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マスター:ちまだり
シナリオ形態:ショート
難易度:難しい
参加人数:8人
サポート:1人
リプレイ完成日時:2012/05/10


みんなの思い出



オープニング

『急カーブ注意!』

 自動車かバイクでもなければとても来られないような山奥の道路に、中学生くらいの少年が1人佇み、ドライバーに注意を呼びかける看板を見上げていた。
 カジュアルなシャツとズボンをラフに着こなし、両手を無造作にポケットに突っ込んでいる。
「こんな看板もあるのに、なんで同じ過ちを繰り返すかなぁ? 人間は」
 過去幾多の死亡事故が発生し、地元のドライバーからは「魔のカーブ」と呼ばれる崖上の道路。
 続いて、少年の視線は足元の路面に落された。
 急ブレーキで生じたと思われる真新しいタイヤ跡。
 それは黒々と伸び、道路の端、無惨にひしゃげ断ち切られたガードレールまで続いている。
 とっとっと‥‥
 崖の下から1匹の黒猫が駆け上って来たと見るや、少年の足元に近づき、行儀よくお座りした。
「どうだった?」
 少女のごとく端正な顔に柔らかな微笑を湛え、少年は尋ねた。
『運転手の男は既に事切れておりました。後部座席には女が1人‥‥重傷ですがまだ息はあります』
「口は利けそうかい?」
『辛うじて』
「ご苦労さま。あとは、僕が話をしてくるよ」
 少年の背中から、蝙蝠を思わせる漆黒の翼が広がる。
 ポケットに両手を突っ込んだままフワリと浮き上がると、少年の体はそのまま崖下で大破したタクシーに向けて、音もなく降下していった。

●H県〜音楽ホール
(遅いなぁ‥‥どうしたのかしら?)
 久遠ヶ原学園生徒・藤森里奈は、腕時計をちらっと見やり首を傾げた。
 その日、彼女は学園島を出て、有名ピアニスト・片山ゆかりのリサイタルを観賞するべく音楽ホールの席に着いていた。
 今日のために依頼の報酬から少しずつ貯金し、チケット代や交通費を作ったのだ。

 まだ十代の頃から数々のコンクールで優勝し、いまや24歳という若さで国際的に有名な演奏者となった不世出の天才ピアニスト、片山ゆかり。
 里奈自身も小学生時代からピアノを習い、将来はプロのピアニストを目指していたこともあり、ゆかりの大ファンであった。
 天魔の襲撃で両親を喪い、その後撃退士適性が判明したことにより久遠ヶ原学園に編入した里奈は、さすがにピアニストの夢は諦めたが、大好きなピアノは今でもクラブ活動で続けている。
 そして彼女にとって、ピアニストのゆかりが憧れの存在であることに変りはない。
 彼女の素晴らしい演奏はもちろんだが、その実力がいわゆる天賦の才だけではなく、少女時代からの血の滲むような努力によって培われていることをよく知っているからだ。
 苦しいとき、辛いとき、オーディオで聞くゆかりのピアノ演奏は、いつも里奈を励まし勇気を与えてくれた。
 撃退士となった現在に至るも彼女の心の支えとなっている。
 CDは全て揃えているものの、本人の生演奏を聴くのは初体験であり、その意味も含め今日は里奈にとって待ち焦がれた演奏会になる――はずだった。

 だが、開演時間を30分近く過ぎても、未だに幕が開く気配はない。
(片山さんはとても時間に厳しい方‥‥ましてやご自分の演奏会に遅刻するなんて、絶対あり得ないはずよ)
 ホールを埋める300名近い観客も不審に思ったのか、客席のあちこちでザワザワと声が上がり始めている。

『たいへんお待たせ致しました。タクシーが渋滞に巻き込まれて遅くなった片山ゆかりさんですが、ただいま楽屋に到着し、間もなく開演となります』

 会場に流れたアナウンスに、里奈はほっと胸をなで下ろした。
 それからさらに10分後、、スルスルと幕が上がり、ステージ上にイブニングドレスのゆかりが現れると、ホールは大きな拍手に包まれた。
 ゆかりは自らマイクを取り、道路事情により開演が遅れたことを丁寧に詫びると、改めてステージのグランドピアノに向かいあう。

 演奏が始まった。

(凄いわ‥‥CDで聴くのと全然違う!)
 初めて生で聴くゆかりのピアノ演奏は、魔法のごとく観客を魅了し、里奈もまた深く胸を打たれ、瞳に涙さえ浮かべながらピアノの音色に聞き入った。

 異変に気づいたのは、リサイタルが始まってから1時間ほどを過ぎた頃。
 一心不乱にピアノを弾き続けるゆかりの額から、何かがつーっと流れ落ちた。
 汗ではない――血だ。
「えっ‥‥!?」
 里奈は思わず声を上げていた。
 額だけではない。
 ドレスの肩口から指先にかけてドロドロと赤黒い液体が流れ出し、それは鍵盤から染み込みグランドピアノ全体を血の色に染めていく。
(な、何? どうなってるの!?)
 慌てて周囲の客席を見回す。
 奇妙なことに、騒ぎ出す観客は1人もいなかった。
 皆、うっとりと夢見心地の表情で、椅子に腰掛けたまま身じろぎもしない。
(催眠音波による金縛り――天魔!?)
 考えるより先に、撃退士として体が動いていた。
 光纏をまとい、両手に鉤爪を召喚。
 ステージ上の演奏を止めるべく、里奈は席を立って中央通路を走り出す。
 ――ザシュッ!
 背中に衝撃と激痛を覚え、阿修羅の少女は前のめりに転倒していた。

「‥‥邪魔して欲しくないんだよ」

 床に倒れたまま、辛うじて振り返ると。
 背中から漆黒の翼を広げ、刃渡り2mにも及ぶ巨大な鎌を手にした少年が、床上2mほどの空中に浮かんでいた。
「悪魔!? 何で‥‥こんな所に?」
「簡単に説明しよう。片山ゆかりは、タクシーでこの会場に向かう途中、山中の道で事故に遭った」
「あなたがやったの!?」
「違うよ。運転手の不注意から起きた交通事故さ。たまたま現場に居合わせた僕が会いに行った時、彼女にはまだ息があった‥‥もっとも両腕は複雑骨折、たとえ生還したとしても一生ピアノは弾けない体になってたろうけどね」
「それで――片山さんの魂を奪ってディアボロにしたの? そんな‥‥あんまりよ!」
「彼女が選んだことだよ? 僕はただ、こう尋ねただけさ。『救急車を呼んでピアノを弾けない体で生き延びますか? それとも魂と引き換えにピアニストであり続けることを望みますか?』ってね」
 少年、いや悪魔エルウィンは穏やかに微笑んだ。

 会場を流れるピアノの音色は相変わらず美しい。
 だが演奏する女の体は醜く溶け崩れ、半ばピアノと融合しかけていた。
 彼女が「弾いている」のではなく、ディアボロの一部と化したピアノが独りでに曲を奏でているのだ。

(とにかく‥‥学園に、報せなくちゃ‥‥!)
 背中に受けたダメージのため殆ど体は動かせないが、辛うじてスマホだけは操作できた。
「――仲間に連絡してるのかい?」
 斡旋所へ繋がったところで背後からエルウィンに声をかけられ、里奈はぎょっとした。
「別に構わないよ。いや、むしろそうするべきだね。この演奏会の最後の曲を弾き終えたとき、かつて『片山ゆかり』だった存在は完全なディアボロと化し、会場の人間を見境なく襲い始めるだろう。でもそれは君たち人間同士の問題さ。僕はさっさと退散するから」


リプレイ本文

『‥‥はい‥‥』
 スマホの向こうから、弱々しい藤森里奈の声が答えた。
「エリス・K・マクミラン(ja0016)です。いま悪魔はどうしてますか?」
 今回の依頼目的はホールの観客救出とディアボロ化した片山ゆかりの殲滅だが、同じ会場にいるエルウィンがどう動くかで、撃退士たちの作戦行動も大きく左右されることになる。
『今は‥‥席に座って片山さんの演奏を聴いてます。翼も大鎌も消えて‥‥他のお客さんと見分けがつかないほどです』
 悪魔の武器も、撃退士のヒヒイロカネ同様、自在に召喚と収納が可能らしい。
「大丈夫です。私は以前、彼と直に会ってますから。そちらに行けばすぐに分かるでしょう」
 続いてエリスが要請したのは、里奈を介してエルウィンと交渉し「ゆかりの演奏中は手を出さない代わり、こちらの行動を邪魔しない」との確約をとりつけることだった。
 しばしの間を置き、里奈からの返事。
『悪魔からの伝言です。今は演奏をじっくり聴きたい。話があるなら直接来てくれ‥‥と』

「死神エルウィン、やはり彼は変わり者の様ですね」
 いったんスマホを切り、エリスはため息をついた。
「夢か命か、問われて夢を選ぶ人間がいることは否定しないし、その気持ち自体を無碍にはできないが‥‥そもそも本来はあってはいけない選択肢だ」
 天羽 流司(ja0366)が憮然としていう。
「夢を選んで失うのが自分の命だけでなく他人の命もと分かって選んだのなら、愚かだな」
「でも事故で瀕死の重傷だったんでしょ? そんな時にいきなり話を持ちかけられて、正常な判断ができるかな‥‥?」
 首を傾げて考え込む猪狩 みなと(ja0595)。
「ヒトの命を冒涜するのも大概にして頂きたいですね‥‥」
 フェリーナ・シーグラム(ja6845)は「死神」への憤りを隠せなかった。
 一般人のゆかりが悪魔やディアボロに関してどの程度の知識を持っていたかは分からない。仮にエルウィンがディアボロ化のリスクを隠したまま契約を迫ったのなら、それは詐欺も同然ではないか?
「ふむ、悪魔か。好意を抱く、興味以上の対象だ」
 郷田 英雄(ja0378)が隻眼に不敵な笑いを浮かべた。
 彼にとって天魔、とりわけ恋人の仇である天使は憎悪の対象だ。悪魔に対しても間接的に敵意は抱いているものの、「天使と敵対する存在」としての興味もある。
 むろん天魔という存在が「敵の敵は味方」などという甘い考えの通用する相手でないことは充分承知の上だが。
(おねーさんとしては他がどうなろうが知ったことじゃないんだけどねぇ)
 妖艶なフード付き魔女服をまとったインニェラ=F=エヌムクライル(ja7000)は内心でそう思う。
「ま、任された仕事はきっちりとやるわよ」

 撃退士たちが音楽ホールのエントランスに着くと、そこにはホール関係者と警官隊が緊張した面持ちで待機していた。
 防音構造になっている扉の向こうから一切音楽は聞こえないが、警備室の監視モニターは演奏を続けるゆかりの体がグランドピアノと融合していく不気味な光景を映し続けている。
 彩・ギネヴィア・パラダイン(ja0173)はホール関係者を呼び出し幾つか確認した。
 ホールの間取りと避難経路。
 車椅子の障碍者など、避難が遅れそうな客はどれだけいるか。
 そして舞台装置の操作方法など。
 次に警官たちと観客の避難手順を一通り打ち合わせた後、撃退士たちは一瞬だけ正面ドアを開け、素早くホール内に駆け込んだ。

「‥‥綺麗な音色‥‥!」
 ステージから響くピアノの演奏を聴くなり、クレア(ja0781)が小さく感嘆の叫びを上げた。
 半ばディアボロ化した醜い姿であるにもかかわらず、ゆかりの弾くピアノのメロディはそれほどまでに美しく、聴く者の魂を魅了させずにはおかないものだった。
 フェリーナは真っ先に中央通路に倒れた里奈の許へ駆け寄った。
「もう大丈夫です、あとは我々に任せて下さい」
「ごめんなさい、何の役にも立てなくて‥‥」
 顔を上げた里奈が、泣きながら詫びる。
「そんなことありませんよ。藤森さんがいなければ、ここにいる人たちはみんなディアボロの餌食にされるところでした」
 手早く応急手当を済ませ、フェリーナは里奈の体をとりあえず会場の隅へ移した。
「あ、待って!」
 仲間たちの方へ引き返そうとした彼女を、里奈が呼び止める。
「片山さんのこと‥‥よろしくお願いします」
 里奈も撃退士だ。ディアボロ化したゆかりの命を救うのが、もはや不可能なことは分かっているのだろう。
「任せてください。必ず‥‥」
 力強く頷くと、フェリーナは踵を返した。

 何食わぬ顔で客席に腰掛けたエルウィンをエリスが発見。
 撃退士たちは戦意のない証として魔具は召喚せず、しかし油断なく少年の姿をとる悪魔を取り囲んだ。
「やあ、君とはあの病院で会ったっけ?」
「あのとき貴方は私達と事を構えず、目的を達成した後に去りました。それに貴方は無理矢理命を奪う事はせず、相手の意思と願いを聞いた上で魂を取る、そう仰っていましたよね」
「間違いないよ。『私は最後までピアニストであり続けたい』――それが片山ゆかりの選んだ願い。だから僕は彼女の魂と引き換えに、その願いを叶えてあげた」
「確かに素敵な音色ですね、だからこそ彼女の選択は‥‥」
 エリスは一瞬だけステージの方を見やり、時に切なく、時に情熱的に奏でられる美しい旋律に耳を傾けた。
「あなた達悪魔は、どこまでヒトの想いを踏みにじれば気が済むんですか‥‥!!」
 ちょうど戻ってきたフェリーナが、エルウィンを睨みつけ叫んだ。
『極力悪魔を刺激せず交渉する』これが今回の作戦方針だったが、言わずにはおれなかったのだ。
 たった今見た里奈の表情、そして悪魔に蹂躙された故郷の惨劇が脳裏に蘇り。
「踏みにじる? 心外だなあ」
 少年は特に怒る様子もなく苦笑した。
「僕はあくまで彼女の意思を尊重したつもりだよ? それに魂を抜き取るときも『人間を襲え』なんて命令はしてない」
「でも片山さんは現に‥‥!」
「彼女は生まれ持った才能に加え、少女時代から血の滲むような努力で類まれなるピアニストとなった。でもその過程で犠牲にしたモノも多かったはずだ。ピアノ以外の趣味や遊び、友達との他愛ないお喋り、それに恋――そんな彼女が人生の半ばで突然ピアノを奪われて、何の後悔もなく心穏やかに旅立てると思うかい?」
「事情は概ね分かりました」
 フェリーナと悪魔の間に割って入るように、エリスが再び口を開いた。
「ならば私たちは彼女の演奏を最後まで妨害しません。その代わり、他の観客の避難誘導、そして演奏終了後、ディアボロ化した彼女を殲滅する準備を整えますが‥‥邪魔はしないで頂けますね?」
「了解したよ。まあ、出来ればなるべく静かにやって欲しいけどね」
 かくして交渉は成立し、ディアボロ対応班、避難誘導班に分かれた撃退士たちは各々の持ち場へと散っていった。

「まぁ‥‥おねーさんこんな格好だし避難誘導は向いてないわよね。 大人しくディアボロになる片山ゆかりの方にでも行きましょうか」
 インニェラはそういうと、流司、みなとと共に壁際の通路から舞台袖へと向かった。
 エリスのみは中央通路を歩いてステージ正面へと向かう。
 これは悪魔に無防備な背中を晒すことになるが、エルウィンに対し「今交わした約束を守る」証を示すためあえて選んだ行動だ。
 一方、避難誘導班の彩とクレアは観客席左右の非常口付近に、フェリーナは後方の正面玄関前で待機。
 英雄は館内の放送室に向かった。音響機器の操作方法は事前に簡単なレクチャーを受けているので問題はない。

 撃退士たちが各自の持ち場についてから間もなく。

 ダアァ――ンッッ!!

 か細く繋がっていた理性の糸が断ち切れる音のように、激しく鍵盤が叩かれたかと思うと、ピタリと演奏が途絶えた。
 既にゆかりの体は原型を留めぬ姿でグランドピアノに呑み込まれている。
 いや、実際はゆかりの方がピアノを取り込んだといえるが。

 ――いよいよディアボロが動き出す。

「頃合ね」
 インニェラは舞台袖のボタンを押し、緞帳が下りるよう操作した。
 これはディアボロの姿を観客の目から隠し、パニック発生を防ぐのが目的だ。
 放送室の窓から緞帳が下りるのを確認した英雄はすかさず非常ベルを鳴らす。
 会場内に鳴り響くベルの音が、催眠に捕らわれた観客たちを我に返らせた。
 引き続き英雄は館内放送を流し、館内に天魔が侵入したこと、既に撃退士と警察が到着しているので、慌てず指示に従い避難するよう観客に告げた。
「天魔だって? まさか」
「でも幕が下りる時、舞台の上にちらっと妙なモノが見えたわよ?」
 そんな言葉が観客同士で囁かれ、ザワザワと騒ぎが広がっていく。
「みなさん! 大丈夫です! 落ち着いてボクについてきてくださいっ!」
 クレアが大声を張り上げた。
 明るく自信に満ちた彼女の声が、あわやパニックに陥りかけた観客を正気に戻らせる。
「皆さんこちらへ、慌てず落ち着いて移動して下さい!」
 フェリーナもよく通る冷静な声で観客に的確な指示を下す。
 可能な限り素早く、そして確実に。
 彩は最前列にある障碍者用席へと走った。
 まず車椅子の客は付き添い人に声をかけてすぐ移動させる。
 次いで高齢者や子供連れの客を見つけたら避難の手助けを。
 撃退士たちの慎重な行動が功を奏し、300名余りの観客は正面扉と左右の非常口から整然と退避して行った。

「初めましてだな、『死神』!」
 観客の避難がスムーズに進んでいるのを見計らい、英雄はマイクを通して客席に残っているはずのエルウィンに呼びかけた。
「俺は郷田、手前の存在に心奪われた男だ!」
 目の前のガラス窓をコツコツ叩く音。
「僕はエルウィン。どうぞよろしく」
 見れば、いつの間にか翼を広げ宙に浮き上がった少年が、窓のすぐ外でニコニコ笑っている。
 ガラスをすり抜けて来ないのは、彩が祖霊術を発動させたからだろう。
「楽しみなんだ、未知との遭遇に、己の限界に。でも、今は駄目だ、俺は公私を分ける男だからな。また今度、二人で食事でも行かないか?」
 眼前の悪魔と戦いたい衝動を抑えつつ、さらっと誘いをかける。
「嬉しいお誘いだけどね。あいにく君ら撃退士は僕の『仕事』の対象外なんだ」
「ふむ、フられたか。多少強引で無ければ口説けん様だ」
「まあ縁があれば、いずれその内にね」
 再び客席に舞い降りたエルウィンは翼を引っ込め、残り1/3ほどに減った観客の中に混じると、涼しい顔で彼らと一緒に会場を出て行く。
 出口方向に気を取られた観客は、誰一人悪魔の存在に気づかない。
 気づいたのは避難誘導にあたる彩だけだった。
(しかし、結末を知らないで、願いが叶ったといえるでしょうか、死神?)

 ステージ上。
「生死の境目でピアニストであり続けたいと願った貴女を誰も責められない‥‥貴女だって被害者だ」
 ウォーハンマーを構えたみなとの目の前で、ピアノ形のディアボロが演奏を再開した。
 だがそれは先ほどまでの美しい調べとは全く違う、妙に陽気で調子っぱずれなメロディ――ホンキイ・トンクだ。
 流司がスクロールから放った先制の魔法攻撃が雷のごとくディアボロを打ち、一瞬その場に釘付けとした。
 その隙をついて、みなとは素早く接近。
「それでも、その被害者を手にかける事が私たちの覚悟なんだよ」
 ハンマーが振り下ろされ、鈍い音と共にピアノを震わせた。
「悪いけど客席に行かせるわけにはいかないの。わかる? ディアボロさん」
 流司とは反対方向の舞台袖から、インニェラが魔法の光球を打ち込む。 演奏が怒ったように荒々しい旋律に変わり、スタン状態から解けると同時に怪物は音符形の光を放ってきた。
 光は刃のごとくインニェラの魔女服を裂き、彼女は痛みに顔をしかめた。
「なかなか効くわね。でも苦しみもわかるわ。だからあとでそれから解放してあげる」
 ピアノの鍵盤部分が鋭い牙と化し、くわっと大口を開く。
 だがその瞬間、ステージ正面に立つエリスが横合いから鉤爪で斬りかかった。
 3方向からの攻撃で、ディアボロをステージ上から動けないよう足止めを続ける撃退士たち。
 だが敵も音符形の殺人音楽や噛み付きを繰り出し、彼らの生命を削っていく。
 空中を滑るように突進したディアボロがエリスを弾き飛ばし、緞帳を突き破ってついに客席へと飛び出した。
 しかしそこに待ち受けていたのは、既に避難が完了しガランとなった会場と、新手の撃退士4人。
「どうしました、あなたの相手はわたくしです」
 フェリーナが構えるオートマチックの銃口が火を噴き、光纏う銃弾・スターショットがディアボロに撃ち込まれる。
「まァ、雑兵に用はない。斬り捨て御免!」
 英雄が巨体を跳躍させたかと思うや、大剣を振り下ろし、豪快な唐竹割で怪物を床面に叩き落した。
 彩はコートの裾を翻して壁を駆け上り、天井付近で壁を蹴って飛び降りざま、再び浮かび上がったディアボロに、変質させた魔具を纏わせた脚で痛烈な一撃をくわえる。
「‥‥音楽が‥‥大好きだったんだね‥‥だからと言って‥‥っ!」
 両手にトンファーを召喚したクレアが駆け寄り、舞うような動きで痛打を叩き込んだ。
 動きを止めた敵に、舞台から飛び降りた流司とインニェラが相次いで魔法攻撃を浴びせる。
 陽気に奏でられていたホンキイ・トンクの音色が哀しげなバラードに変わった。
「失うには惜しい音色ですが‥‥!」
 エリスの掌に浮かぶ錬気方陣に赤い気が集中し、それはやがて黒い焔となってディアボロを包み込んだ。
「痛いから暴れるのよね? だからおねーさんがその痛みを止めてあげる。だから逝って頂戴」
 優しく語りかけながら近づくインニェラの足元に魔方陣が浮き上がる。
 闇纏う雷の矢が立て続けに3度、撃ち込まれた。

 力尽きたようにピアノの演奏が途絶え、床に落下したディアボロは二度と動かぬ物体と化した。
「Take a break,Honky tonk women」
 彩が小声で呟く。
「貴女がこの世に残す音楽が、これからも多くの人に感動を与えるって信じてるよ‥‥」
 目に涙を浮かべ、みなとはハンマーをヒヒイロカネに戻した。

 故人に黙祷を捧げてホールを後にしようとしたフェリーナは、最後列の客席ですすり泣く里奈に気づき立ち止まった。
「‥‥片山さんが命と引き換えにしたあの演奏‥‥私、一生忘れません。でも私はピアニストじゃなく、撃退士として生きます‥‥もうこんなこと、二度と繰り返させないために‥‥!」
「藤森さんなら、できますよ‥‥きっと」
 そういって、フェリーナは少女の肩をそっと抱きしめた。

<了>


依頼結果