●花
整いすぎてたまに生気が感じられなくなる耳に、紫色の百合を挿す。
そのとき視界に映ったうなじは髪の毛の半分にも満たないだけ乱れていて、だからこそ強烈な色香と生気を感じさせた。
「どうしたの?」
いつもと少しだけ違う気配に気付き、ユリア・スズノミヤ(
ja9826)が顔を上げる。
動きを止めると冷たさを感じるほど整った顔が、今は柔らかく微笑んでいた。
「ん、綺麗だ、ユリア」
ユリアは目だけで喜びを表し、まだ言いたいことがあるのでしょと口元の微かな動きだけで表現する。
「いや、だからこそ少し困るな……あまり他の男に見せたくない」
「可愛いこと言って」
心からの笑顔が浮かぶ。
細くしなやかな、同時に踊り手として鍛えた腕を飛鷹 蓮(
jb3429)に絡めて思い切り体重をかける。
「からかうな」
軽く体勢を崩してやり、浮き上がった腰と足に手をまわして宙で抱き留める。
体の線がはっきりと出ている上半身が滑らかに動き、すらりとした足が白鳥をイメージしたスカートから覗き、再び隠される。
「力持ちー」
心の近さゆえの遠慮の無さで撫でてくる手を、蓮は静かに受け入れる。
悪戯心を発揮して抱えたまま会場に向かう。
ユリアは蓮の腕の感触を楽しんでいるようで、微笑むだけで照れもしない。
けれど会場に入ると、見られることを意識した上で美しく体を縮め、恥じらいを示しつつ蓮に体をすりよせる。
「うんうん、いつも以上に素敵だよ♪」
己を受け入れる度量を囁き声で褒める。蓮は表情を変えずにユリアを下ろして挨拶のため壇上に進み出る。
「互いに語らい、楽しんでください。今日という日が明日以降の活力源になれば、これほど嬉しいことはありません」
胸ポケットから覗く象牙色のチーフが、実によい男を演出している。
普段よりほんの少しだけ早口になっていることに、ユリアだけが気づいていた。
「では」
乾杯。
撃退士と客人達が杯を掲げ、宴が始まった。
●先生
「お疲れ様でした」
美森 あやか(
jb1451)が労うと、開会寸前まであやかの指揮のもと模様替えを行っていた大文字 豪(jz0164)が、胸を凹ませるような勢いで大きなため息をついた。
「情けない話だがどうにも慣れなくてな」
発達した筋肉を特注品らしいスーツで隠した大文字は、息苦しそうに自分のネクタイを調節する。
あやかに勧められたタルトを摘んで口の中に入れ、数秒で完全に噛み砕いて飲み下すと勢いよく眉を上げた。
「旨いな」
改めて、今度は真剣な目でタルトを見る。
小型のタルト生地の上にはカスタードクリームが載り、最上部には美しくカットされた果物が並んでいる。
オレンジ、キウイ、パイナップル、ライチ、さくらんぼ、マンゴー、枇杷など、様々な色が目を楽しませてくれる。
食べやすさの点でも非の打ち所がない。ゼリーが輝きを増すと同事に各部の接着剤役兼隠し味となり、あやかお手製の菓子の完成度を大きく引き上げている。
「小さいのが唯一の欠点だな」
普段は厳めしく皺が寄っている顔に、満面の笑みが浮かんでいた。
数個まとめて手に取ろうとする体育会系教師に対し、マナー違反を責める非難割には弱すぎる視線が突き刺さる。
「失礼。どなたでしょう……か?」
あやかに一言断ってから振り向くと、恐るべき手入れの良さを誇る、宝石じみた輝きを放つ黒髪が視界に入ってくる。
艶やかな肌は白く、髪の黒とドレスの淡い桜色にとてもよく似合っていた。
視線を少し下にずらすと印象が変わる。
強調するつくりでないのに激しく自己主張するふくらみが、ストライクゾーンがかなり高いはずの教師の中のいけない部分を刺激する。
胸とは逆に細いウェスト、そこから優美に広がっていくレース地の婚礼衣装。
幼さと色気が絶妙に入り混じる、背徳すら感じられる美しさが成立していた。
「先生!」
気圧されて一歩下がった大文字の前に、袋井 雅人(
jb1469)が躍り出る。
「大文字先生、月乃宮さんと結婚式したいです!」
教師の目が見開かれ、真っ白な燕尾服の雅人を見て、魔性の美を開花させつつある月乃宮 恋音(
jb1221)を見て、脳裏に恋音の年齢を思い浮かべる。
「実力的に勝てなくても」
筋肉が膨れあがってスーツが悲鳴をあげる。
「教師として止めねばならんのだ」
「将来の為の予行演習は邪魔させません!」
愛する人のため、記憶にある中では最大級のアウルを出して対抗する雅人。
「え?」
予行演習という言葉気づき、大文字の体から気合いが消える。
雅人は激突も辞さず前に出ようとし、しかし腕に触れる柔らかな暖かさに気づいて停止する。
「え?」
微かな甘い香りと絶妙の柔らかさが、彼の男の部分を強烈に刺激する。
頭を振って煩悩を振り払い恋音に目をあわせると、普段は髪に隠されている瞳に涙が浮かんでいるのが見えた。
「綺麗だ」
雅人の口から飾り気のない本音が飛び出る。
恋音は口を開き、でも何も言えずに閉じてしまい、目を伏せて体を細かく震わせる。
向かい合う雅人は急かせも責めもせず、じっと、愛するひとが望むなら何年でも続けるつもりで反応を待つ。
「と、とても嬉しいですけれど、その、恥ずかしいですよぉ……」
勇気を振り絞って一歩前に出る。
すると、何故か雅人が色っぽいため息をつく。
不審に思った恋音が顔を上げると、雄大なふくらみに埋もれている雅人の左手と、感極まって突き上げられた雅人の右手が見えた。
「きゃ」
驚き慌て混乱する。
けれど離れる気持は一欠片もうまれず、見かけよりずっと逞しい恋人の手を堪能していた。
●悪魔と少女
「先生はどうしたんだ」
「マナー本を読み返すと言って外へ行ったよ、お兄ちゃん」
あやかは視線を合わせるために、ときに痛みを感じるほど顔を上げる必要が有った。
とはいえ痛みを認識できるような精神状態ではない。
歳経た巨木の如き安定感がある濃紫の二本角。
華やかに輝くな銀の髪。
そして、あやかにだけは微笑んでくれる金の瞳。
愛する人を見て苦痛を感じるなんてあり得ないのだ。
「無理はするな」
立食会のスポンサーのことを聞いて敢えて悪魔形態で出席した美森 仁也(
jb2552)は、人形態のときと変わらない優しい手つきであやかを椅子に座らせる。
上半身は未だ幼さを感じさせるラインで、下半身は童話の国のお姫様のように広がる裾で隠されている。
普段は背中に流している髪は編んでから頭の上でお団子にされ、可憐な白い花で飾られていた。
「申し訳ありません。スケッチして良いでしょうか」
「すみませんすみません。空気読まなくてマジすんません」
「そこの悪魔の人、できればそのままでお願いします」
複数の非撃退士が集まり、高い椅子に腰掛けたお姫様を労る悪魔という光景を全力で手元のスケッチへ写し取る。
「参ったな。試着のときよりずっと可愛い」
外野を無視して顔を寄せると、あやかがそっと目を閉じる。
心を通わせた女性からの完全な信頼。
強靱な理性の底から悪魔らしい欲望が突き上げてくる。
仁也は耐えるしかない。
おそらく望めば応えてくれるからこそ、今近づきすぎる訳にはいかないのだ。
唇だけが触れる接吻を終えると、子供扱いを悔しく思ったのか、あやかが拗ねたように唇を尖らせる。
悪魔は、細心の注意と自制心で愛する人を抱き寄せるのだった。
●模擬結婚式
雅人と恋音が歩く絨毯は、結構な格式の式で使っても問題のない逸品だ。
左右に並ぶ人垣から響いてくる祝福の拍手と言葉は、これが本番だったらいいのにと考えてしまうほど暖かで優しい。
「誓いの口づけを」
聖職者役担当が2人揃って模擬結婚式中なため引っ張り出された大文字は、直接の受け持ちではないとはいえ、2人の学園生のキスを真正面で見ることになってしまった。
「すみません……」
「ありがとうございました先生!」
模擬結婚式の後、恋音は気弱そうに頭を下げ、雅人は気楽な口調で大文字の肩を叩いていた。
「細かいことを言う気はないが後のことを考えて行動しろよ」
学園教師は精気の失せた顔で、恋音が持参したローストビーフを雅人謹製のサンドイッチにはさみ、やけくそ気味に口の中に詰め込んでいった。
●てづくり
予想外の甘さに驚き、蓮は一口食べただけのピロシキを口から離した。
「ユリアが作ったのか」
ピロシキの具はマッシュポテトとリンゴの甘煮だ。
甘くはあるが子供向けではなく、蓮個人の味覚にあった一品だった。
「ピロシキって、実はピローグの小さいバージョンなんだよー」
得意げに胸を張り、ユリアが詳しく説明する。
「ロシアでは古くから何かお目出度い行事がある時は必ず登場するしね」
故国に誇りが持っている彼女としては、この品に妥協はあり得ない。
「それに、ロシアの花嫁さんは結婚式の翌日必ずピローグを焼く風習があるから」
つま先立ちして蓮の瞳を覗き込み、そこに喜びの感情があるのを確かめて満足げな猫のように目を細める。
「ん、もっと上達しておかないとかな。ふふ♪」
いつの時代も、胃袋を掴む者が強いのだ。
「美味いな。良い嫁になれ」
蓮はこほんと咳払いをして表情を改める。
「いや、嫁にはやらないからな。ずっと俺の傍にいろ」
ユリアはずっこけかけた。
蓮の発言は人格無視発言でもなければプロポーズでもない。単に、思ったことを口にしてしただけなのだ。
「ほら、落ち着いて食べろ。全く、ユリアらしいな」
「天然さんめ」
この時間がいつまでも続けばいいのにと思いながら、ユリアは甘い甘いピロシキをかじるのだった。
●調理室
悪魔を砕く豪腕が高速でボウルをかき混ぜる。
目と舌で味を確認してからクリームをカップに盛りつけていく。
「パパ、出来た?」
調理室にセラフィ・トールマン(
jb2318)が顔を出すと、デニス・トールマンは銀盆を手渡すことで返事をする。
手渡す瞬間にふれ合った指が、実際の温度以上に熱い気がした。
「そろそろ一緒に出ようよ」
盆に上に並べられたデザートを全く揺らさず、絶妙な平衡感覚でくるりと一回転する。
ミニスタイルのウェディングドレスは健康的な色香と鋭い足の動きを隠さず父の目に焼き付ける。
「このままだと足りないだろう」
「それはそうだけど」
器用に片手で銀盆を保持したまま、仲の良い親子だとしても近すぎる距離にまで近づく。
「依頼中だ。集中しろ」
「はーい」
体温と体臭を感じられたのに満足し、セラフィは今回はこれ以上踏み込まず会場へ戻る。
父は苦痛に耐えるのに似た表情で天を仰ぎ、重いため息をついてから調理を再開した。
●パーティの情景
実物の悪魔や撃退士という能力者、しかも想像力を強烈に刺激する婚礼装束姿を見たスポンサー達は心底満足していた。
ここにはコネ作りやコネ維持や営業のために来たわけではないので、いつもの会とは違って食事に専念しても誰からも文句は出ない。
「さっすが健啖家が揃ってるっすねー」
「おいそこのロスビフ食い尽くすなよ」
若者達の食欲はすばらしく、気づけば大皿の半分は空になっていた。
デニスがずっと作り続けていなければとうに食い尽くされていたかもしれない。
「んー?」
妙に騒がしい。
予定されていた模擬結婚式は既に終了しているはずだが、そのときとほとんど変わらない人垣が出来ている。
「すみません。受け取ったら離れてください」
バイトのウェイトレス。
抑揚がとても上品で深い教養を感じさせるのに、何故だかそうイメージしてしまう。
趣味人集団が人垣に近づくと、そこではジェラルディン・オブライエン(
jb1653)が薄いグラスに入ったミードを配っていた。
「中身はあからさまにバイトの女の子っぽいのに」
「すげぇ。ここまで完璧な西欧式礼法を見るのは何年ぶりだ?」
撃退士やはぐれ悪魔なら、極めて高い身体能力を活かして美しい体重移動や動きをすることは比較的容易かもしれない。
しかし視線の向け方や指先から足先までの動きを完璧に教科書通り制御しているのは、この場ではジェラルディンただ1人だった。
「どうぞ」
残念ながら本人は下々の労働に慣れすぎた結果、ついウェイトレス風、あるいはメイド風の言動をしてしまっている。
それを勿体ないと評すべきかか孤高の高嶺の花が魅力を増したと捉えるべきかは、個々人の自由だろう。
「レモン入り蜂蜜?」
「ミード……こっちの言葉では蜂蜜酒です、よね?」
ジェラルディンが同意を求めると、依頼外でこの場に集まっていた撃退士達は即座に明後日の方向を向いて視線を合わさないようにする。どうやら、戦闘力はあっても学力に問題にあるタイプのようだ。
「2つください!」
父のエスコートを受けたセラフィが手を伸ばし、しかしデニムが先回りして2人分を摘みとる。
一息で、けれど味わって飲み干し、豊かな甘さと舌に残る爽やかな後味を楽しむ。
「ノンアルコールだな?」
「頑張りました」
えへんと胸を張る姿も、実に上品だった。
「おいし」
父から渡されたグラスに舌を這わせるような動きで味わい、セラフィは雰囲気に酔った振りをして距離をさらに縮める。
仲の良い親子だなぁと思いながら、ミードを配り終えたジェラルディンは目礼して去っていく。
しずしずと進む彼女の周囲だけが、貴族の舞踏会に似た気配で満たされていた。
●幕
「タッパーが欲しくなるな」
「さすがにそれはどうかと思いますよー」
大文字に突っ込みをいれながら、生クリームたっぷりのケーキを皿にとり、一欠片のスポンジも一粒のクリームもこぼさず完食して次のパフェ系のスイーツにとりかかる。
食事の技術も礼法も凄まじく高度なのだが、本人は高度であることに全く気づいていない。
ジェラルディンにとってはこれが普通なのだ。
「うん、でも」
礼法の教本にそのまま載せても問題のない動きで数皿空にしてから、ほうと切ない息を吐く。
「食いだめはしたいですよね」
「全くだ」
今のところ富とは縁のない撃退士と教師は、にやりと笑って新たな皿を引き寄せる。
大文字は半壊したスーツが汚れるのを気にせず無造作に食べ、ジェラルディンはウェディングドレスが汚れるのを恐れつつそれを全く表に出さず、綺麗なまま完食する。
「全員分撮ってきますねー」
学園から貸与されたカメラを手に取り、ジェラルディンは華やかな会場の中心に歩いていく。
パーティは関係者全員の予想を超えて盛況で、閉会の挨拶は深夜までずれ込んだらしい。