●京都〜嵐山山中
――何者かが近づいてくる。
頭上を飛び交う蒼鴉のけたたましい鳴き声から異変を感じ取り、「彼」はゆっくり瞼を開いた。
(人間か‥‥)
大地を通して微かに響いてくる足音から判断して、人数は50人余り。
(‥‥これだけ? ずいぶんと舐められたものだな)
てっきり数百人規模の戦力が押し寄せてくるものとばかり思っていたので、「彼」――火竜ゲリュオンは肩透かしを食った気分になった。
(まあよい。京都突入前に、撃退士とやらの手並みを拝見するか)
ゲリュオンが低く唸りを上げると、周囲で翼を休めていた配下のワイバーンたちが一斉に飛び立った。
「ここからでも見えるわ! すごい大きい!」
遥か遠方、木々の間から垣間見えるドラゴンの背中を指差し、雪室 チルル(
ja0220)が叫んだ。
撃退庁や自衛隊の偵察結果からだいたいの位置は判明していたといえ、転移装置による空間移動にも多少の誤差は出る。現地の山中に到着してから敵の居場所を捜索するのに手間取るかと思われたが、その心配は杞憂に過ぎなかった。
上空に群がって飛ぶ蒼鴉を目当てに移動するうち、すぐにドラゴンを発見することができたからだ。
「前にも竜とは戦った事はありますが‥‥これはまた大きいですね‥‥」
ファティナ・V・アイゼンブルク(
ja0454)が半ば驚き、半ば呆れたような言葉を洩らす。
過去にもドラゴン型サーバントやディアボロとの戦闘報告がないわけではないが、ここまで巨大な相手も珍しいだろう。
背を丸めて休息している状態で、既に小山のような大きさ。
これで立ち上がり、翼を広げたらどれほどになるというのか?
「さあ、さくっと倒してみんなで生きて帰りましょ♪」
仲間たちが敵の巨大な姿に呑まれないよう、雀原 麦子(
ja1553)はいつもと変わらぬ陽気な声を張り上げた。
「はっ!! ドラゴン退治か面白そうだな、おい。新しい装備の慣らしにはちょうどいい相手じゃねぇか」
御暁 零斗(
ja0548)が不敵に笑い、銀髪をかきあげる。
サーバントとしては最強クラスの敵を前に、彼のテンションは早くも最高潮に達している。
「ドラゴン退治か、SFの王道でありますな‥‥まったく厄介なことだ」
麻生 遊夜(
ja1838)はクスクスと笑い、
「あんな大物と戦えるとは血が滾るじゃねぇか」
マキナ(
ja7016)が興奮を抑えきれぬように掌に拳を打ちつけた。
「ドラゴン! これほどまでに好奇心を疼かせる響きがあっただろうか。 仮に天使の生み出した紛い物だとしても、その姿、この目で確かめずにはいられない」
いささか詩人めいた表現で感慨に耽る下妻笹緒(
ja0544)。
「サーバントとはいえ伝説種の力を見る好機。堪能させて頂きますか」
グラン(
ja1111)は記録用の各種アプリをダウンロードしたスマホをチェックしている。
「ど、ドラゴンとか、怖すぎるのですよ!? でも、絶対に負けないのです。そして、帰ったら‥‥」
その先の言葉を、Rehni Nam(
ja5283)(レフニー・ナム)は呑み込んだ。
彼女にとって京都は想い人の出身地。何としてもドラゴンたちの侵攻をここで食い止め、封都開放に弾みをつけたい。
(あんなバケモノがよく他の奴のいうこと聞いてるなー)
珠真 緑(
ja2428)は心の隅で思った。
天魔、とりわけ天使陣営は身分による上下関係が厳しく、サーバントとしては最強クラスのドラゴンといえどもシュトラッサー以上の上位階級には「絶対服従」といわれる。
もっとも天使の代行者として時には占領エリアの支配まで任されるシュトラッサーと、程度の差はあれ「消耗品の兵器」に過ぎないサーバントでは、求められる役割も能力も異なるのだろうが。
(まあそれなりに珍しい対戦相手だし、楽しませてもらおっと)
「なんと言いますか‥‥メアド渡したその場所に居合わせたわけですが‥‥こういう展開になるとは思いもしませんでしたねー」
アーレイ・バーグ(
ja0276)が思わず苦笑い。
挑戦状のつもりなら久遠ヶ原学園の代表アドレスにでも送ればよいものを、わざわざ接触した撃退士個人の携帯にメールしてくるあたり、あの厄蔵というシュトラッサーも律儀なのか人を食っているのかよく分からない。
もっとも、そのおかげでいたずらメールではなく「本人からのメッセージ」と断定できたわけだが。
「彼奴の挑戦というなら、負けられないもん!」
同じ依頼で厄蔵と会った犬乃 さんぽ(
ja1272)はぐっと拳を握り締めた。
「ドラゴンまで動員なんてゲート形成に固執してるみたいだけど、流石に増援は阻止しないとね」
と高虎 寧(
ja0416)。
まさか天使やシュトラッサーより強いということはないだろうが、あんな巨大生物が京都で暴れ回れば、いま大規模作戦で行動中の友軍はもちろん、民間人にも多大な被害が及ぶことは間違いない。
「これ以上敵の戦力を送ってなるものですか!」
「京都の皆の背中は守る。 邪魔は絶対させねーのだ!」
イアン・J・アルビス(
ja0084)、青空・アルベール(
ja0732)らは固い決意を胸に、各々の魔具を召喚。
(普段は自身に係る占いはしない主義だけれど‥‥)
ネコノミロクン(
ja0229)は日頃持ち歩いているタロットカードから、そっと一枚を引き抜いた。
――「塔」の正位置。
(‥‥良いカードだ。俺達には絶望的な状況を握りつぶすだけの力がある。それを証明しよう)
そう心に誓いつつ、掌中のカードを握りつぶした。
目標のドラゴンは目視確認できたものの、そう易々と相手の許へたどり着けそうにはない。
なぜなら巨大な竜の周囲から、太古の翼竜を思わせる姿のワイバーンが9体、上空へ舞い上がったからだ。
さしずめ「近衛兵」といったところだろう。
親玉のドラゴンに比べれば遥かに小さいが、あの飛竜とて翼長約8m。サーバントとしては充分大型の部類だ。
対ワイバーン戦を担当する撃退士たちが3班に分かれて前に出る。
ドラゴン討伐の前哨戦が、いま始まろうとしていた。
●天空からの脅威
当初、様子見するかのように上空を旋回していたワイバーンの群れが、おもむろに高度を下げて攻撃態勢に移った。
対ワイバーン戦担当の撃退士たちも、まずは射程距離の長い銃や弓、魔法などを武器とする者たちが一斉に対空攻撃を開始した。
「皆で連携すれば倒せない相手じゃない‥‥行こう、勝った上で全員が帰還して‥‥無意味だったと思い知らせよう」
土方 勇(
ja3751)がオートマチックの銃口を空に向けた。
そんな彼を、傍らの永月 朔良(
ja6945)がマジックシールドを展開して援護。
「怪我なんてさせないわ? 私が護るんだもの」
同時に空中の敵位置を伝える観測兵の役もこなす。
「さぁ、楽しいィ、楽しいィ、糞トカゲ退治の時間だわァ!」
黒百合(
ja0422)のショットガンが立て続けに火を噴く。
狙うは薄膜状に広げられた飛竜の翼。
「黒百合さん、一狩り行こうぜ!」
同班に所属する神喰 茜(
ja0200)もまた、翼狙いで武投扇を投げつけた。
「ワイバーンもかなりの強敵らしいから、確実に減らしていこうか」
ソフィア・ヴァレッティ(
ja1133)がかざす召炎霊符から炎の球が飛び出す。
「私、この戦いが終わったら告白するんだ‥‥」
何やらフラグめいた言葉を呟きつつ、水無瀬 詩桜(
ja0552)が高く掲げた魔法書からエナジーアローを放つ。
「ここから先へは行かせねえよ‥‥意地でもな!」
月居 愁也(
ja6837)は上空から迫りくる大型サーバントの姿に臆することなく、リボルバーのトリガーを引き続けた。
「まさかドラゴンと戦う事になる日が来るとは思わなかったよ! けどみんなの為にも倒してみせるよ!」
滅炎 雷(
ja4615)がクリスタルダストを発動、魔法で生み出した氷錐を上空へ打ち上げる。
無数の銃弾と矢、そして魔法攻撃がワイバーンたちの翼面に殺到するが、見かけ以上に強靭な飛竜の翼はそう容易くは破れない。
ワイバーン自体にどの程度の知能があるかは定かでないが、それがドラゴンからの指示なのか、飛竜の群れは撃退士たちを包囲する体制で一斉に炎ブレスを吐きつけてきた。
ただ一条の炎であれば、射線を予測しかわす算段もできただろう。
だがそれが9本、しかも互いに呼応し微妙に射線をずらした形で四方八方から放射されてくるとなれば、回避することは極めて難しくなる。
まさに焦熱地獄のようなブレス攻撃でダメージを負った撃退士たちに、ワイバーンどもの鋭い鉤爪が容赦なく襲い掛かった。
本命の対ドラゴン戦を前に、早くも負傷者が続出。中には戦闘不能に陥りかける者さえいた。
ネコノミロクンは死角からの襲撃を防ぐため、全身の感覚を研ぎ澄ましていた。
オートマチックP37による対空射撃を基本に、チャンスと見れば飛竜の翼を狙いヴァルキリーナイフを投擲する。
その一方で、周囲に負傷者が出れば、カオスレートの関係上不利となるジョブを優先にTemperanceによる回復を施す。
単独では手に負えない重傷者がいれば、スマホを取ってやや後方で待機する衛生兵班に救援要請を出した。
前線からの要請を受けたのは氷月 はくあ(
ja0811)。
彼女を含む衛生兵班は、前線の戦闘班と後方の医療所の中間に位置する高台に陣取り、可能な限り戦況の把握に努めていた。
はくあの役割はいわばナビゲーター。
常に前線と連絡を取り合い、救援要請が入れば同班の撃退士を衛生兵として派遣する。
その際、己の五感やスマホから入る全ての情報に基づき、より安全で効率のよいルートを仲間の衛生兵に伝えるのだ。
「見えない所は、代わりの情報で補完。規模は大きいけど‥‥やってみせるっ!」
はくあからの連絡を受け、衛生兵のフューリ=ツヴァイル=ヴァラハ(
ja0380)、甲賀 ロコン(
ja7930)らが戦場へと走った。
「なにはともあれしっかりとやるんだよ〜」
「地味ですが重要な、正に忍びの仕事。目立たず手を抜かず頑張りましょう」
通常、1人の負傷兵を後方へ搬送するには最低でも2人以上の兵士が必要とされる。
だがそこは撃退士の体力にものをいわせ、ロコンは単身で負傷者2人を小脇に抱え、後方へと引き返した。
もっとも全員を運ぶには衛生兵の人数にも限界があるので、比較的ケガの軽い者はその場で応急手当を施し、後は自分で診療所に移動してもらうことになるが。
「台車でもあればよかったのですが‥‥」
上空から数知れぬ蒼鴉の群れが襲い掛かり、盛んに妨害してくる。
相手は下級サーバントといえ、その嘴で全身を突かれてはたまらないし、何より負傷した仲間を守らなければならない。
負傷者を運ぶロコンたちを守るため、ヴァラハが高々と跳躍、突き蹴りの格闘技を駆使して蒼鴉どもを蹴散らした。
木々の間を素早く移動しつつ対空射撃を続ける黒百合のショットガンが、ふいに黒焔に包まれた。
「――喰らえ」
赤と黒の炎で形作られた無数の腕が伸び、ワイバーンの翼に絡みつく。
先に他の撃退士たちの攻撃で傷ついていた翼がメリメリ音を立てて折れ、飛竜は悲鳴を上げて地面に落下した。
「あははァァ! 死になさいよォ!」
武器をハルバードに持ち替え駆け寄った黒百合は、哄笑を上げ斧槍を敵の延髄に叩きつけた。
再び飛翔せんともがくワイバーンめがけ、茜の大太刀「蛍丸」が薙ぎ払いを浴びせる。
スタン効果で動きを封じたワイバーンの巨体に、黒百合と茜が代わる代わる刃を振り下ろした。
「もう飛ばせないよ!」
ソフィアがScintilla di Soleを発動、光輝く火球が瀕死のワイバーンに炸裂。
とどめとばかり、迅雷で加速した寧のショートスピアが横合いから飛竜の喉元を貫いた。
撃退士たちの対空攻撃により翼へのダメージが蓄積していたのか、この頃から何体かのワイバーンは目に見えて動きが鈍り、徐々に高度も下がり始めてきた。
同時に、敵の飛行能力と炎ブレスに翻弄されていた撃退士たちも反撃に転じる。
3班の対空攻撃で敵を大地に引き摺り下ろし、1・2班が包囲してとどめを刺す――予め計画された連携が、ここへきて功を奏し始めたのだ。
勇のダークショットを頭部に受けたワイバーンがもんどりうって地面に墜落。
「‥‥落とした! 月居先輩は右、僕は左から頭を狙う。夜来野先輩は月居先輩のフォロー、若杉先輩は紅葉さんを! 行くよ朔良ちゃん!」
その言葉に応え、夜来野 遥久(
ja6843)と愁也、若杉 英斗(
ja4230)と紅葉 公(
ja2931)がそれぞれペアを組む形でワイバーンを包囲した。
「行くぞ、遥久!」
「‥‥油断するな、愁也」
息の合った2人が互いに視線を交わして頷き合い、勇たちの反対側からワイバーンの頭部を狙う。
得物をカットラスに持ち替えた愁也が怪物に斬撃を叩き込めば、咆哮を上げ繰り出される敵の噛み付きを遥久がカイトシールドで食い止める。
「これ以上の好き勝手は許さん。お引き取り願おう」
さらに英斗のスネークバイトによる打撃、公の魔法による雷撃も交互に飛竜を打ち据える。
苦し紛れに放たれた炎ブレスは英斗の絶対防御が防いだ。
「京都にはこれ以上近づけさせない!」
「必ず勝って帰るんです!」
6人の撃退士から集中攻撃を受けたワイバーンはしばし激しく抵抗を続けていたが、やがてガクリとその動きを止めた。
アイリス・ルナクルス(
ja1078)の放った飛燕の衝撃波がワイバーンを打ち据える。
「この一撃で落としてみせるよ!」
雷が打ち出す2発目のクリスタルダストが見事命中、飛竜は大きくバランスを崩して落下した。
「‥‥ふふふ‥‥無様ですね‥‥」
せせら笑いつつ漆黒の大鎌を構えたアイリスは、一転して真剣な表情になると恋人のアトリアーナ(
ja1403)に合図した。
「‥‥リアさん‥‥!」
「‥‥あわせるの、ルナ」
華奢な体に似合わぬウォーハンマーを振り上げ、アトリアーナも飛び出す。
「‥‥最初から全力でいくの」
横なぎに振り払ってくるワイバーンの爪をアイリスが受け止める
その間隙をついて、アトリアーナはサーバントの頭部に鬼神一閃の鉄槌を加えた。
鈍い音と共に怪物の頭部が陥没する。
「ここから先へは、通さないのですよ」
後衛からレフニーの投げた胡蝶扇がブーメランのように弧を描き、なおも暴れるワイバーンの背中に命中。
同じく詩桜もクリスタルダストの氷錐を撃ち込み援護した。
「京都の、みんなの邪魔、絶対にさせない‥‥!」
サーバントの懐へコニー・アシュバートン(
ja0710)が素早く飛び込む。
対空攻撃の際はやむなくオートマチックP37を使用していたものの、彼女の本領はナックルダスターによるボクシング・スタイルの近接戦だ。
カウンター気味に繰り出されたパンチがワイバーンの眼球にめりこみ、飛竜の巨体が土埃を上げて大地に伏した。
既に虫の息となったワイバーンの体を、アイリスが片足で踏みつけた。
「‥‥祈れ‥‥少しは楽になるかもしれません‥‥」
敵の返事など待たず、彼女は大鎌を振り下ろした。
多数の負傷者を出しつつも、対ワイバーン班の撃退士たちは3体の殲滅に成功した。
しかし上空にはなおも6体のワイバーンが残っている。
奴らとの戦闘に専念できるメンバーの数を思えば、残り全ての殲滅は極めて困難だろう。
だが、その時点で彼らは課せられた使命を充分に達成していた。
なぜなら彼らがワイバーンの群れを攻撃しその注意を引き付けたおかげで、対ドラゴン班の撃退士たちはほぼ無傷で「本命」の許へ到達することができたからだ。
●奉仕者の王
「あれがドラゴンですか‥‥。流石に今までの相手とは格が違いますね‥‥」
山林を抜け、前方数十メートルの近距離まで近づいたところで、 神城 朔耶(
ja5843)は改めて驚きの声を洩らした。
「うわっ、なにコレ‥‥」
栗原 ひなこ(
ja3001)も思わず絶句する。
――やはり大きい。
木々をなぎ倒して強引に作った空き地の中央で悠々と寝そべるドラゴンの体長は、尻尾の部分を除いてもおよそ20メートル。
仮に後肢のみで立ち上がった場合、その身の丈は6、7階建てのビルに匹敵するはずだ。
「最強クラスの敵。嫌でも分かるな。手の震えがとまらない」
雨宮 歩(
ja3810)が忍刀を握る自らの片手を擦った。
対ドラゴン戦を担当する撃退士たちは3班に分かれ、前方と左右両翼から慎重に巨大サーバントへ接近していった。
その時ドラゴンのまぶたが半分だけ開き、縦に割れた瞳孔がじろりと撃退士たちを見渡した。
だがそれ以上の動きは見せず、ただ退屈そうに尻尾の先端を揺らしている。
「わけの分からない小さな連中がやってきた」――そういわんばかりの態度が、撃退士たちのプライドをいたく傷つけた。
天使やシュトラッサーには露骨に人間を見下した態度を取る者も多いが、こいつの場合、サーバントのくせにその図体からして既に上から目線だ。
麦子はつかつか前に進み出ると、ドラゴンの頭部――それだけでも相当の大きさだが、巨大な胴体に比べると意外に小さく見える――付近に歩み寄った。
「撃退士の雀原 麦子よ。あんたを討伐に来たわ」
巨大サーバントを見上げ、自ら名乗りを上げる。
普通に考えれば無謀な行為だが、これには敵に事前の情報どおり「人語を解するだけの知性がある」ことの確認、そして何より奴を討ち取りにきた対等の戦士であることを示し、仲間たちの士気を高める目的があった。
ドラゴンが長い鎌首をもたげ、ヌッと麦子に顔を近づけた。
撃退士たちの間に緊張が走る。
『俺はゲリュオン。大天使ベテルギウス様に仕えるサーバントだ』
低い声が山中の空気を震わせた。
口を閉じたまま喋ったところから見て、人間のような声帯を持っているわけでなく、全身を覆う鱗の一部を振動させ言葉を発しているらしい。
麦子を始め、撃退士たちは内心で驚いた。
これまでに戦ったサーバント中にも比較的知能の高い者、カタコト程度の言葉を発する者はいた。しかしそれはせいぜい「芸を仕込んだ犬」もしくは「将棋やチェスができるAI」のようなものに過ぎず、とても「知性」とは呼べない。
だがこいつの場合、サーバントとしては珍しく自我と知性、おまけに固有名まで持っているらしい。
緑、そして並木坂・マオ(
ja0317)も歩み寄り、一応の交渉を試みた。
「んー、話が出来るって事なんだけど、いっそ帰ってもらえないかしら?」
「君が京都に行ったら人がいっぱい死ぬから援軍やめてくれない?」
『死ぬのが怖いか? なら簡単だ。おまえらが帰ればいい』
にべもない口調で、ゲリュオンは答えた。
『今日は特別に見逃してやろう。俺が主から受けた命令はザインエル様への加勢だ。厄蔵にいわれたから仕方なくここに留まっているが、正直おまえらの相手をするのも面倒だしな』
「ったく、図体通りデカい態度ね」
緑が舌打ちする。
マオは呼吸を整えながらトントンとリズムをつけて足踏みし、クンフーの構えを取った。
「お互いに退けないんなら、そろそろ始めよっか」
次の瞬間、交渉の最中から密かに練っていた気を開放。
金色のアウルの軌跡を描きつつ、少女の体が宙を舞った。
「これをもって貴殿への敬意とす。受け取れ、我が最強最高の一撃!!」
鬼神一閃の蹴りがゲリュオンの鼻先に命中。
巨大な頭部がわずかに揺らぐ。
ドラゴンは嫌そうに瞼を閉じ、鎌首を高く持ち上げた。
おもむろに上体を起こし、唸り声と共に立ち上がる。
反撃はない。しかしどれほどのダメージを与えたかも不明だった。
それを合図のように麦子や緑も素早く間合いを取り、撃退士たちは一斉に攻撃を開始した。
マキナ・ベルヴェルク(
ja0067)は戦闘開始前から「序曲」を発動、体内にアウルの力を満たしていた。
右腕を包む黒焔に似た光纏が全身に広がり、正面からゲリュオンの巨体を駆け上る。
できれば頭部を狙いたかったが、ドラゴンが起き上がってしまったため届かず、やむなく胴体にナックルバンドの拳を叩き込んだ。
それでもまだドラゴンは反撃しない。
翼を閉じ、やや前傾姿勢を保ったまま逞しい後肢で大地を踏みしめている。
「最強のサーバントっていう証拠でも、見せてもらいましょうか!」
タウントのオーラをまとったイアンが、右側面からブラストクレイモアの重厚な刀身を振り下ろす。
「来なさい。天使の攻撃と、貴方の攻撃。どちらが強いか私がはかってあげるわ」
暮居 凪(
ja0503)は逆に左側面より、長さ4m近いディバインランスで吶喊した。
「ぶっ倒れろ」
マキナも左翼からハンドアックスを振るい、薙ぎ払いで斬りつけた。
「炎が有効か無効か‥‥一応試してみますか」
アーレイはファイヤーブレイクを使用。
ゲリュオンの頭上に出現した巨大な火球が炸裂し、アウルの炎がドラゴンの巨体を覆いつくす。
巻き添えを食った周囲の蒼鴉がバラバラと墜落するが、ゲリュオンは身じろぎもしない。
全身を厚く覆う鱗がわずかに焼け焦げたが、それもみるみる元の赤褐色に戻っていった。
「あらら‥‥やっぱり効きませんか」
天風 静流(
ja0373)は強弓にアウルの矢を番え、巨竜の目を狙い放った。
だがこれは相手が長い首を振ることでかわされてしまう。
「‥‥避けるということは、やはり弱点なのか? とはいえ、この距離から狙うのは難しいか」
物理・魔法を問わず、あらゆる攻撃がゲリュオンに集中する。
巨大なサーバントは反撃も回避もせず受け続けていたが、ただ頭部への攻撃のみは首を左右に振って巧みに避けた。
銃や弓、魔法など遠距離攻撃手段を持つ撃退士たちの目標は自ずと頭部、とりわけ目に集中していくが、高さ十数mの位置にあり、しかも盛んに動く頭へ正確に命中させるのは予想以上に難しい。
「竜といえど均質に鱗があるはずがない」
鷺谷 明(
ja0776)や緑、笹緒のように鱗で守られていない翼膜部分を狙う者もいたが、ゲリュオンの方もそれは予測していたのか、翼をピタリと閉じたまま開こうとしなかった。
その間、若菜 白兎(
ja2109)は同班の仲間たちに「アウルの衣」を発動、透明なヴェールのような霊気で防御を高める。
ひなこもまた同班前衛のファティナ、緑らに「アウルの鎧」を着せ、ドラゴンの反撃に備えた。
『‥‥なるほど。厄蔵のいう通り、おまえらの攻撃は俺の体に当たるのだな』
再び、低く無機質な竜の声が響いた。
天魔侵攻が本格化した当初、人類側の在来型兵器は彼らの透過能力の前に全く無力だった。
ドラゴンはおろか、最下級クラスのサーバントやディアボロにさえ、当時の警察や軍隊が束になってかかっても歯が立たなかったのだ。
地球上にある程度の占領エリアを確保した後、天使たちがサーバントとしては破壊力の大きすぎるドラゴンを積極的に使わなくなったのも当然の成り行きだろう。
彼らの目的は感情エネルギーの収奪であって、別に人類を滅ぼしに来たわけではないのだから。
よってゲリュオンにとっても、人間の撃退士とやりあうのは今回が初めてだった。
だからこそ奴はあえて撃退士たちに攻めさせ、その力を測っていたのだろう。
『ハハハ、面白い! 久しぶりにまともな戦いが楽しめそうだ――!』
竜の哄笑はやがて言葉ではなく、天地を揺るがすような歓喜の咆哮へと変わった。
蒼鴉の群れが慌てふためくように飛び去り、ゲリュオンの頭上を中心に天空が溶岩のごとく赤く輝く。
「回避ー!」
危険を感じ取った麦子が大声で警告を発した直後、上空で火山が噴火したかのように、無数の火山弾が広範囲に降り注いだ。
回避しようにも逃げる場所などない。
ゲリュオンの周辺にいた撃退士たちは1人残らずその攻撃を浴び、負傷者が続出する。
直後、初めてゲリュオンがその翼を広げた。
右に方向転換したと見るや、低空飛行で滑るように移動。
傷ついた撃退士たちに対し容赦のない蹂躙が始まった。
ショットガンを撃つ伊勢崎那美香が大木のような前肢の爪にかけられ、血飛沫を上げて弾き飛ばされる。
敵の背後に回りこみ、跳躍して鉤爪で斬りかかった綿谷つばさ(jz0022)は長大な尻尾ではたき落され、ボールのように山の斜面を転がり落ちた。
後衛からスクロールによる魔法攻撃で2班を支援していた笹緒の目に、ゲリュオンの顎が開かれ灼熱する光景が映った。
「ファイアブレスを使う気か!?」
目を凝らして竜の挙動を観察、何とか火炎が放射される射線を予測しようと試みるが。
ゲリュオンは長い首を大きくのけぞらせたかと思うや、次の瞬間には笹緒の予測とは全く別方向へブレスが吐き出された。
長く伸びる炎の帯に焼かれた撃退士たちが次々と倒れていく。
「発射の瞬間まで狙いを読ませないための動きか‥‥厄介な」
「退くものか、絶対に退くものか! この全弾、仲間を守る為に!」
火山弾によるダメージをものともせず、アルベールはアサルトライフルのトリガーを引き続けた。
本来勝算の薄い戦闘に赴く性格ではない。
しかし今回の大規模作戦を通し、仲間を守る為に強くなることを誓ったのだ。
「例え一時的なものだとしても視界を奪えれば隙はできるはず‥‥!」
光纏時のみ開く両目で朔耶がゲリュオンを睨みすえ、ひたすら竜の眼を狙い強弓の矢を放つ。
聳え立つ敵の巨体に比べれば、絶望的なまでに小さすぎる標的。
それでも、いま考えられる数少ないドラゴンの弱点に全ての覚悟と祈りを込めて、少女のか細い手は弓の弦を引き絞る。
「ホント、おかしな話だよなぁ。こんなにも死が近いのに、愉しくてたまらない」
生きるか死ぬかの極限状態の中、歩は震えながらも歪んだ笑みを浮かべていた。
「喚くな‥‥ウルセぇんだよ、デカブツ」
清清 清(
ja3434)は専ら最前線での回復・防御役を担当。
攻撃を受けそうな前衛メンバーには「水星」、痛手を負ってしまった者には「木星」と、スキルを使い分け仲間たちを援護する。
その一方で、自らが傷つくことも厭わずゲリュオンに肉薄して果敢に攻撃を仕掛けた。
「あいつはボクらの命を奪おうとしてる‥‥だから、その前にボクらが命を奪う!」
「熱くなってるとこ悪いけど、あと少しで援軍到着よ♪ 」
火傷とケガでボロボロになりながらも、麦子はゲリュオンに向かい、気丈に胸を張って叫んだ。
「滅ぶのが嫌なら、それまでに私たちを倒すことね。 ま、そう簡単にやられはしないけど!」
『援軍だと? この山中に他の伏兵がいないことくらい、蒼鴉どもの報告で知っている』
相変わらず無機質な声でゲリュオンが答えた。
ドラゴン自身に感情がないわけではなく、人語を喋るため機械的に出している「音声」だからこうなるのだろう。
奴が久々の戦いで高揚し、悦びさえ覚えているのは、異様にギラつく両眼の輝きから見ても明らかだ。
『少し待ってろ。まだ活きのいい連中を片付けてから、最後にとどめを刺してやる』
ドラゴンの巨体が浮上し、残る撃退士たちに向かい移動を始めた。
「私は壁に、徹するだけ‥‥」
翼を広げ迫ってくる巨竜の姿を見つめ、機嶋 結(
ja0725)は短く呟いた。
彼女にとって憎悪の対象は専ら悪魔だが、サーバントといえその形態から蛇を連想させるドラゴンは敵意をぶつける相手として充分に相応しい。
できれば奴の腹を切り裂き、内臓をぶちまけてやりたいと思う。
今の自分にそれだけの力がないことが残念だが。
同班のベルヴェルクと無言で頷き合うと、タイミングを合わせて駆け出した。
日頃他者と群れることを嫌いながら、なぜか不思議な連帯感を覚える2人。
お互いの境遇に似た部分があるためだろうか?
地上に降り立ったゲリュオンが大きく翼を動かすと、そこから生じた突風はたちまち暴風と化して撃退士たちに襲い掛かった。
神月 熾弦(
ja0358)、ファティナらが武器を地面に突き立て風圧に耐えるが、大半の者たちは成す術もなく吹き飛ばされてしまう。
結とベルヴェルクは互いの体を支えあって辛うじて耐え抜き、悠然と近づいてくるゲリュオンに向けて突進した。
敵の炎ブレスの方が味方の魔具より遥かに射程が長いと分かった以上、勝機を見出すには懐に飛び込んでの白兵戦しかありえない。
狙いは膝関節。巨体を支える部分だけに、ダメージを与えられれば効果も高いはずだ。
結はタウントを発動、自ら囮となって敵の注意を引く。
その間、「序曲」で気を練ったベルヴェルクが大地を蹴り、高く跳躍して岩肌のように迫ったドラゴンの肢に拳撃を打ち込んだ。
多少は効いたのか、ゲリュオンが歩みを止める。
上体を屈め、足元の虫を払うように前肢を振り下ろしてベルヴェルクを弾き飛ばした。
大地に叩きつけられて派手に転がり、血を吐きながらもなお立ち上がろうとする少女を冷ややかに見下ろし――。
ゲリュオンの口腔が灼熱に輝いた。
避けようのない炎の奔流――だが、それを浴びたのはベルヴェルクを突き飛ばした結だった。
(――なぜ?)
そう問いたげな表情で、倒れた結を見つめるベルヴェルク。
「誼も、ありますから。貴女は私が護ってみせます」
弱弱しく微笑む結の心に悔いはない。
通り過ぎるドラゴンの足音を聞きながら、彼女の意識は遠のいていった。
●メディックたちの戦い
戦況は絶望的だった。
ゲリュオンの猛反撃を受けた結果、対ドラゴン班メンバーのおよそ半数が戦闘不能に陥り、残る者たちも辛うじて立っているのがやっと、という有様だ。
あと一撃、あの「火山弾」を使われれば、もはや全滅は免れない。
誰もがそう覚悟しかけたとき。
『――すまんが、少し休ませてもらうぞ』
ふいにゲリュオンは翼をはばたかせ、宙高く舞い上がった。
そのまま京都に向かうわけでもなく、高度100mほどの上空でゆっくりと旋回している。
(いったいどういうつもりだ‥‥?)
撃退士たちは訝しむ。
だが答えはすぐに分かった。
その巨体故に判別がつきにくかったが、撃退士数十名からの集中攻撃はドラゴンの体にも相当のダメージを与えていたのだ。
つまりいったん上空へ退避し、再生能力で自己回復しているのだろう。
「見かけによらずセコい奴ね‥‥」
「まあ手段はどうあれ『勝てば官軍』だからね」
悔しそうに上空を睨む凪に対し、明が皮肉げに笑う。
戦いに卑怯も姑息もない。
仮に自分がドラゴンの立場なら、やはり同じ手を使うだろう――そう思いながら。
しかしこの束の間のインターバルは、撃退士側にとっても負傷を癒す貴重な時間だ。
「大丈夫、まだ平気だから‥‥」
ひなこを始めアストラルヴァンガードたちが負傷した仲間に回復スキルを施すが、前線のメンバーだけではとても手が足りない。
静流はスマホではくあに連絡を取り、衛生兵の派遣を要請した。
ファティナも同様に衛生兵班に連絡、自班の位置や要救助人数を伝える。
『対ドラゴン班から相当数の負傷者が出た模様。手の空いてる衛生兵の人は直ちに現場に急行してください』
はくあからの急報を受け、それまで専ら対ワイバーン班の援護に当たっていた衛生兵たちが一斉に行動を開始した。
「‥‥空気が震えてますね」
鳳月 威織(
ja0339)は誰にいうともなく呟いた。
「強敵との死闘‥‥良いですねぇ。とても楽しそうです」
単なる比喩ではない。
ドラゴンの咆哮、銃声や攻撃魔法が炸裂する轟音が山々に木霊し、戦域の異なるこの場所まで実際に響いてくるのだ。
壮絶な戦闘の証ともいえるこれらの音を、威織はどこか楽しげに聞いていた。
ただし彼自身の本日の任務は衛生兵。
「戦いに混ざれないのは少し残念ですが、頑張って運ぶと致しましょう」
彼にとって今日は「そういう日」なのだ。
「ふむ。ワイバーンについてはこれくらいで充分か」
負傷者救助の傍ら、敵サーバントのデータ収集も行っていたグランはデータを保存しいったんスマホのアプリを終了させた。
本当は望遠型デジカメやビデオカメラなどを揃えたかったところだが、今回は時間的に余裕がなかったため、手持ちのスマホをフルに活用しての情報収集だ。
「次はいよいよ希少種のドラゴンだな」
むろん本来の任務である衛生兵としての役割も忘れてはいない。
「ドラゴンは一時的に空中退避した」と聞いて最前線に向かう衛生兵たちだが、敵もそう甘くはない。
ゲリュオンの命令を受けたのだろう。それまでボスの範囲攻撃に巻き込まれないよう離れていた蒼鴉たちが、衛生兵の活動を妨害しようと一斉に群がってきたのだ。
「癒し手は大事な生命線でもあります。早々に倒れるわけにはいかないのですっ」
上空から急降下してくる鳥型サーバントめがけ、逸宮 焔寿(
ja2900)がヴァルキリーナイフを放つ。
これまで優しい性格から戦闘依頼を避けていた焔寿だが、京都での大規模作戦に参加したのをきっかけに、自ら戦いと向き合う覚悟を決めていた。
(戦いが終わるまで、いつものほんわりは封印ですっ)
「颯爽とあたい参上! 救助者はどこ?」
衛生兵としては対ドラゴンの最前線へ一番乗りを果たしたチルルが、元気一杯に叫んだ。
想像以上の惨状に思わず息を呑むが、
(衛生兵がビビってたらケガ人が安心できないもんね!)
と思い直し、群がる蒼鴉を蹴散らしながら負傷した仲間に肩を貸し、後方へと運んでいく。
「今回あたいも戦いたかったわ。でも仕事仕事!」
「ドラゴンすげーデケーのだ!」
前線に到着し、上空を旋回するゲリュオンの姿を見上げ、レナ(
ja5022)は素直に感嘆の声を上げた。
「でも今回のレナちゃんは仲間を助けるのだ! 忍者はみんなを助けるのが仕事なのだ!」
彼女の任務は負傷者及び搬送役の衛生兵を護衛すること。
案の定、負傷者を背負ったり肩を貸して歩く衛生兵を狙って次々と蒼鴉が降下してくる。
「レナちゃんが相手なのだ! 怪我人には指一本も触れさせないのだ!」
上空の敵へは苦無を投擲、接近してくる相手は忍刀を振るい真っ二つに。
時には少し離れた場所で戦う場合もあるが、その際は「迅雷」で機動力を上げ、戦闘終了しだい素早く仲間の衛生兵たちの傍へ戻るのだった。
臨時の医療所として建てられた大型テントの前では三神 美佳(
ja1395)が待機。
時折こちらまで飛来してくる蒼鴉を魔法書で迎撃しつつ、スマホを通して各戦闘班・衛生兵班から入る報告に耳を研ぎ澄ませていた。
何人の負傷者が搬送されて来るのか?
各自の負傷度合いは?
それらの情報をいち早く医療班の要員に伝え、彼らが負傷者の治療に専念できるよう段取りをつけるのも美佳の役目だ。
テントの中では、アウル能力者20人が甲斐甲斐しく治療にあたっていた。
正規の撃退士ではないが、本職の医師・看護士・レスキュー隊員などから選抜された彼らは、こと回復スキルと医療技術に関しては紛れもないプロだ。
やがて対ドラゴン戦の負傷者が続々運ばれて来ると、医療班の動きも一層慌しさを増し、むしろ「野戦病院」と呼ぶに相応しい様相を呈してきた。
応急手当と回復スキルを施された撃退士は万全とまでいわずとも、何とか戦線復帰できるまでの体調を取り戻していく。
「よし、復活! 次は負けませんよ!」
治療を終え、医療所から出てきた丁嵐 桜(
ja6549)が元気よく叫ぶ。
彼女のように戦線へ戻る撃退士には、美佳が通信で得た前線の最新情報を伝えてやった。
●死闘の果てに
傷の癒えた撃退士たちが、次々と戦線へ復帰する。
あとはゲリュオンが再び降りて来るのを待つばかりだが、ここでひとつの懸念が生じていた。
医療班の回復スキルにも限度がある。
つまりこのまま戦闘が長引けば、いずれはスキルを使い果たした人類側が必ず敗北するということだ。
全ての撃退士が感じる焦燥は、やがて彼らの胸中である決意へと変わった。
――次の一戦で必ずケリをつける。
悠々と舞い降りてきたゲリュオンの後肢が大地に着くなり、再び3班編成に戻った撃退士たちの総攻撃が始まった。
前回、頭部を狙った攻撃の大半がかわされてしまった失敗を踏まえ、今回の攻撃はドラゴンの翼に集中した。
慌てたように翼を閉じるゲリュオン。
しかし撃退士たちの矢弾や魔法は、引き続き翼の付け根部分に絞られていく。
「天使やシュトラッサーが最新鋭のイージス艦とすれば、あいつはさしずめ前世紀の大型戦艦ね」
京都で遭遇した上級天魔たちと目の前のドラゴンを比較し、凪が仲間たちにアドバイスした。
「どんな分厚い鱗で身を守ったところで、一点に攻撃を浴び続ければいずれは沈む!」
『ぐっ‥‥小癪な』
巨竜の頭上で天が赤く染まる。
流星雨のような火山弾の範囲攻撃が、再び撃退士たちを襲った。
だが2回目となれば、攻撃を予想した撃退士たちも思い思いの手段で防御策を講じていた。
「ここは私が。いいから下がりなさい」
まだ負傷の癒えきっていない仲間を庇い、自ら盾となる凪。
熾弦は「星晶雪華」を発動。かざされた掌から散った仄かに輝く半透明の雪の結晶片が、周囲の仲間を包み込み、焦熱のダメージを和らげる。
火山弾が止むなり、撃退士たちはゲリュオンを囲み、前にも増して苛烈な攻撃を再開した。
クレイモアをかざしたイアンがフォースを発動。
大剣から迸る光波が翼の付け根を直撃、ゲリュオンの巨体が大きく揺らいだ。
「偉そうに2本足で歩いてんじゃねーよ、トカゲのクセに!」
マキナは再び薙ぎ払いで後肢に斬りつけ足止めを図る。
「数の暴力に勝るものなし。身をもって思い知るがいい!」
明が竜の巨体に接触し毒婦セミラミスを放つ。
「よっ‥‥ドスコーイ!」
四股を踏んで気合を充実させた桜が、ウォーハンマーを振り上げドラゴンの後肢へ叩きつけた。
「負けないよ! 絶対勝って帰るんだからっ!」
ひなこはケーンを構え、仲間のダアトたちの盾役として前面に立ちはだかる。
「こちらの方が多少は効果があると思うのですよね」
アーレイのマジックスクリューが、ゲリュオンの頭部を乱気流のように巻き込んだ。
「やってやるさ。お前を殺せないようじゃ、あの魔女は殺せないんだしねぇ」
歩が構えたオートマチックが火を噴き、翼の付け根を覆う鱗を数枚弾き飛ばした。
「今度は必ず‥‥当てて見せます!」
朔耶が放ったアウルの一矢がやはり翼の付け根に命中、さらに何枚かの鱗が剥がれ落ちる。
「皆にアウルの加護あれ、行きます!」
ファティナのクリスタルダストが生んだ氷錘が煌きながら同じ部位に突き立った時――。
鈍い音と共にゲリュオンの片翼が千切れ、地響きを上げ大地に落ちた。
悲鳴にも似たドラゴンの咆哮が木霊する。
後肢にもダメージが蓄積してきたのか、上半身を支えきれず前肢をついて四足歩行の形態を取った。
敵の上体が下がったのを好機とみた静流は魔具をワイルドハルバードに持ち替え、竜の懐に飛び込むなり、喉元を狙い鬼哭で一気に押し込んだ。
命中した傷口から黒い光が噴出し、ゲリュオンの上体がさらに前のめりとなる。
「死中に活をというが、実際に行うと決して易くは無いな‥‥これは」
やはりこのチャンスを待っていた遊夜が敵の肩口あたりに駆け上ると、角のようにゴツゴツ突き出した突起物のひとつにロープをかけ、自らの体を縛り付けた。
「ギリギリまで粘らせてもらう、ここを通すわけにはいかないんだ。」
むき出しになった翼の傷口を狙い、至近距離からショットガンを乱射。
遊夜がはたき落とされないよう、竜の尻尾を狙いアルベールが牽制射撃を加える。
ゲリュオンが自らの胴体に向けて鎌首を曲げ、くわっと開いたあぎとが灼熱した。
自分の体を焦がすのも構わず遊夜を焼き殺すつもりだろうか。
だがこれは竜にとって致命的な失策だった。
「ヤキが回ったな。自らブレスの砲口を固定するとは」
笹緒がすかさずクリスタルダストの氷錘を放ち、それは竜の口腔内で超高熱と反応して水蒸気爆発を起こした。
一瞬視界を塞がれ、驚いて瞬きしたゲリュオンの目に映ったのは――。
「悪いわね。その目ン玉、もらってくわよ!」
大太刀を構えて跳躍した麦子の姿。
とっさに閉じられた瞼の上から、彼女の乾坤一擲が叩き込まれる。
『グアアッ!?』
目潰しは免れたものの、受けたダメージは少なくなかった。
「ここで、墜ちてもらうの」
それまで専ら回復・支援役に徹していた白兎が、手にしたフランベルジェを光り輝かせてレイジングアタックをかける。
うるさそうに前肢を振るって白兎を薙ぎ払うゲリュオン。
だが、その瞬間に生じた死角から同班の零斗とさんぽが肉薄する。
実際には白兎が攻撃する前、既に2人は遁甲の術で気配を絶ち、竜の足元まで接近していたのだ。
「息を潜めるのは影のごとく、動きは雷のごとく、攻撃するさまは、鬼のごとく――ってなぁ!」
迅雷と壁走りを併用、ドラゴンの首から頭部まで一気に駆け上がる。
「ゲリュオン、お前から見たらボク達は小さな存在かも知れない、でも僕達は確かにここにいる、護りたいものがあるんだっ」
さんぽが大太刀「蛍丸」を抜き放つ。
「ロングニンジャブレード、双忍ダブル☆ステルス!」
「新武装の封切だ‥‥遠慮せず、受けてれやぁぁぁぁ!!」
蛍丸の切っ先とパイルバンカーが、先に麦子が傷つけた片目を狙い、ほぼ同時に突き立てられた。
再び竜の悲鳴が響き渡る。
装甲のごとく分厚い瞼がボロリと剥がれ落ち、巨大な竜の眼球が剥き出しとなった。
『き、貴様ら‥‥』
憤怒に巨体を震わせるゲリュオンの視界に、「蛍丸」を携えて歩み寄る結の姿が入った。
一度は戦闘不能に陥った彼女だが、後方で治療を受け前線に戻ってきたのだ。
『何のつもりだ‥‥この死に損ないがっ』
怒りに任せて振り下ろされた竜の前肢を、大太刀を盾代わりに結の防御陣が受け止める。
その背後からもう1人の人影――ベルヴェルクが飛び出した。
既に「序曲」で練気は満たされている。
目の前には、魚眼のごとく剥き出しになったドラゴンの眼球。
ベルヴェルクは右腕を大きく振りかぶり――。
最後まで残しておいた鬼神一閃の拳撃が、巨大な目玉に肘までのめり込んだ。
硝子が砕けるような音と共に竜の眼球が破裂。
大量の体液が噴出し、地面にぶちまけられた。
『〜〜〜〜〜!!!』
意味を為さぬ獣の悲鳴を喚き散らしながらも、潰された片目を前肢で覆うドラゴンの姿は、どこか人間の戯画のようでもある。
撃退士たちは残る力を振り絞り、ここぞとばかり集中攻撃をかけた。
だがひとしきり喚いた後、ゲリュオンは暴れるでもなく、といって逃げるでもなくその場に留まっていた。
激しい攻撃を浴びて巨体の所々から鱗が剥げ落ち、剥き出しの傷口から血が流れ落ちても、そのまま巨像と化したかのように動かない。
『どうやら‥‥舐めていたのは俺の方だったな』
妙に淡々とした声が響いた後、ドラゴンの全身を血の様な赤いオーラが包んでいく。
『‥‥だが俺も大天使のサーバントだ。このうえ主の名を辱めるわけにはいかん』
「みんな退避して! 奴は自滅覚悟で何かやらかす気よ!」
凪が大声で警告し、撃退士たちは一斉に後退する。
遊夜も慌ててナイフでロープを切り、地面へ飛び降りた。
そのとき、数百m離れた山林の間から一発の照明弾が打ち上げられた。
誰が、何のために打ったものかは分からない。
しかしゲリュオンの残る片目は、その白い光を見るなり驚きに見開かれた。
『撤退命令? ‥‥どういうことだ厄蔵』
その呟きを聞き取れたのは、その場にいた撃退士のうちでも竜の近くに残っていたごく一部の者のみ。
竜の巨体を包んでいた赤いオーラが消え、変わって肩の傷口から翼を象った白い光が伸びる。
魔法で生み出した予備の「翼」で、ゲリュオンは素早く宙に舞い上がった。
『今日はここまでだ。文句のある奴は‥‥九州に来い』
それだけ言い残すと、巨大なドラゴンは京都の反対、西の空へ向けて飛び去っていく。
上空に残っていたワイバーンと蒼鴉たちもその後を追った。
「はふー‥‥頭使い過ぎて‥‥疲れたー‥‥zzZ」
前線と医療所の間の高台では、大任を果たし終えたはくあがぱたりと倒れ、そのまますやすや眠り込んでしまう。
前線の状況も同様で、精も根も尽き果てた撃退士たちは撤収準備も忘れてその場に座り込んでいた。
そんな中、光纏を解いて再び目を閉ざした朔耶は胸に手を当て、
「これで戦況が傾くといいのですが‥‥」
大規模作戦の行方を案じて呟く。
「最強クラス」とはいっても、所詮はサーバントに過ぎないドラゴンがここまでの猛威を見せ付けたのだ。
奴を創り出した天使たち――ましてや大天使ザインエルが本気を出せば、どれほどの力を発揮するのか想像もつかない。
「このデータはレポートにまとめ、後で学園と撃退庁に提出しましょう」
スマホで収集した今回のエネミーデータをチェックするグランの脳裏を、ふと微かな疑念が過ぎった。
(ゲリュオンを派遣したという九州の大天使‥‥彼の目的は、本当に京都のザインエル支援だったのでしょうか?)
それにしては、あのドラゴンの呆気ない撤退が気にかかる。
(まさか‥‥いま私がやっているように、我々撃退士の能力データを収集することが目的?)
あくまで推測に過ぎない。
グランはその考えを口には出さず、そのままスマホを懐にしまいこんだ。
<了>