●凪の水面
天窓から差し込む光が、凪の海を思わせる滑らかな水面を照らした。
端の方が少しだけ濁っているけれど、手前の飛び込み台から中央にかけては透明で綺麗なプール底がよく見えている。
塩素の臭いは薄い。
飛び込んで水面の鏡を壊して水浴びすればどれだけ楽しく快適だろうか。
猛暑注意の建物の外から聞こえてきくる。
黒ビキニにミニパレオという夏満喫姿のパルプンティ(
jb2761)が、左手に本格的な釣り竿を持ち、右手でパレオの下から黒いものを取り出しルアーのように投げ込んだ。
「っ」
後方のレイヴン・ゴースト(
ja6986)が一見ゆっくりと、しかし実際には高速で視線をずらす。
パルプンティは大胆に竿を操り、パレオが揺れて重要部位が……。
「見える訳ないですよ?」
セルフツッコミするパルプンティ。
疑似餌代わりのビキニパンツは予め用意していた物で、水着は上下ともに着用中だ。
戦闘中でもお色気ハプニングにならない。多分。
竿を操り、水で戯れるおとこのこのよーにパンツを動かす。
釣り糸によって水面に小さな波紋がうまれ、しかし釣り糸がないはずの水面にも波ができる。
目をこらしてようやく見つけられる半透明の触手がビキニの下を追い、辛うじて追いついた先端で黒い表面を撫で、そろりそろりと端をめくろうとする。
「ををを!?」
進路と速度を調節して触手を惹きつける。
餌が飛び込み台まで2メートルまで近づいた時点で思い切り竿を立てると、蛇じみた形の半透明触手が勢いよく水面から飛び出した。
触手が巻き起こした風が、真っ直ぐに切りそろえられた銀の髪を揺らす。
色彩豊かな心を可憐な衣装で包んだ月見里 万里(
jb6676)が、無言のまま高速でアウルを展開、延長してレイヴンの周囲を守らせる。
普段は静かに内心を映し出す紅玉の瞳に、強烈な危機感が浮かんでいた。
貞操、大事。何が何でも死守、する。
14年の人生で最高級に高まった集中力は体に反映され、高位撃退士なみの技術で振るわれたほぼ透明触手をバックステップで回避する。
「ひぅっ」
ぬめぬめした液体が前髪をかすめたことに気付いて悲鳴は出ても、決して動きは鈍らなかった。
「やらせない」
緩めの海パンツの上からでもわかるレイヴンのすらりとした足。
その上の細い腰に巻かれたガンベルトからヒポグリフォを抜いて狙いをつけるのと、黒い光の帯が心臓から腕、腕からV兵器に達するのはほとんど同時だ。
黒いアウルで光る弾丸が銃口から飛び出し、万里を追おうとした触手に直撃する。
「頑丈な」
焦らず慌てず。
的確な射撃を継続して、仲間の女性陣、つまりは彼以外の全員から引き離すため猛攻を加える。
「頑丈なー」
緊張感のない声が響く。
釣り竿から巨大鎌に持ち替えたパルプンティがつんつんと、実際には数百年前の死刑器具並みの威力を叩き込んでも半透明の触手に変化はない。
攻めあぐねる開拓者の中からシャーロット・ルブラン(
jb5683)が前に出る。
体を包むのは、学園内の売店で売られている何の変哲もない無改造水着。
値段の割に頑丈なのだけが取り柄で、シャーロットに言わせると全く面白味がなく胸だけがきついどうしようもない代物だ。
「ん」
レイヴンは軽く咳払いをして、視界内にシャーロットが入らない位置に移動する。
平凡な水着を押し上げる2つのふくらみは、人工物でないのに理想的な形を保っている。
水着の上から予想される、そして実際予想される胸から腹、腰、足の線は、情欲と同時に美への欲望と憧憬を無理矢理に引きずり出す、文字通り魔性の美であった。
「あらあら……プールを占拠したかと思えば私達の水着姿を所望だなんて」
触手からにじむ粘液に耐えられず、ワンピースの腹から下が崩れて床に落ちていく。
天窓からの光と水面からの光を浴びた肢体はとてもこの世のものとは思えず、スライム型ディアボロは色に惚けた男のようにふらふらと不用意に近づいた。
「あまり欲張り過ぎますと」
美の化身が取り出したのは威力のみを追求した無骨で凶悪な針。
「こうなりますわよ?」
無防備な触手にヘッジホッグブレイドがめり込み、激しく空気と水面を揺らし、勢いに負けて本体である球状スライムが飛び出した。
「もう、嫌っ」
万里が雷の大剣を振り下ろす。
粘液が蒸発して不気味な甘ったるさがプール際に広がり、万里の怒りと共に膨れあがった雷がスライム全体を光らせる。
こうなると非常に狙いがつけやすい。
レイヴンは最も強く輝いた箇所に銃口を突きつけ、鋭い呼気と共にV兵器を通じてアウルを叩き込む。
ぱすんと緊張感に欠ける音が響いたときには、コアを含んだ箇所が吹き飛んだスライムの動きが止まり、数秒後にただの粘液になってプールと飛び込み台をしていた。
「うん」
拳銃を1回転させてベルトに戻す。
近くにディアボロの気配がないのを確認してから、レイヴンは女性陣に渡すタオルをとりにプールの外へ向かうのだった。
●限界との戦い
飛び込み台周辺での戦いが始まる直前、反対側でも撃退士達が活動を開始した。
「一刻も早く、此のプールの安全を取り戻すのじゃ!」
美の天使とは完全に方向性が異なる美悪魔が、ちっちゃな指で勢いよく水面を指さした。
色気は匹敵するかもしれないが多分気づく者は少ない。
身長は3分の2。外見年齢は半分以下。端的にいって美女と幼……もとい少女の違いは大きい。
「よし。わしらが確りと誘い出して……」
「うん!」
ハルシオン(
jb2740)が言い終わるより早く、焔・楓(
ja7214)がプールに向かって駆けだした。
手に持つのは熊でも軽々と殴り殺せそうなトンファーだ。
よほどプールを楽しみにしていたのだろう、既に女子指定水着を装着済みだ。
「暑い日に涼める数少ない手段、プールを使えなくするなんて非道なのだ! さっさと退治しちゃうのだ!」
とうっと跳躍し、ばしゃんと音をたてて着水する。
「って、楓ぇー!? 連携しないと危ないとあれほどっ?」
一歩踏み出すと、ねっとりとした感触が柔らかな足の裏から伝わってきた。
感触は足裏から踝、ふくらはぎから太ももへと広がっていく。
「スライム発見なのだ♪」
すーいすいと気持ちよく泳いでいた楓が器用に反転して目を輝かせる。
「ぬわぁぁっ!? や、止めよ!」
敵に当て損ねて味方に当てるような真似はしないと分かってはいるけれど、怖い者は怖い。
「いたくしないから♪ それじゃあ吹っ飛べなのだー♪」
楓はハルシオンを信用している。
だから、ハルシオンが避けるのを前提に、床のコンクリごとぶちぬくつもりで跳躍しトンファーをうち下ろす。
美悪魔はきゃあと可愛らしい悲鳴を上げながら、アクション漫画風の派手かつ超高速の動きで足を引き抜き跳び下がり、その直後トンファーが半透明のディアボロを直撃した。
床がひび割れ半透明の触手がのたうち、痛みに耐えかね水中の本体の元へ戻ろうとする。
「よくもやってくれたのぉ!」
澄ましていれば神秘的美貌、喋れば一部男女に絶大な人気を誇るロリババアな彼女は、涙目で腰を押さえている。
少し冒険したデザインのゴスロリ風タンキニが膝からおしりにかけて破れている。
艶やかな肌には髪一本の傷もつけずに皮だけを切る。スライム、渾身の仕事であった。
「此のような辱めを……ひゃぁっ!」
牽制の小さめ触手が近づいてくる。
ハルシオンは慌てて一歩下がって回避して、涙で潤んだ目でスライムを睨み付け小さな体から極寒の気配を放つ。
「覚悟!」
冷気が触手とその下にある水面に押し寄せる。
半透明触手は身をよじって直撃を避ける。
けれど水中のスライム本体はあまり素早くなく、完璧に凍らされてプールの上にゆっくりと浮かんできた。
「とどめぇっ!」
楓が全身を使ってトンファーを振り下ろす。
Tシャツの裾がふわりと浮き上がり、凍ったスライムが綺麗に2つに割れる。
どうやらコアも中に含まれていたようで、スライムは触手も含めて形が崩れ、消えていった。
●さらに限界との戦い
「決して逃がしはしません」
パトリシア・キャリントン(
jb5454)は真剣な顔つきでプールを見つめ、見つめ始めて3秒後に胸の前で腕を組んだ。
形は良くても細い腕では豊かなふくらみを隠せない。
布地が小さいマイクロビキニなので半分以上見えている。
向かい側の岸でレイヴンが紳士的に顔を背けたのに気付いてパトリシアは全身を桜色に染めて身をかがめる。
その結果細い布きれが健康的な肉体を強調していることに、本人はまだ気付いていなかった。
「私は、ああいうのならむしろ来なさいって感じなんだけどねえ……」
全長約3メートルの長柄戦斧を浮き輪か何かのように軽々と抱え、ナヴィア(
jb4495)はプールの中に飛び込んだ。
水中で見回しても怪しい影はない。
既に倒された2体のディアボロの残骸も無しだ。プールの底を蹴って浮き上がり、勢いよく水面から上半身を出す。
「ま、倒すのはちゃんとやるわよ。ふやける前に出てきて欲しいわね」
V兵器を構えたまま器用に立ち泳ぎをして囮になる。
でも、おそらくまだ潜んでいるはずのスライムに動きはない。
「遅れてごめんなさい。今入り……」
美しいラインの足先がゆっくりと揺れる水面に2センチの距離まで近づいたとき、雄々しいというより動物的というかおしべとめしべのおしべ方な感じのぶっとい触手が顔を出した。
パトリシアの表情が固まる。
思考より早く本能が全力で警鐘を鳴らす。
大ピンチだ。
主に貞操的な意味で。
触手がにゅるんと動き出すのと、パトリシアが手の力だけで水面から離れるのは同時だった。
触手は決して諦めない。
にゅるにゅると妙に快適そうな粘液を出しながら鋭く突く。
「ぴぃ」
脇腹を絶妙に刺激されてしまい、パトリシアは涙目になりながら得物でぶっ叩く。
物理的な強化不能のスクールランスではあるが、危機感と羞恥と怒りで増幅されたらしい強烈なアウルに覆われて、極めて打撃が通りにくいはずの粘液を割って裂いてすり潰し、見た目も力強い触手を見事に両断してしまう。
びくんびくんと妙に生々しい断末魔の動きを見せるスライムを、本当に嫌そうな顔で思い切り蹴りつける。
他のに比べるとちょっと大型の触手型スライムが、立ち泳ぎ中のナヴィアの背後に着水して沈んでいった。
「これで終わり?」
軽く肩を落としてプールサイドに向かって泳ごうとする。
力強く水を蹴る足に、既に消えたはずの触手が巻き付き上へ這い上る。
片割れが滅ぼされたためサイズも力も半減しているが、水着を溶かし中身を汚すだけの力は残っている、はずだった。
「触る時の感触は良いんだけど」
全身に絡みつく触手の、胸の間に入り込んだ部分を下からつかむ。
「へたくそね」
触手の動きが止まった。
へなへなと力が抜けて、ナヴィアの力に抵抗できなくなりそのまま投げ飛ばされる。
術と銃弾と刃が集中し、最後に残ったスライムがプールの上で汚い水飛沫になり散っていった。
●取り戻した平和
「しかし何なのかしらね、水着をはぎ取ってねとっとするだけって。せっかくスライムにするならその先もちゃんとしなさいよ。こんな中途半端なのじゃなく」
まだ感触が残っている肌をタオルで拭きながら、ナヴィアは珍しく感情を露わにしていた。
修理の見積もりのため入ってきた工務店の若いのが、前屈みになって上司に怒鳴られながら作業を行っている。
「飛び込み台使うよー」
更衣室を使う時間を惜しんだ楓が、戦闘で痛んだ水着のままジャンプする。
「か、楓ぇー! 丸見えなのじゃぁー!」
ハルシオンは体を張って楓の微妙な部分を隠しながら、大判のタオルを器用に小さな体に巻き付ける。
夏の海岸でなら注目を浴びたり注目した若い男が警察に連行されない光景だが、楓を見ているものはほとんどいない。
プールの中央に浮かんだ、穿いていないよーに見えるふわふわ悪魔尻尾つきお尻が、工事関係者のほとんどの視線を釘付けにしているのだ。
「ぷはっ」
下半身が水に潜り、パルプンティの上半身が現れる。
「ディアボロは全部倒せたようです……ってアレ? んん? ああ」
ぽんと手を打って納得する。
「肌色水着ですからー」
男共は肩を落とし、少しでも早い営業再開のため作業を続ける。
1週間後。プールはディアボロ襲撃以前を上回る客で混雑していたらしい。