●強襲
転送されてからリノリウム張りの床に着地するまで0.3秒。
中津 謳華(
ja4212)は着地の時点で戦場の把握を完了していた。
「貴様等の相手は俺だ、腰抜け共」
謳華が駆け出すと、砕けた床の破片が儚く煌めき消えていく。
ディアボロの前衛は無能ではなかった。
買い物客を人質にとるのは同属に任せて撃退士の足止めに徹しようとしたのだから。
謳華の光纏が濃くなる。大きな黒龍が謳華を守護しているようにしか見えない。
輪郭だけは人間に似ているディアボロが、凶悪に伸びた歯を剥き出して鉄裂く爪を振りかぶる。
しかし遅すぎる。
衝突直前にさらに加速した謳華を目で捉え続けることはできなかった。
辛うじて謳華の左肩が己の胸に触れるところまでは知覚できたが、その直後に襲って来た衝撃で意識を消し飛ばされる。
閂殺し。
かつて城壁を破る為に編み出されたこともある技で人間相手に使える技ではない。
つまり人の形だけを真似た悪魔を潰すには最適の技だ。
ディアボロは床と水平に吹き飛び、地震対策で床に強固に固定された大型商品棚にぶつかり、鉄をひしゃげさせながらめり込んだ。
「行け」
「はい!」
十三月 風架(
jb4108)が強烈なアウルを脚部に集中させ、直前までディアボロがいた空間を貫き奥へ向かう。
ルルディ(
jb4008)が赤煙を纏うスレイプニルに掴まったまま、風架とは少しずれた進路で逃げ遅れた買い物客へ向かう。
「事前情報よりやれるようだが」
江戸川 騎士(
jb5439)が冷笑を浮かべている。
無事なディアボロ2体が互いの距離を詰めながら接近してくる。
見るからに頑丈そうで、足を止めて至近距離で殴り合えばおそらく騎士が負ける。
相手の得意な戦いに付き合うつもりはない。
絶妙の角度と速度で移動することで望み通りの距離を保ち、アウルで冷たい力を紡ぎ解放する。
冷気が通り抜けた直後、右側のディアボロが片膝をつき、左のディアボロは無音で咆哮して睡魔を振り払う。
左から高速で拳が打ち出される。
完全には回避しきれずかすめた箇所が少ししびれるが被害はそれだけだ。
今度は闇を紡ぎ開放すると、起き上がろうとしているディアボロも含めて明らかに動きが鈍くなる。
騎士は、ディアボロ達の再攻撃を難なくかわしきることができた。
「同士討ちをするほど間抜けではないか」
舞台上のダンスを思わせる動きで蹴りを喉に叩き込む。
左側のディアボロは無音の悲鳴をあげて顔を歪める。しかし最初の術攻撃ほどの手応えは感じられなかった。
ディアボロはが突然奇妙な動きをする。
屈伸し損ねてふらつく、フェイントとしても芸としても無意味な動作だ。
「しばらつきあってもらうぞ」
予め阻霊符を発動させていた騎士が、容赦なく仕掛けた。
●天と魔の狭間で
「くっ」
「ぬう」
シリアスな顔で退治する天使タナ(jz0212)とボスディアボロ。
にらみ合いが始まってから数分たっても全く変化がないように見える天魔ではあるが、撃退士の登場による変化は既に始まっていた。
猫を被れば二次元サキュバスを劣化せずに三次元にした姿の秋桜(
jb4208)が、真剣な顔で、敢えて戦闘に参加せずに思念通話に没頭していた。
『デュフフ。いいよね、テンタクルスたんとかロビンたんかわいいぉ』
『ヒュー! 分かってるじゃないですか! リアルで同好の士と会えるなんてタナ感激っ』
ボスディアボロと対峙している天使からの返信は、喜びに満ちあふれすぎていてキャラが崩れていた。
『フィーニクスたんのフィーニクスレイとか、逞しすぐる。あれはけしからんよ』
極限の集中により秋桜の顔は引き締まり、高貴かつ淫靡という高位悪魔っぽい雰囲気が垂れ流しだ。
『そーゆーのもあるんですかー。具体的には?』
天使も見た目だけは天使らしい。
『うすいほんが、あるォ?』
ただし両者とも中身は普段通り。
いや、話の通じる相手だから普段以上に己を表に出しているかもしれない。
『ま、まさか電子データじゃないリアルのっ?』
目の前に強めのディアボロがいるのも忘れて、タナは全力で驚きを表現していた。
『見せてアげてもいいけど、どうしよっかなー、チラッ』
だいたい中二天使と淫魔の心理戦は、明らかに天使が押されていた。
「天使め、何のつもりだ」
ディアボロが止めのつもりでかぎ爪を振るう。
細い喉に直撃し、天使が咳き込んで一歩後退した。
非常識に頑丈な天使でも口の中は柔らかなはず。そう思い勢いをつけるため拳を振りかぶったディアボロの肩に、無色の闇の矢が突き立った。
「ふむん。そろそろ、仕上げに入るべきと思うでござる」
タナとの意思疎通を使った会話とは全く違う陰気な小さな声で呟き、秋桜は乾坤護符を構えてボスを含むディアボロを牽制した。
「任せてください」
小さな握り拳をつくり、ロシールロンドニス(
jb3172)が改めて状況を確認する。
前衛のディアボロ、逃げ遅れた買い物客、囮と強襲を担当する撃退士のことはひとまず忘れる。
店の奥の食玩コーナー付近でにらみ合っていた天使とディアボロとの距離は徐々に開いている。
天使の意識は主に奥に向かっている。多分バックヤードから建物の外に逃げるつもりだ。
対するディアボロの意識は撃退士に向かっている。同時に避難中の買い物客にも目が向いていて、天使が逃げたら人質か餌を得るために動き始めるだろう。
『あなたがタナさんですね』
ロシールはタナと接触した撃退士から色々聞いている。
だから、転送準備が整うまでの極短時間で、タナを釣るためのアイテムの調達に成功していた。
「ゲェッ」
乙女にあるまじき叫びをあげる。
ロシールが誇らしげというにはちょっと照れがある動きで掲げたのはけーう゛ぃーの食玩シリーズ。
シークレットの、大型高精度のプラモと同スケールのマニア垂涎の品まで含まれていた。
『私半分も揃ってないのにっ』
意思疎通でも現実でも涙目だ。
『僕達に協力し、ディアブロ共……特にボスの気を引き続けてくれれば戦闘終了後に全て差し上げます』
微笑むロシール。
『鬼、悪魔、重課金ゲー! 壊れたら承知しないんだからってゆーか貴重なもの戦場に持って来ないでっ』
『これは失礼』
交渉の成功を確信し、口元の笑みを食玩で隠しながら最後の矢を放つ。
『お詫びとして』
頬が熱くなる。でもこれは仕事と自分に言い聞かせて最後まで言い切る。
『僕の女装コスプレ同人DVD「けーう゛ぃー少女これくしょん……大破もあるよ♪」も付けます』
タナは、黙っていれば文字通り天使な顔を真っ青に、指を生まれたての子鹿のよーに震わせた。
「お前はいったいなんなんだぁっ!」
「そんな餌に釣られくまー」
激怒するボスディアボロに、欲で目がくらんだ天使が襲いかかった。
●救出
人は簡単に死ぬ。
ディアボロが移動中に無意識に吹き飛ばしたものに当たっただけで骨が砕けて肉が弾けることだってあるのだから。
縮地による高速移動状態から綺麗に速度を0にする。
「助けに来たからもう大丈夫!」
鈴木悠司(
ja0226)の笑顔には、この場が戦場であることを感じさせない明るさがあった。
遠くから飛んできた500ミリペットボトルを背中で防いでも表情は変えず、極度の恐怖と緊張にさらされていた親子を笑顔で宥めて安定させた。
悠司は笑顔を浮かべたまま高速で思考する。
奥のディアボロは天使とにらみ合い、前衛のディアボロは味方撃退士に足止めされ、左右の商品棚は買い物客達から逃げ場を奪っている。
自分1人では手が足りない。
「お待たせ」
悠司の斜め後方で、ルルディが華麗にして可憐な動きでスレイプニルから降りる。
手首まで隠れる品の良い服装の美少年がお辞儀をすると、子供は無邪気に笑い、大人は少々引きつりながら安堵の息を吐いた。
「ボクから離れないで、いいね?」
目の前の親と、悠司が守った親の目を覗き込み一瞬で説得する。
「今から避難する!」
建物全体に響く声を出す。
最初に反応したのは謳華だ。
棚の残骸から勢いよく飛び出した人型を両の手で受け止める。
受け流しきれない衝撃が体の内と外を傷つけるがこの程度なら耐えられる。
「ふん」
光纏の墨焔が失せ瞳が緋に染まる。
膝を突き上げてディアボロを悶絶させ、健在な棚に押しつけ棚ごとぶち抜いた。
「前だけを見て。行くよ!」
先頭は親子連れ2組だ。
倒れたディアボロを避け、棚と商品の残骸を踏み越え安全地帯へ向かう。
鮮血色の翼を広げたルルディが彼等の背後を守り、ディアボロの横をまで来て足を止める。
赤紫の瞳が冷たく光る。
黒と赤の馬竜マミが大きく息を吸い、灼熱の衝撃として撃ち出した。
半死半生のディアボロは避けることも受けることもできず、分厚い胸板を焦げて大穴が開いた。
「うん、よし」
人気のない通路を駆け抜け、買い物客2組が建物の出入り口へ到達する。
待ち構えていた救急隊員が救急車の収容し、ひとつ頷いてから急速発進する。
「避難完了したんだよ!」
ルルディが叫ぶと建物内の空気が変わる。
守るべき者の避難が完了し、撃退士が建物の被害など気にしない攻勢を開始したのだ。
そして、ルルディ自身の気配も変わる。
「誰も傷つけさせない」
長い長い風の刃が、ディアボロの胸の大穴から腰まで綺麗に両断した。
●紅の針
ディアボロのボスに油断はなかった。
天使に対する警戒と同時に撃退士達にも意識を向け、前者に対しては自身が壁となり、後者に対しては部下に視線や身振りで指示を出して押さえ込む。
撃退士に対する足止めはあまりうまくいっていないようだがすぐに崩れることはない。そう、ディアボロは思っていた。
「さ、恨みは無いつもりだけど」
声が聞こえる。
「ちょっと鬱憤、晴らさせてもらいましょうか」
なのに声が聞こえた方向が分からない。
ボスディアボロは目の前の天使が雑魚だったと断定して、声の主を捜すために素早く360度を見渡した。
「へえ」
風架は床から棚、棚から天井足場を変えてから下に向かって跳躍する。
アウルを込めた血潮をこぼし、宙で円錐状に固めてから開放した。
触手じみた動きで伸びた血染めのアウルがディアボロの両肩と腰を貫く。
「なぁっ?」
驚愕に目を見開いてディアボロが風架を見上げる。
風架はほとんど音を立てずにボスの後に着地して、淡々と事実だけを口にする。
「赤の風は死神の力、血を操り命を刈り取る力也」
ディアボロの姿勢が崩れる。。
手を伸ばし爪を商品棚に食い込ませることで倒れることだけは防いだが、それ以上全く動けそうにない。
「えっと貴女が天使タナ、で大丈夫ですかね? とりあえずこちらに貴女への敵意は無いつもりです」
直線の鮮やかな手並みからは想像し辛い穏やかな様子で話しかける。
「この状況協力してもらえませんかね? 皆さんが言ってるようにお礼はある程度可能なものなら用意できるかと」
ワイヤーをディアボロの首に巻き付けて、自身の黒いアウルを燃やして引きちぎりにかかる。
一度は耐えるほど頑丈なボスディアボロではあるが、数秒後の運命は既に決まっている。
「悪魔が全滅したときに私だけ残ってたら命がいくつあっても足りないですし」
馴れ合うつもりはあっても命の危険を冒す気は無いのだろう。
秋桜とロシールに片手を上げて挨拶してから、タナは下っ端とはとうてい思えない速度でバッグヤード目がけて飛んでいった。
●止め
「これが欲しかったのか?」
何度も振り返るタナの様子から事情を察して、騎士はマニアに大人気の人型けーう゛ぃーストラップを掲げてみる。
「逃げるか」
直前まで戦っていたディアボロも、ディアボロボスと対峙していた天使も、どちらも出口に向かって全速で逃げていく。
「相変わらず勢いのイイ子だ。台風みたい」
悠司はにこりと微笑んでだ天使を見送り、一歩横に進む。
たったそれだけの動きで最後に残った2体……いや正真正銘最後の1体の退路が塞がれる。
ボスディアボロの頭が床を転がる音を聞きながら、片刃の曲刀をするりとディアボロの腹に押し当て埋め込み切り裂く。
大量の体液が零れるときには悠司の姿はそこにはない。
既にディアボロの背後に回り込み、大きくウルフズベインを振り上げていたた。
「じゃあね」
頸骨と背骨に当たる部分が切断される。
残骸と化したディアボロが、短くも激しい戦闘で荒れた床に転がった。
救急車で搬送された買い物客は病院で徹底した検査を受け、傷一つ無かったことが確認された。
スーパーは早期の営業再開を目指して全力で工事が行われている。
現時点では、タナの行方は分かっていない。