●倉庫防衛の下準備
「えっさ、ほいさ、えっさ、ほいさ」
「よいしょ、よいしょ」
朝陽の下、小柄な少女とポニーテールの活発そうな少女が、空き地で穴を掘っている。大谷 知夏(
ja0041)と武田 美月(
ja4394)だ。
マルズークが伝えた、サーバントが襲撃する予定のコーヒー牛乳工場。その隣にある広い空き地に六人の撃退士たちが散って罠を仕掛けている。知夏と美月は大きなスコップを豪快に振るい、工場からなるべく離れた地点で大きな穴を掘っては、掘り出した土を小山のごとく盛り上げる。
空き地と工場敷地を隔てるフェンスには、桐生 直哉(
ja3043)が鋼糸の罠を張っていた。フェンスから敵が目標とする冷蔵倉庫の壁までは五メートル。ここを最終防衛線としたい。
「バリケードというにはちょっと物足りないしなあ」
倉庫とフェンスの間に廃材や大きな粗大ゴミ等を並べたのだが、倉庫は大きく、数十メートルに渡る長さをカバーするには量が足りない。
「そりゃ私もプロですから、仕事なら何でもやりますけど」
知夏たちと同様にスコップを用いながら、ハーヴェスター(
ja8295)はぼやく。
「撃退庁に無許可で天使側の依頼受けるって、割とヤバい橋渡ってる気がします、ええ」
今回の件に関しては貴重な情報源だが、相手は天使に仕えるシュトラッサー。後々何か面倒なことにならないか、今から頭が痛い。
「僕は彼みたいに個性が強いタイプは好きだよ、天使だろうが悪魔だろうがね」
対照的に、ビニールシートと土で穴を隠す刑部 依里(
jb0969)は愉快そうだ。
●防衛戦、苦闘の末に
数時間後、サーバントが空き地に現れた。
三メートルほどの大きさの、ホルスタイン柄のミノタウロス。だが三体の上半身を生やし、下半身は八本の蜘蛛のような脚で構成された異形。それぞれの右手に槍や斧や牛刀、左手にはいずれも槌を持ち、腹の前にはクーラーボックスを提げている。ボックスは売り子のようにベルトで首や肩に固定していた。いずれもマルズークのメモ通りだ。
いち早く気づいたのは、倉庫の屋上から空き地を見張っていた小松 菜花(
jb0728)。仲間に連絡を入れつつ、すべきことを始める。
「高速召喚術式、展開。‥‥ヒリュウ頑張れ‥‥なの」
朱色の小さな竜が虚空から現れる。菜花はその全身にコーヒー牛乳を掛け、紙パックを持たせた。
「空爆開始なの‥‥」
屋根から滑空したヒリュウはサーバントに接近、パックを爆弾のごとく投下し、相手の嗅覚の攪乱を図る。それと嫌がらせ。
「そら、遠慮なく飲むといい。主人の好みを知るのも、下僕の役目だろう?」
もう一人、同じことを考えていた依里も紙パックを思いっきり顔面めがけて投擲した。
それぞれ別の顔に命中して弾けるコーヒー牛乳。だが牛頭は巨大な舌でべろりと自身の顔を舐め回すと、何やら嬉しげに身を躍らせる。
「‥‥喜ばせるだけだったの」
ヒリュウと視覚を共有する菜花は唇を噛んだ。
サーバントは走り寄る地上の五人を無視し周囲をきょろきょろと見渡す。
そして少し離れた地点に置かれたコーヒー牛乳の未開封パックに無造作に近寄り。
あっさり落とし穴に引っかかった。
「あ、頭悪い?」
一番近かった美月が十字槍で突きかかる。ハーヴェスターが素早く間合いを詰め、白銀色の糸で襲う。
「泥棒にはお帰り願うまでです‥‥って、うわぁ、この子間近で見るとすごく‥‥きもいです‥‥」
穴から這い上がろうとわさわさ動く蜘蛛の脚に引いてしまう自称スパイ。いや、スパイでもこれに引くのは無理もない。
「お二人ともちょっと退くっす!」
知夏の声に飛び退く二人。その直後、サーバントを中心に降り注ぐ無数の彗星!
魔法でダメージを受け動きも鈍った敵に、闘気を解放した直哉が飛びかかり立て続けに蹴りを入れる。レガースで武装した蹴りの連打は、武器を持つ手や胸板や顔面を確かに捉えた。
「手応えはあるのになあ‥‥」
斧を振るわれ、一旦離れた直哉が呟く。
ダメージは入る。しかし弱った様子はまだ見せない。
「クーラーボックスもやたら頑丈ですね。メモにあった通り」
敵の目的はコーヒー牛乳の強奪。その運搬手段を狙ったハーヴェスターだが、破壊は困難そうと思わせる硬さだった。
「長期戦になりそうっすねー」
「まあ、つけ込む隙はたっぷりありそうだ」
依里が指し示す先には、無事だった紙パックをクーラーボックスへ丁寧にしまい込むサーバントの姿。次のパックを目指しては、また落とし穴にかかっている。
「ストレイシオン。基本は直哉たちの防御だが、攻撃も頼むよ」
依里が呼び出すは、二メートル以上の巨体を有する青き竜。と同時に、直哉やハーヴェスター、美月や知夏の全身を防御効果のある青い光が包む。
相棒に戦線維持を任せ、当人は煙草に火をつけるとコーヒー牛乳を十本ほど入れた袋を手に距離を取った。
「重武装多脚戦車‥‥そんな感じ‥‥山岳、野戦用として使える‥‥けど、戦車は戦車なの」
コーヒー牛乳の匂いを振りまくヒリュウを囮に、菜花は空から敵を翻弄しにかかる。
京都で天使に両親を殺された少女にとって、今回の依頼は複雑だ。敵は天使が操る奉仕種族。だが依頼主はその天使に近しい使徒。
ひとまず今は、天使の企ての邪魔に楽しみを見出す。
「敵の数は少ないし‥‥遠距離戦闘の訓練‥‥するの。ヒリュウ‥‥ブレス、なの」
槍も届かぬ上空から攻められるミノタウロスが苦しげにもがく様を見て、菜花は笑う。
「ヒリュウが相手してくれてるうちに、一番怪我の酷い直哉さん、ヒール行くっすよー!」
「うん、よろしく」
知夏が前線を支える一同の負った傷を順次癒やしていく。メンバーの回復役として、知夏は大車輪の活躍だ。
「今度は、あっちにしよう!」
美月が次に使えそうな落とし穴の位置を示し、全員で走る。依里が新たに置いた紙パックへヒリュウから解放された敵が直進し、罠にはまったところを袋叩きにする。最初は罪悪感を覚えないでもない戦法だったが、繰り返しても繰り返しても倒れないサーバントのタフさに、もうなりふり構っていられない。
「ほら、まだコーヒー牛乳はあっちにあるよ!」
匂いがより濃いのか、すぐ倉庫の方へ向かいそうになる牛頭へ、十字槍から持ち替えた聖なるリングでフォースを発射。吹き飛ばして数メートル後退させる。目につくように依里が次の紙パックを置く。すでに空いている落とし穴を迂回する敵。
「そー簡単にはいきませんよぅ」
小山の傍を通り過ぎる瞬間、遁甲の術を使っていたハーヴェスターが斬りつけ、認識を阻害させる靄を発生させた。状態異常は効きやすく、今回も相手は狼狽している。
「もういっちょコメットやってみるっす!」
知夏の声に一時撤退。再び降り注ぐ彗星の雨。重圧がさらに動きを鈍らせる。
「ストレイシオン、本日最後の一働き、頼むよ」
三度目の召喚をしつつ依里が励ます。
「‥‥高速術式展開。再召喚、ヒリュウ‥‥出撃」
菜花も時間切れになったヒリュウを再び呼び出す。
空舞う朱き竜と、地に立つ蒼き竜。二体のブレスが別方向からサーバントを襲う。
「これだけやっても倒れないし壊れないってほんとに厄介‥‥あれっ?」
十字槍で上半身に斬りつけた美月の手に、それまでと違う感触。
見ればクーラーボックスを吊るベルトが切れて、目の前の上半身は両手の武器も捨てて箱を抱えている。
「ベルトは切れるみたい!」
「なら、動きを止めるよ」
飛び込んだ直哉が、全体重を乗せた薙ぎ払うような蹴りを顔面に決める。三つの頭がぶつかり合い、見事にそれらの意識を刈り取った。
「お膳立てしてくれたらやるしかないですねぇ」
敵の動きが止まった今なら造作もない。ハーヴェスターの振るった糸は魔法やブレスで脆くなっていたベルトを易々と断ち切る。落ちた箱がずしんと地面を震わせる。
「ヒリュウ、懐に飛び込むの‥‥」
菜花のヒリュウが三個目のベルトを断つ。
「ならこれは、こうするっすかね」
知夏が落ちた箱を落とし穴へ放り込んだ。依里もストレイシオンにもう一個を捨てさせ、太い尾で小山を崩し穴を埋めてしまう。
「主の要求を果たすには箱一つでは足りなさそうという話だが‥‥さて、主命との矛盾に彼はどんな解答を出すかな?」
依里が眺める間にも直哉や美月に攻撃を叩き込まれているサーバントが、ついに意識を取り戻す。
知らぬ間に大事な箱を二つも失くした奉仕種族は、フリーズしたようにまた動きを止めた。
しばしの沈黙の後。
眼前の直哉とその後ろにいた知夏を弾き飛ばし、倉庫に向かって猛然と進み出す!
「ダメ! あなたの相手は私だよ!」
美月が倉庫との間に立ち塞がり意識を惹こうとするが、相手は目もくれずに迂回。
「残った箱に詰めるだけ詰めて撤退という腹か」
依里の竜も行く手を阻むが、敵はそれ以上の巨体。押し込まれ、斧や槌の攻撃で削られていく。
「ええい、人間様の飲み物に手を出すのはおやめなさい!」
ハーヴェスターのアサルトライフルが、箱を持つ牛頭を吹き飛ばす。しかし他の頭が残っているせいか、箱を持つ手は緩まない。
「ヒリュウ、足回りを‥‥くっ」
ブレスを使い果たした菜花が、ヒリュウを近接戦に投入。だが事前情報通り硬い脚は小竜の牙を弾き、槍の柄に殴られた痛みは菜花にも伝わる。
止まらぬ歩みはもうフェンスへ届きそうだ。
「これはなかなかきついっすね‥‥倉庫が壊される前に何とかしたいっすけど‥‥」
知夏が戦況を見て呟くと、ヒールで癒やされていた直哉が駆け出した。
「みんな、そいつから少し離れて!」
叫び、縮地でサーバントに追いすがり、追い抜く。
伸ばした手の先にあるのはフェンスに張っておいた鋼糸、それを活性化。網のように広がる糸はアウルの力を得ると敵の全身を絡め取り、動きを止めて肉を引き裂く!
「ここで決めよう!」
美月の十字槍が、ハーヴェスターの飛燕翔扇が、ストレイシオンの牙が、ヒリュウの爪が、満身創痍だったサーバントに殺到し、ついに奉仕種族は動きを止めた。
●シュトラッサーと撃退士の昼下がり
「いやー、一仕事終えた後のコーヒー牛乳は格別っすね♪」
工場からの帰り道をそぞろ歩く撃退士たち。お礼にと頂戴したコーヒー牛乳は一人に一本配ってもまだ余り、それをコーヒー牛乳好きな知夏が幸せそうにラッパ飲みしている。
「お疲れ様でした。最悪の場合は私が覆面撃退士を装って助太刀するつもりでしたが、鮮やかな手際です」
人目につかない林にさしかかったところで、マルズークが現れた。
「追加報酬は午前中に払わせていただきました。後ほど確認をお願いします」
「ああ、今回はもう振り込まれてますね。『安い』が『やや安い』になるくらいの増額ですけど」
携帯端末で確認したハーヴェスターが苦笑する。
「埋め合わせには程遠いですが、後はこれでご勘弁を」
使徒は前日と同じように、甘い缶コーヒーを一本ずつ手渡す。
「アミーラちゃんがコーヒー牛乳好きになったのって、マルズークさんの影響っすか?」
知夏の疑問に、「かもしれません」とマルズークは応じる。そんな彼に、直哉は気になっていたことを訊ねた。
「‥‥アミーラって子が受けてる悪影響、よかったらもう少し詳しく聞かせてくれませんか?」
「何が悪かは立場によって違います。天界の多数派にとっては、人の文化や習俗に触れさせ、人間めいた感情や欲求が芽生えることも良しとしたマタル様や私こそが、アミーラ様に悪影響なのかもしれません」
そんな前置きをして、マルズークは語る。
「天界の内部では厳格な秩序が保たれています。アミーラ様もその体制へ従順に従う、天界では品行方正なお方」
「はっ」
思わず菜花が失笑を漏らす。マルズークは「お笑いになるのはごもっとも」と笑みを返す。
「今この世界で天使がしていることと言えば、悪魔にも負けず劣らずの放埓な人狩り。なのに多数派がそれを批判することはありません。彼らにとって、人とは秩序の外にいる存在。ゆえに何をしても構わない。幼いアミーラ様は、天界のそんな空気に影響されたのです」
「でも、もしこんなことがうまくいってメーカーさんが潰れちゃったら、コーヒー牛乳が飲めなくなってその子も困るでしょ?」
美月が当然の疑問を口にする。
「そうした点を、今回の件を機によく教えて差し上げるつもりです。人もまた天界の者と大差ない、秩序の中に生きる存在。力で理不尽に屈服させられるほど弱くも愚かでもない、尊敬に値する者なのだ、と」
「君と君の主様は、そんな多数派に内部から挑むレジスタンスってところかな?」
依里のどこか楽しげな問い。シュトラッサーは穏やかに首を振る。
「それほど大層なものではありません。堕天する気概もなく、組織の歯車に甘んじているわけですから」
「でもその歯車は、肝心なところで誤作動を起こしたりする」
「かもしれません」
微笑みに、依里は手を叩いた。
「二百年も仕えてるだけあって、優秀そうだねぇ。世渡りが上手そうだ」
「色々教えてくれて、ありがとう」
「これは‥‥」
直哉がおやつのつもりで買っていたバナナオレを差し出すと、マルズークは目を丸くする。
「お土産代わりにどうかな? 余計なお世話かもしれないけど」
その子の気持ちに変化があればと思う。悪いことをしたと反省してくれれば一番いい。でも相手が幼い子であるなら、叱られた後にいいことが一つくらいあってもいいんじゃないかとも思うのだ。
「その子も、何もないのは寂しいと思うしさ‥‥よかったら持って行って下さい。これも甘くて美味いですよ」
「‥‥ありがとうございます。アミーラ様に、必ずお渡しします」
マルズークは、恭しいと呼べそうなほど丁寧に、直哉から飲み物を受け取った。
「今度はバナナオレの工場を襲うのは勘弁ですよ」
ハーヴェスターの突っ込みに、天使の使徒と人間の撃退士は笑い合う。
「どうなさいました?」
使徒に問われ、美月は自分が涙を一粒こぼしていることに気づく。
「あ、あれ? 何でかよくわかんないけど‥‥」
自分でも戸惑いながら、美月は今の気持ちを言葉にしようと努める。
「人間のことを気にしてくれてる天使がいるってことが‥‥」
天魔は敵だ。だが、こうして話の通じる相手もいる。
今の世界の状況がそう簡単に良くなるとは思えないけど。
これだけはマルズークに伝えておきたかった。
「すっごく嬉しいの」
美月ほど、菜花は無邪気になれない。最前から苦々しい思いで場に加わっている。
「菜花ちゃん、元気ないっすよ? 傷が痛むっすか?」
「何でもないの」
親しげに接してくる知夏にも素っ気なくしてしまう。
「まだコーヒー牛乳の余りあるっすよ。どうぞっす!」
半ば強引に手渡された紙パック。開封までされては飲むしかない。
天使が、人間と同じように好むコーヒー牛乳。
その柔らかい甘さは、胸の奥まで染み通るようだった。