●大文字教卓に死す
すぴょー、すぴょーと寝息をたてながら、大文字 豪(jz0164)が教卓に突っ伏している。
大文字が意識を失った直後は心底心配していたちびっ子達も、単なる寝不足だったことに気づいた後は好き勝手に自習……ではなくゲームやお菓子を楽しんでいた。
そんな教室へ羊山ユキ(
ja0322)がこっそり入ってくる。
教卓側から混沌の教室に侵入した彼女は、優しい目で「センセーお疲れ様」とつぶやき大文字にアイマスクとついでに猫耳ヘアバンドをつけてあげた。
「んおっ」
現役を離れて長いとはいえ大文字も撃退士だ。
ユキの気配に気づいて身を起こす。が、寝ぼけているのは何がどうなっているのかさっぱり分からない。
「せせ先生これはゲームじゃないよっ」
「辞書アプリだからっ」
「ちょっとだけ萌え要素入ってるだけだからっ」
ぱっちり見開かれた目がアイマスクに書かれたユキの落書きであることに気づかず、ちびっ子元天魔と頭の中身は同類小学生撃退士達は必死に言い訳する。
猫耳?
それで慌てるような奴等なら大文字はここまで苦労していないって本当に。
●教師凛
「保健室に移動した大文字せんせーに代わって、凛達がきみ達の面倒を見るのです」
堅い印象のスーツに知的な眼鏡を身につけた堕天使がえへんと胸を張ると、生徒達から拍手がわき起こった。
凛(
jb6302)は真面目な顔でにこりと笑いって生徒達を静かにさせる。
ただ、スーツのおしりでぱたぱた動く尻尾が幻視できるほど機嫌良さそうだった。
「クイズ形式です」
白墨の軽快な音が響き、黒板に小学生低学年レベルの算数問題が複数書き込まれた。
「正解者にはうめー棒を一本贈呈です」
凛が取り出したサラダ味うめー棒に、生徒達がざわりとどよめく。
「むずかしー問題ならレアなの贈呈です」
器用に一瞬だけ別のお菓子を見せる。
「あれは限定発売された焼きそばパン味うめー棒!」
「この勝負負けないよっ」
お子様達の瞳に炎が灯り、武力を用いない戦いが始まった。
頑張れば成績が悪い生徒でも理解できる難易度の、算数なら法則や解法、理科等は高確率で試験に出る重要分野の要点を的確に出題していく。
時間が経過し生徒達に疲労が出てくる。
「ラスト問題です」
華麗なマジシャン風に手を動かす。
凛の手に現れたのは、生徒が自分の力だけでは正答にたどり着けなかった問題のご褒美達だ。
「正解者には残っうめー棒を全部進呈します」
雄叫びをあげたお子様達が問題の書かれた黒板に群がった。
●中等部で教師
「続いて私が担当します」
九条 朔(
ja8694)が現れるとうめー棒の空き袋で遊んでいた子供達が停止する。
最小限の言葉しか話さない朔の寡黙さは真剣さを感じさせ、上体のぶれない実戦的で美しい歩みは力を感じさせる。
「すごいっ」
「大文字せんせーよりミリタリーっぽいよっ」
「これよこれ、わたしこーゆーせんせーに教えてもらいたくて大文字先生の教室に志願したのよっ」
「おねーさまー!」
お子様元天魔達は身振り手振りで意思疎通を行ってから深くうなずきあい、教官の前で整列する新兵のような態度で背筋を伸ばしノートを開く。
「わからないところは教えますし……おしゃべりも落書きも、お菓子だって自由です。……長い時間教科書と向き合うのは、大変ですからね」
朔が子供向けの柔らかな笑みを浮かべる。
内容的には甘やかさない範囲で出来るだけ甘いことを言ったつもりなのに、何故だか人間小学生撃退士も含めて緊張感に満ちた顔付きだ。
「朔ちゃん……いえ、九条先生。よろしくお願いします!」
燃える瞳で、森田良助(
ja9460)が生徒を代表して宣言した。
「えと……この問題は、左ページの方程式を使えば解けます。わからないうちは、何度も見直したり、ノートに写したりして、記憶することが大切です」
朔が黒板に几帳面な字で社会科の内容を書き込み、生徒達が必死の形相でノートに写していく。
ノートに写し切れていない生徒がいないか見てみると、教室内で一人だけ頭を抱えている少年に気づく。
ほとんどが小等部な教室で只一人の高等部なはずの良助だ。
視線に気づいた良助は明るく笑い白い歯をきらりと輝かせた。
「進級試験で不正をした僕の学力を甘く見ないほうがいい」
キリッという効果音が聞こえそうな、見事なドヤ顔であった。
「歴史は無理して年代を覚えずに……関連付けをした方が楽ですよ。右側は中等部の内容です。興味があれば詳しく解説してあげますね」
良助をスルーして授業を続けながら、なんで中等部の自分が高等部の良助や中等部の仲間達に教えているのか内心疑問に思う朔であった。
●堕落の味
「終わったー」
担当時間が終わって朔が出て行ってから数分後、教室はだらけきった空気に支配されていた。
「みんな遅くなったけどお久しぶりなのですよ」
ルミニア・ピサレット(
jb3170)はぐったりしつつ見覚えのある顔に挨拶する。
「おひさー」
「ひさー」
元天魔達は朔の授業で気力も体力も使い果たしたらしい。
机の上に顎をのせたり、机を透過して力無く突っ伏していたりとやりたい放題だ。
「お招きありがとうなのです♪」
300久遠分の駄菓子の山を机の上に積み上げる。
「やた」
「ねんりょーほきゅーするよー」
低速ゾンビ風の妙に不気味な動きで、堕天使とはぐれ悪魔の駄目撃退士達が甘い駄菓子に引き寄せられていった。
「ログインしたらこの招待コードを入れるです♪」
糖分を補給したついでになんで勉強していたのか忘れてしまった駄目天魔達が、ルミニアによってソシャゲの魔境に引き込まれていく。
「かっけー」
「ひゅー」
実にあっさり引っかかる。
ただ、ユキだけは勝手がよく分からずに首をかしげていた。
「よくできますね〜♪」
華やかな絵が滑らかに動いて見るだけで楽しくなってくるけれども、操作法がよく分からない。無論真剣に取り組めば分かるのだろうが……。
「とりあえず、べんきょーしましょう! おー!」
「おー?」
ユキ的には今は勉強時間なのだ。
彼女に釣られて駄目天魔達がソシャゲの魔力へ抵抗し始める。
「うぅ……難しい……ユキ、小学生の問題もできないなんて☆」
まだ日が高いのに猛烈な睡魔が襲ってくる。
「ぐう」
教科書を枕にユキが眠りに落ちる。服のリボンが揺れてチリンと澄んだ音が響いた。
「るみるみはガチャ回しまくりで超強いカードを揃えてるので皆に分けてあげるです♪」
ここがチャンスと見たルミニアが一気に攻勢をかけた。
「さんきゅー」
「ありがとー!」
残念ながら突っ込み可能な人材は保険室か職員室に出かけて不在で、最後の頼みの綱も熟睡中だ。
「えへへ、お姉さまが何かの数字を入れてるのを見て、手の動きで数字を読み取ってこの画面で入力したらコインをいっぱい貰えたのです♪」
懲りずにもう一度同じ事をする。
でも何故かコインが増えない。
三度目の正直を期待して操作したら、課金は300久遠までという表示が出てゲームが止まってしまう。
「え? えっ?」
駄目天魔達は楽しく遊んでいるのに輪に入れない。
依頼終了後姉に手続きしてもらうまで、このゲームはお預けだった。
●ボクは小学一年生
「ふふん。漢字ドリル程度俺の手にかかれば」
良助が採点を終えてドリルを閉じると小学2年生と書いてあった。
「ふっ」
影のある笑みを浮かべて窓から空を見上げる。
その姿は小学生が憧れの視線を向けるほど決まっていた。
ドリルなども問題集や教科書を用意したのは礼野 明日夢(
jb5590)だ。
試験の答え合わせで進級が堅いことを確認し、来年度の予習をするため持ってきたのである。
ただし小学2年用教材としては内容が濃く高度なものばかりで、大文字に解かせてもいくつか間違いかねない問題まで含まれている。
「漢字は覚えないと、依頼でも困る事があると思います」
「でも僕ら市街戦中心だからスマホ使えるよ?」
明日夢の説得に、お子様堕天使は首をかしげている。
「詳しい情報を味方に送らないといけない、けど書ける物が小さな紙しかない。こんな場合、どうします?」
黙っていれば美形の瞳が見開かれる。
「やっべそこまでかんがえてなかった。使っていい?」
堕天使が漢字ドリルを指さす。
「予備のもありますからどうぞ」
「さんきゅ。ゆそーひなしで悪いけどてーかの久遠は払うよ。これとこれ使うよー」
早速送金されてきた多すぎる久遠をスマホで確認してから、明日夢は小さなため息をついた。読み書きだけでなく足し算も怪しいみたいだ。
「算数ドリルもしましょうね。撃退士がいらなくなっても好きな子を養えるだけの収入がないと、結婚認めてもらえないかもしれませんよ」
「それは、困る」
人間の小学生撃退士に一瞬視線を向けて、堕天使はこれまでのだらけが嘘のように真剣に取り組み始めた。
「おーいガキ共。大福あるけど食うか?」
いつの間にか教室から消えてきた良助が、特大サイズのお盆を持って戻って来た。
盆の上には自家製らしい大型の大福が人数分より多く並んでいる。
「お腹すきました」
持込んだ軽軽食に手を伸ばそうとする明日夢の前に、良助が紙の皿を置き綺麗に大福を盛りつける。
「あまり保たないんだ」
微かに香る甘さは上品で形も美しい。
「ありがとうございます」
綺麗な礼をしてから大福をちぎって小さな口に入れる。
美味で浮かんだ笑顔は年相応だった。
●大文字
「大きな音をたてないようにね」
犬川幸丸(
jb7097)の注意に、大文字受け持ちの元天魔達が素直にうなずいた。
3人がかりで立て付けの悪い保健室のドアを静かに開けて、大文字の枕元に集まる。
「せんせー」
「おみまいにきたよー」
「おかしだー」
ユキが用意したチョコレートバーに視線が集中する。
大文字が起きたときにすぐに食べられるようにという気遣いの品で、さすがに大文字の了解を得ずに食べようとする者はいなかった。
比較的真面目そうなちびっこはぐれ悪魔がスマホへ文章の打ち込みを始める。
教室に残った同級生への報告のつもりらしいのだが、日本語変換機能があっても残念な文だ。
「あの」
幸丸が話しかける。
「なにー?」
ちびっこは翼を広げて器用に半回転して、真正面から幸丸の瞳をのぞき込んだ。
幸丸の顔は緊張で熱を持ち、額にはうっすらと汗まで浮かぶ。
「手書きの手紙って、メールとかよりもたくさんの気持ちが伝えられるよ」
精一杯頑張って、なんとかそれだけ言った。
「てがき」
「てがみっ」
「すごい。アニメや映画みたいだ」
ちびっこたちの目つきが変わる。
幸丸に向ける視線も、のんびりした上級生に対するものからあこがれの人物に対する憧憬の視線に変わっていた。
「それを自分でかけるようになると、もっといろんな人と仲良くなれるんじゃないかな?」
「ししょーとよばせてください」
「くださいっ」
幸丸は顔を赤くしながら力強くうなずき、元天魔にしては非常に物覚えの悪いお子様達に根気強く漢字を教えていく。
2時間が過ぎた。
ベッドの上で大文字が跳ね起き保健室を見渡す。
目の下のくまは、少しだけ薄くなっていた。
「すまん。助かる」
だいたいの事情を察して幸丸に頭を下げる。
慌てて太めの手を振りながらその場を乗り切ろうとして、幸丸はつい考えていることをそのまま口に出してしまった。
「大文字先生って、生徒の事を良く考えてくださる本当にいい先生だと思います。今すぐに、完璧に、とは行かないかもしれませんけど、生徒のみんなは先生の気持ちにこたえてくれると思いますよ」
大文字は歯を食いしばりうつむいた。
「先生?」
「歳をくうと涙もろくなっていかんな」
声の震えに、皆気づかないふりをする。
「そこの先生が合格を出したら菓子をやる。それまで頑張れよ」
子供が嫌いそうな味の食い物と飲料だけを手に取り、勢いよく流し込む大文字であった。
●たぶんておくれ
黒板に書かれたのは必勝の2文字。
机の上には大文字が飲食したのと同じ携帯食と飲み物。
いずれも何 静花(
jb4794)が手配した品だ。
「数学は暗記、10進法と方程式だけ暗記してれば問題ない」
片手にハリセン。片手に小学生用の教材を装備し、教卓から堂々と語りかける。
「スマホが使えるなら日本語は大丈夫だろ、読めれば書ける。国語は暗記、ついでに会話が出来れば完璧な」
授業内容は徹底した丸暗記だ。
秒で興味を失って内職に励もうとする問題児に対しては、鋭い眼光とハリセンによる威圧で勉強を強制する。
「社会は新発見や事件で歴史が偶に変わるが何、問題ない。暗記だ」
あまり人気がない勉強法でも効果はある。
知識はあって当然で知識をどう使うかが問われる昨今ではあるが、駄目ちびっこ達は知識がほとんどないのでまず覚えるしかない。
「英語は暗記、ついでに……」
撃退士なので皆基本的な能力は高い。
「理科は暗記、数学と同じな……」
だから、静花の超高密度詰め込み教育は本人の予想以上の効果をあげていた。
「一旦代わる」
視線で朔を促す。
「はい、じゃあこの漢字が読める人」
「はいっ」
気分転換を兼ねたクイズ形式の質問に、今日の朝までは駄目生徒だったお子様達が元気よく手をあげた。
学年の割には難しい問題なのに正答率は9割を越えている。
正解した生徒は疲れた顔に満面の笑みを浮かべ、出題者の朔も楽しげだ。
しかしこの状況を導いた主要な1人の顔色は優れない。
「あれ?」
また分からない。
なにせ静花は勉強術の達人ではあるが暗記以外の勉強は得意じゃない。
朔の遊び心が反映されたクイズは、正直手強すぎた。
「ま、まあいい」
内心の動揺を顔には出さずに荷物をまとめる。そろそろ撤収の時間だ。
「これなら追試には受かるだろう」
「えっ?」
「え」
「試験まだじゃなかったの?」
和やかだったはずの教室が騒がしくなる。
別のゲームをプレイ中だったルミニアも顔色が悪い。彼女も試験を受け忘れたのかもしれない。
「でも追試っていうのがありました! るみるみ安心したのです♪」
がらりと勢いよくドアが開き、真っ青な顔の大文字が入ってきた。
「あっ……安心するなよお前等っ」
教室の3分の1が決まり悪そうに視線を逸らすのに気付き、大文字は力無くその場にうずくまるのだった。
撃退士達は良い仕事をした。
教えを受けたお子様達が追試に受かるかどうかは本人次第だけれども、多分きっとおそらく大丈夫だ。
なお、お菓子等の費用は大文字が喜んで自腹を切ったらしい。