●惨劇の跡
ドライブインの屋根の上で、麻生 遊夜(
ja1838)が伏せた体勢で遠くを見つめていた。
「接敵まで最短1分、距離は1km……囮の方は準備できてるかー?」
3つの点に視線を固定したまま仲間達にたずねる。
「もう少し」
高橋 野々鳥(
jb5742)は駐車場のアスファルトに杭を突き刺す。
破滅的な音をたてて杭を中心に亀裂が広がるが気にしない。
「こんな感じでいいかな?」
近くの畑から拝借してきた案山子……にしては気合に入りすぎた人形を杭に当てると、御門 彰(
jb7305)が位置を調節しロープで固定した。
「御門ちゃんサンキュ」
野々鳥は浮かんでいない汗を拭く真似をする。
「今度のディアボロって鳥でしょ? かかしで追い払えたら楽なんだけどねー」
「ええ」
彰は軽口に相づちをうってからレストランに向き直る。
殺戮の現場はユウ(
jb5639)によって毛布が被せられていた。
布の上からでも遺体が人の形を保てていないことが分かる。
「もう少し待っていて下さい、必ず家族の元に送ってみせます」
ユウが数秒黙祷し、彰がユウに倣い、野々鳥が目礼する。
真上からユウ・ターナー(
jb5471)が急降下してくる。
「周辺の避難は完了ずみっ。麻生ちゃんはも少し前に出てもだいじょうぶ。目立つ色のひとは気をつけてねっ」
ターナーによる空からの偵察は的確で、待ち伏せ担当の配置がより効果的なものに変更されていく。
「そろそろです。……囮役宜しくお願いします」
双眼鏡を手にユウが促すと、8人の撃退士がいるドライブインから完全に気配が消えた。
●囮。誘引
鷲型ディアボロ3体との距離が500メートルを切った時点でアウルを両眼に集中する。
視界が鮮明になり敵の動きがよく見えるようになる。
残り400地点で小さな案山子に気付いたディアボロ達が加速する。
そして、残り100で速度が落ちた。
「気付かれたな」
進路が案山子からずれている。
遊夜が手振りで合図すると、堕天使とはぐれ悪魔達が動き出した。
「んー……取り敢えずは動いてれば気づいてくれるかなぁ?」
先頭はミリオール=アステローザ(
jb2746)だ。
1人地上を行き、目立つよう、隙だらけに見えるよううろうろしてみる。
ミリオールの見た目は小学部新入生並みで見た目も中身も瞑魔の怨敵である天使(正確には堕天使)だ。
つまり今回のディアボロ達にとっては最優先で抹殺すべき対象な訳で、他の囮を全て無視してミリオールに向かってきた。
「んふー、わたしを狙ったのは大きな間違い……なのですワっ!」
3羽が急降下し鋭い爪で襲いかかる。
小さな堕天使は不敵に微笑んで、顔を狙ってきた爪の前に斥力の網を展開して威力を激減させ首筋を狙ってきた嘴にカウンター気味に黒色の球体を叩きつける。
高速で重めなディアボロに接触されて痛い。
しかし黒球から奪い取ったエネルギーにより失った体力が回復していく。
「はぁうぅ。美味しくないデスワッ!」
直上から一直線に落下してきたディアボロを完全に回避するのはちょっと無理だ。
けれどそれはそれで構わない。
小さな堕天使に気をとられすぎたディアボロは他の撃退士に大きな隙を晒してしまっている。
「街へ行かせる訳にはいかないわね。ここで落としてしまわないと」
フローラ・シュトリエ(
jb1440)の手の中の護符が雷のように輝いた。
雷にしては色と気配が冷たい。
光は式神に変わってミリオールを狙う鷲型の無防備な側面から飛びついた。
鷲型の翼が止まる。
勢いがついていたので静止はしないが動きは単純に狙いは甘くなる。当たれば致命的な一撃をミリオールが余裕をもってかわす。
そこで仕掛けたのがターナーだ。
勢い余ってアスファルトに鷲型の穴を開けたディアボロに威力満点の華やかな火を直撃させた。
「うしろにっ」
最初にミリオールを狙った2羽が3人による防衛戦を突破する。
「だいじょうぶっ」
ターナーは慌てない。
戦場の地形と味方の配置は全て頭に入っている。
撃退士の防衛戦を突破したつもりの2体は、手ぐすね引いて待ち構えている面々の前に飛び込んだだけなのだ。
「1つ落とせばじゅうぶんっ!」
「むー、絶対に逃がさないのですワっ!」
堕天前の強大さの名残がある翼を広げミリオールが急降下する3体目の退路を塞ぐ。
ばらまかれる炎剣が鷲型の翼の端を斬り飛ばし首に深い傷をつける。
このまま押し込まれると為す術無く滅ぼされると判断し、ディアボロが力を振り絞り小さな堕天使を跳ね飛ばそうとした。
が、衝突前にフローラが次の札を切る。
堕天使にとっては痛いはずのディアボロの爪牙がアウルの網に邪魔され本来の力を発揮できず、ミリオールにかすり傷を負わすに止まる。
それでも地上から離れて離陸することはできた。
「絶対に逃がさないンだからーっ!」
空ではターナーが待ち構えていた。
太陽を背に手に炎を握りしめて垂直落下風に急降下。
強引に、要するに無理のある体勢で逃げようとしていたディアボロに灼熱の業火をお見舞いする。
鷲に見える頭が燃え、不用意に明けていた口から内臓がこんがりと焼ける。
ディアボロはそんな状態でも動きが鈍らない。
上空のターナー、中空のミリオールから少しでも距離をとるため体をアスファルトにすりつけるような経路で全速移動を試みた。
経路上に冷たい魔方陣が展開していることに、鷲型は最期まで気づけなかった。
「Eisexplosion」
詠唱を終えたフローラが陣を起動する。
陣に込められたアウルが爆風の形で開放され、ディアボロを斜め上から押さえつけてそのままアスファルトの地面に叩きつける。
右の翼が半ばから折れて左の翼がひしゃげ鷲型は地上から飛び立つ術を失った。
「同情はしないわ」
氷晶霊符で以て氷刃を生みだし振り下ろす。
人界に悲劇をもたらした魔獣の首が飛ばされ車の走らない道路に落ちた。
●3対1
ディアボロが地面と水平に飛んでいる。
一度目を離したら再度視認する前にはらわたを食い破られかねない。
そんな速度で彰に向かってきていた。
彰は変化の術で幼くなっている。故にディアボロが向かっている訳で囮としては大成功な訳だが拙い面もある。
変化で小さくなった彰は物理的に軽い。
だから完璧に防御しても重さの差で吹き飛ばされてしまう可能性があった。
拳が届く距離まで敵が近づく。
そんな状況でも彰の表情は穏やかだった。
鷲型の頭部に真横から音譜の形をしたアウルがぶつかる。
「よし!」
それを為したのは野々鳥だ。
空中での乱戦では誤射を避けるために攻撃する訳にはいかなかった。
だが徹底して隠れていたのは無駄にはならず、ディアボロが警戒していない側面から、ディアボロの特に守りの薄い部位を痛打することができた。
左の目が砕かれ吹き飛ぶ。視界の半分を奪われた鷲型の動きが乱れる。
乱れはほんのわずかでしかなかったけれども彰にとっては十分過ぎる。
緊張で握りしめていたてのひらを開く。
鷲型の頭が彰の腹にめり込む。
否、絶妙のタイミングで斜め下方に飛びながら体を硬化させ体力の面で圧倒的に上回るディアボロの力を逸らして受け身の瞬間に衝撃を地面に流す。
これぞUKEMI。
真面目に考え真摯に鍛えた結果手に入っちゃった防御技だ。
ディアボロは速度を殺され1つしかない目を素早く左右に向ける。
吹き飛んだ小さな人間は地面に転がっている。その横には転がっているのと同じに見えるものが2つある。獲物としては理想的すぎて、ディアボロは撤退の決断を下すまで致命的なほど時間がかかってしまった。
「逃がさねぇよ!」
音符がディアボロの逃げ道を塞ぐ。
野々鳥はいつも通りに明るく見えるけれども、飄々とした瞳の奥には堅く冷たい感情がある。
無残に殺された犠牲者を見た彼はその犯人を確実に滅ぼす気だった。
ディアボロが加速する。
情けない悲鳴をあげながら、左の眼窩と体中から体液をこぼしながら、急角度で空へ駆け上がる。
ここなら音符は届かない。
安堵の混じりの嘲笑をもらした鳥型の腹を燃えさかる炎が貫通した。
「しまったー」
野々鳥が髪をかき上げ落胆し、彰が体格を元に戻しつつ息を吐く。しかし2人は全く危機感がない。
不審に思ったディアボロが体に鞭打ち速度を上げる。
いつの間にか翼の付け根に金属製の糸が絡みついていることに、ディアボロは最期まで気づけなかった。
悲鳴というには余りにも大きすぎる音が大気を揺らす。
翼の付け根は骨だけが残っている。
その骨も半ばまで神経ごと断ち切られ気絶すらできない痛みに耐えかね石の如き自由落下を始める。
「これで」
闇の翼を持つ少女が、緩やかに回転しながら落ちていく鷲の背に着地する。
「終わりです」
ニグレドの握りを調節してから全力で引っ張った。
もともと限界近かった骨が切断され、一対の翼が明後日の方向へ吹き飛び、残った胴体と頭が一直線にアスファルトの地面へ向かう。
ユウはディアボロの背から離れない。
艶やかな黒髪を上向きの風で揺らしても鷲型を踏みしめる足は安定している。
ディアボロがアスファルトと接触するコンマ数秒前に蹴りつけ離れる。
鳥型が地面にぶつかり、衝撃でペースト状の何かになってアスファルトの上に広がっていった。
●2対1
「さぁ、オシオキの時間だ」
低くて甘い声と高くて残酷な声が1つに重なった。
「そんなに急いで飛ばなくてもいいだろ? もっとゆっくりしていけよ」
都市迷彩柄の布を捨て、遊夜が黒の双銃からアウルの銃弾を放つ。
ほぼ無傷で速度も体力も十分の鷲型ディアボロは射程距離を読み切って華麗に回避、はできなかった。
「見え見えだ」
狙いをつけることで通常よりも射程を伸ばす。
初手は、数分間ディアボロを注視して動きを読み切った遊夜の勝ちだ。
弾はディアボロの左右の翼を撃ち抜きその機能をわずかに低下させた。
遊夜に実力では勝てないと悟ったディアボロが急加速する。
そして目の前に突然現れたように見えた銃口に気付き目を見開いた。
「ちょっと地味だけど、見え難いでしょう?
男を昂ぶらせる嘲弄混じりの声と同時に銃口から暗い光が溢れた。
光が喉元、胸、腹を突き抜ける。
人類の天敵であるディアボロは墜落も速度を落としもしない。
しかし被害は甚大で、致命傷に限りなく近いダメージを負ってしまっていた。
「その羽、全部落としてあげる……ボクのみたいに、ね」
来崎 麻夜(
jb0905)の背には骨組みだけの翼が展開されて、艶やかな羽が周囲に舞っている。
愛しの先輩との共闘は彼女の心を強烈に昂ぶらせ、増幅したアウルが犬耳と尻尾に似た形をとり彼女を美しく飾っている。ただし犬ではあっても愛玩犬ではなく獰猛な狩猟犬だ。
「地に縛られてんのがお似合いだぜ? さっさと墜ちて報いを受けろ」
地面から湧き出たアウルの鎖に逆らい、対空攻撃に最適化された射撃を行う遊夜。
これだけでもオーバーキル気味だが実は本命ではない。
視線を向けることすらせずに気配だけで促す。
麻夜は一瞬だけ愛玩犬よりも蕩けた笑みを浮かべてから、遊夜の逞しい肩を足場に跳躍した。
逃亡のため方向転換中だったディアボロに追いつく。
1メートル上空から見下ろし残酷に笑って銃口を向けた。
「飛びさえしなかったら、その立派な足も役に立たないよね?」
2つの引き金を優しく撫でる。
2条の暗い光がディアボロの両翼の付け根を吹き飛ばす。
空を征くための羽を失い、固い地面にぶつかり鷲型の頭が砕けた。
遊夜は双銃をホルスターに戻して両手を広げる。
背中から翼を消した麻夜が遊夜に抱きつき抱き留められる。
分厚い胸に柔らかな頬を寄せ、熱くて甘いため息をついた。
●帰還
レストランから出てきたミリオールが黙って首を横に振る。
無人だった。
1人を除き避難が完了していたのを喜ぶべきなのかもしれない。けれど生存者0という表現がしっくりきてしまう。
「時間が足りなくて避難させられなくて悪かったな」
赤黒く染まった毛布をどけて、野々鳥はばらばらのパーツを担架の上に並べていく。
声は軽く手つきは恭しい。
ユウに見せてもらった最初の襲撃時の映像で、この男が何をして何を残したか知っているのだ。
「手伝います」
再度清潔な毛布をかけ、ユウと野々鳥が遺体を悲劇の場から運び出していった。