普段は生演奏や演劇が行われる小規模イベント会場に集まった観客は、いつもとは全く違っていた。
一人暮らしを始めたばかりの小学部少年少女。運動部所属の中等部および高等部男子と他少数。
運動部員達は好意的に解釈すれば質実剛健、一般的には洒落っ気が無さ過ぎる面々だ。
「どうしました?」
視線に気づいた黒井 明斗(
jb0525)が、機材と食材中の最終確認中を中断して振り返る。
そこには体格と雑さが大文字 豪(jz0164)並の運動部員がいた。
「あんたが料理するのか?」
近くに貼られたポスターをちらちら見ながら挙動不審な様子で聞いてくる。
撃退士としては腕が立ちそうなのに、今はモテな……もとい純情な男にしか見えない。
「ええ」
うなずくと手入れの行き届いた髪を揺れた。
ポスターは斉凛(
ja6571)達が用意したもので、それだけなら自炊を面倒くさがる彼等は釣られなかっただろう。
しかし天谷悠里(
ja0115)が直筆で書き加えた「作る側は女の子多数です」が余りにも魅力的すぎた。
「頑張ってくださいね」
明斗は男の目を真正面からみつめて真摯に伝える。
「お、応。あんがとよ」
男は照れながら参加者受付に向かう。
行く手に大量のぎりぎり食材があることに気づくのは、数分後ことである。
●古米との戦い
痛んだ米一俵の使い尽くした直後、別の一俵がステージの上に載せられた。
「こうなりますのね……」
緋月 舞(
jb0828)は気を取り直して俵を解体する。
臭い。
実家で身につけた礼法が表情を崩すことを許さず、舞自身が鍛えた精神力が臭いを嫌がることを許さない。
が、きついものはきつい。
「古米……昨年度の米だよね」
天宮 葉月(
jb7258)が数粒摘んで凝視する。
見た目悪し、痛み酷し、臭い悪し。
「日差しが強い場所で放置してたのかもね」
升で5合とる。ボウルの中のざるに注ぎ別のボウルから水を入れ高速で研いでざるだけ引き上げ、ぬか臭さの残留を許さない。
ここまでしても臭いの問題があまり改善しそうにない。
舞が手配した大型炊飯器は絶え間なく稼働中だ。
葉月が蓋を閉じて炊飯開始の操作をする横で、美森 あやか(
jb1451)が小さな体で大きな蓋を開けている。
熱い熱気と比較的美味しそうな香りが漏れて広がる。
あの古米を使ったにしては出来が良すぎるご飯だ。
「あら」
「あやか君どのお酒使った? 割合は3合あたり大さじ1?」
米の甘い香りの中に独特のにおいが混じっている。
舞も葉月もこの状況で利き酒ができるほど酒に詳しくはないので、非常に熱心にあやかにたずねていた。
「少し待ってください」
巨大なしゃもじで米を混ぜてほぐし、一度離れて額の汗をぬぐう。
撃退士の力でもかなりの重労働だ。
「比率は同じでお酒は天谷さんからお借りしました」
「これだよ」
久遠ヶ原の店で購入した一升瓶を調理台に置く。お手頃価格の関東の地酒だ。
「残しても無駄になるから使ってしまってよ」
舞と葉月は一言礼を言って、早速ご飯の改善にとりかかった。
●料理の山、山、山
青椒肉絲。濃厚な刺激が舌にがつんと来る。
八宝菜。肉と野菜の旨味がしみ出たとろみは最高だ。萎びた野菜と新鮮な野菜の差があるのが少し気になるが、旨い。
酢豚。高度な技術による、意図的に家庭的な味に似せた一品だ。実家を思い出して涙を浮かべながら食べている学園生も多い。
「女の子の手料理っていいよな」
「生まれて初めてだぁ」
葉月は、男泣きする運動部員達に一瞬だけ視線を向ける。
「うん。これならまだいけそうだ」
餃子、春巻にとりかかる予定だったのを変更する。
明斗に3桁のどんぶりを運んできてもらってから、特大炊飯器から山盛りに装って鍋から料理を載せていく。
出来上がったのは天津飯と中華丼。見た目はちょっと不格好だけれど食い応えは満点だ。
「へへっ、俺の腹具合を察してくれたのかな」
「ちげーよ俺のためだよ」
無意味にアウルを散らしながら、総勢30人近い男達が目を潤ませながらどんぶりから掻き込んでいる。
なお、味が濃いのは素材の不味さをごまかすため、新鮮な野菜は元の材料が全滅していたため近所で買ってきた物、油でよく揚げているのは主に安全のためだ。
「ま、いっか」
葉月の手元にある食材の量をこの時点で知らされていれば、男達は即座に逃げ出していただろう。1人どんぶり10杯食べても残るのだから。
あやかがお椀を配る。
中身は豚汁で、水もなしに食べ続けていた男達が喜んで受け取り豪快に飲み干していく。
「……ん。おかわり。おかわり。どんどん。バシバシ。おかわり」
豪快を越えて異次元的な速度で空にするのが1人いる。
最上 憐(
jb1522)。
カレーを飲み物扱いする強者だ。
「……ん。とりあえず。鍋。丸ごと。頂戴」
「大鍋しかないですよ?」
あやかが控えめに言うと、憐は表情を変えずに勢いよく親指を立てた。
「ちびっ子よう」
「無理はしねぇ方がいいぜ」
男共にとっては憐は対象外らしく、止めとけ止めとけと人の良さそうな顔で止めようとした。
憐が鍋に口をつけると男達の表情が固まる。
小さな手で鍋を抱えてわずかに傾ける。
流れ込む肉と野菜と大量の脂を味わい、かみ砕き、堪能しながら超高速で飲み干していく。
「……ふう」
次元の異なる大食いを目の当たりにし、男達は怯えて身を寄せ合って震えていた。
次の料理はどうしようと葉月と顔を見合わせるあやかの前に、小さな手が差し出される。
「カレーですね。今持ってきます」
あやかが運んできた大鍋を見て男達が震え上がる。ドラム缶にしか見えないのだ。
「……ん。カレーは。飲み物。だから。カレーを。掛ければ。全て。飲み物」
どう見ても特注サイズの巨大どんぶりに白い飯を盛って貰い、その上から通常サイズのお玉で20回以上注ぐ。
そして、通常サイズの銀の匙を持ち食らいつく。
汁は飛ばさず口元も汚さず、無表情のまま小さな体に吸い込まれていった。
「カレーチャーハンがありますよ」
あやかが勧めても誰も食べてくれない。もとい、憐しか食べない。圧倒されすぎて食欲が引っ込んだらしい。
仕方なく予定を前倒ししてチーズリゾットを持って行くと、男達はようやく少し食欲を回復させちびちび食べ始めた。
●白の説得力
小さな手が切れ味鋭い包丁を操り野菜を刻んでいく。
「はやい!」
「すごい。大きさが同じだ」
小学部の子供達が目を輝かせている。
アウルに目覚めていなければ目で追うことが出来ないほど速い。
斉凛が本気を出せばもう数割は速くなるけれども、自炊挫折者に教えるのも今回の目的なのでこのままでいいのだ。
「痛みの激しい部分はコンポスターへ。下宿の都合で使えないときは生ごみ用に分別してくださいね」
斉凛は噛み砕いて説明し実際に動いて見せて納得させる。
明斗はステージに熱湯が入った鍋を運び込み、コンポスターをステージ脇へ移動させる。
その姿はキッチンという戦場で戦線を支えるアストラルヴァンガードのようだった。
「今日は新鮮な食材でないのでよく煮込みますの」
白くて小さなメイドが、会場の後ろにいる子供にも見えるよう食材を掲げて鍋の中に投入する。
その背後では明斗が大型の時計を抱えていて、初めて料理を学ぶ物にも非常に優しい授業になっている。
「次からは野菜の煮え具合で入れる順番も考えてみて下さいですわ」
丁度良い具合に煮えたジャガイモを鍋から出して示す。
客席から距離はあるがここは久遠ヶ原だ。撃退士の視力を持つ子供達にはよく見えた。
「素材がよければコンソメの素と塩こしょうだけで、おいしいスープができますわ」
今回は駄目ですけど悪戯っぽく微笑み、明斗が開けたトマト缶を受け取り中身を投下。
「缶詰は日持ちがして安上がりな食材なので積極的に使いましょうですわ」
一際強い香りが出て観客席に漂っていく。
可愛らしいお腹の音がいくつも響く。
「この状態でご飯やパスタにかけたりしてもいいですわ。今日は食材の鮮度がよくないのでトマトカレーにしましょう」
あえて市販のルーを使って味をととのえ、皿に装って見本にする。
少なくとも20皿分の、しかも色の濃い料理をつくったのに、白いメイド服に汚れは一点も無かった。
明斗が希望者を集めて道具と食材を配る。
元気よくお礼を言って野菜を両断しようとしたお子様を、明斗が優しく抑えて止める。
品行方正で諧謔も解するエプロン装備の明斗は、老若男女に幅広く通じる説得力を持っていた。
「戦いも勉強も、料理も、準備が大切ですからね」
ステージ上にある流しで手洗いとうがいをさせた上でエプロンを身につけさせる。
それから後は危険な場面にならない限り手を出さない。
失敗から得られることは多いし、明斗も自分自身の技術を磨きたいからだ。
「そこのアスヴァン君。直せるからって刃物を雑に扱っては駄目だよ」
小さな指に切り傷がつく前に包丁を取り上げ、明斗は先達としての役割を見事に果たすのだった。
●自炊への道
「調理バサミや皮向き器は、恥ずかしくない」
江戸川 騎士(
jb5439)が力強く断言する。
「包丁を使わなくていいのか?」
おそるおそる質問する堕天使に、騎士は力強くうなずいてやる。
「最新グッズを使いこなせ。武器だって個人の能力にあわせるだろう? 料理道具だって同じだぜ」
小学部の料理初心者はこの場にいない。
ここにいるのは自炊に挑み破れた筋金入りの敗残者達だ。
彼等の背後には大文字がいて、いいこと言うなぁという顔で頷き山積みされた野菜に手を伸ばす。間食の代わりに食べるつもりらしい。
悠里が野菜を奪取する。触った時点で危険なのが分かる、しなびて負の刺激臭を放つ危険物だ。
「こんなのを丸かじりなんて……。信じられない……」
呆れと怒りと微量の恐れが入り混じった視線を向けると、大文字は不思議そうな顔でどうかしたかと尋ねた。
「教師が悪い見本を見せれば教え子が惑うのも当然。大文字先生、講座への参加も責任を取るという事で講座への参加もよろ♪」
騎士が高圧的な態度で軽い言葉を押しつける。
「会場を抑えるのが大変だったんだが」
己の非に薄々気がついていたようで、大文字の反論には切れも重さもない。
「分かった」
肩を落として生徒の列に加わった。
「”さしすせそ”は無視する」
騎士の刺激的な言葉に会場がざわめく。
「調味料を順番通り素早く入れるのは、初心者にマジ難しい。あっという間に焦げちまう」
だから同じ工程で使用する調味料はあわせ調味料として事前に混ぜておく。
通常の料理教室では絶対言わない教えない内容がすらすら形の良い唇から出ていいく。
「一番大事なことを言うぞ」
自炊難民兼日常生活駄目人間(元天魔を含む)な生徒達を一瞥する。騎士の美貌に一部の男女が赤面するが気にしないことにして決定的なセリフを吐き出した。
「炊飯器は神」
呆然とする生徒の前で米と魚介と作り置き調味料を炊飯器に投入する。
「給水時間不要。米は炒めるし、魚介はある程度加熱しちまうから炊飯時間が短いぜ。焼いた海老の殻を入れて一緒に炊くとより本物っぽくなる」
蓋を閉じて炊飯開始。
「栄養バランスを気にするなら豆乳スープもいい」
痛んだ野菜は50度の湯で洗いつつ使える部分を確保。
肉は明斗が下茹でを担当したスジ肉その他だ。
それらをまとめて空の炊飯器に入れて閉じて炊飯開始。
「なんだこの匂い」
客席が騒がしくなる。
明斗が運んでいる別の炊飯器2つから、パエリアと豆乳肉スープの香りが吹き出しているのだ。
「これが神であることの証明だ」
蓋を開けると、美しい完成品が姿を現した。
●余る米
猛々しい炎が大型中華鍋を炙る。
中華鍋に比べるととても小さく見える舞が手を振る。
1つ1つ綺麗に別れた米と食材がふわりと宙に浮かび、鮮やかな軌跡を描いて鍋に戻った。
舞は中華鍋を火を止めて鍋の中身をどんぶりに盛りつつ修行中の自炊難民に声をかける。
「玉葱のみじん切りができない方はフードプレッサーをお使いなさいませ。最初に多少の出費が出ますが後のことを考えれば十分以上に元は取れます」
躊躇していた元天魔が声に背を押されて思い切り、大玉玉葱を3つまとめて投入しようとする。
「たぶんこんな感じ的な憶測で料理しない!」
舞は容赦なく駄目だし。その機械なら1つで十分と指示を出す。
「野菜の皮むきはピーラーで出来ます。そこの方、背伸びして包丁を使う必要はありません」
注意を促すときも盛りつけと配膳に遅滞は一切無い。
「無理に本で見るような料理人をする必要はございません。簡単に作れて食べて美味しくて栄養があればそれで良いのです」
言い終わるのと盛りつけが完了するのは同時だった。
もとが廃棄直前の米と野菜だったとは思えない、色鮮やかで素晴らしい炒飯が食卓に並べられた。
「……ん。美味」
席に着き数秒で食べ尽くす憐。
速度を除けば実に礼儀正しく咀嚼回数も多めなので文句のつけようがない。
「早食いの真似はしないで良いですからね?」
舞がにこりと笑って注意を促すと、生徒達は気圧されたように無言で何度もうなずいた。
●さらに余る米
「うん、先生もつくってる」
大文字が焼きキャベツに挑戦しているのを確かめ、悠里はほっと胸をなで下ろす。
「これで同種の悲劇は起きない……たまにしか起きないんじゃないかな」
この場でこれ以上考えても仕方がない。
まだ使えていない食材を集めて並べてみる。
全て生食厳禁でよく加熱して濃いめの味付けをしてなんとか使える程度の食材だ。
「多いなぁ」
雑炊にすると体積が増えすぎるかもしれない。
100食用大鍋で湯を沸かし刻んだ人参椎茸を入れ、次に冷えたご飯をばらしながらネギを投入する。
酒醤油をベースで味をつけて調整し、最後に溶き卵で彩りと甘味を付け加えて完成だ。
大型のお玉ですくってどんぶりに注ぐ。
「……ん」
憐が深くうなずいて親指を立てる。
「ガンガンきて下さーい。夕食としてどうぞー」
悠里の前に徐々に人が集まってくる。
自炊修行で疲れた男女や、先程ポスターに気づいてこの場にきた者まで様々だ。
既に夕暮れ時で気温が下がっている。
熱い湯気が立ち上る雑炊は、最高のご馳走だった。
●完食
「ごめんなさい。もうありません」
あやかのチーズリゾットは夕方になる前に材料が尽き、何度かリクエストされた野菜多めカレー炒飯も先程品切れになった。
「皆さん、これにて今回のイベントは終了です。お帰りの際は足下に気をつけてください」
明斗の堂々とした態度には説得力があり、参加者は素直に例を言って帰り始めた。
「来た時よりも美しく。大変ですが頑張りましょう」
膨大な量の食器と鍋とジャーを見据え、明斗は腕まくりをするのであった。