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任務は蚊柱の討伐。子犬の救出なんて誰も頼んではいない。
しかし、撃退士たちの動きにためらいはなかった。
黒百合(
ja0422)が一団の中からいち早く飛び出す。鬼道忍軍のスキル迅雷、本来は敵に一撃を入れた後に素早く離脱する技を、救出に応用する。
元より速さに長けたその身は、木枯らしすら切り裂くように駆け抜けて、震える子犬を拾い上げる。庇う背中に刺さる、蚊柱型サーバントの気配。
「あァ、逃げるなんて癪だわァ‥‥後でしっかりお仕置きして、ぶち殺しておかないとねェ‥‥」
さすがにこの状態で戦闘に入るほど無茶はしない。しなくていい。
元いた方向に踵を返せば、黒百合に少し遅れて走り出していたサガ=リーヴァレスト(
jb0805)の姿。彼と合流し、子犬を託す。
「後はよろしくねェ」
「任せてくれ」
サガは子犬を魔装の羽織の中に隠し抱え護る。怯えないようあやしながら。
「もう大丈夫‥‥よしよし、良い子だ」
蚊柱の行動原理は単純、一番近くにいる生き物を狙う。
黒百合の動きにより、子犬らはその対象から外れた。
ゆえに。
「わんちゃんが助かりそうでよかったです‥‥ところで、えと、その、もしも蚊取り線香を使ったら、あの蚊柱、どうなるのでしょう?」
虫除けスプレーをかけながら呑気にそんなことを言ってる久遠寺 渚(
jb0685)、一行の中では蚊柱に比較的近かった彼女を狙うのは、蚊柱にとっては当然のことだった。もちろんスプレーにひるむ様子はない。
「っていうか、こっち、こっち来ないで下さい?! うわーん!」
パニックに陥りかける彼女の横で、影野 恭弥(
ja0018)がアサルトライフルの銃弾を叩き込む。迫り来る蚊柱に突き刺さるアウルの弾丸は、敵をいくらか削り取った。
「もう少し下がれば、届かないんじゃないか」
一挙動で移動から攻撃へ転じられる間合いには限度がある。事前に得た情報と豊富な経験から、恭弥は異形の敵のそれをも見切り、助言しながら自身も身を引く。
「随分と面倒な敵よねぇ‥‥取りあえず刺されたくはないわ」
「もちろんっす。刺されても知夏のクリアランスがあるのである程度は心配御無用っすけど」
共に弓を射かけた諸伏翡翠(
ja5463)と大谷 知夏(
ja0041)が下がる。だが渚は動揺してかまだ動けずにいた。
濃密に黒い蚊柱。あんなものにたかられたらどれほど刺されてどれほどかゆくなることか。いや、それ以前に相手はサーバント、命の危機だって――
「ここは私が行きましょう」
平然とした口調で言い、只野黒子(
ja0049)は渚を庇って敢えて前に出た。
相手が情報通りの能力を持つなら、この戦闘の鍵を握るのは渚たち。自分が盾になる方が効率はいい。
陰陽護符を用いて蚊柱に魔法攻撃。蚊柱の密度をまた減らすものの、ゼロにできるわけはなく、幾千幾万の蚊が群がる。シールドを構えるがすべてを防げるはずもない。
しかし、盾を掻い潜ったその多くは、黒子の身に触れる寸前で青い燐光に阻まれていた。
「あんま無茶すんなよな」
背後からウェイケル・クスペリア(
jb2316)が、ぶっきらぼうながら気遣う言葉をかけてくる。後退しつつストレイシオンを召喚していたため直接のカバーまではできなかったが、それでも蒼い竜の防護結界は黒子の受けるダメージを確かに減らしたのだ。
「ありがとうございます。‥‥すごくかゆいことは確かですが、今回は動きにくくなるほどではないですね」
早くも腫れた頬を指先で一掻きしながら黒子は現状を観察する。
「久遠寺様、下がる前に一当てしていただけると助かります」
「は、はいっ!」
渚が銃撃してから身を退く。蚊柱はその銃弾を周囲へ分散して避けるが、すぐさま再結集してまた一本の蚊柱に。
「分散はごく短時間しかできないのですね。分散したところに攻撃してさらに分散されるという心配はいらないようです」
「なら対抗策は決まりっすね!」
知夏が明るい声を上げた。
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「うーん、あの子犬は余分だなあ。救助に手を割いたら戦力ダウン、勝ててもこちらの性能が優れていたからと胸を張れないわけだしねえ」
「実戦テストってそういうものでは? 不測の事態が嫌なら、ずっと頭の中でデータを弄っていれば済む話ではないかと」
対岸で観戦中の天使メラクのぼやきに、横に立つシュトラッサーは冷淡なツッコミを入れる。
「‥‥まさかあの子犬をどうにかしようとは思ってませんよね?」
双眼鏡を覗きながらの彼女の言葉がさらに冷たくなった気がして、天使は慌ててかぶりを振った。
「いいい今さらそんなことするわけないじゃないか。君の言う通り、ままならない事態も込みでのテストなんだしね!」
「ならいいです。それに、大したハンデにはなってませんよ?」
言われ、天使は対岸へ目を凝らした。
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「蟲ちゃん、蟲ちゃん、遊びましょォ‥‥」
サガに子犬を預けた黒百合は、スキル・ニンジャヒーローを用いると、仲間から引き離す方向へ向かった。
知性の感じられない虫型サーバントにも(あるいはそれゆえか)、挑発は劇的に効き、蚊柱は進路変更。黒百合を襲わんとする。
が、微妙に届かない。
「あはァ、その辺が蟲の浅知恵って感じィ?」
敵を惹きつけつつ、高い移動力を活かして襲われない距離を保つ。これでしばらくは鼻面を曳き回して時間を稼げそうだ。
「大人しくしておくんだぞ‥‥」
子犬を抱くサガは、戦闘とは極力離れた方向へ全力で移動、子犬をそっと地面に下ろす。
「すぐ終わらせるからな。なるべくじっとしててくれ」
子犬に背を向け、戦場へ戻りながら蚊柱を観察する目は、戦う者の目に戻っていた。
「敵を誘い込んで、一網打尽にする為の陣形を組むっすよ!」
前後左右への分散は、なかなか厄介な回避手段。だが、前後左右ごとまとめて攻撃すれば?
そしてこのメンバーには、範囲攻撃の使い手が黒百合も含めて四人いる。
「黒百合様と蚊柱の移動速度から考えて、この周囲に散開すれば集中砲火を浴びせやすいかと」
「微妙な調整がいる場合は、ストレイシオンで進路を塞ぐか。そん時はすぐに召喚解除するから気にせずぶっ放してくれ」
黒子の指示した位置に皆が集まり、ウェイケルが提案する。
「この距離ならまだ届くかしら」
「大丈夫だろう」
黒百合を追う蚊柱の背(?)に、武器をリボルバーに持ち替えた翡翠や、恭弥が追撃する。後方からの銃弾は着実にダメージを与えていった。
「さてさてェ‥‥煩い蟲は処分するに限るわねェ‥‥徹底的にさァ♪」
蚊柱に追わせながら、黒百合は迅雷のスキルを影手裏剣・烈に切り替える。
「く、黒百合さん! 準備できました!」
渚の声に応じ、自陣へと引き返した。
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「あれ、行っちゃうの?」
「結果は見えたと思いますので。そもそも私がここにいるのは、救援へ向かう通り道だったからですよ?」
言いながら、女はメラクのポケットに無造作に手を突っ込んで車のキーを取り出す。
「待って待って! 向こうが迎えに来てくれるんじゃなかったっけ?」
「もう約束の時間は過ぎてますし。先方も防戦の準備に忙しくてそんな余裕はないんでしょう」
「いや、その、じゃあ僕の帰りは?」
「歩けばよいのでは? たまには活用しないと足も衰えますよ」
「ああ、もう、しょうがないなあ‥‥まあ、気をつけて」
「相手はたかが撃退士十五人です。ご心配には及びません」
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注目効果を保ったまま黒百合が仲間の元へ戻る。
蚊柱が後に続き、それぞれの範囲攻撃の射程と範囲をうまく調整したエリア――キルゾーンのど真ん中にさしかかった。
「行くっすよ!!」
知夏のコメットがまず命中! 広範囲に降り注ぐ無数の彗星がサーバントを押し潰し、動きを鈍くしていく。
「一匹残らず、どーん! ってやっちゃいます!」
渚が炸裂陣のスキルを発動、爆発が蚊柱を砕く勢いで連続する。
「だ、だから、その、早く倒れてください! 羽音だけでなんか体が痒く感じて嫌なんです!」
‥‥スキルの強力さと裏腹に、使っている本人は軽くパニック気味の模様。
「季節外れだ‥‥さっさと消えろ」
恭弥の火炎放射器から噴き出るアウルの炎が、着弾と同時に周囲に勢いよく広がる。スキル・ナパームショットは巻き込んだ蚊を片っ端から焼いていき、蚊柱は高さを目に見えて減らした。
そして。
「ほらァ、まだまだまだまだまだァ‥‥まだくたばっていないわよねェ‥‥まだ動けるわよねェ♪」
黒百合の影手裏剣・烈が蚊柱を蹂躙した。踏み込んで近距離から放つ範囲攻撃だが、この技は敵味方の識別可能。実体化した無数の影が黒百合だけを避けて飛び交い、蚊を微塵に切り刻んでいく。
蚊柱は回復を図ろうと一番近い黒百合に隣接する。しかし動きの鈍った今、カオスレートの助けがあろうと歴戦の鬼道忍軍を捕えるほどの力はない。
「蟲さんこちらァ、手の鳴る方へェ‥‥」
範囲攻撃の集約点、死と破壊の中心点近くに立ちながら、むしろそここそが己の居場所とばかりに、黒百合は軽やかに舞った。
「おら、余所見してんじゃねえよ!」
ウェイケルがストレイシオンを使役、攻撃動作が空振りに終わった直後の相手をブレスで狙い撃つ。
黒子の魔法攻撃、翡翠の物理攻撃も立て続けに襲うが、こちらは回避される。
しかし。
「遅くなった、申し訳ない」
ハイドアンドシークで接近していたサガが、大剣を構えてゴーストバレットで攻撃を仕掛ける。それはちょうど敵が再結集した瞬間!
「このタイミングでなら‥‥!」
剣が纏う紫のアウルが弾丸となり蚊柱に突き刺さる。
「コメットもういっちょ、行くっす!」
「わ、わたしも炸裂陣を!」
声がかかると同時に黒百合が背後に飛び退きつつ、もう一度影手裏剣・烈の準備。
知夏の彗星と渚のもたらす爆発で数を大きく減らした蚊柱が、もはや力なくふらふらと漂う。
もちろんそれを哀れむような黒百合ではなく。
「あら、もう終わりィ? 歯応えないわねェ」
再度の影手裏剣が、一匹残らず蚊の群体を滅ぼし尽くした。
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恭弥や黒百合が念のために付近を調べるが、蚊型のサーバントはもう一匹も見つからなかった。
「はい、これで大丈夫っすよ!」
「ありがとうございます」
黒子の軽傷とかゆみを、知夏のヒールとクリアランスが癒やす。
「わ、わんちゃん可愛いですね」
「ああ」
サガが抱き上げる子犬を渚が幸せそうに眺める。
「あ、知夏ももふもふしたいっす! 知夏は猫より犬派っすよ!」
「でも‥‥そいつ、どうすんだ?」
ウェイケルの言葉に、盛り上がっていた面々が固まる。
「捨てるわけには‥‥いかないわよね、うん、もちろん」
自身の言葉に、あるいは青ざめあるいは唇を噛む仲間たちに、翡翠は慌てて手を振った。
「そ、それで、どうなったんですか?」
戦闘終了から少し後。翡翠からもたらされたほぼ完勝に近い報告を聞きつつ、スランセは最後に持ち上がったというその問題に気を取られた。
天界の、少なくとも自分の暮らしていた周囲では、小動物を飼うという習慣がない。せいぜい忠実極まりないサーバントに雑用をさせ、あるいは愛玩していたくらいで。
だからこそ、ペットを飼うという人間の風習を最初聞いた時は不思議に思った。ままならないものを世話するとは、面倒なことなのではないかと。
しかし同時に、密かに興味も抱いていた。思うに任せない存在と常に暮らすとはどういう感じなのか。
その気持ちはかなり強い。こんな時に瞬時に想像が膨らむほどに。
――わたしの住んでるアパート、ペットを飼うのは問題ないらしいんです。
言葉が喉から出かかった時。
「検分に来た市役所の人が動物好きで、笑顔で引き取って行ったわよ」
「あ‥‥それは、よ、よかったですね!」
ほんの少しどもりながら、スランセは通話を終えた。