●戦闘開始直前
ファズラは右手を小屋の壁に当てて防護魔法を展開し続け、左手で白い直方体にかけた魔力を剥がし続ける。
と、外が慌ただしくなってきた。
足音。十人くらいか。最前の第一波よりは増えているが、それがどうした。入口を守るのは彼女の自信作。たかが原住民の突然変異だの堕天やはぐれだのには、簡単にやられたりしない。
もう三十秒もあれば作業は終了。後は一目散に撤退し、適切な場所へこの直方体を配置し直せばいい。
怪しい小屋、謎の白い直方体、悪魔らしき幼女。中で何が起きているのか、撃退士たちにはわからない。
「白い直方体のディアボロですか‥‥以前ここに近い地域で、黒い半球型のディアボロと対峙しましたが、それと同種でしょうか?」
おでんを偏愛しがんもどきの被り物をしている以外は折り目正しい紳士である、はぐれ悪魔のオーデン・ソル・キャドー(
jb2706)が口を開く。
「今回で三つ目だけど、いろんな形があるのね‥‥あれ」
最近は群馬と半球型に縁があるナナシ(
jb3008)。オーデンと同じ依頼では破壊をアシストし、この依頼の直前にも一体発見している。
「アレが壊れた後の反応からすれば、結界の楔のような存在なのでしょう。悪魔がわざわざ守るほどですから耐久力はそれほどないはず」
「中に入れたら他の敵に構うことなく破壊、ということでいいでしょうね」
神埼 煉(
ja8082)の意見に異を唱える者はいない。
「とすれば入口を守るあのデカブツをなんとかせねばなりませんか」
オーデンらの前に立ち塞がるのは唯一の入口を埋めるただ一体の象。第一陣を敗走させた強力なディアボロ。
第一陣から聞ける限りの情報を得て、打ち合わせも済ませ、各人の配置を意識しつつ間合いを詰める第二陣の十人。それをよしとするかのように自ら仕掛けてはこない象。
しかし白い直方体を破壊するための猶予はほとんどないことは、全員が感じていて。
戦端は、開かれた。
●ゼロ〜五秒
「力は強く、魔法も使え防備も固い。動く要塞と言ったところですかね」
最初に動いたのは雫(
ja1894)。齢十にも満たぬが歴戦の阿修羅である少女は、闘気解放を発動させつつ象へ向かって右に隣接する。
それを待っていたように象が動く。
「早い!」
空を飛ぶナナシが仕掛けるよりもわずかに早く、象は左前脚を上げると一気に踏み下ろした。
「雫様!」
斉凛(
ja6571)の回避射撃を受けて回避を試みるが失敗。雫は全身を踏み潰されるのは避けたものの、片腕を踏み砕かれる。表情に乏しい少女が一瞬顔をしかめた。
「大丈夫?」
兜割りを仕掛けながら、ナナシが問う。象の直上、射程ギリギリに位置。雷霆の書で作った雷の剣を、クルンと空中で回転しながら象の頭に叩きつける!
見事に命中した雷は、象を朦朧とさせて動きを鈍らせた。
「怪我の治療はメイドにお任せくださいですの」
戦場においても純白のメイド服姿の凛が距離を詰め、雫に応急手当を施す。
「ありがとうございます」
アウルの光に包まれた腕は、全快とはいかないがフランベルジェを振るえるくらいには回復した。
「簡単な相手じゃないよな‥‥」
小屋の側面に回り込んだ中性的な美少年。月詠 神削(
ja5265)は屋根の上に全力跳躍、象の死角を目指す。
「鼻を振り回すのが得意なようだが、フルスイング勝負と参ろうか」
象に向かって左に回った、男前な少女・蘇芳 更紗(
ja8374)が巨大なアズラエルアクスを力任せに使う。武器の重さと遠心力を利用しての一撃。
しかし朦朧状態ながら象牙に受けられたそれはあらぬ方向へ逸らされた。
「象の下は潜れそうでしょうか?」
闇の翼で飛ぶクリフ・ロジャーズ(
jb2560)が、象の真正面に向かう煉に訊ねた。朦朧としている隙を突けば、簡単にことが終わるかもしれない。
「後脚は、両膝を突いているようですね。壁との隙間もほとんどなさそうです」
冷静な青年は、丁寧に答える。
「そうですか‥‥」
「まずは崩しにかかるしかないか。デカ物大味、って動きならありがたいんだけどな」
更紗の近く、敵正面左斜めに回った桝本 侑吾(
ja8758)は、普段のゆるさからスイッチが切り換わったように真剣な表情で戦闘に臨む。大剣アスカロンで仕掛けた攻撃は命中するが、その表皮も硬い。
続いて、煉とクリフが襲う。
「今回は、象と力比べですか」
正面から堂々接近、出し惜しみせず大技の「滅」を放つ煉。
しかし。
第一陣の戦闘で掘り崩されていたのか、煉の踏み出した足がつまずく。突き出されたブロウクンナックルは、朦朧状態から回復した象を捉えられず、紙一重で空を切る。ルキフグスの書で魔法射撃を図るクリフの攻撃もかわされた。
「べ、べつにお前らがこわくて遠くにいるわけじゃないんだからな」
上空左側、射程ギリギリから、口調は尊大なのにふんわりした印象の堕天使・アダム(
jb2614)が洋弓フェイルノートで矢を放つ。彼は敵の長距離範囲攻撃対策として、味方からも距離を取っている。
「火力はあれど、動かない敵。砲台みたいなモノですね。こちらも今回は砲台になってみますか。ただし射程で上回っていますがね」
上空右側のオーデンはスナイパーライフルのヨルムンガンドで、アダムよりさらに遠く、敵の射程外から狙う。装備過重で生命力は大きく減らしているが、届かなければ関係ない。
二人の攻撃は命中したが、大きなダメージには至らなかった。
●五〜十秒
「嫌がらせ全開でいかないとね」
ナナシは再度の兜割り。真っ向から殴り合うようなやり方で勝てるほど、今回の敵は甘くなかろうと見越してのこと。
真上からの効果的な一撃を受け、象は再び朦朧とする。
「皆様、一斉攻撃を試みたいと思うのですがどうでしょう?」
凛の提案に、全員が乗った。
朦朧は、能動的な行動を封じ、回避や受け防御にも大きなマイナスとなる状態。しかし一度ダメージを与えれば回復するものでもある。
凛はホイッスルを構えた。元は鼻による攻撃への備えだったが、応用して悪いことなどあるはずもない。
数歩後退し、全体を見渡す。全員が態勢を整えたのを見届け、凛は自身も銃を構えながら笛を鳴らした。
ピィーッ!
「いくぞっ‥‥!」
アダムの矢が、オーデンの狙撃が、更紗の斧が、クリフの魔法が、侑吾の剣が、凛の銃弾が、動きの鈍っている象へ一斉に突き刺さる。象は確実にその身を削られていく。
「中で何をしているか知りませんが、押し通らさせてもらいます」
雫の薙ぎ払いも決まり、象の脇腹に大きな傷をつける。ただスタンには至らない。
屋根に上がった神削は長剣アイトヴァラスを構え、完全に象の死角となる位置から「弐式・烈波《破軍》」を放つ。象牙で受けようもない方向からの痛烈な攻撃に象の頭頂部が爆ぜ、かなりのダメージを与えた。
「――失せろ、デカブツ」
煉は続けての破。カオスレートを高めた無色の炎を纏う渾身の一撃が今度こそ象を捉え、紫の光が走る白銀の籠手・瑞鶴が象をよろめかせた!
●十〜十五秒
「あ」
それは誰の声だったか。
象が一同に先んじて、動き出した。怒りの咆哮とともに長く太い鼻を大きく振りかぶる。
凛のホイッスルは本来、この鼻によるフルスイング攻撃への対策、タイミングを合わせた複数人による相殺迎撃のため。しかしその策は、こちらが全員先に動けて相手に備えられる場合にしか成り立たない。離れたところから寄って来るならまだしも、この至近距離で先手を打たれると厳しい。
「その攻撃、通ると思うな」
更紗がカオスシールドを突き出して果敢に妨害を図る。しかし楯は象牙に妨げられてしまった。
攻撃範囲に入っているのは侑吾と煉。二人とも盾役を以て任じるタフさはあるが、直撃を受けて吹き飛ばされて、果たして無事でいられるか。
「桝本さん」
「いや、神埼君が」
短く会話を交わす。煉の防御スキル「阻」は一人にしか使えない。滅でカオスレートを高めている今、危険なのは煉の方だと侑吾は考えた。
「さって、来いっ」
自身を鼓舞するように言った直後、丸太のような鼻の一撃が襲う!
「ぐ‥‥!」
踏ん張って抵抗しようとする。煉は無色のアウルを腕に収束させる。しかし二人では、数が足りない。
鼻はしっかり振り抜かれ、侑吾と煉は弾丸のように水平に吹き飛ぶ。
「Σますもとー!? かんざきー!!」
友二人の無事を祈るように、アダムが涙目になって叫んだ。
と。
小さな手が、煉の身体を掴んだ。
雫が自分の攻撃を放棄し、フランベルジェを右手で地面に突き立て、吹き飛びそうな煉と侑吾を左腕一本で受け止めようとする。彼女自身も引きずられ、両足とフランベルジェが地を抉る。
位置もあって完全に防げはしなかったが、それでも二十メートルは吹き飛ばされるという情報だったものを、十メートルに抑えた。地面に叩きつけられなかったため、追加ダメージも入っていない。
「意識はありますか」
「助かりました」
「ありがとう」
鼻で思いきり打たれた傷は大きいが、それでも気絶するには至らない。強制移動させられた三人は元の位置へ戻ろうとする。
「凛様。ナナシ様が仕掛けた後、もう一度ホイッスルをお願いする」
更紗が毅然とした態度で――しくじりを引きずるようでは漢としてみっともない――、凛に頼む。
「は、はい!」
「そろそろこっちに意識を向けてくれていいんだけど」
ナナシが三度の兜割り。象は毎度面白いように朦朧状態になる。
雫と剣魂で回復する侑吾以外の全員が攻撃態勢を整えたところで、凛が力強く笛を吹いた。
「いまだー!!」
アダムらがタイミングを合わせた再びの猛攻。神削の破軍やオーデンのスマッシュなど各種攻撃が殺到し、巌のごとき象の巨体がふらつく。
煉も同時に瑞鶴を叩き込むが、阻を用いても自身の受けたダメージは大。よろけたところへ背後から凛がアウルを注いだ。
「まだです。まだ闘えます。わたくしがお助け致しますわ」
●十五〜二十秒
象は考える。
ファズラから与えられた命令は、可能な限りの敵の足止め。しかし自身はすでに瀕死。頭上でちょこまかうるさいあの攻撃をもう一度受けたら確実に終わりだ。
懲りもせず目の前に戻って来た二人を鼻で吹っ飛ばすべきか? しかし直後に自分が倒された後、右や左、あるいは後方の屋根の上にいる者がすぐさま踏み込んでくるのは防げまい。
それよりは、むしろ。
象が小屋の中に後退した。
「逃げる気か?」
神削は屋根から飛び降りつつ攻撃を仕掛けようとする。
と。
さっきまで象の頭があった位置に、一抱えほどもある氷の塊が現れ。
盛大に破裂した。
神削、ナナシ、煉、更紗、雫を巻き込む形で氷の散弾が炸裂する。
「今度こそ!」
凛の回避射撃もあり、傷と魔法防御の兼ね合いで最も不安の大きかった雫だけは回避成功。しかし神削・更紗・煉は地面や屋根に氷の破片で身を縫い止められて動けない。
ただし、象が最も警戒していた相手だけは、この攻撃を受けてなお自由に動くことができた。
「二十秒も耐えきれぬとな?!」
小屋の中には傷だらけの象。そして右手、入口には背を向けてうろたえた声で喚いている、悪魔と思しき幼女。その奥に、白い直方体。
飛行状態で小屋に入り一瞬でそれらを見て取ったナナシは。
「アレがそうね、間に合って!!」
迷うことなく直方体を雷で撃ち抜いた。
●そして
その瞬間。
煉や更紗、侑吾や神削ら、日本出身で年長の撃退士たちは思い出す。数年前まで、日本の一地方として当たり前に存在していた関東のとある県の存在を。雫も、かつてニュース番組などで耳にした単語の響きが脳裏に甦る。
まだ記憶に靄はかかっているが、それでももう、その土地のことが頭からかき消されるようなことにはならなかった。
振り返った幼女悪魔は唇を噛み、悔しげな表情をしていた。容姿の幼さと相まって、ナナシは自分たちが意地悪をしたような錯覚に陥りかける。
だが相手は悪魔。見た目通りの年齢とは限らない。記憶を失いつつも大学生相当の学力を持つ自分のように。
「ええと、俺ははぐれ悪魔のクリフ・ロジャーズです。あなたはこの地を支配する者ですか?」
ナナシに続いて小屋に入って来たクリフが問うと、幼女は憎々しげに言った。
「いかにも。うぬらごときとは比較にならぬ、准男爵のファズラぞよ!」
(ああ、この子が)
穣二に聞いていた話を思い出すが、クリフは初めて聞いたような顔をする。彼が何をどれほど報告しているかわからない以上、不利になることはしたくない。今は明らかに怒っているし。
そんな思惑をよそに、ナナシは告げる。
「逃げて良いわよ。というか、逃げてくれると助かるわ。こっちも無傷じゃないし、無理はしたくないのよ」
率直にぶちまけた。魔法防御には多少の自信があるが、さっきの象が放った氷は何だかんだで生命力の四割ほどを削っている。
ただ、この申し出はそれほど的外れでもないのではとも踏んでいる。
ファズラがもし戦闘面で強ければ、象と一緒になって第一陣を全滅させてから作業に取り掛かればよかったはず。それをしなかったということは、作業がよほど急を要したか、あるいは‥‥
「わ、わらわを侮辱するか‥‥」
白くなるほど手を握りしめ、しかしファズラは攻めかからない。
「クリフたちをいじめるな!」
不意に、場の空気を壊す声がした。
「おい、お、お前らなんて怖くないんだからな! こっちをみろ!」
アダムがぷるぷる震えながらもクリフを庇って前に出る。
「あの、アダム、心配してくれるのはうれしいけど、大丈夫だよ」
思わず苦笑してアダムの頭にぽんと手を置くクリフ。彼らの姿に、ファズラが目を剥く。
「うぬは、天使であろう? なぜ悪魔の心配などするぞよ?!」
「いや、そりゃ簡単な話だろ」
続いて中に踏み入った侑吾が言う。周辺警戒にあたり建物侵入は最後のつもりだったが、クリフとアダムが気になり、神削の治療をする凛や上空のオーデンら外の仲間たちに促されてのことだった。
「友達だからだよ」
「そうだぞ、おれとクリフとますもとはなかよしなんだ!」
「敵や家畜と友達になる者などおるものか!」
「天使は悪魔の敵と限らないし、人間は天魔の家畜などではありませんよ」
丁寧に、しかしきっぱりと、クリフはファズラに語りかける。
幼い姿の悪魔は口を開こうとして、反論はできず。
「‥‥撃退士ども! 次に会った時はこうはいかぬぞよっ!!」
「うわっ!」
象に飛び乗ると、派手な爆発を起こして小屋の壁を吹き飛ばし、逃げていく。
しかしその攻撃は、見た目に反して撃退士たちを傷つけるほどの威力はなかった。
学園への帰還後、煉やナナシが中心になってまとめた報告書が提出され、群馬県南東部を支配すると思われる准男爵ファズラの存在は、不確かな伝聞ではなく、実在のものとして確定された。
そして、撃退士が破壊した半球型‥‥これで二個目。