●一日目
(徹夜三日間‥‥お手伝いできることがあれば)
今回が斡旋所で引き受けた初依頼である美森 あやか(
jb1451)は静かに決意する。それは同様の立場であるアリシア・レーヴェシュタイン(
jb1427)とエナ(
ja3058)も同じ。
(やるからには、完成させたいですよね‥‥やっぱり)
エナは昨夜からトラブル対応をあれこれ考え、若干寝不足気味だ。
「修羅場、ねぇ」
元美術部員の虎落 九朗(
jb0008)は、コンクール間際に絵が完成してなかった時の焦燥を思い出す。
(あん時の絵、入賞にゃかすりもしなかったなあ‥‥)
苦い記憶を封じ、作画メンバーが打ち込めるように頑張りたいと思う。アニメ作画の経験はないので、料理やその他雑用担当だが。
「三日間で、か。こっちはできるだけ環境を整えないとね」
似たスタンスなのがソフィア・ヴァレッティ(
ja1133)。故郷イタリアの料理を得意としつつ、買い出しや見回りもこなすつもり。
一方、鴉乃宮 歌音(
ja0427)は自分の役割をひたすら料理に絞る。
「軍事における炊事の訓練と同等、かな」
疲労した者を支える栄養豊富な物、士気高揚を図れるくらい美味であればなお望ましかろう。
「さて今日から三日間、よろしく頼むよ」
別棟の一階リビングで作画メンバーと顔を合わせ、黒田 圭(
ja0935)が挨拶する。これから戦場を共にする仲間たち。信頼関係を築きたい。
「こちらこそ、よろしくお願いします」
野田と湯舟を筆頭に、きちんとした挨拶が返ってくる。
「これが三日間の献立だ。嫌いなものはないと思うが、要望があれば以降反映させるのでよろしく」
歌音がメニューを示すと作画班から驚きの声が上がる。
「うまそう‥‥」
「気合入ってるなあ‥‥」
葛西が唾を飲み込む横で、中込も感嘆した。
個室には猪俣と中込に入ってもらい、圭が大部屋を基本に居眠りを見張る。アリシアは歌音の調理や下ごしらえを手伝い、あやかとソフィアは今後必要な物の買い出し、エナと九朗はトラブルに備え待機。
「あ、コンビニに行くならこれをどうぞ」
エナがあやかにメモを渡す。記されているのは、やや見慣れない名の飲み物各種。
「これは?」
「近くのコンビニ数軒の、新発売の飲み物です。猪俣さんがこういう物がお好きらしくて」
「事前に作っておいたんですか? ありがとうございます、チェックしていけばダブることもないですね」
依頼を受けた昨夜の帰り道、エナは一人で作業しておいた。その努力を悟り、あやかはありがたく思う。
「長丁場ですし、エナさんも今のうち休んでおいてくださいね」
「は、はい」
エナは赤い瞳を細めて柔らかく微笑んだ。
「あちっ! でも美味い!」
葛西がアジフライにかじりついて叫び、その勢いのままご飯を頬張る。
「熱い汁物もやっぱりいいなー」
猪俣がしみじみと豚汁を啜った。
初日昼食は、アジフライと豚汁。サクサクの衣に包まれた青魚はふっくらした食感と旨味を保ち、小骨まで丁寧に抜かれ食べやすさも文句なし。具がふんだんに投入された汁は、肉も野菜も柔らかく、一方で豆腐はほどよい硬さ。そして炊き立てのご飯はつやつやと光り、食欲をそそる湯気を漂わせた。
「ごっそさん! うまかったっす!」
「ごちそうさまでした。ありがとう」
中込と野田が、ものの数分で食べ終えると、そそくさと二階へ上がって行った。猪俣と湯舟も後に続き、二度おかわりした葛西も立ち上がる。
「遠山、行くぞ」
「ご、ごめんなさい、もう少ししたら行きます‥‥」
「お前食べるのも遅いんだなあ」
悪気はなさそうな葛西の口調。しかし遠山は表情を強張らせる。
「‥‥」
食べ終えてとぼとぼと階段を昇る遠山を、アリシアはじっと見つめる。
「まだ改善の余地はあるか」
きれいに平らげられた食器を片づけつつ、歌音は呟いた。
「スイートポテトに鼈甲飴に焼き芋です、召し上がりたい方はお一つずつどうぞ」
おやつの時間。あやかが作ったお菓子を抱え、本人とアリシアが部屋を回る。小皿に小さく作り分け、作業の合間に食べやすい工夫をした。
あやかが個室に入ると、CDラジカセからアニソンが流れる中、中込が作画をしている。
「中込さんは辛いものお好きですよね、こちらいかがですか?」
角切りの焼き芋にハバネロパウダーをまぶした一品は、辛い物好きの眼鏡にかなったようだ。
一方アリシアは大部屋で遠山に話しかけた。
本来アリシア自身も気弱だ。だがそれだけに遠山にはどこかシンパシーを感じ、彼女が自信を持てるよう関わりたかった。
「あの‥‥絵、お上手、ですね」
声をかけるきっかけではあるが、その感想には偽りなどない。魔法少女の変身シーンを描くその手の動きは、当人とは正反対に力強く、紙の上に可愛らしくも凛々しい姿を産み出していた。
「え‥‥でも‥‥」
「髪のなびき方とか、凄いです。本当に風が吹いているみたい」
アニメや漫画に詳しいわけではない。目の前の絵を褒めることしかできない。
しかしその素朴な賞賛は、内気な少女の心に届いた。
「あ‥‥ありがとうございます‥‥」
不器用なやり取りはその後もしばらく続いたが、葛西が小皿を乱暴に置いた音で終わる。
「食べ終わったんで、片づけ頼んます」
「は、はい」
「それと、ここでしゃべるのはちょっと勘弁っす。気が散るんで」
「ご、ごめんなさい‥‥」
湯舟が顔をしかめ、野田は困った顔になるが、主張自体は正論だった。
夕飯はカレー。だが作画班を呼ぶよりやや早く、歌音は盛りつけを始める。
「冷めちまわないですか?」
怪訝そうな顔で手伝う九朗に肯く。
「うん、少し冷ます」
降りてきた面々は、今回もよく食べる。希望者にはあやかの作ったトンカツもついてボリューム満点だ。
昼よりも手早く食べ終えた一同を見送りながら、歌音は九朗に説明した。
「彼らは料理をじっくり味わいたいわけじゃない。短時間での食べやすさまで考慮しないとな」
そんなせわしなさの中ではあるが、アリシアは遠山と再び話していた。
「その、私‥‥アニメとかコミックとか、よく知らなくて‥‥よかったら、教えて下さいますか?」
「は、はい!」
遠山がずらずらと並べる名前を、アリシアはメモに取っていった。
「あ、夜食はどうですか? おにぎりやお餅やうどんとか色々準備できますけど」
トイレに立った湯舟に、見回りを手伝っていたあやかが問うと、湯舟は首を振る。
「これ以上食べると眠くなりそうで‥‥でもありがとう。皆さん料理が上手で、おかげで予想以上に作業がはかどってます」
「なら、よかったです」
あやかは安堵の笑みを浮かべた。
一日が経ち、ソフィアたちは完成した動画のまとめも手伝った。これをスキャンしてパソコンで着色や編集をしていく。
「野田さん132枚、湯舟さん99枚‥‥事前に聞いてたより多いね。食事がおいしかった効果ならうれしいけど」
一方、猪俣は情報通り100枚。中込の60枚は少ないが、波があるというし今後に期待か。
「葛西さんは155枚です。食事は喜んでくれてたと思いますけど、私が大部屋でしゃべってしまったから少しペースを落としてたような‥‥」
肩を落とすアリシアに圭は笑う。
「でも遠山さんの83枚って、アリシアのおかげだろう? 合計629枚。頑張っていこう」
●二日目
歌音やあやかたち料理担当は相変わらず快調。朝食のトーストやウインナーの軽い洋食も、昼食の炒飯も、おやつのアップルパイやクッキーなど(中込には、胡椒をきかせたタルトフランベ=ベーコンと玉葱のピザ)も、いずれもアニメ班の胃袋を満足させ彼らの気力を充実させていく。
さらに夕食には、ソフィアがパスタを披露した。歯応えがうれしいアルデンテに、個々人の希望を反映した各種ソースがよく絡み、美味の連発に慣れつつあるはずの一同が、今回もむさぼるように食べていく。
そんな中、見回り中心な圭とエナも地道に奮闘していた。
「あ! すんません」
「いやいや」
そっと揺り起こされて跳ねるように起きる葛西へ、圭は穏やかに返す。作画メンバーが頑張っていることは間近で見ていて百も承知。
(こちらが眠たい顔を見せるわけにはいかないよな)
最年長の意地であくびも噛み殺し、圭は足音を消して見回りに努めた。
「このCDはどうでしょう? 買い出しがてらレンタルしてきたんですが」
個室ではエナが中込に新譜を勧めて喜ばれる。事前の予習と、彼が好んで流す曲調を研究した甲斐があった。
廊下に出ると、遠山が大部屋から出てきたところ。
「どうしました?」
「動画机の蛍光灯が切れて‥‥」
「あ、予備があるはずですよ」
連れ立って物置へ。作業に支障をきたさない数分のことではあるが、エナはその間に遠山へ積極的に話しかけた。前日の夕食以降、食事のたびにアリシアと親しげにしゃべる姿を見ていたのだ。
「病院だと本を読んだりビデオを観たりしかすることがなくて‥‥体調がいい時は絵を描いてましたけど」
覚醒前は病弱だったという遠山は、その分漫画やアニメに特に詳しい。エナは予習で得た知識で応対しつつ聞き役に回り、遠山は楽しそうだった。
深夜、見回りの担当は圭だった。ソフィアが作ったピッツァを夜食に配って回り、個室へ向かう。
大部屋に詰め、個室を回るのは一〜二時間に一回。ここまではそれでうまくいっていたが。
「い、猪俣くん」
「あ‥‥やばい」
どんな状況でも一定のペースで描き続ける。それが売りの猪俣が、動画机に突っ伏して眠りこけていた。
「もしかして‥‥」
隣の部屋に駆け込むと、アニソンが流れる中で中込も睡魔に囚われている。
「しまった!」
「野田さん、湯舟さんは変わらずですね」
「猪俣くん96枚、中込くん58枚は俺の責任だなあ。疲れの蓄積も考えるべきだった」
「でも一時間ほどしか寝てませんし、見回りの頻度を上げれば済む話ですよ」
あやかが圭を慰める。
「葛西さんは165枚、遠山さんはさらに伸ばして99枚で、今日の合計649枚。1500枚は大丈夫そうですね」
「ここまで来たら2000枚、越えて欲しいなあ」
●三日目
撃退士は強靭だ。回復力もあるから、腱鞘炎など恐れずに何十時間も絵を描き続けられる。
だが眠気を消し去れるほど強くはない。
手伝いに来た圭たちは交代で仮眠を取れる。焼鮭など和風の朝食を終えた今は、あやかやエナらが寝ている。しかし作画班はそうはいかない。
一番深刻なのは、事前に湯舟が警告した葛西だった。
「葛西くん」
「う、うう‥‥」
圭が揺り起こすと、恨めしげな眼で睨まれる。
絵を描く葛西の手つきはしっかりしているし、雑な線で妥協などせず修正する。絵を描くのがひたすら好きだということはこの三日で圭もよく理解した。
それでも、創作意欲と眠気は別物なのだ。
(そろそろ、かな)
圭は一階へ降り、買い出しに行こうとしていたソフィアを止め、そちらは歌音に代わってもらった。
九朗に声をかけ、ともに二階へ。
大部屋に戻ると、憔悴した顔で立ち上がりこちらへ向かおうとした葛西と目が合った。
すると少年は方向転換、ベランダへの窓を開け、すぐさま飛び降りる!
「ソフィア!」
「了解!」
圭が下を見れば、待機していたソフィアの異界の呼び手で拘束された葛西の姿。そして、圭の横を通り、湯舟が飛び降りる。
「寝なさい!」
阿修羅による鳩尾への一撃を受け、昏倒する葛西。
「ありがとうございます。四時間ほどすれば復帰できるかと」
葛西を肩に担いで屋内に入る湯舟が、居合わせたアリシアに声をかける。
「よければ、もっと遠山と話してもらえます?」
「これは二度目の変身シーンなんですけど、この時主役の女の子は、最初の変身とは違って強敵との戦いを控えてるんです。その覚悟と決意を表情に漲らせたくて‥‥」
最低限の目標1500枚は昼過ぎに超えた。追加で描き足すシーンを野田と湯舟が指定し、遠山らがそれに取り掛かる。
遠山は、アリシアとエナに自分の描いているシーンを説明しながら手を動かす。一昨日に比べてその動きは早い。手馴れてきた上にのびのびしている。
「何だか、夢みたいです。自分がこうして一日に何十枚も絵を描けるようになるなんて、しかもそれがアニメになるなんて、昔は思ってもいなかったから」
「はい」
最初に会った時より明るくなったことを喜びつつ、アリシアは相槌を打つ。
「このシーンって、あのアニメを踏まえたんですか?」
遠山が野田に問う名は、アリシアもエナも知らない。それどころか、野田すら観ていなかった。
「‥‥お前、やたら詳しいからな」
ソファで寝ていた葛西が、少し気まずくなった場の空気を破るように起き上がった。
「あ‥‥」
縮こまる遠山へ、葛西は動画机に向かいながら口を開く。
「別に悪かねーんだよ。俺たちもアニメは好きだけど、遠山ほど詳しくなくて‥‥‥‥だから、俺、自分が先輩面できる作画枚数の多さで威張ろうとしてた。ごめん!」
絵を描きつつ、しかし大声での謝罪。
「話、しててもいいよ。遠山のあんな楽しそうな声、初めて聞いた。ありがと」
アリシアたちに言い、葛西は一心不乱に鉛筆を動かし始めた。
鍋やシチューの夕食を終え、ラストスパート。
猪俣はひたすら安定したペースで。三日目になって大爆発した中込は驚くほどの勢いで。野田は丁寧に速く。湯舟は画力の影響が出にくい場面を率先して。葛西は遅れを取り戻すようにがむしゃらに。遠山は難しいシーンをアリシアたちと会話しながら楽しげに。
九朗は部屋をこまめに往復しつつ作画メンバーの仕事を眺める。
明日考えていることがあり、「頑張って終わらせろ。そうすればきっといいことがある」などと言うつもりでいた。が、ニンジンなど必要ない。
満足のいく形での完成こそが、彼らにとっては一番の褒美なのだから。
●
午前九時。一同は野田と湯舟を手伝い完成枚数を数える。猪俣らは誰憚ることなく眠りに就いていた。
「野田さん湯舟さんは変わらず。猪俣さんは100枚。中込さんは‥‥凄いですね、240枚!」
「葛西くんは四時間寝たけど138枚か。遠山さんは今日も伸びて116枚」
「ええと、今日は825枚で、三日間で‥‥2103枚!」
「ありがとうございます、本当に‥‥!」
「遠山のことも、感謝します」
仕上げ班に原稿を託すと、作画メンバーを代表する二人は七人に礼を言う。疲れきり、しかしやり遂げた者の顔だった。
「この後用事はないですよね?」
あやかの確認に、二人は当然首を振る。
「なら、皆さんここで休んでてくれませんか? 打ち上げしたいんです」
ソフィアが明るく言うのを聞きつつ、返事も待たず九朗は出発する。資金は七人で報酬を出し合い、目指すは精肉店。
スープやご飯やパンは歌音たちがうまくやる。アリシアもドイツ料理を遠山にご馳走したいと乗り気だ。
そしてメインは、自分が焼くステーキ!
「待ってろよ‥‥」
九朗ははりきって駆け出した。