●大意信八蓮聖覇開幕! 炎の中の死闘!
「あたいが賀原塾筆頭、雪室 チルル(
ja0220)よ!」
ブレザー姿の小さい少女は、久遠塾の面々に向かって堂々と宣言した。頭にはウシャンカをかぶっていて、名前も相まって雪国的なイメージを醸し出している。
久遠塾筆頭と握手をするのを、賀原塾側が止めるでもない。どうやら本当に、彼女が賀原塾の学生たちのトップであるらしい。
「雪室……聞いたことがあります」
久遠塾側で、雫(
ja1894)が小さく呟いた。釣られてスランセが問う。
「知っておるのか雫」
チルルよりさらに小さい少女は、こくりと肯く。
「最強たることを目指し、全国各地の武術大会を渡り歩く少女がいると。北の出身らしく、特に北方各地で猛威を振るい、開始三十秒で他の参加者を全員戦闘不能にしたこともあるとか」
白銀の長い髪がかすかにわななくのをスランセは目にした。恐怖? いや、恐らくは武者震いであろう。
「その名こそ、雪室チルル……! まさか賀原塾に入っていたとは」
「雫ねーちゃんは物知りじゃなあ」
解説を否定するでもなく胸を張り気味に聞いていたチルルだが、ファズラの発した名に眉をひそめる。
「雫……? 聞いたことがあるわね。ベリンガム退治に一役買ったという話だけど」
久遠塾と神界学園との決戦時。難攻不落の要塞に改造した時計塔に立てこもっていたベリンガムを引きずり下ろす上で、雫のとある案が多大な効果を上げていた。
「雫は久遠塾きっての才媛じゃからのう」
「九九の時間に七の段をつっかえずに言えるのは雫ねーちゃんぐらいじゃ!」
ファズラたちの自慢に、なぜか賀原塾の塾生はやや引いているようだった。九九の時間になると不思議とサボったり居眠りしたりしている一部の久遠塾塾生も目を逸らす。
それら周囲の反応を無視し、二人の少女は言葉を交わす。
「あんたとは一度戦ってみたいと思っていたわ!」
「縁があれば、お願いします」
しかし、チルルは賀原塾筆頭として大将戦に出るだろう。そして雫は副将だ。戦いはまた別の機会になりそうだった。
*
「それにしても不気味な場所じゃのう」
久遠塾は茨城県沖の孤島に設立されている。島中央の活火山からは時折噴煙が吹き上がる。
大意信八蓮聖覇に参加あるいはそれを観戦する一行は、久遠塾やその周辺施設が存し比較的開発されている沿岸部から離れ、自然豊かな島の中央部へ足を踏み入れていた。
かつて繰り広げられた狂羅打威死強殺(きょうらだいしきょうさつ)の闘場へ向かう道とはまた別のルート。しかし歩を進めるたびに感じる。この先に足を踏み入れるのは危険だと、本能が全力で警鐘を鳴らしている。
と、いきなり声がする。
「不気味なのはやむを得ないところですね。ここから先は地獄(ゲヘナ)。本来生者が来るべき場所ではありません」
「ヒイィッ!!」
ファズラが悲鳴を上げて、近くにいる雫にしがみついた。
彼女が怯えたのも無理はない。久遠塾と賀原塾、それぞれを代表するつわものたちが数多その場に居合わせながら、声を発したものの気配にその瞬間まで気づけなかったのだから。
いや、それは正確な説明でもない。
「敵意はないからほっといたけど、やっと出たわね」
「察するに、立会人のような役目でしょうか」
驚く様子も見せず、チルルと雫は対応していた。他にも数人、冷静な者はいる。
「何人かの方々は驚かせてしまいまして申し訳ございません。わたくしはこの度の大意信八蓮聖覇の案内人兼審判を務めますマルズーク。よろしくお願いいたします」
どこからともなく現れたのは、白いスーツに身を包んだアラブ系の男性。流暢かつ穏やかな日本語で話す。
「さあ、参りましょう」
*
先頭に立ったマルズークだが、よく足を止め、思案に耽る素振りをする。
「おっちゃん、案内人なのに道がわからんのか?」
ずけずけと問うファズラにも、謎のアラブ人は穏和に応じた。
「大意信八蓮聖覇は、非常に珍しく尊い儀式。神の啓示か御仏の導きか、その闘場への道はしばしば変わり、思いもよらぬ成り行きを見せるのです」
「はー、大したもんじゃのう」
「ファズラ、おちょくられとるだけじゃ。滅多にないイベントだからルートの手入れもろくにされず行き当たりばったりになるというだけじゃろ」
スランセの言葉には答えず、マルズークは立ち止まる。
「第一の闘場はここといたしましょう。王舎城」
鬱蒼とした森の中、なかなか豪奢な木造の建物が建っている。その周囲だけは、木々はおろか草の一本までも生えておらず、入念に手入れされているとわかった。
建物の壁面は四方とも大きく窓を取ってあり、むしろ巨大な四阿に近い造りであった。これなら観戦も容易である。
「各校代表者、中へ」
「わしが行く!」
久遠塾からは、鐘田将太郎(
ja0114)が意気揚々と進み出た。
服装は、長い学ランにボロい学帽、腹にさらしを巻いている。久遠塾塾生の典型を凝縮したような出で立ちだ。
唯一異彩を放つのは、得物の大鎌。
「久遠塾の切り込み隊長じゃな」
神界学園戦においても、地雷原へ臆することなく真っ先に踏み込んだ将太郎は、多大な功績を挙げていた。
「将太郎のあんちゃん、がんばれー!」
「おう!!」
ファズラらの声援に気さくに答え、建物に入る。
「では、始めましょう」
言いながら、マルズークはマッチに火を点けると建物に放った。
瞬時に火は燃え広がり、建物全体を包む! さらに窓に当たる部分には、上から油でもしたたり落ちているのか、炎が絶え間なく降り注ぎ、とても脱出はできない。
「な、何じゃありゃあ!?」
「この建物は数分間で燃え落ち、最後には建物中央へ向けて崩落するよう、計算されて建てられています。早々に決着をつけるが肝要かと」
「無茶苦茶じゃ!」
今さらなことを言うファズラ。
だが将太郎自身は落ち着き払い、建物に煙草を当てると一服した。
「火には困らんのぅ」
これしきの状況、修羅場とは言わない。
「で、わしの相手はどこじゃ? わししか来てないのに早とちりで火を点けたというのは勘弁してほしいのぅ」
「あなたの目の前におられますよ」
「うおおっ?!」
マルズークの声に、将太郎は飛び退る。確かにそこには男がいた。外からもどよめきが聞こえる。
「賀原塾、山下穣二じゃ」
豆腐屋であった。
前掛けにゴム長、まさに日本の豆腐屋。なぜこんな場所でこんな服装を? そんな疑問すらも抱かせないほど、その男は完全な豆腐屋であった。得物の金属バットが浮いている。
しかし。
「どんな術を使いよる?」
服装はさておき、将太郎や観戦者に悟らせずいきなり現れた腕前は只者ではなかった。大鎌を構えつつも、すぐには斬り掛かれない。
「これよ」
穣二は一丁の豆腐を懐から取り出した。
「豆腐がどうした」
「濃い味の料理を食べた時、箸休めに豆腐を食ったことくらいあるじゃろう」
「お、おう」
「わし豆腐大好きじゃー!! 箸休めどころか主食にしとるぞー!」
「黙っとれ阿呆」
観戦しているファズラが叫び、スランセにどつかれた。
「ありがとうよ嬢ちゃん! ……さて、豆腐を食えば、味覚はリセットされる」
「お、おう」
「豆腐のたんぱく質が舌に残る他の味を吸着するからと言われてますね」
「あのおっさんの与太ではないんじゃな」
雫の解説に、スランセが相槌を打つ。
「そこでわっしは考えた」
言いながら、穣二は巨大な豆乳のパックを取り出した。
「食えば味覚をリセットできるのなら、全身にかければ視覚をリセットできるじゃろうとな!」
そして豆乳を頭から浴びる!
「いやその理屈はおかし……どこに行きよった?!」
将太郎が周囲を見回すが、奇怪、先ほどまでその場にいたはずの穣二がどこにも見当たらない。
「ほうれ、わっしはここじゃ」
「うおおっ!」
ブン、と金属バットが空を切る。とっさに身を伏せていなかったら将太郎の頭を直撃していた。
「将太郎のあんちゃん負けるなー! ……でも豆腐ってすごいんじゃな」
「んなわけあるか」
「そう、理屈ではありえません」
スランセと雫がすぐさま突っ込む。
「豆腐狂いの穣二はなかなかのものよ。初戦はもらったわね!」
チルルが高らかに笑う。
見えない敵に翻弄される将太郎だが、その表情は落ち着きを取り戻しつつある。
「なるほど、プラシーボか」
心理学をかじっている将太郎は、何が起きているかを理解した。
「普羅示威慕……この技を現在に伝える者がいようとは」
「知っておるのか雫」
普羅示威慕とは
中国春秋戦国時代の楚において、兵士普羅は楚王の姫に叶わぬ恋心を抱いていた。それを密かに知る上役は、ある劣勢の戦において、姫を乗せた馬車を護衛して敵中を突破せよとの任務を普羅に与える。彼は鬼神のごとき働きで馬車を守りきり、その進撃を起点に楚は勝利したが、馬車には姫と同じ重さの石が積まれているのみであった。なお、この言葉が西洋に伝わり偽薬効果を指す「プラシーボ」となったことは言うまでもない。
(ピープルライト書房刊『戦士の恋と心理』より)
「つまり、あのおっちゃんは思い込みで姿を消してみせとるちゅうことか?」
「元より、当人に隠形の才があったのでしょう。その力を普羅示威慕がより高めているのです」
建物の中は、すでに気を失いそうなほど熱い。建物全体が不穏な振動と音を立てている。早めに決着をつける必要があった。
「まずはその暗示を解かせてもらうかのぅ」
小さく呟くと、将太郎はおもむろに口を開く。
「穣二、うぬの技には弱点がある」
「やけを起こしよったか? わっしに死角などあるものか」
「普通の場所でならな」
一度譲ってみせて、気を緩めてから、一突き。
「この熱された空間では、豆乳は加熱される。その匂いまではごまかせん!」
「うっ!」
心の動揺はこの場合、技の冴えにはっきり反映される。
「そこじゃ!」
将太郎は飛び上がる。空中で回転しての大鎌二段斬りが、見事に穣二を捉えた。
「ぐお、お……!」
倒れそうになる穣二だが、なお踏みとどまる。身を隠すだけが取り柄ではないようだ。
「派手にいくぜ!」
「負けやせん!」
大鎌と金属バット、ともに常人の命なら一撃で刈り取る武器を振るい合い、しかし両者いずれも倒れない。
血みどろの戦いの中、建物がついに危機的な軋みを発した。
「決着と行こうかのぅ!」
将太郎は、学ランを脱ぎ捨てる。
その腹に巻かれたサラシには、筒状の物体がわんさと差し込まれていた。その内の一本を手に取り、導火線に着火する。
「な、何じゃそれは?!」
「十キロのダイナマイトじゃ」
「おぬし、正気か?!」
「狂うておるのは今さらのお互いさまじゃろう」
将太郎はにやりと笑う。
「これが久遠塾ケンカ番長、鐘田将太郎のド根性じゃあ!」
「将太郎のあんちゃーん!!」
「ファズラ、逃げるぞ!」
スランセに手を引かれ退却した直後、建物は木っ端微塵に吹き飛んだ。
「第一戦は両者しぼ――」
「ちゃんと確認せい」
マルズークの声を遮り、爆心地から声が上がる。
瓦礫を掻き分け、ボロボロになった将太郎が穣二を背負いながら現れた。
「わっしの負けじゃあ……」
穣二はそれだけを辛うじて言い終えると、将太郎の背で気を失う。
将太郎自身も、立っているのがやっとの怪我だ。
「すぐに手当ていたしましょう。シュメール八千年の伝統にかけて、最善は尽くします」
マルズークの指揮の元、白覆面の者たちがどこからともなく現れて、穣二と将太郎を運んで行った。
「久遠塾……やるわね」
「昔の人はダイナマイト百五十トンを用いていたと言います。それに比べれば、まだまだぬるいくらいでしょう」
チルルに雫が平然と答えた。
●予想外の大将登場! 獣の牙は通じるか!?
「続いてはここです。菴羅樹園精舎(あんらじゅおんしょうじゃ)」
そこは、島の他の地域とは明らかに植物相が違っていた。奇怪な果樹が繁茂する、熱帯にも似たジャングル。
「実る果実は刺激を受けるなどすると弾け、散弾銃のごとく種を発射します。この通り」
マルズークが無造作にこぶし大の石を放る。熟した実に当たるとその実は一拍の間を置いて破裂し、四方八方へ噴出した種は石を粉砕した。
「当たると只では済みません。ご注意を。では両校の代表者、前へ……?」
マルズークが振り向くと、久遠塾と賀原塾、両陣営で一人ずつ倒れている。ちょうど戦おうとしていた二人だった。
「確かに、当たると只では済まないようですね」
久遠塾の者を手当てしながら、雫が言う。
「どうしようかしらね。引き分けでもいいけど……あたいが出てもいいわよ?」
賀原塾の者の様子を見ながら、チルルは言い放った。
「そちらがそう言うのなら、見物衆の多い我々が引くわけにもいかないでしょう」
雫の視線が久遠塾の野次馬に向かった時。
「わ、わしが行く!」
ファズラが宣言して進み出た。
「散弾銃くらいへっちゃらじゃ、農家のおっちゃんに撃たれまくっとるわい!」
「まだ枝豆泥棒やめとらんのか」
スランセの呆れ声を背に、闘場に踏み入った。しかし左腕を釣る三角巾にチルルは渋い顔をする。
「まともに戦えない相手を倒すのは趣味じゃないわ!」
「気にせんでええ。戦うのはわしじゃなくてこいつらじゃ」
無事な右腕を一振りすると、その周囲に八頭の獣が現れる! 象、虎、ライオン、蛇、禿鷹、豹に牛、ハイエナ。
「八獣拳の使い手ファズラ。あの子なら面白い戦いを見せてくれることでしょう」
八獣拳とは
動物を操る拳法は数あれど、猛獣ばかりを八種も操る拳法という点で、八獣拳は特筆される。その由来は明代鄭和のアフリカ遠征に遡り、遠征の大船団に乗り込んでいた武術家・槙富八が異国の多種多様な猛獣の生態に感嘆、それを飼い慣らし戦闘に用いたことから始まる。操者には八種の獣それぞれと意志を通い合わせ思うがままに使いこなす高度な技量が求められる。
(ピープルライト書房刊『湧く沸くけものランド』より)
「ほう、あのお嬢さん、なかなかやるじゃないか。意外と俺とも話が合うかもしれん」
賀原塾のミハイル・エッカート(
jb0544)が呟く。
「しかしあの八頭の獣……うちの副将の技に似ているな……」
「行くでえっ、チルルのねーちゃん!」
猛獣が、巧みに木々と果実をかわしながら突き進む。
「来なさい!!」
チルルが大剣を構えた。
*
「……さすがは、賀原塾筆頭です」
観戦する雫が、思わず唸った。
多方向から獣たちは攻め寄せた。だがチルルは様々な技を駆使し、一撃で数頭にダメージを与え、退かせる。
さらに、距離を置いても攻めは終わらない。回避する暇も与えずになおも削り続ける。
連携も忘れ苦し紛れに接近してきた獣にはしっかり防御で対処し、大きな隙を見せるならカウンターで手痛い打撃も加えていった。
時に果実を弾けさせるが、それも剣で防ぐ。
言葉にすれば意外とシンプルな、ごく普通の戦い方。しかしそれを実現するには、間断ない攻めと敵などの攻撃を確実にはねのける防御力、そして的確な判断力が、いずれも高いレベルで要求される。
相手の強さや戦法も状況も特に考慮しない、ただただ自身の圧倒的な強さを恃む戦い方がそこにあった。
「これぞ古代日本における究極の奥義『業離鏖死』よ!」
業離鏖死とは
平安期、朝廷から盗賊団征伐のために派遣された武人清原業平は、自身の秀でた剣技と与えられた権限に物を言わせて盗賊団を徹底的に壊滅させた。それはまさに鏖(みなごろし)という言葉にふさわしい行為であった。後に戦の虚しさを感じた業平は出家、業離と名乗り民衆のために尽力したが、かつての業前の凄まじさは忘れられることなく、彼の行く先々で常に語られたと伝えられる。
現代において圧倒的な力で相手を捻じ伏せる事をゴリ押しと呼ぶが、この言葉が語源であるのは言うまでもない。
(南斗家書房刊『あたいったらさいきょーね!』より)
気づけば七頭の獣が地に倒れ伏していた。
「みんな峰打ちよ。心配いらないわ!」
残るはファズラの傍らで付き従う象のみ。
「わ、わしだって久遠塾の一員じゃ。まだまだ降参なんか……」
しかし動揺は隠せず、よろめいた体が果実に触れる。
「あ」
しかし実が爆裂する寸前、象の鼻がファズラを抱え上げた。そして象は自らを盾として種の散弾からファズラを守る。
「す、すまん……?!」
ファズラが象の傷を調べると、今しがたの傷だけでは説明のつかぬ弾痕が多くその身に刻まれていた。
「今以前に二回、象はあんたを庇ってたわよ」
チルルが言う。そこには、元気な突撃娘というだけではない、仲間を導く賀原塾筆頭としての顔があった。
「向き不向きはあるから、自分が戦わないってことは否定しないわ。でも別の誰かに戦わせるんなら、そいつらのことはきちんと考えてやんなさい」
「……わしの負けじゃ」
ファズラはうなだれて敗北を認めると、「痛かったか? すまんのう」と獣たちの手当てをし始めた。
●巨大類人猿の森! 避けるが吉か、従えるが吉か?
「さて、次なる闘場は彌猴池精舎(みこうちしょうじゃ)です」
マルズークは、先ほどとは趣の異なるジャングルに一行を導いた。
何よりも目を惹くのは、猿だ。
オランウータン、ゴリラ、ボノボ、狒々、ヒバゴンなど巨大な類人猿がいずれもグループをなして跋扈している。
「彼らは繁殖期ゆえ、非常に気が荒い。迂闊に接触すると、たちまち無惨なことになるでしょう」
「ギャアアアアア!!」
一同が見ると、久遠塾側の女が一人、類人猿の群れに担がれていずこへともなく消えていった。
「……あのように。彼女は、こちらの手の者が救出いたします」
さて問題は、連れ去られたのがここで戦う予定の戦士だったことで。
「彼女もかなりの腕前ですが、天界学園戦で負った重傷の影響があったのかもしれません」
「やっぱりこの時期に対抗戦やるのは無理があったのかもしれんのう。しゃあない。ここはわしが出る」
言いながらも、スランセは学ランを脱ぎ捨てると、戦装束に着替えた。トーガに似た白い服で、背中が大きく開いている。得物は釘バット。
「あ、姐御も怪我しとるじゃろう!?」
「これしき、平気です」
スランセの態度はそれまでと打って変わって、穏やかな言葉を温和な声音で語る。
「久遠塾の者として、恥ずかしくない戦いができるよう努めます。ちょっと待っていてくださいね、ファズラさん」
にこやかな笑みを浮かべると、バットを手にしずしずと闘場へ歩を進めていった。
「なんでスランセの姐御は戦う時にはお上品になるんじゃろうな」
「人にはそれぞれ心の闇というものがあるのです」
ファズラに雫が教え諭す。
*
「待ちくたびれたぜ」
闘場にはすでにミハイルが佇んでいた。周囲を彼以上に巨大な猿たちが彷徨する中、恐れも見せず平然としている。
ブレザーを颯爽と脱ぐと黒いニンジャスーツを着込んでいる。日本的な忍びではなく、アメコミに出てきそうな「ニンジャ」がそこにいた。
「俺はアメリカ人だからな、ニンジャが好きなんだ。ニンジャの故郷で修行するため留学したんだぜ」
「それで賀原塾の強者たちと肩を並べるとは……すごいです。でも、わたしも負けません!」
「ここはミハイルにうってつけのステージね! 二勝目はいただきだわ!」
「スランセの姐御にも悪くない舞台なんじゃぞ! 二勝するのはこっちが先じゃ!」
闘場の外では、チルルとファズラが舌戦を繰り広げる。
「参ります。円時絵瑠羽印具!」
言うや否や、スランセの背から光る翼が生え、類人猿を避けてその身は宙に舞う!
円時絵瑠羽印具とは
古来、有翼人の言い伝えは世界各地に残るが、最古のものは夏王朝の遺跡に見ることができる。円時絵瑠と記される存在が、十五代の王・孔甲の淫楽をたしなめる姿が青銅器に鋳込まれているのだ。これらは空想の産物と解されてきたが、アウルと呼ばれる力を肩甲骨から発することで翼と成す技術が発見され、再研究が進んでいる。なお、その技術の習得には特殊な血統と激しい鍛錬が求められ、実際に空を飛べる者はごくわずかである。
(ピープルライト書房刊『天使――その虚像と実像』より)
「やあっ!」
急降下して釘バットを振るう。ミハイルは回避するが、類人猿を気にしながらの動きは窮屈そうだ。
「高所からの攻撃が有利なのは戦闘の基本。ましてこの動きにくい環境では、ニンジャの身のこなしも活かしきれないことでしょう。この釘バットで大怪我する前に降参なさってもよろしいのですよ」
「面白いジョークだな」
ミハイルは、提案を一蹴した。
「ニンジャの技には忍法友達汁というものがある。俺はそこから派生した『不江呂門(ふぇろもん)』の使い手!」
そして類人猿たちに手をかざした。
怪訝そうな顔をしていたゴリラたちだが、やがてふらふらとミハイルの元に近寄っていく。
ミハイルはそれらの猿を片っ端からわしゃわしゃと撫で、声を掛けていった。
「よーしよしよしよし……この掛け声が大切なんだ」
「不江呂門の使い手……しかもあの掛け声は無津伍老(むつごろう)の流れを汲む者」
「知っておるのか、雫のねーちゃん」
不江呂門とは
敵対する者の気分を好意的に変換させる謎エネルギー。体を流れるアウルを操り、変換し、皮膚より放出する。達人にもなると、対象を意のままに操るという。
その昔、不江呂門使いに無津伍老という、猛獣使いの達人がいた。「良! 良!」という掛け声とともに醸し出す不江呂門により、獣は無津伍老の前に腹をさらけ出し服従したという。その彼が猛々しい野生の獣が闊歩する広大な北の大地を制し、門下生を数多く従えていたのは有名な話である。
(ピープルライト書房刊『ヒグマに遭遇して生き延びる方法』より)
「アメリカで無津伍老の門下生に出会い、習ったのさ」
オランウータンによしよししながらミハイルは言った。そのオランウータンも、周囲のゴリラたちも、ミハイルに臣従するようにおとなしく立っている。もはや闘場は、ミハイルの動物王国と化していた。
「これで類人猿たちは俺を襲わない。彌猴池精舎は俺の庭だ」
上空のスランセを指差し、命じた。
「行け! あいつを打ち倒せ!」
すると見よ! 狒々たちが周囲の木々からスランセへと果敢に飛びかかる! あるいはゴリラやボノボやヒバゴンが、種族の垣根も超えて何頭も一直線に肩車して中空にいる天使と同じ高さに並ばんとする!
「きゃあっ!」
空は飛べても体術自体に秀でてはいない。かわすのが精一杯。
「こ、これしき!」
安全地帯である空中を諦め、地上のミハイルに突撃するが。
「クールな現代ニンジャを見せてやるぜ」
その攻撃は、空蝉で敢えなく避けられた。
ミハイルは構えたスナイパーライフルの銃床を、相手の脳天に叩き込む。動きを制して勝負あったかに見えた。
が、余分な闖入者が場をかき乱す。
オランウータンやゴリラらが、倒れたスランセに群がり出したのだ。
「いやあっ! お猿さん、やめてください!!」
「やめろお前たち! ……くっ、戦闘で不江呂門が薄れてしまったか」
類人猿の群れはまだ動けぬスランセを神輿のように担ぐと、ジャングルの奥へと消えていった。
闘場に、ぽっかりと沈黙が生じ。
「この勝負、ミハイル殿の勝ちです」
マルズークの判定が冷静に告げられた。
*
「ううう、体中が痛いのう……あれだけエテ公どもの中でもみくちゃにされると、何やら自分まで猿になったような気がしてくるわい」
やがてもう一人とともに助け出されたスランセだが、ケツをぼりぼりと掻きながらバナナをもしゃもしゃ食い散らす。
「姐御、まるっきり類人猿じゃぞ……」
「やれやれ、皆さん野蛮でいけませんね」
雫が首を振った。
「戦いとはもっと理性的に行いたいものです」
●毒の園の死闘! 明らかになる知将の真の戦い方!
その後の三つの戦闘はいずれも引き分けに終わった。それらの死闘を記すには紙幅が足りないため割愛する。
*
「副将戦の舞台は、この涅槃です」
マルズークが足を止めた先には、色とりどりの花が咲き乱れる園があった。
「きれいじゃのう」
ふらりと踏み出しそうになったファズラを、雫が止める。
「それ以上進んではいけません。毒が満ちています」
「毒ぅっ?!」
「よく気づきましたね。あれは古今東西の毒草のみで造られた花園。常人ならば一分で発狂し、三分で麻痺し、五分で命を落とすでしょう」
「私たちでも保って七分で麻痺というところでしょうね」
言いながら、学ランを脱ぎ捨ててセーラー服に着替え大剣を抜いた雫は、臆することなく花園に乗り込んだ。
「これまでの闘場もクレイジーだったが、輪をかけて酷いな」
「そうね。でもあの子なら大丈夫よ!」
ミハイルとチルルが余裕を見せて言葉を交わす。
彼らの視線の先には、賀原塾の副将がいた。、
「賀原塾副将・山下八津華じゃあ!」
小学生ほどの、雫よりはやや背が高い少女である。ごつい金棒を右手一本で軽々と構えていた。
「山下……もしや穣二殿の血縁ですか?」
「おうよ、叔父貴じゃあ。だが、あちきを叔父貴と一緒にされても困るけえ」
金棒を地面に突き立てると、八津華は握った両手を挙げる。
「叔父貴は一番目に出た。あちきは七番目に出る」
八津華は七本の指を順に立てていき、自信満々に言い放った。
「あちきは叔父貴の七倍強い」
その言葉を無表情に聞いていた雫は、ぽつりと言った。
「穣二殿の強さを九としたら、あなたは六十三くらい強いということですか」
「そ、そんくらいじゃろうな」
雫の言葉に、八津華は指折り数えようとしてしどろもどろになる。
「出たーっ! 雫の暗算じゃ!」
「七九六十三じゃ!」
盛り上がる久遠塾の観戦者を背に、雫は淡々と続ける。
「穣二殿の強さを百万としたら、あなたは七百万くらい強いということですか」
「い、いや、そこまでの差は……」
「ならば、雑な物言いはよすことです」
雫は静かに怒りを示していた。
「あなたが穣二殿を軽んじるのはまだしも、それは穣二殿と死闘を繰り広げた将太郎さんを貶めることでもあります。必ず倒してみせましょう」
「ほざけえっ! あちきの八獣八拳、食らってから泣いても遅いでえっ!!」
「八獣八拳じゃと?!」
「まさかファズラ、知っとるのか?」
八獣八拳とは
八獣拳の始祖・槙富八がアフリカより明へ帰国して技を伝えた後、それら獣による戦闘能力を人間で再現せんと、拳法家・郷力大が開発した拳法である。これを会得した者は八十八人の武芸者に匹敵すると称えられた。
(ピープルライト書房刊『続・湧く沸くけものランド』より)
「わしもちょびっと興味があったんで修行してみたんじゃが、両手両足脱臼させられて蛇のように動けとか、禿鷹と一緒になって死骸の肉食えとか、無茶苦茶言われたんで逃げ出したんじゃ……」
「そんなことやって強くなれるんかのう」
観戦者が頭の悪い問答をしているうちに、戦いは幕を開けた。
「一撃で終わらせたる! 『象の鼻』じゃあ!!」
素早い踏み込みで間合いを詰めると、振りかぶった金棒を雫に叩き込む! 象が鼻を振り回すようなその一打は、雫をしたたかに吹き飛ばした。毒花にまみれながら、雫は数十メートル転がっていく。
「雫ーっ!」
スランセが叫ぶが、当の八津華は首を傾げる。
「手応えがいまいちじゃあ。ぬし、何をしよった?」
「手の内を晒すのはバカのすることでしょう」
「まあええわ。『禿鷹の翼』! そして『牛の突進』じゃあ!」
背に翼を生やして空に舞った八津華は、雫に真っ向から突っ込んでいく。
捉えたと思った瞬間、しかしまだわずかに届かない。
カウンター気味に大剣を突き出され、慌てて金棒で防いだ。
「ぬし……妙な絵ぇ、描いちょるな!?」
「ようやく察しましたか」
雫は超高速で自分の身体に絵を描いていた。それは、「少し大きな自分の姿」。これにより八津華は遠近感を狂わされ、攻撃のタイミングを微妙にずらされていたのである。
「まあええ、空を飛べばぬしも手出しはでき……?!」
八津華の足元から手が伸びて、拘束していた。影で構成された、闇の腕。これでは飛べない。
「かかりましたね。堕悪汎土」
堕悪汎土とは
六朝時代、首都建業の郊外において、生き物の如く蠢く奇妙な土が発見された。武術家がこれに目をつけ思うまま操ろうとしたものの、悪に堕すると僧侶に諭されて断念するという逸話が伝えられている。なお現在ではこの土は、粘菌状の生物が周囲のアウルに反応したものであるとの説が有力視されており、アウルによる操作を試みる武芸家もいる。
(ピープルライト書房刊『中国オカルト百八選』より)
「久遠塾一のインテリである私を相手に回したのが、あなたの不運でした」
「抜かせ! 飛ぶのは無理でも普通に戦うぐらいは……!?」
八津華の攻撃に雫は真っ向から向かい合った。
「あなたは切り札を早く出しすぎました。見切れば致命傷にはなりません」
とは言うものの、八津華も実力者だ。すべてをかわしきれるわけはない。自身も八津華を攻めつつ、何発もの攻撃が当たり雫は傷だらけになっていく。
しかし屈しない。
戦況は、完全な殴り合いになっていた。こうなると最終的な勝敗は、体力と攻撃力と防御力の総和が物を言う。雫はただひたすらに攻め抜いていく。
その戦い方はまるで……
「あんたのやってること、業離鏖死そのものじゃない!! どこがインテリよ!」
チルルが叫ぶ。
「スランセ、確認したいんだが、ベリンガムと戦った時の雫の『とある案』とはどんなものだった?」
ミハイルに問われ、スランセは誇らしげに答える。
「雫は時計塔を見るとすぐにこう言いよったんじゃ。『柱を一本一本切り倒していけば、いずれ向こうから降りて来るでしょう』と。そしたら三本ほど切って塔が少し傾いたら、ベリンガムの奴ほんとに自分から降りてきおった。雫はまっこと策士じゃ!!」
「何てこった、久遠塾には脳筋しかいないのか?!」
ミハイルが天を仰いだのは、二人が戦い始めて六分五十秒のこと。
闘場では八津華が雫に倒されて崩れ落ちるところだった。
●島の火山の大噴火! 最終決戦の行く末は?
「ここまで、二勝二敗三引き分け。勝敗は最後の大将戦で決まりますね」
火山を上りながら、マルズークは言う。
「ここが最終闘場、昇天火口です」
そこは火山の頂上だった。火口の底から湧き続ける噴煙が不吉にたなびく中、火口に蓋をするように、周囲から何十本もの鉄鎖で吊り下げられた深皿のごとき闘場があった。
「火山はちょうど噴火寸前。巻き込まれたらさすがに命はないかと思われます。ご注意を」
「後は筆頭にすべてを委ねるばかりですね」
雫が言った時、その隣を歩いていた久遠塾筆頭が足を止めた。
「筆頭、どうしよった? ……ヒイッ?! た、立ったまま死んでる!?」
ファズラが悲鳴を上げる。場が一気に騒然とした。
「いえ、気を失っているだけで、脈はかすかながらあります。ですが、生きているのが不思議なほどの重体です。一刻も早く手当てせねば」
「こちらにお任せを。最善を尽くします」
マルズークの指揮の元、筆頭は白覆面たちに担がれて山を下りていく。
「筆頭……ベリンガム戦の傷、まだ治っていなかったんじゃな」
この場に居合わせた面々は、筆頭の快癒を祈る。
「さて……どうしようかしら?」
チルルがぽつりと言った。
「無効試合にして、二勝二敗三引き分けの同点にしてもいいわよ。事情が事情だし」
「いえ。僭越ながら、副将の私が代理で出ます」
「て言っても、さっきの毒、まだ抜けてないでしょ。怪我もしてるし」
と、一同の後ろから声がした。
「それぐらいはハンデじゃろう」
「お、お前はーっ!」
「将太郎のあんちゃん! 無事じゃったんか!?」
「おうよ」
気丈に答えて体を動かしてみせる将太郎だが、首から下は全身にぐるぐると包帯を巻かれていて、学ランの下から覗いている。
「ここまで来て最後が無効試合で終わりというのもつまらん。二勝二敗の、勝った二人ずつが出てケリつける決定戦といかんか?」
「おいおい正気か? チルルも俺もほぼ無傷なのに、そちらの二人は重傷じゃないか」
「じゃからハンデと言うとる」
あまりに傲岸不遜な物言いに、ミハイルは反応が一拍遅れた。
「口をポカンと開けてどうしよった? 中身空っぽのピーマンでもあるまいに」
その一言は、ミハイルに対しての地雷だった。
「ピー……ピーマンだと? 貴様、俺をあんなものに例えるとは……これほどの侮辱は初めてだ」
ピーマンが死ぬほど嫌いなミハイルは、勝ち残った四人の中では最年長ながら、大人げない熱さを見せる。
「貴様は、貴様だけは、俺が倒してみせる!」
「……なら、やるわよ。さっさと終わっても文句はなしで頼むわ!」
*
鎖を軽やかに伝って、四人は闘場に降り立った。
「闘場自体は噴火にも耐えられるよう金剛鉄で作ってあります。存分に力を振るってください」
マルズークの声に、最後の戦いが始まる。
まず前に出たのは、賀原塾大将と久遠塾副将。
はね上げた雫の大剣と、振り下ろしたチルルの大剣、両者が発止と噛み合い火花を散らす。傍目には、五分。
しかし内心、雫はチルルの技量によって剣を十全に振るえなかったことを悟り、チルルは雫の膂力に舌を巻く。
手にする剣も、同じ種類ではあるが微妙に違う。ともに業物を細かにカスタマイズして自身に最適化させた逸品。
「なるほど、強い」
「あんたもね!」
「おっと、タイマンじゃねえぞ?」
雫と鍔競り合いするチルルに将太郎が大鎌で斬りかかる。
と、チルルに向かったその大鎌が軌道を逸らされた。将太郎は手の痺れに舌打ちする。
「俺を忘れてもらっちゃ困る」
ミハイルがスナイパーライフルで鎌を撃ち、しかし取り落とさせられなかったことに歯噛みする。
「それもそうじゃ、まずはそちらから始末せんとのぅ」
自爆戦法による重傷を感じさせない激走で、将太郎はミハイルに迫る。しかしミハイルは闘場の壁の部分を重力を無視し疾駆した。
「さすがはニンジャよ」
跳躍しての回転二段斬り。しかし距離を縮めての攻撃も、スナイパーライフルの銃床に阻まれる。
「銃剣術か!」
「ニンジャは武器の使い方を選ばないんだぜ」
「業離鏖死!」
「押し切れるものなら、押し切ってもらいましょう」
冷静に攻めを捌き続ける雫だが、不意に反応が鈍る。
「さっきの毒? でも手加減はしないわよ!」
チルルが言う。実際、手加減できるほどの余裕もない。
「すまない大将!」
一気呵成に攻めかかろうとしたところへ、将太郎の攻撃を凌ぎ続けていたミハイルが押し込まれる格好になった。水を差され、距離を取って仕切り直す。
全員の呟きが、奇しくも重なる。
――強い。
と、闘場の底から振動が伝わってきた。
ボコボコと不吉な音が響き、白い煙が新たに湧く。
「暑いわね。もうすぐ噴火でもするのかしら」
雪国生まれのチルルが汗を拭う。
「まあいいわ、その前に終わらせる!」
宣言するように言うと、その大剣からも白い煙が湧いた。
いや、それは氷の霧。火山の白煙と混じり合い、雫たちの視界を奪う!
「あたいの編み出した雪国剣法、ダイヤモンドダストよ!!」
雫と将太郎は打ちのめされて宙に舞うほど派手に吹き飛んだ。
「やったか?」
ミハイルが口走った直後、薄れた霧の向こうで二つの影が起き上がる。
「わしゃ宵っ張りでのぅ。まだまだおねんねには早いんじゃ」
よろめきながら将太郎が構え直し、ミハイルに飛びかかる。
「どうやら真にクレイジーなのは、大意信八蓮聖覇でなくお前ら久遠塾のようだな!」
ミハイルが迎え撃つ。
「これまで戦った中で一番の強敵です。それは認めましょう」
雫が、剣を杖に立ち上がった。
「ですが、勝つのは私たちです……神夢入」
剣を腰だめに水平に構えるや、雫はチルルへ向けて駆け出した。
「速い?!」
「曼陀羅」
防備を整えきらないチルルに、それまでよりも威力を増した猛攻を開始する。横に、あるいは縦に、大剣は円を描き、唸りを上げる。
神夢入/曼陀羅とは
古代インドのアスラ族は呪術と過酷な修行によって武名を馳せたが、時の権力に抗う立場にあることが多く、いつしか悪魔として扱われ恐怖と侮蔑の対象とされた。神夢入は、かつては薬物による痛覚の麻痺と反射神経の向上であったが、やがて彼らは脳内麻薬の分泌により同等以上の効果を上げられるようになった。曼陀羅は、古代ギリシャのピタゴラス教団から学んだ数学的知識を元に開発された技で、「完全なる形象」とされる円をモチーフに、遠心力を高める・攻防の動きを滑らかにするなどの工夫が凝らされた剣技である。
(ピープルライト書房刊『阿修羅の如く』より)
「そしてこれは私のオリジナル……乱れ雪月花です」
雪にも似た白い闘気が漂い、剣は月のごとく光り、剣舞は舞い散る花のよう。
チルルの高度な防御を掻い潜った斬撃が、次第に数を増していき。
「久遠塾……大したものだわ……」
チルルが膝を突いた。
*
ついに勝負がつくかと思われた時。
火口から、赤く赤く輝く物質が溢れんばかりに噴出した。金剛鉄の闘場はそれを防いだものの、闘場を吊り下げる鉄鎖はそうもいかない。何本かが高熱にちぎれる。
「いけません、本格的な噴火が始まったようです」
マルズークが観戦者たちに避難を促し始めた。
「でも、雫のねーちゃんたちが!」
ファズラが叫んだその瞬間、火山が不吉に鳴動する。大破局を誰もが予感した。
「いかん、逃げるぞ!!」
スランセがファズラを抱え、一心不乱に山を駆け下りる。
駆ける背を、爆風と大轟音が襲った。
「あ、あれは……」
振り仰いだ一同は、信じがたい光景を見る。
金剛鉄の闘場が、大噴火によって天高く舞い上がっていた。まるでロケットのごとく、どこまでもどこまでも上空へ向かっていく。
「みんなーっ!!!」
救いの手など延ばせない中、誰もがただ叫ぶことしかできなかった。
●強敵(とも)が交わす握手の堅さ! 久遠塾と賀原塾に栄光あれ!
「こんなことになるなんてのう……」
「いつまで沈んでおる」
大意信八蓮聖覇の翌日。久遠塾への道を歩きながら、スランセはファズラを叱咤した。
スランセ自身、気は重い。美しい青空や咲き誇る桜を愛でる余裕もない。
だが、生き残った者がしゃんとして歩き続けねばならないことはわかっていた。
「泣いてあいつらが戻るなら、わしだってミイラになるまで泣いてみせる。じゃが、そんなことはなかろう?」
「……うん」
ファズラは目をぐしぐしとこすると、顔を上げた。
二人は黙って歩を進める。こんな時にも話を弾ませるほどの強さは、どちらにもなかった。
「何じゃあれは?」
校門に人だかりがしている。スランセたちもその輪に入る。
「お、お前らはーッ!!!」
「闘場の端にわしらは集まった。そこを仮に右端とすると、わしの持ってたダイナマイトをありったけ中央の左寄り辺りにばらまいてな」
将太郎が煙草をふかしながら語る。
「それを俺のスナイパーライフルで撃ち抜き、誘爆させた」
ミハイルはクールに語る。
「大爆発の力によって、上昇していた闘場を強引に斜め下へ軌道変更したわけです。幸いうまくいき、闘場は島の沖合に着水しました」
雫がいつものように落ち着いて説明する。
「泳いでいけるかは怪しいところだったけど、噴火で噴き出した軽石がたくさんそこらに浮いてたから、それに捕まってどうにか戻って来られたって寸法よ!」
そしてチルルが胸を張った。
「将太郎のあんちゃん、雫のねーちゃん! それにミハイルのおっちゃんもチルルのねーちゃんも、無事でよかったのう……」
ファズラが感極まって泣きじゃくる。周囲でも、久遠塾賀原塾を問わず、安堵と歓喜が渦をなしてすさまじい熱気となっていた。
「俺はおにいさんだろう!?」
「細かいことはどうでもええじゃろ」
スランセは空を見上げる。溢れるものがこぼれないように。
澄んだ青空が一面に広がり、桜吹雪が舞い踊っていた。