●誘き寄せ
初夏の熱い風が暗色の髪を揺らす。
メレク(
jb2528)はスナイプゴーグルをのぞき込んだまま微動だにせず四つ角を注視していた。
数分が経ち、人界にないはずの素材で出来た人型が姿を現す。
無言で指を軽く振る。
意図を察した楯清十郎(
ja2990)は無言のまま目を細め、十数人を殺害したディアボロを目にすることになる。
「歩き方がくたびれたサラリーマンみたいですけど、油断はできませんね 」
一歩踏み出すごとに体がふらつき、今にも脚から力が抜けて座り込んでしまいそうに見える。
人間社会に染まりつつあるとはいえ天界出身のメレクは、彼の意図は推測できても実感できていない。
「そうだな。何事も無いといいが」
鳳 静矢(
ja3856)は心から同意してうなずき、胸ポケットから伝わる振動に気づいて慣れた動作で取り出す。
電話ではなく動画ファイル添付のメールだ。
再生すると、監視カメラから回収したものらしいディアボロの姿と動きが映し出される。
「そういう訳にはいかないか」
荒い画像や100メートル以上先の姿を見ただけで正体を見破れる自信はないけれど、見比べて怪しげな箇所に気付ける程度の経験は積んでいる。
「複数の可能性がある」
端末を取り出し、数文字だけ入力して予め設定した宛先へ送信する。これで後方の仲間と情報が共有できたはずだ。
「気づかれた……かな」
メレクは手持ちの中で最も射程の長い銃を取り出し、翼を展開して空に飛び立つ。
血が乾いたような赤黒い鞭からなる人型の向きが、無人の公園がある方向から数キロ先に避難所がある方向へといつの間にか変わっていた。
片手で携帯電話を取り出し攻撃開始と入力送信し、上空から接近して攻撃の瞬間だけ銃の射程ぎりぎりまで近づき、誘引のために弾をばらまこうとした。
「っ」
アウルの弾丸がディアボロの肩に命中し、薄い赤色の血が飛び散る。
それから数瞬遅れて、悪意を以て悪意を熟成した恨み辛みが鞭状人型から押し寄せた。
肌と筋と骨を透過して魂を冒す呪いは、メレクが即座に距離をとったことで振り払われる。
しかし2度3度と浴びせられて全てに抵抗できるとは思えず、メレクは銃の射程からさらに数メートルほどの距離をとる。
倒すべき敵と判断されたようで、ディアボロはくたびれた足取りでメレクへ向かう。無音の鬼ごっこは距離を保ったまま数十メートル続き、けれど唐突に終わった。
一見誰もいない公園の敷地に入る直前に、ディアボロが急に足を止めたのだ。
●誘引完了
「数量限定だから、欲しい人は手を挙げてくれないかい」
口調だけは軽くアサニエル(
jb5431)が問うと、誘引をメレクに任せて公園へ戻っていた静矢が挙手をした。
「怪我をすりゃ痛いの痛いの飛んでけってしてあげるよ」
「そのときは頼む」
広い胸板に魔除けの印を描いてもらってから、静矢は木陰から飛び出しメレクと入れ替わりにディアボロの前に飛び出した。
真正面から腐臭まみれの風が吹き付ける。
萎えかけた足を燃えさかる闘志と使い捨ての印の力で立て直し、アウルで紫に輝く刃を手に裂帛の気合いを叩きつける。
「お前の相手は私だ」
手応えはあった。
そして複数のことが同事に起きる。
鞭からなる人型が体勢を崩しかけ、鞭の一部が静矢に伸ばされ、人型が意思を感じさせない動きで伸びた鞭の端を押さえる。
咄嗟に呼び出した大山祇で鞭の先を切り落とす。
ほぼ完璧に防御できたにもかかわらず伝わってきた衝撃に、静矢は整った眉を微かに動かした。
静矢はディアボロを向いたまま後退を始める。
敵を恐れ一方的に押し込まれる動きに似てはいたが、その動きに遅滞はなく恐れは全くなかった。
●砲撃
「押し流せ、太陽の炎よ」
うっすらとした結晶がアウルにより形作られる。
「ヘリオライト・ウェーブ」
静矢を追うディアボロの真横で炸裂する。
本隊から伸びている小さな鞭が悶え、本体は初めて気づいたようにグラルス・ガリアクルーズ(
ja0505)に頭部を向けた。
グラルスは隠れていた訳ではない。
静矢が一時待機していた木陰から出て配置につくまで歩いていたのにも気づかないほど、ディアボロの視界が狭まっているのだ。
「この炎に耐えられるかな?」
再度薄い色の結晶が現れると、さすがに警戒したらしく本体が前に出ようとする。
が、先に発動したのは炎の術ではなく、グラリスの術でもなかった。
「残念だけど行き止まりよ」
柄込みで2メートルに達する大剣にはアウルが限界まで蓄えられている。
「あたいがここで」
振りかぶるとアウルが剣先に集中し、限界を超えたアウルは氷の力としてこの世に姿を現す。
既に夏に近い気候になっているのに、雪室 チルル(
ja0220)の周囲だけが北の地の極寒の冬じみた場所へ変わっているように見えた。
「止めてみせる!」
振り下ろす。
黒く染まった剣先からエネルギーがあふれ出る。
それは北の雪吹雪を思わせる白さで、グラルスの脇をすり抜け、人型ディアボロの右肩を貫通して初夏の陽気の中に消えていった。
儚く美しい光景は、再度炸裂した炎によりかき消される。
ディアボロは体をのけぞらして声も出さずに、否出せずに絶叫した。
「ん?」
チルルは敵の異変に気づく。
鞭の動きが変だ。
まるで別々の生き物のように、ある鞭は一度距離をとろうと、別の鞭は危険なチルルに巻き付き力で切り刻もうと、またある鞭はグラルスを狙おうとして互いが邪魔になり一部絡まってしまう。
万全の状態なら違ったかもしれないが、そんなざまではチルルの氷結晶の守りを撃ち抜くことなどできない。
「よく分からないから」
本能的にはだいたいこの後の展開が理解できていたかもしれない。
が、チルルは理屈で理解しようとしない代わりに、正面から乗り越えられるだけの気合いと力がある。
「まとめて切り飛ばしてやる!」
二度目の白い輝きは、滅多に出来ない改心の出来だった。
だから大打撃を受けたディアボロがこう動いたのは当然だったのだ。
鞭が湿った音をたてて結合を解く。
人体のパーツと鞭を悪趣味に組み合わせた本体1つと、細長い蛇じみた動きの鞭4つに別れ、虫の生々しい動きで飛び散り主にチルルへ向かう。
「げ」
物理的にはぎりぎり耐えられはするだろうけど、精神的な意味でピンチかもしれない。
「どんな手を使おうとも無駄だ。――消し飛べ!」
火球が炸裂し、既に傷だらけだった鞭2つが消し飛んだ。
●罠
ディアボロの注意と憎悪が静矢からグラルスに移ったとき、雨野 挫斬(
ja0919)がついに動いた。
それまで気配と足音を消してディアボロを追跡していたのはこのときのため。
目には喜びを、手足には力を、刃にはアウルを込め、リボンでまとめられ黒髪を揺らしながら白刃を突き出す。
「キャハハ!」
鞭状ディアボロが迎撃に回る。
ディアボロとしてはかなり上の威力を持った一打は、挫斬の思い切りの良すぎる踏み込みによって打点をずらされる。
艶めかしい色艶の頬に一筋に赤い線が刻まれて血が流れ、それよりさらに赤い舌が舐めとり心からの笑顔が炸裂する。
「ドーン!」
人型ディアボロは振り向けなかった。
真後ろからの衝撃を耐えることも受け流すこともできず、頭から公園の大型ジャングルジムに向かって飛んでいく。
何のために進むか忘れてしまった人間の成れの果ては、これまで通り透過能力を使ってすり抜け前に進もうとした。
が、透過できるはずのジャングルジムが、頑強な障害となって人型を受け止める。
ジャングルジムがひしゃげてちぎれた一部がディアボロに触れる。
悪魔により造られた兵器はこの程度でダメージなど受けはしないけれども、一時的に動きを封じるだけの効果は確かにあった。
「ふふふ、捕まえた」
恋い焦がれた人に対するように、待ち焦がれた獲物に対するように、偃月刀を手に躍りかかる。
「待ってください」
挫斬を優しく押しのけその場に滑り込んだ清十郎が、盾を掲げて己ではなく挫斬を守る。
そのままなら挫斬の脇腹に穴を開けかけなかった2つの鞭による突きは、1つは盾によって跳ね上げられ、もう1つは清十郎の腕を貫き盛大に血とアウルを飛ばす。
戦闘中に謝罪したりされたりするような余裕はないしする気もない。
挫斬は瞬時に思考を切り替え、ただでさえ薄い防御を完璧に捨てて奇襲を狙った鞭を切り裂く。
鞭は残った体力を使い切る勢いで体をひねり、表面から3分の1削られることで耐えきる。
清十郎の体を覆う鮮緑色のアウルの一部が赤い結晶に変じて傷口に吸い込まれ、戦闘不能になりかかった体に最低限ではあるが力を取り戻す。
盾による防御から流れるように繰り出された銀の杖に打たれ、削られたディアボロは全身粉微塵になって完全に崩壊する。
「あと少し! 一気に決めます!」
「頑張れ少年!」
アサニエルの声援と共に癒しの力が降り注ぐ。
重傷寸前から負傷状態、そこからほとんど軽傷の状態まで戻した清十郎は、鞭による強烈な打撃をニュートラライズのカオスレート調整と盾で押さえ込み、追いついた静矢達と共に最後に鞭の最後の1本を打倒するのであった。
●残骸と炎
阻霊符の影響下にあるとはいえ、ジャングルジムはディアボロに対して全くダメージを与えることはなかった。
しかし衝突時の衝撃で高速で飛び散る部品や砕けて尖った破片は危険だ。
危険なのだ。
「それじゃあ、私の仕事をしようか」
神喰 茜(
ja0200)の顔に柔らかな笑みが浮かび、自然体の爽やかな笑い声が零れる。
アウルにより金色に染まった髪は輝きを増し、身に纏う光は内心の渇望を反映し流血の赤と化す。
けれど瞳は単一の想いに染まりきった透明ではなく、懊悩を表す濁りもなく、己の刃と足で困難を踏み越えていく覚悟が現れた良い目をしていた。
己の目に向かって飛んできた破片を加速することで回避し、進路上に突き出していた頑丈なパイプを噛んでねじ曲げ引き抜き吐き捨てながら鯉口を切る。
ディアボロが跳ね起き、ジャングルジムの残骸を武器として飛ばす。
どうやっても回避はできない鉄の塊を、茜はさらに踏み込むことで直撃だけは避け、見た目だけはぼろぼろの刃を振り下ろした。
鞭状の何かと人体で構成されたディアボロが無音の悲鳴をあげる。
その叫びはどこまでも人間的で、茜も使徒と出会ってしまう前なら共感なり憐憫の情なりを抱いてしまったかもしれない。
アサニエルに刻んでもらった印が手の甲から消える。
悲鳴にも呪詛がのるよう作られていたらしい。
「趣味の悪い」
小さな癒しの光を茜の背中に送りながら、アサニエル苦痛と疲労の混じった苦い表情を浮かべている。
このディアボロが元は誰だったか分からない。けれどどのような意図でどうやって作られたのかは、だいたい想像できてしまった。
「邪魔な茨、全部斬り飛ばして丸裸にしてあげるよ!」
慈悲でも怒りでも思考放棄でもなく、切ることを選択して己の意思で押し通す。
ディアボロが棘が生えた鞭状の手を伸ばすよりも早く、全ての棘が宙に舞い、茜の戦気に当てられでもしたのか自然と燃え上がり溶けていく。
いや、溶けているのはちゃんとした理由がある。
火炎放射器を構えたメレクが、ディアボロの背後から延々と炎を浴びせているのだ。
「今!」
アサニエルが護符にアウルを通し、光弾に変えてディアボロの額に命中させる。
与えたダメージは薄皮一枚態度。
しかし動きが一瞬止まった事で、若い剣鬼に絶好の機会を提供する。
「その首っ」
グラルスに焼かれてから様々な攻撃をくらったディアボロの首はもろくなり、薄い亀裂が生じていた。
大胆な踏み込みと共に振るわれた刃は、頸骨にあたるものを周囲の筋ごと砕いて吹き飛ばす。
最後の瞬間。彼の残骸は遠くの自宅を見て、自ら目を閉じ昨日を停止した。
ディアボロの進路を逆に辿った撃退士は、ディアボロの素材にされた被害者の遺体の一部を見つけた。
遺体は、警察経由で遺族の元へ戻される予定である。