●肉へと至る道
「大変ねぇ。ようっし、おばちゃん奮発しちゃうわよ」
「嬢ちゃんこれ持ってけ!」
罠に仕掛ける餌を調達しに向かったエルリック・リバーフィルド(
ja0112)を待ち構えていたのは、逞しいおじさまとおばさま達だった。
みっちりと身が詰まって重い、微かに甘い香りのするスイカ。
艶めかしい肌を持つなすび。
表面の一部に傷があるため百貨店やスーパーの商品棚に並ぶことはなかったが味は全く同じはずだ。
撃退士の足で徒歩10分。
避難が完了した小さな宅地を抜けると、猪に荒らされ壊滅した畑が見えてきた。
畑に面した林から蓮城 真緋呂(
jb6120)が姿を現す。
エルリックを見て、困ったように目を瞬かせ、おそるおそるたずねた。
「重くない?」
付近の農家や農業法人より無償提供された傷有りスイカ大玉10。茄子55。
巨大な袋を両手に1つずつ無理矢理持って運んできたエルリックの腕は、酷使によって小さく震えていた。
●深夜。畑防衛戦
音に気づいて振り返ろうとしたときには全てが終わっていた。
無事な畑に入ろうとした猪を、リアナ・アランサバル(
jb5555)は音も立てずに浮かせて踏み固められた農道に転がす。
頸骨を折られて生を断たれた猪は、痛みを感じることもなかっただろう。
「うん……しょ」
他の猪やディアボロに気付かれないよう、自身の数倍の重量の肉を引きずり戦場の外へ運んでいる。
リアナは気付いていなかったが、締める直前に激しい運動をせず痛みを感じなかった猪肉は、今回穫れた中で最高の質だった。
「もう1頭逸れたかぁ」
アレックス・リアンノン(
jb3562)は畑に待機中の仲間に一言断ってからスレイプニルを呼び出し、己のアウルを黄金の馬上具として身につけさせる。
敵勢のほとんどは山の中で各種罠に引っかかり難儀中だ。
しかしリアナが仕留めた1頭とは反対側に逸れつつあるのが1頭いる。
「人里に降りて畑を荒らしちゃったら害獣だよね」
飛ぶように駆けて迫り、流鏑馬に近い形で大型の弓を構えて放つ。
至近距離で放たれた矢が、異常に気付いて顔をあげた若い猪の首を貫通した。
●甘い罠
囓ると嫌みのない甘味が口に広がり、100パーセント天然果汁が喉を滑り落ちていく。
自分が掘った穴の中で、最上 憐(
jb1522)は水分補給を兼ねた罠の仕上げを行っていた。
ディアボロを含む3体の四つ足が林を抜け畑に降り立つ。
甘い匂いに惹かれて進み、スイカ大玉9と茄子55に気付いて鋭い視線を周囲に向けた。
なお、戦闘能力だけでなく頭の中身もお粗末なディアボロは訳も分からず猪の真似をして首を振っている。
猪は慎重に様子をうかがい、人間がいないことを確信しスイカに牙を突き立てた。
普通の銃声よりも迫力のある音をたて、トラバサミ風の罠が猪の足を捕らえる。
「んふ」
作戦のため香水抜きの御堂 龍太(
jb0849)が近くの穴から身を起こし、猪の群れの見てかすかに表情を歪めた。
「ちょっとぉ〜……敵はディアボロだけじゃなかったのぉ?」
無事な猪が突っ込んでくる。
「締めるときに力が入っていると」
真緋呂が放った炎の槍が猪の毛皮とその中に潜む小さな生物を焼く。
「肉に変な色がついちゃうじゃない」
龍太の逞しい腕で振るわれた金剛夜叉が、猪の首を半ばまで断ち切る。
「っと。こぼすと拙いわね」
半焼け猪を抱きかかえ、血が零れないよう気をつけて農道へ向かって放り投げた。
「矢鱈と、迫力があるで御座るな」
エルリックは隠れていた穴から出て猪の退路を塞ぎ、突進してくる猪と対面することになった。
農家が丹精込めて育てた野菜を畑1つ食べ尽くした猪は骨が太く筋肉も分厚く、撃退士以外が相手をするなら猟銃か大型罠が必須な強敵だ。
小さな灯りに照らされ、猪の両目が殺気で禍々しく光っていた。
「でも」
猪が急加速する。
ぶつかればトラックに跳ねられた人体だったものようになりかねない速度と重量を、九尾のアウルを持つ撃退士が軽く飛び越える。
いつの間にか両手に現れた双剣は猪の脂で汚れていて、猪は畑を通り過ぎ農道に出たすぐに転げて動きを止める。
喉元に刻まれた裂傷から、赤黒い血が大量に零れて堅い地面に広がっていった。
「……ん」
地中を逃亡中だった猪型ディアボロが土中より地表へ打ち上げられる。
恐怖に苛まれ泡を吹きながら周囲を見渡すが撃退士の姿はない。
実際には大玉スイカの影で憐が阻霊符を使っていて、ヒヒロイカネから非常識に巨大な鉄槌を取り出していた。
「……。結構。戦い上手だった」
振り向いた猪頭に鉄槌が振り下ろされ、原形をとどめず吹き飛ばされた。
●くっきんぐ
「害獣とディアボロの駆除、完了したよ」
アレックスが連絡してすぐ、安全地帯で待機中だった農家が軽トラ複数台でやって来た。
「鍋持ってきました。両方とも消毒済みです」
「ミネラルウォーターはどこに置けばいい?」
「猪吊すの手伝ってくれー」
調理器具や解体用の道具があっという間に持ち込まれて準備される。
「お腹すいたー」
テレーゼ・ヴィルシュテッター(
jb6339)は、自分がしかけた罠を猪より外しつつ思わずつぶやいていた。
罠を手放すたびに重低音が響き、地元男女を驚かせている。
ディアボロや大柄な猪に使う罠は頑丈で力強いものを選ぶ必要が有り、必然的に大きく重くなるのだ。
「ありがと」
龍太は手伝ってくれた地元農家にウィンクし、血が抜けたのを確認してから解体にとりかかる。
「うお」
「ちょ、なんて力だよ」
皮を剥いだり内蔵をとったり骨をとったり中を綺麗に洗ったり安全に食べられるよう処理したり。
専門施設でも専門家でもないのにそれ以上の速度で1体を丁寧かつ綺麗に解体してしまう。
地元民が持ち込んだガスコンロの上で中華鍋を動かして身の厚い白菜、人参、タマネギ、ピーマンを炒め、かまどより別の鍋を降ろして蓋をあける。
「ふふ〜ん♪ 愛しい人の心を掴むには、やっぱり美味しい料理が一番よねえ♪」
絶妙の炊き具合の米がきらりと光り、甘く濃厚な香りが漂ってきた。
ご飯も炒めて全て腹に詰めて切れ目を縫い、猪の全体にオリーブオイルと塩、胡椒をたっぷり塗り込んで下ごしらえは終了だ。
「丸焼き♪ 丸焼き♪ ファイヤー!」
真緋呂が呼び出した炎は、猛烈な勢いで猪肉全体を包んで内と外に旨味と脂を染み出させる。
食欲をそそられる香りに鼻腔をくすぐられ、何度も生唾を飲み込み、逞しい老人が龍太に質問した。
「なあ」
「龍太よ」
「ああ、龍太さんよ。これ全部食いきれるのかい?」
凄まじく美味そうだけれども少々大きすぎる。
地元の若いの全員を集めても残るかもしれない。
龍太は優しい笑みを浮かべて視線で示す。
「……ん。お腹。空いて来た。餓死しそう。もう。生でも。良い気が。して来た」
一見静かな、良く見ると悪魔ですら怯えて逃げ出しかけない光を目に浮かべた憐が近づいてくる。
喜怒哀楽とは異なる、美味い物を食べるという純粋極まる意思が全てを圧して従わせようとしていた。
「駄目だよ火を通さなきゃ。まだ時間がかかるからこれ食べてて」
普通に調理中のテレーゼが、撃退士でも悪魔でもなく料理人として憐を注意し引き留める。
鍋用に切り分けられた肉塊より薄く、ただし長さは数十センチになるよう切り取り、軽く塩こしょうで味付けして鉄串に刺し猪丸焼き中の炎の中に突き出す。
一度引き戻して完全に火が通ってるのを確認して渡すと、憐は超高速で咀嚼して、1キロほどあったはずの肉を1分もたたずに食い尽くしてしまった。
「……ん。おかわり。おかわり。まだまだ。どんどん。バシバシ。行けるよ」
憐の視線が、炎に包まれた猪に固定された。
「あ、この辺焼けてるわね」
真緋呂は中身が零れない程度に表面を切り取り、憐のなんだか危険な視線に気付かないふりをして口に運ぶ。
「新鮮で美味しいー。どう?」
興味深そうにしているのに食べようとしないリアナのためにもう一度切り取って勧めてみる。
「ありがとう」
礼儀正しく頭を下げる。
直前とは異なり一切何の感情もない整った顔が、店で売られていると肉と比べると色が悪い肉と向かい合う。
普段携帯食が主食のリアナにとって、初めて見る元野生の食べ物だ。
「ん」
臭いはきつめ。
堅めの肉を白い歯で豆腐のようにかみ切ると、濃くて複雑な旨味が口から脳に突き抜ける。
今度は肉全体を噛み砕く。
人により好き好きだろうけど、はぐれ悪魔にとっては適度なかみ応えで味だけでなく歯触りも実に良い感じだ。
筋繊維1本1本、脂の1滴まで徹底的に味わい、こくりと飲み込んで甘い息を吐く。
「こういうのを食べるのは、初めて……。でも、良いと思う、かな……」
表情は変わらない。
しかしいつもより明らかに雰囲気が柔らかかった。
●戦闘第二幕
厚めのビニール手袋に包まれた白くて長くて形の良い指が、血と脂で濡れた骨をとりだし地元民に渡す。
「手慣れてますね」
何度か解体の経験があるからこそ、アレックスの手際の良さが非常によく分かる。
「実家が牧場やってるからね。設備があればもう少し利用できるのだけど」
軽トラの荷台に積まれたモノにちらりと視線を向ける。
「設備が必要なほど猪が出たら農業が成り立ちませんよ」
にやりと笑って骨をまとめてロープで固定し、地元の男はアレックスに深々と頭を下げて軽トラで去っていった。
「さて」
手元にあるのは巨大な肉塊がだいた2体と半分。
薫製する分を引いてもちょっとどころでなく多すぎる。
「処理ぐらいならできるから、それは手伝う……」
「ありがと。でもカレーを作るならそのまま野菜をお願いね」
アレックスはカレー用に一口サイズで肉を切り始め、リアナは身の分厚いタマネギを涙を堪えながら切り続ける。
「これいただくね」
真緋呂がリアナのまな板の前からタマネギとジャガイモを拝借し、長い端で鉄板の上に載せていく。
猪肉からしみ出した脂とタレが野菜に絡んで、たまらなく食欲を誘う香りが辺り一面に漂う。
苦情を言われる前に前に良く焼けた肉をリアナの口元へ運ぶ。
「ん」
最初に食べた塩胡椒中心のあっさり目の味付けとは異なり、臭い薄めのニンニクや各種果物を加工してつくられたタレは、猪肉の旨味を別方向に引き出している。
「ん」
口も手も止まらない。
真緋呂は左手の箸で肉を並べてひっくり返し、右の箸でリアナに食べさせときに自分で食べるという器用な技を披露している。
「暑いし体力つけないとね。私は食べてもこっちにいっちゃって筋肉育ってくれないんだけど」
下への視線を邪魔する豊かなふくらみに一瞬目を向けて、軽く息を吐いてから箸の動きを再開するのだった。
●脂
油で煮えたぎる大釜で、食欲をそそるきつね色の唐揚げが踊っている。
エルリックは網杓子を使って大釜から唐揚げを回収し大皿に盛り、畑に設置されたテーブルに並べる。
「待ってましたっ」
「いやー、俺中性脂肪やべぇのにこれサイッコーにアルコールにあうネ!」
堅くなる前の肉を新鮮な油で適温で揚げただけではない。
酒と醤油にごま油にその他隠し味を加えたものに20分つけた上で適量の衣をつけた、男共の胃袋を一撃でわしづかみにする一品なのだ。
「しかし、作り甲斐のある量で御座るなぁ」
目で油の温度を確かめ第二陣を投入する。
地元の男共と一部女性陣は夢中になって無言のまま唐揚げを頬張り、ときおりむせかけてビールで流し込んでいる。
「できたわよ♪ 早く食べないと憐ちゃんに全部……憐ちゃん、少しは手加減してちょうだいな」
火が止まり、猪の丸焼きが下ろされ切り分けられ、半分がみるみる消えていく。
「ヒュー!」
「俺は次回の健康診断を捨てるぞー!」
大量の猪肉は大量に消費されていく。
「後は」
温度を調節しつつ、未だに大量に残った猪肉の山に視線を向ける。
「鍋物にするしか……でも気が早すぎるやもしれぬで御座るな」
非常に真っ当な意見なのだが、酔っぱらいどもに真っ当な意見は通用しなかった。
●灼熱の鍋
エコってなにそれ美味しいのという勢いでエアコンが全力稼働して温度を下げていく。
酔っぱらいの中に含まれていた地元有力者が手をまわし、公民館の調理室が撃退士に貸し出されることになった。
既に日付は変わり陽が昇っているのに、隣の部屋では駄目人間共が酒盛りしながら料理を待っている。
弱火でじっくり暖められている鍋の蓋をそっと退けるとねっとりとした汁の表面に大きな泡が浮いた。
肉から出たどぎつい脂と濃いめの味噌が絡まり合い、戦闘後休みもせずに調理に明け暮れたテレーゼの腹を刺激した。
お玉ですくって小皿に注ぎ、箸で肉を切る。
美味しく食べやすく調理された肉は特に力を入れなくても切れて、味噌色と脂色の断面を冷えた空気にさらす。
肉と一緒に一口すすると、酒飲みなら辛いのを一杯、そうでないなら炊きたてご飯をかきこみたくなる味がガツンとくる。
「……ん」
「おそまつさまでした?」
リアナとアレックスがつくったカレー(数十人分)を食べ尽くした憐が次に狙うのはもう一つの大鍋だ。
「ご飯がもう無い?」
カレー鍋の素晴らしい出来を舌で確かめながら尋ねてみると、無言のうなずきが返ってきた。
「〆でいれるつもりだったうどんならあるけど」
碧眼一対と感情を感じさせない瞳が二対が食欲で輝く。
大量のうどんが容赦なくカレー鍋と一部味噌鍋に入れられ、絶品の汁が麺にしみこんだ時点でどんぶりによそわれていく。
「それじゃあいただきまーす」
かくして、大柄な猪4頭の肉は全て、主に撃退士達の腹に消えた。
帰路につく撃退士女性の腹が凹んでいたのに気づき、腹回りに悩む地元民は恐怖に近い感情を抱いていたらしい。