●久遠ヶ原島内〜夜の公園
4月も半ばを過ぎ、ここ久遠ヶ原も春爛漫の桜の季節を迎えていた。
京都では大規模作戦進行中とあって派手なライトアップこそ控えられているが、夜空には煌々と満月が輝き、満開の桜並木をより一層幻想的に照らし出している。
公園内は昼間の花見に引き続き、夜桜見物を楽しもうと学園生徒や一般人の市民も含め結構な人出で賑わっていた。
そんな中、桜を見るにはなかなかよさげな場所であるにもかかわらず、ミステリーサークルのごとくぽっかりとそこだけ人の近寄らぬスペースがあった。
「おー、あそこ空いてるじゃん♪」
手に手にビールやおつまみを抱えた大学部生のグループが近づくも――。
「‥‥」
なぜか微妙に顔を強張らせ、無言で引き返していった。
(うむ。全ては計画通り)
金鞍 馬頭鬼(
ja2735)は内心でほくそ笑む。
今の彼の服装は全身茶色のウェットスーツに馬の足、馬のマスクに桃色のアフロカツラ。
さらには両手に桃色のボンボンを持ち、昔懐かしいキャラメル箱のランナーよろしくY字を描くように両手を挙げて片足立ち。
それは近づく者みなドン引きさせるほど神々しいオーラを放つ桜‥‥いや『馬桜』のコスプレであった。
「夜桜なんて風情やわぁ」
お手製の弁当を両手に提げ、馬頭鬼が場所取りをしてくれている約束の場所へご機嫌でやってきた宇田川 千鶴(
ja1613)も、十数メートル手前で不思議空間を展開する馬桜を目撃、思わず回れ右したくなり立ち止まる。
「千鶴さん、どないしました?」
一緒にお弁当運びを手伝っていた紫ノ宮莉音(
ja6473)が不思議そうに尋ねた。
(今宵の私は完璧に桜だ・・・)
だがその感慨も長くは続かなかった。
「な、何者だ!? 怪しい、怪しすぎる!」
「気をつけろ、天魔かもしれん!」
「警備」の腕章を付けた風紀委員の生徒が2人、馬頭鬼の姿を目に留め駆け寄ってきたのだ。
1人は両腕にトンファーを召喚し身構え、もう1人は携帯で即通報。
「もしもし警備本部? 公園内にて謎の生物発見! 至急応援求む!」
「私の声が聞こえるのですね? そう、何を隠そう私がソメイヨシノの精」
マスクの下から厳かに声を発した馬桜を、風紀委員たちはぎょっとして見つめ。
「‥‥訂正する。どうやらコスプレした変態だ。今連れてくから警察呼んどいてくれ」
「一緒に来い! ったく、春になると何でこう妙なヤツばかり――」
「ちょ、まってください、場所とってただけなんです、待って! 本当に待って! 待って!」
悲痛な訴えも虚しく、屈強の撃退士2人に両腕をつかまれ連行されかける馬頭鬼。
さすがに見かねた千鶴が声をかけようとした矢先。
「あ、すいません。その人、俺たちのツレです」
ちょうど集合場所に到着した加倉 一臣(
ja5823)、夜来野 遥久(
ja6843)らが証言し、(10分ほどたっぷり説教された後)無事に馬頭鬼は解放された。
「ありがとう‥‥助かったぜ‥‥!」
友人たちの有難さが身に染みて、馬頭鬼は思わず涙する。
ただしその涙は馬マスクの口から流れ出たので何だか涎みたいに見えるが。
「いや放っておこうかとも思いましたが。このままだと、金鞍殿が何処か遠い場所へ行ってしまわれるような気がしたもので」
馬桜の姿をしっかり写メに撮りつつ、冷静な口調で遥久。
「めずにー今日は、おしゃれさんやなー」
莉音は感心したように馬桜のコスチュームをしげしげ眺めている。
夜のお出かけなど滅多にないことなので、莉音は不安と期待が入り混じった気分で内心ドキドキしていた。
●宴の始まり
まもなく集合時間を迎え、幹事役の伊勢崎那由香(jz0052)、姉の那美香を始め他の参加者たちもぼちぼちと姿を現した。
「満月の下の花見か? 風流だよな‥‥」
と神楽坂 紫苑(
ja0526)。
パンダの着ぐるみの上から、褊綴に道帽という俳人風の衣装。馬頭鬼の馬桜に負けじとばかり奇抜な扮装の下妻笹緒(
ja0544)が、月下の小道を優雅に歩いてくる。
「わぁ‥‥きれいだなあ」
夜風に吹かれ散っていく桜の花弁を見上げ、エルレーン・バルハザード(
ja0889)は感嘆の声を上げた。
「お花見ですか〜、楽しみです!」
日頃の依頼の疲れを癒すため、ちょうど息抜きに花見でも‥‥と思っていた風鳥 暦(
ja1672)にとってもいい機会だ。
「明日は日曜だし、せっかくだから参加してみるかな」
コーラの1.5Lペットボトルを片手に、若杉 英斗(
ja4230)がぶらりと現れた。
「こんな時位はゆっくり桜でも見たいで‥‥ぶへっくしょい!」
京都の最前線へ出発準備でゴタゴタのさなか、偶然見かけた夜桜にふと足を運んだ十八 九十七(
ja4233)だが、あいにく彼女は花粉症持ちであった。
「おい、大丈夫か?」
同行のラドゥ・V・アチェスタ(
ja4504)が、心配そうにポケットティッシュを差し出す。
「‥‥ありがと、あっちぇー」
「しかし桜アレルギーとは珍しいな」
「仕方ないでしょ? 体質なんだから」
ビーっと鼻をかみつつ、九十七はぼやいた。
「はじめまして。私、誘闇 師羽(
ja7595)。よろしくね!」
この機会に交流を広めようと、師羽は周囲の参加者たちに向かい、元気一杯に挨拶した。
「夜桜か。この間のサーバント退治の時は天界の夜桜だったから、きちんとこっちの桜を見ておくのも悪くはない‥‥はずなんだがな」
久遠 仁刀(
ja2464)はちょっと首を傾げて思案する。
先の依頼で敵の悪魔に翻弄された苦い記憶。
無理に忘れようとすればますます悔しさが疼く複雑な心境。
息抜きというよりは、むしろ京都の作戦前に気合を入れなおすつもりで静かに桜を眺めよう――そう心に決める仁刀だった。
●花より団子?
伊勢崎姉妹と綿谷つばさ(jz0022)がその場にブルーシートを広げると、参加者たちも思い思いに腰を下ろし、いよいよ昼間の花見とは一味違う夜桜見物が始まった。
「今宵はお誘いいただきありがとうございます」
道明寺 詩愛(
ja3388)が那由香たちに礼儀正しくお辞儀した。
満開の桜を見上げ、
「夜桜ですか‥‥私の姓も桜餅ですし、やっぱり桜はいいですね」
「そういや『道明寺』って名前の和菓子もあるねんな?」
「はい。関西風桜餅の道明寺が私の姓の由来なんですよ」
そういう詩愛の実家は老舗の和菓子屋。
本職仕込みの和菓子職人の腕を振るい、彼女は三色花見団子と桜餅(関西風の道明寺と関東風の長命寺)を重箱に詰めて持参していた。
「桜色は桜を表し春を、白は雪を表し冬の名残を、緑は新緑を表し夏の訪れを‥‥と云われているんですよ」
「月夜のお花見とは風流な‥‥しかもお団子まで」
きゅぴーん! と瞳を輝かせ、氷雨 静(
ja4221)がさっそく串をつまんでご馳走に預かる。
美味そうにほおばりながら、
「花より団子とは私のためにある言葉かもしれません‥‥」
対照的なのは紫苑だ。
彼は手土産として手作り弁当、そして桜のクッキーと桜湯を持参し、まめまめしく給仕の手伝いまでしていたが、行く先々で「ありがとう。神楽坂先輩もこれ食べませんか?」と先方からもご馳走を差し出される。
その気持ちは嬉しいのだが、元々食の細い彼のこと。既に満腹したところに「もっと食え!」と山のように食べ物を出されるとさすがに厳しい。
厳しいのではあるが、むげに断るわけにもいかず、若干引き攣り気味の笑顔でお茶を濁しつつ、隙を見て宴席から離脱した。
「あのね? 私もね、お料理持ってきたんだよ」
エルレーンがニコニコと手製の弁当を差し出す。
「たべてー、ねぇ、たべてー」
周囲の生徒たちがどれどれと覗き込むが――。
一体どうして全面卵焼き。しかも色は焦げて黒い。
みんながしり込みし、なかなか手を出す勇者は現れない。
「自分で食べたら?」
誰かのツッコミに、エルレーンは「美味しいのに‥‥」と箸で一切れつまみ、自分の口に運んだ。
「‥‥はうぅ」
生命力が減るような味に、慌てて手近にあったウーロン茶をガブ飲みするエルレーン。
「昼も良いけど俺は夜桜の方が好きだから楽しみだな」
桜木 真里(
ja5827)は持参した甘酒と菓子類を広げ、周囲の参加者たちに勧めた。
和菓子が多めだがケーキもある。
「あ、美味しそう。私も私も!」
すかさず師羽が箸を伸ばす。
「あたしももらっちゃおうかな?」
つばさはケーキを手に取りかぶりついた。
その光景を、真理はにこにこして眺めている。
「夜に舞い散る花びらって雪にも見えるよね」
自らも菓子と甘酒を賞味しつつ、真理はゆったりと月下の桜を見やった。
昔、夜に散っている花びらを雪と間違えたことがある。
それに感動して、それ以来、夜桜が好きになったのだ。
もちろん賑やかなのも大好きだ。
手にした甘酒の茶碗に一片の桜が舞い落ちたことに気づき、真理はとても嬉しそうに笑った。
「お口に合うかどうかはわからへんけれど‥‥」
千鶴もまた、同行の仲間たちのため持参した弁当の重箱を開いた。
メニューは和食中心の花見用弁当。味付けは関西風だ。
「人参サラダ、うめえ!」
先刻は場所取りのため散々な目に遭った馬頭鬼も、今はすっかり気分を直し、菜箸で料理をつまむとマスクを被ったまま器用に食べている。
「料理の腕あげたね、千鶴ちゃん」
千鶴の手料理に舌鼓を打ちつつ、一臣は今回来られなかった友人に夜桜の写メを送った。
すると間もなく返信のメールが。
『せっかくだから遥久と2ショ撮れ』
「はぁ? 何だそりゃ」
唖然とする一臣だが、断りきれず、やや引き攣った笑顔で遥久に話を振る。
「遥久‥‥一緒に写メ撮りましょ?」
「男とツーショット写メを撮る趣味は無いが」
「俺だって何故、男とツーショットェ‥‥」
一度は冷たく断られるが、依頼主が互いの共通の友人と知らされ、遥久もしぶしぶ承諾することに。
「仕方がない」
「もっと笑顔になれよ笑顔」
「こうか?」
ならばと一臣に身を寄せがっちり肩を組み、全開営業スマイルを披露する。
ピロリン♪
一臣が自分たちに向けシャッターを押し、遥久と共に写真を確認。
「‥‥」
「‥‥」
しばし無言の後、おもむろに一臣は画像を消去した。
「‥‥何が不満だ」
「俺にも耐えられる限界があんだよ‥‥」
抗議する遥久に答えつつ、思わず両手で顔を覆う一臣であった。
「お、やってるな‥‥って、なに暗くなってんだよ2人とも?」
ズーンと淀んだ空気の中へ、事情を知らない星杜 焔(
ja5378)が割って入った。
「よかったら食べないか? 他の用事で仕込んだ弁当だけど」
そういって焔が差し出したのは、桜餅長命寺と手巻き寿司。
「長命寺」には「みんな長生きしてね」との願いを込めて。
また手巻き寿司は空と桜の木を模した細工巻き。
一本を切り進めていくと切り口が朝焼けから夜更けの光景へと変化していくという、なかなか手の込んだ一品だ。
「ごちそうさん、焔ちゃん」
気分直しに手巻き寿司を箸で取る一臣。
遥久もうだうだいいつつ料理と酒を飲み食いしていたが、酒が進むうち次第に2人の気分も解れていく。
すっかり陽気になった遥久と一臣は再度いいキメ笑顔でツーショット。
ついでに他の仲間たちとも2ショを撮り、一臣は友人に写メを送信した。
同じ弁当を囲みながら、
「朧月、っていうには明るいね」
莉音が素直な感想を口にする。
ついでに自分のスマホを取り出し、お弁当や仲間たちをパシャパシャ撮影。
これは近況報告を兼ね、後で実家にメールで送るつもりだ。
(楽観できる戦況ではないけど絶対に勝って、家族とも遊びに行きたいな)
撃退士とはいえまだ13歳。家族と離れて学生寮での独り暮らしは何かと寂しい年頃である。
だから今の莉音にとっては学園の先輩たちが家族代わりのようなものだ。
(千鶴さんはお姉さん。めずにーはお兄さんやけどやんちゃな友だち。一臣さんと遥久さんのことはよう知らんけど‥‥かっこいいお兄さんて感じかな?)
グラルス・ガリアクルーズ(
ja0505)は人気の少ない穴場を選び、途中のコンビニで買った中華まんを頬張りつつのんびり夜桜の風情を味わっていた。
「この前は昼間の明るいうちに見れたけど、夜の桜もまた綺麗だな。こういうのも悪くないや」
ふいに強い夜風が桜の枝をざわざわ揺らし、夜目にも鮮やかな薄桃色の花びらが吹雪のごとく舞い踊る。
グラルスはちょっと身震いし、
「‥‥でも夜はまだ少し冷えるな。暖かいものを買ってきて正解だったかも」
やはりコンビニで買ったホットの紅茶をぐいっと飲むのだった。
「花を愛でながら酒を飲むのがいいというのに‥‥難儀な国だな。興が乗り切らぬではないか」
フィオナ・ボールドウィン(
ja2611)はワイン代わりのグレープジュースを飲みながら、ぼそりと不満を洩らした。
フィオナの母国の法律では、彼女の歳でも合法的に飲酒できるのだ。
だが悲しいかなここは日本。お酒は二十歳になってから。
また周囲の花見客の喧騒も、彼女にはいまひとつ馴染めない。
それでも綺麗な夜桜が見れるポジションを早々に陣取り、和の風情を楽しもうと努める。
「静けさが足りぬゆえ我が故郷には勝てぬが、この国の夜も悪くない」
懐かしい母国のワインの味と香りを思い出そうとするかのように、フィオナは静かに目を閉じた。
「花より団子」とはよくいったものだが、花見の楽しみ方は人それぞれだ。
「‥‥んじゃ、久しぶりにやるか」
桜の精に誘われたか、紫苑は愛用のフルートを取り出し、宴席から少し離れた場所で1人ひっそりと吹き始めるのだった。
●月に向かって歌え!
ペットボトルのコーラをグビグビやりつつ夜桜を眺めていた英斗の目に、伊勢崎姉妹が持ち込んだカラオケセットが留まった。
「これは‥‥歌ってもいいのか!?」
「遠慮なく使ってな。花見に歌はつきもんや!」
詩愛の花見団子を肴にノンアルコールビールをラッパ飲みしていた那美香が、ニカっと笑う。
ならばとマイクを取り、さっそく英斗は1曲披露。
「1番、久遠ヶ原夜桜慕情」
久遠ヶ原学園を舞台にした甘く切ない恋の歌である。
「♪まぶた閉じれば今でも浮かぶ〜、桜舞い散る夜道を遠ざかる君の背中ぁ〜、ああ〜久遠ヶ原〜夜桜ぁ〜慕情ぉ〜♪」
歌い終えるや周囲から拍手が上がり、我も我もと即興ののど自慢大会が始まった。
「あれ歌おうよ! ほら、さんぽちゃんが出演した――」
百瀬 鈴(
ja0579)が後輩の犬乃 さんぽ(
ja1272)に声をかける。
この3月、久遠ヶ原学園を舞台に撮影された特撮ヒーロー番組「学園魔法戦隊くおん☆フルーツ」。
同番組で、さんぽはヒーロー戦隊のメンバーを演じている。
「ふっふっふ、あたしもあーいうの好きなんだよね。振り付けバッチリで歌えるよっ!」
頼もしい笑顔でサムズアップする鈴。
ちょっと驚くさんぽだが、気の合う先輩からの誘いに悪い気はしない。
「よし、歌っちゃおう!」
2人はデュエットで「くおん☆フルーツ」主題歌を熱唱した。
続いてマイクを取ったのはエルレーン。
こちらは侵略者の宇宙人と超能力者たちの戦いを描く人気SFロボットアニメ「キャッチ・ザ・スカイ」の主題歌である。
「♪もっえろー そらとべー ぼくらのゆーうーしゃー なーいとふぉーげーる♪」
暦は愛用の双剣を『陰陽』を召喚し、得意の剣舞を披露した。
ただしこれはさすがにカラオケの曲目にはない。
「どなたか楽器を演奏してくださる方はいらっしゃいませんか?」
「人様に聞かせる腕前じゃねえけど、自分でよければ」
ちょうどフルートを持って引き返してきた紫苑が、控えめに挙手する。
(剣舞なら横笛の方が雰囲気か? まあいいか)
和風の旋律を意識した演奏をバックに、暦は黒朱と白蒼の双剣を操り、舞うような連続攻撃の型で剣舞を魅せる。
舞い終えるや大きな拍手があがった。
「皆様、どうもありがとうございました! 神楽坂先輩も演奏ありがとうございます!」
礼儀正しく一礼する暦。
周囲の勧めでおどおどマイクを握った静だが、実は結構歌い上手である。
歌い終えると同時に、周囲から喝采を浴びた。
静は顔を赤らめ、
「ありがとうございます。でも皆さんの方がお上手ですよ」
マイクの順番が回ってきた詩愛は日曜朝によく放送されるプリティでキュアキュアな感じのアニソンを熱唱した。
その際、撃退士の身体能力とスキル「星の輝き」のオンオフを駆使して巧みなステージ演出も行う。
舞い落ちる桜の花びらがスキルの光でキラキラと映え、参加者のみならず周囲の一般客の注目を集めた。
「よーし、私も。みんなの視線を奪っちゃえ☆」
負けじとばかり師羽は桜の木の下に飛び出すと、スキル「トワイライト」を発動。
周囲10mに及ぶ淡い光が桜並木をライトアップ、人々は歓声を上げた。
その喧騒のさなか、たまたま近くを通りかかったのは暮居 凪(
ja0503)。
バイトで出張し、ようやく久遠ヶ原に戻ってきた帰り道である。
「うん。みんな、元気ね‥‥よし、私も夜桜を見ながら帰ることにしましょうか」
仕事帰りなのでさすがに飛び込むほどの元気はなかったが。
疲れた顔も、みんなの歌声を聴くうちに自然と笑顔へと変わる。
「‥‥良い曲ね。よし、明日からも頑張りましょうか!」
カラオケから聞こえてくるメロディにあわせて、鼻歌を口ずさみつつ、夜桜を横目に寮へと帰る凪であった。
さて、歌といえば歌舞音曲ばかりとは限らない。
カラオケの賑わいをよそに、笹緒はその俳人姿に相応しく、1人夜桜を見上げつつじっと思案にくれていた。
(昼間の桜も素晴らしいが、夜こうして見る桜もまた趣があって素晴らしい。そもそもどうして桜の花はこれほどまでに、見る者の胸を打つのだろうか)
うむむと唸りつつ、ただひたすらに舞い散る桜の花弁を見つめること数分――。
突然雷に撃たれたかのようにクワっと目を見開き、懐から出した俳句用の短冊にさらさら筆を走らせた。
『桜がね ピンクなのはね 照れてるの』下妻笹緒
「‥‥人であっても植物であっても、やはり皆に見られることで美しさを磨くものだなあ」
我ながら会心の一句が詠めた――と満足げに頷く笹緒であった。
●春の夜風に吹かれて
カラオケ大会が幕を下ろすと、参加者一同の間にも何となく一段落ついた雰囲気が漂った。
あとは再び親しい仲間同士で談笑する者、のんびり夜桜を眺めてくつろぐ者と、残り時間の過ごし方も様々だ。
「さんぽちゃん、日本に来て日が浅いっていってたよね?」
ふと鈴が尋ねた。
「うん」
「よっし、あたしが桜の素晴らしさを教えたげよー!」
おもむろにさんぽの手を取り、宴席を離れて歩き出した。
少し驚くさんぽだが、先輩の誘いに素直に応じ、2人で桜の舞う公園の小道を歩く。
「ボク、日本に来るまでお花見ってしたこと無いから、嬉しくて‥‥桜って、夜景にこんなに映えるんだ」
そのとき一陣の風が吹き、再び桜吹雪が舞い散った。
「桜ってこんなに綺麗なんだ‥‥あっ、でも散っちゃう」
ちょっと残念そうに呟く年下の少年の横顔を、鈴はやや複雑な心境で見守った。
(さんぽちゃんに意中の人がいるのは知ってる。でも‥‥)
内心彼の事が気になる心を、持前の溌剌さで内に押し隠す鈴だが、夜桜のムードのためか胸の鼓動が高まるのを抑えきれない。
さんぽの方も、鈴の様子がいつもとどこか違うことに気づいていた。
日頃はボーイッシュで活発な先輩の少女が、今は妙にしっとりと女らしく見えてしまい、ついドキっとして思わず赤面する。
(桜吹雪に包まれた先輩の姿、すごく綺麗だな‥‥これも、夜の桜が見せた夢なの?)
マキナ(
ja7016)と桐生 直哉(
ja3043)が那由香の元へやってきた。
2人は旭川でサーバントの黒騎士と戦ったが、そのときオペレータとして依頼をサポートしたのが那由香だ。
「あの時はお世話になりました」
「一度お礼がいいたくってさ。もしよかったら、夜桜を見ながら一緒に食わない?」
「え? お、お礼なんて‥‥うちはただ、生徒会の委員として――」
突然の誘いに驚き、わたわた手を振る那由香の背中を、
「おっ、モテキ到来か? 隅におけへんなー」
姉の那美香が笑いながらどやしつけた。
「せっかくのお誘いやんか。人の好意は素直に受けとくもんやで?」
「紅茶を一杯どうですか? あ、サンドイッチもお好きにどうぞ」
「お、おおきに‥‥」
姉に送り出される形で席を移動した那由香が、ちょっとどぎまぎしたようにマキナの勧めでサンドイッチを一口齧る。
「美味しい。マキナさんてお料理上手やな〜」
「那由香ちゃんって絶望戦隊に入ってる‥‥よな?」
食事の最中、直哉はふと思い出したように尋ねた。
「絶望戦隊」とは公認クラブの1つで、正式名を【絶望戦隊モウダメジャー秘密基地】という。
「うん。生徒会の仕事が忙しいから、あまり顔出してへんけど」
「うっかり属性なのか? ツッコミ入れられやすいのか? どっちなんだ?」
「へ?」
一瞬、きょとんとして小首を傾げる那由香だが。
「‥‥いややな〜、それ何かの間違いや。うち、うっかりなんかしてへんもん」
笑いながらあっさり否定した。
(もしかして‥‥自覚がない?)
「えーと、でもツッコミは‥‥よく入れらてるだろ?」
「いわれてみれば‥‥」
腕組みしてしばし考え込んだ後、
「それはきっと‥‥うちの人徳や。温厚な草食女子やから、周りの人たちもツッコミやすいねん」
(そういう問題じゃねぇ――ッ!!)
とりあえず彼女のボケ属性は「天然」。
改めてそう悟る2人であった。
(美しいですね‥‥)
カラオケを堪能し、周囲から心配されるほどの量の食事を平らげた静は、改めて夜空を見上げ思った。
(本当に美しい。紛い物の私とは大違いですね‥‥)
明るく朗らかな普段の彼女の心中に存在するもう1人の「自分」。
ある意味で真の静とも呼べる別人格が、感嘆と自嘲を込めてそう語りかける。
光と影、表と裏は誰の心の裡にも存在する。
ただそれをはっきり自覚する者はそう多くないが。
焔は宴席を離れ、1人夜の桜並木を散策していた。
ふと久遠ヶ原学園へ来る前を思う。
幼い頃両親や友人たちを喪い、自身も正気を失い人に避けられ続けていた。
去年の春、そんな自分をありのまま受け入れてくれた少女がいた。
血の繋がらない家族たち――あの時間は永遠だと錯覚していた。
少女はとても次の春を待ち遠しくして‥‥。
死に往く時、己の容貌の変化にまるで春が来たようだと微笑んだ彼女を思い出す。
プレゼントの予定が形見となってしまったイヤーカフをなぞり、焔は静かに光纏した。
桜を照らす虹色の光が、まるで天国へ続く橋のようだ。
「一緒に桜を見れたなら‥‥な」
「しかし、こういう時に一緒に桜を眺める相手もいない、か」
最初から飲み食いの騒ぎには加わらず、静かに夜桜を見ていた仁刀が独りごちる。
(自分らしいといえばらしいが‥‥それを複雑に思う程度に弱ってるらしい)
そう思って苦笑いした。
京都での戦いが終わるころには、桜の時期も過ぎているだろう。
むろん見納めにする気はないが、そうなるかもしれない。
だから今のうちに。
ともあれ、ようやくふっきれた気分になり、仁刀は来るべき決戦の時へと思いを馳せるのだった。
「ほう、なかなか美しいではないか‥‥人間どもが愛でるだけの事はある」
ラドゥが感嘆の言葉を洩らした。
いや彼も人間なのだが、日頃「吸血鬼」を自称し、友人たちにも既に「そういうキャラ」として受け入れられている。
「うむ、矢張り夜は良い‥‥我輩は吸血鬼であるが故、日の出ておる内はそう来れんからな」
別に昼でも普通に出歩けるが、やっぱり夜の方が好きなのだ。
吸血鬼的に。
「ほら、あっちぇー」
宴席からドリンクをおすそ分けしてもらってきた九十七が、缶入りのトマトジュースを投げ渡す。
「ご苦労」
2人は血液ならぬトマトジュースで喉を潤しながら、芝生に腰を下ろし、しばしとりとめのない会話を交わしつつ月と桜を眺めた。
この同じ月の下、今も京都では撃退士たちと天使軍の死闘が続いている。
六枝門のうち2門を攻略し、敵のシュトラッサーたちを撤退させたものの、次なる敵はいよいよ天使そのものだ。
かつてない苦しい戦いになるだろう。
だが負けることは許されない。
絶対に。
「‥‥さて、そろそろ行きますか?」
「ああ、期待しておるぞ。存分に、奮うが良い」
立ち上がって大きく背伸びする九十七に穏やかに言いつつ、自らも腰を上げるラドゥ。
風雲急を告げる京都に血の雨を降らさんと気合を入れて、いざ出発だ。
今宵の夜桜見物に参加した他の撃退士たちも、その多くは間もなく大規模作戦の戦場へと出立するだろう。
戦い、勝利し――。
そして必ず生きて帰り、来年の春もこの久遠ヶ原で満開の桜を愛でるために。
<了>