●姉弟の家
転移装置から飛ばされ通常空間へと出たとき、撃退士たちが立っていたのは、とある街の市民公園だった。
噴水を中心とした円形の広場である。
スマホのMAPデータで確認すると、今回の目的地である中村家はここから近くの商店街を抜け、徒歩20分ほどの場所にある住宅地の一角らしい。
ディアボロに殺された両親の遺した家に、姉弟は今も暮らしているのだ。
「ハン、糞餓鬼の御守か。まぁ、新たな敵を作らないためだ、彼の復讐劇は公演中止にしてもらおうか」
中村家へと向かう道すがら、蔵九 月秋(
ja1016)は肩をすくめ、誰にいうともなく言った。
「‥‥まるでカルト宗教の勧誘。天使なだけに」
どこか人形めいた無機質な口調で、ユウ(
ja0591)が呟く。
(人間であるはずなのに人間を脅かす者達『天魔』の味方をする。許される事ではない‥‥!)
大炊御門 菫(
ja0436)の表情は固い。シュトラッサーという存在に対する強い怒りからだ。
そして今、1人の少年がそんな裏切り者の誘惑に負けようとしている。
(‥‥同じ道を行かせるわけにはいかない)
「気持ちは、まぁ分からなくもないんだがな」
やれやれ、といった風情で麻生 遊夜(
ja1838)はかぶりを振った。
「憎しみで大事なものを見落としてるな、全く世話のかかることだ」
「お姉さんのためにも宏隆さんには考え直してもらわないといけないですね」
「ええ。唆されないで欲しいのです」
少年の前途を案じ、紅葉 公(
ja2931)と御手洗 紘人(
ja2549)が話し合う。
「いきなりこんな大勢で押しかけて大丈夫なの?」
「それはご心配なく。予め千絵さんと打ち合わせて、僕らは彼女の大学生時代に『ボランティア活動で知り合った友人』ということになってますから」
フレイヤ(
ja0715)の疑問に紘人が答える。
今日はちょうど中村千絵の誕生日。表向きは、大学時代の旧友たちがお祝いをいうため集まったという形だ。
この件は、既に姉の千絵を通じて宏隆にも伝えられているだろう。
いよいよ住宅街に差し掛かる頃、月秋がふと空を見上げた。
「縁起でもないな。あんなに鴉が飛んでやがる」
たいして餌もないはずの住宅地上空に、カァカァと鳴き交わしながら5、6羽の鴉が飛び交っている。
「まさかサーバント‥‥なんてことはねえだろうな?」
遊佐 篤(
ja0628)は眉をひそめ呟いた。
「説得中に襲われたら厄介だが‥‥その時はその時だ。精々風穴を開けてやるぜ」
●力を望む少年
「まあみんな久しぶり! わざわざ来てくれて嬉しいわ」
玄関先に現れた千絵が(事前の打ち合わせ通り)旧知の友を歓迎するように喜んだ。
「お誕生日おめでとうございます。あれからどうしてるか気になって、みんなで様子を伺いに来ましたよ」
持参のプレゼントを渡し、一同を代表して紘人が挨拶する。
「‥‥いらっしゃい」
普段着で廊下に立つ少年――宏隆も、軽く会釈した。
ただし「姉の友人たち」とはいえ、突然訪れた年齢も性別もバラバラな一行を、やや警戒したような顔つきで見やっているが。
撃退士たちをリビングに招き入れ、お茶を出した千絵は、
「それじゃあ私、晩ご飯の買い物に行ってきますので‥‥宏隆、皆さんに失礼のないようにね?」
「分かってるよ、姉さん」
「あの‥‥俺、もう部屋に戻っていいですか?」
見知らぬ男女に取り囲まれ居心地が悪いのか、早々に席を立とうとする宏隆を、紘人がひきとめた。
その場で自分たちの身分を明かすと、少年の表情にあからさまな動揺が浮かぶ。
「千絵さんから、最近君が『怪しい男につきまとわれてる』と相談を受けました」
「男って‥‥シュトラッサーのことですか?」
呆気ないほど簡単に白状した。
元々嘘がつけない性格に加え、そもそも本人に人類を裏切ろうとしている自覚がないのだろう。
もはや前置きは無用。早速撃退士たちは宏隆を囲んで説得を始めた。
夜までまだ時間がある。最初の説得に加わらない者は庭に出て、万一のサーバント襲撃に備え警備に当った。
「余計なお世話だ! あんたたちには関係ないだろ!?」
宏隆の反応は、事前の予想そのままだった。
幾分かは、自らが望んでなれなかった撃退士へのジェラシーも入り交じった反発だろうが。
「宏隆さんがお姉さんを心配するように、お姉さんもあなたのことを心配してるんですよ?」
まず公が口を開く。
「宏隆さんがいなくなったら、千絵さんは本当に独りになってしまいます」
「姉さんには、今夜打ち明けるつもりだった‥‥きっと分かってくれると思う」
「危険を冒して復讐を果たしたってお姉さんは喜びませんよ。ただ憎しみの連鎖が続くだけです」
「ふうん、シュトラッサーになりたい、ねえ。 ‥‥アンタ、姉のこと捨てるのか?」
篤が宏隆を問い詰めた。普段なら年上の者に対して敬語を使う彼も、今は苛立ちを隠せず、つい語気も荒くなる。
「弟のアンタが天使の陣営に行っても、姉の居場所がこの天魔に蹂躙されてる人間社会にあると思うのか?」
「見捨てるもんか! 無事シュトラッサーになれたら、当然迎えに――」
「連れて行く? 無理に決まってんだろ。天使にとって、人間は食いもんみてえなもんだ。アンタは家畜を人間扱いなんてするのか?」
「天使は人間の味方だ! ただ、悪魔と一緒くたにして攻撃する人間がいるから‥‥」
「バカじゃねえの? 天使が人間殺すって知ってんだろ? 天使も悪魔もかわんねえんだよ。悪魔と戦える力は得るけど、その力で殺す事になるのは人間だ! アンタは誰かの大事な奴を殺すことになるんだよ!」
それだけいうと、篤はぷいっと背中を向け、警戒のため家の外に出た。
「‥‥ナカムラヒロタカ、あなたに問う」
次に進み出たのはユウ。
「‥‥天使がこの世界にきた目的は?」
「人間を悪魔から守るため‥‥じゃないのか?」
「‥‥天使に支配されるとどうなる?」
「え‥‥」
使徒とは何か?
サーバントとは何か?
サーバントの原料は?
使徒やサーバントの標的は?
畳みかけるようなユウの質問の数々に、宏隆は口をつぐんだまま答えられない。
撃退士たちにとっては周知の事実であっても、宏隆のような一般市民にとってそうとは限らないのだ。
「‥‥断言する。このままだと、あなたは必ず人を殺す。見ず知らずの誰かを、どこかの姉弟の親を、守ろうとしたはずの大切な人を」
青ざめたまま押し黙る少年に、ユウは最後の言葉を告げた。
「‥‥わたしの役目はこれで終わり。あとは自分の頭で考えるといい」
そして警備のため家を出る。
「天魔に関してはまだ判ってないことも多いし、ましてや一般人の宏隆さんが知らなくても無理はないんですが‥‥」
紘人は宏隆が答えられなかった天使の知識について、できるだけ分かりやすい言葉で説明してやったが、少年は固く口を閉ざしたままだ。
「宏隆さんにも考える時間が必要でしょうね」
「いきなり考えを変えろといっても無理でしょう。少し冷却時間をおいて、夕食の時間にもう一度説得しましょう」
公の言葉に、紘人はそういって頷いた。
大人数ということもあり、その日の夕食は千絵が鍋物を振る舞ってくれた。
ささやかな誕生パーティーの席上、彼女は撃退士たちから宏隆につきまとっているのがシュトラッサーである事実を告げられ愕然となった。
「宏隆、あんた何てことを‥‥姉さんの職場の同僚には、天使に家族を殺された人だっているのよ!?」
「違うんだ姉さん! 俺は――」
口論になりかけた姉弟の間に、紘人が割って入った。
「これは、食事の時間にお見せしたくはなかったのですが‥‥」
学園のデータベースからスマホにDLした幾つもの画像を、宏隆に見せる。
それは天使によりサーバントにされた犠牲者たち。
生きながら感情を奪われ、なおかつシュトラッサーにもなれなかった者たちの哀れな末路。
「うぐっ‥‥」
少年は吐き気を堪えるように片手で口を覆った。
「あいつに‥‥シュトラッサーに訊いてみる‥‥あんたたちの言葉が本当なのか」
「あの男と連絡が取れるのですか?」
「こちらからはできないよ。でも、今夜10時に公園で‥‥」
リビングの空気が一気に張り詰めた。
あと1日遅ければ、少年は「契約」のため天使側の占領エリアへ拉致されてしまうところだったのだ。
●公園で待つ男
時刻は午後9時半過ぎ。
公園へ向かう宏隆を護衛し、商店街まで差し掛かったところで、上空からけたたましい鳴き声、そして羽音が近づいてくる。
予め商店街の屋根伝いに移動していた月秋はその手にダガーを召喚した。
昼間に中村家の上空を飛んでいた鴉がサーバントだったのだ。
「トリガーハッピーだ、派手に逝こうぜ」
仲間たちを狙い急降下してくる鴉を狙い、矢継ぎ早にダガーを投擲する。
月秋の警告で敵の襲来を知った撃退士たちも直ちに魔具を召喚、臨戦態勢に入る。
死神のごとき光纏をまとった遊夜がピストルで掃射。
「おい、こっちだこっち!」
後衛を狙って降下した鴉の注意を大声でひきつけ、篤はリボルバーで敵の羽根を狙い撃つ。
公のスクロールから飛び出した光弾が空中でサーバントに炸裂する。
前衛の菫はショートスピアを振るい、宏隆はむろん仲間たちの盾となって敵を刺し貫く。
(誰も死なせない。守ると決めたのだから!)
ケーンから放つ魔法攻撃で鴉たちを迎撃しつつ、フレイヤは宏隆に話しかけた。
「私が思うに、あなたは今のままだと悪魔を倒す事は出来ないわ。たとえシュトラッサーになったとしてもね」
「何でだよ?」
「だってあなた、悪魔に勝てないと思ったでしょ? 勿論今の話じゃないわよ。ディアボロに襲撃された時の話」
「‥‥」
「恐いと思ったでしょう? 死にたくないと思ったでしょう? 死にたくないと思って、力を欲したんじゃない? 力があれば死なずに済むって」
「当然だろ!? だから俺は」
「撃退士適正がないと分かったら天使にほいほい近付いちゃって‥‥天使も悪魔もやっている事は大差ないのに、親の仇を討つと想い込んで自分を正当化して‥‥何でも良かったんでしょ? 自分の身さえ守る事が出来れば!」
「違う! 俺は、俺は‥‥」
宏隆は続く言葉を呑込み、フレイヤの問いから逃げるかのように駆けだした。
撃退士たちもそれに合わせて走り始める。
魔法や銃弾を避け、透過能力で建物の壁に潜りかけた鴉を、ユウが阻霊陣を使い弾き出した。
雑居ビルの屋根から飛び降りた月秋が、すかさずダガーを叩き込む。
別の鴉が矢のごとく滑空してきた。
月秋はビルの壁面を使い三角飛びの要領でかわすと、真下を通過する敵をダガーでかき切った。
「鳥風情が、猟師に勝てるかよ‥‥墜ちろ雑魚」
一行が公園内に踏み込むと、ふいに鴉たちの襲撃が止み、周囲に静寂が戻った。
カツーン‥‥。
ステッキで石畳を突く甲高い音と共に、街灯の明りの下に人影が現れた。
「聞いてませんねぇ。お友だちがご一緒とは」
灰色のフロックコートに中折れ帽。やや古風な服装を別にすれば、取り立てて特徴のない中年の紳士である。
だが撃退士たちは魔具を解除しなかった。
一見ただの人間としか思えぬ男から、サーバントと同様の、いやそれ以上に危険な気配を感じ取ったからだ。
宏隆は男に歩み寄り、これまで撃退士たちが説得した内容を繰り返した。
「教えてくれよ‥‥これってホントの話か? 嘘だろ? なぁ、嘘だと言ってくれ!」
「概ね間違いではありませんね」
能面のような無表情のまま、男はこともなげに答えた。
「‥‥騙したな」
「人聞きが悪い。あなたの知識と理解力が足りなかっただけの話でしょう?」
「畜生!」
撃退士たちが止める間もなく男に殴りかかる宏隆。
しかしその拳は男の体を素通りし、少年は無様に転倒した。
「お待ちなさい!」
そのまま立ち去ろうとした男を、フレイヤが呼び止めた。
「あなたシュトラッサー? だとしたらお名前は?」
「名乗るほどの者ではありませんが‥‥必要なら、私のことは『厄蔵』とお呼びください」
「何が目的だ‥‥何の為にお前はそうなった?」
こみ上げる怒りに肩を震わせつつ、菫が問う。
「ご覧の通り。主の言いつけで、新たな使徒の候補を捜しております」
「あら? もしかして仲間が少なくて寂しいの? ぼっちで寂しいから同じシュトラッサーが欲しいの? ははっ! とんだお子様ねあなたって!」
「他の者のことは存じません。私はただ主命に従うだけでございますから」
フレイヤの挑発にも、厄蔵は顔色ひとつ変えずに答えた。
「なめるなよ、人間を、ブレイカーを! 何時までも搾取する側だと思うな!」
ダガーを構え、月秋が吼える。
「‥‥逃がすわけにはいかない」
菫もまた短槍を握りしめた。
「無益な私闘ですが‥‥お望みとあらば」
カツーン‥‥。
ステッキを突き、厄蔵が一歩進み出た。
周囲の闇を満たす殺気が、一段と濃さを増す。
その間、ユウは素早く宏隆の側に駆け寄り、遊夜はスマホを使い密かにシュトラッサーの姿や声を記録。
「神に仕える使徒様が、俺たちみたいな虫けらに本気になりなさんなって」
一瞬即発の空気を狂わせるかのように、篤がわざと軽口を叩いた。
それを合図のように、紘人や遊夜、篤らはいきり立つ仲間たちを厄蔵から引き離す。
今回の依頼はあくまで宏隆の説得と保護なのだ。
「なぜ止める!?」
菫が叫んだ。
自分たちの力は何のためにあるのか?
いまこの場から逃げることが許されるというのか?
全身を圧する恐怖に震えながらも、彼女は抗う。
(今戦わなかったら‥‥私は私を許す事が出来ない!)
それは義務だ。
宏隆のようになりたくてなれなかった者の為に。
そして人を守る為に――。
だがそこまで覚悟を決めた少女も、
「俺はただ、誰も死なせたくないだけさ」
遊夜の言葉の前に、ただ唇を噛みしめ俯くしかなかった。
「今日のところは見逃してやる。だが、いつか必ず‥‥!」
「賢明なご判断です。では、ごきげんよう」
男は闇の奥へ立ち去り、上空を飛び交っていたサーバントの気配も消えた。
「俺‥‥姉さんに合わせる顔がないです」
撃退士たちに護衛され家路についた宏隆が、力なく項垂れていった。
「しょぼくれてんじゃないわよ! 本当に仇討ちがしたいって思うなら自分だけの力で果たしてみなさいよ! 男でしょうが!」
「守るというのは、危険からその身を守るということだけではなく、傍にいて支えるのもお姉さんを守る、ということではありませんか?」
フレイヤにどやされ、公に慰められ。
「だから、姉さんを護ってやりな。それはお前さんにしか出来ないことなんだから」
そういって、遊夜はポンと宏隆の肩を叩く。
「はは、先輩また天使の陣営行きたくなったら言ってくださいね。シメにいきます、‥‥冗談っすよ!」
篤の飛ばしたジョークに、少年は顔を上げ、ようやく少しだけ笑った。
<了>