●広がる噂
授業や任務を終え、運動場で球技に励む学園生の間で、急激に広がる噂があった。
「……ん。カレー。無料で。食べ放題の。良い話。あるよ」
「はあい、そこのタフガイさん。美味しい話があるんだけど」
カレーが無料。
しかも何杯でもお代わり可。
食べ盛りの上体育会系な学園生にとっては美味しすぎる話だ。
「……ん。夜。多分。このあたり」
無料配布された出没予測地点の地図を巡って、争奪戦すら発生する。
1地区ローカルの話題でしかなかった深夜のカレー配布情報は、周辺地区へ爆発的に拡散しつつあった。
●ゲリラカレー最期の夜
「今晩も頑張りましょう」
「はいっ!」
「ふくよかさんを増やすために!」
純白の給食服を装着した男女が、風格すら感じさせる手際の良さで調理台と釜を設置する。
激しい炎で湯を沸かし、米を炊き、選び抜いた肉と脂をたっぷり使ってカレーを作っていく。
「お客さん来ませんねぇ」
「まだ第一陣が完成してないのよ? 匂いも広がっていないのに来るはずが……」
じろりと同志を睨もうとして、睨む前に蛇に睨まれた蛙のように固まっていた同志を見つけてしまう。
恐る恐る同志の視線を追うと、給食センターでも使われる大鍋をじっと見つめる、最上 憐(
jb1522)の姿があった。
「い、いつの間に」
かすかな匂いに気づいた瞬間にアウルを全力展開、その後全力疾走した結果である。
夕食と間食を抜いて深夜まで待っていた憐は、お腹がくうくう可愛らしく鳴っていた。
「君、もう門限過ぎてるよ。カレーはお土産に上げるから早めにお帰り」
はた迷惑な趣味の持ち主ではあるが、人として最低限の倫理は持っているようだ。彼等は中学生以下にしか見えない憐を心配して帰宅を促していた。
「……ん。許可証」
依頼受諾の際に渡された書類を見せると、趣味人達はきらりと瞳を輝かせた。
「ほほう」
「そういうことなら」
「我等のカレーをしっかり味わってもらおう。そのほっそい体に適度な美しい脂身をつけてもらおうか」
がーはははは、と。
事情を知らなければ悪党にしか見えない笑い声をあげながら、趣味人達は第一の大鍋を憐に差し出し、第二の大鍋を使って次のカレーにとりかかるのだった。
●至極真っ当なクレーム
特注の大ジョッキ状食器を受け取った憐は、そのまま口をつけ、音を立てずに行儀良く中身を飲み込んでいく。
んく、んくと小さな喉が動くたびに、ダイエット戦士にとっては憤死もののカロリーを備えた液体が小さく細い体に消えていく。
かたんと小さな音を立ててジョッキを置くと、小数集まって来た近所の住人と、給食服集団がごくりと音を立てて唾を飲み込んだ。
「……ん。カレーは。飲む物。飲み物。飲料」
相変わらず表情の変化に乏しいが、なんとなく幸せそうな気配を発しながら憐がコメントする。
給食服の男が見上げるような視線を憐に向け、大型のお玉を使ってジョッキにお代わりを入れようとした。
だがそのとき、風もないのに体感温度が10度は下がる。
「……ん。予想以上に。美味。飲み応えが。あるかも」
ただ1人平然としている憐を除き、ある者は体を強ばらせ、またある者はアウルを展開して何かからの襲撃に備える。
「みなさん」
生垣と花壇に囲まれた寮から、1人の少女が現れる。
ほっそりとした、今にも消えそうな雰囲気があるが、それ以上に不吉な気配が濃い。
両手で抱えた鉢植えには瑞々しい赤い花が咲いており、その少女がどれだけ丹精込めて愛情を込めているのか一目で分かった。
「私、最近とっても憂鬱ですの」
優しげな口調と、穏やかな表情は、本来なら見る者の心を慰めるはずだ。
「私、花壇を作りましたのよ、一生懸命、沢山お花を植えて、咲かせて……」
徐々にカレー配給所に近づいてくる。
「本当なら、この辺りもお花の香りで、そう、一杯になる筈なのに」
目の下に浮かんだ濃い隈と、きめ細やかではあるが生気に欠ける肌が、明日香 佳輪(
jb1494)に美しくも不吉な陰影を与えていた。
「なのに、なのに…なんですの、この、充満するカレーの匂いは」
声が不安定になり、感覚が鈍い者でもはっきりと感じられるレベルの殺気が漏れ出す。
「お陰でお花の香りが、掻き消えて…ッ」
細い腕が小刻みに震え、その場にへたり込むようにして鉢植えを地面に置く。
佳輪の内心に同調しているのか、鉢植えの血のように赤い花がぬらりと光を反射する。
「折角、折角、咲いたお花たちが可哀想だと、貴方達は思いませんの…ッ?」
園芸用の鋏を手に、おぼつかない足取りで給食服集団に近づいていく。
ヤられる。
むしろ取り殺される。
撃退士として何度も修羅場を潜っているはずの男女が、佳輪1人に圧倒されていた。
「お花の香りを掻き消したから、あなた方には少しお仕置きが必要だって、私思うのです
佳輪の口の端がわずかに吊り上がり、無数の黒い華と共に竜が顕現する。
その瞬間、給食服集団はある種の限界を迎えた。
「ホラーはいやぁっ!」
「堪忍やー!」
撃退士として天魔に立ち向かう勇気はあっても、和風ホラーへの耐性はなかったらしい。
カレーも調理器器具も放り出し、趣味人達は泣きながら逃げ散った。
「佳輪ちゃん、花の香りを詰めてきたから落ち着いて」
対人攻撃能力皆無の園芸道具を不回す佳輪に、白衣に白帽姿の雁久良 霧依(
jb0827)が駆け寄る。
霧依の手には、セイラベンダー、キンモクセイ、ローズなど、用法を誤らなければ素晴らしい芳香剤が複数握られていた。
そう、用法を誤らなければ、だ。
「んー、駄目ね。スイッチ入っちゃってるか」
ターゲットに対する精神攻撃を目的として頑張っていた佳輪。しかし強すぎるカレーの香りが辛かったのは事実であり、脅かし役に没頭しすぎてしまっているようだった。
「仕方ないわね」
自家製芳香剤の入った瓶をひねり、どばっと、目分量で清潔なビニール袋に入れる。
誤用の方の適当なやり方で複数の香りを混ぜ合わせ、没頭の結果動きが鈍くなった少女の背後から忍び寄り、その口と鼻にビニール袋を押し当てる。
薫り高い、しかし明らかに過剰な強さの香りは佳輪の意識を瞬時に取り戻し、そのまま明後日の方向に飛び立たせた。
●仕切り直し
「めっ、だよっ」
セラフィ・トールマン(
jb2318)が自分の腰に手を当てて、私おこってますよー、と態度で語る。
あざとい。
でもかわいい。
悶々としながらセラフィの背後に隠れている給食服集団は、佳輪が頭を下げると気にしないでいいと言って手打ちを宣言する。セラフィと佳輪が最初からぐるだということを、未だ気づけていない趣味人達であった。
今彼等がいる惨劇の場ではなく、調理施設が併設された貸し会議室である。
佳輪のように直接行動には出なくても匂いが邪魔だと思う人が多いことに気づいたため、給食服集団は急遽場所を借りてカレーと客ごと移動したのだ。
目を細めて娘の勇姿を見守っていたデニス・トールマン(
jb2314)が、お玉を使って鍋からひとすくいして味見をし、サングラスの下の目を細めた。
「いけるな」
冷えても味は落ちていない。
やっていることはネタまみれでも、使われている技術は確かなものがあった。
「あんた達もいける口だろ。やらねぇか」
マイ包丁と新鮮野菜を取り出し、静かに挑発する。
「む」
「料理対決か」
「今するのは不利かナー」
思考も行動も独特な変人集団ではあるが、他の客とは明らかに雰囲気の異なるデニスの正体に勘づいているようだ。
佳輪が脅し気弱にさせていなければ、なんだかんだと理由をつけて断っていただろう。
「ねえパパ。この人達チキンなの?」
悪意無く、後光を減資してしまうほどの天真爛漫な表情で、セラフィは策略ではなく純粋な疑問を口にした。
純粋だからこそ白衣の集団の心を深くえぐり、明確な拒否の言葉を言わせなかった。
セラフィがいたずらっぽい笑みを浮かべて振り返ると、トールマンはよくやったと目だけで語り、無骨な手のひらで娘の頭を軽くなでる。
子猫のように目を細めてから、セラフィは柔らかなふくらみを押しつけるようにして父親に抱きつくのだった。
●クッキングダディ対ゲリラカレー
特注の大型皿の上に炊きたて艶々の白米がよそわれ、肉の割合が非常に多いカレーが注がれる。
「ルールは単純よ。より多くの人を満足した方が勝ち。では、料理対決、開始!」
白衣の上からでも分かる特大の胸と細い腰を誇示しながら、いつの間にか司会兼審査員に収まった霧依が開会を宣言した。
会場は各種体育会系部活動で満員状態だ。
無数の視線にさらされた給食服集団は、緊張のためか動きがぎこちなく、それでも慣れた手つきで牛肉の固まりを肉切り包丁で切断し、下味をつけ、野菜と共に調理してカレーを作りあげていく。市販のカレールウを使ってはいるが材料と客にあわせて味付けを変えており、専門店には及ばないが屋台としては質が高いだろう。
対するデニスはトマトベースの自作のスープに、低カロリーな豚肉赤身、ブロッコリーに人参、玉ねぎと具沢山なカレーだ。
無骨な戦士の指が刃を操ると、火の通り方から味の染み方まで考えてカットされた具材が鉄鍋の中に入っていく。
「解説の夏木さん、どう思います?」
霧依がマイクを差し出すと、黒い長手袋と現代風魔女服をきっちりと着込んだ夏木 夕乃(
ja9092)がハイテンションでコメントする。
「給食服の人達は採算なにそれ美味しいのな勢いでお肉を使ってるっすねー。調理は早いけど雑じゃないっす。食べる人への愛がすごく感じられるっすね」
非常に好意的なコメントされたことで、給食服集団の好感度がアップする。
「愛情がないとできないっすよ、あれは」
夕乃のコメントがつくたびに動きが丁寧になるのは、全て夕乃の狙い通りだ。
この歳にしてこの人心収攬術。将来が楽しみを通り越して空恐ろしい魔女であった。
「対するクッキングダディは……普通にうまいっすね。カレールーもレシピも無しで作れるって、ひょっとしてプロっすか?」
火の番をしたり野菜の皮を片付けたりしていた娘が、すらりとしているくせにそこだけはふくよかな胸を張って父を誇る。
「完成しました」
「こちらもだ」
時間か経過し、両者、ほぼ同時にできあがる。
待ちかねていた観客は、セルフサービスで銀シャリとカレーをとって一斉に食べ出した。
「具材に味も染み渡っていて、辛さも程よい。こってりした中に拘りの味付けが感じられる。美味しい!」
瞬く間に大皿を1つ空にした夕乃がテンション高く評価し、今度はデニスのカレーに手を伸ばす。
「こっちは美味しいのはもちろんだが、食べやすい! 食べる時間帯のこともちゃんと考えているのが素敵っすねー」
客の一部、既にふくよかな面々がぎくりと体を震わせる。
「こってりさが足りない人ためにガーリックライスも用意! カレーとの相乗効果で旨みが青天井で跳ね上がるっす!」
料理に込められた心を解説するたびに、徐々にデニスのカレーの消費量が増えていく。
が、今の所給食服集団優勢だ。
貧乏学生らしく、体格と筋肉は素晴らしいが脂身が足りない相撲部員達が、味ではなく肉の量につられて給食服集団に票を投じようとする。
「こっちのほうが美味しいわね〜♪ 」
が、霧依が胸を強調するポーズをとると投票行動を止め、悩み出す。
「こっちもうまいんすけど」
「脂身が少ないッス……」
学園生以外に聞けば十中八九までデニスのカレーが支持されただろうが、ここは若者が多くを占める久遠ヶ原であり、体力に優れた若者が多い。質で勝っていても脂っこい料理に勝つのは容易ではなかった。
「けぷっ」
夕乃達とは違い常人並の食欲しかないセラフィが、父のカレー小皿1つで根を上げる。
「パパ……」
「見ていなさい」
デニスは自信ありげに微笑み、娘の不安を打ち消す。
それから数時間後、徐々に空が明るくなってきた頃、給食服集団は慌ただしく動きながら冷や汗を流していた。
「先輩、第三陣まで食い尽くされました」
「うろたえないで! 週末分の封を切りなさい」
「とっくに使い切ってますよう」
「だったら業者にメールして追加を持ってきてもらうのよ!」
ペースを落としていないのは夕乃のみ。
最初から飛ばしていた憐は、食後のソフトドリンクを堪能中だ。
にも関わらず、カレーの消費量は一定で、豊富に用意してきたはずの材料が何度も底をついている。それだけ夕乃の食事量が凄まじいのだ。これだけ食べて体型が変わったように見えないのは、生命の神秘かアウルの未知の働きか、誰にも分からない。
「遠慮なしに食べられるのは最高っすよ。どっちもおかわりっす」
既に活動資金が尽きかけている給食服は顔を青くしながら、依頼人から潤沢な予算を与えられているデニスは平然とカレーを用意していく。
「……ん。おかわり。おかわり。両方。大盛りで。エベレスト盛りで」
憐も活動を再開し、ターゲットは活動資金の面でとどめを刺されようとしていた。
「おまえ達もどうだ」
デニスの優れた体格と男としての凄みに気圧されつつ、運動部員がなんとか断ろうとする。
「さすがに腹一杯で……いや、え、これはっ」
鼻孔をくすぐる爽やかな香りに気づき、蜜に誘われる虫のように、ふらふらとデニスのヘルシーカレーを受け取る男達、と一部女性。
「うめぇ」
「すげー。俺、あれだけ食ってたのにまだ入るよ……」
「ああんっ、最初からこれだけ食べていたらっ」
肉へ食欲が満たされ後は、味への良くも出てくる。
給食服集団のカレーも決して不味くはないのだが、太らせるためではなく健康的な栄養補給を重視したカレーの方が、味に関しては一枚上手だった。
「じゃあ、そろそろ最終投票といきましょう」
霧依が現在までの結果が書き込まれたプラカードを掲げる。
得票数は十数票給食服が上だ。
「今食べたいのは、どっち?」
給食服集団も含めた数十人全員が、デニス作の野菜エキスたっぷりカレーを選ぶのであった。
●決着
かくして、カレーにまつわる一連の戦いは終結した。
ゲリラ集団は、0になった活動資金と今回のカレーにつぎ込んだ生活費を貯めるため、ゲリラを止めて依頼で稼ぐつもりらしい。少なくともしばらくの間は、深夜の迷惑にして大食いの福音が復活することはないだろう。
「作るばかりで味見しか出来なかった……」
撤収が進む会場内で、デニスは寂しげにつぶやいていた。