコンボを決める。
『ゴボァーッ!』
カーテンを引き裂き天井付近に浮き上がった美幸の顎がダランと開き、冷気ブレスを吐き散らした。
「させませんよ!」
隣接する仲間を庇い、煉が庇護の翼を広げた。
思った以上の威力。仲間の分まで引き受けたダメージに顔を歪める。
「グールと同種の敵だというのに、これだけの戦闘能力を誇るか」
それほどまでに人の負の感情は強いのか。
だが同時に、煉はその感情に負けた彼女から全てを『護ろう』と決意した。
(負の感情が更なる負の感情を生み出してはならない)
両拳を覆うガラントアームが緑色の輝きを放ち、鋭い連打を叩き込む。
「再生する前に、削り切ります」
敵に立ち直る余裕を与えず、流司が発動した異界の呼び手――無数の腕が伸びて美幸を捕らえた。
再び動きを止めた美幸を包囲し、撃退士達が集中攻撃を浴びせる。
ギリギリまで距離を詰めた夕乃のスタンエッジを受け、美幸の体の各所が破裂した。
「『死人に口無し』ってね。やり方間違ってんのよ」
黎の放った精密殺撃の銃弾が美幸の後頭部を吹き飛ばした。
「Enemy down!!……いや、浅かった」
その言葉通り、頭半分を失っても美幸はなお倒れない。
ディアボロのしぶとさは承知の上。動じることなく黎は次弾を放つべく拳銃を構え直す。
その間、美幸は何を思ったか、丸く膨れあがった自らの腹部に両手の爪を食い込ませ、一気に引き裂いた。
腐りかけた内蔵が飛び出す。
その奥から親指大の小さな「顔」がヌルリと現れた。
(美幸さんの‥‥子供?)
かつて胎児だったモノ。しかし今はディアボロの一部と化した小さな頭部がクワっと牙を剥き弱々しい冷気ブレスを吐く。
だがそれまでだった。
「神様なんぞに会わせるつもりもないし、冥府に落とすつもりもない。安らかに眠れ。悲しい愛を終わらせるために」
護が自動拳銃のトリガーを引いて腹の中の顔を粉砕すると、美幸はガクリと膝を突き、力尽きたように動きを止めた。
「Take a break,fair lady」
その屍に歩み寄り、彩がそっと呟いた。
「なんでこうなったかわかるよな?」
「決まってる。元凶はあの悪魔のガキだろ?」
将太郎の問いかけに谷崎が答えた。
美幸が滅びたと知らされ、先刻までとは打って変わりふてぶてしい態度だ。
(自業自得だ馬鹿!)
思わず殴りたい衝動を、将太郎はぐっと堪える。
「あの悪魔は死神エルウィン、やつは死にかけた人間の最後の願望を叶える手段としてディアボロ化を選ばせるそうだ。つまり‥‥谷崎さん、お前が原因だよ」
「知るか。悪魔なんかに誑かされる美幸が悪い」
護の追求にもどこ吹く風だ。
「あの女、子供が出来たからって図に乗って女房面しやがって‥‥これで清々したぜ」
「今回の件でお二人は精神的苦痛を負われたし、本当に悪いのは美幸さんを唆した悪魔っす」
夕乃が切り出す。
「けれど彼女をあそこまで追い詰めたのは貴方たちです。あの醜い姿はあなたたちの内面の反映でもあるってことは‥‥一生覚えておけよクズ野郎」
最後の一言は、特に谷崎を睨みながら低く言い放った。
「何だと!? 貴様ら、言わせておけば――」
「この人達の言う通りよ、孝彦さん」
ベッドに寝かされた明美の言葉に、谷崎は慌てて振り返る。
「そんな! 君まで何を」
「近寄るなこのゲス! アンタの顔なんか見たくもない!」
ともあれディアボロは殲滅され、任務は終わった。
後のことは彼ら自身で決める問題だ。
「くっさ‥‥死臭って中々落ちないのよね‥‥もう慣れたけど」
自らの腕の臭いを嗅ぎ、黎が気怠げにぼやく。
見苦しく言い争う男女に背を向け、撃退士達は病院を後にするのだった。
<了>