●キャベツの気配
「ども〜っす!」
ぶかぶかのウサギ着ぐるみが、体育系部活複数が共同で使う部室を訪れていた。
「キャベツいかがっすか?」
大谷 知夏(
ja0041)の唐突にもほどがある勧誘に、女子部員がむさ苦しい男共を押しのけて応対にあたる。
「行くわ。場所は」
可愛いウサギさんにちょっとだけ危険な視線を向ける女子部員。
知夏は妙な危機感を一瞬感じたが、まあいいやと気にしないことにして詳しく説明した。
「肉メインなら全員行くでしょうけど、キャベツメインか」
知夏に良いところと見せたいという思いと、現実的な問題が脳裏で衝突して溜息になり口から出る。
「無料っすよ! 待たせないっすよ! 料理が出来たら即連絡するっす」
小さな体に似合わない強烈な勢いに、既に成人した女性は目を細めていた。
「可能な限り引き連れていくわ」
「どもっす! 知夏の番号はこれっす!」
手際よく番号を交換し、足音軽く次の部室等を目指す。
「気をつけてね〜」
「気をつけろよ〜」
笑顔で見送る部員達であった。
●コンサート会場
「キャベツですワ! いっぱいですワっ!」
大量に運び込まれる緑の山に、ミリオール=アステローザ(
jb2746)のテンションが際限なく上がっていく。
客席の学園生達から見える場所に置こうとした大文字 豪(jz0164)の手をぺちぺち叩いて止め、調理用の机の裏に積み上げさせる。
「んー、……どうしよっかなー」
様々なメニューが頭に浮かぶ。
けれど今は、とにかく料理だ!
「とりゃーっ!」
鉈じみた大型包丁が高速で振るわれる。
キャベツのみじん切りが瞬く間に大量発生し、複数の大皿の上に山盛りにされてしまう。
「できましたワっ!」
雄々しく胸を張るミリオールに、キャベツの緑を見ただけで腰が引ける学園生達。
それを目にした片瀬静子(
jb1775)が、いつも通りの感情が読み取りづらい表情のまま考え込む。
「心の強さは押し付けられませんしね……」
個人的には、食べられるものを食べないなんて信じがたい。
しかしそういう人がいることは理解しているつもりだ。
「こりゃまた、よくこんなにキャベツばっかり集めたねえ」
「産地の方のご厚意だ。無駄にはできん、のだが」
アリッサ・ホリデイ(
jb3662)と大文字の会話は、ばりぼり、ぱりぽりという特殊な背景音楽を伴っている。
「アリッサさんは万年腹ペコ悪魔だから、いくらでも食べられるんだけどさ。問題は飽食しちゃってる現代っ子どもだねぃ」
「えぐみもなく甘い野菜だから食べやすいはずなんだがな」
体格の小さな悪魔は洗い立てのキャベツの葉を小さな口でかじり、太い骨と分厚い筋肉が特徴の教師は玉のままかみ砕いている。
「これはテンション下がるぜ」
花菱 彪臥(
ja4610)がげっそりとする。
「キャベツ丸ごと生齧りって、もう先生じゃねーだろ。ゾウとかサイじゃねーの」
彪臥が容赦なく切り捨てると、客席の生徒達は「よく言ってくれた」と実際言いながら何度もうなずき同意する。
教師は生徒からの強烈な不評にようやく気づいた様子で、かなり本格的にショックを受けていた。
「まぁまぁ、ここは一つ、私に任せてごらんなさい、うん」
いい加減な口調で慰めるアリッサに、大文字が不用意にも同意してしまった。
●後にスタッフが完食しました
「という訳で悪魔陰陽師プレゼンツ、ダークネスクッキングのお時間だよ、はい拍手拍手。えーと、まずは魔法陣を描いて、蝋燭を灯して、それからキャベツを、鶏の血で焼いたケーキと一緒に祭壇に捧げてだね……」
平和ば調理の場所は、ステージは悪魔とキャベツの織り成す地獄絵図に変わっていた。
「え、なんだい、君らのその不安そうな顔。はっはーん、さては私の料理の腕を疑ってるね? 大丈夫、だいじょうぶ、ダイジョーブ。タマシイがブットブくらいオイシイって、悪魔歯科医だった今は亡きダディも大絶賛! だった位だから、うん」
学園生の懸念の視線を笑い飛ばし、祭壇での儀式……じゃなくて調理を進めていく。
「ほれできたよ、キャベツの地獄大釜煮込みニルヴァーナ風」
シチュー用の深皿に注がれたのは、不気味に粟立つ紫のスープ。
どこにもキャベツの緑は見えない。
受け持ち生徒には食わせるわけにはいかないと悲痛な覚悟を決め、大柄な教師はスプーンを使わず一息で飲み干して、しまった。
「あ。そういえば味見してなかった。だいじょうぶ?」
アリッサが目の前で手を振っても、大文字は白目を剥いたまま彫像のように固まっていた。
●緑と白の戦い
小さな指がキャベツの葉を1枚1枚剥がし、丁寧に洗って水気を切る。
芯は取り除き大きな葉は等分に切り、大きな葉から重ねて手前からくるりと巻き、食べる人を見て調節しながら細かく切っていく。
その過程では常に繊維の向きを意識し、決して傷めないよう最新の注意を払っている。
最後に水を満たしたボウルに入れて数分おいて取り出せば、キャベツの千切りの完成だ。
言うまでもなくそれで終わりではない。
取り除いた芯は薄く切ってお好み焼き用にまわし、平行してロールキャベツ用の葉を確保していく。
多くの女性陣のプライドを木っ端微塵にしかねない料理の腕を披露しているのは眠兎・メイナード(
jb2496)。けれど彼は全く満足していない。
「おばあちゃんは、こういう感じで……」
師であり目標でもある義母の域は、まだまだ遠い。
「美味しい」
静子は千切りの旨さ……甘くて適度な歯ごたえがあって食べ易い! にショックを受けていた。
見た目に年下の男に、女子力で一部負けている気もする。
「ん」
眠兎が下ごしらえしたくれたキャベツを眺め、悩むこと約1秒。
自分で作れる料理に専念することにして、静子は事前に教師に買ってこさせた業務用の小麦粉と卵を取り出し、計りもせずにふるいにかけ、混ぜ、予め熱しておいた鉄板に広げていく。
「お肉、と」
他の材料と同様に教師の財布を軽くして調達した豚肉も載せておく。
大量に熱をため込んだ鉄板は、お好み焼きを素早く均一に焼き上げる。
鉄製のこてを使ってひっくり返すと、薄い狐色に焼き上がった生地が露わになり、複雑で豊かな香りがステージから客席へ広がっていく。
「うぐっ……」
「そんなっ。あんなにおいしそーなのに食欲がっ。緑? 緑なのが駄目なの?」
できあがったお好み焼きを皿に移しながら、静子は混沌とした観客席をじーっと見つめていた。
「緑といっても少しだけだよね」
下ごしらえを担当しながら時間のかかる料理の準備をしていた眠兎の動きが止まり、なんとなく眠そうな表情のまま首をかしげる。
「これ以上色をごまかすのは無理ですよ」
静子がお好み焼きに醤油を塗っていく。
キャベツの緑は目立たなくはなったが、観客席の反応はよくない。
まあ、静子としては食いだめとタッパーと未調理キャベツのお持ち帰りが出来ればそれで満足だったりする訳だが、今は仕事優先だ。
「お困りのようじゃの」
観客席の面々がリタイアする寸前、満を持して奈浪 澪(
ja5524)がステージに登場する。
ちっちゃな体を包むのは、特殊な改造が施されている訳でもなく、高級素材を使っている訳でもない普通の制服。
しかし、この年にして完成の域に達しつつある挙措は、誇り高い彼女に強烈な説得力を与えていた。
「そんなおぬしらには、これじゃっ」
ダイエット戦士の大敵にして食の救世主(ただしマヨラーに限る)。
特大サイズのマヨネーズが、小さな淑女の手で燦然と輝いていた。
「そおいっ」
大胆にチューブの腹を押さえると、静子が作ったお好み焼きが、濃厚なマヨネーズで白一色に着色されてしまった。
「まあ、いいですけど」
静子の辞書に食事を残すという言葉はない。
ちょっとだけ濃いめの味のお好み焼きを、平然と片付けていく。
「まだまだ終わらぬぞ。……む、助かる」
眠兎から皿と下ごしらえの終わった材料を受け取り、ごく自然に育ちの良さを感じさせる礼をして受け取る。
「見よっ。これが澪の得意料理っ」
にょろん。
にゅるん。
にょろろん。
マヨネーズが宙を舞い、新たな料理がこの世に誕生する。
「丼にマヨネーズを盛り上にマヨネーズをかけた、マヨネーズ丼!」
言い訳っぽく添えられているキャベツの切れ端が目に優しい。
「耐熱皿に載せたマヨネーズをオーブンで焼いた、焼きマヨネーズ!」
焦げ目が美しく、香りは暴力的なほど食欲をかき立てる。
「マヨネーズをお椀に入れて蒸篭で蒸した、茶碗マヨ蒸し!」
眠兎が下ごしらえまでしてくれた海老、茸、ついでにキャベツにより、若い撃退士であれば普通に食べることのできる逸品に仕上がっていた。
「どれも高カロリー高脂肪な、赤貧の供というべきメニューなのじゃ!」
繊細な表情の動かし方、無駄ではなく余裕を感じさせる体の動きに、偉そうなのに不快感を感じさせない言葉と声。
妙に貧乏くさい発言から愉快でない想像ができてしまうかもしれない。
が、ここに無粋な者はいないのだ。
「やったぜ!」
「あんた最高だぁっ」
スーパースターの熱演を間近で見た観客のように、客席の撃退士が喜びの雄叫びをあげ、我も我もとマヨ料理を求めて舞台に近づいてくる。
「ありがとう。ありがとうっ」
今ここに、少しお金が見あたらない高貴な一族、はらぺこ頭筋撃退士達は確かに心が通じ合っていた。
通じ合った結果がマヨの過剰摂取による胸焼けと今回の食事会からのリタイアだということは、気にしてはいけないのだろう。
●増援
包丁の上で食材を刻む音がリズミカルに響く、キャベツがたっぷり使われた、けれど見た目にはキャベツの姿の無いポタージュスープがぽこぽこと泡を立てている。
撃退士の中にたまにいる超絶料理技術の持ち主ではなく、芸術の域に達したパフォーマンスにも縁の無い天谷悠里(
ja0115)が、普通の技術を普通に使い真っ当な料理を完成に近づけていく。
「これだよこれ」
彪臥は頬を緩め、むふうと期待に満ち満ちた吐息をこぼしてから、分け前を主張するためにも手伝いをすることにした。
「皿、皿、どれ使うんだっ?」
問われた悠里は無意識に体をこわばらせ、しかしすぐに気を取り直して食べる人達の状況を確認する。
「うぷっ」
「もう入らない〜」
「マヨの匂いしかしねぇ」
キャベツトラウマは和らいだようだけども、既に満腹でこれ以上入らない。
「畜生。家庭料理なんて始めて見るのによう……」
普通の食材による普通の技術による普通の料理。
悠里にとっては卑下の対象でも誇りの源でもない普通の代物だけれども、普通からこぼれ落ちた、あるいは最初から縁が無い者達にとっては眩しすぎる存在だった。
「どうぞ」
悠里に用意してもらった小さなコップに、ミキサーからジュースを注ぎ、配っていく。
野菜たっぷりだけれど子供向けに甘く味付けられたそれは瞬く間に消費し尽くされ、多くの学園生に涙混じりの笑顔を浮かべさせる。
なお、未だに気絶中の大文字に近づけてみるても反応は無かった。
呼吸はしっかりしているので死にはしないだろう。
「困りましたね」
全然減っていないポタージュスープの鍋を確認し、エプロン装備の悠里がお玉片手に困惑する。
「おかわりー!」
彪臥がお代わりを繰り返しているけど、元が大きい鍋なのでほとんど減ったようには見えなかった。
「みなさん、待たせたのですワっ!」
ミリオールがステージ外から跳躍、ちょっとだけ目測を誤って大文字に蹴りを叩き込んでステージに降り立った。
近くの店で買ったレジ袋を大文字の頭から回収すると、教師が何度かうめいてからようやく意識を取り戻す。
「ここは? 俺は確か依頼を出して……」
「料理を作るのですワっ!」
記憶が飛んでいるらしい教師を勢いで丸め込み、ミリオールは早速調理を開始する。
知夏から連絡を受けた、体育会系の部活動に属する学園生達が、とんでもない勢いで集まってくる。
「落ち着いて食べてくださいっ」
悠里はどんぶりでスープを腹に流し込もうとする連中を注意しつつ、市販のパイ生地を使いキッシュを量産する。
「どんどん作るっすよ〜」
エプロン着ぐるみ装着済みの知夏が、悠里と比べるとつたない、しかし学生レベルとしては及第点な手際でキャベツ炒めを大量生産する。
「んぐんぐ…はわーっ、素敵なお仕事ですワっ!」
ミリオールはキャベツと豚肉でタネを作り、時間的な理由で手作りではなく市販の皮を使い餃子を揚げ、蒸し、煮込み、試食を繰り返していく。
「先生、美味いっ? どんな味っ?」
「よくわからん」
彪臥にできたて餃子を口に放り込まれた大文字は、全く味がしないことに気づき太い首を傾げる。
アリッサの料理から舌が回復するまで、約1週間後かかったという。
●完食
百食分同時に作れる大型鍋で、ようやく完成に至ったポトフが食欲をそそる香りをまき散らしている。
んしょ、んしょと身の丈ほどもある巨大お玉でかき混ぜて温度を調節してから、眠兎は眠そうな顔のまま、どんぶりを手にずらりと並んだ学園生への配給を開始する。
1人につき最低1玉、小さくはあっても形の残ったキャベツが入っている。
しかしキャベツを忌避する者は一人もいない。
1時間後。ついに全てのキャベツと料理が無くなった。
「はワ―、お腹いっぱいなのですワー!」
「おいしかったっすね!」
最後のどんぶりを完食した彼女たちは、はふうを満足そうに息を吐き、にこりと笑いあうのだった。