●帰宅
カラフルなランドセルを背負った子供達が騒ぎながら帰ってくる。
厳つい教師の物まねをして友を笑わせたり、昨晩放送されていたアニメについて熱く語り合っていたり、今日の晩ご飯を何にするか話し合ったりと、天魔襲来以前であれば日本全国どこででも見られたはずの光景だ。
しかしかつてとは異なる要素もある。
彼等の背中には蝙蝠状だったり白鳥風だったり無機物っぽかったりする翼があり、地上十数メートルを高速で飛んでいるのだ。
「いっちばーん!」
築年の割には古ぼけた、ここ数日の管理人不在により一気に薄汚れたアパートの壁に小さな天使が直進する。
透過能力で壁をすり抜け、出しっぱなしの布団に飛び込んで怠惰な午後を満喫できる、はずだった。
「え」
待ち受けていたのは布団ではなく剣山だった。
「うわぁんっ」
慌てて透過しようとする。
けどどこかで阻霊陣が起動しているみたいですり抜けられない。
いやもちろんただの剣山程度で負傷するほど弱くはないけど痛いのは嫌なのだ。
凶悪な輝きを持つ針山が迫り、額にぶつかる。
「あれ?」
痛みはなかった。
ウレタンに塗装されただけの偽剣山は、額に弾かれてちょっと湿っぽい布団の上に転がった。
「どしたのー?」
「うわぁっ」
危機感のない堕天使とはぐれ悪魔達が壁を透過し、次々に同様の罠に引っかかっていく。どうやら、どこかで阻霊陣を起動したり解除したりしているらしかった。
この地獄絵図風コメディを実現させた仁良井 叶伊(
ja0618)は、マスターキーを使って部屋に入り、己の眉間を揉む。
「数日間生活指導を担当する仁良井です」
生活指導という単語を認識したお子様達は、仁良井が大文字 豪(jz0164)から渡された書類を取り出すより早く逃げ出そうとする。
反応も速度も素晴らしく、戦闘依頼で食っていけるだけ実力があるのがそれだけも分かる。
もっとも仁良井から見るとまだまだ甘い。
阻霊陣で透過できない彼等は仁良井が開けたドアに向かい捕獲され、優しく、けれど有無を言わせない手つきで正座させられる。
「透過の乱用は目隠ししながら歩くのと同じで自分が危険にさらされます」
こくこくとうなずく堕天使に、窓を開ける前に捕獲されきゃーと歓声をあげるはぐれ悪魔。
「人間には無いモノで有る以上、人間社会の中で生きる事を望むなら人前での使用は止める事が望ましい。分かっていますね」
はーいと声を揃えた返事に、仁良井は先程より強い頭痛を感じた。
これから数日。注意しても悪気無く1時間で忘れるお子様達に、振り回されることになる。
●ほこりとのたたかい
捕まれば真面目に説教を聞くものの、聞く前の段階で逃げに逃げるというか追いかけっことして全力で楽しんでいた彼等に変化が現れたのは、上雷 芽李亞(
jb3359)が掃除を始めてからだったた。
堕天してもなお神々しい豪奢な金髪と黄金の翼。
瑞々しい赤みがかった肌を包むのは薄手のシャツとミニスカートで、腕状に突き出した双球からくびれた腰、形の良い臀部、すらりとした生脚の線は例えようもないほど美しく、世の男と一部女性を惑わす魔性の色気すら感じられる。
けれど今、色気を感じる者はいても惑わされる者はいない。
真っ直ぐに伸びた背は凛とした雰囲気を醸しだし、埃避けのための帽子とエプロンは色気ではなく実用的な美を強く感じさせる。
はたきで天井近くの埃を落とし、ベニヤ板製の壁をぞうきんで一拭き。床に落ちた埃と小さなゴミは箒で掃いた後モップがけで仕上げだ。
腰を曲げることなく最大の効率で動く彼女は、演舞をしているようにも見えた。
「おおー」
「かっけー」
秩序指向だったり力こそ全ての傾向を持ってたりもするお子様達は、美しい動きと綺麗になる住処に惹かれ、美しさという力という力を持つ彼女に魅せられる。
「さあ、窓を拭き、汚れを落とそう。光と景色を取り込み、安らぎと癒しを得られる住まいに保つのだ」
雑巾と霧吹きに入った窓ふき用洗剤を示すと、お子様達は我先に掃除道具を掴み、翼を広げてぼろアパートの掃除を開始する。
自発的な掃除は、全員これが初めてだった。
●料理
全身を使って掃除をすると疲れ……はしなくても腹は減る。
はぐれたり堕天してから食の喜びに目覚めたお子様達は、掃除を終えるとすぐに食料庫に向かった。
「今日は金の袋ラーメンだよ〜」
「私はぬーどるー」
「んー、ボクはチョコがいいな」
無言で鍛錬を続ける仁良井に気付き、お子様達は透過能力を解除して建て付けの悪い引き戸を開ける。
「カレーにチョコ、カップ麺だ? いいもん食いやがって」
天上の美声にまぎれてラーメンをすする音が響き、大事にとっておいたはずのブランドものお菓子が咀嚼される音が混じる。
「うわーんっ」
「敵襲だー」
ヒヒロイカネから巨剣や銃や呪符が取り出されるが、遅かった。
「1週間分の食いだめ完了!」
爽やかに微笑む外見美少女天使の口から漏れるのは、化学調味料と塩と油の香り。
江戸川 騎士(
jb5439)のまわりには、空のカップとチョコレートかすがついた包装紙が大量に転がっていた。
「ちねー!」
「だーい!」
堕天使の翼がアウルで輝き、はぐれ悪魔の可愛らしい口から凶器じみた鋭い牙がむき出しになる。
「ふはははは。激情に駆られては10分の1も実力を発揮できないぞっ」
大振りの刃をバックステップでかわし、アウルの銃撃を窓から飛び出して回避する。
「そこのキミ、人間界では風呂場以外の裸はお巡りとか敵を作る場合もあるが、適度な肌見せは味方を作る。服で己を正しく飾れよ」
薄手のジャンパーを投げ渡し、江戸川は高笑いと共にアパートから離れて行く。
「まてどろぼー!」
頭に血が上り空腹で力の出せないお子様達では、堕天後の戦闘経験は少なくても腹一杯食べて心身が充実した江戸川に追いつくことはできなかった。
●おせっきょー
お子様達は、管理人室の前の廊下で正座させられていた。
「どうしてこうなったか分かりますね?」
一角獣の角を持つ悪魔が、責めるのではなく、侮るのでもなく、お子様達と視線をあわせてその心に真摯に問いかける。
「近所のひとたちに迷惑をかけたから」
「ガラス切っちゃったから」
刃で×の時に切られたガラスはガムテープで補強され、近所の一軒家に住む上級生に拳骨を落とされたお子様の一部にはこぶができている。
十分反省していることを確認した藍晶・紫蘭(
jb2559)は、満足そうにひとつうなずいてから足を崩す許可を与えた。
「よろしいですか、皆さん」
美しくはあるけれど迫力のありすぎる巨峰が2つ。
しかし真摯な瞳が劣情を抱かせない。
「私達天魔は、此方に来た以上『今まで通りの古い天魔』ではなく、『人間界の天魔』という新しい存在にならなくてはいけないのです」
首をかしげたるお子様達に、1人1人手渡しで冊子を渡していく。
表紙と表は暖かな色で、何度も読み返すことを考慮して頑丈に作られている。
中身は図と分かり易い表現を多用した、けれど膨大な情報量を誇る、堕天使とはぐれ悪魔のための人間社会入門書だ。
常識はなくても知性と記憶力はあるはずの存在向けの、大文字あたりが見れば譲ってくれと土下座しかねない逸品である。
「今日は社会科の課外授業です。良いですね?」
「はい!」
紫蘭に引率されたお子様達は、人間なら幼児でも経験上知っていることをいくつも、数が多すぎて深夜に及ぶほど質問を繰り返す。
歩道はどうしてあるのか何故歩く必要があるのか何がどこまで法律上許されて慣習上許されないのか。
多くの人間にとって疑問に思うことすら苦痛な常識への問いに、紫蘭はただひたすら誠実に答えていった。
●自炊の夜明け
「うにゃー」
「よひにほひ」
日が変わってから食事もとらずに布団に飛び込んだお子様達は、芳醇な味噌とさっぱりした脂の香りで目が冷めた。
「顔を洗って歯磨きをするんだぞ」
既に食事を終えて裁縫仕事を始めていたリューグ(
ja0849)が声をかける。みっしりと筋肉が詰まった巨体から響く低音は心地よくお子様達の体を震わせ、素直にうなずかせる。
「わかったー」
「なのー」
ぱしゃぱしゃ、しゃかしゃか、ごろごろぺっ。
小さなはぐれ悪魔と堕天使達は洗面所から出て、可愛らしく鳴る空きっ腹を抱えてキッチンへ向かう。
そこで待っていたのは、人数分の味噌汁の椀と薄く焼き色のついた鳥つくねだった。
テーブルの上に載せられた炊飯器からは、炊きたてご飯の濃い旨味と甘味が漂ってくる。
「いただきまーす」
「うまー」
「れすとらんのしゅっちょうっ?」
「どこで食べられるのですか!」
堕天前のノリに戻ってしまうほど衝撃を受けたものさえいた。
「それは……ね」
まだ寝ている撃退士の分を作りながら、草刈 奏多(
jb5435)は静かに返答する。
「お猫様の信者になれば」
「なりますなりますっ!」
勢いよく立ち上がろうとする堕天使を目で制し、ゆっくり味わって食べるよう指示する。
しかしもともと美味いものが空腹でさらに魅力的になり、箸やスプーンで口に運ぶ手が止まってくれない。
「ごちそうさまでしたっ」
「お粗末様でした。……興味、あるよね?」
味噌汁が沸騰する少し前で火を止めて味見し、軽くうなずいてから冊子を配る。
作り方を絵本調に解説した冊子を食い入るような目で読み込み、食欲に突き動かされた面々が自発的に奏多の手伝いに向かう。
けれど、自炊どころか料理の概念すらなかった多くの天魔は、今のままでは手伝おうにも全く役に立たないだけでなく食材の無駄にしかならないことが分かってしまった。
奏多がちらりと視線を向けると、道具を運んでいた青柳 翼(
ja4246)が困っているお子様達の元へ向かう。
「僕は青柳、料理については僕が色々教えてあげるね。何かあればどんどん聞いてね〜」
少しだけ不器用なウィンクを1つ。
背は平均的でやや細め、おっとりした感じの優男風だ。
「ちなみに僕の事は先生と呼ぶように、お兄さんでも可」
芯に強靱なものを感じさせる雰囲気に、一部のお子様がある意味で肉食獣に変じてしまった気がした。
大勢が集まって狭苦しくなった台所から離れ、料理経験も知識もない天魔達を連れて広めの部屋に移動する。
「初めて作る物は基本的にレシピに従う事。目分量とかはダメだよ〜?」
清潔なテーブルクロスを広げ、洗い終えた生野菜が山盛りのボウル、まな板に包丁、各種調味料を並べていく。
いきなりマヨネーズを野菜の上にぶちまけようとした堕天使を柔らかく注意すると何故か赤面されてしまう。
「包丁を使う時は切る物を確り押さえて、押さえる手は猫の手、ね」
ちゃぶ台の前で正座したちびっ子の背後から手を伸ばし、下心なしで下心まみれの小さな肉食獣に具体的な動きを教える。
「味付けの基本はさしすせそって言って、砂糖・塩・酢・醤油・味噌の順に入れるのがポイントだよ。味見はしなきゃ駄目だよ。というかしてお願い」
自主性に任せると飯マズ化確実な天魔達に、自分自身を餌に誘導しなんとか真っ当な味覚を持たせようとする翼である。
数日後、肉食獣たちに食べられるるのを避けるため、翼は日の出前にアパートを出ることになる。
●女湯の乱
「おじゃましなすなのです♪」
「おーう。温めに炊いてるよー」
朝早くに訪れたルミニア・ピサレット(
jb3170)とちびっ子天魔達を、銭湯の経営者が直々に出迎えた。
「ありがとうなのです!」
「なのでっす!」
ルミニアに倣って頭を下げたり何故か年季の入った敬礼をするちびっ子達に手を振って応えてから、酸いも甘いも噛み分ける男が番台に上がって新聞を読み始める。
無茶なことをしない限り黙認してやるよということらしい。
「教えた通りにやるですよ〜」
ルミニアがちらりと視線を向けると、ちびっ子達は小さな尻を小さな手で隠して青い顔で何度もうなずく。おしりぺんぺんの実例写真(モデルはルミニア本人)にすっかり怯えてしまっているようだ。
料金箱に効果を入れ、ロッカーに薄手のジャンパーや戦闘服兼用の羽衣(布きれ)を入れ、飾り気の少ない下着を放り込んだりそもそもなかったりして小声で話しながら硝子の引き戸から浴場へ向かう。
「むふー、なのです」
つるんぺたんすとんだったり、ちまっぺたんちょっぴりだったりする女性陣を横から斜め後ろから干渉する。
気弱な者なら、不思議そうに見返してくる目に気づいた時点で罪悪感に教わるだろう。
しかしルミリアの心は柔ではない。朗らかな笑顔でごまかし、お湯に飛び込もうとした堕天使を引き留め、てきとーに頭からお湯を被ろうとしたはぐれ悪魔を座らせてかけ湯について教え込む。
「私が洗って差し上げます。騒がない様耐えるです! 試験なのです!」
外見幼女がしてはいけない手つきと目つきで、ルミリアがじりじりとお子様達に近づいていった。
●まったり
「元気だな」
色っぽさに欠ける笑い声の女湯とは逆に男湯は静かだった。
気詰まりな沈黙はない。
安らぎと許容が、様々な経緯でこの場にたどり着いた天魔を優しく受け止めていた。
その場の中心はリューグだ。
ちびっ子達の口近くまであるお湯は、彼の腹あたりまでしかない。
人並み外れた巨体ではあるが、ただ縦に長いわけでも余分な肉がついている訳でもなく、筋肉の鎧に上に適切かつ妥当な脂が載っている。
「なんどみてもすげー」
小さな手がリューグの体をまさぐり、はじめて父性に触れたちみっこがおそるおそる体を寄せてくる。
「タオルは湯につけちゃ駄目だぞ」
落ちかけた布巾を頭に戻してやり頭を撫でてやると、幸せそうに目を閉じられる。
「銭湯はプールでない、と言うかプールほど広くないし、皆ではいる風呂、皆で大事に扱うものってわかりにくいか?」
「んんー」
「そんなことない」
ちびっ子達は素直に大人しくリューグの言葉を聞いている。
「うん。だったら合格だな」
うとうとしているはぐれ悪魔を脇に抱えて風呂から上がる。
撃退士の身体能力を活かして可能な限り慎重に動いたのに、巨体が動いた結果湯がうねり軽量のお子様達が流された。
●牛乳
「鼻から牛乳は、場を和ます効果もあるが、外見が美しいと"痛い"時がある。しないように注意が必要だ」
真面目な顔でぼけてから、江戸川は入浴前に没収した風呂用玩具を返却する。
「利用法を忘れたときは壁に貼られている絵を見ろ。誰でも判るように描いてある」
コーヒー、フルーツ、新鮮牛乳の入った硝子瓶をお子様達に配っていく。
リューグお手製の浴衣を着た天使と悪魔は、心底美味しそうに各種牛乳を味わい、飲み干していく。
その日の夕方、依頼を終えて撃退士達が立ち去るとき、皆浴衣を着て涙目で見送っていた。
なお、奏多がお土産に手製のドーナツを渡すとあっさりと笑顔になり、残像が残る速度で手を振っていたらしい。